# 15章 正規ルートは身分証明が必要(俺にはない)
「北都へ行く」
前回の俺たちの決意は、輝かしくも無謀だった。
だが、輝かしいだけの決意は現実という名の冷たい水を浴びてすぐに錆びつく。
「北都への移動手段ですね。正直に言いましょう」
翌朝。nascitaの地下基地で、戦兎がホワイトボードの前に立っていた。白衣を着て、まるで大学の講義みたいな格好だ。髪の毛が一本跳ねている。テンション高いタイプの講義になりそうだ。
「東都から北都への往来は、政府によって厳密に管理されている。正規のルートでは出国審査があり、身分証明書の提示が必須だ」
戦兎がマーカーでホワイトボードに矢印を引く。
「ここで問題が二つ」
戦兎が俺と龍我を指差した。
「一人目。万丈龍我。お前は葛城巧殺害容疑で指名手配中。顔を出した瞬間、お縄だ」
「わかってんだよそんなこと」龍我が腕を組んで唇を尖らせる。ソファに深く沈み込んだその姿は、脱獄犯というより不機嫌な大型犬だ。
「二人目。ビリー。お前は…そもそも人間じゃないから身分証明書がない」
「言われてみれば当然だな。でも改めて言われると胸に来るぜ」
俺は自分の胸パネルをポンと叩いた。鈍い金属音がする。そう、ここには心臓じゃなくて動力炉があるのだ。戸籍なんてあるわけがない。
(まあ、あったらあったで「職業:試作型ガーディアン」なんて書類、役所の窓口で突き返されるだろうけど)
「つまり正規ルートは使えない。俺たち三人とも、まともな手続きじゃ北都へは行けない」
戦兎がマーカーをカチカチと弄りながら結論をまとめた。天才物理学者らしく、状況分析は的確だ。
「じゃあどうすんだよ。壁をよじ登るわけ? あのスカイウォールを?」
龍我がスカイウォールの方を顎でしゃくった。nascitaの地上からでも見えるあの巨大な壁。よじ登ろうとしたら、俺の壁面走行機能でも限度がある。
「それは物理的に不可能ではないが、非現実的だ。壁の監視システムは全天候対応のセンサー網だ。検知された時点でガーディアン部隊が来る」
戦兎が首を振る。残念ながら、天才物理学者の脳みそでも壁を越える魔法は出てこないらしい。
「じゃあ詰んだじゃねぇか」
龍我が苛立たしげにソファの背もたれをドンと叩く。
「まだ手はある」
紗羽が、地下室の階段を降りてきた。
フリージャーナリストの滝川紗羽。彼女はいつも通りスマートなジャケット姿で、手には分厚い封筒を持っている。その目が、妙に光っている。
「何か調べたのか?」
戦兎が振り返る。
「ええ。昨晩一睡もしなかったけど」
紗羽が封筒をテーブルに広げた。中身は写真、地図、手書きのメモ。ジャーナリストの取材資料だ。
「スカイウォールの裂け目。東都と北都の境界付近に、政府の監視が届かない抜け道がある」
「抜け道…?」
俺は身を乗り出した。センサーで資料をスキャンする。地図上に赤い丸がついている。スカイウォールの亀裂部分だ。
「通称スカイロード。スカイウォールが隆起した際に生まれた構造的な隙間を利用した非公式ルート」
紗羽が地図の赤い丸を指でなぞった。
「幅は狭いし、天井も低いし、崩落の危険も常にある。でも政府の監視カメラもガーディアンの巡回も届かない。走私者たちが使っている」
「スカイロード…」
戦兎が呟く。髪の毛がフワッと跳ねた。閃いたか、天才。
「スカイロードを通れば、北都へ入れるってことか?」
「理論上はね。でも道が複雑で、一人で入ると迷って壁の崩落に巻き込まれる。だから案内人が必要」
「案内人?」
「闇ブローカー」
紗羽が声を低くした。
「スカイロードを熟知している人間がいて、金を受け取って密航者を北都へ案内している。東都の裏社会で情報を辿って、接触方法まで聞き出した」
「お前、本当にジャーナリストだよな…?」
龍我が呆れた顔をしている。
「フリージャーナリストは行動力が命なの」
紗羽がウィンクした。危険なウィンクだ。
