佐藤正義刑事の救済劇から、季節は巡り、凍てつく様な寒さが、都内を包み込む冬が、到来していた。
桜庭幸村と野上冴子が、白桜幼稚園で、2年目の冬休みを迎えた頃、東京の薄暗い裏社会の片隅で、冷酷な陰謀が、鎌首をもたげていた。
「絶対に許さねぇ……。あの野上歳三と、桜庭昌幸の2人だけは……!」
新宿の寂れた雑居ビルの一室。
煙草の煙が、どんよりと立ち込める部屋で、何人かの男達が、狂気に満ちた目で、机を囲んでいた。
彼らは、かつて、警察庁長官である野上歳三によって、組織を壊滅させられ、更に、その裏で動いた桜庭財閥の経済的な包囲網によって、全てを失い、長年、刑務所に服役していた凶悪犯達の生き残りであった。
「刑務所で、地獄を見ている間、あの野郎どもは、のうのうと、日本の頂点に君臨しやがって……。だが、漸く、この日が来た。あいつらに、一生消えない地獄の苦しみを味わわせてやる」
リーダー格の男が、机の上に、2枚の隠し撮り写真を、叩きつけた。
其処に写っていたのは、白桜幼稚園の制服を着て、仲睦まじく歩く、5歳の幸村と冴子の姿だった。
「警察庁長官の娘と、桜庭財閥の跡取り息子。このガキどもが、毎日、過剰なまでの警備に守られているのは、知っての通りだ。だが、冬休みの間、必ず一瞬だけ、警備の目が、緩む瞬間がある。其処を狙う」
彼らの計画は、冷酷かつ用意周到だった。
大人の力に怯えるだけの子供2人を拉致し、巨額の身代金を要求すると、同時に、両親の目の前で惨殺して、復讐を果たすという、失うもののない人間の暴挙である。
「桜庭昌幸、野上歳三。お前たちが、大事に育てている、その自慢のガキどもが、どれだけ惨めに泣き叫んで死んでいくか、特等席で見せてやるよ……?」
男たちは、闇の中で醜悪な笑い声を上げ、懐の拳銃や、ナイフを確かめた。
警察と財閥という、日本の2大巨頭を奈落の底へ突き落とす為のカウントダウンが、狂った犯罪者達の手によって、静かに進められていた。
※※※
そんな裏社会の不穏な動きを知る由もない幼稚園は、楽しい冬休みの真っ最中だった。
ある午後、異例の大雪によって、一面が銀世界へと、変わった米花町の公園に、防寒着に身を包んだ幸村と冴子の姿があった。
「ねえ、幸村! 見て、雪うさぎ作ったわ!」
普段のクールな「クーデレ」ぶりは、どこへやら、5歳の冴子は、頬を真っ赤に染めながら、小さな手で作った雪うさぎを、幸村に見せていた。
「上手だね、冴子ちゃん。じゃあ、俺は、こっちに大きな雪の城を作るよ?」
「ふふ、やっぱり、幸村と2人きりで、遊ぶのは楽しいわ。いつもなら、愛魅お姉様が後ろから、凄い視線で、監視しているし、私のお父様のボディーガード達も、煩いんだもの?」
そう、この日は、奇跡的なタイミングが重なっていた。
過保護な姉、愛魅は、財閥の重要な式典への出席を余儀なくされ、野上家の警備も、大雪による交通混乱の対応で、一瞬だけ手薄になっていたのだ。
2人は、子供らしく、初めて周囲の目を気にせずに、無邪気な冬のひと時を満喫していた。
しかし、その幸福な時間は、唐突に切り裂かれた。
「おい、ガキども。楽しそうじゃねぇか?」
公園の入り口に、不自然な黒いワンボックスカーが停車し、そこから、目深に帽子を被った3人の大人の男達が、降りてきた。
彼らの懐からは、明らかにカタギのものではない鉄の匂いと、ねっとりとした殺気が、放たれていた。
(チッ……! 逆恨みの刑務所上がり共か!? 警備がいない、このタイミングを狙い済ましたな!)
