銀色の償い   作:垂江 シン

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このパートだけ、一時的にユリウス視点となります。
そうした理由は、後書きにて。


第一章 皇妃の苦悩③

 何もなくなった空間を虚しく通り過ぎた暗黒の竜が、壁の一部を破壊する。

 

「貴様っ!」

 

 歯ぎしりをし、ユリウスは憎々しげにディアドラを見た。

 同時に彼の中の冷静な部分が、

 

 ──この女に対する評価を改めなければならない。

 とも考える。

 

 軽率で身勝手な行動が原因でマンフロイに攫われ、記憶を奪われてアルヴィスと引き合わされ──そしてマンフロイの思惑通りに、アルヴィスの求婚を受け入れてしまった女。

 

 状況に流されやすい、頭も心も弱い女だと思っていた。

 

 そうでなければ、例え記憶を奪われていたとしても──最愛の者と、いま傍にいる男との違いに何かしらの違和感を抱いて、あるいは自身が既に子供を産んだ身体であることに気づいて、アルヴィスの求婚を拒んでいたはずだからだ。

 

 だが、その弱いはずの女が、これで立て続けに二度、暗黒神の化身となった彼の目論見を妨害した。

 

(儚げな見た目に似合わず、存外、芯が強いのか?)

 

 それとも、これが母の強さというものなのか。

 いずれにしろ、少し用心してかからねばならない。

 黒いロプトウスの聖書を握りしめ、ユリウスはゆっくりと歩み始めた。警戒を強めた彼に、床に這いつくばったままのディアドラが顔を上げ、言った。

 

「ユリウスを……ユリウスを返して……」

 

 いかにも弱々しい言葉だった。もしかしたら先ほどの”転移(ワープ)の杖”の発動が、彼女にとっての最後の抵抗だったのかもしれない。

 それでも油断はせぬように自身を戒めながら、ユリウスは足を止めてディアドラに返した。

 

「だから僕がユリウスです、と先ほどから申し上げているでしょう、母上」

 

 物わかりの悪い幼子に諭すように、ゆっくりと言ってやる。

 

「嘘……嘘です。あの優しいユリウスが、こんなこと……。お願い、私のユリウスを返して……」

 

 涙ぐむディアドラを見やるユリウスの頭に、突然にある閃きが宿った。

 その考えをまとめつつ、彼は口を開く。

 話し始めは、あえてロプトウスの口調で問いかけた。

 

「……そんなに子供が大事か、ディアドラよ?」

 そこで一拍おいた後、口調をユリウスのものに変えた。

「僕の兄は、あんなにもあっさりと捨てたというのに……」

 

 悲しそうに彼を見上げるディアドラの目に、困惑の色が宿った。悲痛と疑問の入り交じった声で、聞き返してくる。

 

「兄……? 兄、ですって?」

 

 ユリウスとユリアは双子の兄妹だ。彼ら二人の他に、ディアドラとアルヴィスの間に子供はいない。

 ならば、“兄”とは一体誰のことなのか──?

 

 その母の疑問に、ユリウスはすぐに答えてやった。

 

「僕の前に、貴女が産んだ子供ですよ、母上。……確か、セリスとか言ったかな?」

 

 それを聞いたディアドラの目が、見開かれた。

 

「そんな……やっぱり、私には……子供が……」

「とぼけるのはおやめなさい」

 

 一転、断罪するような口調でユリウスは言った。

 

「記憶はなくとも、貴女は気づいていたはずだ。貴女が記憶をなくしたとき、まだ貴女は赤子を育てる身体だったはずなのだから。そのことに気づいていながら貴女は、自身が産んだ子供と夫を捨てて、父上と愛し合った」

 肩をすくめ、呆れたような冷笑を浮かべてユリウスは続ける。

「よもやあんなにもあっさりと、父になびいてしまうとは……。まったく母上、貴女はなんと身持ちの悪い女なのですか? 貞淑なんてかけらもない。“永遠の愛”が聞いて呆れる。おとなしそうな顔をしておきながら、こんなにも簡単に不貞を働くとは……。まったく、我が母ながらほとほと呆れ果てます。なんとふしだらな尻軽女なのか。捨てられた我が兄も、さぞや貴女のことを憎んでいることでしょうね」

「やめて……言わないで……」

 

 涙を流しながら、ディアドラが喘ぐように言った。

 実の母を苦しめる嗜虐心に満足感を覚えながら、一方でユリウスは冷静に彼女を観察してもいる。

 ディアドラが最も反応したのは、「尻軽女」などという自身への中傷の部分ではなかった。「子供と夫を捨てて」という部分だ。

 そこに、彼女は罪悪感を感じている。苦しんでいる。

 

