一 また米花町か _ 最高司令部高官
その日、最高司令部の執務室は、妙に静かだった。
机の上には、いつもどおり決裁待ちの書類が積まれている。艦隊再編案、予算修正案、議会答弁資料、自治政府からの要望書。どれも頭痛の種ではあるが、少なくとも爆発はしない。サッカーボールも飛んでこない。
そんなことを考えた時点で、私は自分がまだ前回の休暇を引きずっているのだと気づいた。
副官が、新しい決裁箱を机に置いた。
「閣下。宇宙軍総司令部と一部議会筋から、新設部隊案が上がっています」
「新設部隊だと?」
「名称案は、ティターンズ」
私は書類を取った。
地球圏全域を管轄とした特殊治安部隊。反連邦勢力、反政府活動、ジオン残党、過激派組織への即応。連邦軍内部に、準軍政的権限を持つ特別部隊を設ける。
紙面から、やけに熱のある文字が押し出してくる。
「……ずいぶん勇ましい案だな」
「勇ましい、で済めばよろしいのですが」
副官は表情を動かさない。
推進者の欄には、ジャミトフ・ハイマンとバスク・オムの名があった。
情報局長も来ていた。穏やかに笑っている。こういうときの彼の笑顔は、だいたい穏やかでは済まない。
「閣下。彼らは治安維持について、かなり強い自信を示しています」
「自信は結構だ。実力が伴うならな」
「では、能力試験を課しましょう」
私は書類から目を上げた。
副官が、わずかにこちらを見る。情報局長は最初から準備していたように端末を開いた。
「試験地の候補は」
「米花町です」
室内の温度が、半度ほど下がった気がした。
「……君は今、何と言った」
「米花町です、閣下」
「聞き間違いではないのだな」
「はい」
副官が静かに口を挟む。
「中将。閣下の健康管理上、その地名を執務室で出すこと自体、負荷が高いと考えます」
「承知している、大佐。だからこそ、試験には適している」
「適している?」
情報局長は端末に映像を並べた。
爆発。殺人。立て籠もり。毒殺未遂。怪盗予告。未成年者の高速移動。サッカーボールによる犯人制圧。
前回の休暇の記憶が、順番に脳裏を通り過ぎる。
私は万年筆を置いた。
「米花町は、休暇先には適さなかった」
「ですので、試験地です」
「その理屈はおかしい」
「ティターンズ準備室は、強硬な治安維持を売りにしています。複雑な市街地犯罪、多発する突発事案、民間人保護、現地警察との調整、報道対応、未成年者の安全確保。その全部を一度に見られる場所は多くありません」
副官が端末に視線を落とす。
「中将。現地警察と例の少年たちを介入禁止にすれば、準備室単独の能力が測定できます」
「その通りだ、大佐」
私は二人を見た。
「君たちは米花町を何だと思っている」
情報局長は、少しも迷わなかった。
「分類不能地域です」
副官も静かに頷く。
「通常の市街地ではありません」
否定できないのが、つらいところだった。
私はティターンズ設置案の表紙を見直した。勇ましい名前が、やけに頼りなく見えた。
「よろしい。準備室に試験を課す。期間は二週間。任務は米花町の治安維持。現地警察、民間探偵、未成年者による事件解決への依存は禁止」
副官が端末に入力する。
「試験条件として明文化します」
「民間人保護を最優先とする。違法拘束、過剰な実力行使、現地行政権の侵害は禁止だ」
「承知しました」
情報局長が、少し楽しそうに端末を閉じた。
「ジャミトフ准将とバスク大佐には、こちらから通知します」
嫌な予感がした。
米花町絡みの嫌な予感は、外れたためしがない。
二 手出し禁止 _ 警視庁
目暮警部は、通達を読んだまま固まっていた。
