銀河英雄伝説・次代篇 ~英雄の残光~   作:銀河の灯守

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三「ニコラス・ブルーメンタール」(新帝国暦十八年冬)

なぜ民主共和政の軍人たちが、神権国家の旗の下に集まったのか。

 

後世の史家を長く悩ませるこの問いの答えは、半分は帳簿にある。

同盟という国家が消えたとき、その国家が数千万の退役軍人に負っていた恩給も、支払い主体ごと消えた。

誰も弾圧していない。ただ、支払う国が消えた。

 

だが帳簿は、人が「どこから去るか」しか説明しない。

「どこへ行くか」を決めたのは、いつの時代も、旗を掲げた人間の側である。

 

 

***

 

 

【新帝国暦十八年・冬 旧同盟領辺境・旧同盟軍第七補給基地跡 ブルーメンタール】

 

かつて同盟軍の補給基地だった廃墟に、その冬、人が集まりつつあった。

 

管制塔は傾き、滑走路はひび割れていた。

格納庫に残る同盟軍の紋章は、新帝国の接収検査官が一度だけ来て、塗り潰しもせずに帰った。

塗り潰す価値もない、ということである。

 

ニコラス・ブルーメンタールは、その塗り潰されなかった紋章の下に、机を一つ置いていた。

旧自由惑星同盟軍の統合作戦本部作戦課では、作戦主任参謀を務めた男である。

 

来る者は、途切れなかった。

恩給の消えた砲術長。廃兵の年金を待ち続けた機関兵。息子の戦死給付を受け取る先の国家ごと失った老軍曹。

十六年、誰にも呼ばれなかった男たちである。

 

ブルーメンタールは、一人ずつ、立って迎えた。

 

「第十一艦隊か。……ドーリアの生き残りだな。よく、生きていてくれた」

 

名簿も見ずに所属と戦歴を言い当てる。

彼は旧同盟軍の編制を、階級章の褪せ方一つから読める男だった。

言い当てられた男たちは、一様に同じ顔をした。

泣くのを堪える顔である。十六年ぶりに軍歴が経歴として扱われた顔だった。

 

古参の砲術長が、照れ隠しに軽口を叩いた。

 

「なに、ここでなら、芸のある死に方の一つもできるかと思いましてな」

 

「聞き捨てならんな」

ブルーメンタールは、笑わなかった。

「死なせるために、集めたのではない」

 

その夜、集まった三百人ほどを前に彼は短い訓示をした。

三百人。最盛期には五千万を数えた自由の国の軍隊の、三百人である。

 

演説は得意ではない。得意でないことが、かえって声に重さを与えた。

 

「諸君の中に、自分を敗残兵だと思っている者がいるなら、今夜限りで改めてもらう」

 

彼は、一語ずつ置くように言った。

 

「私は——我々は敗者ではない。終わる前に、国の方が消えたのだ」

 

拍手は起きなかった。

代わりに、三百人が一斉に、自由惑星同盟軍式の古い敬礼をした。

十六年間、する相手のなかった敬礼だった。

 

 

***

 

 

ニコラス・ブルーメンタールの経歴は、同盟の最後の十年と、ほぼ重なっている。

 

戦没者の家に生まれた。

父は輸送艦の機関長で、息子の顔を三度見て、四度目の航海から還らなかった。

百五十年続いた戦争の、ありふれた家である。

 

少年の進路を決めたのは、宇宙暦七八八年——エル・ファシルの報せだった。

 

艦隊が壊走する中、民間人三百万を無傷で脱出させた若い中尉がいる。

軍とは市民を守る道具であり、道具は正しく使えば人を生かす。

少年はそう確信して士官学校の門を叩き、首席で出た。

 

首席の彼が卒業したその学校を、数年前、居眠りと戦史の講義だけで有名な男が、下から数えた方が早い席次で出ていた。

二人の名が同じ書類に並ぶのは、もう少し先の話である。

 

配属は統合作戦本部、作戦課。

数字の男だった。艦隊の格好良さより、輸送船の隻数と燃料の桁を愛した。

父が輸送艦で死んだ男は、戦争が砲火ではなく補給で決まることを、教わる前から知っていた。

 

宇宙暦七九六年、彼の名は初めて、歴史の欄外に載る。

 