 ユリウスは、先ほどから考え続けていた。自身の嗜虐願望を満足させ、かつ楽にディアドラを殺せる方法を。

 彼女は、神竜王ナーガの力が与えられた聖者ヘイムの血を引いている。そのナーガは、彼が融合したロプトウスにとっては天敵とも言える存在だ。

 窮鼠猫を噛むの言葉があるように、土壇場でその力を使われてはロプトウスとて無傷では済まないだろう。

 ならば、その前にディアドラの心をへし折ってやれば良い。彼に抵抗する気力を、奪ってやれば良い。

 

 そう考えてユリウスは、ディアドラの罪責感を煽り立てることに決めた。

 床に倒れ伏す彼女を見下ろし、ロプトウスとしての口調に変えて話し続ける。

 

「ディアドラよ、お前は本当に覚えてはおらぬのか? お前が産んだセリスとかいう子供のことを。その父である男の名を」

 そこでユリウスは──いやロプトウスは、ニタリと邪悪な笑みを浮かべた。

「……ならば、我が教えてやろう。我はマンフロイから聞いておる。お前の出自も、お前がアルヴィスの居城で発見されるまで、どこで何をしていたのかも」

 

 その言葉を聞いたディアドラの瞳が揺れた。

 知らなければという気持ちと、聞きたくないという気持ちがせめぎ合っている。

 だが彼女の逡巡などお構いなしに、ロプトウスは言った。

 

「お前はアルヴィスと出会う前にある男と結婚し、子供も作っている。その子の名は、セリス。その父である、すなわちお前の夫の名は……シグルド」

 

 その名を聞いた瞬間にディアドラの目が見開かれ、そしてすぐにまた伏せられた。

 薄々気づいてはいたことを、はっきりと断定されたことで悲痛と罪責感とがどんどん大きくなっている。

 どこまでも暗く深く沈んでいく母の表情を楽しそうに見つめながら、ユリウスはロプトウスの口調のままで独りごちるように──しかしあえてディアドラに聞かせるように言った。

 

「まったくシグルドというのも哀れな男だ。国のため、友のために戦ったのに反逆者の汚名を着せられて、無実の罪で殺される。自分を殺した相手に最愛の妻を奪われ、しかも殺される直前にその妻の裏切りを殊更に見せつけられる。何も知らずに死んだ方が、まだしも楽であっただろうに……。人々のためにと、命を張って戦った結果がこれよ。いやはや、なんと報われぬ運命か。シグルドの魂は、いまごろとても安寧には眠れておらぬことだろうな」

 

「し、シグルド様は……、無実だったのですか……」

「なんだ、アルヴィスから聞いておらぬのか? そう……奴は無実よ。クルトの死になど関わっておらぬし、反逆なども企ててはおらぬ。むしろ、シグルドはクルトを殺した謀反人を討った功労者──讃えられるべき者のはずだが……それが凱旋と思って帰ってみれば、騙し討ちで汚名をかぶせられたまま殺された……。いやはやまったく、哀れなものだ」

 

 ロプトウスにしてみれば、クルトは憎きナーガの力を受け継ぐ者だ。

 その仇を討った者を讃えるつもりなど毛頭ないし、哀れだとも思わない。それでもこの言葉を使ったのは、ディアドラの心をより深くえぐるためだった。

 

 案の定、目論見通りにディアドラの表情が衝撃に包まれ、そして再び深く沈み込む。

 シグルドの罪が冤罪であったことを知らされたディアドラが、目まぐるしく変化する感情に翻弄されているのは明らかだ。

 

 初めて知った事実への驚愕。

 

 シグルドが──元夫がけして悪人などではなく、むしろ清廉な人物であったことに対する喜び──。

 

 だが、その喜びはすぐに深い悲しみへと繋がる。

 

 シグルドは、もうこの世にはいないのだ。

 そして彼に汚名を着せて殺したのは、ディアドラの今の夫であり──彼女がいま現在、愛している男なのである。

 

 ディアドアラが、ユリウスの放った言葉の意味を呑み込むまであえて時間をかけて待った後、彼は続けた。

 

「まったくアルヴィスも冷酷な男だ……。あの男は、シグルドを利用して大陸の西半分を制圧させたばかりか、用済みとなったシグルドに反逆者の汚名を着せて殺した。奴の手柄だけを横取りし、自身の罪を全てなすりつけた上で、だ。知っておるか、ディアドラ? クルト暗殺、そしてその罪をシグルドとその父に被せる謀略。これらの計画を立てたのは、アルヴィスなのだよ」

