源と別れ、一人で帰路につく。
「付き合わせちゃったな」
二時間近く続いた実験。
途中から、戦骨も源も明らかにぐったりしていた。
そりゃそうだ。
何度も動いて、止まって、また動いて。
アーツを使った時と使わない時で違いを確認して、感想を聞いて、もう一回試して。
やっていることだけ見れば、完全に体育の補習である。
今度会ったら何か奢ろう。
源には飯。
戦骨には……何を奢ればいいんだろう。
骨に奢るものが分からない。
そんなことを考えながら、自宅へ戻った。
◇
「ただいま」
静かな部屋に声を掛ける。
返事はない。
いつものことだ。
リュックを下ろし、机の引き出しから手帳を取り出した。
介護の仕事でも使っている、いつもの手帳だ。
勤務中に気づいたこと、申し送りで忘れたくないこと、利用者さんのちょっとした変化。
そういうものを書き込む癖が、すっかり身体に染みついている。
今日の日付を書き込み、ペンを走らせた。
『実験結果』
最初に書いたのは、俺の考察ではない。
実際に使ったやつらの感想だ。
『闘気』
源
『身体全体が動かしやすかった』
戦骨
『カタ』
その下に、俺なりの翻訳を書き足す。
『普段より動きが滑らかだった』
さらに一行。
司
『必殺技というより、全身の動きを補助するものに近い。パワースーツっぽい』
書いてから、少しだけペンが止まった。
パワースーツ。
自分で書いておいてなんだが、妙にしっくり来た。
闘気という名前だけ聞くと、こう、必殺の一撃とか、気合いで吹き飛ばすとか、そういう派手なものを想像する。
でも、今日見た感じは違った。
源の動きも、戦骨の動きも、急に別人みたいになるわけじゃない。
普段の動きに、少しだけ余裕が足される。
足を出す。
腕を振る。
身体を止める。
そういう一つ一つが、ちょっとだけやりやすくなる感じだった。
続けて書く。
『ステップ』
戦骨
『カタ』
『最初の一歩が明らかに速くなっていた』
司
『移動だけでなく、位置取りにも使えそう』
ステップは分かりやすかった。
戦骨の一歩目が、明らかに違う。
ただ、便利だからといって雑に使えるものでもなさそうだった。
速く動ける。
でも、速く動いた先で止まれなければ危ない。
介助でも同じだ。
急いで支えるより、倒れない位置に先に入る方が大事な時がある。
速さは助かる。
でも、速さだけでどうにかしようとすると、たぶん事故る。
ページをめくる。
『マイナーバリア』
源
『目には見えないけど、身体の前に薄い膜が一枚できる感じがした。ぶつかる怖さが少し減ったかな』
続けて、源が言っていたことを思い出す。
『でも、これがあるから大丈夫ってほどではないかな。一回防いだら消えたし、張り直すまでは普通に痛かったし』
俺はその下に、自分の考えを書き足した。
司
『防御というより、最初の一撃を軽くする補助に近い。過信は危ない』
マイナーバリアは、思っていたより地味だった。
もっとこう、透明な壁が出て、攻撃をガキンと弾くようなものを想像していた。
でも、実際に使った源の感想は違う。
守られている。
けど、絶対ではない。
少し安心する。
けど、無茶ができるほどではない。
たぶん、そこを間違えると危ない。
介護でも、手すりがあるから転ばないわけじゃない。
歩行器があるから絶対に安全なわけでもない。
道具は助けてくれる。
でも、全部を任せていいものじゃない。
マイナーバリアも、たぶん同じだ。
ページの下へ、もう一つ書く。
『シールドアタック』
源
『盾で殴るというより、盾を前に出したら、身体ごと前に突っ込もうとする感じだった』
『勢いがあるし、ちょっと怖かった。外したら止まれない気がした』
その言い方が、いかにも源らしくて少し笑った。
源は身体が大きい。
見た目だけなら、かなり強そうに見える。
でも、中身はわりとビビりだ。
だからこそ、怖かったところをちゃんと言葉にしてくれる。
俺はそこがありがたかった。
戦骨だけで試していたら、たぶん「カタ」で終わっていた。
いや、それでも何となく分かるようにはなってきたけど、細かい不安までは拾いにくい。
司