帝国領侵攻計画——三千万を動員する大遠征の原案が、フォーク准将の華麗な筆で最高評議会へ上がったとき、作戦課の若い参謀が一人、反対意見書を添付した。

華麗な図面に、彼は補給線を一本ずつ書き込んで返したのである。

占領地が広がるほど補給所要は幾何級数で増える。焦土戦術を採られれば現地調達は成立しない。遠征軍は、会敵の前に飢える——意見書は、そこまで書いた。

 

図面が汚れた、と評された。

意見書は握り潰され、彼は閲兵式の準備係へ回された。

 

ただ一人、総参謀長のグリーンヒル大将だけが、若い参謀を執務室に呼んだ。

 

「君の数字は、正しい」

大将は、静かに言った。

「正しさだけでは、この案は止まらん。……選挙が、始まっているのでな」

 

正しい数字が選挙に負ける瞬間を、彼はこの日、初めて見た。

二度目を見る前に、二千万が死んだ。

 

 

***

 

 

灼熱のアムリッツァに、彼はいた。

 

統合作戦本部の連絡参謀として第十艦隊に配され、自分の意見書がそのまま現実になっていく過程を、特等席で見せられたのである。

補給は彼の計算どおりの位置で断たれ、遠征軍は彼の計算どおりの日付で飢えた。

 

ウランフ提督が戦死し、第十艦隊が砕けた夜、若い連絡参謀のとった手段は、常識の逆だった。

 

彼は、散った艦を集めなかった。

 

潰走する数百の艦へ彼が配ったのは、会合座標ではない。

個別の退避航路と、一つの時刻と、一つの目標だけである。

再集結はしない。隊形も組まない。ばらばらに逃げ続けろ——ただし指定の一刻だけ、全艦が同じ敵を噛む。

 

追撃していた帝国艦隊は、その一刻に、奇怪なものを見た。

 

四方八方へ壊走していたはずの敗兵どもが、時計を合わせたように一斉に反転したのである。

伸びきった追撃隊の側面へ、全方位から一撃だけ加えて、また散った。

壊走が、擬態に変わった瞬間だった。

 

追撃の足は、目に見えて鈍った。

散った敵はもう「潰走する敗兵」ではない。どこで牙を剥くか分からぬ、統制された何かである。

警戒は速度を殺し、殺された速度の分だけ、本隊は生きて下がった。

 

艦隊が艦隊の形をしている必要は、ない。

同じ時刻に同じ敵を噛むなら、散っていても艦隊だ——この夜に生まれた思想を、彼が再び使う日は、ずっと先に来る。

 

そうして時間を稼いだ二千余隻を、彼は殿軍の傘の下へ送り込んだ。

壊走する遠征軍全体の背中を、たった一個艦隊で支えていた殿軍である。

 

その殿軍の司令官が誰であったかを——自分の最良の仕事が、誰の張った傘の陰でのみ成立したのかを——彼は生涯、一度も口にしなかった。

 

彼の沈黙には、部屋が二つある。

 

 

***

 

 

クーデターへの誘いは、翌年、グリーンヒル大将その人から来た。

 

腐敗の切除。健全な共和国の再建。アムリッツァの二千万への、応答。

数字の男が、初めて数字以外のものに賭けた。

最年少の幕僚として、彼は革命の中枢にいた。

 

結末は、既に記したとおりである。

 

ただ、最後の夜のことだけは、記しておかねばならない。

包囲された司令部で、大将は若い幕僚に退去を命じた。

ブルーメンタールは拒否した。拒否した部下に、大将は静かに言った。

 

「若い者を道連れにする権利は、私にはない。……ブルーメンタール。我々は、間違えたのかもしれん。だが、君たちが目指したものまで間違いだったかは——それは、ここで決まることではない。生きて、確かめろ」

 

数時間後、大将は同志の銃で死に、若い幕僚は生きて捕らえられた。

 

軍籍剥奪。禁固二十年。

判決の日、彼は軍事法廷で一言だけ発言を許され、こう言った。

「アムリッツァで散った二千万の同胞の名簿を、この法廷に提出したい。……却下されるのなら、結構。私の陳述は以上だ」

 

却下された。それが、同盟という国家と彼との、最後の会話になった。

 

間違えたのかもしれん、という前半を、彼は十六年かけて、少しずつ聞かなくなった。

残ったのは、後半だけである。

ここで決まることではない——中断された、ということだ。

 

そう読み替えた自分に、彼はもう、気づいていない。

 

 

***

 

 

イリヤ・ラザレフが彼のもとへ回されてきたのは、その冬の終わりである。

 

