κ(Kappa) /第二農園処 第三翅脈編隊録   作:AllZ:M

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第三翅脈編隊

 

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 春先の、風光る(おり)

 偏西から東風(こち)が吹き抜けて、アラビカの樹を撫ぜていく。

 その燦然(さんぜん)で、どこか突き抜けるように清々しい季節の訪れ。

 

 (りょく)の髪と、背部に半透明の翅脈(しみゃく)を携えた、其の若宮は、名前をアリゲラ、といった。

 彼は、辺境に咲く片喰(かたば)みの葉の麓で、そっと座禅(ざぜん)を組んでいた。

 

 現在(いま)ここに在る事象へ目を向け、心身を平常へと誘う為の行為の最中である。

 

 吹き抜ける春の風が、腕先を包む法衣の袖をぱたぱたと波立たせ、翡翠(ひすい)色の髪を突き抜けていく、物理的な感覚。

 鼻腔へともたらされる、沈丁花(じんちょうげ)(かお)り。

 心身を委ねるようにして、息をひとつ吐き出す。

 

 次に、傍らに供えていた細い雑草の一部を、壊れ物を扱うように、丁重に摘んだ。

 細い蔦を、人差し指の先に引っ掛ける。

 後は――押さえて、引っ張る。

 その蔦にはやがて、幾つもの『玉結び』が刻まれていく。

 

 ひとつ、またひとつ。

 いまが終わればつぎが来る。その繰り返し。

 

 蔦の先が、八つ目の玉結びに差し掛かったところで、その指先がふと止まった。

 

 ――風心地が、目に見えて変わる。

 東風の中に、僅かに違う質の流れが混じた。

 湿気を多く孕んだ、重みのある空気。

 

 遠雷(とおなり)ではない。

 もっと近い。もっと――生々しいもの。

 

 彼は顔を上げず、代わりに耳を澄ませる。

 聴覚を頼りに、辺りの気配を探る。

 

 其の背中から垂れた(はね)を微かに震わせながら、辺りの波長と、自らの感覚野を研ぎ澄ませてゆく。

 

 草を踏む音。

 歩幅は広いが、着地は丁寧。

 重心の置き方に、(くせ)がある。

 

 誰のものかは、聞かずとも分かる。

 

「…(とき)であるな、ガルザ」

 アリゲラは、足音の鳴る方角を見据えた。

 紫に染まる方喰みの花弁の隙間から、翠色の影が視界に映る。

 

 和装で身を装った人物が、其処に立っている。

 無精髭を蓄えた、翡翠(ひすい)の巨漢。

 それは、いまだ未成熟の若齢個体であるアリゲラとは違う、完全な成熟個体、という証でもあった。

 

「殿下が珍しく、定刻ぎりぎりまで持ち場に来ないかと思えば、ついばんだ野草(のぐさ)莫大小(メリヤス)ね?」

 ガルザ、と呼ばれた其の個体は、アリゲラの膝の傍らに置かれた玉結びの履歴を見て、軽口を叩く。

「…何も」

 アリゲラは視線を逸らし、言い淀んだ。

「…何でも、よかろうとも」

 アリゲラの声色には、それ(・・)を覗き見された事への、僅かな悶々が含まれていた。

「何も、って…別に異存ではないよ、殿下」

 ガルザはそう呟くと、アリゲラの座禅位置(まあい)から少し離れた葉脈に、ずしり、と腰掛けた。

「今や、第三翅脈編隊(だいさんしみゃくへんたい)を率いる若宮(わかみや)、ともあろう御方」

 二人の間に、ひとつの沈黙が落ちた。

 やがて、示し合わせたわけでも無く、二人の焦点は、遥か向こうに位置するアラビカの幼木(ようぼく)へと移される。

 アリゲラの視線には、過去への苛みが。

 ガルザの視線には、どこか懐古的な熱が映る。

 

「そんな貴方が、此の風に身を委ねながら、若齢の(よわい)らしい指遊びをしているとね…はは、昔を思い出しましてな」

「…過ぎた話だ」

 過ぎた、と言いながらも、アリゲラの視線は、どうしてもその幼木の輪郭を、僅かに手放せずにいた。

 

「思えば貴方は、昔から手際が巧みだった」

 嬉々としていたガルザの声が、ふと静まった。

 幼木からアリゲラへと、視線が移る。

「…此度も、その手腕を頼りにしていますから」

 その真摯な眼差しが、彼に向けられる。

 

「…()こう」

 アリゲラが、葉から起立する。

 重力から開放された葉が、風を食むように揺らぐ。

今期初回(こんきしょかい)処飛行(しょひこう)故な、行程は入念に詰めねばならん。ペルと(みな)、集めてくれ」

 ――この季節初めての、アラビカ区域への飛行偵察。

 例年よりも、雨季への移ろいが早まっている。

 迫り来る嵐の予感が、彼らの背負う翅模様(きかがく)、心なしか重く湿らせていくように思えた。

 

