銀河英雄伝説・次代篇 ~英雄の残光~   作:銀河の灯守

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第二十三話 戦史再演・キフォイザー星域の会戦(後編)(新帝国暦一九年夏)

演習室に入ったのは朝だった。

正面の主表示にキフォイザー星域が出ている。

五万隻の光点が家ごとの塊のままそこに浮かんでいた。指示書の頁で見た並びがそのまま立体になっている。

 

その向こうに三万八百。

キルヒアイス艦隊の斜線陣。

左翼が出て右翼が下がっている。

 

「――記録どおりだ」

フェリックスが言った。

「三週間見た形だ」

 

  接敵まで 一一時間五八分

 

数字が動いた。

アレクが司令官席に着いた。

フェリックスが副官席に立った。

クラインは参謀席の端末を起動して星図を呼び出した。

そして二度確認した。

 

「それさっき見ただろ」

 

「確認精度の問題です」

 

「演習だぞ」

 

「はい」

 

そしてクラインは見た。

副官席のフェリックスが右手の拳を一度だけ握って開いた。

本人は気づいていない。

彼はいつもそうする。始まる前に一度。

クラインはそれも確認した。

 

「――発令する」

アレクが言った。

「全艦隊へ。各家は隷下の高速巡航艦を臨時遊撃隊へ供出せよ」

 

 

***

 

 

接敵まで 一〇時間五五分

 

フェリックスは副官席で戦域図を見ていた。

五万隻の光点が展開したままの形で浮かんでいる。

何も動いていない。

 

「通信確認しました」

クラインが言った。

 

「全四十七家受領済みです」

 

「受領はしたのか」

 

「しました」

 

フェリックスは戦域図に指を伸ばして拡大した。

 

第十七群。

 

戦域図は家に番号を振っている。指示書の上から十七番目の家である。

そこには高速巡航艦が十四隻あるはずだった。

十四隻とも元の位置にいた。

 

「拒否は」

 

「出ていません」

クラインが端末を見たまま答えた。

「拒否という表示はありません」

 

「じゃあ何だ」

 

「――何でもありません。ただ動いていません」

 

フェリックスは口の端を上げた。

笑うときの癖だった。

「そういうのを拒否って呼ぶんじゃないのか」

 

  接敵まで 一〇時間五四分

 

 

***

 

 

  接敵まで 八時間五五分

 

集合宙域に三百八十二隻。

 

「二千は」

 

「届きません」

クラインの声が少し遅れた。

「九家です。九家だけが出しました」

 

「あとの三十八家は」

 

「二十四家から通信が入っています」

 

「照会です」

クラインが読み上げた。

「――供出艦の識別番号の確定方法について。指揮権の帰属について。損耗した場合の補填の主体について。作戦目的のより詳細な説明について」

 

「答えれば出すのか」

 

「答えれば次の照会が来ます」

 

「そういう仕様か」

 

「そういう仕様です」

 

残る十四家は何も送ってこなかった。

受領はした。

しかしその先がなかった。

 

フェリックスは椅子の背に体重を預けた。

三時間で二千隻を抽出。

理屈上は九時間余る。

そう思ってた。

「クライン」

 

「はい」

 

「三時間って間違ってたのか」

 

「いいえ」

クラインは端末から目を離さなかった。

「三時間で着きます。集合宙域までの距離はそうなっています。……私は艦の話をしていました」

 

 

***

 

 

フェリックスは戦域図に目を戻した。

そこで気づいた。

穴が開いていた。

九家が高速巡航艦を抜いた場所にそのまま空白が残っている。

「おいクライン。抜いた分の穴誰が埋めてる?」

 

クラインの指が止まった。

「……誰も埋めていません」

 

「埋めろとは言ってないもんな」

 

「言っていません」

 

フェリックスは拡大した図を見ていた。

「高速艦ってのは外側にいるもんだ。速いから周りを見る役をやらされる。……そこが九ヶ所空いた」

 

「はい」

 

