夜会《Oneness》〜魂なき少年は、この世で最も危険な六人に執着される〜 作:なんか火花
静まり返った遺跡に、砂煙だけが漂っていた。
一陣の風が吹き抜ける。
マルクの腕の中でフォルツが小さく身じろぎした。
マルクの口元に柔らかな笑みがこぼれる。
瞬間、背後に気配を感じた。
振り返ると、そこにはスージーとラグーに体を支えられたサンダーの姿があった。
身体中に傷を負い、立っているのもやっとだろう。
しかし、瞳だけは真っ直ぐにマルクのことを射抜いていた。
「なんで、お前が……」
その拳は硬く握られ、何かを堪えるように震えていた。
「なんで、お前がッ!」
叫びながら、サンダーは一歩踏み出した。
「隊長!?」
スージーの制止も聞かず、支えていた腕を振り払う。
しかし、足に力が入らなかった。
膝から崩れ落ちる。
倒れ込む寸前、ラグーが慌ててその身体を支えた。
「——クソ」
サンダーは俯いて吐き捨てた。
マルクはその様子を、どこか他人事のように眺めていた。
サンダーは自分に対して負の感情を向けている。
しかし、その理由が分からなかった。
——面倒だな。
マルクの中に冷たい何かが流れた。
敵意を向けられて、不快に思う気持ちはない。
しかし、マルクはこれまでのフォルツやアテンとの関わりを通して、人の心というものに“慣れ”始めていた。
少しずつ。
少しずつだが、マルクはそれを模倣し、自分の中で再現できるようになっていた。
嬉しい時は笑う。
悲しい時は胸が苦しくなる。
誰かが傷つけば、手を伸ばしたくなる。
そういうものなのだと、理解し始めていた。
だから、フォルツが欲しがっている言葉を探した。
フォルツの心が、少しでも軽くなる答えを選んだ。
その結果、フォルツは笑った。
マルクは思う。
それは“本物”と、どう違うのか。
模倣を続けているうちは、ニセモノの、“空っぽ”のままなのか。
サンダーの唇は、強く噛み締められ、血が滲んでいた。
マルクはその姿を静かに観察する。
やがて、サンダーの瞳から涙がこぼれた。
ぽたり、と石畳を小さな雫が叩く。
マルクは息を呑んだ。
この激情は、まだ自分にはないものだ。
理解できないものだ。
知りたい。
欲しい——
「サンダー」
マルクが静かに声をかける。
その瞬間だった。
「カミシロさンち、知りまセんかァ」
「——え?」
全員の背筋を、冷たい何かがなぞった。
遺跡の奥。
ぽつん、とひとつの影が落ちていた。
その姿は、不自然なほど艶やかな黒い髪を持つ女性。
握られた錆びたハサミが、ぎしぎしと軋んだ音を響かせる。
いつからそこにいたのか、誰にも分からない。
ただ、最初からそこに存在していたように、影は世界に滲んでいた。
マルクは周りに目をやった。
いつの間にか、遺跡内を濃い霧が満たしていた。
「……今更か。本当に、霧予報は当てにならないね」
マルクは小さく呟いた。
冗談めかした言葉とは裏腹に、身体は動かなかった。
腕の中には、意識を失ったフォルツ。
戦力としては絶望的と言っていいが、マルクたちは、初めからこの怪異と戦うためにこの場所へやってきたのではない。
「カミシロさンチ、知りマせんかァ……?」
マルクはフォルツの身体を、そっと地面に横たえた。
「ごめんね。ちょっと待ってて」
無意識に、乱れた髪にそっと手で触れた。
マルクは怪異の前に立つと、真っ直ぐな瞳でその姿を見つめた。
「ねえ、君」
マルクが気安く声をかけた。
まるで、道端で知り合いに話しかけるように。
「カミシロさンち、知リまセんかァ?」
長い前髪の隙間から昏い瞳がマルクを捉えた。
しかし、その瞳はマルクを映していない。
ただ、そこにはない何かを探すように、遠くを見つめていた。
「知ってるよ、カミシロ」
