銀色の償い   作:垂江 シン

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ここから、しばらくユリア視点の話となります。


第六章 記憶の地②

 ディアドラに化粧を教えた踊り子の女性は、その前にユリアの着替えも手伝ってくれていた。

 ただ、ユリアの場合は髪をまとめて帽子の中に隠し、男物の服に着替えるだけのことだったから、それほどの手間はかからなかった。

 

 死んだ双子の兄・ユリウスの格好を見ていても感じたのだが、男の子の服というのは、何と動きやすくできているのだろうと、ユリアは思った。

 シグムンドと二人で旅をしているときに彼女が着せられていた服は、男女あまり関係ないものであった。これも、すごく動きやすかった。

 だから、“女の子の服”というよりも、宮中で着ていた皇女の服が動きにくいということなのかもしれない。

 

 そんなことを考えながら、ユリアは母を置いて一足先にシグムンドたちの所に戻った。

 

「おっ、着替えて来たか」

 ユリアの姿を一通り眺めて、レヴィンが言った。

「ふむ……。まあ、こんなところか。もう少し男っぽくしたいところだが、元の顔が可愛いから、しょうがないな。まあ、なんとか美少年で通るだろう」

 

 そのレヴィンの言葉に、

(褒め上手だなあ、この人は……)

 と思いながらも、ユリアは頬を染めてうつむいてしまった。

 母に対する態度こそよそよそしいが、ユリアや他の女性に対するレヴィンの言動は、本当に優しくて紳士的だ。

 

 もっともシグムンドに言わせると、「単に口が上手いだけ」ということになるようで、

 ──将来、ああいう男に騙されてはいけませんよ。

 と、彼はユリアに忠告してくれた。

 

 そのシグムンドは、太腿の一部が露出した彼女の格好を見ると、何も言わずに丈の長いズボンを渡してきただけだった。

 

 物陰で渡されたズボンに着替え終わったところで、母が戻ってきた。

 

「レヴィン様……これは、少し若作りしすぎではないでしょうか……」

 

 ディアドラは、開口一番に恥ずかしそうにして言ったが、正直ユリアは、母の姿に見とれてしまった。

 綺麗だなあ──と、心の底から思った。

 

 もともと年齢よりも若く見られがちなディアドラだが、踊り子に教えられた化粧をし、渡された衣装に着替えたいまは、十歳以上も若く見えた。

 これならば男装したユリアとの関係も、姉弟という設定で違和感なく通るように思う。少なくとも、親子には見えないであろう。

 

「良くお似合いですよ」

 レヴィンが、わざとらしい笑みをつくってディアドラに言った。

 

「お綺麗です、お母様」

 ユリアは本心から目を輝かせて言う。

 

 だが、シグムンドだけは何も言わなかった。

 

 どうして黙っているんだろう──と、シグムンドの方を見たユリアは、ぼーっとディアドラを見ている彼の脇腹を、レヴィンが肘でつつくところを目撃してしまった。

 母は、そのシグムンドの様子には気づいていないようだ。

 ようやく、レヴィンに促されたシグムンドが口を開いた。

 

「……これは駄目だ、レヴィン。美しすぎる……。かえって人目を引いてしまう……」

 

 そのシグムンドの言葉に、ディアドラの頬がますます赤く染まった。

 

 ユリアは、母の憂いと悲しみ以外の表情を久しぶりに見た気がした。

 そして、シグムンドに褒められた母を、少しだけ羨ましいと思った。

 

 レヴィンが、ユリアたちに目元を広く覆う仮面を渡してくれた。彼女たちの顔を知る者に、うっかり出くわしそうになったときの用心である。仮面舞踏会で使われるような、いかにも大仰な仮面だった。

 

 ディアドラ同様、目立つ外見のシグムンドには顔全体を覆う仮面が渡された。これで顔の包帯を隠すのである。大きな大きな鳥の嘴が突き出たような仮面だ。レヴィンによれば、一部の地方では民間医療を行う祈祷師が、このような仮面を着けるのだという。

 妖しげな祈祷師か、はたまた単なる仮装か──

 これで町中を歩くのはいかにも不自然だろうが、大道芸人ということであれば、むしろそれらしく感じられるかもしれない。そう考えると、ユリアはなんだか楽しくなってきていた。

 

 

 旅芸人の一員としてしばらく馬車で旅をした後、ユリアたちは船に乗った。この船の行き先が、アグストリアなのだという。

 

 シグムンドが地図を見せてきながら、ユリアに地理を教えてくれた。

 エーディンのいた場所がどこなのかは教えられないが、いまユリアたちがいる場所は、シレジアという地方の西の端なのだという。シレジアは半島で、西側から南側にかけてが、深くえぐれた大きな湾になっている。

 目的地であるアグストリアは大陸の北西部に位置し、シレジアとはこの湾で隔てられているということだった。

 