「キルヒアイス提督の八百隻が入ってくる穴をわざわざ俺たちが九つ増やしたってことか」

戦域図の上で五万隻はまだらになっていた。

 

出した家に穴がある。

出さなかった家に穴はない。

 

「……愕然ってのはこういうのを言うんだな」

フェリックスは明るい声で言った。

 

誰も笑わなかった。

「九時間余ってたんだ。今も余ってる。九時間もあるんだぞクライン」

 

「あります」

 

「あるのに四百も来ない」

 

「来ません」

 

  接敵まで 八時間五三分

 

フェリックスは司令官席を見た。

アレクは四十七の名前が並んだ一覧を見ていた。

 

 

***

 

 

「一覧を出してくれ」

アレクは言った。

 

「どこへ返しますか」

 

「返すんじゃない。読む。……上から順に全部」

 

クラインが顔を上げた。

「四十七家です。……九家はもう艦を出しています」

 

「艦は出した」

 

アレクは言った。

「どう動かすかは何も決めてない。指揮も翻訳も補填も退くときの承認も。……出した九家もまだ軍じゃない」

 

「全部話し直すと」

 

「全部話し直す」

 

アレクは四十七家の一覧の上から一つを選んだ。

 

  ヴァイセンフェルス男爵家

  保有艦二一一/うち高速巡航艦六

  ――当家の艦は四百年当家の者が指揮してまいりました。他家の指揮下に入れば合図が違います。信号規格が違い復唱の手順が違い転進を命ずる符号が違う。四百年当家の兵は当家の合図で動いてまいりました。他家の合図で死ねと申されますか。

 

 

アレクはそれを読んでいた。

正しかった。

四百年その艦を動かしてきた家が四百年分の理由を持っているのは当たり前のことだった。

 

合図が違えば兵は死ぬ。

それは戦術の話であって我儘の話ではなかった。

書いた誰かがそう考えて書いた。

 

アレクは打ち込んだ。

「合図は貴家のものを使う。六隻に貴家の通信士を付けてほしい。遊撃隊の命令はその通信士が受けて貴家の合図に直してから艦に流す。手間はかかるが間に合う」

三十秒ほど何も出なかった。

 

  ――六隻供出する。

 

「通りました」

クラインが指示書を繰った。

 

「……家の中の命令になったからです。『他家の指揮下に入れ』という命令は家をまたぎます。それには従わない。……ですがいまのは家の通信士が家の合図で家の艦に流すという形です。規則の上では家の中で完結しています」

 

「規則の穴を突いたってことか」フェリックスが言った。

 

アレクは画面を見たままだった。

 

 

  接敵まで 八時間四六分

 

「七分です」クラインが言った。

「四十七家で五時間半」

 

「間に合うか」

 

「わかりません」

 

アレクは次の家を選んだ。

 

二つ目の家は補填の話をした。

艦を失えば家が立たない。誰が償うのか。

これも正しかった。この演習の中では帝国はまだ存在せず彼らの艦は彼らの財産だった。

アレクは償いの主体を自分にした。

 

 

三つ目の家は隣家が出すなら考えると言った。

アレクはヴァイセンフェルスの名を出した。

出した。

 

 

四つ目。

五つ目。

 

 

  接敵まで 七時間五二分

 

 

六つ目の家が五度目の照会を寄こした。

供出艦の識別番号の確定方法について。

アレクは答えた。

指揮権の帰属について。

答えた。

損耗した場合の補填の主体について。

答えた。

作戦目的のより詳細な説明について。

 

 

「アレク」

フェリックスだった。

「お前全部律儀に答えるのか」

 

「ああそうだ」

 

フェリックスは何か言おうとしてやめた。

 

アレクは答えを打ち込んだ。

 

「陛下」

クラインだった。

「一つ早い方法があります」

 

「言ってくれ」

 

「不実行の十四家から一つ選んで指揮権剥奪もできます。艦を接収し当主を処断することもできます」

クラインは端末から目を離さなかった。

 

「残り四十六家は見ています」

 

「効くのか」

 

「わかりません。試した記録がありません」

 

