夜会《Oneness》〜魂なき少年は、この世で最も危険な六人に執着される〜 作:なんか火花
「知っておるぞ、“カミシロ”」
老人の言葉に、マルクたちは目を見開いた。
「爺さん、それは本当かい?」
フォルツが眉をひそめた。
昨日できたばかりの水溜まりで釣りをしているような、奇妙な老人だ。
突然そんなことを言われて、素直に信じられるはずもない。
「さて、どうかな」
老人は水面から目を離さなかった。
「お爺さん」
マルクが一歩前に歩み出た。
「僕たちにはどうしても“カミシロ”についての情報が必要なんです。少しでも知っていることがあったら、教えて欲しいです」
そう言って、マルクは老人の背中を真っ直ぐに見据えた。
老人が振り返り、マルクを値踏みするように見つめる。
「…………」
「…………」
瞬間、老人は大袈裟にため息を吐き出した。
「でものぉ。向こうの世界に片足突っ込んでるとか言われたしのぉ」
「気にしてんのかよ!!」
フォルツが思わず前のめりになった。
マルクは慌ててフォローを入れた。
「大丈夫です!両足じゃなければ、突っ込んでても!」
「片足も突っ込んどらんわ!!」
老人が唾を飛ばしながら怒鳴った。
ふぅ、と老人が嘆息する。
「お主らと喋ってると寿命が縮まるわい」
老人が再び水溜まりの奥へ視線を向けた。
「……坊主」
老人がぽつりと呟いた。
「ぼ、僕ですか……?」
マルクが自分を指差しながら首を傾げた。
「うむ。こっちへ来なさい」
「は、はい」
マルクは老人の隣へと歩み寄った。
改めて、水溜まりを見る。
深さは30センチほど。
フォルツがサンダーを倒した時にできた穴。
アスファルトが蜘蛛の巣状に砕け散り、所々に下の大地が露出していた。
水は少し濁っているが、それでも底までは見通せた。
できた経緯以外は、なんの変哲もない水溜まりだった。
こんな場所で本気で釣りをしているなんて、マルクは改めてこの老人の正気を疑った。
その時。
「ふん!!」
老人がつい先程まで使っていた釣り竿を、膝に叩き付けるようにして真っ二つに折った。
「「えー!!!!」」
マルクとフォルツは絶句した。
老人はポケットから釣り糸を取り出すと、折れた釣り竿の片割れに慣れた手付きで括り付けた。
続けて、小さな釣り針を結び付ける。
さらに別のポケットを漁り、どこから持ってきたのか分からない干からびたミミズを取り出すと、それを針へ刺した。
「ほれ」
老人はそれをマルクへ差し出した。
「えっと……」
「なーにを呆けておる!お主も釣るんじゃ!」
そう言って、老人は手に持った折れた釣り竿から釣り糸を垂らした。
糸の先が水溜まりの中で、へにゃり、とたわんでいた。
その先っぽをマルクは何とも言えない顔で見つめる。
「えぇ……」
マルクは手渡された釣り竿と老人の顔を交互に見た。
「え、オレ様は?」
別に釣りがしたいわけでもないし、釣れるとも思ってない。
だが、今日何度目かの謎の敗北感を味わいながら、フォルツはポツンと立ち尽くしていた。
◇
「…………あの」
マルクがおずおずと老人の顔を覗き込んだ。
「黙らんかい。もう少しじゃ」
「それもう五回は聞きましたよ……」
マルクは左手を地面につき、うなだれた。
マルクが釣り(?)を開始してから、既に一時間が経過しようとしていた。
当然、竿はピクリとも動く気配はない。
まばらだった雨は少しずつ雨足を強め、本降りへと変わりつつあった。
後ろを見る。
フォルツはいつの間にか、ピンクの傘を差し、その中で子猫と戯れていた。
「好き?猫」
マルクは、手持ち無沙汰にフォルツへ声を掛けた。
「普通だな」
フォルツは子猫の首の裏をくすぐり、小さく喉を鳴らす様子を眺めた。
「絶対好きじゃん」
マルクは苦笑を浮かべた。
フォルツは一瞬、考える素振りを見せた後、口を尖らせながら答えた。
「…………こいつらは可愛いけど、きっとそれを分かってない。だから、オレ様が可愛がって、それを分からせてやってるんだ」
そう言って、フォルツは子猫の耳の後ろを掻いた。
その様子を見て、マルクは小さく笑った。
そして再び、水溜まりへ視線を戻す。
「お爺さん」
「師匠だ」
「し、師匠」
慌てて言い直したマルクに、老人は「ふん」と鼻を鳴らした。
「これ、釣れるんですか?」
マルクたちにはやるべきことがある。
競争相手がいる以上、時間もきっと、あまり残されていない。
こんなところで足を止めている暇はなかった。
老人は答えない。
ただ、じっとマルクを見つめた。
「坊主。お主はここで、なぜ釣りをする?」
マルクはぽかんと口を開けた。
「えっと……師匠にやれって言われたからです」
その通りだ。
自分から望んでやっている訳ではない。
マルクは改めて、なぜ自分が雨の中で水溜まりに釣り糸を垂らしているのか分からなくなった。
「うむ」
老人は頷いた。
「では、何を釣ろうとする?」
「え、えっと……魚……?とか?」
老人が顎で水溜まりを示した。
「おると思うか?」
「いないんですか!?」
思わず腰を浮かせる。しかし、老人は変わらず、水面を見つめていた。
それを見て、マルクも再び腰を沈めた。
何とも言えない沈黙が流れる。
後ろでは、フォルツが壁にもたれ掛かりながら舟を漕いでいた。
膝には、いつの間にか子猫が丸くなって眠っている。
マルクが痺れを切らそうとしたその時、老人が言った。
「坊主、お主は
マルクの瞳が驚愕に染まる。
魂が無いことを言っているのか?
