銀色の償い   作:垂江 シン

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第六章 記憶の地①

 エーディンに別れを告げて修道院を出たディアドラは、窓のところに少年と少女が立っていることに気がついた。窓の下に身をかがめ、頭だけを出して中を覗き込んでいる。

 二人ともユリアよりやや年上だろうか。子供から大人へと成長しつつある年頃だ。顔がよく似ていて、兄妹ではないかと思われた。

 

「お母さま……泣いていらっしゃる。もしかして、いじめられてる……?」

「馬鹿。レヴィン様が母上をいじめるわけないだろ。それに、涙を流す前の母上の顔を見たか? あれは、嬉し涙だよ」

 

 二人の話し声が耳に届き、彼らがエーディンの子供たちなのだと分かった。よく見れば、確かにどこかエーディンの面影がある。

 母に会いに来た者に興味津々で覗きにやって来たのだろう。振り返った兄の方と目が合い、ディアドラは彼らにも深々と頭を下げた。

 

「おーい、ラナ、レスター。何をしているんだい?」

 その二人に、声をかける者があった。

 

 声のした方を振り返り、ラナと呼ばれた少女が言った。

 

「あ、セリス様!」

 

(セリス!?)

 

 その名には、聞き覚えがあった。

 ユリウスが言っていた、ディアドラとシグルドの間にできた子供の名である。生きていれば、いま十四歳前後のはずだ。

 

 ラナに遅れて振り返り、ディアドラは声の主を見た。

 エーディンの子供たちと同じくらいの年頃の少年が、立っていた。顔には、明らかにバーハラで会ったあの男の──シグルドの面影がある。

 

 気づけばディアドラは駆け出して、その少年を強く抱きしめていた。

 

「え……? あの……」

 涙混じりの見知らぬ女性に突然抱きしめられた少年が、戸惑いの声をあげた。

 

 慌てて彼から体を離し、ディアドラは謝罪する。

「ごめんなさい、驚かせてしまって……。貴方は……貴方が、私の息子によく似ていたものだから……」

 

 自分が母親だと、名乗ることはできなかった。

 名乗る資格はないと思った。

 

「そう、ですか……」

 少年が、澄んだ瞳でディアドラを見る。

 

(こんなに立派に育って……)

 

 ディアドラの目には、再び涙が溢れかえっていた。

 セリスをここまで育ててくれたのは、いったい誰なのだろう。エーディンか、あるいは別の者なのか。

 その人に感謝しなければと、ディアドラは心の底から思った。

 

「あの……」

 背を向けて立ち去りかけたディアドラに、セリスが声をかけてきた。

「初めてお会いする方に、このようなことを言うのは気が引けるのですが……。

 実は私には、母がおりません。母のぬくもりを知りません。ですが、さきほど貴女に抱きしめられたとき……母に、抱きしめられたような気がしました。

 その……もしよろしければ……私を貴女の息子と思って、もう一度……」

 

 そこで口ごもり、セリスは真っ赤になってうつむいた。

 彼の元に近づき、ディアドラはもう一度強く少年を抱きしめた。

 そして、言った。

 

「……セリス。お友達を大切にね。貴方を育ててくれた方や、貴方の周りにいる方々に、感謝の気持ちを忘れないで……」

「……! はい、母上……」

「いつまでも、元気でいてね……。身体には、くれぐれも気をつけて……」

 

 いつの間にか現れて彼女たちを見つめていたシグムンドが、目にどこか哀しげな、しかし同時に暖かい光を宿した。彼のその目は、ディアドラがいま浮かべているものと、どこかよく似ていた。

 

 少年から体を離し、ディアドラはシグムンドと並んでその場を立ち去った。

 セリスは、そんな二人をいつまでも名残惜しげに見送っていた。

 

 

「これを……着るのですか?」

 

 踊り子の女性から渡された服を見て、ディアドラは戸惑った。

 

 渡された服は、踊り子のような肌の露出が多いものではない。

 歌姫が着るものだという白を基調にしたロングドレスで、全体にはむしろ清楚さを醸し出している。

 だが一方で、腰をきつく締めるベルトや胸元のデザインは、身体の線をこれでもかと強調したものだった。大きな花飾りの付いた羽織やレースの飾り、ピンク色の帯などは、いかにも若い娘が好んで着そうなものだ。

 

「もう十歳ぐらい若ければ、この服でも良いと思うのですが……」

 

 困惑してそう言った彼女に、ディアドラと同年配らしい踊り子は、茶目っ気たっぷりの笑顔を浮かべて言った。

 

「だからこそ、その衣装なのですよ──」

 

 ディアドラが、シグムンドとレヴィンにヴェルダンの精霊の森への行き方を尋ねたとき、二人は目を合わせて思案げな顔になった。

 

 その反応は、ディアドラも予想していた。

 今いる場所がどこなのかは分からないが、来るときに砂漠を通ったことは確かだ。

 あれがイード砂漠なのだとすれば、ここは大陸の北東のどこかだということになる。一方で、ヴェルダンは大陸の南西端に位置している国だ。

 

 もしもディアドラの推測が正しければ、ここからヴェルダンに行くには、大陸を斜めに縦断かつ横断しなければならない。

 かなりの長旅になってしまうのだ。

 

 さらに、バーハラ宮殿は大陸のほぼ中央部に存在しているから、ここを避けて迂回しようとすると、経路はさらに長くなってしまう。

 

 それでもディアドラは、いま行かなければ、おそらく生涯その地に足を踏み入れることはできないだろうと考えていた。

 

 今回の彼女の出奔で、アルヴィスの不安と警戒はさらに強くなるに違いない。ディアドラが一人で宮殿を出ることは、もう二度とできなくなるのではないか。

 

