ダンジョン介護師の日常   作:河馬田いわし

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施設長との面談

 久しぶりの日勤。

 

 朝の光が窓から差し込み、廊下の床に長い影を落としている。消毒液の匂いと、どこか懐かしい柔軟剤の香りが混ざり合い、施設特有の空気を作っていた。

 

 仕事を終え、更衣室へ向かおうとした時だった。

 

「黒田君。」

 

 背後から落ち着いた声が響く。振り返ると、施設長が廊下の端に立っていた。柔らかな照明に照らされ、その表情はいつも通り穏やかだが、どこか含みを感じさせる。

 

 視線が合う。ほんの一瞬、施設長の目が細められた気がした。

 

「はい。」

 

「少し時間ある?」

 

 わずかな間。施設長は俺の返答を待つように、静かに立っている。

 

「ありますけど。」

 

 施設長はゆっくりと歩み寄り、足音を抑えるようにして止まると、軽く頷いた。

 

「終わったら、少し面談しようか。」

 

「……面談ですか?」

 

 言葉のあとに、わずかな沈黙が落ちる。

 

 施設長は一拍置いてから、口元だけで微笑んだ。

 

「悪い話じゃないよ。」

 

 その言葉に、胸の奥がわずかにざわつく。

 

 

 施設長室。

 

 木製の扉を開けると、静かな空気が流れ込んできた。壁には資格証や表彰状が整然と並び、窓際には観葉植物が置かれている。外の光が柔らかく差し込み、部屋全体を落ち着いた雰囲気に包んでいた。

 

 椅子へ腰掛けると、施設長は一冊のファイルを机へ置いた。紙の擦れる音がやけに大きく感じる。

 

 その音が止まると、部屋は再び静寂に包まれた。

 

「最近、夜勤ありがとう。」

 

 施設長は視線をファイルに落としたまま言う。

 

「いえ。」

 

 短く答えると、施設長はゆっくりと顔を上げた。視線がぶつかる。

 

 すぐに逸らしたくなるのを、なんとか堪える。

 

 施設長はファイルを開く。ページをめくるたびに、記録の数字が淡々と並んでいく。

 

 紙をめくる音だけが、規則正しく響く。

 

「実は最近、利用者さんの様子が少し変わってきてる。」

 

 その言葉のあと、施設長は一度ページを止めた。

 

 指先で紙の端を軽く押さえたまま、こちらを見ない。

 

 わざと間を作っているようにも感じる。

 

 中には夜間の記録が並んでいた。

 

 転倒件数。

 

 夜間コール。

 

 排泄介助時間。

 

 着替えの介助量。

 

 どれも見慣れた項目だが、その数字が微妙に違っていることに気付く。

 

「もちろん、全部が黒田君のおかげとは言わない。」

 

 施設長はゆっくりとページをめくる。

 

「利用者さん本人の頑張りもある。」

 

 視線はまだファイルのまま。

 

「リハビリや看護師さんたちの力もある。」

 

 そこで一度、言葉が途切れる。

 

 静寂。

 

 時計の秒針が、やけに耳につく。

 

「でも。」

 

 施設長はゆっくりと顔を上げ、まっすぐ俺を見る。その視線は穏やかだが、逃げ場を与えない強さがあった。

 

 視線を外せない。

 

「君が夜勤の日は、数字が少し違う。」

 

 言い切ったあと、施設長は何も言わない。

 

 ただ、じっとこちらを見ている。

 

 胸の奥が少しだけざわついた。

 

 やっぱり気付かれていた。

 

「何か心当たりある?」

 

 問いかけは静かだが、逃げ道を塞ぐような重さがある。

 

 施設長は背もたれに軽く体を預け、腕を組まずに机の上に手を置いたまま、待っている。

 

 急かさない。

 

 だが、逃がさない。

 

 時計の秒針の音がやけに大きく響く。静寂が部屋を満たす。

 

 ここで誤魔化すことも出来る。

 

 でも。

 

 もしこのまま続けて、ご家族から何か言われたら。

 

 施設長は何も知らなかったことになる。

 

 それだけは嫌だった。

 

「……あります。」

 

