ブラック家の屋敷は、夜の闇に沈んでいた。
いつもの闇ではない。
その静けさは、まるで屋敷そのものが息を潜めているようだった。
暖炉の火は弱く揺れ、
壁にかけられた肖像画たちは、
いつもなら夜でもひそひそと囁き合うのに、
この夜は誰一人として口を開かなかった。
私は暖炉の前に立ち、
レギュラス様とクリーチャーの帰りを待っていた。
胸の奥が重い。
理由は分からない。
ただ、何かが“欠けている”ような気がした。
その時――
屋敷の扉が、静かに開いた。
「……ミスト……」
その声は、クリーチャーのものだった。
私は振り返り、息を呑んだ。
クリーチャーは、
洞窟へ向かった時の姿とはまるで違っていた。
濡れた身体。
震える手。
虚ろな目。
そして――
その小さな腕の中には、
古いロケットが握られていた。
「クリーチャー……?
レギュラス様は……?」
その問いは、
言葉にする前から胸が痛んだ。
クリーチャーは答えなかった。
ただ、膝から崩れ落ちた。
「……ご主人様が……
湖の底へ……」
その声は、
泣き声でも叫びでもなかった。
ただ、壊れた心が漏らした音だった。
私は駆け寄り、
クリーチャーの肩を支えた。
「クリーチャー……
何が……あったのですか……」
クリーチャーは震える手でロケットを握りしめた。
「……レギュラス様は……
クリーチャーに……命令を……
最後の……命令を……」
その言葉は、
屋敷の空気を凍らせた。
「……帰れ、と……
クリーチャーは……
ご主人様を……置いて……
帰ってきてしまいました……」
その瞬間、
クリーチャーは声にならない叫びを上げた。
「いやです……いやです……!!
ご主人様を……置いて……
帰りたくなかった……!!
クリーチャーは……
ご主人様を……愛して……いたのに……!!」
私は抱きしめることしかできなかった。
屋敷しもべ妖精は主人の心に触れてはならない。
だが、この夜だけは、
その規則があまりにも残酷だった。
暖炉の火は、
その涙を照らすことしかできなかった。
やがて、
屋敷の肖像画たちが一斉に目を閉じた。
まるで――
レギュラス様の死を知っているかのように。
私は静かに目を伏せた。
レギュラス様は、もう戻らない。
だが――
その影は屋敷のどこかに残っている気がした。
暖炉の火が揺れるたび、
レギュラス様の足音が聞こえるような気がした。
廊下の闇が深まるたび、
レギュラス様の影がそこに立っているような気がした。
そして何より――
クリーチャーの震える肩に寄り添うように、
レギュラス様の“忠誠の残響”がまだ温かく残っていた。
影は消えた。
だが、忠誠は消えなかった。
その夜、ブラック家の屋敷は静かに沈んだ。
レギュラス様の不在という影を抱えたまま。