「でも金がいるんだろ。闇ブローカーってくらいだからタダじゃない」
俺が言うと、紗羽が頷いた。
「相場は一人あたり五十万。三人で百五十万」
「百五十万!?」
龍我と戦兎の声がハモった。
「…俺、所持金三百円だったぜ」
龍我がポケットを探りながら呟く。三百円で百五十万は無理だ。数学的に無理だ。龍我でもわかる。
「俺はロボットだから財布を持ってない。そもそもお金を使ったことがない」
俺が言うと、全員の目が俺に向いた。
「…ビリー、あなた今まで給料とかもらってないの?」
美空が呆れた声を上げる。地下基地の隅で、彼女はいつもの気怠げな姿勢でモニターに向かっていた。
「マネージャー業務の報酬は?」
「俺はみーたんのマネージャーだが、雇い主が俺に給料を払ったことはない」
「だって私もお金持ってないし」
美空がケロリと言った。だるそうにあくびをしている。こいつ、自分のマネージャーを無給で働かせているのか。
「というか、みーたんの活動資金はどこから…」
「パパに聞いて」
美空が惣一の方をちらりと見た。
惣一はカウンターの向こうでコーヒーを淹れていた。いつもの飄々とした顔で、何も聞いていないふりをしている。
「マスター」
戦兎が惣一の方を向いた。
「百五十万。どうにかならないか?」
「おいおい、俺は喫茶店のマスターだぜ? 百五十万なんて大金、カフェラテ三千杯分だぞ」
惣一が苦笑いする。だがその手はコーヒーカップを置くと、ポケットから手帳を取り出した。
「…まあ、知り合いに知り合いがいる。ちょっと聞いてみるよ」
「知り合いの知り合い?」
龍我が疑り深い目をした。
「俺の人脈は広いんだ。喫茶店のマスターは、色んな人の話を聞くからね」
惣一がニカッと笑った。その笑顔は、いつもの軽いものだ。だが俺のセンサーは、ほんのわずかに惣一の視線が一瞬泳いだのを捉えた。
(このおっちゃん…金の出所、明かすつもりはないな)
俺は惣一の表情を観察した。脈拍は安定している。表情筋の動きも自然。だが、目の奥が笑っていない。
(13話以前の石動惣一。味方に見えるが何かを隠している大人。まさにその通りだ)
でも今は、その何かを探るタイミングじゃない。
「助かるよマスター。でも金の出所は…」
「聞かない方がいいよ。知りたくないだろ?」
惣一が片目を瞑った。
「…そうだな。聞かないでおく」
戦兎が一瞬だけ目を細めて、すぐに頷いた。この男は、何かを感じ取っている。でも今は先へ進むことを選んだ。
「資金集め、私も協力する」
美空が手を挙げた。
「みーたんの動画、急遽ライブ配信して投げ銭を集める。結構稼げるのよ」
「ネットアイドルの投げ銭で密航費を稼ぐって、何だその組み合わせは」
俺がツッコむ。
「いいじゃない。合法だし」
「合法じゃない部分があるだろ。密航費だぞこれ」
「細かいことは気にしない」
美空が手をヒラヒラと振る。気だるげだが、目は真剣だ。
「あと私の方でも、闇ブローカーの詳しい情報を整理しておく。接触場所、時間、合言葉」
紗羽が資料をまとめながら言った。
「合言葉まであるのか。スパイ映画かよ」
「現実はスパイ映画よりスパイ映画よ」
紗羽が薄く笑った。
「で、戦兎。お前は何か準備するのか?」
龍我が戦兎に問いかけた。
戦兎はホワイトボードの前に立ったまま、腕を組んでいた。髪の毛が跳ねている。閃きの後の、集中モードだ。
「俺はビルドの装備を整える。スカイロードがどんな環境かまだわからない。もし敵に遭遇したら、変身して戦える状態を維持しなきゃならない」
「敵…ファウストが追ってくる可能性は?」
俺が問う。
「ゼロじゃない。ブラッドスタークは俺たちがここに来たことを知ってる。動き出せば、必ず邪魔が入る」
戦兎の声が低くなった。天才物理学者の仮面の下、葛城巧の影を背負った男の顔が一瞬覗く。
「でも行くしかない。北都に答えがあるなら」
「…ああ。行くしかない」
龍我が小さく頷いた。戦兎への疑念は消えていない。だが、龍我は疑いながらもついていく男だ。それが万丈龍我という人間なのだろう。