『前進する力が強い。攻撃だけでなく、相手の位置を崩したり、距離を詰めたりするのにも使えそう。止まり方の練習が必要』
強いアーツ。
便利なアーツ。
使えないアーツ。
今の結果だけを見れば、簡単に分けられる。
でも、それが完成した状態とは限らない。
レッサーヒールだって、最初は指先ほどの内出血を治すのが精いっぱいだった。
それが今では、明らかに治せる範囲が広がっている。
熟練度が上がれば、マイナーバリアの耐久力や、シールドアタックの扱いやすさも変わるのかもしれない。
だからといって、今ある危険を無視していいわけじゃない。
勢いが出るなら、止まれない危険もある。
前に出られるなら、前に出すぎる危険もある。
一度うまくいったからといって、次も同じようにいくとは限らない。
介護の現場でも、その油断で変なことが起きる。
『マイナータフネス』
源
『正直、よく分からない。でも、疲れにくかった気はする』
『タフネスアップ』
源
『こっちは違いが分かった。明らかに息切れしにくくなった』
そこまで書いて、ペンが止まった。
「……やっぱり、本人の感想が一番参考になるな」
俺はまだ戦闘経験が浅い。
というか、まともな探索者として見たら、ほぼ素人だ。
だから、自分の感覚だけで、これは強い、これは使えないと決めつけるのは怖い。
介護でも、こっちから見て歩けているように見えても、本人は膝に不安を感じていることがある。
逆に、今日はしんどそうだと思っても、本人は意外と調子がよかったりもする。
見た目だけじゃ分からない。
使った本人の感覚は、ちゃんと聞いた方がいい。
手帳の隅へ、小さく書き加える。
『今後も第三者の感想を集める』
ふと、アーツの確認画面を開いた。
昨日より、少しだけ進んでいる。
劇的ではない。
でも、止まってもいない。
「少しずつ、か」
一日で急に強くなるわけじゃない。
使って、試して、記録して、また使う。
地味だ。
でも、こういう地味な積み重ねは嫌いじゃない。
視線をPPへ移す。
まだ回復し切ってはいなかった。
「そういえば……」
高校時代。
ダンジョン学の授業で聞いた話を思い出す。
『PPは時間経過で自然回復します』
『睡眠中は回復効率が上昇します』
「あの時は聞き流してたな」
ジョブを使う気なんてなかった。
だから、興味もなかった。
先生が黒板に書いていたことも、教科書の端に載っていた説明も、当時の俺にはただの試験範囲でしかなかった。
今になって、ようやく意味が分かる。
手帳へ一行だけ書き足した。
『PP回復については後日確認』
分からないことは、まだ多い。
でも、焦る必要はない。
一つずつ確かめていけばいい。
手帳を閉じようとして、ふと帰り道で考えていたことを思い出した。
源には、今度何か奢る。
あれだけ実験に付き合わせたんだから、それくらいは当然だ。
ラーメンがいいか。
丼ものがいいか。
源なら、どっちでも喜びそうな気はする。
じゃあ、戦骨は?
戦骨にも、かなり付き合わせた。
何度も動いて、何度も止まって、そのたびに「カタ」で感想を伝えてくれた。
「……何なら喜んでくれるかな」
声に出してから、我ながら変なことを言っていると思った。
でも、考え始めると少し気になった。
戦骨だけじゃない。
癒骨も、転骨も、鑑骨も。
みんな仕事をしている。
手伝ってくれている。
現場を回してくれている。
だったら、俺だけが助かって終わりじゃなくてもいい。
何か、骨たちにも返せるものがあっていい。
「給料も、ちょっと上がったしな」
全部使う気はない。
俺にも生活がある。
でも、その中から何かを買ってやるくらいならできる。
問題は、何を買えば喜ぶのか、まったく分からないことだ。
「骨の福利厚生って、何がいいんだろうな……」
口にすると、ますます意味が分からない。
それでも、悪くないと思った。
少なくとも、考えてみる価値はある。
手帳の最後に、もう一行だけ書き足す。
『骨たちへの還元を考える』
ペンを置いた。
今日はもう寝る。
考えるのは、明日でいい。
ただ、明日起きたら、まずは財布の中身と相談しよう。
源に飯を奢って、骨たちにも何か返す。
俺の生活が干からびない範囲で。
俺は明かりを消し、静かにベッドへ横になった。