【新帝国暦二十四年・聖暦二十三年四月末 神聖黄金樹教国 聖都ラディークス 軍用宇宙港】
乗員用の昇降設備を上がると、聖列艦の艦腹に設けられた出入口が見えてきた。
入口には教国軍の警備兵が二人立っていた。案内役の士官が訪問許可を示すと、一人が記録を照合し、もう一人が艦内へ連絡を入れた。
フェリックスはそこで少し待たされ、やがて通行を許された。
出入口の向こうには、教国軍第四聖団〈ディス〉艦隊司令のイリヤ・ラザレフ従聖将が立っていた。
「よく来たな、ミッターマイヤー大尉。待っていたぞ」
ラザレフが〈聖枝礼〉を送り、フェリックスも帝国軍式の敬礼を返した。
「今夜はお招きいただきありがとうございます」
「堅苦しいことはいい。腹は減らしてきたか?」
「ええ。昼から何も食べないようにしてきましたので」
「うちの若い連中はよく食うからな。大尉も負けてはいられんぞ」
ラザレフは笑い、艦内へ続く通路を示した。
出入口から先は、外で見上げた軍艦の大きさに比べると、意外なほど普通の通路だった。
壁には区画の番号と行先が記され、天井には照明が並んでいる。
遠くから機械の作動音が聞こえ、作業上衣を着た聖列兵が二人、物資を積んだ搬送台を押して通り過ぎていった。
兵の一人が艦隊司令のラザレフに気づいて立ち止まろうとした。
「いいから、そのまま通れ。こっちが避ける」
ラザレフはフェリックスとともに壁際へ寄った。聖列兵たちは礼をして搬送台を押し、通路の奥へ消えていった。
「お忙しいところへ来てしまいましたね」
「まぁ、あいつらも俺が客を連れてきたくらいでは仕事を止めんよ」
ラザレフは先に立って歩き始めた。
途中、通路の分岐に差しかかると、ラザレフがフェリックスへ向き直った。
「ここから先は案内できる区画が決まっている。酒保と来客区画だけだ」
「もちろんです。帝国軍の艦へ閣下をお迎えしても、同じようにお願いするでしょう」
「それはそうだろう。俺も見せろとは言わんよ」
ラザレフが笑うと、案内役の士官もわずかに表情を緩めた。
通路をさらに進むと、前方から何人もの話し声が聞こえ始めた。食器の触れ合う音も混じっている。
「今夜は非番の連中と飲む約束でな。艦の方は当直の者に任せてきた。あいつらは騒がしいぞ」
「賑やかな食事は好きですよ」
「それならよかった。ただ、俺がいるからといって、あいつらが行儀よくなることはないから、覚悟しておけよ」
「その方がありがたいです」
ラザレフは笑いながら、酒保の扉を開けた。
焼けた脂と黒胡椒の匂いが流れてきた。
奥の配膳口では、大きな肉の塊に包丁が入るたび、切り口から湯気が上がる。
給養兵は切り分けた肉を幅広の金属皿へ重ね、天板に溜まった汁を上からかけていた。
その皿が、ちょうど機関科の卓へ運ばれてくるところだった。
褐色に焼けた豚肩ロースが厚く重なり、皿の底には玉ねぎの混じった肉汁が揺れている。
隣の卓には、皮に焦げ目のついた太いソーセージが山盛りになっていた。丸ごとのものも、誰かが取りやすいよう斜めに切ったものもある。
卓の中央では、揚げたばかりの皮付きじゃがいもから、まだ細く湯気が上がっていた。
大きな舟形に切られた芋の角には粗塩が引っかかり、その下へ溶けたバターが染みていく。
兵たちは肉を待ちながらも、手近な芋をつまんでは、互いの杯に酒を注いでいた。
入口に近い席の聖列兵が顔を上げた。
「提督が来られたぞ。お客さんも一緒だ」
数人が椅子から腰を浮かせたが、ラザレフは片手を上げた。
「そのままでいい。話してあったお客さんを連れてきた。待たせたな」
兵たちはフェリックスが来ることを、すでに知らされていた。
それでも、普段見慣れない帝国軍の軍服には好奇の目が集まった。
近くの兵が空いている椅子を引き、別の兵は卓に並んだ大皿を少しずらして場所を作った。
「紹介しておこう。銀河帝国軍のフェリックス・ミッターマイヤー大尉だ。今夜は一緒に飯を食ってもらう」
