【新帝国暦二十四年・聖暦二十三年四月十八日 第一聖団〈黄金樹〉展開宙域方面】
〈大斉鐘〉の発動命令は、第一聖団の三個艦隊三万隻にも届いた。
バーミリオン星域に展開中の〈ベローナ〉艦隊では、艦隊司令のラスバッハが端末に表示された命令を眺め、愉快そうに笑った。
「おぉ? 鬼ごっこだけかと思ってたら、戦争かぁ。いいねぇ」
「閣下、まだ交戦命令は出ておりませんぞ」
「分かってる。お楽しみはこれからだ。……戦争にはな、不運な『誤射』ってやつがよくあるんだよなぁ」
一方、〈ウィルトゥス〉艦隊では、艦隊司令のメルゼブルクも命令を読み終えた。
「……是非もない。全艦、指定待機域への移動準備を。交戦命令が出るまで勝手に発砲しないよう、各艦に徹底しろ」
***
【同日 第二聖団〈律法〉司令部】
ベーレントの卓に、〈大斉鐘〉の執行命令が届いた。
「司令、現場の哨戒艦四隻の艦長から、それぞれ撤退と射撃管制の解除を求める具申が何度も上がっております。このままでは交戦を招きかねないと」
「改めません」
ベーレントはそれだけ答え、第二聖団の後方部隊に対する移動命令の確認を続けた。
*
【同日 第二聖団〈律法〉サトゥルヌス艦隊】
〈サトゥルヌス〉艦隊司令のバルタザール・フォン・ブレドウ聖将のもとにも、第二聖団司令部から新たな命令が届いた。
「ブレドウ閣下。当艦隊に、帝国支配宙域への越境追跡の命令が下りてきています。帝国軍の正規艦隊と交戦となる可能性がありますが……」
「承知している。ベーレント司令からの命令だ。当艦隊は越境追跡を行う」
「一万隻すべてを前進させますか?」
「進出路と退路を確保してからだ。その後、全部隊に前進を命じろ」
「承知しました」
ブレドウは戦術表示に目を戻した。帝国領へ向かう進路が引かれた。
***
【同日 第三聖団〈フェザーン〉司令部】
〈大斉鐘〉の命令を読み終えた第三聖団司令のカザリスは、呆れたように口笛を吹いた。
「おいおい。たかが救難艇一隻、女二人が、とうとう十一万隻を動かしちまったか。ずいぶん高くつく話だな。割に合わねえ」
「うちも二万隻、総出なんですかい?」
副長のダンカンが訊いた。
「二万隻ったって、うちの半分以上は荷を運ぶ船だぞ?帝国の正規艦隊と正面から撃ち合ってどうする。輸送船は後ろに回せ。補給と退路の確保が先だ」
そこへ、第三聖団所属の〈フォルトゥナ〉艦隊司令ミロシュ・コルダ従聖将から通信が入った。
『これはこれは、カザリスさん。たいそう賑やかなことになってまいりましたね。何よりです。帝国が六万隻、こちらが十一万隻。おそらくまだ増える。たった一隻の救難艇に、なかなか豪勢なお出迎えときた』
「笑い事じゃねえぞ、コルダ」
『もちろん承知しておりますよ。しかし、帝国軍も動き始めたのでしょう?我々もいつまでも同じ場所にいては、せっかくの見物の機会を逃してしまいます』
「……何を考えてる」
『〈フォルトゥナ〉の先行部隊には、〈第七契約隊〉を指定宙域の外縁まで出します。あそこなら帝国軍の次の動きもよく見える。両軍の引き金が引かれるところを、特等席でじっくり拝見させてもらいます」
「第七契約隊? お前んとこの傭兵団の古株か」
『ええ。教国の編制では別の名前ですが、連中には昔の呼び名の方が通りがよろしい。何しろ、もう二十年以上その名で飛んでおりますから』
「……まだそんな名前を使ってるのか」
『看板を替えたところで、船乗りの中身まで替わりませんよ。カザリスさんのところも同じでしょう』
「……お前、ずいぶん楽しそうだな」
『おや、そう聞こえますか?』
コルダは笑った。
『いやあ、困りましたな。長年、他人の勝負を眺めてばかりおりましたから。いざ自分の番が回ってくるとなると、どうにもこうにも落ち着きません』
「お前さん、本当に大丈夫か?」
『ええ、ご心配なく』
「待機域からは出るなよ。交戦命令もまだないんだ」
『ええ、ええ。十二分に心得ておりますとも。まぁ、
通信が切れた。