幸村の前世である刑事としてのプロファイリングが、瞬時に、彼らの危険度を弾き出した。
「貴方達、誰よ! 私は、警察庁長官の娘よ、無礼な真似をしたら……」
冴子が、毅然と言い放つが、男達は「知ってるさ、だから、用があるんだよ!」と、下劣な笑みを浮かべて、距離を詰めてくる。
「冴子ちゃん、俺の後ろに隠れてろ!」
幸村は、小さな身体を1歩前に出し、3歳から、叩き込んできた格闘術の構えをとった。
5歳の肉体とはいえ、その重心の低さと、無駄のない動きは、完全に、「プロ」のそれだった。
「あァ? なんだ、その構えは……がはっ!?」
ナメてかかってきた1人の男の膝の皿目がけ、幸村の鋭い前蹴りが炸裂した。
ボキリと嫌な音が響き、大人の男が、雪原に崩れ落ちる。
英才教育による関節打撃の威力だった。
「このガキ、ふざけやがって!」
残る2人が色めき立つ。
幸村は、小さな身体を活かして次々と攻撃をいなすが、いかんせん5歳の肉体は、スタミナの絶対量が足りない。
更に、1人の男が、幸村の隙を突き、背後から、冴子の髪を乱暴に掴み上げて、ナイフを突きつけた。
「動くな、クソガキ! 動いたら、この女のノドを掻き切るぞ!」
「きゃあ! 幸村!」
「冴子ちゃん……!」
人質を取られては、いかに前世が刑事であっても、手が出せない。
幸村は、悔しさに歯噛みしながら、ゆっくりと両手を上げた。
「……分かった。大人しくする。だから、彼女を傷つけるな!」
「ヒヒ、生意気なガキめ!」
背後から、激しい衝撃が走り、幸村の意識は、暗転した。
2人の小さな身体は、乱暴にワンボックスカーへと放り込まれ、大雪の米花町から、連れ去られてしまった。
※※※
幸村が意識を取り戻した時、周囲は、カビと鉄の匂いが充満する、薄暗い廃倉庫の中だった。
手足を頑丈なロープで縛られ、冷たいコンクリートの床に転がされている。
「う……ん……」
隣を見ると、同じ様に縛られた冴子が、恐怖に震えながらも、涙を堪えて幸村を見つめていた。
「幸村……ごめんなさい、私が足手まといになったせいで……?」
「気にしないで、冴子ちゃん。君が、無事ならそれでいい。それより、大丈夫?」
幸村は、自分の恐怖を押し殺し、前世の刑事としての冷静さを保ちながら、冴子を励ました。
その時、倉庫の重い扉が開き、誘拐犯達のリーダーが、拳銃を弄びながら、入ってきた。
「おいおい、お目覚めか、お坊ちゃんに、お嬢ちゃん。さっき桜庭と野上に、連絡を入れてな、今頃あいつらは、顔を真っ青にして、身代金を用意しているところだ」
男は、幸村の前にしゃがみ込み、銃口を幸村の額に、押し付けた。
「だがな……、俺たちの目的は、最初から金じゃねぇ。あの2人に、最愛の子供を失う絶望を与える事だ。金を受け取ろうが、受け取らまいが、お前らは、ここで死ぬんだよ?」
冷酷な殺意。
男が、拳銃のハンマーを起こすカチリという音が、静かな倉庫に冷たく響いた。
(クソ、ここまでか……! まだ警察学校組も、明美さんも、救っていないのに、こんなところで、終わるのか……!)
幸村は、必死にロープを解こうとするが、5歳の筋力では、ビクともしない。
冴子は、恐怖のあまり、きゅっと、目を閉じた。
男が、引き金に指をかけた、まさに、その刹那。
『ドガァァァァァン!!!』
倉庫の頑丈な鉄扉が、爆発的な衝撃と共に、内側へと吹き飛んだ。
激しい煙と爆風が、室内に乱入し、誘拐犯達が、「な、なんだぁ!?」と狼狽する。
「――おいおい、レディを泣かせるなんて、裏社会のプロとしては、3流以下だぜ?」
煙の向こうから、現れたのは、長いトレンチコートを着て、不敵な笑みを浮かべながら、リボルバーのコルト・パイソンを構える1人の男。
そして、その隣で、ショットガンを構える、真面目そうな眼鏡の男だった。
(あの姿……、まさか! 冴羽獠……と、槇村秀幸!?)