暗礁を漂流していたところを拾われた、旧同盟軍中将のエイジ・クルス提督の率いた艦隊の生き残り——書類にはそうあった。

帳簿の上ではとうに死んだことになっている男である。

まだ若い。同盟が滅んだとき、ほんの子供だった世代だった。

 

イリヤは実直に働き、実直に学び、そして夜になると実直に質問をした。

 

「司令。……議会とは、どういうものでしたか」

 

ブルーメンタールは、書類の手を止めた。

 

「うるさい場所だ」

少し考えてから、彼は言い直した。

「三百人が三百通りのことを喚いて、何一つ決まらん。決まった頃には元の案の原形がない。……途方もなく非効率で、腹の立つ場所だった」

 

「それは……悪いものだったのですか」

 

「いいや」

ブルーメンタールの声は、自分でも意外なほど、静かになった。

「あれは、三百人分の否が言える場所だった。否を言っても、誰も連行されん。……見なければ分からんよ、あの馬鹿馬鹿しさの尊さは」

 

イリヤは、頷かなかった。

頷く代わりに、聞いたことを胸の内で復唱している目をしていた。

 

議会も、選挙も、この若者は見たことがない。

体験ではなく伝聞。記憶ではなく経典。

ブルーメンタールの語る同盟は、イリヤの中で、一言ずつ聖句に変わっていった。

 

「では」イリヤは問うた。「いつか、私も選挙を見られますか」

 

「見せる」

ブルーメンタールは、即答した。

「私が、必ず」

 

約束の文法が、いつから祈りの文法に変わったのか。

言った本人も、聞いた側も、気づかなかった。

 

 

***

 

 

「魔術師ヤンは」と、あるときイリヤが言った。「英雄だったと、聞いています」

 

ブルーメンタールの手が、止まった。

 

「誰に聞いた」

 

「引き上げられた船の、年配の方々に。同盟最後の、最高の頭脳だったと」

 

長い沈黙があった。

やがてブルーメンタールは、書類を置き、若者にまっすぐ向き直った。

逃げも韜晦もしない。それがこの男の、唯一の話法である。

 

「ヤン・ウェンリーは、私が生涯で見た、最高の才能だった。それは認める。認めた上で言う」

 

声は、荒れなかった。荒れないことが、かえって底の温度を伝えた。

 

「あの男は、守っているものが腐っていると、誰よりもよく知っていた。知っていて、守った。あのヨブ・トリューニヒトの政府を。選挙を買い、戦争で票を稼ぎ、兵の命を選挙対策に使う連中を——民主主義の原則、という名分でだ」

 

「我々は、それを壊そうとした。腐敗を切除し、健全な民主共和政を建て直すために立った。……あの男は、その我々を潰した。最高の才能が、最悪の政府の盾になった」

 

声が、一段、低くなった。

 

「グリーンヒル大将は、敵の銃では死ななかった。同志のはずの男の銃で死んだ。敗色を悟って、大将の首を降伏の手土産にした男の銃でだ。……では、その引き金を引かせたのは、誰の鎮圧だ」

 

イリヤは、答えを持たなかった。

 

「志のあった者は根こそぎ処断され、守られた政府は二年ももたずに国ごと滅んだ」

 

ブルーメンタールは、そこで一度、目を閉じた。

 

「我々は『壊すだけ壊して責任を取らなかった』そうだ。……結構。その定義を、そのまま使わせてもらう。ならばヤン・ウェンリーは何だ。腐敗を延命させ、革命を潰し、国が滅ぶのを見届けて、自分は歴史に美名だけ残して死んだ。……あれを英雄と呼ぶなら、呼べばいい。私は、『共犯』と呼ぶ」

 

イリヤは、何も言えなかった。

 

反論の材料を、彼は持っていない。

議会も選挙もヨブ・トリューニヒトも、この若者にとっては等しく伝聞であり、目の前の男の傷だけが、実物だった。

 

この独白に、頷いた者が三百人いた。

頷かなかった者が、銀河のどこかにいる。

 

そして公平のために、歴史はいくつかの事実を書き添える権利を持つ。

 

ヤン・ウェンリーは、独裁者になる機会を少なくとも二度与えられ、二度とも断った男である。

バーミリオンの砲火の只中で腐敗した政府の停戦命令に従ったのは、腐敗した政府が惜しかったからではない。

軍人が銃で政府を選び始めた瞬間に民主主義は死ぬ——救国軍事会議そのものが証明してみせた、その一点を守るためだった。

 