ダンカンがカザリスを見た。
「……どう思います?」
「腕は確かなんだがねえ」
カザリスはしばらく通信画面を見つめていた。
「だが、昔のあいつなら、あんな声は出さなかったがな」
***
【同日 第四聖団〈聖戦〉司令部】
〈大斉鐘〉の命令を受けた第四聖団司令のニコラス・ブルーメンタール聖将は、麾下の三個艦隊司令を通信に呼び出した。
『諸君、帝国は四個艦隊六万隻を動かした。我々も第四聖団三万隻すべてを戦時即応態勢へ移す』
「〈ディス〉艦隊、承知しました」
イリヤ・ラザレフ従聖将が答えた。
「帝国軍はまだ発砲していないのでしょうか」
『そうだ。だが、六万隻もの艦隊を動かした事実は重い。帝国は我々の存在を認めていない。衝突は避けられん』
「……まだ、避けられると思います」
ブルーメンタールは一瞬、ラザレフを見た。
『だからこそ、備えるのだ。戦う準備を怠った者に、戦わずに済ませる選択肢など残らん』
『〈フリアエ〉艦隊、移動準備に入ります』
〈フリアエ〉艦隊司令のテオドール・ハーゲン従聖将が短く報告した。
『ハーゲン。念のために言っておくが、交戦命令はまだ出していないぞ。復讐に呑まれるなよ』
『承知しています。ですが、そのご命令を心待ちにしております』
ハーゲンの表情は変わらなかった。
最後に、〈レムレス〉艦隊司令のサミュエル・ホロウェイ従聖将が口を開いた。
『〈レムレス〉は各地に散っています。全艦を集めるには時間が必要です』
『どれほどかかる?』
『各隊の予定している通信時刻によります。集結位置は送れますが、全艦がすぐに戻るわけではありません』
『よろしい。各隊の状況に合わせて進めろ』
『承知しました』
ブルーメンタールは三人を見渡した。
『帝国がさらに動けば、我々も応じねばならん。だが、諸君に独断の交戦は許可しない。次の命令を待て』
***
【同日 神聖黄金樹教国 聖都ラディークス 大伽藍・聖王私室】
聖王ヴィルヘルミーネ――ミナは、長椅子に腰かけて本を読んでいた。
窓際ではヨーリクが椅子に座り、親衛艦隊からの報告に目を通していた。端末に新たな命令が届くと、ヨーリクは報告から目を離した。
〈大斉鐘〉の発動に伴い、親衛艦隊にも出撃命令が下った。
「ねえ、騎士さま。何かあったの?」
「出撃命令だ。今から親衛艦隊を動かす」
「出撃?」
ミナは本から顔を上げた。
「……また戦闘なの?」
「まだだ。帝国軍と第二聖団が睨み合っている。どちらも撃っていない」
「じゃあ、どうして出撃するの?」
「聖都の守りを固める。俺は親衛艦隊の旗艦〈ネメシス〉に戻る」
「今から?」
「準備が整い次第だ」
ミナは本を閉じた。
「……騎士さままで行かなくてもいいじゃない。ほかの人に任せられないの?」
「親衛艦隊の司令は俺だ」
「知ってるわよ。でも、こないだバーミリオン星域の会戦で、帝国軍に囲まれて死にかけたばっかりでしょう?」
「あれは済んだ」
「済んだって……!あたしがどれだけ心配したと思ってるの?」
ヨーリクは黙った。ミナは閉じた本を膝に置き、少し俯いた。
「今回は聖都の周辺だ。遠征するわけじゃない」
「でも、戦争になるかもしれないんでしょう?」
「その可能性はある。というか、開戦の日からずっと戦争中だ」
「……もう!」
ミナは不満そうに唇を尖らせた。
「騎士さまは、あたしの騎士さまでもあるでしょう?」
「だからだ」
「ここにいても、守れるじゃない」
「敵がここまで来てからでは遅い」
「……もう。そういう理屈を聞いてるんじゃないの」
ヨーリクは黙った。ミナは何か言いかけたが、やめてしまった。閉じた本を膝に置き、しばらく表紙を見つめている。
「ねえ、騎士さま。前に読んだ本のこと、覚えてる?」
「十三巻か」
「そう。軍服の人が、女の子を逃がすために一人で残ったでしょう」
「覚えている」
「あたし、ああいうの嫌い」
「知っている」
「……あんなことしないでね」
ヨーリクはすぐには答えなかった。
「必要になれば――」