幸村のオタク脳が、歓喜の悲鳴を上げた。
両家の両親が、警察の動けない裏のルートを使って依頼した、新宿の種馬こと、「シティハンター」が、タッチの差で、間に合ったのだ。
※※※
「何者だ、てめぇらは!」
誘拐犯のリーダーが叫び、銃口を入り口の男達に、向けようとした。
しかし、その動きは、あまりにも遅すぎた。
『バァン! バァン!』
冴羽獠の放った正確無比な銃撃が、瞬時に、2人の誘拐犯の手首を撃ち抜いた。
拳銃が、火花を散らして、床に転がる。
「ぐああぁぁ! 手が、俺の手がぁ!」
「槇村、ガキどもの回収を頼む!」
「了解だ、獠!」
槇村秀幸が、素早い身のこなしで、幸村と冴子の下へ駆け寄り、手際よくナイフで、ロープを切断した。
「もう大丈夫だ、2人とも。怪我は、ないかい?」
「はい、ありがとうございます……!」
冴子が、槇村にしがみつく中、幸村の目は、眼前で繰り広げられる「本物のプロの戦闘」に、釘付けになっていた。
「て、てめぇぇ!」
残ったリーダーの男が、ナイフを抜いて襲いかかるが、冴羽獠は、1歩も動かず、最低限の体捌きで、それを躱すと、男の顎に、強烈なアッパーカットを叩き込んだ。
『ドゴォッ!』
「あぶねぇあぶねぇ、せっかくの冬休みだってのに、こんなむさくるしい男相手に仕事させやがって。どうせなら、依頼人は、絶世の美女であってほしかったぜ~!」
さっきまでの冷酷な強さは、どこへやら、獠は頭を抱えて、「もっこりチャンスがぁ~!」と、情けない声を上げ始めた。
その姿は、紛れもない原作通りの冴羽獠だった。
「獠、不謹慎なことを言うな。この子達は、桜庭家と野上家の大事なお子さんだぞ?」
槇村が呆れた様に、溜息をつく。
幸村は、ロープから、解放された手首をさすりながら、立ち上がって、冴羽獠の前に歩み出た。
5歳の少年の瞳には、恐怖など微塵もなく、ただ圧倒的な「強さ」への憧憬と、未来のビジョンだけが、ギラギラと輝いていた。
(間違いない……。この男の技術、この男の強さ。これこそが、俺が、未来の悲劇を全てブチ壊す為に、必要な『力』だ。警視庁の刑事になる前に、俺は、絶対に、この男から、全てを盗み出してやる!)
「あの、おじさん」
幸村が、声をかけると、獠は、不思議そうに、視線を下げた。
「ああん? なんだボウズ。怖くてチビっちゃったか?」
「ううん。おじさん、凄く強いね。俺……いつか、絶対におじさんのところに、弟子入りするから。その時はよろしくね?」
5歳児の、あまりにも、真っ直ぐで覚悟に満ちた言葉に、冴羽獠は、一瞬だけ、いつものおちゃらけた表情を消し、裏社会の最高峰「シティーハンター」としての鋭い目で、幸村を見つめ返した。
「……へぇ。面白いボウズだ。いつでも、来いよ、ただし、授業料は高いぜ?」
再び、いつものニヤケ顔に戻った獠だったが、この日、新宿の伝説のスイーパーと、後に、「米花のラストサムライ」と、呼ばれる様になる少年の、運命の交錯が、果たされた。
助け出された冴子は、隣で、堂々と、獠と渡り合う幸村の横顔を見て、更に、彼への恋心を狂おしい程に、募らせていく。
冬の凍てつく廃倉庫で、未来の「史上最強の刑事」の伝説は、また1段と、強力なギアを上げて、加速していくのだった。