クラインはそこで初めて顔を上げた。

「陛下はもう五十隻も出させておられます」

 

「褒めてるのか」

 

「事実です」

彼はまた端末に目を戻した。

「ただ四十七家が一斉に閣下を試している状況で閣下が一度も怒っていないことも事実です」

 

「それは僕が優しいからじゃない」

 

「存じています」

 

「怒る理由がないんだ」

アレクは一覧を見た。四十七の名前が縦に並んでいる。

 

「みんな正しいことを言ってる」

 

「はい」

クラインは少しだけ間を置いた。

 

「正しいことを言って従わない軍が四十七家あります。……それを烏合の衆と呼びます」

 

アレクはしばらく黙っていた。

「クライン。僕が今一家の指揮権を取り上げたとする」

 

「はい」

 

「その家の兵は誰の合図で死ぬ」

 

クラインは答えなかった。

 

「ヴァイセンフェルスの六隻はあの家の通信士が動かしてる。僕がそうした。……取り上げた家の兵は誰の合図で死ぬんだ」

 

「……わかりません」

 

「僕もわからない」

アレクは次の家を選んだ。

「わからないことはしない」

 

 

***

 

 

  接敵まで 一時間

 

クラインが集合宙域の数を読み上げた。

「――二千四十七隻」

 

フェリックスが椅子から立ち上がった。

「間に合ったのか」

 

「間に合いました」

 

アレクは四十七家目を閉じた。

結局全家からの抽出に要したのは十一時間分だった。

 

「――遊撃隊編成完了」

クラインは言った。

「二千四十七隻。四十七家。……合図も命令の経路も四十七通りです」

 

 

***

 

 

  接敵まで 一一分

 

正面の光点が動いた。

斜線陣。敵左翼が出て右翼が下がっている。

記録で三週間見た形がそのまま実寸で来た。

六百万キロ。

 

 

  接敵まで 〇分

 

突出した敵左翼が砲門を開いた。

 

「ルッツ艦隊だ」

フェリックスは言った。

「予定どおりだ」

 

五万隻は応じた。

号令一つで前へ出た。この軍が唯一逆らわずにできることだった。

そして出た瞬間に伸びた。

速い家が先に行き遅い家が置いていかれる。

まだらな艦列がまだらなまま伸びていく。

 

 

***

 

 

右翼はまだ遠かった。

フェリックスはそちらを見ていた。

ワーレン艦隊。距離がある。砲戦にもなっていない。

記録どおりだった。記録どおりだから次に何が来るかも知っていた。

 

「来るぞ」

彼は言った。誰にともなく。

 

右翼の陰から光の粒が湧いた。

八百。

弧を描いた。

 

 

***

 

 

側面からの砲火に艦隊がうろたえるのが上から見えた。

艦首が回り始める。四十七家がそれぞれの判断でそれぞれの速さでそちらへ向き直ろうとする。

向き直りかけたところへ正面からワーレンの砲撃が届く距離に入った。

 

どちらを向くか。

五万隻が同時にその問いを渡された。

答えは出た。半分が右を向き半分が左を向いた。

 

どちらも正しかった。

 

旗艦の主砲が三度続けて光った。

艦列が裂けた。

爆発光が消えたあとにそこには何も詰まっていなかった。

速い艦は先へ行ってしまっていて遅い艦はまだ来ていない。

 

穴は穴のまま残った。

「キルヒアイス隊突っ込んでくるぞ」

フェリックスは言った。

 

こちらの高速巡航艦部隊二千四十七隻が穴へ向かった。

ヴァイセンフェルスの六隻もその中にいた。

 

八百隻が入ろうとした。

そして入れなかった。

穴の縁に高速巡航艦が並んでいた。

同じ速度で走れる艦が二千。

 

先端が蓋に当たった。

フェリックスは思わず声を出した。

「止めたぞ」

 

「止まっています」

クラインの声も少し高かった。

 

「あの計画はここから先がありません。中に入らなければ左右貫通も螺旋状にかきまわされることもない」

 

「五分だな」

 

