銀河英雄伝説・次代篇 ~英雄の残光~   作:銀河の灯守

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第一・五章 拾われた者たち
第六話 拾われた者たち


【新帝国暦十三年 辺境暗礁宙域 イリヤ・ラザレフ】

 

 

艦は、死につつあった。

 

主機は沈黙し、灯りは非常用の赤に落ちている。

暖房は、とうに切った。

乗員は、凍えぬために身を寄せ合って眠る。

無音の闇のなかを、傷ついた一隻があてもなく漂っていた。

 

イリヤ・ラザレフは、冷えきった作戦室で、数を数えていた。

 

生き残った乗員、三十九名。

まだ動く砲、二門。

水と、食糧と、空気の残り。

それを人数で割り、日数に直す。

何度やり直しても答えは同じだった。

あと、十日。

 

イリヤは、まだ二十歳そこそこの、若い士官である。

この漂う鉄の棺のなかで、いつのまにか、いちばん上の階級になっていた。

上官たちは、みな、あの日に死んだ。

 

この三十九名を生かして、どこかへ連れていかねばならない。

それが、私に遺された、ただ一つの命令だった。

 

あの日。

沈みゆく艦隊から一隻でも多く逃がすために、エイジ・クルス提督が自ら殿に残った日。

 

散り散りに逃げる、その直前。

私は、残らせてくれと願った。

家族も、友も、あの戦役の火で、みな焼かれた。

ほかに行く先などない。

ならば、ここで死なせてほしい、と。

 

だがクルス提督は、一喝した。

「行き場所がないなら、なおのこと生きろ。……それが、命令だ」

そして、こう続けた。

「行け。生き延びて、見ろ。我々が見られなかったものを」

 

私は、何か言いかけて、言えなかった。

ただ、精いっぱいの敬礼をした。

旧・自由惑星同盟軍式の、古い敬礼。

提督は、背筋を伸ばして、それを返した。

それが、あの人を見た、最後だった。

 

見ろ、と言われた。

だが私には、何を見ればいいのか、本当のところは、分からずにいる。

 

私が生まれたとき、自由惑星同盟という国家は、もう傾いていたらしい。

そして、物心のつく前に、国は滅びた。

議会も、選挙も、自由の下で暮らす日々。

私にとって民主共和政とは、体験ではなく、言葉だった。

禁じられた古い教科書と、老兵たちの昔語りの、どこか眩しい、遠い一節。

それでも私は、その一節のために戦ってきた。

 

クルス提督が遺した、見られなかったもの。

老兵たちが歌に託した、自由の暁。

それがいつか、ほんとうにこの空の下に訪れる朝のことだと、私は思っている。

そう信じるより、ほかになかった。

 

だから、まだ死ねない。

生きろと、命じられた。

この三十九名を連れて、その暁のある場所まで、たどり着かねばならない。

だが。

その暁が、この暗い宇宙のいったいどこにあるのか。

イリヤ・ラザレフは、まだ、知らずにいた。

 

 

***

 

 

三日が、過ぎた。

 

食糧は、また減った。

負傷者の何名かは、もうあと何日も持たないだろう。

 

行く先を、早急に決めねばならなかった。

 

作戦室に、動ける者だけが、集まった。

みな痩せて、目だけが落ちくぼんでいる。

沈黙を破ったのは、機関部の老兵だった。

アムリッツァを知る、数少ない生き残りの一人である。

 

「バーラトへ、行きませんか」

 

老兵は、しわがれた声で言った。

「魔術師の……ヤン提督の……。その遺志を継ぐ人々が、あそこにいる。我々と同じ旗を捨てなかった者たちが。あの人たちなら、我々を見捨てはしますまい」

 

その名が、冷えた空気をわずかに震わせた。

 

ヤン・ウェンリー。

議会も、選挙も、見たことのない私にすら、その名だけは別格だった。

あの人が守り抜いた場所こそ、あの眩しい一節がいまなお息づく、ただ一つの場所。

そう教わって、育ったのだ。

 

もし、辿り着けるなら。

あそこは、暁のある場所かもしれない。

 

