甘々注意です。
ネルの甘い吐息の中に、フェイトは身を委ねた。
やわらかい肌触りの中にも、はね返ってくるようにピンと張った活力のようなものを感じて、くっついているのが心地よかった。
ネルの呼吸とともに、全身が脈打つような興奮は甘やかな名残となって全身を包み込んだ。
つい今しがたにしていた行為の証のように、汗が髪の中から流れ落ちて、ネルの身体に水たまりを作る。それを指で拭いて、フェイトはもう一度唇を重ねた。くちゅりと唇を鳴らして、フェイトはもう一度、ネルの首元に顔を埋める。りんごのような香りがして、ネルの髪に鼻先を押しつけた。
それからネルの首の下に腕を回し、ネルの身体を掬うように抱き寄せた。ネルは落ち着いた呼吸とともにフェイトの胸に手のひらを当てて身を縮めた。
無機質なディプロの個室の中で、ネルの身体だけが熱く確かなものに思えた。
「ネルさん……」
フェイトはネルの体温を感じながら、おでこにキスをした。ネルがきょとんとした丸い目で見つめるのを、フェイトは幸せな想いで見つめた。
ネルとこうなれるなんて、信じられない気がした。でも、こうして確かに腕の中にいる、そのことを何度も確かめたくて髪に頬を寄せた。ネルはくすぐったそうに少し顔をそむけて、しばらく何かを考えるかのように薄明かりの証明を見つめた。
「どうしたの?」
ネルは緩く首を振った。
「ううん……ただ」
「ただ?」
「ねぇ……あんた、好きな娘とかいないのかい」
「……ん?」
フェイトは驚いて、少し身を起こした。ネルは居心地悪そうに、フェイトの腕の中で皮膚を少しつまんだ。
「私とこんなことしてないで、もっと可愛い子としたいこと、あるんじゃないかと思ってさ……」
フェイトは思わず、眉根を寄せた。何を言ってるんだ?
「何、言ってるんだよ……」
フェイトは少し傷ついて、ネルから身を離した。
「馬鹿にしないでよ」
フェイトはネルの揺れる目を覗き込んだ。
「ネルさんを好きじゃなきゃこんなことしない。当たり前だろ」
「すまない……」
ネルは気まずそうに目を合わせないまま、ぎゅっと掛布を胸に寄せた。
「ネルさんこそ、僕のこと好きでもないのにこんなことしたの?」
「そっ……そんなわけ、ないじゃないか」
「じゃあそれが答えじゃないか」
ネルは目を伏せたまま、ますます掛布を握りしめた。その指が震えていることに気づいて、フェイトはハッとした。この人は恐れているのだ、恋愛を。この強がりな人は、傷つかないようにあらかじめ自分から壁を作ろうとしていたのだ。
「ねぇ……もしかして嫉妬してるの?」
「っ……!」
ネルが弾かれたようにフェイトの目を見た。真剣な目をして、目尻の端が赤らんでいる。
「僕がソフィアやマリアと話してる時、すぐそっぽ向くの、嫉妬してるの?」
「なっ……馬鹿にするんじゃないよ! そんなわけ……」
「そうなんだ? ネルさん、嫉妬してるんだ」
フェイトは合点がいって少し笑った。
「違うって言ってるだろう!?」
ネルは両手で拳を作ったが、フェイトはネルを抱き寄せて、またりんごの香りを嗅いだ。くすくす笑いだしたい気分だった。
ネルは「なんでそうなるんだい……」と納得のいかない様子でまたそっぽを向きそうになったので、フェイトは追いかけるようにまた腕で抱き寄せた。
「ねぇ、ネルさん。ネルさんとソフィアの違いはなんだと思う?」
ネルは目を瞬いた。そんなの色々あるとでも言うように。
「そう。恋愛感情があるかないかだよ」
ネルが何も言っていないのにフェイトが正解を言ったので、ネルは首を傾げた。
「ソフィアとは、子どもの頃からずっと一緒に暮らしてきたんだ。でも恋愛感情を持ったことはなかった。いつか、そうなるのかなって思ったこともあったけどさ……でも違った」
フェイトはお構いなしに続ける。
「その前にネルさんが現れたんだ。これってどういうことかわかる?」
ネルは眉を寄せて、また首を傾げた。
「なんだい?」
「たぶん……恋って時間じゃないんだと思う」
フェイトはネルの上腕を撫で、肘をつかんだ。
「僕たちはエリクールで初めて出会って、最初はたくさん言い合いもした。だろ?」
フェイトが言うと、ネルは思い出すようにふっと笑った。つられてフェイトも笑った。今では笑える過去だということが、フェイトは嬉しかった。
「ああ、そうだね……あんたはすごく頑固だった」
ネルが上目遣いに言うので、フェイトは腕で抱き直しながら口を尖らせてみせた。
