銀色の償い   作:垂江 シン

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本章で示される解決編は、あくまで「アルヴィスの推測」です。はたして真相は……。


第二章 皇帝の煩悶③

 ──もしもあの時、シグルドにディアドラを返していたら。

 

 アルヴィスは考える。

 そうしていれば確かに、彼らが許されざる罪を犯すことはなかった。

 だがその場合には、ユリウスとユリアはこの世に産まれてこない。

 

 知らぬこととはいえ、アルヴィスは大きな過ちを犯した。人として破ってはならない禁を踏み越えた。

 だがその結果として得たのが、二つのかけがえのない宝なのだ。

 

 運命とは、なんと残酷なのだろう。

 

 ただその運命は──あるいは天上か、どこか見えないところにおわす大いなる存在は、過ちの末に得た宝物を、アルヴィスが持ち続けることを許してはくれなかった。

 

 いま、彼のかけがえのない宝のうち、一つは永遠に失われ、もう一つも行方が分からなくなっている。

 しかも失われたほうの宝──ユリウスの死の原因こそが、彼の犯した過ちの結果なのだ。

 

 ロプト教の司祭の言葉。

 ──ロプトの血を色濃く受け継いだ男が黒い聖書に触れたとき、ロプトウスはこの世に復活をする。聖書に触れた者と、ロプトウスが同化する。

 

 この世界に、ユリウスほど色濃くロプトの血を受け継いだ男はいない。

 ユリウスは、ロプトの血を引く兄と妹の間に生まれた子供だ。歴史を紐解いても、そのような事例は皆無であろう。彼ほどロプトの血の濃い男は、長い大陸史でも初めてなのである。

 アルヴィスとディアドラが、運命に翻弄されて過ちを犯したからこそ産まれた、ロプトウスの化身として唯一無二の存在が、ユリウスなのだ。

 

 ディアドラがアルヴィスとの夫婦の営みを拒んだのは、禁忌を犯すことに対する生物の本能によるものだけではなかったのだ。

 きっと、彼女の中に流れる聖者ヘイムの血が、ロプトの血の濃い子供を作ることを警告していたに違いない。

 だが、アルヴィスたちはその警告を無視してしまった。

 

 そうして生まれたユリウスは、おそらく触れてしまったのだろう。ロプトウスの意思を封じた黒い聖書に。

 そして、ロプトウスと同化した──

 

 場所はおそらく、図書室であろうと思う。マンフロイが、渡したのだ。

 読書が好きなユリウスに、「面白い本がある」などとでも言って誘ったのではないか。

 

 結果、ロプトウスの化身となったユリウスは──彼自身の考えか、それともマンフロイの入れ知恵かは分からないが、ディアドラとユリアの殺害に向かったのだ。彼女たちに流れる、ロプトの天敵である聖者ヘイムの血の殲滅を図ったのであろう。

 

 息子の襲撃を受けたディアドラは、ユリウスの暗黒魔術を受けながらも、護符が織り込まれた法衣のおかげで命を拾い、ユリアを逃がすことには成功した。

 それでもディアドラだけでも殺そうとしたユリウスは、しかし黒い聖書以外に武器を持っていないから──暗黒魔術がディアドラの法衣に阻まれてしまったら、扼殺しか方法がない。

 ディアドラの首に、何者かに絞められた跡があった理由はこれであろう。

 

 では、彼女の首を絞めたユリウスを殺したのは、いったい誰なのか。

 

 あくまで推測でしかないが──そして、とても哀しい想像なのだが、それはディアドラではなかろうかと、アルヴィスは思う。

 

 正確には、ディアドラの中に眠る聖者ヘイムの──そしてその血が流れる者だけが使えるという、神竜王ナーガの力だ。

 

 ディアドラはナーガの聖書を持ち歩いてはいないが、その書に触れたことはある。

 きっとそのとき──ロプトウスの黒い聖書と同じく、ディアドラの中にナーガの力が宿ったのではないか。

 心優しい彼女が、誰かを傷つけるためにその力を使用することはけっしてない。だから、これまでは使う機会がなかった。

 だが、全人類の敵である暗黒神の復活に、ディアドラの中に秘められたナーガの意思と力が目覚めたのだ。そして、ロプトウスを返り討ちにした──

 

 この広い大陸で、おそらく最も警備が厳重な皇帝の妻子の居住区に賊が侵入したと考えるよりは、第三者などはじめからいなかったのだ──と、そう考えた方が辻褄が合う。

 とても哀しいことであはあるが、母と息子で殺し合ったのである。

 ユリウスは剣のようなもので斬り殺されていたが、あれはきっと、ディアドラの発動したナーガの術による傷であろう。

 アルヴィスはナーガの術を実際には見たことがないが、おそらくそれは、聖なる斬撃のようなものだったのではないだろうか。

 ナーガの聖なる力がロプトウスの意識を消滅させると同時に、斬撃の物理的な力が、ユリウスの肉体を殺したのだ。だから、ユリウスの体には刀傷のようなものがあった。

 