《連邦軍新設部隊準備室による治安維持能力試験のため、米花町における一部事案対応について、警視庁は原則として後方支援に徹すること》
一度目では意味が入ってこなかった。二度目で眉が寄り、三度目で帽子に手が伸びた。
高木刑事が不安そうに覗き込む。
「警部、つまり我々は何をすれば」
「何もしない」
「何もしないんですか」
「正確には、手を出すなということだ」
「米花町で?」
目暮警部は窓の外を見た。
「米花町でだ」
佐藤刑事が資料を取る。
「大丈夫なんですか」
「大丈夫なわけがない」
そこへ、コナンがいつものように顔を出した。
「目暮警部、何かあったの?」
目暮警部は資料を背中に隠した。隠したところで、もう遅い。
「コナン君。今日からしばらく、事件に首を突っ込んではいけない」
コナンの顔が、本気で曇った。
「……米花町で?」
「そうだ」
「それ、危なくない?」
「危ない」
「じゃあ何で」
「上からの命令だ」
コナンはしばらく目暮警部を見つめた。
「本当に、何もしちゃだめなの?」
「少なくとも、君が現場に入り、証拠を拾い、犯人を追い詰め、誰かを眠らせて、最後に事件を解決する一連の流れは禁止だ」
「細かいなあ」
「普段の君の行動が、細かく把握されているんだよ」
コナンは半眼になった。
横で毛利小五郎が笑う。
「はっ、ちょうどいいじゃねえか。これで警察も少しは自分たちで――」
目暮警部が、小五郎の肩を掴んだ。
「毛利君、君もだ」
「え?」
「眠ってはいけない」
「何ですかその命令は!」
目暮警部は真顔だった。
「今回は、ティターンズ準備室とやらの試験だそうだ。彼らが自力で治安を維持する」
コナンは遠くを見た。
「米花町を?」
「米花町を」
その場にいた全員が黙った。
誰も、成功する絵を思い浮かべられなかった。
三 自信だけはある _ ティターンズ準備室
ジャミトフ・ハイマンは、試験通達を読んでも表情を変えなかった。
「米花町か」
隣で、バスク・オムが鼻を鳴らす。
「一地方都市の治安維持でしょう。強硬な姿勢を見せれば、すぐに沈静化します」
ジャミトフは資料をめくった。
「現地警察、探偵、未成年協力者は介入禁止」
「好都合です。民間人や警察官の甘さを排除できます」
バスクは自信に満ちていた。
「犯罪者など、威圧すれば黙ります。怪しい者を拘束し、尋問し、区域を封鎖すればよい。複雑なトリックなど、治安維持には不要です」
ジャミトフが、少しだけ目を細める。
「民間人保護を優先せよ、とある」
「建前です」
「最高司令部大将の命令だ」
バスクは一瞬、言葉を止めた。
「……無論、遵守します」
ティターンズ準備室は米花町へ展開した。
装甲車両、巡回班、臨時検問、監視ドローン、対暴徒装備、厳めしい制服、やたら大きな声。
駅前に整列した隊員たちを見て、バスクは満足そうに町を見渡した。
「よし。まずは不審者を一掃する」
そのとき、遠くで爆発音がした。
隊員の一人が叫ぶ。
「爆発です!」
バスクは即座に命令した。
「現場を封鎖しろ! 怪しい者を拘束!」
十分後。
封鎖された現場には、被害者の親族、通行人、近くのパン屋、配達員、なぜか通りがかった手品師まで並ばされていた。
犯人だけがいなかった。
通行人に紛れて、普通に帰宅していたからである。
バスクは顔を赤くした。
「なぜ犯人を逃した!」
隊員は汗だくで答えた。
「全員怪しかったため、優先順位がつけられませんでした!」
米花町の一日目は、だいたいそんな調子で始まった。
四 一週間後 _ 米花町住民
一週間が経った。
治安は加速度的に悪化していた。