そして、少年ブルーメンタールを軍人にした「エル・ファシルの英雄」と、壮年ブルーメンタールが罪と呼ぶ男は、同じ一人の人間である。

 

彼は肖像を半分に切り、半分だけを焼いた。

焼かれなかった半分がその胸のどこに仕舞われているのかは、誰も知らない。

 

 

***

 

 

一つだけ、独白に含まれなかったことがある。

 

ドワイト・グリーンヒル大将には、娘が一人いた。

娘は、父の革命の側に立たなかった。

そしてのちに、あの男の姓を名乗った。

 

ブルーメンタールが、その名を口にしたことは一度もない。

憎むためにすら、ない。

 

 

***

 

 

別の夜、イリヤは、もう一つの問いを持ってきた。

 

「引き上げられた船の方々は、もう一つ、言っていました。……スタジアムの話を。集会にいた反戦派の女性議員が、死んだと」

 

ブルーメンタールは、今度は、すぐに答えなかった。

 

「……現場の部隊が、命令を越えてやったことだ」

ようやく出た声は、いつもの硬質を保っていた。保っていることが、分かる硬さだった。

「革命は、あれを望まなかった」

 

「望まなかったものが、起きたのですね」

 

イリヤに、他意はなかった。

経典を読む者が、頁の順に問うただけである。

他意のない問いにだけ、答えられない種類の問いがある。

 

「……もう遅い。休め」

 

その夜、司令官の部屋の灯りは、遅くまで消えなかった。

何をしていたのかは、誰も知らない。

 

 

***

 

 

【新帝国暦十九年・春 同基地跡 ブルーメンタール】

 

船は、来た。金も、来た。

 

連絡艇で軌道の係留列を検分した日のことは、記しておく価値がある。

 

同じ艦影が、並んでいた。

同じ、というのは修辞ではない。

艦首の反りも砲塔の配置も推進部の癖も、寸分違わぬ同型艦が、視界の尽きるまで並んでいた。

 

二十まで数えて、ブルーメンタールは数えるのをやめた。

 

新造艦である。中古の寄せ集めではない。

塗装は飾り気のない灰色で、船体番号のほかには、艦首に小さな金の樹章があるだけだった。

 

名が、なかった。

どの艦にも、名がなかった。

 

同盟の軍艦は、名を持っていた。

歴戦の幸運艦も、便所の水漏れひとつで艦隊中の笑い話になった艦も、名で呼ばれ、名で愛され、沈むときは名で悼まれた。

名のない艦の群れで戦う戦争を、彼はまだ、うまく想像できない。

 

誰が、どこで、これだけの新造艦を——

問いは、いつもの場所で止まった。問わない、と決めた場所である。

 

寄贈者の代理人と名乗る男は丁重で口数が少なく、外套の襟に小さな金の樹の徽章を着けていた。

ブルーメンタールは出所を問わなかった。

問わない者が、この辺境には、彼のほかにも幾人かいることを、彼はまだ知らない。

 

代理人が帰ったあと、古くからの副官が、堪えかねたように言った。

 

「司令。……あれは、坊主どもの船です。我々は民主主義の軍隊だ。皇帝も神様も御免だから、我々の父祖は長征一万光年を逃げ抜いたんじゃないんですか。その末裔が、今度は神様の船に乗るんですか」

 

「乗る」

ブルーメンタールは、即答した。

「船には乗る。神には乗らん。同じ旗の下にも立たん。だが、共通の敵を撃つことはできる」

 

「詭弁です」

「順番だ」

 

彼は、地図の上の、帝国領を示した。

 

「まず、壊す。建てるのは、そのあとだ。……帝国という不正義が立っている限り、その足元でどんな正義を建てても、絵空事にしかならん。壊す段階では、手は選べん。選ばん」

 

副官は、それ以上、言わなかった。

言わなかったことを、この誠実な司令官は、納得と受け取った。

 

 

***

 

 

軍服も、届いた。木箱に、三百着。

 

樹皮を思わせる灰褐色の生地に、金糸の黄金樹が一樹、胸に枝を広げている。

高い詰襟に、足首まで届く長い裾——艦内用だけが、膝で裁たれていた。

華美ではない。聖将の位を示す金は、胸の一樹と、袖に伸びる枝のほかにない。

前立ての釦は布に隠され、外からは一本の縫い目にしか見えない。

 

ブルーメンタールは、職業柄の癖で、隠れた釦を数えた。

十一、あった。

 

