デロ甘マザーAI vs 人の可能性を信じたい神 vs またしても何も知らない前世記憶持ち 作:デュアン
翌朝、目が覚めた瞬間、僕は天井を見上げたまま動けなかった。
「……夢」
確かに見ていた。いつもの温泉だった。
いや、違う。温泉へ向かう途中だった。木々の間を歩き、湯気の向こうへ進もうとした、その時。
誰かがいた。
白い光の中に立つ人影……男なのか女なのかも分からない。ただ、その存在だけが不思議なほど懐かしかった。
『まだ……』
声が聞こえる。
『まだ駄目だ』
そこまで聞こえた瞬間、夢は途切れてしまった。
「……また続きか」
最近、夢が少しずつ変わってきている。以前はただ景色を見るだけだった。けれど昨日は声を聞いた。
そして今日は、人の姿まで見えた。胸の奥に小さなざわめきが残る。
《リヴィスリール。起床から三分経過しています》
と、そこで脳内へ響くマザーの声で現実へ引き戻された。
「おはよう、マザー」
《おはようございます》
いつもと変わらない返事。昨日の事件については何も触れない。
それが逆に少しだけ不自然に思えた。
学校へ向かう途中、レティスは珍しく僕の顔を覗き込む。
「眠れた?」
「うん、一応……」
「頭痛は?」
「もう大丈夫だよ」
彼女は小さく息を吐く。
「良かった」
その一言だけだったが、心配してくれていたのだと分かる。それが少し嬉しかった。
やがてオルディナも合流する。
「おはようございます」
彼女はいつもと同じ穏やかな笑顔を浮かべていた。が、その紅い瞳だけはどこか僕を注意深く観察しようとしている様にも見える。
「体調は如何ですか? 頭痛は? それ以外に何か不調はありませんか?」
「大丈夫、いつも通りだよ」
「……そうですか」
けれども、僕がそう答えた瞬間に見えた安堵の表情は、紛れもない本物だと思えた。
教室に入ると、昨日の事件の話題で持ち切りだった。
「密入国者だったんだって」
「怖いよねー」
皆が好き勝手に話している。けれども、誰も詳しい事は知らない。
現状、情報は最小限しか公開されていない。あの場で男が何をしたのかなど、本当の事は誰も知らないだろう。
密入国者が暴れた──マザーが公開したのはそれだけ。けれども、誰も疑問を抱かない。
教師が教壇に立つ。
「昨日の件ですが、密入国者は既に身柄を拘束されており皆さんの日常生活への影響はありません。安心してくださいね」
それだけだった。誰も質問しない。教師もそれ以上話さない。それで説明は終わった。
けれども、僕だけは納得できなかった。あの男は確実に僕を知っていた。それも、
何故僕を知っていたのか。
母なる星とは何なのか。
そして──
「……ちきゅう」
その言葉が、どうにも頭から離れなかった。
昼休み、三人で食事をしている最中も僕はどこか上の空だった。
「リヴィスリールさん」
「え? な、なに」
オルディナがこちらを見る。
「何か、悩みごとですか?」
「そんな顔してた?」
「ええ」
「リヴィス、分かりやすい」
二人が同調する。僕は齧っていた国民食五号をそっと机に置き、呟く。
「昨日のこと、まだ気になってて」
「私も」
レティスが静かに頷く。
けれども、考えても考えても分からない。マザーも答えてくれない。ならば、これ以上考えても仕方がない……そう、頭では理解している。
それでも、気になってしまう。
その時、不意にオルディナが尋ねた。
「"ちきゅう"という言葉に心当たりはありますか?」
僕は一瞬目を丸くする。そして、首を横に振る。
「ないよ」
「夢にも?」
「夢……」
そこまで言って止まる。
夢の中でもその言葉自体は聞いたことはない。
けれど、何故だろう。初めて聞いた筈なのに、どこか懐かしい響きを感じた。
「……わかんない」
「そうですか」
彼女はそれ以上追及しなかった。
放課後。レティスは個別課程に向かうために別れる。
「今日は射撃訓練?」
僕の何気ない言葉に、しかし彼女は一瞬だけ動きを止めた。
「……違う。戦術理論」
「そっか、頑張ってね」
「うん」
彼女は小さく手を振り、校舎の奥に消えていく。
その背中を見送りながら、オルディナがぽつりと呟いた。
「レティスウェルトさんはとても優しい方ですね」
「え? どうしたの、急に」
「昨日、真っ先に貴女を庇っていました」
それに対し、僕は他人の事なのに嬉しくなる。
「そりゃそうだよ。レティスは自慢の幼馴染だからね」
「そうですか」
その言葉を聞いたオルディナは静かに目を伏せた。