「そこで必要になれば、って言わないで!」
ミナが声を上げたので、ヨーリクは口を閉じた。
「……ほんとに、女の子の気持ちが分からないんだから」
「それは前にも言われた」
「ちっとも進歩してないわね」
「……努力はしている」
ミナは呆れた顔をしたが、やがて小さく笑った。それから立ち上がり、ヨーリクの前まで来た。
「ねえ、騎士さま。次はいつここに戻る?」
「分からん」
「またそれ?」
「命令がいつ解かれるか、知らん」
「……そう」
ミナは彼の黒衣の袖口をつまんだ。
「じゃあ、帰ってきたらまた二人で抜け出して、街に行きましょう」
ヨーリクが彼女を見る。
「苺のタルトか」
「そう。今度は別のお菓子も食べてみたい」
「分かった」
「約束よ」
ミナは袖口から手を離した。
「じゃあ、行ってらっしゃい。私の騎士さま」
ヨーリクは頷いた。
「行ってくる」
扉へ向かいかけたところで、また声が掛かった。
「騎士さま!」
「何だ」
「……帰ってきてね」
ヨーリクは振り返った。
「努力する」
***
【同日 共同救難作戦・帝国軍前進指揮艦】
教国各方面の観測記録は帝国軍の前進指揮艦にも同報されていた。
第一聖団〈黄金樹〉方面での光電徴候の発生を受け取ったクライン・ヴァルター大尉は、救難艇のいる宙域とは別の観測図を呼び出した。
クラインは観測点ごとに異なる光の到達時間を補正し、艦群が実際に動き始めた時刻を推定し直してから、指揮官のアルブレヒト少将へ報告した。
「第一聖団方面、複数艦群の移動開始を確認しました」
アルブレヒトは救難艇の位置を画面に残したまま、星図の範囲を広げさせた。第二聖団については、すでに後方待機群一万隻以上が複数の待機域へ向けて動き始めている。
そこへ、別の戦区の印が加わった。
「第三、第四聖団はどうですか」
「第三聖団は、祈鐘公示波と機関出力の上昇を捉えています。第四聖団でも通信量の増加が報告されています」
「動いたと確認できる分から、宇宙艦隊司令部へ送ってください」
「承知しました」
その間にも、新しい観測記録が届いた。
「第三聖団、第四聖団でも複数艦群の移動開始を確認しました。さらに、聖都周辺では親衛艦隊の出撃も確認されています」
「ヴァルター大尉。つまり、動き始めたのはどの聖団だ?」
クラインは五つの欄を見直した。
「……四聖団、全部です。親衛艦隊も動き始めました」
***
【同日 帝都 宇宙艦隊司令部】
ミッターマイヤーが黒色槍騎兵艦隊の移動状況を確認しているところへ、宇宙艦隊副司令長官カール・エドワルド・バイエルライン上級大将が来た。
「元帥閣下。前進指揮艦から続報です。教国の四聖団すべてで艦群の移動が確認されました。親衛艦隊も聖都周辺へ展開を始めています。攻撃目標は依然として不明です」
「すでに命じた四艦隊は、現在の配置変更を続行させろ。新しい移動を重ねて、戦区の受持ちを空けるな」
「承知しました。各艦隊には、担当正面を維持するよう徹底します」
バイエルラインは残る二個正規艦隊の配置を開いた。
「ワーレン艦隊は予備配置への移動が可能です。ミュラー艦隊も、帝都直衛を維持したまま即応態勢に入れます」
「ワーレン艦隊を予備配置へ移せ。教国側のどの戦区にも、単独では寄せるな」
「複数の戦区へ対応できる位置を確保します」
「ミュラー艦隊も即応態勢に入れる。ただし、帝都直衛は維持させろ」
「了解しました」
バイエルラインは命令案をまとめ、ミッターマイヤーへ示した。
「交戦許可については、いかがいたしますか」
「変えん。まだ交戦命令は出さない。各正面の警戒を崩さず、次の報告を待て」
「承知しました。両艦隊へ伝達します」
命令が送られると、ワーレン艦隊は予備配置への移動を開始し、ミュラー艦隊も帝都直衛を維持したまま即応態勢へ移った。
帝国軍六個正規艦隊、約九万隻が、それぞれの戦区で戦闘への即応態勢を整えつつあった。
帝国軍九万隻に、教国軍十一万隻。