「ビリーは?」
戦兎が俺を見た。
「俺はついてくに決まってんだろ。守護者は守る対象から目を離さない」
俺は赤いスカーフを直しながら言った。千切れた端がまだヒラヒラしている。
「それに俺は北都のガーディアンの仕様を知ってる。青パネルだろ。東都の緑とは違う。カモフラージュも含めて、役に立てる」
「カモフラージュ?」
「俺、青い塗装になれば北都のガーディアンに見えなくない?」
「…見える見える。頭にヒビ入ってるし、スカーフ巻いてるし、そもそもガーディアンは喋らない」
美空が即座に否定した。容赦ない。
「厳しい」
「現実は甘くないの」
美空がパソコンに向き直った。
「さて、方針は決まった」
戦兎がホワイトボードに大きく書いた。
『北都へ行く。手段:スカイロード経由の密航。案内人:闇ブローカー。資金:みーたんライブ+惣一の人脈』
「異論はないな?」
「ないぜ。さっさと行こうぜ。北都で答え待ってんだろ」
龍我が立ち上がった。膝の上の空のペットボトルがゴロンと転がる。
「異論はないが、一つだけ確認させてくれ」
俺は手を挙げた。
「何だビリー」
「闇ブローカーって、信用できるのか? 金を受け取ったら案内せずに逃げるとか、ファウストに売るとか」
全員が一瞬黙った。
「…信用はできない」
紗羽が正直に言った。
「でも、今の私たちには他に手がない。リスクを承知で乗るしかない」
「リスクを承知、か」
俺は二丁のプロトトランスチームガンを、テーブルの上に置いた。冷たい金属の感触が指先から伝わってくる。
(道具は使い方次第。闇ブローカーも、俺たちも、そうだ)
「よし。じゃあ次のステップだ。資金を集めて、闇ブローカーと接触する。全員、自分の役割をやってくれ」
戦兎がいつもの軽い調子で言った。でもその声の裏には、沸き上がる不安が微かに滲んでいる。
(相棒。お前が隠してる不安は、俺が背負る分には構わない。ただ、答えが出た時に自分の足で立っていられるかどうか、それだけが心配だ)
俺は何も言わずに、頷いた。
赤い識別灯が、薄暗い地下基地で静かに点滅している。
千切れたスカーフが、エアコンの風にヒラリと揺れた。
# 16章 みーたんの投げ銭で密航費を稼ぐ問題
「というわけで緊急配信するからみんな静かにしてて」
美空が地下基地のモニターの前に座った。いつもの気だるげな姿勢から一転、背筋をピンと伸ばしている。まるで別人だ。いや実際別人になるんだから怖い。
「ちょっと待て。俺たちが静かにしてて、お前一人で百五十万稼ぐのか?」
龍我がソファから顔を上げる。
「みーたんの投げ銭、バカにならないのよ。前回の配信で三万分集まった実績があるし」
「三万分を五回分やっても十五万だぞ。足りねぇよ」
「だからパパが残りを出すって言ってるでしょ。足りない分は」
美空が惣一の方をちらりと見た。惣一はカウンターでコーヒー豆を挽いている。ガガガガッという音が地下まで響いてくる。
「ああ。足りない分は俺がなんとかする。だからお前は配信に集中しろ」
惣一が豆を挽きながら軽く言う。まるで「牛乳買ってくる」くらいの軽さだ。百五十万の話をしてるんだぞ。
「マスター、あんた金持ちなの?」
龍我が疑り深い目をする。
「喫茶店のマスターだぞ俺は。店の売上とツテを総動員するだけだ。心配するな」
惣一がニカッと笑う。その笑顔にはいつもの胡散臭さが漂っている。だが今は深く考えない。金は金だ。出所より目的が先だ。
「よし始める。みーたんモード起動」
美空が深呼吸を一つして、カメラの前に座った。
俺は地下室の隅からその変化を観察した。
カメラの電源が入った瞬間、美空の雰囲気が変わる。肩の力が抜けて、目が少し下垂して、唇が緩く開く。気だるげな、でも可愛らしい。
(すげぇな。これ、演技なのか? いや素の美空も気怠げだけど、方向性が違う。こっちは「可愛い気だるげ」で普段は「毒舌気怠げ」だ)