レティスはあの時、自身が守る事が最適だったから守ったのだろうか。それとも守りたいから、守ったのか。
前者はマザーの行動原理と同じ。しかし後者は違う。
さて、そんなオルディナの思考など知る由もなく、僕らはラーム亭に到着する。
だがこの日、彼は僕らを見るなり珍しく真面目な表情になった。
「昨日。宇宙港に行っていたそうだな」
その一言に、僕は思わず足を止める。
「え、なんで知ってるの」
「港の騒ぎくらい耳に入る」
彼はそう言って鍋をかき混ぜる。
普段と変わらない口調、しかしその横顔にはどこか険しさがあった。
「座れ。今日はサービスだ」
目の前に運ばれてきたのはいつもの乳白色のスープだった。
そのゆらゆらと揺れる湯気を見るだけで少しだけ心が落ち着く。
「ありがと」
ふー、ふー、と息を吹きかける。
そんな僕の傍らに彼が座る。
「昨日は災難だったな」
「うん……」
「怖かったか?」
少し考えて、僕は答える。
「なんていうか、分からなかった」
「ほう?」
「あの人、僕の事を知ってるみたいだった。でも僕は会ったことなんて無いし。それに……」
僕は視線を落とす。
「"ちきゅう"って言ってた」
その瞬間。視界の隅のラームの細かな動きが一瞬だけ止まった。
「どうしたの?」
「……いや、聞き慣れない言葉だなと思ってな」
「ラームさんでも知らないの?」
「知らんな」
嘘だろう。少なくともそれは、その言葉を初めて聞いた人の反応じゃなかった。
胸騒ぎ……それを察したのかは分からないが、彼は話題を変える様に笑う。
「そういえば、宇宙船はどうだった?」
「あ、それはすごかったよ!」
明け透けな話題逸らしだとは分かっていても、その言葉には反応せざるをえない。自分の中でもどこか、"ちきゅう"について考えるのに疲れていたのかもしれない。
「あんなに色んな船があるなんて、初めて見た!」
「そうか」
「翼の生えた人もいたし、猫耳の人もいたし、なんか石みたいなのまで浮いてたよ!」
「石……ガイアタロン人の事だな。あいつらは本当に石だからな」
「知ってるの?」
「昔会ったことがある」
「ラームさんって本当に物知りだよね」
そう言うも、彼は苦笑するだけだった。
──────
店を出た帰り道。
いつも変わらぬ、しかしどこか寂し気な陽光が天井都市を淡く照らしていた。
「ラームさん」
そんな夕暮れの中、オルディナが静かに口を開く。
「少し、お時間をいただけますか」
「なんだ」
リヴィスが帰ったことを確認してから、彼女は言う。
「昨日の件について、何かご存じですね」
「……」
「貴方の反応は全て記録しています」
彼は立ち止まり、少しだけ空を見下げる。
「お嬢さん」
「はい」
「知らない方がいいこともある」
「ですが」
「今はまだ、だ」
その言葉にも、しかしオルディナは納得がいかない様子だった。
そんな彼女へ彼は穏やかな目を向ける。
「お前さんは、全てを知っていれば幸せにできると思ってる。違うか?」
彼女は返事しなかった。
情報が多い程、演算は正確になる。正確であればある程、人を幸福にできる。
それがここまでの治世で証明されてきた"正しい理論"だった。
しかし、彼は静かに首を横に振る。
「人間はな、時には分からないまま歩く事にも意味がある」
そう言って、彼は店へ戻っていった。
取り残されたオルディナは。
「……理解できません」
小さく呟いたその言葉は、誰にも届くことはなかった。
その夜、リヴィスは机へ向かっていた。
スクリーンを開き、夢について書き留める。
『今日は温泉へ着く前に目が覚めた』
『白い人がいた』
『"まだ駄目"と言われた』
そこで手が止まる。
「……ちきゅう」
その言葉を書こうとして、手が止まった。
どうしても書けない。文字にしようとすると、頭の奥がざわつく。
「変なの」
スクリーンを閉じ、そのまま布団へ潜り込んだ。
その頃、中央統合演算塔最深部。
オルディナより送られてきた全記録を解析していたマザーブレインは、ただひたすらに演算し続けていた。
《監視対象:リヴィスリール・ディア=モンディスティート》
《将来演算:継続中》
《誤差率……増大》
《原因……不明》
初めてだった。
宇宙最高の演算機であるマザーブレインが、たった一人の少女の未来を予測できなくなっていたのだから。
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