銀色の償い   作:垂江 シン

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第二章 皇帝の煩悶②

 集まった信者全員の死を見届けた後、アルヴィスは部下たちに言った。

「ディアドラを襲い、ユリウスを殺したのはロプト教団の手の者だ。その首謀者たちは、いま処罰した。だが、今ここにはいない生き残りがいるかもしれん。探し出して、すべて殺せ」

 うなずく部下たちに、付け加える。

隕石落下(メティオ)の術が使える魔術師を集めて、ロプトの教会、集落の全てを徹底的に殲滅させろ」

 バーハラの野で、シグルド軍を壊滅させたのと同じ戦術だ。

「申し開きを聞く必要などない。一人残らず処刑するのだ」

 

 表情を厳しくした部下たちが、次々と教会を走り出ていった。

 

『差別のない、誰もが住みやすい世界』を作る。それが、本来のアルヴィスの目標だった。

 そうでなくてもロプトの血を引く者は、邪教の徒として「見つけたら即、火あぶりにすべき」とされていて、教団とはまったく関係のない、多くの罪もない者達が、迫害の末に命を落としている。

 

 彼らをこれ以上虐げることだけは避けたいと、これまでアルヴィスがロプトの一族を保護してきたのは、実は彼自身がロプトの血を引いているからという理由もあった。

 平民の出であった彼の母・シギュンが、ロプトの血を引いていたのだ。

 

 大貴族の嫡子であったアルヴィスだが、それでも母から受け継いだロプトの血のことが周囲に知られれば、失脚どころか、私刑にあって殺されることだってありえた。母の出自は、絶対に誰にも知られてはならぬ秘密なのである。

 

 その彼の秘密を知り、脅迫まがいに近づいてきたのが、マンフロイだ。ロプト教団の大司教である彼は、シギュンのことを以前から知っていた。

 彼の秘密を誰にも話さぬ代わりに、アルヴィスが皇帝になった暁には、ロプト教団の存在を公に認めて欲しいと、マンフロイ持ちかけてきた。自分たちと手を結べば、必ずアルヴィスを皇帝の座にのし上げてやる、とも。

 

 ロプトの血を引く者達に同胞意識などまったく感じないアルヴィスだったが、先祖がロプトの血を引いているというだけの理由で、なぜ差別や迫害におびえなければならないのか──とは、常々思っていた。

 だから、彼はマンフロイと手を結んだのだ。

 皇帝になって、この世界を変えてやろうと思った。

 

 そのマンフロイは死んだが、しかしロプトの一族の中には、他にもアルヴィスの秘密を知っている者がいるかもしれぬ。無用な差別や迫害は本意でないが、アルヴィス自身の秘密を守るためには、皆殺しもやむを得まい。

 

 ましてユリウスの死の原因がロプト教団にあると知れば、慈悲をかける思いも失った。

 

 司祭の話を聞いたアルヴィスは、彼の妻子の身に何が起きたのか、だいたい理解していた。

 

「これが……私の犯した過ちの結果か……」

 部下たちが走り去り、一人になった教団本部で小さく呟く。

 

 アルヴィスは、今まで多くの者を殺してきたことに対しては後悔の念をかけらも感じてはいない。崇高な目標を達成するために必要な犠牲であったと──『差別のない、誰もが住みやすい世界』を作るためには仕方がなかったのだと考えている。

 申し訳ないと思うことはときにはあるが、「彼らの死を無駄にせぬためにも、目標に向けて頑張らねば」と、自身を鼓舞する力にもなっている。

 

 ただ、そのアルヴィスが二人だけ、多少はその死に罪の意識を感じることのある者たちがいた。

 

 一人は、弟のアゼルである。

 弟と言っても異母弟だ。アルヴィスの母・シギュンが、七歳の息子を捨てて家を出たあと、彼の母代わりとなって愛情を注いでくれたのが、アゼルの母だった。

 アルヴィスの父は女性関係にだらしがなく、妻以外にも多くの愛人を作って子をなしたが、アルヴィスが自身の兄弟だと思っているのはこのアゼルだけである。

 

 そのアゼルが、アルヴィスと袂を分かってまで仕えた男がシグルドだった。国の頂点に上りつめることを目指すアルヴィスにとって、政敵とも言える存在の男である。

 あのアゼルが慕うぐらいなのだから、シグルドという男の人柄は、確かに素晴らしいものであったのだろうと、アルヴィスは思う。

 だが、残念ながら人柄だけでは政治はできない。

 人柄の良さは、脇の甘さに繋がる。

 アルヴィスから見ればシグルドは、彼の目指す国の中枢に置くには、あまりにも人が良すぎた。愚直すぎた。

 生かしておいたとして──彼の掲げる目標には賛同してくれただろうが、その実現のための手段には、きっと反発したことだろう。

 

 アルヴィスはそのとき、王のただ一人の嫡子だったクルトの暗殺を計画していた。

 