交戦命令はまだどの艦隊にも出されていない。
***
【同日 銀河帝国支配宙域・教国境界付近 救難艇】
カリンの端末に映っているのは、エルフリーデの脈拍と呼吸数、それに艇内の負荷だった。外では帝国と教国の艦隊が各地で配置を変えているらしいが、寝台の脇で確認する項目は増えていない。エルフリーデはときどき目を開け、声を掛ければ返事をした。ただ、答えが返ってくるまで、以前より時間が掛かった。
イルゼが掛布を直そうとすると、エルフリーデの手がその上へ伸びた。イルゼは動きを止め、顔を覗き込んだ。
「何か要りますか」
エルフリーデは首を横へ振った。カリンが呼吸を確かめる間、イルゼは掛布の端に触れたまま、次の言葉を待っていた。
操縦席からポプランの声が届いた。
「外は、ずいぶん賑やかになってるらしいぜ」
「こっちは静かよ。そのままにして」
「もちろん。こっちも賑やかに飛び回るつもりはないさ」
エルフリーデが薄く目を開けた。
「……何隻きてるの?」
「知らない方が身体にいい数字だな。だが、おれたちの近くにいる教国軍艦は相変わらず四隻さ。おまけで単座艇が四機ほどついてるがね」
ポプランは航法画面へ目を戻した。
救難艇はすでに教国との境界を越えていた。正面には帝国軍の収容艦が見え、その周囲を警護の巡航艦が警戒している。収容艦は救難艇の速度に合わせ、受入れのための進路を維持していた。
だが、後方の教国艦も追跡をやめなかった。哨戒艦四隻と〈アンゲルス〉四機が、そのまま帝国の支配宙域へ入ってきている。
「やれやれ。国境を越えたらお別れかと思ったんだが、ずいぶん熱心な連中だねえ」
ポプランは軽口を叩いたものの、前方の帝国艦と後方の教国艦の動きから目を離さなかった。
収容艦までの距離は縮まっていたが、受入れ進路に重なる教国の単座艇四機が離れない。ポプランは収容艦から届いた進入予定を見ながら、いつでも減速を取り消せるよう操縦系統を調整していた。
***
【同日 第二聖団〈律法〉哨戒艦艦橋】
「……本当に境界を越えちまった」
ヨアヒム・キルナー聖三佐は、教国の引いた国境を越えたことを示す端末の警告音にうめいた。
「帝国軍から警告です。帝国の支配宙域である、直ちに退去せよ、と」
「言われなくても帰りたいわ!帰らせてくれ!」
キルナーは怒鳴り返した。
「撤退の具申はどうなっている。司令部の命令は?」
「変更ありません。追跡を継続せよ、とのことです」
「……俺たちに死ねというか!」
帝国軍の収容艦は、もはや肉眼でも艦影を識別できる距離にあった。護衛艦がその周囲に位置し、各艦からの射撃管制による追尾も続いている。キルナーの艦橋では、帝国軍の照準警告が鳴り始めてから、誰一人としてまともに休息を取っていなかった。
「敵巡航艦、針路変更!」
警戒士官の声が上がった。
キルナーが表示を見ると、帝国の巡航艦が収容艦の前方へ進み出ようとしていた。
「慌てるな。向こうも収容艦を守ろうとしているだけかもしれん」
「本艦への射撃管制照射、継続中!」
その報告を聞いた若い砲術士の顔が強張った。第二砲術席に座る彼は、実戦を経験したことがなかった。照準器には帝国艦が大きく映り、先ほどから警告音がずっと耳元で鳴り続けている。
「……もう駄目だ、撃たれる」
砲術士は目の前の表示を見つめていた。帝国巡航艦の射撃管制による追尾が続き、警告音が断続的に鳴っている。
艦には発砲命令が出ていない。通常射撃実行には艦長の許可が必要だったが、緊急自衛射撃は砲術席だけの操作で可能であった。
そのとき、帝国艦の照準警告が一段強くなった。
「撃たれる!!」
砲術士は緊急自衛射撃を作動させた。
艦首の中性子ビーム砲が一発、火を噴いた。
帝国巡航艦の周囲に閃光が走った。エネルギー中和磁場がビームを受け止め、白くきらめいて消える。艦体には損傷はなかった。
哨戒艦の艦橋が静まり返った。
「……今のは、何だ?」
誰も答えなかった。
「誰か答えろ!今の光は何だと聞いている!」
