銀色の償い   作:垂江 シン

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第五章 シグルドを知る者①

 揺れる馬車の中に、ディアドラは座っていた。

 馬車の鎧戸は閉め切られており、中は薄暗い。

 それは皇妃の姿を道行く人々の目から隠すのと同時に、ディアドラが道を覚えないようにする意味合いもあるのだろう。

 

 これから彼女が会いにいく人は、帝国に見つかれば捕縛されて処刑されてしまうかもしれない者である。皇帝の妻であるディアドラに、その者がどこに隠れ住んでいるのかを知られたくないと考えるのは、当然のことだ。

 

 ディアドラは、自身に持たれかかって眠るユリアの髪をそっと撫でた。

 馬車の揺れが心地よいのか、逆に揺れる馬車の中で座り続けることに疲れてしまったのか、しばらく前からユリアはこうして目を閉じている。緊張もあるだろうし、昨晩、夜更かししたせいもあるだろうと思う。

 

 ユリアを連れて来てしまったことが正しかったのか、ディアドラは今も確証がない。ディアドラの計画では、もともと娘は宮殿に残してくるつもりだった。

 なのに──

 

 昨晩のことを、ディアドラは思い出す。

 暇を乞うて宮殿を辞したシグムンドは、出て行く前にこう言った。

 

 ──皇帝陛下が出立されて三日後の夜。自室でお待ち下さい。お迎えに上がります。

 

 ディアドラは、彼とは宮殿内の庭とか、あるいは物置のような人目のつかないところで落ち合うのではないかと考えていた。だから、自室で待てという指示には困惑した。

 彼女の部屋は、確かに宮殿内で最も人目につかない場所にある。ユリアを除けば、夜間にそこを訪れることができるのは、アルヴィスだけだ。そのアルヴィスが不在ならば、確かに誰の目にも触れずに秘密の行為を行うのに、これ程ふさわしい場所はないともいえる。

 

 ただし、そこに辿り着くことができれば、の話だ。

 

 ディアドラの私室は宮殿内で──いや、恐らくはこの大陸じゅうで、最も警備が厳しい場所である。あのユリウスの一件以来、皇帝の家族を守る警備の目は、さらに厳しくなっている。

 

 矢文のようなもので、次の指示が来るのだろうか──?

 そう考えたディアドラは、その夜、夜風に涼むふりをしながら窓を開けて、ずっと庭を見下ろしていた。

 すると、突然に背後から声がかけられた。

 

「お迎えに上がりました。皇妃様──」

 

 思わず振り向いたディアドラは、驚愕に目を見開いた。

 シグムンドが立っていた。

 一瞬、シグルドの亡霊が再び現れたのかと思った。

 それほどに、突然の来訪だった。扉を開け閉めする音すら、しなかったように思う。

 庭から見られぬよう慌てて窓を閉めた後、ディアドラは言った。

 

「シグムンド様……。いつの間に、どうやってここへ?」

「それは、言わぬが花というもの」

 

 シグムンドの瞳が、悪戯っ子のように少し微笑んでいるかのように見えた。

 

 彼の手には、一本の杖が握られていた。転移(ワープ)の杖だった。もしかしたらその杖を使ったのかとも考えたが、しかしワープの杖は、()()()()()させる術のはずだ。

 それに、魔術による転移の時には独特の光が現れる。そんなものがあったら、さすがにディアドラだって気づくだろう。

 結局、シグムンドがどのようにしてこの厳重に警備されたこの場所に入り込めたのか、全く分からなかった。

 

「さて、それでは参りましょう、皇妃様」

 ディアドラの困惑などどこ吹く風という様子で、シグムンドが恭しく礼をした。

「今から、貴女をバーハラの郊外へとワープさせます。そこにはレヴィンという者が待機しておりますので、しばらくその者とお待ち下さい。私もすぐに皇妃様の元に向かいますので。さほどお待たせすることはないと思います。落ち合ったら出発しましょう」

 

 言って、シグムンドがワープの杖を振りかざした時だった。

 

「待ってください!」

 

 部屋の扉が開き、駆け込んできた者がいた。

 ユリアだった。

 

「私も一緒に行きます!」

 

 彼女は聞いていたのだ。母とシグムンドの会話を。

 シグムンドが宮殿を出る前日、二人の話を聞いていた影はユリアであった。

 

 突然の彼女の登場に、ディアドラとシグムンドは、困惑したように顔を見合わせた。

 シグムンドが、一度ワープの杖を下ろす。

 小声で相談をはじめた大人たちを見て、ユリアが覚悟を決めた表情で言った。

 

「連れて行ってくれないのなら、今すぐ人を呼びます!」

 

 シグムンドがため息をついた。

 眉を潜めて、ディアドラも考える。

 ユリアの気持ちも、分からないではなかった。

 父が遠征に出かけているいま、加えて母まで長旅に出てしまっては、ユリアがひとりぼっちになってしまうのは確かである。きっと寂しく、心細い思いをさせることになるだろう。

 