軍服の釦の数は、どこの軍でも実用が決める。

十一は、実用の数ではない。

彼はその意味を知らない。意味を知らされていない数字が、この男は何より嫌いだった。

 

着心地は、悔しいことに、良かった。

 

古参の砲術長が袖を通し、鏡のない基地でひと回りしてみせた。

「なんだか、坊さんの服みたいですなあ」

笑いが起きた。

起きた笑いの寿命は、三日だった。

 

三日後、その「坊さん」が、本物として現れたのである。

 

ノックは、丁寧だった。

入ってきたのは、黒い長衣の男である。

裾は足首まであり、腰にはあざやかな緋色の帯を締めていた。年齢の読めない、物腰の柔らかい男だった。

 

「御隊付きの艦隊司祭を、拝命いたしました。以後、お見知りおきを」

 

「……要請した覚えはない」

 

「任命は、私どもの側の務めですので」

 

ブルーメンタールは、男を見据えた。

「指揮系統を確認する。貴官は、私の命令に服するのか」

 

「務めの許すかぎり、喜んで」

 

「務めが許さない場合は」

 

「そのような日が来ないことを、祈っております」

 

ブルーメンタールは、質問の角度を変えた。

「貴官の階級は」

 

「持ちません」

 

「……階級のない者が、軍艦に乗るのか」

 

「軍のお仕事は、皆様のもの。私どもの務めは、皆様の魂の側にございますので」

 

役回りを問うと、男は指を折って数えてみせた。

出撃の前には、聖別を。望む者には、聴聞を。戦没者には、祈りを。

「あとは——ただ、見ております」

 

「見て、どうする」

 

「見ることが、務めにございます」

 

ブルーメンタールは、それ以上その線を追わなかった。

追っても、微笑しか出てこないことが、もう分かっていた。

代わりに、彼は姿勢を正した。

「では、こちらからも通告しておく」

 

「この部隊の敬礼は、同盟軍式を用いる。号令も、操典も、戦死者を送る作法も、自由惑星同盟軍の流儀で行う。……服は着よう。名も預かろう。だが中身は、我々のやり方で通させてもらう」

 

「ご随意に」

 

即答だった。

抵抗のないことが、この日の問答でいちばん、腑に落ちなかった。

 

男は微笑んで、部屋の隅の空いた机を、当然のように自分のものにした。

彼は何も要求しなかった。

要求しないものは、拒否のしようがない。

 

扉が閉まってから、ブルーメンタールは気づいた。

 

艦隊司祭の長衣と、支給された軍服は、同じ裁ちだった。

軍服が僧服に似ているのではない。

僧服が、軍服に仕立て直されているのだ。

 

その夜のうちに、彼は抗議文を書いた。

規定の書式で、論旨明快に、三枚。

宛先の欄で、ペンが止まった。

 

抗議を受け付けるべき組織の名を、彼はまだ、知らされていなかった。

 

 

***

 

 

艦隊司祭が持ってきたものがある。

彼は一枚の書状を、恭しく卓に置いた。

 

「艦隊の編制名を、お預かりして参りました。三個艦隊、総数三万隻——乗り組む人員は目下、辺境の各星系より集結中とのことにございます」

 

三万隻。

ブルーメンタールは、書状より先に、数字を検算した。

 

一隻あたりの乗員を低く見積もっても、総員は一千万を超える。

同盟軍の最盛期が、十二個艦隊で五千万だった。

三百人から始めた男の名簿の外から、かつての祖国の最盛期の軍隊の、五分の一に相当する人間が、やって来ようとしている。

 

どこから、と問いかけて、彼は答えを半分知っていることに気づいた。

恩給を消された男たち。呼ばれなかった男たち。

この基地の門を叩いた三百人の後ろに、同じ顔が一千万、並んでいるのである。

 

ただし、と彼は職業柄の但し書きも付けた。

 

一千万は、今日の頭数ではない。編制表の上の、完成時の数字である。

三百人が三千人になり、三千人が三万人になる——その倍々の階段を、この計画は何年もかけて上るつもりでいる。

 

何年もかけるつもりの計画、という事実が、彼にはいちばん薄気味悪かった。

 

分からないのは、頭数ではない。仕組みの方だった。

 

「一つ、聞かせてもらう」

彼は書状を卓に置いた。

 

「一千万もの軍人の集結には、星系政府の協力が要る。徴募の告知、名簿の照会、港湾、輸送——どれ一つ、民間の互助組合ごときの手に負える仕事ではない。ついこの間まで民主共和政を戴いていた辺境の政府が、なぜ、貴様らのような胡散臭い坊主どもに協力する。施しを多少ばら撒いた程度で兵力を差し出すほど、民主共和政の担い手は愚かではないぞ」