砲術士官が青ざめた顔を上げた。
「……本艦、第二砲から、中性子ビーム一射。帝国巡航艦に命中しました」
「な……」
キルナーは言葉を失った。
「誰が撃った!俺は発砲命令を出していないぞ!」
第二砲術席の若い砲術士が、震えながら立ち上がった。
「も、申し訳ありません!敵が撃ってくると思って……!」
「だから撃つなと何度も言っていただろうが!貴様、なんてことをしてくれた!」
「艦長!帝国艦、損傷なし!中和磁場で防がれた模様です!」
「そういう問題じゃない!」
キルナーは怒鳴った。
「お前、自分が何をしたか分かっているのか!! ここは帝国領だぞ!! 帝国領内に軍艦で乗り込んで、帝国の軍艦に、こっちから先に撃って当てたんだぞ!!」
若い砲術士は返事もできなかった。顔から血の気が失せ、両手が小刻みに震えている。周囲の乗員も、彼を責めるどころではなかった。
キルナーは司令部の命令を思い出した。
撤退は認めない。射撃管制は維持する。ただし、発砲はするな。
あれほど明確な命令だった。それでも、撃ってしまった。
「……だから言ったんだ。規則だけで、戦争を経験したことのない現場の若い連中の手まで止められるものか……」
「艦長!」
警戒士官の声が跳ね上がった。
「帝国艦群、全艦戦闘態勢!火器管制の追尾が当艦に集中しています!」
「当たり前だろう!」
「敵母艦の格納区画、開放!ワルキューレが発進してきます!」
戦術表示に新しい光点が現れた。帝国母艦から十六機のワルキューレが次々と飛び出し、教国哨戒艦と単座艇へ向けて戦闘編隊を組み加速を始めた。
「うわああっ!来るぞ!」
艦橋で悲鳴が上がった。
「撃つな!誰も撃つんじゃない!帝国軍に伝えろ!本艦の発砲は命令によるものではない!こちらに交戦の意思はない!」
「送信しています!ですが、敵機は接近を続けています!」
「艦長、前方の〈アンゲルス〉四機が動きます!!」
キルナーは戦術表示に飛びついた。
四機の
「〈アンゲルス〉四機、分離誘導式多弾頭ミサイルの発射待機に入りました!」
「多弾頭ミサイルだと!?」
「はい! 誘導目標、帝国軍ワルキューレ十六機! 全機捕捉しています!」
「……あの人形ども!!」
キルナーは思わず拳を握りしめた。
四機の〈アンゲルス〉は、自分たちの四倍の数の敵を前にしても、何のためらいもなく発射準備を進めていた。
キルナーは絶叫した。
「撃つな!前方艦へ連絡しろ!!単座艇のミサイル発射準備をすぐ中止させろ!!」
「もう送っています!」
「帝国軍から再度警告!直ちに武装を解除し、戦闘行動を停止せよ、と言ってきてます!」
「武装解除しろ!連絡しろ!今すぐだ!」
「ですが艦長、もうミサイルが、ワルキューレが――」
「分かってる!見えてる!」
キルナーは戦術表示を見上げた。
「……畜生!」
キルナーは通信卓へ身を乗り出し、声の限りに叫んだ。
「全艦、撃つな! 単座艇も撃つな! 帝国軍にも伝えろ! 頼む! 誰も、もう一発も撃つんじゃないぞおおっ!」
***
【同日 帝都 獅子の泉「北辰の間」】
「教国軍から砲撃!」
前進指揮艦からの緊急通信が入ったとき、帝都の北辰の間では宇宙艦隊司令部と軍務省を繋いだ回線が開かれていた。
軍務尚書のケスラーが報告を読み上げた。
「敵第二聖団の哨戒艦一隻が、我が軍の巡航艦に中性子ビーム砲を一射。命中しましたが、エネルギー中和磁場で防御しました。艦体の損傷、死傷者ともにありません」
「我が軍は反撃したのか?」
アレクが訊いた。
「まだです。ただし、ワルキューレ十六機が迎撃に発進し、教国側の単座戦闘艇四機もミサイルの発射準備に入りました。現在、双方が交戦寸前の状態にあります」
宇宙艦隊司令部から通信参加していたミッターマイヤーの表情が険しくなった。
「現地統括のアルブレヒト少将を呼び出せ」
アレクの命令で、前進指揮艦との回線が開かれた。
『陛下。アルブレヒト・フォン・ミュッケンベルガーです』
「状況を聞こう」