「五分です」

 

戦域図の上で五万隻が一瞬五万隻に見えた。

 

キルヒアイスの八百隻が離れた。

一度側面へ抜けていく。

記録どおりだった。一撃離脱。

 

そして方向を転じた。

「――来るぞ」

 

フェリックスは言った。

「遊撃隊転進! 二度目が来る!」

命令は出た。

 

 

***

 

 

抽出した二千四十七隻は動いた。

 

四十七通りの合図が四十七通りの速さでそれぞれの艦に届いた。

 

最初の家が転進を始めてから最後の家が動き出すまで七分かかった。

 

ある家は通信士の復唱を待ちある家は当主の旗艦の承認を待ちある家は隣家が動くのを確かめてから動いた。

誰も逆らってはいなかった。

それでも全部が動くのに七分かかった。

 

しかしキルヒアイスの八百隻は待ってくれなかった。

 

再突入。

蓋の開いた側から入った。

二千四十七隻は一度目の穴の縁にいた。

八百隻は二度目の穴にいた。

 

フェリックスは戦域図を見ていた。

止められる艦はあった。二千隻あった。

そこにいなかった。

 

そして外縁が迫ってくる。

ルッツとワーレンが全速前進してきた。

 

中央の混乱が外へ広がり外側の混乱が内へ寄ってくる。

二つが艦列の途中で出会った。

 

そこには遊撃隊がいなかった。

フェリックスは理解した。

 

抜いたのだ。

二千四十七隻を四十七家から抜いた。抜いた跡は四十七ヶ所空いている。

中央を守るために集めた艦はいま中央にいる。

外縁には誰もいない。

 

まだらな五万隻がまだらなまま切り裂かれていった。

 

「――やるなあ」

フェリックスはあえて明るい声で言った。

「見ろよ。八百でうちの真ん中に住んでるぞ。家賃も払わないで」

 

いつもなら誰かが笑う。

訓練でも講義でもアルテナのときでさえ彼がこの声を出せば誰かが息をついて肩の力を抜いた。

それが自分の強みだ皆の役に立つのだそう思っていた。

 

――誰も笑わなかった。

 

艦橋は静かだった。

クラインは端末を見ていた。

アレクは戦域図を見ていた。

戦域図の上ではまだらな五万隻の真ん中で八百の光点がらせんを描き蹂躙していた。

 

右手が痛かった。

フェリックスはそこで気づいた。

握っていた。

いつから握っていたのかは分からなかった。

開こうとして開かなかった。

 

らせんは静かに見えた。

アレクは司令官席から戦域図を見ていた。

 

八百の光点が五万隻の中央でゆっくりと回っている。

速度が違うからそう見えるのだと分かっていた。

こちらが遅いから向こうが静かに見える。

外縁のことは見なくても分かった。

音がしないのに図の端が減っていく。

 

 

***

 

 

受信メッセージの一覧は開いたままだった。

崩れ始めてからも文は返ってきた。

文面だけが変わっていた。

  ――当家の艦を当家の判断で退かせる。

  ――ご命令ではなくご了解を願いたい。

  ――四百年当家はそうしてまいった。

 

正しかった。

最後まで正しかった。

 

そのとき電子音声が出た。

  ――あれがリッテンハイム侯の旗艦だ。急追して戦乱の元凶をとらえろ。

 

演習が始まってから声を聞いたのは初めてだった。

若い声だった。

アレクが生まれる四年前に死んだ男の声だった。

 

「――旗艦です」

クラインの声が少し速かった。

八百隻の先頭その中心から識別された光点が一つこちらへ伸びていた。

キルヒアイス艦隊の旗艦バルバロッサ。

 

「勝利条件二」

クラインが言った。

「敵旗艦の撃沈。……向こうから来ています」

 

「射程は」

 

「入ります。九十秒後」

 

アレクは進路を変えなかった。

史実ではここでリッテンハイム侯の旗艦オストマルクが逃げた。

狂ったように進路を転じ退路をはばむ味方を砲撃して逃げた。

三週間前教材でそれを読んだとき彼は頁の端に指を置いてしばらくそのままでいた。

 