ティターンズは、派手な犯罪には強かった。銀行強盗なら即座に包囲する。暴走車両なら道路を封鎖する。立て籠もり犯がいれば、拡声器で降伏を促す。
そこまではいい。
問題は、米花町の事件の半分以上が、分かりやすい顔をしていないことだった。
毒はグラスに入る。凶器は氷だったり、糸だったり、置物だったりする。犯人は最初に泣いている。被害者は死ぬ前に、なぜか将棋の駒やら伝票やら妙なものを握っている。一番怪しい人物ほど、案外犯人ではない。
ティターンズには分からなかった。
「なぜ被害者は、死ぬ前に将棋の駒を握っているんだ!」
「分かりません!」
「なぜ氷が凶器になる!」
「分かりません!」
「証拠は」
「溶けました!」
「犯人は」
「泣いています!」
「泣いているなら違うのか」
「この町では、分かりません!」
隊員たちは目に見えて疲弊していった。
一方、警視庁は手出しできない。
目暮警部は、捜査一課の窓から米花町方面を見ていた。
「高木君」
「はい」
「今すぐ行きたい」
「私もです」
「命令だ」
「はい」
コナンも、隣で落ち着かなかった。
「目暮警部、あの事件、たぶん犯人は最初に泣いてた人だよ」
「言うな、コナン君」
「でも証拠は、氷の――」
「言うな!」
コナンは口を閉じた。
真実が目の前にあるのに、誰も手を伸ばせない。米花町では、それ自体がすでに危険だった。
やがて犯罪者側が学習した。
「ティターンズ、トリックが分からないらしいぞ」
「強盗は駄目だ。すぐ囲まれる」
「毒なら?」
「いける」
「密室は?」
「もっといける」
「ダイイングメッセージを紛らわしくしとけば勝てる」
犯罪者たちは、急速に知能犯へ寄っていった。
米花町の犯罪史上、最悪の教育効果だった。
五 極東のロアナプラ _ 極東行政府
二週間後。
極東行政府の会議室には、また胃薬が置かれていた。前回より瓶が増えている。
通信担当官が、紙を一枚めくる。
「米花町内にて、町民による自警団が複数結成。商店街北部では、独自の通行証を発行しています」
極東行政府高官は目を閉じた。
「通行証…」
「はい。駅前地区では非合法組織が複数発生。治安空白を利用して勢力を拡大中です」
警視総監が資料を覗き込む。
「あの辺の地元町内会は?」
「現在、第三勢力です」
「さすが米花町の町内会だな」
治安機構長官が、別の資料を机に滑らせた。
「民間報道では、米花町を『極東のロアナプラ』と呼ぶ記事が出始めています」
誰もすぐには声を出さなかった。
「ロアナプラ…」
「はい」
「悪徳の街と呼ばれるあの街と肩を並べたか…」
「治安の急速な悪化は深刻です」
外交担当官は、処置無しという風に首を振った。
「二週間前まで、爆発と殺人と探偵の町だったのでは」
「今は、武装自警団と裏社会が血みどろの抗争を繰り広げる探偵不在の町です」
警視総監は頭を抱えた。
「ティターンズは何をしている!」
「巡回、検問、威圧活動、誤認拘束、証拠紛失、記者会見です」
「最後が一番いらない!」
その頃、米花町の路地裏には看板が増えていた。
《この先、商店街自警団管理区域》
《無許可の探偵行為禁止》
《ティターンズ立入注意》
《毒物持込禁止。ただしトリック用は応相談》
喫茶店のマスターは棚の奥に護身用の棒を置き、八百屋は値札の横に「本日、安全保障費込み」と書いた。魚屋は仕入れより先に、今日はどの勢力へ挨拶に行くかを気にしていた。
米花町民は強い。
ただ、強さの使い方を間違え始めていた。
六 主人公、怒る _ 最高司令部高官
二週間目の報告書を読んで、私はしばらく何も言わなかった。
机の上には、中間報告が開かれている。
《重大犯罪解決率、著しく低下》