『教国軍から一射を受けましたが、被害はありません。発砲した艦から誤射である旨の連絡と、武装解除の申告を受けました。こちらのワルキューレには前進を中止させ、護衛艦側の警戒位置へ戻しています。各艦とも発砲を禁じたままです』
「教国軍は?」
『第二射はありません。先方から、現場の砲術員が命令に反して発砲したとの申告がありました。単座艇四機も、いったんミサイルの発射準備は解除したようです』
「ベーレント聖将からの説明は?」
『ベーレント聖将本人から連絡が入りました。発砲した砲術員の拘束と発射記録の保全を命じ、再発防止を徹底すると。ただし、追跡を中止するとは言っていません』
アレクはケスラーへ目を向けた。
「こちらに被害はない。現地部隊には引き続き発砲を禁じる。ただし、新たな攻撃を受けた場合の自衛措置まで妨げるものではないと伝えよ」
「御意にございます」
アルブレヒトが続けた。
『陛下、もう一つ問題があります。救難艇はすでに帝国支配宙域へ入り、収容艦への接近を続けています。このままなら十数分ほどで収容進入に移れますが、教国の哨戒艦四隻と単座艇四機が依然追跡を続けています』
「そのまま収容できるか?」
『無理です。収容艦へ進入するには救難艇を減速させ、護衛艦の射線も一部制限する必要があります。現在、教国の単座艇四機が、その進入空域と重なる位置で追跡を続けて妨害しています』
「収容には、教国軍を退かせる必要があるということか」
『はい。収容進入の間は、哨戒艦と敵の単座艇には十分な距離を取らせる必要があります』
「分かった。現在の位置を保ち、通信を続けてくれ。こちらで直接話をする」
『承知しました』
回線が閉じられると、アレクはケスラーに命じた。
「教国との緊急協議を開く。聖序寮と宣信院、双方の責任者を呼び出してほしい。ベーレント聖将にも参加を求める。余が直接話す」
「直ちに手配いたします」
ミッターマイヤーが口を開いた。
『陛下。今回の砲撃を受け、軍内では即時反撃を求める意見が強まるでしょう。四隻と四機を排除するだけなら、現地の戦力で十分に可能です』
「そのあとはどうなる?」
『第二聖団が越境追撃してくるでしょう。第二聖団だけであれば、黒色槍騎兵艦隊の戦力で対抗できます。ですが、ほかの聖団も黙ってはいないでしょう。すでに教国軍十一万隻が臨戦態勢にあります。こちらも全六個艦隊を動かした以上、どの戦区で次の戦闘が始まるか分かりません』
アレクは星図を見た。
六個の帝国正規艦隊が、それぞれの持ち場で戦闘準備を進めている。教国側でも四聖団と親衛艦隊が動員されていた。その広大な配置の中で、救難艇の位置を示す小さな印が、変わらぬ速度で進み続けていた。
やがて、ケスラーが顔を上げた。
「陛下。教国中枢との回線が確保できました。聖序寮宰ベルム枢機卿、宣信院宰スアーダ枢機卿が聖都から参加します。第二聖団司令ベーレント聖将も、別回線から接続するとのことです」
「つないでくれ」
***
聖都からの映像が開いた。
中央にはベルム枢機卿、その隣にスアーダ枢機卿がいた。少し離れた画面には、第二聖団司令部にいるベーレントの姿が映っている。
『銀河帝国皇帝陛下。聖序寮宰ベルムです』
「緊急の呼びかけに応じてもらい、感謝します」
儀礼的な挨拶を終えると、アレクはすぐに本題へ入った。
「貴国の哨戒艦が帝国支配宙域へ進入し、我が軍艦に発砲しました。幸い被害はありませんでした。しかし、これは極めて重大な事態です」
『その件については、私から説明いたします』
ベーレントが口を開いた。
『発砲は私の命令によるものではありません。現場の砲術員が命令に反して一射を放ちました。当該士官の拘束と発射記録の保全を命じています。第二聖団司令として責任をもって調査いたします』
「今後、一切の発砲を行わないと約束できますか」
『当聖団から攻撃を開始する命令は出しません。ただし、貴軍から攻撃を受けた場合の自衛行動まで放棄することはできません』