「ようこそ、俺たちの旗艦〈カロン〉へ」
年配の兵が、卓の端へ置いていた黒い手袋を揃えて立ち上がった。
がっしりとした肩を持つ男で、作業上衣の左袖には、色の違う糸で繕われた跡があった。
「ダグラス・ホートン聖曹長です。機関科の連中を預かっています」
「フェリックス・ミッターマイヤーです。今日はお邪魔します」
「遠慮せず座ってください。せっかくですから、こちらへ」
ホートンは兵たちに席を詰めるよう声を掛けた。向かいの若い兵が慌てて食器を寄せ、椅子を一つ引く。
大皿を置けるよう、卓の端にあった上着や水差しも移された。
「そこなら座れますよ、大尉殿」
「ありがとう」
フェリックスが腰を下ろすと、ラザレフも隣へ座った。
給養兵が二人の前へ食器を載せた盆を置き、取り分け用の大きなフォークを肉皿の端へ添えた。
「今夜はずいぶんいい匂いだな」
ラザレフが言った。
「閣下もお客人も来ると聞きましてね。肩肉は昼から焼いてます。鶏も、もうじき揚がりますよ」
「そいつは楽しみだ」
「冷める前にどうぞ。まだ奥にありますから」
給養兵が戻っていくと、ホートンが肉皿をフェリックスの方へ寄せた。
「まずはこれを。下の汁もかけてください」
フェリックスは厚い一切れを皿へ取った。縁の脂は飴色に焼け、粗く砕いた黒胡椒が肉の表面に残っている。
ナイフを入れると、焼き締まった外側の下から柔らかな肉が開き、切り口を濡らした汁が皿へ落ちた。
一口を噛むと、初めに胡椒の辛みが来た。続いて肉の熱と脂の甘みが広がる。
上からかけた汁には、肉と一緒に焼いた玉ねぎが崩れ、麦酒のほろ苦さが少し残っていた。フェリックスは飲み込むと、もう一口切り取った。
「どうだ?」
ラザレフが尋ねた。
「うまいですね。これ、もう一切れいただいても?」
「もちろんだ。〈カロン〉名物の豚肩肉の麦酒焼きだ。うちの給養班の自慢料理でな。肉も旨いが、皿に残った汁をパンで拭って食うと、これがまた格別なんだ」
「それはぜひ試してみます」
フェリックスはもう一切れ肉を取り、脇にあった香草ガーリックパンを一つ手に取った。
「遠慮せずどんどん食えよ」
ラザレフの言葉を聞いて、ホートンが口を挟んだ。
「ラザレフ閣下の場合、何を召し上がるかより、何切れ召し上がれるかの方が問題ですな」
「聖曹長、俺は今日はまだ一口も食ってないぞ」
「だから、今のうちに申し上げました」
近くの兵が吹き出した。ラザレフは呆れたように笑い、自分の皿にも肉を取った。
フェリックスは皮付きの芋を一つ、肉汁へ浸した。牛脂で揚げた表面はまだ硬さを残し、噛むと中の白い芋が熱く崩れる。
塩とバターだけでも十分だったが、豚肉の汁を吸わせると、次も同じように食べたくなった。
「ミッターマイヤー大尉は、帝国の皇帝陛下の副官をされているんですよね?」
向かいの若い兵が、興味深そうに尋ねた。
「ああ」
「こんなところで、俺たちなんかと同じ肉を食っていらっしゃるのが、なんだか不思議で」
「俺も、こうしてお邪魔することになるとは思わなかったよ」
「おい、ハインツ。客人をあんまりじろじろ見るな」
ホートンに注意され、青年は慌てて名乗った。
「失礼しました、ミッターマイヤー大尉。俺、二等聖列兵のハインツです。機関科です」
「フェリックスでいいよ。俺は君の上官じゃない。気楽にしてくれ」
「はい、ではフェリックス大尉」
その呼び方に、近くの兵が笑った。ハインツは構わず、酒の置かれた方へ手を伸ばした。
「フェリックス大尉、酒はどうなさいます? 麦酒と、林檎の酒がありますけど」
壁際の保冷器から、泡を立てた麦酒のピッチャーが運ばれてきた。もう一方には、琥珀色の酒の瓶と小ぶりの杯が回っている。
酒を飲んでいるこの卓の者たちは、今夜の当直と呼出し待機から外れていた。
勤務へ戻る者も隣の卓で同じ料理を食べていたが、そちらには果実水と酒精のない麦飲料が置かれている。
「林檎の酒?」