見透かされた?
様々な、疑問がマルクの頭を埋め尽くした。
「ど、どうして——」
「分かるわい。色々見てきたからの」
老人は事も無げに呟いた。
「考えがないわけではない。無感情な訳でも、意志がない訳でもない。ただ、思考する自分を俯瞰し、さらにその自分を別の自分で見据えておる」
マルクは言葉を失った。
分からない。
それなのに、不思議と胸の奥へ沈んでいく言葉だった。
「それを辿ったとしよう」
老人が続ける。
「思考する自分を見つめる自分。その自分を見つめる自分。さらに、その自分を見つめる自分じゃ」
老人は自らのこめかみを指でとんとんと叩いた。
「お主はそうやって、どこまでも内側へ潜っていけるじゃろう」
雨粒が水面に落ちる。
「じゃがの」
一拍置く。
「その果てで全てを見つめている者は、本当にお主か?」
老人の濁った瞳が、マルクを捉えた。
そこにいるのに手が届かないような、奇妙な感覚を、マルクは覚えた。
自分という感覚が、また遠のいた。
「……師匠、僕はどうすれば」
縋るような声だった。
老人はしばらく黙っていた。
雨粒が水面を叩く音だけが響く。
「諦めろ」
「え?」
マルクは間の抜けた声を漏らした。
「人間は、鏡が無ければ自分の顔すら見ることができぬ。そういう風にできておる」
老人は、さも当然なことを話すように言った。
「だから、待つんじゃ」
「待つ……?」
老人は頷く。
「遊び、働き、休み、食べ、話し、笑い、怒り、泣き、悩み」
老人は振り返った。
「——そしてたまには、子猫を撫でてみる」
フォルツが猫を抱えたまま寝ていた。
「そうやって、待って、待って、待って、ひたすら待ち続けた時——」
マルクの竿がぴくりと揺れた。
「答えは自ずとやってくるもんじゃ」
「え!?」
ぴくり。
ぴくり。
ぴく、ぴく。
少しずつ、その動きが大きくなっていく。
「し、師匠……!これ!どうしたら!?」
老人は何も言わない。
ただ、静かに頷いた。
「…………」
マルクは呼吸を止めた。
竿先が震える。
震えはやがて重みに変わる。
「まだじゃ」
老人が呟く。
「まだ」
そして次の瞬間。
ぐんっ、と竿が大きくしなった。
「今じゃ」
マルクは反射的に竿を思い切りしゃくり上げた。
水面が大きく弾ける。
「うわっ!?」
糸の先で何かが激しく暴れた。
細長く、黒い体。
濡れた革のような皮膚がぬらぬらと光を反射する。
それは蛇のように身をくねらせながら、空中で暴れていた。
「な、なんですかこれ!?」
マルクは目を見開いた。
「泥の中でも生きる。なかなかしぶとい魚よ」
そう言って、水溜まりへ視線を落とす。
「もっとも、こやつは昨日この穴に住み着いたわけではあるまい」
「え?」
「お主らのずっと下じゃ」
老人は足元をとんとんと叩いた。
「この都市ができる前から、そのまた前から。儂らの足の下を流れる川で、ひっそり生きておったんじゃろうな」
マルクはぽかんと老人を見た。
アスファルトの下を流れる川。
そんなものがあるなんて、考えたこともなかった。
「ほれ行くぞ、そのピンクを早く起こさんか」
「え?」
老人の首元には、いつの間にか先程釣り上げた魚がマフラーのように巻かれていた。
「行くって、どこにですか?」
何が何だか分からない。
マルクは目を白黒させながら老人の顔を見る。
彼はよっこらせ、と立ち上がった。
「蒲焼きでも食いながら話してやる」
雨粒が、その禿げ上がった頭を鈍く光らせる。
「——“カミシロ”のことをな」
老人は愉快そうに笑った。