「――発信しろ」私は、決めた。

「旧同盟軍の古い符丁で。ヤン・ウェンリーの遺志を継ぐ方々に届くように」

 

呼びかけは、幾度も闇へ放たれた。

返事は、長いあいだなかった。

 

そして、来た返事は、短かった。

 

バーラト自治政府。事務的な、定型の通信だった。

――貴船の受け入れはできない。

 

理由は、記されていなかった。

 

私は、しばらく動けなかった。

拒まれたのだ。

同じ旗を掲げたはずの人々に。

 

だが――通信が切れるその間際。

定型ではない、もう一つの声が割り込んだ。

 

低い、老いた男の声だった。

どこか、あの機関長の唱和に似た古い同盟兵の響きがあった。

 

「……すまない」

 

それだけを、まず言った。

 

「本当は、迎えに行きたい。だが、我々が扉を開けば、家ごと、皆が死ぬ。……だから、正面からは拾えん」

声は、絞り出すように続けた。

「指定の座標へ、向かってくれ。そこで、落ち合う者を待たせてある。新しい名と戸籍と隠れ家を用意した。辺境の静かな星だ。……そこでなら生きられる。書類には残らん形で手配した」

「目立つな。誰にも、見つからぬよう、そこへ。……それが、いま我々にできる、精いっぱいだ」

 

一拍、置いて。

 

「――生きてくれ。頼む」

 

通信は、切れた。

 

拒まれた。

だが、あの声は、たしかに、我々と同じ痛みで、震えていた。

扉は閉ざされ、その扉の内側で誰かが詫びていた。

 

暁のある場所は、あった。

だが、その扉は、我々を正面からは迎え入れられなかった。

――ならば、裏口から差し出された、その手を掴むしかない。

 

私は、記録を閉じた。

そして、三十九名をその座標へ向けた。

差し出された、その手を掴むために。

 

 

***

 

 

【新帝国暦十三年 バーラト自治政府・惑星ハイネセン】

 

 

その報せを持ち込んだのは、ダスティ・アッテンボローだった。

 

かつては、魔術師ヤン・ウェンリーの後輩として自由惑星同盟軍で艦隊を率い、若くして将官の椅子に座った男である。

反骨精神と皮肉屋の血は、ジャーナリスト志望だった父から継いだものだ、と本人は嘯く。

今は、軍服を脱いで久しい。

いまは「革命戦争の回想」と題したノートを書き続ける、ジャーナリストのはしくれである。

――もっとも、退役してなお、旧同盟軍の古い周波数を、酒でも舐めるように聴き続けている。

 

消えた国の、消えた符丁。

もう誰も使わぬはずの帯域だ。

「悪趣味だとは、自分でも思うんだがね」と、いつもは笑ってみせる。

だがその夜、評議会の小部屋に現れた男は、笑っていなかった。

 

「あのクルス艦隊の、生き残りだ」

 

アッテンボローは、机に一枚の紙を放った。

「三十九名。飢えて、凍えて、暗礁の底を漂っている。……古い符丁で、救援を乞うてきた。まだ、あの自由の旗を、畳んじゃいないんだとさ」

そこまで言って、この皮肉屋は、めずらしく、続く軽口を、呑み込んだ。

 

「気持ちは、皆と同じだ。誤解のないように、言っておくが」

口を開いたのは、ムライだった。

 

事務処理に長け、規律と秩序を重んじる、生真面目な参謀である。

かつてのヤン艦隊の会議では、いつも開口一番に慎重論を唱え、陰では「歩く叱言」と呼ばれてきた。

 

だが本人は、それを不平とは思っていない。

誰かが冷や水を差さねば、艦隊はとうに沈んでいる。

そう心得て、長年、進んで憎まれ役を引き受けてきた男である。

 