「〈アップル・ガード〉といいます。蜂蜜が少し入ってるんですよ。俺は好きですね」
瓶を受け取った隣の兵が言った。
「こいつの勧める酒には気をつけてください。ロフォーテン会戦の勝ち祝いで選んだ〈オールド・リパブリック〉がひどい味でしてね」
「おい、俺一人で選んだんじゃないぞ」
「ああ。俺も手を挙げた。全員で飲み切って、次も皆で選んだのが〈アップル・ガード〉だったな」
ホートンはそう言って、自分の杯を寄せた。
「こっちは当たりでした。大尉もぜひ、飲んでみてください」
ハインツが小さな杯へ注いだ〈アップル・ガード〉を、フェリックスは少しだけ口にした。
林檎の香りが先に立ち、舌には蜂蜜の甘さが残る。口当たりに気を許して飲み込むと、蒸留酒の熱さが喉を通った。
「……甘いけど、結構強いんだな」
「でしょう? それがうまいんですよ」
「これはあとでゆっくり飲みたい。まずは麦酒をもらえるか。この肉に合いそうだ」
「はい!」
ハインツが、よく冷えた厚手の杯へ麦酒を注いだ。細かな泡が縁まで盛り上がる。
フェリックスは豚肉をもう一口食べてから、その泡ごと飲んだ。冷たさが口の中へ広がり、麦の香りと苦みが、焼けた脂の味に重なった。
「林檎の方、飲みたくなったら言ってください。俺と聖曹長で飲んでますから」
「勝手に俺の飲む分まで決めるな!肉には麦酒だろう!」
ホートンはそう言ったが、差し出された瓶を断りはしなかった。
ラザレフも麦酒の杯を取った。
「皆、ご苦労だった。今夜はよく食って、楽しんでくれ。乾杯」
杯が上がり、近くの卓からも声が返った。フェリックスもハインツたちと杯を合わせた。
その直後、給養兵が大皿を抱えてきた。
「鶏、上がったぞ!ここ、空けてくれ」
兵たちが瓶を寄せると、骨付きの揚げ鶏が卓の中央へ置かれた。
厚い衣には香草が混じり、でこぼこした表面が濃い金色に揚がっている。皿が揺れると、砕けた衣がかすかな音を立てた。
ハインツと隣の兵が、同じ大きな腿肉へ取り分け用の挟みを伸ばした。
「ハインツ!お前、さっき豚肉を六枚も食ってただろ」
「お前だって食ったじゃないか」
フェリックスは手前にあったもう一つの腿肉を挟み、ハインツの皿へ置いた。
「これも大きいな。付け合わせの芋も回してくれ」
「ありがとうございます!」
ハインツが揚げ芋を寄せてくれた。フェリックスも鶏を一つ取り、レモンを搾る。
骨の先を紙で包んで持ち、厚いところへかじりつく。衣が音を立てて割れ、その下から熱い肉汁が出てきた。
香草の塩気にレモンの酸味が混じる。骨に近い肉はまだ湯気を立てており、フェリックスは一度口を離し、息を吹きかけてからもう一口食べた。
隣では、ハインツもかじった途端に口を開けた。仲間が黙って水を差し出すと、ハインツはそれを一息に飲んだ。
フェリックスは鶏を皿へ置き、紙で指を拭いた。今度はラザレフからソーセージの皿が回ってくる。
切った断面には粗く挽いた肉と白い脂が見え、皮の焼き目の間から汁が滲んでいた。
「ソーセージは三種類あるんです。香草と、燻製と、黒胡椒。ちなみに俺は燻製が一番好きです!」
ハインツが教えた。
フェリックスはその一本を半分取った。歯を立てると皮がぷつりと切れ、粗い肉の粒がほどける。
煙の香りと熱い脂が口に広がったところへ辛子を少し付け、次の一口には酢漬けのキャベツを合わせた。
「これもうまい」
ハインツは嬉しそうにフェリックスの空いた杯へ麦酒を注いだ。今度はどちらを飲むか尋ねなかった。
しばらくすると、配膳口の方から声が上がった。
「次!焼きマカロニ、出るぞ!皿を空けておけ」
「こっちだ! ここへ持ってきてくれ!」
ハインツが身を乗り出し、給養兵が皿を卓の真ん中へ据えた。
深い角皿が、断熱の台ごと運ばれてきた。表面を覆ったチーズはところどころ濃い焼き色を帯び、皿の縁では溶けた脂がまだ小さく泡立っている。
給養兵が大きな匙を差し入れると、焼けた薄い膜が破れ、その下から白いソースをまとったマカロニと、厚く切ったベーコンが現れた。