 そしてロプトウスの意思が消えたことによって黒い聖書の中は白紙になり、図書室に残っていたマンフロイも、ロプトウスの消滅と共にその命を保っていた力が消えて絶命した──

 

 おそらくこれが真相だろうと、アルヴィスは思う。

 ディアドラが、自身を襲った賊が誰なのかを言わないのも道理だった。犯人は、彼女の息子だったのだから。

 そして、その彼女の息子を殺したのは、ディアドラ自身なのである。

 

(いや……)

 違う。そうではないだろう。

 

 ディアドラが殺したのは、自分の息子ではない。

 その身体を乗っ取っていたロプトウスだ。

 ユリウスの魂は──アルヴィスたちの息子としてのユリウスは、ロプトウスの聖書に触れたときに、すでに消滅してしまった。

 “ユリウス”は、図書室で死んだのである。ロプトウスとマンフロイに、殺されたのだ。

 

 とはいえそのユリウスの死の原因は、彼がロプトの血を色濃く受け継いでいたからである。そうでなければ、聖書に触れても魂が消滅して身体を乗っ取られることはない。

 

 アルヴィスとディアドラの過ちの結果として生まれた子供だったから、ユリウスは幼くして命を落とすことになった──

 

「神よ……これが、私たちの罪に対する罰なのか?」

 天を仰いで、アルヴィスは呟いた。

 

 実の兄妹を愛し、子供を作った結果、彼らはかけがえのない宝物を失ってしまった。

 

 ディアドラが、既に魂は消失した器だけの存在とはいえ──実の息子殺しの罪責感という、より重い罰を受けたのは、彼女がシグルドに対する重婚という罪も──神に誓った永遠の愛を裏切るという罪も犯していたからだろうか。

 

「だが……私たちは知らなかったのだ……」

 どこにいるのかも分からない神に、アルヴィスは語り続けた。

「特に彼女は……過去の記憶がなかった……」

 

 その記憶を奪ったのも、おそらくマンフロイだ。彼女とアルヴィスを引き合わせて結婚させ、子供を産ませるために──

 

 アルヴィスには、ディアドラの過去を調べることを怠ったという責がある。彼女が母に似ていると気づいた時点で、肉親である可能性について考えなかった過失がある。

 だが、ディアドラにはいったい何の責があるというのか。

 彼女には、どうすることもできなかった。

 ただ、運命に翻弄されただけなのである。

 

「それなのに何故……彼女だけが、こうも苦しみを受けるのだ。それが運命だというのなら……神よ、あなたはあまりにも残酷だ……」

 

 痛いほどに拳を握りしめたアルヴィスは、一方で彼らのもう一つの宝を──ユリアだけは、失うわけにはいかないと強く感じていた。

 いまはまだ、愛する娘がどこにいるのかが分からない。

 だが、彼女はまだ完全に失われたわけではないのだ。

 なんとしても、見つけださなければならない──

 

 この上ディアドラに、娘の喪失という悲しみまでも味あわせたくはない。

 しかもその原因を作ったのもまた、ディアドラ自身なのだ。

 

 "転移(ワープ)の杖"は、空間を超えて、対象を離れた場所に移す。

 通常は、術者がその場所をイメージした上で発動させるのだが、きっと今回は、咄嗟のことでそのような余裕がなかったのだろう。

 ディアドラは、ユリアをどこか安全な場所に移そうとして術を行使したはずだ。だからユリアの身が、いまこの瞬間にも危険に晒されている可能性は低いと思う。

 

 だが、その“安全な場所”が、どこであるのかが分からなかった。

 少なくともユリウスとマンフロイのいる宮殿の中は、「安全」とは判断されなかったようではある。だから、宮殿内にユリアの姿はなかったのだ。

 

 ただユリアは、宮殿から外に出たことがほとんどない。バーハラの街の地理には不案内であろう。

 街の外の荒野よりは安全ではないかと思われるが、しかしまだ幼い娘が、見ず知らずの街に放り出されて、はたして一人で宮殿に戻ってこれるだろうか。途方に暮れて泣いているのではないだろうか。

 

(一刻も早く、探し出してやらねば──)

 何としても。

 アルヴィスが愛する妻のためにも。

 

 哀しみと怒りを強い決意へと置き換え、皇帝アルヴィスはロプト教団の外へと歩き出した。

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