 そして、もしもアルヴィスがディアドラの過去を知っているとしたら、彼女がどんなに望んでも、ヴェルダンに赴くことだけはけっして許してくれないだろう。

 

 だから、いましかないのだ。

 ディアドラが生まれ育ったはずの地をこの目で見ようと思えば、いまこの機会を逃すわけにはいかなかった。

 

「お二人に、そんなに長く付き合って頂くわけには参りません。私一人で参るつもりです。ただ、ユリアだけはどうか、バーハラまで送り届けて頂けませんでしょうか」

 

 そう言う彼女に、シグムンドとレヴィンは、また顔を見合わせた。そして、心配しているのはそこではないと口にした。

 

「貴女一人で旅をさせるわけにはいきません。私は、どこまでも皇妃様にお供するつもりです」

 シグムンドが言い、レヴィンも、

「俺はどうせ放浪の身。一人旅よりは、誰かと一緒の方が楽しいからな」

 と言ってくれた。

 

 彼らが思案していたのは、具体的にどう旅をしていくか──ということのようであった。

 そろそろアルヴィスがバーハラに戻り、ディアドラの出奔を知る頃だ。そうなれば、おそらく国じゅうに皇妃捜索の手が伸びる。

 

 とはいえアルヴィスとしても、皇妃の失踪はあまり表沙汰にはしたくはないであろう。彼ら夫婦の背後に潜む事情が、大々的に広まってしまう可能性があるからだ。

 

 そうなるとアルヴィスは、事情をすでに知っているか、あるいは事情を知ってもなお彼に忠誠を誓う者たちに、密かにディアドラを捜索させるだろうと考えられる。

 アルヴィスから密命を受けた者たちは、誰が失踪したかは伏せたまま、ディアドラとユリアの特徴だけを各地に伝え、情報を集めるだろうと思われる。

 今までのような”商家の母娘のお忍び旅行”程度の偽装では、その彼らの網に引っかかってしまう可能性があるのだ。

 そうならないために、ディアドラとユリアには変装をしてもらう必要があるとレヴィンは言った。

 

 しばしの話し合いの末、彼らはまずユリアに男装をさせることに決めた。少し線の細い男の子ということにして、“娘”という要素を消すのである。

 それから、できれば”母子二人”という要素も消したいとレヴィンが言いだして、シグムンドを父親とした親子三人にしてはどうか、と提案をした。

 

 だが、これには当のシグムンドが強く反対をした。いくらなんでもディアドラと夫婦役はまずい、と言い張って聞かない。

 

 そこで次にレヴィンが提案したのが、”三人兄妹”というものだった。

 全身に包帯を巻き付けたシグムンドは、外見からは年齢不詳である。

 そしてディアドラは、もともと実年齢よりもかなり若く見える容貌だ。彼女の見た目をさらに若くすれば、ユリアと姉弟でも充分に通るだろうというのが、レヴィンの考えだった。

 

 さらにレヴィンは、伝手(つて)を辿って、アグストリア方面に向かう旅芸人の一座を見つけてきてくれた。口が固く、深い事情を聞かずに彼らを匿ってくれる者たちだという。

 

 その一座は、エーディンをはじめとする、帝国から”反逆者の一党”とされる者たちが良く世話になっている者たちのようだったが、ディアドラがそのことを知るのは、だいぶ後になってからのことである。

 

 それでも初対面の時からディアドラは、彼らの中に芸人というよりも軍人の匂いのする者がいるように感じていた。

 帝国の支配に不満を持つ被侵略国の騎士などが混じっているのではないかと察したが、しかしあえてそこを指摘することはしなかった。

 例え宮殿に戻っても、この一座のことは絶対に誰にも話すまいと、ディアドラは心に決めていた。

 

 皇妃としては、これはあるまじきことなのかもしれない。

 だが、エーディンのことを思えば──彼女たちをかばってくれる、このような者たちを告発しようという気持ちは、少しも湧いてはこなかった。

 

 その一座が目的地にしているというアグストリアは、シグルドの妻であったディアドラ失踪の場所である。全ての悲劇の始まりの地であり、シグルドとディアドラの愛の物語が終わった場所でもある。

 

 レヴィンは、ここからシグルドの通った道を逆に辿って、最終的に精霊の森へと行き着くつもりのようだった。

 その行程には、ディアドラとしても異存はなかった。順序は逆になってしまうが、記憶を取り戻すため、自分が過去に通った地は、できるかぎりこの目で見ておきたいと考えていた。

 

 旅立つ直前、レヴィンの知り合いだという踊り子が、ディアドラに若く見える化粧のやり方を教えてくれた。

 彼女も同行してくれるのかと思っていたが、違うのだという。化粧道具は渡すから、いま使い方を覚えてくれと、彼女は言った。

 

「ついて行ってあげたい気持ちもあるけれど……。お勤めが終わったから、私も自分の子供たちに会いに行きたいの。ずっと預けていて……長いこと離れていたから、もう私のことなんか忘れているのかもしれないけれど……。それでも……できる限り早く、会いたいの」

 

 寂しそうに言った彼女を、ディアドラとしても無理に引き留めるわけにはいかなかった。

 

「無事、お子様に会えることをお祈りしています」

 そう言ったディアドラに、踊り子はにっこりと笑ってこう返してきた。

「ええ、ありがとう。ディアドラ様も、早く記憶が戻るといいですね」

 

 どうして彼女は、自分に記憶がないことを知っているのだろう──ディアドラは、ふと疑問に思った。

 

(レヴィン様が、お話されたのかしら……)

 

 いささか釈然としないものを感じながらも、ディアドラは言われるがままに踊り子から渡された服に着替えはじめた。

 




つまりこの踊り子は、”あの人”ですね。
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