取り分けた一匙と角皿の間に、チーズが長く伸びた。兵の一人が皿を持ち上げて追いかけると、給養兵がもう一本の匙で切って落としてくれた。
ハインツは角皿の端を狙った。
「そこの焦げたところ、ください」
「おい。端の部分ばかり取るな、ずるいぞ! そこがうまいのに!」
「これは大尉の分ですよ! 大尉には一番うまい部分を食べていただきましょう」
フェリックスは自分の皿へ載った一切れを見た。こちらにも、縁に貼りついていたチーズが折り重なっている。
匙で割ると、その下は柔らかく、マカロニの穴まで濃いソースが詰まっていた。
まず表面を食べた。焦げたチーズが歯に当たって砕け、続いて熱いソースが舌へ広がる。
ベーコンを噛むと燻製の香りと塩気が加わり、飲み込んだあとも、口の中にチーズの味が残った。
フェリックスは皿に残していた揚げ芋を、そのソースへ転がした。
ハインツが手を止めた。
「大尉、それ、いいですね」
「そっちの芋を回してくれ」
ハインツが皿を差し出すと、ほかの兵も真似をして、自分の皿に残ったチーズソースへ揚げ芋を転がした。
ホートンまで最後の一本で自分の皿のソースを拭い、ハインツに見つかって笑われた。フェリックスは麦酒を飲み、賑やかな卓を眺めた。
「ハインツ。機関科では、どんな仕事をしているんだ?」
フェリックスが尋ねた。
「点検と部品の交換です。最近は、俺が新入りに仕事を教えることもあるんですよ」
「すごいな。もう教える側なのか」
「少しだけです。でも、自分でやればすぐ済むことでも、教えるときは手を出すなって言われるんです」
「お前が全部やったら、新入りの連中はいつまでも覚えんからな」
ホートンが口を挟んだ。
「分かってます。昨日だって、ちゃんと待ちましたよ」
「途中まではな」
ハインツは苦笑したが、フェリックスへ話を戻した。
「初めは道具の名前も分からなかったのに、今は俺なんかを頼って聞きに来てくれる奴がいるんです。教えるのって、面白いですよ」
ホートンは口を挟まず、ちぎったパンを皿の肉汁へ浸していた。
「聖曹長、その袖、また糸が出てますよ」
ハインツがホートンの左袖を指した。
「まだ着られる」
「被服係に言えば新しいのをすぐもらえるでしょうに。もう何度も自分で繕って直してるでしょう」
ホートンは飛び出した糸を指で押さえ、袖口を整えただけだった。
フェリックスもホートンの袖を見た。擦り切れた部分には色の違う糸が何本も走っていたが、縫い目はよく揃い、手首のあたりまで丁寧に補強されている。
「ご自分で直されているんですか?」
「ええ。軍を離れていたころに覚えました。何でも自分でやらなきゃならない時期がありましてね」
「軍を離れていた、と仰ると?」
「俺は、旧同盟軍で整備をやっていました。国がなくなって軍を離れてから、十七年ほどはまともな勤め口がありませんでした。帝国軍も平時の軍縮で、旧同盟軍の兵卒なんて雇う余裕もなかったでしょう」
「……十七年もですか。整備の経験がおありなのに」
「造船所で日雇いの仕事はいくつもしましたし、最後のころは穀物倉庫の夜番でした。夜中に機械が壊れても、俺の仕事は担当者を呼ぶことだけでしてね」
ホートンは、少し言い淀んだ。
「……あまり気分のいい話じゃありませんが、俺たちがいた星系では、軍港か軍需工場くらいしか、まともな働き口がなかったんです。そこにも軍から放り出された人間が大勢いました。俺のように軍で叩き込まれたことしか取り柄のない中年男は、なかなか戦後に民間では雇ってもらえませんでしたよ」
卓の端から、スープの入った器が回ってきた。
牛骨のだしに炒めた玉ねぎがたっぷり入り、褐色の汁の中へ柔らかな肉の切れ端が沈んでいる。
匙を入れると、玉ねぎがほどけて湯気と一緒に甘い匂いが上がった。
「六年ほど前に、また軍へ来ないかと声を掛けられたんです。『あなたが要る』と言われましてね。それで、もう一度軍服を着ました」
