竜と歯車 〜帝都魔導院転変譚〜【学園ファンタジー】 作:瀬戸内弁慶
魔導院、書庫。
最高学府の知の源泉。中央聖廟会から接収した学術書や史書、あるいは禁書指定の解除された文芸作品や詩集や思想書が収められていて、帝都最大の蔵書量を誇る。
そして古きに固執するばかりでなく、最新の研究発表や論文や雑誌なども、希望があれば取り寄せることができる。
夕暮れ。その恩恵を如何なく利用し、グレアの手元には新旧交えたレイアード・オウル社ならびにケイト・シース・ポイアーに関する記録や書類が、山と積まれていた。
「よう、グレアの坊や」
大傘型のクラドスを携えたシギン・ブレラが、それら資料の傍らに手をついた。
その背には、メリ・アンブロシアの姿もある。
「シンシャは来てるかい? 訓練にでも誘おうと思ってさ」
「何故俺に訊く?」
「そう訊き返されること自体、アタシらにとっちゃ屈辱なんだがね」
「……俺だって、いつも一緒にいるわけじゃない」
肩をすくめながらも、報告書から目を外さずにグレアは言った。
「それより、手をどけてくれないか――『雨』の気配で、本が湿気る」
ぴくり、とシギンの指先が動いた。
「水系統の魔導……いや、あんたのパークか? だったら書庫ではエニグマは外しとけ。それとも、自動発動タイプで自分自身でも解除できないのか?」
「おいおい、いつから試験の相手がアタシに変わったんだ? ……余計な詮索、するんじゃねぇ」
グレアは紙を挟んだ指に、違和感を覚えた。虫ピンで縫い留められたかのように、動かなくなった。これがその力の一端であり、脅しということか。
耳元に彼女の、佇まいに反して女性的な厚みのある唇が近づく。香水か、彼女にはあまり合わない甘ったるい香りが、漂っていた。
「その時が来たら教えてやるよ……てめぇの身に、しっかりとな」
低く囁いて、身体を離すや、わずかに濁った靴音を響かせながら、メリを伴って去っていった。
グレアは、二人の気配が完全に絶えたのを見計らい、指先に力が戻ったのを紙の触り心地で確かめた。
「まぁ……今いないとは、言ってないけどな」
独語のように呟いた後、目線を落とした。
テーブルの下、自らの脚の手前。そこに膝を抱えて身をかがめたシンシャ・ランドバークが、指を自らの唇の前に立てながら、楽しげに笑っている。
いつの間に潜んでいたのやら。まさか目当ての相手が会話をしていたすぐしたにいたとは、さすがのシギンも思いもよらなかったことだろう。
「かくれんぼなら他所でやってくれませんかね。今調べもの中だっつの」
「なに言ってんの。俺も一緒に試験するんだから、付き合うよ、
そう言いつつ、グレアの膝を伝いながらもぞもぞと這い出て、隣に腰かけた。
そして傍らの書物をつまんでペラペラと適当にめくりつつ、うひゃーと嘆を発した。
「すごい数……これ全部、ポイアー関連?」
「これでも少ない方だ。しかもほぼ、タウマト卿の自叙伝。ケイトについては何から何まで手探り状態なら、まず起源から再確認しようと思ってな」
レイアード・オウル社は、かつてクロノ・ナイツの技術者であったタウマト・キール・ポイアーが独立して創設した新興企業だった。
元より癖こそ強いものの、創設者やそれに付き従う新進気鋭の技術者たち。その溢れる才気と創意とで、既存の術式や系統樹に依らないエニグマを次々に開発。瞬く間に四大企業の一画へとのし上がった。
その中でも特に怪品である『キャッツインザボックス』。その発表にあたって、自室にて記者の取材に応じたタウマトは不敵な笑みをたたえてこうコメントを残している。
『フフフ…………え? いや、私そんなん作ったって聞かされてないんだけど……ナニソレ?』
と。
「……自分の会社で干されてない? この人」
「……まぁ、クロノ・ナイツにいた頃から言動に問題あったらしい」
いずれにせよ、敵のパークが突然変異型であろうとなかろうと、レイアード・オウルおよびその社主であるポイアー卿のルーツから能力の正体を探ることは難しいだろう。
「となれば、試験発表当日の、ケイト本人の動向から読み取るのが確実だが……ポイアー家を憚ってか、あるいは得体の知れない相手と関わり合いになりたくないのか。思いの外そこについての聴き込みはうまくいかなかった。エンドリオン先生も、そこはご苦労なさってたようだが」
「そう? 俺はみんなに色々教えてもらったけど」
「マジか……どうやって?」
シンシャはニコニコフェイスを指で示した。
「あぁ、外面の良さとネームバリューか」
「いやいや、そこはかわいさと愛嬌って言ってよ。教えてやんないよ」