 ただ、これからディアドラが赴く旅は、心躍る楽しい旅ではないことも確かだった。快適な宮殿の中と違って、旅の空は不自由で危険も多い。

 一人ぼっちだけど安全で快適な宮殿での生活か、母と一緒ではあるが安全の保証されていない暗鬱たる旅路か。

 どちらがユリアにとって良いことなのかは、正直、判断がつかない。

 

 結局ディアドラは、本人の希望を尊重することにした。

 ユリアは記憶を失っている間、シグムンドともに各地を旅していたという。ならば、ディアドラよりもむしろ、旅の空にはなれているかもしれぬと思った。

 

「よいのですね?」

 

 改めてワープの杖を構え、確認するように訊いてきたシグムンドに頷きかける。

 シグムンドが杖を使った次の瞬間、光に包まれたディアドラの体は、宮殿の外に転移していた。

 

 バーハラ郊外の、どこか路地裏のような場所だった。壁に、一人の男が腕を組んで立っている。

 

 彼に話しかけようとしたところで、ディアドラの傍らにまた光が現れた。ユリアが転移してきた輝きだ。

 キョロキョロと辺りを見回したユリアが、壁際に立つ男を見て目を輝かせた。

 

「レヴィン様!」

 

 シレジア人に多い緑色の髪をした、吟遊詩人風の男だった。

 聞けば、バーハラの街で倒れていたユリアを最初に保護して、シグムンドに預けたのはこの男なのだという。

 ディアドラは、深々と頭を下げて男に礼の言葉を述べた。

 

「娘が、お世話になりました。貴方のおかげで……本当に、ありがとうございました」

「なに、当然のことをしたまでだ」

 レヴィンが、はにかむように頬を掻いた。

「礼には及ばないさ。顔を上げてくれ、ディアドラ……いや、皇妃様。この子が貴女の娘と聞いたときには驚いたが、なればなおさらのこと。これも神のお導きだと思う……いや、思っております。自身に与えられた勤めを果たしたまでのこと……です」

 

 レヴィンの口調の最初のほうの馴れ馴れしさ、そしてその後の──皇妃に対する口調ではないと、自覚したかのような言い直しに、ディアドラには閃くものがあった。

 

「貴方は……私のことをご存じなのでしょうか? 記憶を失う前の、私のことを……」

 

 レヴィンの表情が固くなる。わずかに躊躇いを見せた後、彼は言った。

 

「……シグルドは、私の友人でした。その妻であったディアドラのことも、当然、知っている……知っています。だが……ですが、いま私の目の前にいる女性は、皇妃……。皇帝アルヴィスの、お妃です」

 

 彼の口調の後半は、とても慇懃なものだった。だが、アルヴィスの名に「陛下」という敬称はつけなかった。そのことが、彼の心の内を雄弁に物語っているように思えた。

 

 胸を痛めつつ──そして彼のことを覚えていない自分に申し訳なさを感じながら、ディアドラはレヴィンに言った。

 

「ご存じかもしれませんが……私には、シグルド様の記憶が無いのです。ですが、思い出さねば……せめて、シグルド様のことを知らねばと思っています。

 ですから……お願いします、レヴィン様……。私に、シグルド様のことを……あの方と共にいたときの私のことを、どうか教えては頂けませんでしょうか」

 

 シグムンドが紹介してくれた“シグルドのことをよく知る者”とは、このレヴィンのことだろうとディアドラは考えたのだ。

 しかし、彼女の頼みにレヴィンは首を振って答えた。

 

「私のような軽薄な者より、もっと彼をよく知る者から話を聞いた方がよいでしょう。それに私がシグルドと知り合ったとき、彼はすでに結婚していた。私にとっても、二人の馴れ初めは伝聞にすぎない。“よく知っている”とは言いがたい。

 これから皇妃様をお連れするのは、シグルドの幼馴染みであった者のところです。当然、彼と“ディアドラ”との馴れ初めも知っている。どこの誰かは……その者の安全のためにも、今は伏せさせて頂きたい」

 

 レヴィンが言った直後だった。

 

「あ、シグムンド様」

 

 ユリアの言葉に、ディアドラは慌てて振り返る。

 いつの間にか、彼女の背後にシグムンドが立っていた。先ほど部屋にやって来たときと同様、何の物音も、ワープの杖の輝きすらもなく、その場に現れていた。

 

「お待たせしました、皇妃様」

 

 ディアドラに頭を下げた後、シグムンドがレヴィンの方を向き、彼に対しても頭を下げた。

 

「レヴィン殿、このたびは身勝手なお願いを聞いて頂き、本当にありがとうございました」

 

 慌てたようにレヴィンが両手を振る。

 

「頭を上げろよ、シグ……シグムンド。君の頼みなら、俺は喜んで引き受けるさ。それに、今の俺は役目も終わり、契約も解除された身。昔のように、友として接してくれるとありがたい」

「ありがとう、レヴィン」

 