ホートンはスープを一口飲んだ。
「俺なんか、まだましな方だ。若い連中は、もっと大変です。この艦隊には戦災孤児も少なくありません。育った土地に働き口がなくて、ほかの星へ出たところで雇ってもらえる当てもない。まともに教育も受けられていない。旧同盟軍を放り出された退役軍人と、他に行き場のない若者たち。そんな連中が、
ホートンは言葉を切り、ハインツたちの方を見た。若い兵は肉皿を寄せ合い、誰かの杯が空くと酒を注いでいる。
「俺も、ここへ来るまでは誰にも必要とされない人間でした。今はこいつらに仕事を教えて、こいつらに助けられることも多い。若い連中も、仲間に頼られるようになりました。俺には……それがどれほど嬉しいか、よく分かるんです」
ホートンはそれ以上は言わず、器を置いた。フェリックスも温かなスープを飲んだ。
「ホートン聖曹長がいて、皆さんも助かったでしょうね」
「助かってますよ。口うるさいですけど」
ハインツが真っ先に答えた。
「余計な一言だ」
「でも、助けてもらったのは本当です。俺、最初は工具の名前はひとつも知らなかったのに、聖曹長にたくさん教えてもらいました。今じゃ俺が新人に教えてるんですから」
「大したものじゃないか、ハインツ」
フェリックスが言うと、ハインツはホートンへ嬉しそうに顔を向けた。
「そこで俺を見るな。褒めてくれたのは大尉だろうが」
「でも、教えてくれたのは聖曹長ですから」
ホートンは答えず、スープを口へ運んだ。
ハインツは肉の汁が残った皿へ、ガーリックパンを押し当てた。
焼いた表面が汁を吸って柔らかくなり、バターとニンニクの染みた内側まで褐色に変わった。ハインツはそれを最後の一切れの肉と一緒に食べた。
「前は、朝起きても行くところがなかったんです。今は持ち場へ行けば仕事があって、できるようになれば次を任せてもらえる」
「今は、毎朝誰かが待っているわけだな」
フェリックスが言った。
「ええ。俺が時間になっても来なかったら、ちゃんと探しに来てくれるんですよ」
「仕事に穴を開けられたら困るからな」
ホートンが言った。
「ほらね。俺がいなきゃ、困るんですよ」
ハインツは嬉しそうに笑った。隣の兵が、彼の皿へ残っていたソーセージを半分載せてやった。
そのころ、配膳口に小さな器が並び始めた。半分に切って焼いた林檎に、バターを溶かしたキャラメルがかかっている。
皺の寄った皮の中で果肉は柔らかくなり、匙を入れると、真ん中のくぼみに溜まったソースが流れた。
ハインツが隣の兵と二人で器を運んできた。
「まだ食えますか、大尉」
「これは入るな」
「ですよね。クリームもありますよ」
フェリックスは冷たいクリームを少し添え、温かな林檎と一緒にすくった。
果肉の酸味に焦がした砂糖の苦みが混じり、舌の上で溶けたクリームがそれを和らげる。
ハインツは自分の器にも同じように載せ、もう片方の手で〈アップル・ガード〉の小さな杯を寄せた。
空になった肉皿が下げられ、卓の上にようやく余裕ができた。
年嵩の兵が、片づける手を止めて言った。
「ロフォーテン会戦で戻ってこなかった連中にも、よく新人の面倒を見てた奴がいたな。あいつは工具の手入れには、ひどくうるさかった」
「カートライト一等聖列兵ですね」
ハインツが頷いた。
「俺が汚したまま道具を戻すと、必ず呼び戻されました」
「共用の道具だからな。カートライトの奴は、それをよく分かっていた」
ホートンが言った。
「今なら分かります。あの人の言ってたこと」
ハインツは空いた皿を重ねた。
「……もう、一緒に仕事はできませんけどね」
ホートンは重ねられた皿を卓の端へ寄せた。
「いい腕をしていた」
フェリックスは黙っていた。ロフォーテン星域会戦で彼らが戦った相手は、帝国軍だった。
ハインツは杯に残った飲み物を見ていたが、やがて顔を上げた。
「でも、カートライト一等聖列兵は根に還ったんですよね」