 言葉を絞り出すと、施設長の指先がわずかに動いた。

 

 表情が少しだけ引き締まる。

 

「信じてもらえないかもしれません。」

 

 施設長は何も言わない。ただ、視線だけがこちらに向けられている。

 

「でも、黙ったまま続ける方が駄目だと思いました。」

 

 俺は足元へ目を向け、小さく呟く。

 

「癒骨。」

 

 足元の影がゆらりと揺れる。空気がわずかに冷たくなり、静かな気配が広がった。

 

 静かに一体のスケルトンが姿を現した。

 

「カタ。」

 

 骨が触れ合う乾いた音が、静かな室内に響く。

 

 その瞬間。

 

 施設長の呼吸がわずかに止まったのが分かった。

 

「……!」

 

 目が見開かれる。だが声は出ない。

 

 椅子から立ち上がることもなく、ただ視線だけがスケルトンへと吸い寄せられている。

 

「ダンジョンで仲間になったスケルトンです。」

 

 施設長の視線がゆっくりと俺へ戻る。

 

 そしてまたスケルトンへ。

 

 その往復が、数秒続く。

 

「僧侶のジョブを持っています。」

 

 施設長は言葉を失っている。喉がわずかに動いたが、声にはならない。

 

 俺は続けた。

 

「この子のレッサーヒールや支援アーツを利用者さんへ使っていました。」

 

 施設長の眉がわずかに寄る。

 

「もちろん命に関わる怪我ではありません。」

 

 視線が鋭くなる。

 

「小さな内出血や、歩く力を少し補助する程度です。」

 

 施設長はゆっくりと息を吸い、吐いた。

 

「本当に役に立つか、自分で確かめたくて……。」

 

 言い終えたあと、沈黙が落ちる。

 

 施設長はしばらく黙っていた。窓の外で風が木の葉を揺らす音だけが聞こえる。

 

 視線はスケルトンに向けられたまま。

 

 やがて、ゆっくりと目を閉じる。

 

 数秒。

 

 そして静かに口を開く。

 

「……誰か他に知ってる?」

 

 声は落ち着いているが、わずかに低い。

 

「いいえ。」

 

 施設長の視線が再び俺へ戻る。

 

「施設長だけです。」

 

 その言葉のあと、施設長はじっと俺を見つめた。

 

 何かを測るように。

 

「そうか。」

 

 施設長は小さく息を吐いた。その吐息には、驚きと安堵が混ざっているように感じた。

 

 背もたれに体を預け、視線を一度天井へ向ける。

 

 そして再び俺を見る。

 

「まず一つ。」

 

 指を一本立てる。

 

「君が利用者さんを良くしたいと思ってやったことは分かる。」

 

 その言葉に、少しだけ肩の力が抜ける。

 

 だが。

 

「でも。」

 

 施設長は指を下ろし、ゆっくりと前に身を乗り出した。

 

 距離が縮まる。

 

「このまま続けるわけにはいかない。」

 

 視線が鋭くなる。

 

「はい。」

 

 自然と背筋が伸びる。

 

「もし何かあって、ご家族から説明を求められたら。」

 

 施設長は言葉を区切りながら話す。

 

「私は何も知らなかったでは済まされない。」

 

 一拍。

 

「君も守れない。」

 

 さらに一拍。

 

「施設も守れない。」

 

 その言葉は重く、胸に沈み込む。

 

 施設長はしばらく俺を見つめたまま、何も言わない。

 

 沈黙が圧力になる。

 

「だから。」

 

 ようやく口を開く。

 

「今度は一緒に正しい形を考えよう。」

 

 声が少し柔らぐ。

 

「利用者さん、ご家族、記録。」

 

「全部含めて正式な運用に出来るか考えよう。」

 

 俺は深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます。」

 

 

 施設長はコーヒーを一口飲んで話を続ける。湯気がゆらりと立ち上り、ほのかな苦味の香りが漂う。

 

 カップを持つ手は、先ほどよりもわずかに力が抜けているように見えた。

 

「異能介護加算って知ってる?」

 

 視線をこちらに向ける。

 

「名前だけなら。」

 

「二、三年前に始まった制度なんだ。」

 