 言って、包帯の間から見えるシグムンドの目が微笑んだ。どこか、晴れ晴れとした様子だった。

 飾り気のない彼の姿を、ディアドラは初めて見た気がした。

 シグムンドに片手を上げて答えたレヴィンが、暗闇へと歩いて行く。しばらくして、一台の馬車を引いて戻って来た。

 

「それでは、参りましょうか」

 

 シグムンドが、馬車の扉を開けてディアドラとユリアを乗せてくれた。自身は、レヴィンとともに御者台に座る。

 馬車は、そのままバーハラ郊外にある旅籠まで向かった。

 今宵はもう遅い。宮殿から十分に離れたところで一泊し、本格的な旅は明日からになると、レヴィンが説明してくれた。

 

 馬車から降りるとき、ディアドラとユリアには厚いベールのついた帽子が渡された。

 とある裕福な商家の母娘のお忍び旅行。彼女たちの素性を探ることは厳禁──

 これから泊まる予定の旅籠には、そのように伝えてあるとのことだった。

 

 翌朝早くから、彼女たちは馬車での移動をはじめた。手綱を握るシグムンドは、ディアドラたちを気にしながらもかなりの早足で馬を走らせていた。道中で何度も馬を替えて、休ませることなく馬車を進めている。

 目的地は、相当遠方にある様子だった。

 途中、砂漠を通ったところで、ディアドラは行き先が東方のイザークかシレジアではないのかと予想した。だが、あえてその推測を確かめようとはしないと心に決めた。

 

 幾日もの馬車の旅が続き、さすがにユリアが退屈を訴えはじめた頃、ようやく彼女たちは目的地へと辿り着いた。

 半ば予想していたことだが、人里離れた隠れ里らしき村だった。どうやら古い砦を利用しているようである。

 もとは広い城の中庭(ベーリー)だったのか。堀と板塀に囲まれた中にある集落の間を通り、ディアドラたちは小さな修道院の一室に案内された。

 

 目的の人物は、この修道院で、亡夫の子供と一緒に、戦災で親を亡くした孤児たちを育てているということだった。

 紹介されて部屋に入ってきたその女性は、エーディンと名乗った。

 同じ女であるディアドラでも、思わず見とれるほどに美しい女性だった。歳はディアドラと同じくらいか。修道院で暮らす者らしい、穏やかで落ち着いた言動が印象的だった。

 

「お久しぶりです、ディアドラ様」

 席についたエーディンの言葉に、ディアドラは悲しげに目を伏せて答えた。

「お久しぶり……なのですね。申し訳ありません。私は……」

「ご記憶を……失ってらっしゃるそうですね」

 

 ディアドラの言葉の後を取って、エーディンが気遣うようにそう言った。見返すようにエーディンの目を見た後、ディアドラは深々と頭を下げた。

 

「はい……。ですから、貴女に教えて頂きたいのです。私のことを……。そして……シグルド様のことを」

 

 うなずいたエーディンが、ユリアの方を見た。

「その子は、娘様ですか? ご一緒にお話を聞かせても?」

 

 エーディンの気遣いに、ディアドラは少し迷った。

 ユリアに話を聞かせるべきかどうかは、ここに来るまでもずっと悩み続けてきたことだった。だが、ついにはっきりとした結論をだすことはできなかった。

 ここで話を聞けば、いやでも娘は母の秘密の一端に触れてしまうことになる。

 知らせるべきか、それともディアドラ一人の胸にしまっておくべきなのか──

 

 しばしの逡巡の後、やがてディアドラは決然とした顔でエーディンに言った。

 

「はい、構いません……。どうか、真実を……お聞かせ下さい」

 

 なにがユリアにとって一番良いことなのか、正直に言って確かな答えは出せていない。

 だが、ユリアはすでに悟っている。母が、何か大きな秘密を抱えていることを。そのために、旅に出たことを。

 

 いまここで席を外させ、ディアドラの過去を隠したところで、聡明な彼女はいずれ自分で調べようとするだろう。

 そしていつかは知ってしまうだろう。

 

 両親の秘密を。

 ディアドラたちが犯した罪を。

 

 そのときユリアは、きっと苦しむ。自身を、罪の子なのだと思い悩んでしまう。

 だが今ならば、ディアドラが彼女を支えてやることができる。そして言ってやることができる。

 ──貴女が苦しむ必要はないのだ、これは母だけの罪なのだから。

 と。

 

 それに、もしもユリアが一人で母の過去を探ろうとした場合、おかしな者から歪められた情報を聞いてしまう可能性も考えられる。あのロプトウスが、ディアドラに悪意に満ちた言い方で真実を話して聞かせたように──

 そうなれば、ユリアの心の傷は、より大きくなってしまうことだろう。

 

 それぐらいならば、いま、シグルドやディアドラのことをよく知るというエーディンの口から、最も真実に近いことをユリアにも聞かせてやった方がいい。

 

 出会ってまだ短い会話しかしていないが、自身も子持ちの母だというエーディンは、信頼してもよい人だと、どういうわけかこのときディアドラは直感していた。

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