そこで初めて、怪異はマルクを“見た”。
悪寒が、全身を駆け巡った。
マルクは震える身体を無視して、一歩前へ踏み出した。
「カミシロさんの家でしょ?発掘者の。知ってるとも」
また、一歩前に出る。
怪異は、静かにその様子を見つめていた。
ぎしり。
ハサミがまた、軋んだ音を立てる。
「彼の家なら——」
「待てッ!!」
瞬間、サンダーがマルクの前に飛び出した。
「……ッ!」
「カミシロはもうこの世にいねぇ!!」
サンダーが叫んだ。
ハサミの音が止まった。
「奴はもう死んだんだッ!!」
サンダーは笑った。
震える足で立ちながら、強引に口角を吊り上げる。
「そのハサミ!濁った目!お前はカミシロって奴を憎んでんだろ!?だったら、安心しろッ!!そいつは二十年前に死んでんだよッ!!」
「死ンだァ……?」
怪異がゆっくりと首を傾げた。
「あ、ああ!そうだ!そうなんだよ!だから安心しろ!!奴はもうこの世にいない!お前の復讐は終わったんだッ!もう楽になっていいんだよッ!!」
「もォこノ世に、イナい……」
怪異はうわごとのように繰り返した。
サンダーは小さく息を吐いた。
「……見ろ」
マルクへ振り返る。
「俺の勝ちだ!!」
サンダーは震える声で、それでも勝ち誇るように笑った。
「スージーが仕掛けた盗聴器でお前らが掴んだ情報は全て聴かせてもらった!カミシロは二十年前に実在した発掘者だ。素行は悪く、敵も多かったらしい。となればこの怪異もカミシロに恨みを持つ誰かって考えるのが普通だッ」
サンダーはマルクを睨みつけた。
「お前は何でも分かったような顔してるけどな、甘ぇんだよッ!!この怪異の真実も、夜会の席も——全部、俺がこの手で掴み取ってやるッ!!!!」
荒い息を吐きながら、それでもサンダーは笑っていた。
ようやく。
ようやく届いた。
フォルツより、そしてマルクより先に“答え”に辿り着いた。
自尊心が、傷だらけの心を満たしていく。
間違っていなかった。
自分のやってきたことは、無駄じゃなかった。
夜会の化け物にも、空っぽの少年にも、確かに届いたのだと。
そう思った。
瞬間だった。
「カミシロは、シんだァ……?」
「もウ、イナ、い……?」
怪異の指が、小さく震えていた。
ぎちり。
錆びたハサミが、悲鳴のような音を立てる。
「そ、そうだ!」
「サンダーッ!!」
マルクが制止する。
しかし、サンダーは止まらない。
「いねえんだよ!カミシロはもうこの世に——」
「いナイ」
怪異が、ぽつりと呟いた。
「イなイ」
「イナい」
「イナい」
「イなイ」
「イナイ」
「イナ……イ」
「い、なイ……?」
「イナイ……イナイ」
「いナい……カミシロ……」
「カミシロ……いナイ」
「カミシロ……イなイ……?」
「どコにも……いナイ」
「どコ……カミシロ……どコ……」
老人のしわがれた声。
幼い子供の泣き声。
若い女性の震える声。
いくつもの声が重なり、混ざり合いながら、同じ言葉だけを繰り返した。
「あ、あぁ…………」
サンダーの笑みが、静かに消えていった。
一歩。
無意識に足が後ろへ下がる。
「なんだよ……」
声が震えていた。
「なんなんだよ、お前ッ……!!」
「サンダー」
マルクがゆっくりと前に出た。
「彼は確かに“カミシロ”を恨んでいた。それは間違いないよ。でも——」
「……?」
「『この世にいない』」
マルクは静かに呟いた。
「その言葉だけは、言っちゃいけなかった」
瞬間、怪異の“存在”が膨れ上がった。
膨大なアラヤが渦巻き、悍ましい“ナニカ”に変質する。
マルクたちの頭に最初に浮かんだのは恐怖でも焦りでもない、ただの“疑問”だった。
これは、なんだ。
何が起きている。
自分たちは、何を目覚めさせてしまったんだ。
なぜ。
なぜ。
なぜ?