 シグルドの父はクルトに重用されていたし、実際に王子の暗殺の際に共に命を落としている。

 もしもシグルドがその事実を知れば、早晩アルヴィスに牙を剥くだろうことは容易に想像がついた。

 なまじ人徳と武勇があるだけに、反旗を翻されれば、シグルドは大変に厄介な存在となる。まだ味方だと思われているうちに、なんとか始末しておく必要があった。

 

 だからアルヴィスは、シグルドに反逆者の烙印を押して国軍を動員し、バーハラの郊外で騙し討ちにしたのだ。

 凱旋式だと偽って無防備な彼を誘い出し、大軍で取り囲んで不意打ちにした。

 

 その時、シグルドの軍にはアゼルも参加していた。

 アルヴィスは、政敵を排除するために大事な弟も死地に追いやってしまったのである。

 アゼルにもその母にも申し訳ないことをしたと思うし、弟の死には、アルヴィスは多少の罪責感を感じている。

 

 シグルドに関しても──殺害そのものには一切の後悔はしていないが、ただ殺す直前に彼にしてしまった仕打ちに対しては、良心の呵責を感じることがあった。

 やらねばよかった。可哀想なことをした──と、後悔することがある。

 

 シグルドは、アルヴィスの最愛の妻・ディアドラの夫であった。

 その時アルヴィスは、その事実を知らなかった。だから、自身の居城に保護していた彼女に求婚をした。

 だが記憶喪失のディアドラが、アルヴィスではない誰か別の男を想っていると感じることは、何度もあった。

 彼女と睦まじく恋人同士の時間を過ごしている時、しかし彼女の心にあるのは──その目に映っているのは、自分以外の誰かではないのかと、アルヴィスは常々感じていた。

 

 アルヴィスが囁いた愛の言葉を聞いて顔を上げたディアドラの視線。

 彼の顔よりも高い位置に向けられたあと、戸惑うようにまた彼の顔のところまで下ろされるようなことが、幾度もあった。ディアドラは、無意識のうちにアルヴィスよりも長身の誰かに話しかけられたときの反応を示していたのだ。

 

 彼女の失われた過去の時間の中で、きっとディアドラはその誰かから日常的に愛を囁かれていたのだろう。

 だから彼女の身体は、愛の言葉を聞くと自然とその者の顔を見るように動いてしまう。

 彼女のそんな仕草を目にするたびに、

 ──ディアドラには夫か、それに相当する人物がいるのかも知れない、自分はあくまでその男の代替に過ぎないのではないか。

 と、そういう考えがアルヴィスの頭をよぎった。

 

 だが、ディアドラとの結婚を諦めようとは思わなかった。

 それほどまでに、彼女に対する思慕は抑えきれないものになっていた。

 例え誰かの”最愛の者”を奪うことになるのだとしても、それでも、ディアドラと離れることなど、到底考えられなくなっていた。

 

 一方で、彼女がいつか母と同じようにアルヴィスを捨てて、その誰かの許に行ってしまうのではないか──と、そういう不安と恐怖にも常に苛まれていた。

 だからシグルドの妻が行方不明であるらしいという情報を得たとき、アルヴィスはもしかしたらと思ったのだ。

 

 ディアドラは、過去の記憶を失った状態でアルヴィスの所に連れてこられた。

 もしや、その行方不明のシグルドの妻こそが、彼女ではないのか──?

 

 シグルドの妻の名前について調べようとしたが、戦時中のことで確かな情報を得ることはできなかった。

 だから疑念を打ち消すために──不安を解消するために、アルヴィスはシグルドを殺す間際に、ディアドラを彼に会わせたのだ。

「自分の妻だ」と紹介して、ディアドラの姿をシグルドに見せた。「彼女はシグルドの妻ではない」という確証が欲しかったのである。

 

 だが、アルヴィスの疑念は、最悪にも的中してしまった。

 シグルドの反応から、ディアドラこそが彼の妻なのだと確信したアルヴィスは、慌てて彼女をシグルドから引き離した。

 

 たとえ記憶がないとはいえ、夫である人物が殺される光景を彼女には見せたくなかったから──

 

 というのは、言い訳にすぎない。

 シグルドと話すことで、ディアドラの記憶が戻ってしまうことが怖かった。

 彼女を、手放したくなかった。

 

 シグルドの殺害そのものには些かの後悔も罪悪感もないアルヴィスだが、死の直前、彼に無用な心の苦しみを与えてしまった点については、罪の意識を感じることがある。

 ディアドラを愛すれば愛するほど、最愛の妻を奪われる心の痛みが理解できてしまうのだ。

 

 もしも、自分が彼女を他の男に奪われたら。

 ディアドラが、別の男の妻になったところを殊更に見せつけられたら──

 

 きっと自分は、心が壊れてしまうほどに苦しむだろう。

 シグルドにはせめて、そのような苦しみを味あわせずに──妻が他の男のモノになってしまったことなどは知らせずに、もっと楽に死なせてやれば良かったと、そのことだけは、アルヴィスは今も後悔している。