 

無礼を絵に描いたような質問だった。

彼は外交を知らない。知らないことを、恥じてもいない。

 

司祭は、「民主共和政の担い手」が既に消滅していることを、丁重に無視した。

気を悪くした様子もなく、静かに首を振る。

 

「施しは、しておりません」

 

「では、何をした」

 

「いろいろと」

 

それだけ言って、司祭は、どこか懐かしむような目をした。

 

「……皆様、たいへんお喜びで、ご協力くださっております。複数の星系政府の方々も、住民の方々も。それはもう、こちらが恐縮いたしますほどに」

 

嘘をついている顔ではなかった。

人の顔を読むことにかけて、ブルーメンタールは名簿の次に自信がある。

 

嘘でないことの方が、嘘であることより始末に悪い場合が世の中にはある。

それを彼は、この日、覚えた。

 

「順に——第一艦隊『ディス』。第二艦隊『フリアエ』。第三艦隊『レムレス』」

 

聞き慣れない音だった。

 

「旧い地球の言葉です」

司祭は、教理を(そら)んじる声で言った。

「ディスは、冥府を統べる神。フリアエは、復讐を司る女神がた。レムレスは——鎮められぬまま、この世を彷徨う死者たちにございます」

 

ブルーメンタールは、書状から目を上げた。

 

「……冥府と、復讐と、死者か」

 

 

「なお——」

去り際に、司祭は思い出したように付け加えた。

「御隊は編制の上では、『第四聖団』と称されることになります」

 

「……第四?」

ブルーメンタールは、その数字も聞き逃さなかった。

「第四があるということは、第一から第三までが、既にあるということだな。どこに。誰の下に」

 

司祭は、微笑んだ。

この日いちばん、何も答えていない微笑だった。

 

命名を、彼は拒否できなかった。

拒否する手続きが、どこにも存在しなかったからである。

名のなかった灰色の艦列に、その日から、旧い地球の神々の名が三つ、旗のように立った。

 

 

***

 

 

命名の書状が届いた夜、ブルーメンタールは一人で針を持っていた。

 

机の上には、あの灰褐色の軍服があった。

どこの国のものでもない——まだ何者のものでもない、と彼が思うことに決めている軍服である。

左胸には徽章を留めるための空白だけが、縫い残されていた。

 

卓の隅には、書状に添えられていた袖章が一対、袋に入ったまま置いてある。

金糸で、枝が刺繍してあった。

位階は袖の枝の数で示すのだと、司祭は言った。星ではなく、枝で。

 

星で階級を数えてきた男の袖に、いずれ枝が生える。

今夜つけるのは、それではない。

 

その空白の、ちょうど裏側に、彼は色褪せた布片を縫い付けていた。

十六年前に消えた国の、同盟軍の徽章である。

 

針の運びは不器用で生真面目で、一針ずつ確かめるようだった。

表からは、何も見えない。

ただ、心臓の上にだけ、滅んだ国の旗が当たる。

 

縫い終えると、彼は軍服を着て、姿勢を正した。

鏡は、この基地のどこにもなかった。

 

 

***

 

 

後世の史家が、この結集について書くとき、答えはたいてい、同じ一文に落ち着く。

 

民主主義の軍人たちは、神権国家に集まったのではない。

一人の誠実な男の周りに集まり、その男ごと運ばれたのである。

 

その男は、かつてイゼルローンの遺児たちが選んだ共存の道を、ぬるい、と言い捨てて出た。

ぬるさを拒んだ誠実が、十六年かけてどこへ流れ着いたか——それは、もう記した。

 

彼の革命が、今度は何を壊すことになるのか。

それを知る者は、このときまだ銀河のどこにもいない。

彼自身を、含めて。




次回、7月13日(月)19時30分更新予定。
キベロン事件、勃発。


【設定資料 教国軍・艦内勤務服】
 位階が上がるほど、金は増える。
 だが、その金が加わるのは、袖の枝と胸の樹だけである。
 最下級の胸には、名の代わりに、番号がある。
・聖将(将官)
【挿絵表示】

・聖士(士官)
【挿絵表示】

・聖列兵(兵卒)
【挿絵表示】

※設定資料のイラストは、作者が設定・指示を与え、生成AI(ChatGPT)で出力したイメージ画です。
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