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 第三翅脈編隊(だいさんしみゃくへんたい)――正式名称を 第三母艦(だいさんぼかん)第二農園処(だいにのうえん)北斜面第七十七枝団(きたしゃめんだいななじゅうななしだん) 第三翅脈編隊(だいさんしみゃくへんたい)

 彼らは、俗に『翠軍配雲霞(ミドリグンバイウンカ)』と呼称される者達だ。

 

『母艦』や『(ところ)』として称されているのは、特定の巨大構造物を指す(あだ)の名ではない。

 それらの言葉の意味するところは、彼ら生体が行動できる領域の総称――つまり、縄張(なわばり)の証明。

 

 アリゲラは、此の第二農園の孤立木(こりつもく)――北斜面に位置する第七十七番目のアラビカ珈琲の樹木の傍らに、静かに立っていた。

 

 天に張り巡らされた鈍重な膜より差す太陽は、既にその角度を傾かせ、夕陽へと変化しつつある。

 その光に照らされた草木の影が、交差しながら幾何学的な模様を刻んでいく。

 

 アリゲラは、第七十七番目のアラビカの樹皮へと

 手のひらを当てながら、眼下を見下ろした。

 北斜面の稜線に沿って、点在する緑の影。

 第三翅脈編隊の兵達が、ぞろり、ぞろりと集まってくる。

 

「…若宮さま」

 葉裏の影から、ふと声が響いた。

 聞き慣れた、鈴鳴りの虫を転がすような、柔い声色(こわいろ)

「…ペル」

 アリゲラの視線の先に起立していたのは、長身でありながら、その上背(うわぜい)に削ぐわない、痩せぎすの体躯を持った個体だった。

 

「…綽名(あだな)、まだ慣れませぬな」

『ペル』と呼ばれた中齢(みどる)の個体――ペルヘイムは、顎に指先をそっと添えて呟く。

「…不承であったか?」

 アリゲラの伺いに対し、ペルは「ううん」と首を振る。

「はは、気恥(きはじ)というものですかな、これは」

 苦笑混じりでそう答えたペルヘイムの背後から、先程の巨漢――ガルザが、葉裏を掻き分けて直登してきた。

「愛称で動揺しちゃう子に軍略が務まりますかねえ、ペルさんよ」

 ガルザの口から、再び茶化しが漏れ出でる。

(きみ)のその御調子も、指揮系統に齟齬(そご)なきよう、程々にの」

 彼らの中にある、信頼故の対話の応酬。

 アリゲラは、昔からこういった言葉たちが好きだった。

 若齢の(よわい)、風情のある大人が軽口を叩き合う様子。

 その時の、脳の何処かにじわ、じわ、と感じたあの浮き足立つような感覚を、今も覚えている。

 

 やがて、ぞろり、と集まり切った影が、北斜面の稜線に沿って、静かに整列する。

 

 最前列に陣取るのは、いつも同じ顔触れ。

 隻眼に眼帯を巻いた、古株の古兵。

 その隣でせわしなく触角を動かしている、まだ脱皮の跡も新しい、翅のなき若い個体。

 後列では、背部の翅脈に包帯を幾重にも巻いた者が、静かに、しかし真っ直ぐに立っている。

 

 此処に在る存在こそ、我々の積み重ねてきた累積の歴史だと、アリゲラは思う。

 

 農園の外から舞い来た者達が、此の北斜面に根を張り、今や縄張(なわばり)と呼べるものを持つに至った。

 

 その事実が、言葉にならない重さで、彼の胸の裡に静かに沈んでいる。

 

 アリゲラは樹皮から手を離し、振り返った。

 眼下に広がる、緑に染まるアラビカの海。

 第三翅脈編隊――翠軍配雲霞の兵達が、その複眼をいっせいに、若宮(かれ)へと向ける。

 

 沈黙が、場を満たしていく。

「…()け」

 短く、それだけ言い放つ。

 稜線の端まで届くような確度(かくど)を持った、静かで厳格な声。

 

今期初回(こんきしょかい)処飛行(しょひこう)の全容を、簡潔に説明する」

 アリゲラの視線が、編隊の隅々まで、一分の滞りもなく流れていく。

目途(もくと)は、第二農園北斜面、第七十五地点に在るアラビカの下層域、(あぶら)群生域(ぐんせいいき)の現実態の把握」

 息継ぎに、息を吸う音。

 そして、一拍。

「及び、(あぶら)との盟約(めいやく)更新(こうしん)である!」

 

 

 静寂。

「…異存(いぞん)は」

 返る声はなく、風の音だけが流れている。

 それこそが、彼らの答えだ。

 

 夕暮れに凪ぐ風が、珈琲の葉を揺らしていく。

 正面より照る夕陽の光に当てられたアリゲラの翅脈は、あざやかな、緋色の色彩を保っていた。

 

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