 施設長はカップを机に置き、指先で縁を軽くなぞる。

 

「ダンジョンが出来てから、多くの異能力者は探索者になった。」

 

「でも支援職や回復職は事情が違う。」

 

 言葉の合間に、わずかな間が入る。

 

「ランクの高い攻撃アーツみたいに目立つ活躍がしにくい。」

 

「探索へ行っても収入が安定しない人も多い。」

 

「そのまま探索者を辞めて、普通の会社へ就職する人も少なくない。」

 

 施設長は一度こちらを見て、反応を確かめるように目を細める。

 

「一方で介護や医療は慢性的な人手不足。」

 

「だから国は、異能力者がそういう仕事へ就いた時、事業所へ加算を出す制度を作った。」

 

「それが異能介護加算。」

 

 なるほど。

 

 探索者になれなかった人を救う制度じゃない。

 

 異能力者が社会で力を活かせる場所を増やす制度なんだ。

 

「でも。」

 

 施設長は苦笑する。カップを机に置く音が静かに響く。

 

「制度はあっても活かせる人がいなかった。」

 

 肩をすくめるような仕草。

 

「回復職も支援職も数が少ない。」

 

「いても探索者を続ける人が多い。」

 

「介護へ来ても、ダンジョンでしか使えない高ランクアーツじゃ意味がない。」

 

 そこで一度言葉を切り、じっと俺を見る。

 

「だから取得施設は全国でもほとんど無い。」

 

 わずかな沈黙。

 

 そして。

 

「でも君は違った。」

 

 はっきりと言い切る。

 

「ランク1アーツを介護で活かした。」

 

 視線が強くなる。

 

「これは全国でも珍しい事例になるかもしれない。」

 

 

「それと。」

 

 施設長が笑う。先ほどまでの緊張が少しだけ和らぐ。

 

 口元だけでなく、目元もわずかに緩む。

 

「来月から少し給料が上がる。」

 

「え?」

 

 思わず顔を上げる。

 

「本当に少しだけだけどね。」

 

 施設長は肩をすくめる。

 

「頑張ってくれてるから。」

 

 その言葉に、自然と頭が下がる。

 

「ありがとうございます。」

 

 給料。

 

 その言葉で真っ先に浮かんだのは。

 

(ジョブストーン買えるな。)

 

 

 施設長は椅子から立ち上がる。椅子が床を擦る音が静かに響く。

 

 立ち上がる動作もゆっくりで、どこか余裕を感じさせる。

 

「黒田君。」

 

「はい。」

 

 自然と姿勢を正す。

 

「この件は私も一緒に考える。」

 

 施設長は机の端に手を置き、少しだけ身を乗り出す。

 

「ただし、今までのやり方を続けるわけにはいかない。」

 

 視線が真っ直ぐに刺さる。

 

「利用者さんやご家族への説明、同意、記録……全部含めて、正式な形を作ろう。」

 

「はい。」

 

 短く答えると、施設長は一瞬だけ目を細めた。

 

 納得したように、小さく頷く。

 

 そして苦笑した。

 

「それと。」

 

「はい?」

 

 わずかな間。

 

 施設長はわざと間を置いたように見えた。

 

「アーツを使った利用者さん三人分。」

 

 指を三本立てる。

 

「使う前の状態が分かるように、経過記録を書き直しておいて。」

 

「……え?」

 

 一瞬、思考が止まる。

 

 施設長はその反応を見て、口元をわずかに緩めた。

 

「もちろん残業扱いでいい。」

 

 さらりと言う。

 

 数秒、固まる。

 

 施設長は腕時計にちらりと視線を落とし、再びこちらを見る。

 

「黒田君。」

 

「はい。」

 

「今日は残業確定だね。」

 

 逃げ場はない。

 

 思わず天井を見上げる。蛍光灯の白い光がやけに眩しい。

 

「……ですよねぇ。」

 

 施設長は小さく笑った。

 

 その笑いに、先ほどまでの緊張が少しだけ溶ける。

 

 ダンジョンでスケルトンを倒すより。

 

 介護記録を書く方が時間が掛かる気がした。

 

 俺は苦笑しながら事務所へ戻るのだった。

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