規律の男は、そう前置きしてから、抑えた声で続けた。

「だが、こういう場で、水を差すのは、昔から私の役目でね。……嫌われ役だが、誰かが言わねばならん」

「彼らは、帝国皇帝の暗殺を、企てた。新帝国法でも、皇帝への大逆は、死刑だ。例外は、ない。……そしてここは、帝国内の自治領だ。その大逆の者を我々が匿えば、かつて多くの血をながしてようやく獲得した自治権。その剥奪の、格好の口実になりかねん。和約後、薄氷の上で守ってきた、この自治を失う」

 

 

「ムライ参謀長の言うとおりだ」

評議員ベルナール・コーツが、冷めた声で引き取った。

中年の、どこか醒めた目をした男である。

理念より生存を優先する現実派として知られ、帝国への感情的な主戦論を、いつも冷静に戒めてきた。

善人ではある。

ただ、痩せた自治領を守るためなら、理念の一片を切り売りしてでも構わない、と信じている。

「三十九人のために、この星の幾億を危険に晒すのか。感傷では、国は守れん。私は、反対だ」

 

「――だから、見捨てろっていうんですか!」

 

アッテンボローが、机を叩いた。

「よしてくれ。あの旗のために戦って、負けて、それでも旗を捨てなかった連中だぞ。おれたちと、同じものを信じた仲間を。扉の外で、野垂れ死にさせろってのか」

 

「落ち着け、アッテンボロー」

そう言ったのは、アレックス・キャゼルヌだった。

 

旧同盟軍・後方勤務本部長代理。

ヤンの士官学校以来の親友であり、現在は自治政府の行政と兵站を一手に担う、事実上の文官の長である。

限られた資源の小勢力を、二十余年、やりくりしてきた現実的な屋台骨だ。

だが、その乾いた現実主義の底には、家族思いの温かさが流れている。

 

誰よりもそれを知っているのが、アッテンボローだった。

「落ち着けるかよ、キャゼルヌ先輩!なら聞くが、何のための自治だ!仲間ひとり拾えん自由なんぞ、後生大事に抱えて、いったい何になる!」

キャゼルヌは、すぐには言い返さなかった。

 

古い兵站家は、腕を組んで、しばらく机の木目を睨んでいた。

「……拾えん、とは言っておらんよ」ようやく、低く言った。

「言っておるのは、正面の扉を開けたら、全員死ぬ、ということだ。迎え入れれば、帝国は、必ず引き渡しを要求してくる。応じれば、自分たちの手で、彼らを処刑台へ送る。拒めば、和約違反で自治が終わる。……扉を開けても、開けずとも、彼らは死ぬ」

 

キャゼルヌは、顔を上げた。

その目に、諦めはなかった。

 

「――だが、正面が駄目でも、裏口ってものがある」

 

「裏口?」

 

「二十余年、同盟軍の時代から、痩せた台所で少ない材料をやりくりしてきた。得意なんだよ、そういうのは」

キャゼルヌは、皮肉に口の端を上げた。

「正面玄関からは、拾えん。だが、正面でなければ、話は別だ。……人目につかぬ座標で、落ち合う手筈を、整えてやる。新しい名と、戸籍と、隠れ家を、な。辺境の静かな星に。補給も積んでやる。書類に残らん形で」

 

「それは、和約違反では」ムライが眉を寄せた。

 

「おや。わたしはただ、書類を少々、数え間違えるという話をしているんだがね」

キャゼルヌは、しれっと言った。

 

「戸籍の、一枚くらい、どこかへ紛れ込むことも、あるさ。……誰かが責任を取らにゃならんのなら、わたしが取る。誰も責任を取らん国よりは、まだしも、まともってもんだ」

 

 

ユリアンは、長いあいだ、黙って聞いていた。

 

自治政府評議会議長の椅子は、重かった。

借り物の椅子だと、いつも思う。

ヤン・ウェンリーなら、座らなかったであろう椅子。

 

 

「……正式な回答は、『受け入れられない』とします」

ユリアンは、静かに言った。

声には、痛みが滲んでいた。

「コーツ評議員の懸念は、正しい。ここで自治を失えば、僕たちが守ろうとしているものすべてを、失う。それは、あの三十九名を含めて、もっと多くを、死なせます」

 

アッテンボローが、口を開きかけた。

 