《現地住民による自警団化》
《非合法組織の活動拡大》
《ティターンズ準備室、治安維持効果を確認できず》
《報道上の通称:極東のロアナプラ》
最後の一文に、無言で赤線を引いた。
副官が静かに言う。
「閣下。ジャミトフ准将とバスク大佐が待機しています」
「入れろ」
二人が入室した。
ジャミトフは硬い顔をしていた。バスクは顔色が悪い。それでも、まだ何か言う気配だけはある。
私は報告書を机に置いた。
「説明を聞こう」
ジャミトフが口を開く。
「現地の犯罪傾向が、想定を超えて複雑であり――」
「想定とは何だ」
ジャミトフが止まった。
「市街地治安維持を掲げる部隊が、犯罪傾向の複雑さを理由に失敗するのか」
バスクが一歩前に出る。
「閣下、米花町の犯罪は異常です。通常の治安維持理論では――」
「ならば、通常の市街地でしか使えない部隊ということだ」
バスクの顔が歪んだ。
「我々は強硬措置を制限されております。現地警察や民間探偵のように、自由に動ければ――」
副官の視線が、わずかに鋭くなった。
私はバスクを見た。
「民間人を保護し、証拠を扱い、現地行政と調整し、犯人を特定する。それができない部隊に、どうして特権的権限を与えられる」
バスクは黙った。
情報局長が資料を差し出す。
「閣下。強盗、暴動、武装犯への対応では一定の即応性が見られます。ただし、毒殺、密室、偽装自殺、保険金殺人、遺産相続絡みの事件では、ほぼ機能していません」
私はページを閉じた。
「治安維持部隊ではなく、騒音の大きい機動隊だな」
室内の空気が冷えた。
「試験は継続する。二週間後、改善がなければ設置案は能力不足として白紙に戻す」
ジャミトフが短く頭を下げる。
「承知しました」
バスクも続いた。握った拳だけが、しばらく開かなかった。
二人が退室した後、副官が言った。
「閣下。継続させますか」
「ここで止めれば、制約があったから失敗したと言う。最後まで見せてもらう」
情報局長が端末を閉じた。
「米花町が持てば、ですが」
私は眉間を押さえた。
あの町の心配をする日が来るとは、思わなかった。
七 焦るジャミトフ、怒鳴るバスク _ ティターンズ準備室
三週目。
ティターンズ準備室は焦っていた。
ジャミトフは毎朝、数字を見て黙り込む。バスクは現場に出て、隊員を怒鳴り続けた。
「なぜ犯人を捕まえられん!」
「容疑者が全員怪しいのです!」
「なら全員拘束しろ!」
「過剰拘束禁止命令が出ています!」
「証拠を探せ!」
「証拠が氷でした!」
「また氷か!」
現場隊員も限界だった。
彼らは暴徒鎮圧訓練を受けていた。武装勢力への突入訓練も受けていた。だが、遺産相続の食事会でなぜ一人だけ毒入りワインを飲んだのか、被害者が死ぬ前に将棋の駒を握った意味は何か、密室を作る労力に何の意味があるのか、そういう訓練は受けていなかった。
さらに悪いことに、米花町民は順応した。
「ティターンズが来るぞ!」
「証拠を隠せ!」
「いや、逆に分かりやすい証拠を置いとけ。あいつら、そっちに引っかかる!」
犯罪者だけではない。普通の住民も検問を避ける裏道を覚え、商店街は独自の通行証を作り、町内会は防犯という名目で妙な組織力をつけていった。
コナンは、それを遠巻きに見ていた。
「……これ、止めたほうがいいと思うんだけど」
灰原が隣で言う。
「止めたら試験にならないんでしょう」
「このままだと町が試験に勝つよ」
「もう勝っているんじゃない?」
二人の前を、肩にトゲのついた革ジャンの男が走っていった。
コナンは目を細める。
「今の、何?」
灰原は少し考えた。
「治安悪化の副産物」
