銀色の償い   作:垂江 シン

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第五章 シグルドを知る者②

 覚悟を決めたディアドラの返答に穏やかに頷いた後、エーディンは話しはじめた。

 

「ディアドラ様。貴女がご記憶を失っていらっしゃると聞いたとき、私はすぐに納得を致しました。『ああ、やはりそうであったのか』と、そう思ったのです。そうでなければ……私の知るディアドラ様であれば、あのようなことをなさるはずがないと、そう考えていました」

 

 エーディンの言う「あのようなこと」というのは、アルヴィスとの結婚か、あのバーハラの野でのことなのか、あるいはその全てなのか。

 ディアドラの胸にチクリとした痛みが生じる。それでもディアドラは、エーディンの話を聞き続ける。

 

「貴女のことをよく知らぬ者の中には……貴女とユリア様には酷かも知れませんが、その……貴女が……」

 

 そこで、エーディンは少し言い淀んだ。目が泳ぎ、次の言葉を探しているようだった。が、結局は他に思いつかなかったのだろう。幾分か小さな声で、彼女は続けた。

 

「貴女がアルヴィス様と、その……不義密通をされたのだと……シグルド様を裏切ったのだと、そのように言う方も……おります」

 

 やはりそうか、とディアドラの心は深く沈みこんだ。

 

 ──シグルド様を裏切った女のくせに。

 

 あの言葉が、耳の奥に蘇ってくる。

 

「でも、私や……貴女のことをよく知る者たちは、とてもそのようには思えませんでした。『何か事情があるに違いない』と、そのように話し合っておりました。記憶を失っておられるのか、魔法か何かで洗脳されていらっしゃるのか。あるいは、よく似た別人が入れ替わっているのか……。

 そうとでも考えないことには、私どもには到底納得できなかったのです。貴女が、シグルド様以外の方とご結婚なさるなど。それほどまでに、貴女はシグルド様を深く愛しておられた。そしてシグルド様も……。

 本当に、お二人は羨ましいほどに深く、深く互いを愛し合っておられました」

 

 その言葉を喜んでいいのかだろうか。

 複雑な思いが、ディアドラの胸の内に渦巻く。

 

 愛していたからこそ──深く愛し合っていたからこそ、自分がシグルドに対してやってしまったことは、より罪深い行いとなる。

 シグルドとの婚姻は、政略結婚のような愛のない、形だけの結婚ではなかったのだ。

 愛し合う二人の結婚であったからこそ、その後に起きた悲劇は究極的なものとなる。シグルドの苦しみは、より大きくなるであろう。

 

「実は、お二人を──シグルド様と、貴女を引き合わせたのは、この私なのです」

 

 その驚くべき告白に、うつむいていたディアドラは、顔を上げてまじまじとエーディンの顔を見てしまった。

 “シグルドのことをよく知る者”どころではない。

 レヴィンが言ったとおり、シグルドと自分の過去を探る上で、これほどの生き証人は他にはいない。

 

「あなた方の馴れ初めをお話しする前に……ディアドラ様。貴女は、シグルド様のことをどの程度、聞いておられますか?」

 

 そのエーディンの問いに、ディアドラは沈痛な表情で首を振って答えた。

 

「ほとんど、何も……。あの方が私の父・クルトを殺害し、反逆者として討たれた者である、ということぐらいしか……。

 ただ、ある者が私に言ったのです。シグルド様の罪は、冤罪であったと。大陸の西半分を制圧した武勲、王太子殺害の真犯人を誅した功績は、いずれもシグルド様のものであったと……。バーハラ宮殿の者たちは、誰も私にそんなことは教えてくれませんでしたが……」

「まあ、そうでしょうね……」

 エーディンが、少し哀しそうな顔で言った。

「それではまず、シグルド様のことを──私も彼の軍には従軍しておりましたので、私が見聞きしたことをお話しさせて頂きますね」

「はい、お願いします」

 

 頷いて、ディアドラは身を正す。

 修道服の前で両手を組んだエーディンが、話しはじめた。シグルドの激動の人生を。

 

「シグルド様が挙兵されたきっかけは、私の住む城に隣国のヴェルダンが攻め込んできたことでした……。領内に侵入してきたヴェルダン軍を駆逐した後、彼は攫われた私を救うために、ヴェルダンの領内に攻め込んだのです」