 

 そして、こう考えることもある。

 もしもあのとき、シグルドを殺さず、彼にディアドラを返していたら──

 

 そうすれば、その後にアルヴィスが、人生最大の過ちを犯すこともなかったのだ。

 バーハラでの戦いの後、アルヴィスは手を尽くして記憶喪失の妻の過去を調べさせた。皮肉にも、シグルドの元妻であるということが、大きな手がかりとなった。

 シグルドの足跡を辿らせ、彼がどこで妻と出会い、結婚したのかを探らせた。

 

 そして、アルヴィスは知ってしまったのだ。

 ディアドラの母の名を。

 

 彼女の母は、名をシギュンといった。ヴェルダンにある精霊の森の出身ということだった。

 

 その名は、アルヴィスの母の名と同じだ。

 しかも、出身地まで同じである。幼い頃に語って聞かされた、母の生まれ育ったという場所が、“精霊の森”だった。

 アルヴィスの母が、出奔後に故郷で産んだ娘こそが、ディアドラだったのだ。

 彼女とアルヴィスは、兄妹だったのである。

 

 アルヴィスが初めてディアドラに会ったとき、彼は一目でディアドラに惹かれた。俗な言い方をすれば、一目惚れであった。彼はディアドラに、幼い頃に生き別れた母の面影を見て、だからこそ、母に似たこの女性を深く愛した。

 

 しかし今思えば、ディアドラが彼の母に似ているのは当然のことだった。ディアドラは、その母の娘──アルヴィスの実の妹であったのだから。

 

 その事実を知ったとき、アルヴィスは強い衝撃を受け、深く後悔をした。一方で、すとんと腑に落ちたこともあった。

 

 ディアドラとの結婚直後、彼女はアルヴィスとの夫婦の営みに拒否感を抱いている節があった。当初アルヴィスは、それは清純な心を持つ彼女の恥じらいと、いわゆるマリッジブルーの延長なのだろうと考えていた。

 

 だが違ったのだ。

 

 彼女の本能が、兄であるアルヴィスとの間に子を成すことに抵抗していた。

 

 アルヴィスが初めて妻と契りを結んだのは、実にあのバーハラの戦いの日の夜のことである。

 あの日、戦いの興奮が冷めやらぬアルヴィスは、狂おしい心の赴くままに妻の身体を求めた。いつもは頑なに拒絶をする彼女も、その日だけは、どういうわけか素直に彼の愛を受け入れてくれた。そして初めて、アルヴィスはディアドラと夫婦の契りを交わしたのである。

 

 だが、今やアルヴィスは知っている。

 あの時、彼女はアルヴィスを受け入れたわけではない。

 その日の昼に会ったシグルドに──彼女の本来の夫に、身体が反応していたのだ。記憶はなくとも、彼女の身体は、久しぶりに会った夫を受け入れるべく準備を進めていた。

 そこに割り入ったのが、アルヴィスだったわけである。

 

 とはいえ一度禁を破ったことで、ディアドラの中の何かが切れたのだろう。それ以降、彼女はアルヴィスをあまり拒まなくなった。

 ただ彼に抱かれてからの数日間は、ディアドラの表情はいつも冴えなかった。口には出さないが、何か言いようのない不安に苛まれているようだった。

 

 あれもきっと、本能からの警告だったのであろう──と、いまのアルヴィスならば分かる。

 

 そして彼女のその表情を見るのが辛くて、やがてアルヴィスは、妻の身体を求めることをやめてしまった。

 

 だが、その頃にはもう手遅れだったのだ。

 やがてディアドラの懐妊が、発覚した。

 アルヴィスが、人として決して許されない過ちを犯してしまったと気づいたのは──ディアドラが妹であると知ったのは、彼女が双子を出産した後のことである。

 

 それでも──ディアドラが妹であると知った今も、アルヴィスは彼女を妻として愛している。例え身体の関係はなくても、精神的には、ディアドラはアルヴィスの最愛の妻だ。

 

 だから彼は、この忌まわしい事実をディアドラには伝えていない。

 自分が犯した罪のせいで、彼女を苦しませたくはなかった。

 

 さらに言えば、ディアドラが産んだ双子の子供たちは、アルヴィスにとってかけがえのない宝である。自分たちの出生が、両親が犯した大罪の結果であると知られて、子供たちを苦しませることもしたくはなかった。

 この秘密は、アルヴィス一人の胸にしまって、墓場まで持っていくつもりだ。

 

 そう考えたアルヴィスは、ヴェルダンからこの事実を持ち帰った密偵たちを──ディアドラの出自を知る者たちを全員殺した。けして、秘密を口外させぬためである。




アルヴィス側にも事情があった。ただ、身勝手な事情ではありますが。
人の幸せを壊して奪うことで自分が幸せになっておいて、「自分の幸せは壊すな」とは……。
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