「……すみませんでした。シンシャ君はかわいくて愛嬌のある、素晴らしい学友です」
「気持ちが入ってないなぁ……まぁ良いや」
シンシャの集めてきた情報を精査すると、以下の流れとなる。
カンネが告知文を貼った後、
「一仕事終えた」
と、誰の目にも分かるほどに気を緩ませていた。
ジャーダ・ヤアドがカンネへ挨拶がてら、さも彼女好みの歴史の話題を持ち出してその気を惹き、それとなく掲示板から距離をとる。
ひょっこり、ケイト・シース・ポイアーが顔を覗かせたのは、その瞬間だった。
「ただ、掲示板の前を通り過ぎただけ」
多くの人間が、そう証言している。
ただ貼り紙を、その手でなぞっただけと。
一度立ち止まった気もする、あるいは腕を左右させたかもしれないが、それもすぐのこと。書き換えたり偽物と差し替える余地などなかったと。
そもそも、筆跡も捺印も、正しくカンネのものだったらしい。
「その間、どういう変化が起こったのか、そこから先は誰にも分かない。誰も見てないってさ」
「誰も、見てない……」
何となしに、シンシャの言葉が引っかかった。
キャッツインザボックス――猫。
誰も見られていない――未観測。
「グレア……おーい」
意識が埋没しかけていたところ、気がつけば至近から、シンシャのあどけない顔が、天青色の瞳が、グレアを覗き込んでいた。
……本当に、顔は良い。
差し込む西日、塵の一粒までも、彼の全てを引き立て、祝福するかのようだった。
「だいじょぶ?」
「あ、あぁ……前に似たような記述を、どこかで見た気がしてな。多分書庫の方じゃなく、クロノ家の資料庫だったと思う。あとでシール様に掛け合って」
「じゃなくてっ……お疲れ?」
シンシャに指摘されて、知らず知らず、蓄積していた疲労を自覚した。
瞼や肩に、今まで無視してきた重みがのしかかって気がしてきた。
「鍛錬に情報収集に、根を詰めすぎじゃない?」
「……色々あったんだよ。そもそも、相手が相手だ。し過ぎるってことは無いだろ」
「だからって、身体を壊しちゃ元も子もないでしょ。ちょっと仮眠とったら? あ、膝とか肩なら貸すよ」
要るか、と低く返しつつ抗いようの無い誘惑が、グレアの身を傾けさせていた。
「ちょっとだけ寝る……別に、帰ってくれていいぞ」
「なに言ってんのさ。先生とか司書さんが来たら、教えてあげるから」
「……来てもらったのに、悪い」
「良いって。君が好きでやってることに、俺も付き合うって決めたから」
「付き合う、ね」
グレアは、そのまま椅子にもたれかかるようにすると、意識が揺らぎ始める。
耐え難い睡魔がそうさせたのか。
「でもいつかは、お前は俺のことを見なくなる」
そんな言葉が、つい零れた。
「お前にとっちゃ、俺は一時の戯れ。今は興味を持ったとしても、いずれは飽きる……そんなこと、他の奴らに言われずとも、分かってんだ」
繰り言のように、半ば寝言で。
「それでも良いんだ。お前の目の中に、俺がいなくなる最後の一瞬まで…………俺にその輝きを、見させて、欲し、い……」
薄れゆく視界と意識の中、揺れる青い瞳の感情を、伺い知ることもできないままに。
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シンシャは、浅く呼吸を繰り返しながら、グレアが眠りに落ちるまでじっと見守っていた。
やがて、静かな寝息に耳を傾けながら、その頭に手を伸ばした。
黒紫の髪は、その見た目ほどに、触り心地は重くない。羽のように軽やかだった。
くしゃくしゃと、起こさない程度にそれを撫でつけながら、
「グレアの自己肯定感、高まれー」
とひそやかに念じる。
反応はない。しっかり、眠りの世界に没入していた。
やがてその不毛さに自分で苦笑しつつ、手を離す。
シンシャは机に突っ伏し、腕を枕に顔を横たえ、うなだれたグレアの、横顔を見つめた。
「飽きるなんて……そんなわけないじゃん――馬鹿」
そう、小さな声で呪う。
「でも、きっとここまで、言い聞かせられてきたんだよね……みんなからも、自分からさえも」
皆、自分から離れていくと。
それほど、価値のない人間なのだと。
「だから、俺は居るよ。君がいつか、自分自身の輝きに気づけるその時まで――俺が、それを許される限り」
所在なさげに開けられた彼の手を握り込み、自身の頬に添わせ、熱を伝えるように、あるいは祈りをささげるように、シンシャは誓う。
その有様を、本棚の影で少女は目の当たりにした。
グレアの取り寄せたそれと類似する書籍。彼女――ミチルは、痛みを押し殺すように、ぐっとそれらを、強く胸にかき抱くのだった。