「それはこちらも同じです」
アレクは一度言葉を切った。
「だからこそ、これ以上の衝突を避けねばなりません。貴国の哨戒艦と単座艇を、直ちに帝国支配宙域から退去するよう求めます。救難艇は我が軍が収容し、バーラト自治政府へ引き渡します」
『皇帝陛下。その点については、なお協議が必要です』
ベルムが答えた。
『教国への無許可進入と、正規の手続によらない出国という問題が残っています。我々が現場の軍を退かせるには、それらの処理についても合意しなければなりません』
「ベルム枢機卿。帝国支配宙域での救難艇の収容について、貴国の許可を求めるつもりはありません」
『帝国の御立場は承知しております。しかし、当国の領域内で行われた無許可進入と搬出については、処理を終えておりません』
「その問題については、外交上の協議に応じます。乗員の事情聴取や航行記録の提供についても、バーラト自治政府と調整できるでしょう。しかし、教国の軍艦が帝国領内へ入り、我が軍の収容作業を妨げることは認めない」
『我々も軍事的衝突を望んでおりません。しかし、不法に入国した救難隊員二名がそのままバーラトへ移送されれば、我が国が身柄を確保することは難しくなります。無許可進入と搬出について、捜査と司法手続を放棄するわけにはまいりません』
スアーダが口を開いた。
『皇帝陛下。我々はコールラウシュ女史の離境を妨げようとしているわけではありません。女史のご意思も、ベーレント聖将が直接確認しています。ただ、引渡しの方法について、正規の手続を踏むことを求めているのです』
「コールラウシュ女史は貴国の保護を拒否しています。ご本人の意思に反して、再び教国軍へ引き渡すことはできかねる」
『承知しています。ですから、双方が受け入れられる条件を協議したい』
「バーラト自治政府は、女史の市民籍と救難活動の責任を正式に認めています。帝国の収容艦には受入れの準備がある。専門の医療体制にも引き継げる。なぜ、それでは足りないのですか」
今度はベーレントが答えた。
『陛下。私は女史の意思を尊重し、強制移乗を命じていません。しかし、バーラトの救難艇の乗員二名については別です。両名は当国の許可なく領域へ侵入し、正規の手続を経ずにお二人を搬出しました。当国法に照らせば、重罪に当たる行為です。両名を逮捕して当国内へ移送し、捜査と司法手続に付す必要があります』
「そのために帝国軍艦への発砲までするのですか」
『発砲した者の責任は追及します。指揮官である私自身も、当然その責任を問われるでしょう。しかし、それによって当聖団の領域警備と犯罪捜査の責務が消えるわけではありません』
アレクは黙ってベーレントを見た。ベーレントも視線を逸らさなかった。
ベルムが言った。
『皇帝陛下。現場の部隊には、これ以上の発砲と接近行動を慎むよう命じます。ただし、追跡を終了するには、なお条件を詰める必要があります』
「乗員二名は、バーラト自治政府が派遣した救難隊員です。自治領の市民であると同時に帝国臣民でもある。貴国の調査には協力しますが、両名の逮捕と身柄の移送には帝国は応じられません」
『それでは、我が方も追跡を終了するわけにはまいりません』
ベルムの返答は早かった。
「そのために、女史の治療を遅らせ続けるというのですか」
『女史の容体については理解しております』
スアーダが口を開いた。
『ですが、貴国が望むとおりに教国軍を撤退させ、救難艇をそのまま収容するのであれば、我々にも受け入れられる条件が必要です。今回の不法な進入を、我が国としても何事もなかったかのように終わらせるわけにはまいりません』
「バーラト自治政府は救難活動の責任を正式に認めています。乗員と航行記録についても、事後の照会に応じると申し出ています。それでは足りませんか」
『残念ながら、それだけでは』
そこで、ケスラーがアレクのそばへ来た。現地から新しい運航報告が届いていた。
アレクはそれに目を通したあと、画面の向こうの枢機卿たちへ言った。