 

 エーディンの話は、シグルドが命を落とす前のわずか数年間の出来事だ。半生とも言えないその短い期間で、彼は大陸の西半分を駆け回って戦い続け、勝利を重ねた。

 結果的に多くの国や城を落としてその土地を制圧したし、その国に住む者たちから見れば、侵略と映ることもあっただろう。だが、シグルドが私利私欲のために戦ったとことは一度もないと、エーディンは言いきった。

 元々の挙兵のきっかけも、隣国に攫われたエーディンを救出するためであったし、その後も親友の妹を救うため、亡命中に世話になった者たちを助けるため──彼の戦いは、常に誰かのための戦いだった。

 奪うためではなく、救うためにシグルドは戦っていたのだ。敵国の王子を、「まだ子供である」という理由で殺さず、むしろ匿ったことすらあったという。

 

 一方で戦いの最中、シグルドは二人の親友と妹、それに父を失った。

 

 そして反逆者の汚名をかぶせられて亡命した後、彼の討伐のためにグランベル軍が派遣されたことを知り、ついに彼は反転攻勢に出ることを決意したのだ。

 討伐軍の中に、彼に反逆者の汚名を被せ、シグルドの父や、ディアドラの父であるクルト王子を殺害した張本人がいたことも大きかったようである。

 

 そのクルト王子殺害の真犯人であるレプトール卿と、シグルド軍との戦いの最終局面。レプトール卿を裏切ってシグルドに協力したのが、アルヴィス配下のヴェルトマー軍であった。

 無事にレプトール卿を討ち果たした後、ヴェルトマーの指揮官はシグルドにこう言ったという。

 

 ──アルヴィスはシグルドが無実であることを知っている。国王と共に、バーハラ宮殿で彼を待っている。シグルドの凱旋式として、全軍をもって彼を出迎えるつもりでいる、と。

 

 その言葉を信じたシグルドは、仲間たちともにバーハラへと向かった。そして彼の運命は、あの悲劇に繋がるのだ。

 

 エーディンの話に、ディアドラは大きな衝撃を受けていた。

 バーハラ郊外での戦いの経緯は、彼女がこれまで聞かされてきたものとは全く異なっていた。

 彼女が聞いた話では、レプトール卿の軍を撃破した反逆者シグルドが、首都バーハラまで迫ったため、アルヴィスは国王からバーハラの全軍を借り受けて、これを迎え撃った──

 と、そういうことになっている。

 

 しかし、真相は違っていたのだ。

 

 ディアドラ自身、あのときバーハラの地に集まったシグルド軍は、とても戦いに来ているようには見えないと感じていた。彼らは戦争ではなく、話し合いをしに来ているように思った。

 

 だが、真相はもっと悪辣だった。

 講和どころか、シグルドたちは、周囲に展開するバーハラ軍を完全に友軍であると信じ込んでいたのだ。彼らの武勲を讃えるために集まってきたと思い込んでいた。

 戦う準備など、出来ていなくて当然である。完全なる不意打ち、騙し討ちであったのだ。

 そしてこれは、明らかに騎士道に反する行為でもある。

 あの時の戦いをよく知る者が、口を閉ざすのも当然のことだった。とても、名誉ある勝利とは言えない代物だったのだ。

 

 あまりにも哀しい事実に思わず目を閉じるディアドラに、エーディンは淡々と話し続けた。

 

「バーハラの野に向かう前、シグルド様は、兵たちに『戦いは終わりだ』と宣言されました。

 シグルド様の軍は、元々各地の有志が集まって形成されたものです。彼の人柄に惹かれて、協力してくれた者たちです。シグルド様はその者たちの働きに感謝し、恩賞を配られた上で、特に希望する者以外は、故郷に戻るように言われました。

 あまりに多くの兵でバーハラに向かっては、かえって謀反の意を疑われるとも思ったのかもしれません。バーハラの野に辿り着いたとき、軍に残っていたのは、たしか数百人程度だったと思います」

 

 そんなに少なかったのかと、ディアドラは驚いた。

 確かにあのバーハラの野でシグルド軍を見たとき、彼女自身も「少ない」とは感じていた。

 だが、あくまでそれは、アルヴィスに会うために付き従ってきた兵だけ。ディアドラから見えないところには、きっともっと多くの兵がいるのだと──いたはずだと、そう考えていた。