「そりゃ頑固にもなるさ。人生で初めて他人に生きるか死ぬかを突きつけられたんだぞ。僕の気持ちにもなってよ」
「それはすまなかったね」
ネルは笑いながら、フェイトの手を取った。まめができて硬くなった手を確かめるように丁寧に撫でる。まるで愛おしいものを触るように大切そうに撫でるので、フェイトはいじらしい気持ちになった。どうしてこの人は、自分が恋愛感情を抱かれてないなんて思うんだろう。
フェイトはまめのできた手で、ネルの頬に触れた。やわらかい、すべすべした肌。
「僕はきっと、ずっと気になってた……なんでネルさんが任務に執着するのか、そこから始まったんだ」
フェイトが親指でネルの頬をなぞると、ネルは真剣な目でフェイトを見た。
「何かが違うような気がしてた……ネルさんが任務任務って言うほど、あなたは本当にそうなのかと訊ねたくなった。そしてわかったんだ。ネルさんは任務のその先にいる人をいつも見ていたんだ」
ネルは照れたように笑った。
「そうだね、私は任務ばかりだった……」
「最初言ってただろ、任務のためなら人を切り捨てることも厭わないって……今では信じられない言葉だけど」
からかうようにネルの額を指で小突くと、ネルは恥ずかしがるようにフェイトに身を寄せてきた。
「そんなことも言ったっけね」
「今ならわかるよ。あの頃のネルがどれだけ必死だったか、守りたいもののために……傷だらけでさ」
そうして、ネルの腕に触れた。綺麗な白い肌に赤い施文、今あるのはそれだけだ。
「綺麗に治ってよかったけど、あの傷も僕は好きだったよ」
いつか傷薬を腕に塗ってあげた日々を思い出す。旅の初めの頃、まだヒーリングもおぼえられなかったあの頃はネルの傷も満足に癒してあげられなかった。
しかしネルは、何かおかしいことでもあったように笑って首を振った。
「あんたって……」
「何?」
「本当に調子が狂うよ」
ネルは目を伏せて頬をフェイトの胸にこすりつけた後、困ったようにフェイトを見上げた。
「こんなに肯定されたのは初めてだよ……あんたはずっと欲しかった言葉をくれるね」
フェイトは意外に思って、目を丸くした。
「そう?」
「うん……」
フェイトはどうしてこんなに、この人が愛しいのかと思った。こんなにも欲しいと思ったのは、いつからだっただろう。
「初めてネルさんがいなくなった時……たぶんそこからなんだと思う。『あ、この人がいなきゃだめなんだ』って思ったのはさ」
今度はネルが目を丸くした。
「あんたが助けに来てくれた時、私もそう思った……あんたがあんなに怒ってくれた時、そう思ったんだよ」
「本当?」
アリアスで初めてネルがいなくなった時、カルサア修練場で再会した時──あの時のことは、やっぱりお互いにとって特別なんだと思うと嬉しかった。
「あの時のこと、僕もすごく怒って、つらかったけど忘れたくないね」
「うん……」
フェイトはまたネルのおでこにキスをした。
「一緒に旅をしていてさ、初めてふたりで料理をした時のこと、おぼえてる?」
「あぁ、ペターニだったね」
初めてペターニに着いた日、ギルドの工房を初始動させたのだ。
「ネルさん、すごいスピードで料理作っててさ、『あ、いいな』って思ったんだ。上手く言えないけど……一緒にいるのが居心地いいってさ」
ネルは思い出すようにくすくす笑った。
「あんたは味見が止まらなかったね」
「あんなに美味しいものを食べたのも初めてだったからさ。信じられる? あんな遠い地に来て、すごく味覚が合ったんだ。これは奇跡に近いんだよ」
「そうなのかい?」
「あれから何度もネルさんの作った料理を食べたけど、どれも美味しかったな」
「そう言ってくれるのはありがたいけどさ……何の変哲もない料理を作ってるだけだよ」
「それがいいんだよ。ネルさんの作る味の染みた肉じゃが、衣がサクサクしていてひき肉がゴロゴロしたコロッケ、ああ、話してたら食べたくなってきた」
フェイトのお腹が本当にぐうと鳴ったので、ふたりで笑った。
「馬鹿だね……それじゃただの食いしん坊じゃないか。そんなもの、いつでも作ってやるからさ」
「本当に?」
フェイトは嬉しくて身を乗り出したが、すぐにここが宇宙船ディプロであることを思い出して身を倒した。
「ディプロにはキッチンがなかったよな? 残念だ……」
フェイトが本気で落ち込むので、ネルが「馬鹿だね」と背中を撫でてくれた。そんな時間も幸せで、幸せであればあるほど、失ったもののことが思い出された。