ぎしり。
ハサミが軋んだ。
「——え?」
一瞬、誰も理解できなかった。
つい先ほどまでサンダーの身体を支えていたはずの男。
ラグーの身体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちていた。
「……ラグー?」
サンダーの口から、間の抜けた声が漏れた。
返事はない。
石畳に広がる赤。
動かない仲間の姿。
それだけで、サンダーの頭は真っ白になった
膝から崩れ落ちる。
「…………んだよ。なんなんだよッ!!!!!」
サンダーの叫びが遺跡に響いた。
ぎしり、また軋んだ。
瞬間。
空が、割れた。
「……は?」
違う、空ではない。
遺跡の天井だった。
ぎしり。
石柱が倒れる。
きしり。
地面が割れる。
また、ハサミが鳴った。
たったそれだけ。
ただ、それだけで世界が壊れていく。
サンダーは地面に座り込み、呆然と自分の手のひらを見つめた。
隣では、スージーが血に濡れた肩口を抑えながら蹲っていた。
——これは、なんだ?
誰のせい?
誰のせいだ?
……俺のせい?
違うッ!!
お前のせいだ!
お前の!
お前の!
お前のッ!
特定の誰かではない、“何か”を責め立てた。
その“何か”が少しずつ輪郭を作っていく。
やがて、それはひとつの顔になった。
「——マルク」
サンダーの顔が、ゆっくりと動く。
血走った瞳が、マルクを捉えた。
「お前が……」
震える声。
握り締めた拳から血が滲む。
「お前がッ!!お前がッ!!お前がッ!!お前がッ!!お前がッ!!!!」
ぎしり。
ハサミが軋んだ。
巨大な影が、サンダーを覆う。
崩れ落ちた天井。
逃げることも、防ぐこともできない。
瓦礫が視界を埋め尽くす、その瞬間まで、サンダーはマルクを睨んでいた。
轟音。
己に向けられた激情に、マルクは息を呑んだ。
憎悪。
怒り。
悲しみ。
後悔。
ぐちゃぐちゃに混ざった、どうしようもない感情。
マルクの空っぽが、少し揺れた。
怪異の瞳がゆっくりとマルクを見据えた。
マルクが振り向くと、そこにはフォルツがいた。
傷だらけの身体を投げ出したまま、力なく横たわっている。
いつもの不敵な笑みも、大袈裟な声もない。
ただ静かに、あまりにも無防備に、そこにいた。
ぎし。ぎし。
ハサミが鳴いている。
マルクの頭は、夜が明けたばかりの朝のように澄み切っていた。
自分では勝てない。
空っぽだから。
フォルツのような強さも、サンダーのような激情も自分にはない。
何もない。
何も。
誰も守れない。
——だけど。
この気持ちはなんだ?
サンダーの憎しみに満ちた瞳を思い出す。
あれはなんだ?
分からない。
理解が及ばない。
だが、しかし。
本当に?
本当に、それは自分には無い物か?