フェリックスは彼を見た。
「……根に還る?」
「ええ。俺たちは死んだら皆、母なる地球の根に還るんだそうです。艦隊司祭様がそう教えてくださいました」
「教国ではそういう教えがあるのか」
「はい。そこで、また死んだ皆に会えるんだそうですよ」
ハインツは、遠くの町へ移った知人のことでも話すような口調で続けた。
「だから、あの人にも、いつかまた会えます。そのときは、工具をきれいにしておけって、また叱られるかもしれませんけどね」
隣の兵が小さく笑った。
「わかってるじゃないか。お前なら、あっちに行ったらまず叱られるだろうよ」
ハインツは笑い、自分の杯を空にした。
ラザレフも会話を聞いていたが、口は挟まなかった。
向かいの兵が席を立ち、空いた食器を返却口へ運んでいった。交替で勤務を終えたらしい者が新しく入ってきて、別の卓へ腰を下ろす。
酒保は相変わらず賑やかだった。
ホートンが残りの料理を確認し、まだ食べたい者がいないか尋ねた。
隣の兵がマカロニの角皿から最後の焦げたチーズを剥がし、ハインツと半分ずつにした。
二人とも食べ終わったと言っていたはずなのに、それは断らなかった。
食事が終わりに近づくころ、ハインツがフェリックスへ向き直った。
「フェリックス大尉、今日は来てくださって、ありがとうございました。また来てくださいよ」
「こちらこそ。機会があれば、また皆と飯を食いたい」
「俺もです。俺、ここで皆と食って、働いてるのが一番好きなんです」
ハインツは皿を端へ寄せ、続けた。
「ここを離れたら、他に行くところもないですから。働けるうちは働いて、出撃になれば皆と戦って、最後は一緒に根に還るんです」
フェリックスが返事を探している間にも、ハインツは何でもないことのように話し続けた。
「平和の中に、俺の居場所はありませんでした。戦争が俺を救ってくれたんです。……大尉、俺はあなたが好きですよ。でも、戦場で会ったら、存分に殺し合いましょう。そのあとは、冥府だかヴァルハラだかで、また一緒に飯を食いましょう」
隣の若い兵が、嬉しそうに頷いた。
「俺たち、戦えるかぎり皆で戦って、最後は皆で根に還るつもりなんです。艦隊司祭様も、それは立派なことだと褒めてくださるんですよ」
「そうそう。そのときは、冥府でまた皆で酒でも飲みましょう。あそこなら当直もないでしょうし」
別の兵が言い、他の兵たちが笑った。
「もちろん、フェリックス大尉や帝国の方々もご一緒です。そちらの皇帝陛下だって、いつか根のもとでお会いできるでしょう。母なる地球は、誰も拒みませんから」
「皇帝陛下にお会いしたら、俺たちでも一杯ご一緒できるかな」
若い兵たちは笑った。
フェリックスは杯を持ったまま、彼らを見ていた。楽しそうな、邪気のない口調は少しも変わらなかった。
「……陛下も、か」
「もちろんですよ、フェリックス大尉。帝国軍の方々も、戦場でお会いしたらできるだけ多く殺して、お救いして差し上げます」
「ハインツ」
ラザレフが口を挟んだ。
「はい、閣下」
「客人に向かって殺すとは、ずいぶんな歓迎だな」
「……すみません。でも、本気でそう思ってるんです。帝国の皆さんも、皆お救いしたいんです。艦隊司祭様もそれは正しい考えだと褒めてくださいます」
「ああ。お前たちがそう考えているのは、分かってる」
ラザレフはそれ以上、何も言わなかった。
フェリックスは杯を卓へ置いた。
「……陛下は、まだ生きておられる。どうせ会うなら、生きているうちにしてほしいな」
「ええ。それが一番ですよ」
ハインツは素直に頷いた。
「でも、戦場では何があるか分かりませんから。現世で叶わなくても、根のもとではお会いできます」
「俺たちだけ救われて、大尉たちは救われないなんて、そんなの寂しいじゃないですか。皆、一緒に救われる方が良いと思うんです」
隣の兵もそう言って、杯を持ち上げた。
ラザレフは、フェリックスが置いた杯を見た。まだ麦酒が半分ほど残っている。