「副産物で済むかな」
翌日、米花町駅前にドラム缶の焚き火が置かれた。
誰が置いたのかは分からない。
ただ、町の雰囲気が明らかに変わり始めていた。
八 世紀末米花町
四週間後。
米花町駅前の看板は、錆びた支柱ごと斜めに傾いていた。
《ようこそ米花町へ》
その下に、誰かがスプレーで書き足している。
《水とガソリンは貴重品》
商店街のシャッターは半分ほど閉まり、路地ではドラム缶の火が揺れていた。肩パッドをつけたマッチョたちが、三輪バイクで走っている。トサカ頭の男が果物屋の前でリンゴを持ち上げた。
「ヒャッハー! これは俺の――」
背後から、低い声がした。
「そのリンゴは、まだ金を払っていない」
男が振り返る。
そこには、鍛え上げられた屈強な身体の男、ケンシロウと名乗る男がいた。
米花町民は驚かない。
例え、探偵の次に救世主が現れても、この町ではもう大きな騒ぎにならない。
トサカ頭の男は震えた。
「な、何だお前は」
ケンシロウは静かに近づく。
「盗むな」
「うるせえ!」
男が殴りかかった。
次の瞬間、男はその場に崩れ落ち、なぜか正座した。
「すみませんでした。代金を払います。あと、昨日の空き巣も私です」
商店主が頷く。
「助かるねえ、ケンさん」
ケンシロウは何も言わず、次の路地へ歩いていった。
米花町の治安維持は、いつの間にか北斗神拳に依存し始めていた。
一方、ティターンズは壊滅状態だった。
壊滅といっても全滅したわけではない。もっと厄介なことに、士気だけが折れていた。
「隊長、また密室です」
「開けろ」
「開けたら密室ではありません」
「ではどうする!」
「分かりません!」
「肩パッド集団が検問を突破しました!」
「なぜだ!」
「自作の通行証を持っています!」
「誰が発行した!」
「町内会です!」
「町内会を拘束しろ!」
「現在、町内会が給水拠点を管理しています!」
バスクは完全に焦っていた。ジャミトフも余裕を失っている。
「バスク大佐、この状況はまずい」
「分かっています!」
「これは治安維持試験だぞ」
「もはや維持する治安がありません!」
ジャミトフは黙った。
その通りだった。
ティターンズ準備室は、犯罪者を取り締まるどころか、町内の勢力図すら把握できなくなっていた。
夕方、駅前で肩パッド集団が叫んだ。
「この町は俺たちのものだー!」
直後、サッカーボールが飛んできた。
蹴ったのはコナンではない。近所の小学生だった。
「コナン君がいない間に練習した!」
ボールは肩パッドの男の足元に当たり、男は転んだ。
それを見ていたケンシロウが、静かに頷く。
「筋は悪くない」
米花町は、間違った方向に進化していた。
九 ティターンズ計画、白紙 _ 最高司令部高官
四週間後の最終報告会は、重かった。
重いというより、書類が厚かった。
《ティターンズ準備室、治安維持に失敗》
《現地治安、二週間時点で極東のロアナプラ化》
《四週間時点で世紀末化》
《外部武術家が治安維持に寄与》
《ティターンズ隊員の士気および組織統制、著しく低下》
《現地警察および民間協力者の復帰が必要》
私は報告書を閉じた。
ジャミトフとバスクは、前に立っている。今度は、どちらもすぐには口を開かなかった。
先に口を開いたのは、情報局長だった。
「閣下。限定的な武装事案への即応力は確認できました。ただ、都市型複合犯罪、住民感情、現地行政、証拠保全、民間人保護を含めた総合治安維持能力は不足しています」
副官が続ける。
「強硬姿勢が、住民側の自衛化と非合法組織化を促進した可能性もあります」
私はジャミトフを見た。
「反論は」