「みんなのみーたんだよー。……って、こんな朝から配信とか寝足りないんだけど」
美空がカメラに向かって手を振る。声が一段高く、語尾が伸びている。
『みーたん!』
『朝配信珍しいね!』
『今日可愛いね!』
コメントが流れる。美空のファン層は朝から元気だ。俺たちが夜更かししてる間に彼らはちゃんと寝てるんじゃないか。
「みーたん今日ね、ちょっとお願いがあるの」
美空が上目遣いでカメラを見る。
(うわあ。これは反則だ。光学センサーが眩んだ)
『お願い!?』
『何でも言って!』
『投げ銭するよ!』
釣れた。いや初手から釣れてる。
「実はみーたん今度旅行に行こうと思ってて。でも旅費がちょっと足りないの。だからみんなに応援してほしいなーって」
嘘ではない。北都への密航費のことを「旅行の旅費」と言い換えただけだ。技術的に嘘じゃない。でも詐欺ギリギリだ。
『旅行!? みーたん旅行行くの!?』
『どこ行くの!?』
『投げ銭投げ銭!』
コメント欄が盛り上がる。スーパーチャットの通知音がピロンピロンと鳴り始めた。
「五百……千……二千……」
戦兎がモニターの横で集計画面を見ている。髪の毛がフワフワ揺れている。計算モードだ。
「いいペースだ。一時間で二万いけば、六時間配信で十二万」
「六時間!? 私がみーたんを六時間もやると思ってんの?」
美空がカメラから目を離さずに戦兎に抗議する。声はみーたんモードのままだ。ギャップがすごい。
「お前がやるんだよ。他に稼げる人間がいないだろ」
「疲れたし眠いし寝るし」
「寝るな!」
戦兎と美空の掛け合いが始まった。俺は傍観する。
「ビリー、お前も手伝えよ」
龍我が俺の背中を叩く。
「俺が何をするんだ。みーたんのバックダンサーか?」
「いやそうじゃなくてさ。お前ロボットだろ。画面に出して面白がられるとかないか?」
「俺を芸人扱いするな。俺は試作型ガーディアンだぞ」
「ガーディアンがネットアイドルのバックに立ってる時点でもう芸人だろ」
言い返せない。確かに今の立ち位置は微妙だ。
「ビリーくん出てきてー!」
美空が突然カメラの方に俺を呼んだ。
「はい?」
「みーたんの助手として。ロボットの助手って新しさあるでしょ」
「俺の存在意義が揺らぐんだが」
「早く!」
美空に腕を引っ張られて俺はカメラの前に出た。
『うわ何コレ!』
『ロボット!?』
『みーたんのとこにロボットいるの!?』
『すげえかっこいい!』
『何これ何これ!』
コメントが爆発した。
「はい、こちらみーたんのマネージャーののBPくんでーす」
美空が俺の肩に手を置いて紹介する。俺は困惑したままカメラに向かって小さく手を振った。
正体がバレないよいうには、一応は加工はしてある。
『BPくん!』
『かわいい!』
『かっこいい!』
『声出るの!?』
「あ、声出ます。俺の方こそ、よろしくお願いします」
俺はとりあえず自己紹介した。これが正解だったらしい。スーパーチャットの通知音がピロンピロンピロンピロンと鳴り止まない。
「戦兎、集計どのくらいだ」
「三万五千。……一時間で三万五千だ。ペースが上がってる」
戦兎がモニターを叩いて興奮している。髪の毛が跳ねまくっている。
「六時間配信で二十万いけるかも」
「二十万!? まだ足りないじゃん」
龍我が腕を組む。
「残り百三十万。マスターの出番だな」
俺が惣一の方を見る。惣一はコーヒー豆を挽き終わり、カウンターに肘をついて配信を眺めていた。
「ああ。残りは俺がする。つーことで美空、あと五時間頑張れ」
「五時間……」
美空の顔が引きつった。みーたんモードでも隠しきれない疲労だ。
* * *
配信は六時間続いた。
六時間だ。
俺はその間、みーたんの助手としてカメラに映り続けた。ロボットのクイズコーナー、ビリーに質問コーナー、みーたんとビリーの漫才もどき。人間のインターネット文化は深くて怖い。
「お疲れ様でしたー……」
配信終了と同時に美空が椅子から崩れ落ちた。