フェリックスはしばらくハインツたちを見ていた。
「……俺は、お前たちとまた飯を食いたいよ」
「本当ですか?」
「ああ」
「よかった!」
ハインツはフェリックスの杯へ目をやった。
「大尉、麦酒をもう少し?」
「いや、もう今日はいい」
その隣で、ホートンが席を立った。
「ハインツ。明日の新人の指導、お前が担当だったな」
「はい。任せてください」
「集合時刻を忘れるなよ」
ハインツは勢いよく頷き、仲間とともに食器を重ねた。酒を飲んだ者たちは、このまま居住区へ戻るところだった。
フェリックスは、卓の端へ寄せられた自分の盆を手に取った。
「ああ、大尉。お客さんはそのままで結構ですよ」
ハインツが言った。
「自分の食器くらい、俺が片づけるよ」
「では、こちらへ。返却口はあっちです」
ハインツは先に立ち、フェリックスを案内した。
盆を返すと、ハインツは作業上衣を取り上げた。
「大尉、また来るときは教えてください。麦酒、冷やしときますから」
「ああ。頼むよ」
ホートンに呼ばれ、ハインツは仲間のあとを追って通路へ出ていった。
ホートンが近づいてきた。
「あいつらがお騒がせしました」
「いえ。今日はよくしていただきました」
「そう言っていただければ、連中も喜ぶでしょう」
ホートンが卓の布巾を集めているところへ、ラザレフも食器を返してきた。
「どうだった、フェリックス」
「……賑やかでした」
「そうか」
ラザレフはホートンへ向き直った。
「聖曹長、皆にも礼を言っておいてくれ。給養班にもな。肉も鶏もうまかった」
「承知しました。あれだけあった料理が、ほとんど残っていませんからね」
ラザレフは笑い、フェリックスへ向き直った。
「さて、もう少し時間はあるか?」
「はい」
「それなら、少し静かなところへ行こう。お前と、もう少し話してみたい」
フェリックスは頷き、ラザレフとともに酒保を出た。
扉が閉まるまで、奥ではまだ兵たちの声が飛び交っていた。ラザレフはその声を背に、フェリックスと並んで来客区画へ向かった。
***
【同日深夜 第四聖団〈ディス〉艦隊旗艦〈カロン〉・来客区画】
酒保から少し離れると、通路は静かになった。
ラザレフは、来客区画の小さな談話室へフェリックスを通した。
「何か飲むか?」
「ありがとうございます。でも、さっき十分いただきましたから」
「それなら水にしようか」
ラザレフは水を二杯用意し、一つをフェリックスへ渡した。
二人が腰を下ろすと、フェリックスは酒保で聞いた話を思い出して尋ねた。
「ホートン聖曹長は旧同盟軍にいらしたそうですね。閣下も、ですか」
「いや。俺が物心ついたときには、もう自由惑星同盟はなかった。……軍務は、エイジ・クルス提督の艦隊で学んだ」
フェリックスは杯を卓へ置いた。
「……クルス提督の艦隊に?」
「ああ」
「陛下の初陣を襲った艦隊ですね。俺も、あのとき陛下と一緒にいました」
ラザレフは意外そうにフェリックスを見た。
「お前もあの戦場にいたのか?お前もまだ子供だっただろう」
「ええ。陛下は十歳で、俺は十一のときでした。乗っていた艦が撃たれて、灯りも通信も落ちたんです。隔壁が下りて、乗員たちと一緒に閉じ込められました」
「どうやって脱出した?」
「移乗したときに、整備通路の入口を覚えていたんです。でも、その先の道は分からなかった。学友のクラインという奴が壁の配線を調べて、電力の生きている区画まで案内してくれました」
フェリックスは少し笑った。
「俺は皆を先に行かせて、最後尾を歩きました」
「皇帝陛下はどんな様子だったんだ?」
「真っ暗な中で兵たちの名を一人ずつ呼んでました。あの人は名を憶えるんです。皆を落ち着かせて、誰かが取り残されていないか、ずっと気にしていました」
ラザレフは、向かいの青年が話す当時の光景を思い浮かべた。あの戦いで自分たちが狙っていた皇帝は、まだ十歳の子供だった。
