銀色の償い   作:垂江 シン

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第二章 皇帝の煩悶①

 グランベル帝国の首都・バーハラにある皇帝の宮殿は、悲しみと緊張に包まれ、重苦しい空気に覆われていた。

 

 皇帝アルヴィスの不在中、宮殿内で最も警備が厳しく、侵入が困難な場所で事件は起こった。

 アルヴィスの家族が暮らすプライベートスペースで、皇妃ディアドラと二人の子供たちが何者かに襲撃され、死者と行方不明者が出たのである。

 

 知らせを聞いたアルヴィスが現場となった家族の居室に駆けつけたとき、皇妃ディアドラの身体は既に寝室に運ばれ、ベッドに寝かされていた。

 目を閉じて横たわる最愛の妻の姿を見て、一瞬、自身の心臓も止まるかと思うほどの衝撃を受けたアルヴィスだったが、ディアドラの胸がかすかに上下しているのを見て、ようやく止まっていた息を吐き出した。

 

 ディアドラは、生きていた。

 

 死んだのは、息子のユリウスのほうである。

 彼の双子の妹であるユリアが、行方不明だ。発見されたとき、倒れ伏すディアドラの傍には有事の際にと備えてあった”転移(ワープ)の杖”が転がっており、彼女がその杖の力を使って娘を逃がしたのだろうと判断された。

 

 ディアドラの傷はすでに宮殿付きの術者によって治癒されていたが、その首には何者かの手で絞められた跡があったという。全身にはひどい打撲を負っており、骨折もしていただろうとのことである。

 彼女が着ていた守護の護符が織り込まれた法衣の背中の部分が大きく焼け焦げており、おそらくはそこに何かの魔術を受けて吹き飛ばされ、壁や床に激突したのだろうと考えられた。

 

 その考えを裏付けるかのように、居室の部屋の壁には大きな破壊の跡があった。

 何か純粋なエネルギーが、そこにぶつかったのである。

 破壊の程度から考えるに、法衣の守護の力がなければ、おそらくディアドラはその一撃で絶命していただろう。

 

 だが、その術が致命傷とならず、最終的に首まで絞められた彼女が、どうやって一命を取り留めたのかは分からなかった。意識を失った彼女を、賊が死んだと勘違いしたのかもしれないが、はっきりしたことは言えない。

 

 いずれにしろ、首を絞められながら”転移の杖”を使うのは難しいだろうから、彼女が娘を逃がしたのは、首を絞められる前のことだろうと、アルヴィスは思う。

 賊の魔術を受け、かなわぬと覚悟した彼女は、杖の力で娘だけでも逃がしたのだ。

 

 となると、ユリウスはその時点で既に殺されていたのだろうか。

 母と異なり、ユリウスは剣のようなもので一刀のもとに斬り殺されていた。

 その死に顔に驚愕や苦痛の色はなく、それはそれは穏やかなものだった。自分が殺されることすら気づかぬ間に、斬り倒されたのではなかろうか。ユリウスの傷口を見ても、犯人は相当に腕の立つ戦士であろうと考えられた。

 

(賊は、少なくとも二人か……?)

 アルヴィスは考える。

 凄腕の戦士と、強力な魔術を操る者と──。

 

 しかし、そう考えると奇妙な点がある。

 なぜ、ディアドラは首を絞められたのだろうか?

 凄腕の戦士がいるのであれば、ユリウスと同じように剣で斬り殺せばそれで済む。扼殺という手段を選んだがために、結局、賊は彼女を殺し損なっているのだ。

 

 そしてもう一つ、アルヴィスには気になる点があった。

 ユリウスの遺体の傍には、一冊の本が落ちていた。

 黒い表紙の大仰な本だが、奇妙なことにその中身は全て白紙だった。表紙は古ぼけているのに、中はおろしたての紙を使ったかのように不自然に白い。

 その本の表紙には何かで焼いたような焦げ跡があり、題名は読めなくなっていた。が、アルヴィスはその特徴的な装丁に確かに見覚えがあった。

 

 そこでふと、アルヴィスは気がついた。

 宮殿内にいるはずの人間が一人、彼がここに戻ってから、まだ一度も姿を見せていない。

 

 その者こそ、まさにこの本と似たような装丁の書物を持っていた男だった。

 名はマンフロイ。

 アルヴィスが庇護するロプト教団の大司教である。

 彼の持っていたロプト教の聖書が、この本とよく似ていた。

 

 殺されたユリウスの傍に落ちていた本の、その持ち主と思われる男の姿が見えない──

 

 アルヴィスは、部下に命じてマンフロイを捜させた。

 しばらくして戻ってきた部下の報告は、驚くべきものだった。

 マンフロイの死体が、発見されたのだという。

 