「疲れたし、眠いし、寝るし」
「寝るな。集計先に確認するぞ」
戦兎がモニターを操作する。
「総額……十八万二千三百円」
「十八万か。悪くない」
龍我が口笛を吹く。
「残りは百三十一万七千七百円。マスター、頼んだぞ」
戦兎が惣一の方を向く。
惣一はカウンターの向こうで、いつの間にか電話を終えていた。いつ電話したんだ。俺のセンサーは配信に集中してて見逃したらしい。
「ああ。手配した。明日の朝には用意できる」
惣一が何事もなかったかのようにコーヒーを一口飲む。
「マスター」
戦兎が惣一を真っ直ぐ見た。その目には疑問がある。
「金の出所、俺は聞かないと決めた。でも一つだけ確認させてくれ」
「何だ?」
「この金、後で誰かが返しに行くようなものじゃないよな?」
静寂が落ちる。
惣一がコーヒーカップを置いた。ゆっくりと、音を立てずに。
「戦兎。俺は喫茶店のマスターだ。客にコーヒーを淹れて、たまに娘の友人の小銭を工面する。それ以上でも以下でもない」
惣一が微笑んだ。いつもの掴みどころのない笑み。
「それ以上は聞かない約束だろ?」
戦兎が三秒間、惣一を見つめた。そして頷く。
「…わかった。ありがとうマスター」
(このおっちゃん、やっぱり何か隠してる)
俺の赤い識別灯がチカチカと点滅した。だが今は追及しない。北都へ行くための資金が確保できた。それが今の優先事項だ。
* * *
「さて、金は揃った。次は移動手段の問題だ」
戦兎がホワイトボードに新たな項目を書き足す。
「闇ブローカーと合流する場所は東都の外れ。スカイウォールの麓にある廃倉庫だ。そこまで移動する必要がある」
「車で行けばいいだろ」
龍我が言う。
「問題はそこからだ。闇ブローカーが案内するのはスカイロード。人間が歩いて通れる幅の道だ」
「歩いて通れるなら車は使えない。じゃあどうやって移動する」
戦兎が俺を見た。
その目が、何かを企んでいる。
(嫌な予感がする。天才がこういう目をするとき、だいたい俺に無理難題が降ってくる)
「ビリー。お前のライドモード、使えるか?」
来た。
「ライドモード…。使えるけど」
「使えるけど、じゃない。使ってくれ。俺と龍我を乗せてスカイロードを走れるのはお前だけだ」
「ちょっと待て。俺をバイク扱いするのか」
「バイクじゃない。相棒だ」
「相棒を乗り物にするなよ!」
「ライドモードはお前の機能の一部だろ。使わない手はない」
戦兎が正論を吐く。正論すぎて腹が立つ。
「俺は試作型ガーディアンであって、試作型バイクじゃない」
「見た目はバイクだろ」
「見た目で判断するな!」
「でも機能的にはバイクとして使える。葛城博士がそう設計したんだ」
戦兎が畳みかける。確かにその通りだ。博士は俺のライドモードを「緊急時の移動手段」として設計した。フレームを折りたたんでホイールを展開し、二人乗り可能のバイク型態になる。
でもそれは緊急時の機能だ。普段から使うために作ったんじゃない。
「…俺、荷物扱いだ」
俺はボディの関節をパキパキ鳴らしながら不満を漏らした。
「荷物じゃない。足だ」
「足扱いかよ。それも嫌だ」
「ビリー、お前がバイクになってくれなかったら、俺たちは北都へ行けない。北都へ行けなかったら、お前が調べたい博士の真実もわからない」
戦兎が真っ直ぐな目で俺を見た。
(くそ。正論だ。また正論だ。この男はいつも正論で俺を動かす)
「…わかったよ。やるよ。その代わり条件がある」
「何だ」
「バイク形態のとき、俺のことを『号』とか『くん』とかじゃなくて『相棒』って呼べ」
「当たり前だろ」
戦兎が鼻で笑った。
「あともう一つ。ライドモードのとき、俺は喋らない。バイクが喋ったら闇ブローカーに怪しまれるだろ」
「妥当だな。いいよ」
「よし。じゃあ変形してみるか」
俺は深く息を吸い込む…いや動力炉の出力を一段上げて、フレームの変形シーケンスを起動した。
カシャン! カシャン! カシャン!