 ちなみに、この湾を南に進めばユリアの住む帝都バーハラに行き着く。バーハラの北にある海の対岸が、シレジア半島なのだ。

 だから、大陸のほぼ中央に位置するバーハラを避けてアグストリアまで行こうと思えば、シレジアから船で西に行くのが最も早いのだと、シグムンドは言った。

 

 今いる一座とはアグストリアまで一緒に行き、ヴェルダン国境付近で別れる。そこからは、先行しているレヴィンが、また別の隠れ蓑を用意しているはずだという。

 

 それを聞いたユリアは、まだ先のこととは言え、少し寂しい気持ちになってしまった。

 この一座には、本当に良くしてもらった。

 一座にいる子供はユリアだけだからなのか、みんな彼女を自分の子供のように可愛がってくれている。歌や踊りを教えてくれたり、手品や大道芸を見せてくれたりもした。

 

 なにより、母とシグムンドとの三人の旅が、ユリアは楽しかった。

 レヴィンが準備のために先行した後、彼女たちは”兄妹”として一つのテントを割り当てられていた。

 シグムンドはひどく恐縮しているようだったが、三人で生活するうちに、母の表情が段々と穏やかになっていくことにユリアは気づいた。

 アルヴィスお父様には悪いけれど、”親子”という設定でも良かったのではないかと思ってしまった。

 

 もっとも、ユリアはともかく──母とシグムンドにとっては、この生活はそれなりに気を遣うものであったようだ。

 

 あるとき、外で遊んでいたユリアは、母の「きゃっ!」という言葉を聞いてテントの方に目を向けた。

 すると、「ごめんなさい!」という言葉と共に、顔を真っ赤にした母が飛び出してきた。荷物を取りにテントに戻ったところで、シグムンドの着替えにでくわしてしまったのだという。

 

 なんだ、そんなことかと、ユリアは思った。

 

 二人で旅をしていたとき、ユリアはシグムンドの着替えなど何度も目にしている。顔や手足にはひどい火傷をおって包帯で隠している彼だが、体には火傷の跡がない。その鍛え上げられた逞しい肉体を目にしたときの反応は、しかしどうやら子供であるユリアと、母とでは異なるようだった。

 そういえばテントの中には、仕切りのように真ん中に衝立が置かれていた。ユリアとディアドラは、いつもその向こうで着替えや就寝を行うようにシグムンドは常々言っていた。あれは、こういう意味だったのかと、このときユリアはしみじみと理解した。

 

 その仕切りのこちら側で、ディアドラは毎朝あの踊り子に教えてもらった化粧を施している。万が一、仮面の下の顔を見られたときの用心である。

 

 宮殿にいた時とは違う若返った母の姿を見ていると、ユリアはどうしてもエーディンがしてくれた話を思い出してしまう。

 シグルドという人の生涯を語ったその話の、はじめの方は怖かった。多くの人が、残酷にも殺されていくことが、たまらなく哀しかったし、それを行ったのが自分の父だという事実が辛かった。

 

 だが、話が変わってシグルドとその妻である“ディアーラ”の出会いのあたりになると、ユリアの気分は一変した。

 

 それは、とても甘くて、胸がときめく物語だった。

 “ディアーラ”という女主人公に、ユリアは完全に感情移入していた。素晴らしい男性との恋の物語に酔っていた。

 なのに、話の結末はまたも辛く、悲しいものだった。

 

『そして二人は、いつまでも幸せに暮らしました』

 と、そういうラストにして欲しいと、心の底から感じた。

 

 ユリアは、悲劇的な結末の話は嫌いだ。

 特に、散々に話を盛り上げて主人公に感情移入させ、幸福なラストを期待させておきながら、不意打ちのように突然の悲劇で幕を下ろす──主人公と一体化した聞き手の感情をも絶望に突き落とすような、そういう話には、作り手の悪意すら感じる。

 聞き手の心を抉り、一生消えない傷をつけて、精神的に打ちのめすのが、そんなに楽しいのかと思う。

 

 世の無情を伝えるため、戦争の悲惨さを伝えるため──そんなものは、ただの言い訳にしか聞こえない。

 

 聞き手を楽しませるための話で、不意打ちのようにそのようなものを持ち出すのは反則である。

 そういった話をしたいのなら、はじめにそのように断りを入れておくべきなのだ。あの時、エーディンがそうしてくれたように。

 いかにも愛や恋、家族の絆をテーマにした物語のように喧伝しておきながら、どんでん返しでそれらを踏みにじっておいて、「悲しみを世に伝えるためです」などと澄まし顔で言われても、なんの説得力もない。

 

 ユリアは、“ディアーラ”もシグルドの軍にいた他の女性たちも、みんなに幸せになって欲しかった。

 