「――でも、アッテンボローさん」ユリアンは、その先を、穏やかに継いだ。

「裏口の鍵は、キャゼルヌさんに、預けます。できることは全部してください」

そして、少しだけ、笑った。

どこか、自信のなさそうな、笑い方だった。

「……こういうとき、ヤン提督なら、何と仰ったでしょうね」

 

 

***

 

 

評議が果て、みなが去ったあと。

 

キャゼルヌだけが、通信卓の前に、残った。

古い兵站家は、しばらく、誰もいない画面を見ていた。

それから、記録に残らぬ回線を、そっと開いた。

 

落ち合いの座標を送る。

新しい名と、戸籍と、隠れ家を、辺境の静かな星に用意したと伝える。

そして最後に、事務仕事とは関わりのないひとことを闇へ向けて囁いた。

 

「指定の座標へ、向かってくれ。そこで、落ち合う者を待たせてある。新しい名と戸籍と隠れ家を用意した。辺境の静かな星だ。……そこでなら生きられる。書類には残らん形で手配した」

「目立つな。誰にも、見つからぬよう、そこへ。……それが、いま我々にできる、精いっぱいだ」

 

一拍、置いて。

 

「――生きてくれ。頼む」

 

返事は、なかった。

キャゼルヌは、回線を閉じた。

そして、老いた背を、少しだけ丸めて、部屋を出ていった。

自分が差し伸べたその手が、無事にあの三十九名へ届くことを。

ただ、祈りながら。

 

 

***

 

 

【新帝国暦十三年 辺境宙域 イリヤ・ラザレフ】

 

 

バーラトは、扉を開けてはくれなかった。

だが、閉じた扉の隙間から、手だけは差し入れてくれた。

 

指定された座標へ向かえ、と、あの声は言った。

そこで、落ち合う者がいる、と。

新しい名。新しい戸籍。辺境の静かな星の、小さな家と職。

息をひそめて生きるための、一切を用意してある、と。

 

私は、その座標へ艦を向けた。

三十九名を生かすために。

 

ただ、胸の底がざらついていた。

ラザレフの名を捨て、自由のために戦う戦士だった過去を、捨てて。

何も、悪いことはしていないのに。

――それでも、皆が助かるなら。

私はそのざらつきに無理やり蓋をした。

 

 

指定された座標まで、あと半日という頃だった。

闇の中から、一隻の船が、音もなく寄り添ってきた。

 

まず届いたのは、言葉ではなかった。

食糧だった。

温かい、湯気の立つ、粗末な配給食ではない本物の食糧が無人艇に載せられて、こちらの艦へ送り込まれてきた。

医薬品も、毛布も、あった。

飢えて凍えた三十九名がそれに群がった。

条件は何も告げられなかった。

ただ、差し出された。

 

それから、通信が入った。

古い同盟軍の符丁だった。

バーラトのものより、もっと古く、もっと優しい符丁だった。

 

「……よくぞ、生き延びられました」

 

穏やかな、老いた女の声だった。

祖母が孫を迎えるような、あたたかさがあった。

 

「飢えて、凍えて、それでも旗を捨てなかった。……立派です。あなた方は、まことに立派だ」

声は労わるように続いた。

「バーラトへ行かれるのですね。……自治政府の人たちは、扉を閉じたでしょう。詫びながら、苦しみながら。……お辛かったでしょうね」

 

私は、答えられなかった。

なぜ、それを知っている。

 

「責めてはなりませんよ。あの人たちも、正しいのです」

声は、静かに言った。

「正しくあろうとすれば、誰かを見捨てねばならないことがある。……もちろんあなた方が悪いのではありません。ただ、彼らの正しさのため、見捨てられる側になっただけです」

 

「一つ、伺っても?」

声は優しく問うた。

「その座標の先で、あなた方を待つのは何でしょう。……新しい名。偽りの戸籍。辺境の片隅で、別の誰かのふりをして、息をひそめて、老いてゆく日々」

「あなた方は、何も悪いことをしていない。滅ぼされた国の民が、征服者に抵抗した。それのどこが罪でしょう。……なのに、イリヤ・ラザレフという名を、捨てさせられる。同盟の軍人だったという誇りごと」