腕のフレームが折り畳まれ、脚部が縮み、ホイールが展開する。胴体の装甲が前傾し、ハンドルが伸びる。
五秒。
俺のボディは、赤いスカーフを巻いた試作型バイクへと変形した。
「…すごいな」
龍我が目を丸くする。
「お前、本当にバイクになんだな」
「バイクじゃない。ライドモードだ」
「喋った。さっき喋らないって言ったばかりだろ」
「…黙れ」
「戦兎、これかっこいいな。赤いスカーフ巻いたバイクとか、某ラリー映画みたいだ」
戦兎が俺のタンク部分をポンと叩く。髪の毛が跳ねている。楽しそうだ。
「叩くな。感覚センサーあるんだぞ」
「ごめんごめん。でも乗り心地良さそうだ」
「良さそうじゃなくて良いぞ。博士が設計したサスペンションは東都ガーディアンの量産機より上等だ」
俺は自慢した。これは嘘じゃない。博士の設計は細部までこだわっている。サスペンション、ショック吸収、タイヤのグリップ力。全部一級品だ。
「じゃあ明日の朝、ここを出発する。闇ブローカーとの合流は昼前」
戦兎が時計を見る。
「それまでに準備を済ませておこう。フルボトルの補充、ドライバーの調整、ビリーのメンテナンス」
「メンテナンス?俺が?」
「当たり前だろ。自分のボディの整備くらい自分でやれ」
「やるよ。ただ右脚の関節にまだ異音があるんだ。リミッター解除の反動が残ってる」
「どのくらいの損傷だ」
「装甲耐久度は七十八%。関節の出力は通常の九十二%。実戦には耐える」
「九十二か。百まで戻せるか」
「スパナと一時間あれば」
「じゃあ今夜やれ。明日は長い一日になる」
戦兎が俺に工具箱を渡した。重い。中には精密ドライバーからレンチまで揃っている。
「戦兎」
「何だ」
「…ありがとな。北都まで連れてってくれて」
「は?」
「俺、外の世界を見たことないんだ。nascitaと戦場しか知らない。北都の空気がどんなものか、博士が過ごした場所がどんなところか。見てみたい」
俺は珍しく素直なことを言った。口元のサーボが勝手に動いた。笑っているつもりはない。でも、動いた。
戦兎が一瞬、目を丸くした。そして、いつもの軽い笑みを浮かべる。
「お前、意外とロマンチストだな」
「ロボットにロマンチストもクソもないだろ」
「あるさ。道具にも夢はあるんだろ?」
「…馬鹿にしてる?」
「馬鹿にしてない。褒めてるんだよ」
戦兎が俺のタンクをもう一度ポンと叩いた。
「明日、北都の空を見せてやるよ」
「期待してるぜ相棒」
俺は工具箱を抱え、地下室の隅へ向かった。メンテナンススペースだ。ここで自分のボディを整えて、明日に備える。
背後で龍我が「お前ら二人、何だか漫才コンビみたいだな」と言っているのが聞こえた。うるさい。漫才じゃない。相棒だ。
赤いスカーフが、地下基地の空調の風にヒラリと揺れた。
明日は北都へ。博士の足跡を追う。佐藤太郎の過去を調べる。そして戦兎の真実に近づく。
俺の動力炉が、静かに熱を帯びていた。