 多くの恋の物語を紡いでおいて、それなのに最後の最後で、その全てを踏みにじって──

 そんな話を作ったり聞いたりして、なにが楽しいのかと思う。

 

 だが、ユリアは気づいている。

 

 エーディンがしてくれたあの話は、作り話ではないのだ。

 ユリアが生まれるちょっと前に、実際に起きた話なのである。

 あの物語に出てくる女主人公“ディアーラ”こそ、過去の母だ。ディアドラなのだと、いまやユリアは確信している。

 

 そのことが、ユリアにはたまらなく哀しかった。

 

 これが神の定めた“運命”というものならば、その神とやらは何と残酷なのだろうと思う。シグルドとその仲間たちのことを愛していたとは、到底思えない。むしろ彼らを憎んでいたのではないか、とさえ思てくる。

 特にシグルドは──彼のことを心底憎悪していなければ、あそこまでむごい運命は、普通は与えられぬであろう。家族と仲間ともども命を奪われたばかりか、殺される直前に、最愛の妻が、他の者に愛を移したところを見せつけられてしまったのだから──

 

 彼にその運命を背負わせた者は──運命の神とやらは、きっと人の悲しみなど、かけらも分からない者なのだろうとユリアは思う。「人の悲しみを知ってください!」と、そう言ってやりたくなってくる。

 

 そして、そのシグルドの妻こそが、目の前にいるユリアの母なのである。

 生まれ育った場所での生活の全てを捨て去るほど愛した人と引き離されて、その思い出も、彼を愛していた記憶すらも奪われた悲劇の女性だ。

 

 物語の主人公のように若く、綺麗な格好をした母を見ていると、ユリアはそのことを一層に痛感してしまって哀しくなってくる。

 

 母には昔の記憶がないから、エーディンの話に出てくる”ディアーラ”は、母にとっても、自分と似た名前をした別の女性のように感じたことだろう。

 だが、母はその記憶を取り戻そうとしている。あのお話の中の”ディアーラ”に戻ろうとしている。

 

 そのことが、ユリアの心に不安を呼び起こしていた。

 母が変わってしまうことに対して──ではない。

 

 シグルドのことを愛していたディアドラに戻ることで、母がより苦しむことになるのではないかと、心配していた。

 

 ユリアは、”ディアーラ”とシグルド様には幸せになって欲しいと思っている。

 でも、肝心のシグルド様は、もうこの世にはいない。

 記憶をなくしたディアドラは、バーハラの戦いで死んだ彼こそが、自身の最愛の人だとは知らなかった。

 だから、その死を悲しまずにすんだ。

 

 でも、もしも知ってしまったらどうなるのか。

 

 最愛の人のことを長い間忘れて、その死を悲しむことすらしなかった自分のことを、果たして“ディアーラ”はどう思うのだろう?

 彼女の性格からすれば、そのこと自体に、より大きな罪の意識を感じてしまうのではないだろうか。

 

 そして母は──“ディアーラ”は知ってしまったのだ。

 記憶は戻っていないが、かつて誰よりも愛した男の存在を知ってしまった。

 同時に、その人の死も──

 

 だからこそ、母は苦しんでいる。

 非業の死を遂げたシグルドを尻目に、自分ひとりが何も知らずに幸せになってしまったことを。

 シグルドを裏切って、他の男性を愛してしまった自分を責めている。罪の意識に苛まれている。

 

 いまですらあれほど苦しんでいる母が、もしも記憶を取り戻してしまったらどうなるのか。

 これまで以上に、その悲しみと罪悪感が膨れ上がってしまうのではないだろうか。

 母は、いまよりももっと苦しむことになってしまうのではないか。

 

 それぐらいならば──シグルドのことなどいっそ忘れたままで、今の夫と娘との、幸福な生活を満喫した方が良いのではないか。

 そうすれば、これ以上苦しむ必要はないのだから──

 

 しかしそれでも、母は記憶を取り戻すことを選んだのである。

 

 シグルドのことを忘れたままでは、彼に対して何の償いもできないと、気づいたからだ。

 どんなに辛く、苦しくとも、母はシグルドに対して犯した罪を償い続ける道を選んだのだ。

 

 ユリアの大好きな母は、そういう人なのである。だからこそ、ユリアはこの母を敬愛するのだ。

 

 彼女たちがいましている旅は、いわば”ディアーラ”が、自身の罪の償いの方法を探すための旅である。

 いまやユリアは、そのことをはっきりと理解している。

 

 母の苦しむ姿は、これ以上見たくはない。

 

 でも”ディアーラ”には幸せになってほしい。

 

 そのために、自分ができることはなんだろうと、ここ最近のユリアは、真剣に考えるようになっていた。




本エピソードの中に、これまでの記述と矛盾する内容が含まれていますが、ミスではありません。意図的です。気づかれた方は、今後の伏線と思って頂ければ。
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