 

 あの戦いでのアルヴィス軍の死傷者は、数千をゆうに超えていたからだ。

 ディアドラ自身、戦後に負傷者たちの手当てや死者の埋葬のために駆けずり回ったから、この数字はさほど外れてはいないと考えている。

 

 しかしそうなると、シグルド軍の兵は、一人あたり十人以上の敵を倒した計算になる。

 アルヴィス軍は戦いの最初に、隕石を降らせる魔法でシグルド軍の数を減らしたというから、実際には一人当たりが相手にした数はもっと多かっただろう。

 

 シグルド軍は結果的に全滅しているが、数字だけを見ればアルヴィス軍の方が、はるかに被害が大きい。

 騙し討ちをし、取り囲んで不意打ちをするという限りなく有利な状況であったにも関わらず、この差だ。

 いかにシグルド軍の戦士たちが強く、そして苛烈に戦ったかということだ。

 

 しかし、所詮は多勢に無勢であった。

 あのときアルヴィスは、数万を超える兵を動員していたとも聞く。シグルドの軍の百倍以上だ。

 

 どんなに強い戦士でも、一人で百人を相手にすることなどできるものではない。

 局地的にはいかに激しい戦いであったのだろうと、やはりあの時あの地で行われていたことは、全体で見れば、戦争ではなく虐殺だったのだ。

 大勢で少数を取り囲み、一人一人惨殺していった──

 

「あの時、シグルド様は私たちにその場で待機するよう仰ってから、出迎えてくださったアルヴィス様の前に進み出ました」

 

 エーディンは、人垣の間から遠目に見ていただけだったから、そこでどのような話が交わされたかまでは知らないらしい。

 だが、会談の途中から、明らかにシグルドの挙動がおかしいように感じた。何かに困惑し、狼狽しているように見えた。

 そしてアルヴィスの陣から、一人の女性が兵に伴われて出てきたとき、シグルドの異変はピークに達した。

 

「シグルド様は、その女性にしきりに何かを訴えておられるようでした。遠目でしたから、その女性がどなたかまでは分かりませんでしたが、今思えば、確かに私も『似ている』と感じました……。あれは、あの女性は……」

 

「私……です……」

 

 絞り出すような声で、ディアドラは言った。

 あのときのことを思い出し、目から大粒の涙が、次から次へとこぼれ落ちていった。

 

「知らな……かったの……。知らなかったのです……。

 あの方が……あの方が、私の夫だと……愛した人だと……知らなかった……。知っていれば……記憶さえあれば……。あんな……あんなことは……。

 私は……取り返しのつかないことをしてしまった……。とても残酷な……けして、してはならないことを……。どうして……どうして私は……あんなことを……」

 

 両手で顔を覆って泣き出したディアドラに、ユリアが心配そうにしがみついてきた。エーディンも沈痛な面持ちで彼女を見た後、言った。

 

「バーハラで死んだ者の中には……私の夫もおりました」

 

 その言葉に、ディアドラは顔を上げてエーディンを見た。

 半ば、予想していたことではあった。彼女があのバーハラの戦いの当事者だったと聞いた時点で、おそらく彼女の夫もそうなのだろうと推測していた。

 そして、彼女はこの場所で「亡夫との子供を育てている」と言っていた。

 

 あのバーハラの地で夫を亡くしたのは、ディアドラだけではなかった。多くの人々が、あの戦いで愛する者を殺された。

 そしてそれは、バーハラの戦いだけに(とど)まらない。

 アルヴィスの起こした多くの戦乱で、一体どれだけの人が殺され、その者の死に涙を流す者が出たことか。

 

 戦争だから──と言ってしまえば、それまでではある。

 だが、それでは割り切れぬ感情が、ディアドラの胸中に渦巻いていた。

 あの人は、なんと罪深いことをしてしまったのだろう──

 

 そしてディアドラは、その加害者の妻なのだ。

 あの戦争で得たものを、最も享受した人間の一人なのである。

 

 狂おしいほどに自身を責める刃にギュッと目を閉じた後、ディアドラは深々とエーディンに頭を下げた。

「私の夫が……アルヴィスが……。

 貴女に、なんと……なんとお詫びを申しあげればいいのか……」

 

 涙混じりの彼女の謝罪に、エーディンが悲しげに微笑んで言った。

 