遊撃隊はまだ二度目の転進の途中にいた。

四十七の家が四十七の方向へ曲がっている。一つの蓋だった二千隻はすでに薄く裂けていた。

あれを止めに行ける形ではなかった。

 

「――射線の通る全艦。バルバロッサを撃て」

 

命令は通った。

嫌がる家は一つもなかった。

撃ては各家が自分の艦に自分で出す命令である。

 

撃てる艦は多かった。

味方を巻き込まずに撃てる艦は少なかった。

 

その少ない艦が四十七通りの合図で撃った。

最初の火線が過ぎ次の火線が届くまでの空白をバルバロッサは縫った。

四十七の波は一つの壁にならなかった。

 

抜けていった。

 

第九群が動いた。

戦域図の外縁で光点の塊が戦線を離れて反転した。

続いて第三十一群。第二十二群。

「三家離脱します」クラインが言った。

 

「命令は」

 

「出していません」

 

逃げる艦列の先に別の家の艦がいた。

どかなかったのではない。どく理由を知らなかった。

逃げる側が撃った。

戦域図の上で味方の光点が味方の光点を消した。

その先に光の弱い一群がいた。武装のない補給艦の集まりだった。

それも消えた。

 

反転した艦列の一部はガルミッシュの方角へ流れていった。

アレクは席にいた。

彼は撃っていなかった。撃てとも言っていなかった。

それでも同じことが起きた。

 

「あと二家です」

クラインが言った。

「五家が独断で離脱した時点で敗北判定が出ます。自軍崩壊」

 

「粘っても変わらないな」

 

「変わりません」

 

「降参すれば」

 

「敗北です。同じです」

 

「同じか」

 

「同じです」

 

数字が右下に出ていた。

撃破された艦。一万六千七百。

判定はどちらでも敗北だった。

変わるのは残存艦数の数字だけだった。

 

アレクは口を開こうとした。

そして開かなかった。

戦域図の隅に一つだけ崩れていない塊があった。

 

第十六群。

六百隻ほど。

周りの家が反転していく中でその一群だけが隊形を保っていた。しかも位置が動いている。

 

逃げているのではなかった。逃げる家の後ろに回り込んで追撃してくる艦列との間に体を入れていた。

 

アレクはそれを見た。

十一時間彼は四十七家と話した。

全員が正しいことを言った。そして全員が艦を出した。

第十六群も出した。高速巡航艦を四隻。

その四隻はいま中央にいる。

残りがそこにいた。

 

降伏させるということはあの一隊にもやめろと言うことだった。

彼らはまだ崩れていない。

崩れていないものに崩れろと言う。それをこの席から言う。

 

アレクはそこで止まった。

 

「アレク」フェリックスが言った。

 

数字が動いていた。

 

(父なら)

 

打ち消した。

 

打ち消すのに一秒かかった。

 

「――ああ」

 

「アレク」

 

「――全艦隊へ」

アレクは言った。

「戦闘を中止せよ。武装を解け。抵抗するな」

 

命令は通った。

十一時間かけて一家ずつ剥がした四十七家の全部が一行で一斉に応じた。

遅延はなかった。照会もなかった。再考の願いも来なかった。

 

あの第十六群も応じた。

 

アレクは戦域図の右下に出ている数字を見ていた。

彼が口を開こうとしてから実際に言うまでの間にその数字は千二百増えていた。

彼はそれを誰にも言わなかった。

 

 

***

 

 

演習終了の表示が出た。

判定。敗北。

内訳が下に並んだ。

  要塞へ後退――二千八百。

  戦場を離脱――五千二百。

  完全破壊――一万七千九百。

  捕獲または降伏――二万四千百。

アレクは最後の行を見ていた。

 

 

***

 

 

演習室の照明が戦域図の色から昼の色に戻った。

三人は立ってブーフナー教官の前にいた。

 

ブーフナーは端末を持っていなかった。数字は全部頭に入っているようだった。

「諸君は六割多い兵力で九割四分を失った」

それが最初の一言だった。

 