「そんな……」

 

 ディアドラの顔が、どんどんと青ざめていった。

 彼女にとって、「アルヴィスも真実を知らなかったのだ」と信じることこそ、最後の希望であったのだろう。

 アルヴィスはあくまでシグルドが凶悪な罪人だと信じていたからこそ、正当とは言えない手段を使ってまで処刑したのだ──と。

 そうでなければ、アルヴィスのしたことは、あまりにも──。

 

 そのディアドラの最後の希望も、ユリウスはあっさりと打ち砕いてやったのだ。

 絶望に染まる彼女の様子に愉悦を感じながら、ユリウスは続けた。

 

「分かるか、ディアドラ? お前は、父も夫もアルヴィスに殺されたのだ。あの男はその上でお前を娶り、己が殺した男の娘を、自身の罪を被せて処刑した男の妻を、素知らぬ顔でこれは自分の妻だと、『最愛の妻だ』などと涼しい顔で言ってのけている。まったく、何とも悪辣で残虐な男よのう」

「やめて……。夫の……アルヴィス様のことを悪く言わないで……」

「悪く言ってなどはおらぬ。我は、真実を語っておるだけだ。なのになぜ、そうもアルヴィスをかばおうとするのだ、ディアドラ? 奴の行った非道な行いは、糾弾されてしかるべきだ。だが……」

 

 そこでユリウスは顎に手を当て、少し考え込むように言葉を切った。

 

「だが……確かにそうだな……お前たちの今の生活は、シグルドをはじめ、あのバーハラの野でアルヴィスが殺した者達の血と灰の上に成り立っている。奴らを無惨に斬り殺し、焼き殺したからこそ、今のこの満ち足りた生活がある。その生活を存分に満喫しているお前が、アルヴィスの所業を悪く言えぬのも道理か……。奴がシグルドを殺してくれて良かったと、『幸せでした、ありがとう』と、そういうことか?」

「そんな……。私は……私たちは……そんなつもりで……」

 

 ディアドラの目から涙が溢れる。悲しみの涙と、心の苦しみの涙と。

 もうこれ以上は聞きたくない、とても耐えられないとばかりに耳を塞ぐ彼女に、その手のひらごしにも聞こえるよう、声を大きくしてユリウスは言った。

 

「真実から目を背けるか、ディアドラ! 確かにそうすれば、今までのように楽しく暮らせる。愛する者との、幸福な暮らしを満喫できる。だが、それではお前は、さらなる罪を重ねることになるぞ!」

「つ……み……」

 

 その言葉に、ディアドラの両手が力をなくしたように耳から離れた。

 それを確認してユリウスは、一転して静かな声音で彼女に語りかける。

 

「そう……。罪ですよ、母上……。少なくともシグルドに対してしたことは……貴女は、父上と同罪のはずです……」

 

 あえてユリウスの口調に変えて、彼女の息子として、ディアドラを断罪していく。

 

「貴女とシグルドは、お互いに愛しあって結婚した。“永遠の愛”を誓いあった……。なのに貴女はその誓いを破り、夫がいる身でありながら、別の男に愛を移した。何の非もない夫に対して、別の男と結婚したことを……いま愛しているのは元夫ではないのだとということを殊更に見せつけて……その上で、殺した。何も知らせずに殺してやった方が、まだしも慈悲であったというのに……。そして貴女一人が、新しい夫と裕福で満ち足りた生活を送っている。幸福を満喫している……不幸のどん底のなかで死んだシグルドを尻目に。彼の不幸や、“永遠の愛”を嘲笑うように」

 

 そこまで言って、ユリウスは蔑むような目で母を見た。

 

「母上……。貴女は何と身勝手で、あくどい女なのですか? これほどの悪女は、歴史上にもそうはいないことでしょう」

「やめて……。私は……私は……」

 

 ディアドラが、今度は自身の顔を両手で覆いながらその場に崩れ落ちた。




アンチ・ディアドラの方々が言いそうなこと。
ディアドラのファンとしては怒り心頭ですが、同時にシグルドのファンとしては心の片隅にちらと思っていること。
ロプトウスに代弁させました。
これで、少しは溜飲が下がるのでしょうか……。
アルディア派の方は、これを聞いて何を思うのでしょうか。それでも「アルヴィスの方が可哀想」ですか?
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