「マンフロイも死んだ? どこで、どのように?」

 驚きながら尋いたアルヴィスに、部下が答える。

「図書室に、ご遺体があったとのことです」

 

 その遺体に外傷は見当たらず、どのように死んだのかは不明ということだったが、ユリウスとは異なり、その顔はいかにも苦悶に歪んでいたという。

 

 マンフロイの死の報に、アルヴィスは驚愕と困惑とを感じていた。すぐにでもその遺骸を確認しに行きたかったが、愛する妻の側を離れるのも躊躇われる。

 結局マンフロイの遺骸の検分は部下に任せ、自身は妻が目を覚ますまで彼女の枕元に付き添った。

 

 やがて、ディアドラが目を覚ました。

 

 胸をなで下ろしながらも、アルヴィスは何があったのかを問う。

 しかしディアドラは、何も答えなかった。アルヴィスが何を訊いても、悲しそうに首を振るばかりで、何も答えようとはしない。

 

 記憶が混乱しているようにも見えない彼女が、どうして口を閉ざすのか──

 

 消耗している妻をあまり強く詰問するわけにもいかず、アルヴィスは仕方なく信頼できる数名の部下を連れてロプト教団に向かった。マンフロイのことを尋ねるためである。

 

 彼の死の知らせが届くまで、アルヴィスは、彼こそが妻を襲った犯人ではないかと考えていた。

 そう考えた理由は、ユリウスの傍に落ちていた本の他に、もう一つある。

 

 ディアドラの服だ。

 

 彼女が纏っていた法衣には、焼け焦げたような跡があった。だが、その下の服にはまったく焦げ目がなかったという。

 炎や雷撃のような術であれば、法衣だけではなく、その下の服にも何らかの損傷があるはずだ。

 それがなかったということは、ディアドラが受けた術は熱を有する力ではなかったということになる。

 そのことは、壁の破壊跡からも推測できた。こちらにも、熱を受けたような痕跡など、どこにもなかった。

 

 では、なぜ法衣は焼け焦げたのか?

 

 あの法衣には、神竜王ナーガの聖なる護符が織り込まれてあった。

 その護符が、ディアドラを襲った魔術を防ぐと同時に、力を失って焼け焦げたようになったのではなかろうか。

 なぜ力を失ったのかというと、それは相反する性質の力を受けたからである。互いに打ち消し合ったのだ。

 

 つまりディアドラを襲った魔術は、聖なる力とは相反する力──暗黒の力ではなかったか、と考えられるのだ。

 暗黒神・ロプトウスの力である。

 

 となると、アルヴィスの最愛の妻と子供を襲った下手人は、ロプトウスを奉じるロプト教団の中にいる可能性が高いということになる。

 加えて、アルヴィスの信頼篤いマンフロイであれば、警備の厳重な居住区にも入り込むことができる。

 事実、彼は居住区の中の図書室で死んでいた。妻子の襲撃と、無関係とは思えない。

 

 だが、なぜ図書室なのかが分からなかった。

 もしもマンフロイがディアドラ襲撃の犯人で、彼女の反撃によって死んだのだとしたら、その死体は彼女たちの傍で発見されていなければおかしい。

 何者かが死体を移動させたのだとしても、その理由が分からない。図書室に死体を放り出した理由も謎である。

 

 ──ロプト教団の者に事情を尋いてみる必要がある。

 

 少なくとも、マンフロイが居住区にやって来た理由ぐらいは、誰かが聞いているかもしれない。

 

 そう思いながらやって来たロプト教団の本部は、重苦しい雰囲気に包まれていた。

 マンフロイ死去の報がすでに届いているのだろう。絶対的な指導者を亡くした信者たちは、ある者は嘆き悲しみ、ある者は放心したように佇んでいた。

 

 だが彼らの心情など、いまのアルヴィスには知ったことではない。

 皇帝の権力を振りかざして信者たちを一箇所に集めさせ、マンフロイに次ぐ次席の司祭に事の次第を問いただす。

 

 司祭は首を振り、マンフロイが図書室に向かった理由は知らないと答えた。アルヴィスが何を聞いても、「知らない」「分からない」の一点張りだ。その他の者たちも同様である。

 

 業を煮やしたアルヴィスは、あの黒い本を取り出して司祭に見せた。

 皇帝から本を受け取った司祭はその中身を一瞥し、

「おっ……おお……」

 と、慟哭するような声を発した。白紙の本を手に小さく身体を震わせ、表情は悲嘆と絶望に包まれている。

 

 アルヴィスは素早く剣を抜き、司祭の首に当てた。

 

「この本が何か、知っているようだな」

 

 首筋に当たる刃の冷たい感触に恐怖の表情を浮かべつつ、震える声で司祭は答えた。

 

「マンフロイ様が……持っていた本だと思います……」

「そうか。この本は、一体何なのだ? なぜ、中身が白紙なのだ? 貴様はこの本の中身を見たことで動揺したな? その理由は何だ?」

 