“淵”によってフォルツの存在をこの身に受け入れた時、彼女の心を——魂を強く感じた。
その形は、何かに似ていた。
考えて。
考えて。
考えて。
やがて、思い当たった。
それは、自分の“空っぽ”そのものだった。
「ああ、そうか」
マルクは小さく笑った。
確かに、自分には魂がなくて、空っぽで、感情すら曖昧で、時々、この胸に浮かぶものが本当に自分のものなのかさえ分からなくなる。
だけど。
この“空っぽ”は、確かにフォルツの——
人々の魂と同じ形をしていた。
人間の魂が水風船の中の水とするなら、マルクの“空っぽ”は風船そのものだ。
中身はないし、重みもない。
しかし、水が入っていなくても、空っぽのままでも——
誰かの目に映るそれは、確かにひとつの風船だ。
中身がないことと、何も生み出せないことは違う。
ぎしり。
ハサミの音が、マルクを現実へ引き戻した。
顔を上げると、そこには変わらず怪異の姿があった。
濁った瞳。錆びたハサミ。
そして、帰る場所を失った迷子のような顔。
「カミシロ……カミ、シ、ろ」
マルクの“空っぽ”に何かが滲んだ。
マルクはそれを見逃さなかった。
消えてしまわぬように、溢れてしまわぬように、その小さな揺らぎを手繰り寄せていく。
少しずつ。
少しずつ。
マルクの中で“揺らぎ”が大きくなっていく。
やがて、それはひとつの形になった。
アラヤではない。
満たすものではなく、削るもの。
照らすものではなく、空けるもの。
マルクは静かに手を伸ばした。
「【
その言葉が溢れた瞬間、マルクの足元から色のない波紋が広がった。
水面に落ちた雫のように、静かに、けれど確かに世界を侵食していく。
「カミシロ……」
怪異が首を傾ける。
目の前にいる少年を、理解できないというように。
錆びたハサミが振り上げられた。
ぎしり。
——キィンッ
鉄を叩くような甲高い音が遺跡に響いた。
マルクの身体が、大きくよろけた。
受け止めたわけではない。
避けたわけでもない。
放たれた斬撃が、マルクの肩口を掠める寸前で、何かを失ったように軌道を逸らしていた。
遅れて、頬に細い傷が走る。
血が一筋、顎を伝った。
痛い。
怖い。
それでも、足は下がらなかった。
一歩ずつ。
一歩ずつ。
怪異へと近づいていく。
ぎしり。
また、ハサミが鳴った。
今度は横薙ぎ。
マルクの首を断つはずだった刃が、色のない波紋に触れた瞬間、ぐにゃりと歪んだ。
それでも、完全には消えない。
肩口が裂ける。
「……っ」
痛みに息が詰まる。
ぎしり。
ぎしり。
ハサミが鳴るたび、マルクの身体に裂傷が刻まれていく。
腕に。
脚に。
脇腹に。
それでも、マルクは止まらなかった。
やがて、怪異の元へ辿り着く。
「カミ……シ……」
マルクは震える身体を押さえながら、右手を怪異へと伸ばした。
血に濡れた指先が、ゆっくりと近付いていく。
怪異は動かなかった。
濁った瞳で、ただその手を見つめていた。
「——【
マルクの手のひらを通して、マルクの【
それは波紋のように、怪異の内側へ広がっていく。
満たすのではない。
壊すのでもない。
何年もかけて膨れ上がった歪なアラヤが、少しずつ削ぎ落とされていく。
憎しみも。
悲しみも。
孤独も。
全てを消すわけじゃない。
ただ、その上に積もった余分なものだけを空にしていく。
奥底に残った、たったひとつの想いへ辿り着くために。
全てが収まった時、そこにはひとりの男性が膝をついていた。
「カ、ミ、し……ロ」
うわごとのように、男はその名前を繰り返した。
マルクはそっと彼の右手を両手で包み込んだ。
男の手には、相変わらず錆びたハサミが握られていた。
刃がマルクの掌に食い込む。
じわり、と血が滲んだ。
それでも、マルクは手を離さなかった。
「あなたはもう、カミシロを見つけています」
男はゆっくりとマルクの顔を仰ぎ見た。
その瞳は、捨てられた子供のように揺れていた
「帰りましょう。あなたの家に——カミシロさん」
マルクは、男の名を呼んだ。
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