ジャミトフは、ゆっくりと頭を下げた。
「結果については、弁明できません」
バスクは歯を食いしばっていた。
「閣下。米花町は異常です。あのような町を基準にするのは――」
「特殊部隊の試験地としては、むしろ適切だ」
バスクは言葉を失った。
「平穏な町でだけ機能する治安部隊に、特権的権限を与える理由はない。複雑な現場で、市民を守り、証拠を扱い、犯人を捕まえ、現地機関と協力する。それができないなら、看板を掲げる資格はない」
ジャミトフは黙っていた。
私は副官の差し出した決裁文書に目を落とす。
「ティターンズ設置案は、能力不足を理由に白紙へ戻す」
バスクが顔を上げる。
「閣下!」
「決定だ」
私は署名した。
「本案を強引に推進した議会筋、軍内部推進派、関係部署については監査対象とする。治安維持の名を借りて現場を破壊する構想を、最高司令部は承認しない」
情報局長が穏やかに頷いた。
「関係者の資金経路、発言記録、内部調整資料は保全済みです」
バスクが情報局長を見る。
情報局長は微笑んだ。
「偶然です」
その笑顔を見て、バスクはそれ以上何も言わなかった。
十 警視庁とコナン達、投入
ティターンズ撤収後、米花町には警視庁とコナン達が戻された。
目暮警部は、現場復帰の通達を受け取ると、帽子を被り直した。
「行くぞ」
高木刑事が頷く。
「はい!」
佐藤刑事も立ち上がった。
「ようやくですね」
コナンは、もうスケボーを持っている。
「じゃあ、まず駅前の肩パッド集団から」
目暮警部が言いかける。
「コナン君、危険だから下がって――」
そこで止まった。
今さらだった。
「いや、無茶はしないように」
「うん!」
その顔は、絶対に無茶をする顔だった。
まず、警視庁は町内会と話し合った。
「通行証制度は廃止してください」
「でも治安が」
「こちらで巡回します」
「本当に?」
「本当に」
次に、自警団と交渉した。
「武装を解除してください」
「ティターンズより信用できるのか」
目暮警部は一瞬黙り、隣のコナンを見た。
コナンがにっこり笑う。
自警団は、静かに武器を置いた。
続いて、マフィア化しかけていた連中を摘発した。複雑なトリック事件は、コナンが「あれれー?」と言っただけで半分が崩れた。
肩パッド集団は、ケンシロウが静かに見ているだけで八割が更生した。残り二割は、サッカーボールで転んだ。
二週間後。
商店街のシャッターは開き、ドラム缶は撤去され、肩パッドはリサイクル回収に出された。自警団の通行証は、町内会の夏祭りの抽選券に作り替えられた。
駅前の看板も修理されていた。
《ようこそ米花町へ》
下に、小さな文字が増えている。
《今日はたぶん平和です》
目暮警部は、それを見て複雑な顔をした。
「たぶん、か」
高木刑事が言う。
「米花町ですから」
コナンは笑っていた。
「でも、戻ったんじゃない?」
灰原が横から言う。
「元に戻った、という言葉が安心材料になる町も珍しいわね」
その直後、遠くで小さな爆発音がした。
町民は一瞬だけ見て、また歩き出す。
目暮警部は額を押さえた。
「……戻ったな」
十一 評価が上がる _ 最高司令部高官
最終報告を受けた私は、しばらく黙っていた。
机の上には二つの資料が並んでいる。
一つは、ティターンズ準備室の失敗報告。もう一つは、警視庁および現地協力者による治安回復報告。
二週間で、世紀末化した町を元に戻した。
普通の報告なら、途中で差し戻している。数字も現場写真も揃っているので、差し戻せない。
副官が言った。
「閣下。警視庁および現地治安機構の対応は、極めて柔軟かつ優秀です」
情報局長も頷く。