「顔を上げてください、ディアドラ様。貴女のせいではありません。それに──私は、貴女も被害者の一人だと思っていますから……。貴女も、あの戦いで愛する夫を亡くされた……」

「エーディン様……」

「あの時は私も悲しく、そして辛かった。でも……私はまだ、貴女よりはましなのかも知れません。あのとき夫は、私を逃がすために戦ってくれた。あのときだけは、大義とか正義とかのためではなく、私のために戦ってくれた……」

 

 エーディンをはじめ、シグルドに従軍した女性の中には、妊娠している者や既に子供を産んでいる者たちもいた。

 移動の際、不慮の襲撃に備えてシグルド軍は、彼女たちを中心の一カ所に集め、何本ものワープの杖も用意しておくのが常だった。

 

 あのバーハラの地で、豹変したグランベルの大軍に襲いかかられたとき、男たちはその身を盾にして、愛する妻や恋人たち、そしてその子供たちが逃げる時間を稼いだのだ。

 

 もっとも女性たちの中には、愛する男とともに死ぬことを選んだ者もいた。

 

 ある女性剣士は、夫を殺した槍を持つグランベル兵の鎧の隙間に深々と剣を突き立て、そして次の瞬間に彼女自身も背後から斬り倒されたという。

 愛する者に覆い被さるように倒れて、彼女はこと切れた。折り重なるように地に伏せた二人の身体には、さらに幾本もの槍が突き立てられ、その遺体を蹂躙したという。

 

 ディアドラの心に、さらなる哀しみが広がった。あまりの痛ましさに、胸が張り裂けそうだった。

 

 彼女とで戦乱の世に生きる女だ。戦場の残酷さ、敗者の悲惨さは理解しているつもりだ。

 それでも、この悲劇を首謀したのが彼女の夫だと考えると、心がバラバラになりそうな気持ちになる。

 まして、シグルドの反逆という罪は冤罪なのだ。彼らは、何の罪もないのに惨殺されたのである。

 

 アルヴィスは──自分の夫は、なんと罪深いことをしてしまったのかと、彼女の心は暗鬱となる。

 なんとか殺さずに、戦わずに済ます方法はなかったのかと考える。

 

 そして彼女は気づいてしまった。

 

 なぜ、アルヴィスがそうも執拗に、シグルド軍の者たちを皆殺しにすることにこだわったのか。

 シグルド本人はともかく、彼に付き従う者たちに関しては、生かして捕らえるという選択肢だってあったはずなのに。

 

 アルヴィスがそうしなかったのは──口封じのためだ。

 

 おそらく、彼は知っていたのだ。

 ディアドラが、シグルドの妻であることを。

 

 無論、以前から知っていたわけではなかっただろう。他人の妻を奪っておいて、そのことを殊更に相手の夫に見せつけるほど、アルヴィスは悪辣な男ではない──そう信じたい。

 それにあのとき、シグルドとディアドラの邂逅を見たときのアルヴィスの狼狽ぶりは、本物であったと思う。きっとアルヴィスは、あの瞬間のシグルドの反応から、彼こそがディアドラの本当の夫であると気づいたのだ。

 だから、ディアドラの懇願を無視して彼女をシグルドから引き離した。

 ディアドラの記憶が戻ることを──そうでなくともシグルドが、「ディアドラは自分の妻だ」と言ってしまうことを怖れたのだ。

 

 シグルドの仲間たちを皆殺しにしたのも同じ理由だ。ディアドラがシグルドの妻であると知る者を、この世から全て消し去るつもりだった。

 

 ディアドラの目の前が、真っ暗になった。深い深い闇の中に、彼女は落ちていく。

 

 アルヴィスのその行動は、ディアドラを愛していたが故であろう。

 そのために、彼は大きな罪を犯した。

 いわばディアドラの存在が、シグルドたちを──エーディンの夫や、その仲間たちが死ぬ原因を作ったのだ。

 

 彼らを殺したのは、私なのだ──

 

 そのあまりの残酷な事実に、ディアドラの心は限界に達しようとしていた。意識が、徐々に遠のいていくのを感じた。




改めて書いてみても、やっぱり……。
ディアドラNTRは「知らなかった」からだとしても(それでも未必の故意はあると思いますが)、シグルド殺害とシグルド軍虐殺は、明らかに故意ですからね……。
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