「ディオンとアミーナのこと……」
フェイトが話し始めると、ネルは真剣な顔になった。それはふたりにとって傷になって今も残っている。
「ネルさんがそばにいてくれなきゃ、どうなっていたんだろうと今でも思うよ」
フェイトはふたりを助けられずに落ち込んだ日を思った。目の前で大切な人が死ぬ。それは初めての経験だった。
「私は何もしてないさ。どう声をかけていいのかすらわからなかったのに……」
フェイトは首を振った。ただ慟哭するフェイトに黙って寄り添ってくれたのはネルだった。
旅の間、ふたりで墓参りをした。ネルの計らいでアミーナの花畑に二人は眠っている。静かな時間だった。
「ただそばにいてくれるだけで、よかったんだ。一緒に墓参りをしてくれてありがとう」
フェイトが微笑むと、ネルは目を細めてフェイトの片頬を包んだ。あたたかい、優しい感触だった。
「あんたのそばにいられてよかったよ」
フェイトは頬を包むネルの手のひらにキスをした。
「僕たちは、大切な感情を積み重ねながら旅をしてきたんだと思う」
だからこんなに合う。もう二度と失えない感情が、ここにはあった。
ネルは思い出すように目を伏せた。
「あんたが、ディストラクションを発動した時……」
戦争中に空から襲いに来たバンデーン艦を消し去った時だ。フェイトに眠っていた力が発動するのを、ネルは目の前で見ていたのだ。
「あんたがスローモーションのように倒れて、それから何日も目を覚まさなくて、あんたを失うんじゃないかとすごく怖かった……」
ネルがぽつりと話したので、フェイトはゆっくりとネルの髪を耳にかけた。
「ごめんな、心配かけて」
ネルは首を振った。
「ううん。心配したけど、あんたが戻ってきてくれてよかった」
ネルは安心したように笑った。ネルは目が覚めた後も、よく休んだ方がいいと心配してくれていたことを思い出す。
「あんたはすごく、強くなったね」
ネルがしみじみ言うので、フェイトはネルを強く抱き寄せた。
「強くなるしかないだろ? こんな放っておくとすぐどこかに行ってしまう彼女を好きになったんだから……」
ネルは不服そうに眉を寄せて、
「なんだい、人聞きの悪い……」
と口を尖らせたが、やがて気がついたように訊ねた。
「でも、私が『彼女』でいいのかい?」
「決まってるじゃないか。『もっと可愛い子』がどこにいようと関係ない、僕はネルさんのそばにいたいんだ。僕はそう思ってるけど、悪い?」
するとネルは鼻に皺を寄せて笑った。
「フフ……嬉しいよ」
今日一番の笑顔に、フェイトまで嬉しくなる。
「わかってくれるだろ?」
とネルの手を握りしめた。
「ただ僕の人生の転機すべてにネルさんが立ち会っただけじゃない。ネルさんとの関わりそのものが、僕の在り方を変えたんだ」
「私との関わり?」
「本当は大切な人を見捨てられないし、ネルさんはいつも僕を気遣ってくれた……ふとした時にいつも優しい言葉を投げかけてくれただろ? そのくせ自分の傷には無頓着で、さっきも他の子と僕が寝てるなんて思うくらい自分に自信がない……」
「悪かったね」
「悪くない。そんなところも全部含めて僕が好きになったネルさんなんだ」
「フェイト……」
ふたりはどちらからともなく、キスをした。何度も唇を重ねて、吐息が漏れた。
フェイトはネルをしっかりと抱きしめ、りんごの香りの中で言った。
「もうネルさんのいない状態に戻りたくないよ」
ネルも、フェイトの腕の中でつぶやいた。
「私もだよ……昔の私なら、こんなふうに誰かと未来の話なんてしなかったな……」
フェイトはネルの目を覗き込むと、真剣な声で言った。
「この戦いがどう終わるのか、わからない。だけど最後は、在るべき世界へ帰ろう。一緒に……」
ネルは優しい目で、穏やかに頷いた。
「ああ……シーハーツへ帰ったら、また肉じゃが作ってあげるよ」
するとフェイトは頬が緩んだ。
「最高だね。今度は味見で全部なくさないようにする」
するとふたりは微笑みあって、掛布のなかでくすぐりあった。
つかの間の休息時間、まさかこんなふうにネルと寝ることになるとも思わなかったけれど、突然そうなったわけでもなく、必然だったのだと思った。
幾つもの出会いと別れを越え、そのたびに互いの心へ少しずつ触れてきた。だから今こうして隣にいることだけは、何より自然な奇跡に思えた。
恋とは、こうして幾つもの日々の先で、ようやく名前を持つものなのかもしれないと、フェイトはネルの頬をつつきながら感じていた。