「……俺は、クルス提督に逃がされたんだ。提督と一緒に残って死ぬつもりだった。だが、退艦を命じられた。最後にこう言われたよ。『行け。生き延びて、見ろ。我々が見られなかったものを』ってな」
ラザレフは、敬礼を返した老提督の姿を思い出した。
あれから十年以上が過ぎ、今では自分が提督となって艦隊を率いている。それでも、あの言葉を思い返すと、いつも同じ問いへ戻りそうになる。
「……クルス提督は、閣下のことを大事にされていたんですね」
ラザレフは顔を上げた。
フェリックスは返事を求めるでもなく、話を続けた。
「俺は、陛下……アレクには生きていてほしいです。あいつは、昔から自分のことはいつも後回しです。今も休む時間があると、すぐ次の仕事を始めてしまうんですよ」
フェリックスは少し考えた。
「あいつには、明日が来るのを楽しみにしていてほしいんです。そんな朝をこれから先、いくつでも迎えてほしい」
ラザレフは、持っていた水の杯を卓へ戻した。
「……欲張りなんだな、お前は。ローエングラム王朝の皇帝は、常に戦場に立っているようなものだろう。いつ死ぬかわからんぞ」
「そうかもしれません。でも、俺はそう願っています」
フェリックスは笑った。
ラザレフも笑みを返したが、しばらくは何も言わなかった。
そのあとフェリックスは、帰国後には今回の訪問について帝国への詳しい報告が待っていると話した。
ラザレフは、食事の感想まで書くつもりなのかと笑った。
やがて、フェリックスが時計を見た。
「そろそろ失礼した方がよさそうですね」
「もうそんな時間か」
ラザレフも時計を確かめた。
「すまんな。つい引き止めてしまった」
「いえ」
ラザレフは立ち上がり、卓の杯を片づけた。
「では、送ろう」
***
フェリックスとラザレフは、出入口の手前で迎えの車を待っていた。
「今日は来てくれてありがとう、フェリックス」
「お礼を言うのは、こちらの方です。今日はご馳走になりました」
「いや。俺の方だ」
フェリックスが答えるより先に、ラザレフは手を差し出した。
フェリックスがその手を握ると、しっかり握り返してきた。
「ミッターマイヤー元帥閣下にも、よろしくお伝えしてくれ」
「はい。今夜こちらへ伺うことは、父にも報告しています」
「そうか。何か言われたか?」
「食事は構わないが、余計な正義感で海賊を一緒に探しに行くなと、釘を刺されました」
ラザレフは笑った。
「はは。元帥閣下はお前のことをよくご存じだな」
「……父は少し心配しすぎなんですよ」
「まあ、今日は飯を食わせただけだ。教国の軍隊飯はなかなかのものでした、と伝えてくれ」
二人は笑った。
やがてラザレフが手を離し、一歩退いた。
〈聖枝礼〉と帝国軍式の敬礼が交わされた。
「では、またな」
「はい、閣下」
***
【同日深夜 旗艦〈カロン〉・ラザレフ自室】
フェリックスを見送って自室へ戻ったラザレフは、上着を脱ぎ、椅子の背へ掛けた。
机の端には、ロフォーテン会戦の記録を端末から出力した紙の綴りが残っていた。
ラザレフはその中から、出撃前の聖別で兵たちが左腕に巻いた白布の受領一覧を取り出した。
一人につき一枚。名前の横には受領の印が並んでいる。帰投した者も、戻らなかった者も、同じ欄に記されていた。
受領欄の隣には、何もなかった。
以前から使われてきた書式だった。誰が白布を受け取ったかは分かる。だが、誰が持って帰ったかを記す場所はない。
ラザレフはしばらくその紙を見ていた。
やがて筆記具を取り、受領欄の隣に一本の線を引いた。
その上へ、二文字を書き加える。
〈返却〉。
ラザレフは書き加えた頁を一番上へ戻した。
翌朝、担当者へ渡すつもりだった。
線は少し曲がっていた。
ラザレフは引き直さなかった。
――「よく聞け。俺たちはグエン海賊団だ。いまからそっちへ乗り込む。金目の物を出して、おとなしくしてろ。抵抗しなけりゃ、怪我はさせねえ」
次回、『グエン海賊団、皇帝副官と銀葉子爵と艦隊司令を襲撃する』