夜勤中、試したのはレッサーヒールだけじゃない。
試したいのは、この前買った支援アーツも同じだった。
◇
コンコン。
「田中さん、失礼します。」
ノックをして居室へ入る。
今日も布団は変なところまで蹴飛ばされていた。
本人は気持ち良さそうに寝息を立てている。
田中さんは毎晩このくらいの時間になると、トイレへ行きたくなって起きる人だ。
だから俺は、先に様子を見に来るようにしている。
時間がない時にトイレでナースコールを何度も押されると、どうしても焦ってしまう。
それに最近は、一人でトイレへ行こうとして入り口付近で尻餅をついていたこともあった。
長く待たせるのも危険だ。
「癒骨。」
足元の影が揺れ、癒骨が静かに姿を現す。
「カタ。」
田中さんは歩こうという気持ちはある。
でも足へうまく力が入らない。
方向転換も難しく、介助する側も支える時間が長くなる。
「マイナーパワー。」
癒骨が手をかざす。
淡い光が田中さんを包み込んだ。
「んー……。」
何かを感じたのか、田中さんは寝返りを打つ。
目を覚ますほどの刺激ではないらしい。
続けて、
「マイナーアジリティ。」
「マイナーデクスタリティ。」
三つの支援アーツを重ね掛けする。
PPはまだまだ余裕がある。
ジョブ特性のおかげで、一晩使い続けても尽きそうにない。
「田中さん。二時ですけど、トイレ行っときますか?」
ゆっくり目を開けた田中さんが身体を起こす。
「もうそんな時間か……行っとこか。」
「せっかく来てくれたでね。」
そう言って勢いよくベッドへ腰掛けた。
「じゃあ立ちますよ。」
田中さんは俺の腕を掴み、前傾姿勢になる。
「よいしょ。」
足へしっかり力が入った。
「おっ……。」
思わず声が漏れる。
今日は支える力がいつもより少なくて済む。
その後も、
「今日は歩いて行く。」
と言われたので、手すりへ掴まってもらいながら付き添う。
足元を見る。
足の運びが昨日までより、ほんの少しだけしっかりしていた。
劇的じゃない。
それでも確かに違う。
「……これも使える。」
◇
別の利用者さんの居室。
「久保田さん、起きましょうか。」
「今日は身体が軽い気がするな。」
ベッドから起き上がる動きも、歩行器へ手を伸ばす動作も昨日より滑らかだった。
「調子良さそうですね。」
「不思議だなぁ。」
本人は笑いながら首を傾げる。
俺は何も言わず、心の中だけで頷いた。
◇
数日後。
休憩中、事務所から会話が聞こえてきた。
「最近、山本さん、自分で着替えること増えましたよね。」
「うん。前は袖を通すだけでも手伝ってたのに。」
「今日はズボンもほとんど自分で上げてましたよ。」
別の職員も話へ加わる。
「田中さんもそうですよ。」
「あんなにトイレまで歩こうとして途中で転んでたのに。」
「最近は見に行くと、もう便座へ座ってることが増えました。」
「転倒も減ってるよね。」
「何かリハビリ変わりました?」
「いや、特に変えてないはずだけど……。」
みんな首を傾げていた。
俺はコーヒーを飲みながら、その会話を黙って聞く。
レッサーヒール。
支援アーツ。
数日間、夜勤で介助時間が長い利用者さんを中心に使い続けた。
熟練度も順調に伸び、三人へ使っただけで千に届いてしまった。
熟練度ボーナスで効果時間も、最初より少しだけ長くなっていた。
今では癒骨も慣れたものだ。
影から姿を現すことなく、アーツだけを発動できるようになっている。
もちろん、全部がアーツのおかげとは言えない。
その日の体調もある。
本人の頑張りもある。
それでも。
この変化は偶然だけじゃない。
「……効いてる。」
小さく呟く。
誰にも聞こえないくらいの声だった。
【お知らせ】
良い介護職員は利用者さんへ無断で支援アーツ及び回復アーツを使用しないようにしましょう。
※安心してください。現実にアーツは存在しません。
◇
久しぶりの日勤。
仕事が終わり、更衣室へ向かおうとした時だった。
「黒田君。」
施設長に呼び止められる。
「はい。」
「少し時間ある?」
「ありますけど。」
施設長は穏やかに笑う。
「終わったら、ちょっと面談しようか。」
「……面談ですか?」
「うん。」
「悪い話じゃないから。」
そう言って事務所へ戻っていった。
俺はその背中を見送りながら首を傾げる。
「……何だろ。」
思い当たることがないわけじゃない。
でも、まだ確信は持てず、胸の奥が少しだけざわついていた。