「少し時間をいただきたい。こちらでもう一度、条件を検討します。その間、双方の軍艦は新たな接近と発砲を控える。救難艇の現在の航行は妨げない。収容艦への最終進入については、引き続き協議する。その点はよろしいですね」
『異存ありません』
ベルムが答えた。
『第二聖団にも徹底させます』
ベーレントが続けた。
アレクは頷き、教国側との回線を一時保留にするよう命じた。
***
北辰の間には、帝国側の関係者が残った。
ケスラーが現地の最新報告を読み上げた。
「救難艇は収容艦への接近を続けています。教国側の単座艇四機はミサイルの発射準備を解除し、哨戒艦にも新たな発砲はありません。ただし、追跡は継続しています」
「女史の収容をさらに遅らせることはできるのか」
「不可能ではありません。しかし、救難艇の飛行条件を変えるにも限界があります。現地では、現在の進路を維持したまま収容するのが、女史への負担が最も小さいと判断しています」
ミッターマイヤーが通信画面から言った。
『陛下。現場の戦力は、こちらが優勢です。しかし、教国の四隻を撃沈すれば、第二聖団が進出してきます。先ほどの一射とは違い、今度は双方が意図して艦隊戦を始めることになりましょう』
「分かっている」
アレクは星図へ目を向けた。
「教国側は乗員二名、ポプラン氏とクロイツェル・ミンツ氏の逮捕をすると言ってきています」
ケスラーが答えた。
「彼らの身柄の引渡しを約束する権限は、我々にはありません。引き渡すべきでもありません」
「そのとおりだ。二人はバーラト自治領の市民であると同時に、帝国臣民でもある。帝国として、両名を教国へ引き渡すことには応じない」
アレクは続けた。
「教国側も、女史の離境は認めている。ほかに解決の条件はないのか」
ケスラーはしばらく考えた。
「ベルム枢機卿とスアーダ枢機卿の応答を見る限り、先方は別の条件で妥協する余地を残してきています。通常の刑事手続には乗せないこととする政治判断での処理になるのでしょうが、こちらが何を提示すれば受け入れるのかは明らかにしておりません」
アレクは頷いた。
「それでも、何か方法を見つけなければならない」
教国側との通信は保留されたままだった。現場では双方の軍艦が発砲を控えているが、救難艇は収容艦へ近づき続けている。収容を始めれば教国艦との接触は避けられない。もう一度発砲が起きれば、次は本格的な交戦となる。
そのとき、皇帝の副官席から声がした。
「陛下。交渉の条件に加えていただきたいものがあります」
皇帝副官のフェリックス・ミッターマイヤー大尉だった。
アレクが顔を上げた。
「何だ、フェリックス」
「教国が以前発表した、コールラウシュ女史に関する公報を憶えていらっしゃいますか」
「ああ」
「公報には、女史の生存やロイエンタールとの関係だけでなく、俺の名前と現在の階級まで記載されていました。女史の生存を公表するだけなら、そんな記載までする必要はありません」
アレクは頷いた。
「それに、女史からも『来るな。教国はお前を待っている』と警告が届いています」
「だが、女史が何を根拠にそう判断しているのかは分からない。彼女は一般人だ。仮に教国がお前を求めているのだとしても、その目的が分かっていない」
教国がフェリックスの名を公報に載せた発端が『
「承知しています。ですが、俺の名前をわざわざ公報に載せたのは教国自身です。何の目的もなかったとは思えません」
フェリックスは続けた。
「向こうが本当に俺を求めているのかどうか、交渉の席で確かめていただきたいのです」
通信画面の向こうで、ミッターマイヤーの表情が変わった。
「陛下。救難艇を安全に帝国艦に収容させ、教国軍の追跡を終わらせる。バーラトの乗員二名も逮捕させない。その代わりに、教国側が求めているかもしれないものを提示しましょう」
アレクはフェリックスを見た。
「……何を提示しろと言っている」
フェリックスは答えた。
「俺の身柄です」