「強硬制圧ではなく、住民、町内会、商店街、民間協力者、少年探偵団、探偵事務所、場合によっては外部武術家まで含めた複合的な回復です。通常の軍事組織には真似できません」
私は報告書の一部を読み返した。
《肩パッド集団の社会復帰支援》
《町内会通行証の抽選券転用》
《毒殺未遂多発地域における飲食店巡回強化》
《サッカーボール被害防止のための注意喚起》
《ケンシロウ氏との非公式協力関係》
最後の一文は、深く考えないことにした。
「極東の治安維持機構は、想定以上だな」
副官が頷く。
「通常の評価基準では測れません」
「通常の評価基準で測れない地域を、二週間で通常に戻した。そこは評価すべきだ」
情報局長が端末に記録する。
「警視庁を、新たな連邦軍特殊治安部隊の要員派遣元として検討しますか」
私は少し考えた。
「即座に軍へ組み込むわけにはいかない。制度も職掌も違う。だが、都市型複合犯罪、住民対応、現地協力者運用、非標準事案への即応について、研修派遣元として検討する価値はある」
副官が資料を整えた。
「特殊治安部隊構想の検討項目に追加します」
「名称は慎重に選べ。ティターンズのような名は二度と使うな」
「承知しました」
情報局長が穏やかに言った。
「候補名に、米花機動治安群という案があります」
「却下だ」
「では、少年探偵――」
「却下だ」
「特殊サッカー――」
「却下だ」
副官が、珍しく小さく息を吐いた。
「中将、閣下の血圧に関わります」
「失礼した、大佐」
私は椅子の背に体を預けた。
ティターンズ計画は白紙に戻った。推進していた過激派は監査対象となり、議会筋も急に口数を減らした。ジャミトフは表舞台での発言力を失い、バスクはしばらく、あの町の名を聞くだけで黙るようになったという。
一方で、警視庁の評価は上がった。
特に、目暮警部の名は、極東行政府経由で最高司令部の報告書に残っている。
《異常多発地域における現地治安維持能力、特筆に値する》
私はその一文を見て、思わず言った。
「米花町で日常的に勤務している時点で、特殊部隊の資格はあるのかもしれんな」
副官は否定しなかった。
情報局長も否定しなかった。
しばらくして、副官が尋ねる。
「閣下。次の休暇先は、いかがされますか」
私は即答した。
「米花町以外だ」
「候補地を確認します」
「爆発しない場所にしてくれ」
「努力します」
「努力では不安だ」
情報局長が微笑んだ。
「閣下。完全に爆発しない観光地は、意外と少ないものです」
「その調査結果は聞きたくない」
私は最初の決裁書類を手に取った。
紙は静かだった。インクも乾いている。サッカーボールも飛んでこない。
今日の最高司令部は、平和だった。
少なくとも、米花町よりは。
十二 出向を打診される _ 警視庁
米花町が、いつもの米花町に戻ってから数日後。
警視庁捜査一課に、一通の公文書が届いた。
差出人は、極東行政府治安機構を経由した地球連邦軍最高司令部。
封筒を見た瞬間、目暮警部の手が止まった。
「高木君」
「はい」
「これは開けないほうがいい気がする」
「公文書ですよ、警部」
「だからだ」
佐藤刑事が横から覗き込む。
「米花町の件でしょうか」
「その名前を出さないでくれ」
目暮警部は深く息を吸い、封を切った。
一枚目を読んだ。顔色が変わる。二枚目で帽子を押さえ、三枚目で椅子に座り直した。
高木刑事が声をかける。
「警部?」
目暮警部は、震える手で書類を机に置いた。
「……評価された」
「よかったじゃないですか」
「よくない」
「え?」
目暮警部は、書類の一文を指で押さえた。