「その恨みと、その後悔を、胸の底に埋めたまま、偽りの名で、残りの生涯を静かに朽ちてゆく。……それは、生きている、と、言えるのでしょうか」

 

言葉が、胸のざらついた場所に、まっすぐ指を差し込んできた。

私が自分でも言葉にできずにいたものを。

この声は私よりも正確に言い当てた。

 

「最後に――エイジ・クルス提督は、何と歌っておられました?」

 

その一言に、私は、息を呑んだ。

 

「思い出してごらんなさい。……自由の暁を。呼び込もう、と。あの方はそれを見ずに逝かれた。あなたに託して」

声は、限りない崇敬を込めて続けた。

「では、伺います。……あの方が見たかった暁とは、なんでしょう。また剣を執り、また誰かを喪う、終わりなき日々でしょうか。……それとも、もう二度と、誰も喪わずにすむ、静かな朝でしょうか」

「わたくしは後者だと思うのです」

 

――行け。生き延びて、見ろ。我々が、見られなかったものを。

 

あの遺言が耳の奥で鳴った。

偽りの名で、隠れて老いること。

それが、「見ろ」の答えなのか。

もう誰も喪わずにすむ、静かな朝。

それこそが。

だが、なぜだろう。

その「静かさ」に、墓地のような静けさを、ふと感じた。

 

「戦えとは、申しません」

声は、両手を広げるように、言った。

「戦わぬのもあなたの自由。名を捨てよとは申しません。……ただ、あたたかい寝床と、あなた方を待つお仲間が、もう幾人も。自由の旗を捨てなかった方ばかり。……あなたのような、ね」

「とりあえず、いらしてみては? ……気に入らねば、いつでも――」

 

声は、そこで、言葉を、切った。

その続きを、言わなかった。

 

通信の画面の隅に、その船の紋章が、ちらと映った。

緋色の、衣の裾。

そして、胸に――一本の、樹の意匠。

幾重にも枝を広げ、深く根を張った、金色の大樹だった。

 

帝国の紋章では、ない。

旧同盟軍にも、いずれの星系にも、そんな紋章は、なかったはずだ。

――それでも、私は、それを、気に留めなかった。

胸を占めていたのは、暁のこと、ただ、それだけだった。

 

「……名を、捨てなくていいのですか」

私は、掠れた声で問うた。

「ええ」老いた声は、微笑んだように言った。

「あなたは、あなたのままで、よいのです。……イリヤ・ラザレフのままで」

 

それが、どれほど、優しく、聞こえたことか。

 

「……行きます」

私は、言った。

三十九名を、暁のある場所へ、連れてゆくために。

 

 

***

 

 

指定の座標で、バーラトの連絡員は三日待った。

船は来なかった。

 

やがて、辺境の航路監視網が、ひとつの記録を拾った。

所属不明の老朽艦、一隻。機関の停止。暗礁宙域での漂流。

――遭難。生存者、確認されず。

 

キャゼルヌは、その報せを長いあいだ見つめていた。

そして静かに書類を閉じた。

 

「……間に合わなかったか」

 

老いた兵站家はひとり呟いた。

差し伸べた手がほんの少し届かなかったのだと、彼は思った。

三十九の命を救い損ねたのだと。

その悔いを、彼は生涯手放さなかった。

 

――だが。

その船は、沈んではいなかった。

金色の樹を掲げた手が、先に掬いあげていた。

そのことを、バーラト自治政府の誰ひとり、知る者はいなかった。

 




【次回予告】

拾われた、三十九の命。

差し伸べられた手は、あたたかく。

拒んだ手は、詫びていた。掴んだ手は、微笑んでいた。

陽の当たる場所で、幼き獅子たちが学びの日々を始めるとき。

光の届かぬ場所でもまた、捨てられた者たちが、静かに集いはじめていた。

次回、『銀河英雄伝説・次代篇 ~英雄の残光~』第二章。

「幼年学校編」。

――銀河の歴史が、また1ページ。
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