 立て続けに聞くアルヴィス。

 身を固くしながらも、何も答えようとしない司祭の様子を見て取ると、その首元に当てた剣をわずかに引いた。ぷつりと司祭の首の肌が切れ、一筋の血が流れる。

 

「質問に答えろ。なんなら、拷問にかけてもいいのだぞ? どうせ奥には、そういう設備もあるのだろう?」

 

 かつてこの大陸を恐怖で支配したロプト教団は、子供を生け贄にしたり、反抗する者を拷問し、虐殺したりすることが日常茶飯事であったという。それらの残虐行為は、暗黒神ロプトウスの意思でもあり、教義だともいえる。

 アルヴィスが皇帝になってからは、そのような行為はきつく戒めていたが、しかし彼らが崇める神の意思である以上、隠れて行おうとしていただろうとは、容易に想像がついている。

 

「言っておくが、脅してではないぞ」

 

 蒼白な顔の司祭に、アルヴィスは冷たい目で言い放つ。

 最愛の妻を傷つけ、同じくらい大切な息子を殺した者を見つけ出すためであれば、何だろうとやるつもりだ。

 彼の本気が伝わったのだろう。やがて、ぽつりぽつりと司祭が話し始めた。

 

「この本は……我が教団の聖書です。そして、マンフロイ様が持つ聖書には……偉大なるロプトウス様の意思が封じられているということでした」

「ロプトウスの意思だと?」

「ロプトの血を色濃く受け継いだ男がその聖書に触れたとき、ロプトウス様はこの世に復活されるのだと……。この本に触れた者と同化するのだと、マンフロイ様は申しておりました……」

 

 荒唐無稽に聞こえる話だが、真実であろうとアルヴィスは判断した。というのも、彼の妻の家系にも同じような伝承があるからだ。

 

 神竜王ナーガの力を受け継いだ聖者ヘイム。その血をひく旧グランベル王家──ディアドラの血筋には、ナーガの残した一冊の書物が伝わっている。

 アルヴィスがディアドラと結婚したとき、彼女の亡き父に代わり、ディアドラの祖父がその書物を彼女に手渡していた。ナーガの血を引く者がその聖書を開いたとき、偉大なる神竜王の力がその者に宿り、暗黒を打ち払うのだという。

 その書物は、いつかユリアかユリウスに継がせてやるべく、いまも秘密の場所に保管してある。

 

 同じようなことを、暗黒神ロプトウスも行っていたのだ。

 ただ、こちらの場合は力だけではなく、その意思と意識も神と共有してしまうらしい。本に触れた者は、ロプトウスの化身──いや、暗黒神そのものになってしまう。

 一方でそれは、ロプト教の信者から見れば、奉じる神の復活ということにもなる。

 

「だが、この本は白紙だぞ?」

 アルヴィスの言葉に、司祭の絶望の表情は色濃くなった。

「はい……。ロプトウス様の意思は……もう、この本にはありません。表題も、消えている……」

 それはつまり、ロプトウスがこの大陸から完全に消滅したことを意味する。

「マンフロイ様が亡くなられたのも……きっと……」

 

 司祭によればマンフロイは、彼やアルヴィスが生まれるはるか昔から、同じ姿のままで生き続けているということだった。にわかには信じがたい話だが、ロプトウスより授けられた暗黒魔術の力で生き長らえていたらしい。

 だがロプトウスが消滅したことで、そのマンフロイの命を保っていた力も消えた。

 だから、彼は死んだのだ。

 

「まだ試してはおりませんが、私も、もう暗黒魔術は使えなくなっていることでしょう……」

 苦渋に満ちた表情で、司祭は言った。

「ロプトウス様が消えたいま……その御力はもう……この世にないのですから……」

 

「そうか……わかった」

 言いながら、アルヴィスは剣をひいて鞘にしまった。

 ロプトウスの消滅を哀しみながらも、目先の危険が去ったと感じた司祭が少し安堵したような表情になる。

 

 だが次の瞬間、司祭の全身が紅蓮の炎に包まれた。

 何が起きているのか分からないという顔をしながら、司祭の身体はすぐに炭化し、そして灰になっていく。

 

 アルヴィスが──ナーガの書やロプトウスの書と同様、彼の先祖より引き継いだ魔道書・ファラフレイムの業火であった。ディアドラの先夫であるシグルドを焼き殺した炎だ。

 

 司祭の身体が灰になるのを見届ける間もなく、アルヴィスは集まったロプトの信者たちに、次々とファラフレイムを放っていく。

 彼の意図を汲んだ部下たちも素早く動き、手近の信者たちを次々と斬り殺していく。

 わずかな間に、ロプト教団の本部は虐殺の場へと変わっていた。

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