《異常多発地域における現地治安維持能力、住民対応能力、複合犯罪処理能力、非標準事案への即応性に鑑み、警視庁捜査一課所属・目暮十三警部を、地球連邦軍特殊治安部隊構想における研修協力要員、または出向候補者として推薦することを検討する》
高木刑事が瞬きをした。
「出向……ですか」
佐藤刑事も、読みながら表情を変える。
「特殊治安部隊……」
目暮警部は顔面蒼白になっていた。
「なぜ私なんだ」
「米花町を二週間で戻したからでは」
「戻したのは私だけではない!」
「それはそうですが」
「あの町を普通に戻したという評価もおかしい。戻った先も米花町だぞ」
高木刑事は返事に困った。
目暮警部は、さらに次のページをめくる。
《なお、必要に応じて、現地協力者の運用実績についても聴取する》
そこで動きが止まった。
「現地協力者……」
佐藤刑事が小さく言う。
「毛利さんや、コナン君たちのことですかね」
目暮警部は立ち上がった。
「高木君」
「はい」
「コナン君を呼べ」
「え?」
「今すぐだ」
「でも、学校では」
「早退届でも見学でも何でもいい。とにかく呼ぶんだ」
佐藤刑事が呆れた顔をした。
「警部、なりふり構わなさすぎです」
「構っていられるか!」
目暮警部は公文書を握りしめた。
「連邦軍の特殊治安部隊だぞ。米花町どころでは済まないかもしれん。密室も毒殺も爆弾も肩パッドも、全部出るかもしれん」
「肩パッドは出ないと思います」
「出たんだよ、この前!」
高木刑事が電話を手に取る。
「コナン君に、何と伝えれば」
目暮警部は一瞬考えた。
「目暮警部が、非常に困っている。そう伝えろ」
数十分後。
江戸川コナンが、捜査一課に顔を出した。
「目暮警部、どうしたの?」
目暮警部はしゃがみ込み、コナンの両肩に手を置いた。
「コナン君」
「う、うん」
「もし私が、どこか遠くの特殊治安部隊とやらに連れていかれることになったら」
「なったら?」
「君も来てくれ」
コナンは固まった。
高木刑事が後ろで咳き込み、佐藤刑事は額に手を当てた。
「警部、小学生を出向に同行させる気ですか」
「小学生ではない」
目暮警部は真剣だった。
「米花町の治安維持装置だ」
「警部!?」
コナンが半眼になる。
「僕、学校あるんだけど」
「そこを何とか」
「何とかって」
「出張授業ということに」
「ならないよ」
目暮警部は、さらに声を落とした。
「では、社会科見学」
「どこの社会科見学で連邦軍特殊治安部隊に行くの」
「未来の治安行政を学ぶ見学だ」
「無理があるよ」
そこへ、小五郎が遅れて入ってきた。
「おい目暮警部。うちのガキを何に巻き込む気だ」
目暮警部は小五郎を見た。
「毛利君」
「何だよ」
「君も来るか」
「行くか!」
即答だった。
目暮警部は肩を落とした。
コナンが書類を覗き込む。
「でも、まだ検討って書いてあるよ」
「検討という言葉は怖いんだ、コナン君」
目暮警部は重々しく言った。
「上の人間が検討すると言ったとき、現場ではもう半分決まったようなものなんだ」
高木刑事が小さく頷いた。
「分かります」
佐藤刑事も頷く。
「分かりますね」
コナンは苦笑した。
「じゃあ、もし本当に行くことになったら、相談には乗るよ」
目暮警部の顔が少しだけ明るくなった。
「本当かね、コナン君」
「相談だけだよ」
「十分だ」
その日の夕方。
捜査一課の誰かが、冗談半分で言った。
「目暮警部、連邦軍に行ったら階級はどうなるんですかね」
目暮警部は、しばらく黙った。
そして、疲れた顔で答えた。
「階級より先に、コナン君の同行許可を取る」
室内に笑いが起きた。
ただ、目暮警部だけは笑っていなかった。