「経過を確認する」

ブーフナーは歩きながら話した。

 

「全軍前進は隊列を伸ばして八百隻を招く。敵左翼への集中は時差を自分で作り包囲を招く。側面警戒は備える艦がない。要塞への後退は政治的敗北。撃たずに待つのは時間を相手に渡すだけである。全軍の再編は四十八時間を要する」

 

「よって十二時間で届く手は高速巡航艦の抽出のみ。――以上が本教官団の事前分析である」

ブーフナーは足を止めた。

「諸君も同じところに着いたな」

 

「選択肢を六つ挙げて最初は全部消したはずだ。順序も当ててみせようか」

 

誰も答えなかった。

 

「諸君の参謀作業に欠けたところはない。諸君はこの盤面で人を率いる者として選びうる手をすべて打った。……その上でこの結果である」

「抽出について」

ブーフナーはクラインを見た。

 

「本教官団の想定到達数は四百から六百。士官学校では過去二十七組の候補生がこの課題を受けている。抜けた艦が二千を超えたのは諸君が初めてである」

 

三人が顔を上げた。

「十一時間。四十七家全部からの抽出に成功。……おめでとう。採点としては過去最高得点である」

 

誰も何も言わなかった。

「判定は敗北である」

「ヴァルター候補生。諸君の抽出した二千の遊撃隊はキルヒアイス部隊の八百隻を止めたな」

 

「――止めました」

 

「何分だ」

 

クラインが記録を見た。

「……四分です」

 

「四分だ」

ブーフナーは繰り返した。

 

「諸君が三週間追いかけたものは勝ち筋ではない。四分だ。……なぜだ」

 

クラインは答えなかった。

「ヴァルター候補生。抽出は何の話だった」

 

「……艦の話です」

 

「では抵抗は」

 

一拍おいてクラインは言い直した。

「――人の話です」

 

「戦闘序列に載っていたか」

 

「載っていました。艦の数も速度も火力も家の名前も同じ頁に。……私は全部同じように読みました」

 

ブーフナーは頷きもしなかった。

 

ただ次へ進んだ。

「最後に敗着の位置を示す」

 

ブーフナーは戦域図を再表示させた。

開戦前。十二時間前のまだ何も起きていない盤面。

 

「この会戦に開戦後の敗着は存在しない」

 

誰も何も言わなかった。

 

「全軍前進を選んでも負けた。左翼を食いに行っても負けた。再編を試みても負けた。何もしなくても負けた。抽出を満額で達成しても負けた。……演習の判定エンジンはどの経路を選んでも敗北を返す」

 

「諸君が席に着いた時点で戦場で勝つための手は残っていなかった」

 

ブーフナーは表示を消した。

 

「再編には四十八時間かかる。諸君に与えられたのは十二時間。だがこの艦隊がガルミッシュを出てキフォイザーに展開するまで数週間あった。編成に費やせた時間はその前に数年あった」

 

「あえて敗着を探すならそこまで遡ることになる。本演習の範囲外である。――以上講評を終わる」

 

 

***

 

 

消灯前の自習室でクラインは端末を開いていた。

 

「第十六群」

 

アレクが持ってきたのは番号一つだった。

 

「――どの家ですか」

 

「家は分かってる」

アレクは言った。

「話した。四百年の話をした。合図の話をした。……当主は旗艦にいた」

 

クラインの指が止まった。

 

「あそこで動いてたのは別の誰かだ」

 

「……史実の戦闘詳報に対応する部隊があるはずです」

クラインの指が動いた。

キフォイザー会戦貴族連合軍戦闘序列。隊形維持記録。退却援護。

 

該当一件。

「――ありました」

 

フェリックスが覗き込んだ。

そして動きを止めた。

「……おい、これ。アルテナ会戦の時にも粘ってた部隊と同じだ」

 

 

***

 

 

クラインはもう一つの画面を並べた。

先に三人が完敗したあの盤面。潰走する本隊の中で一部隊だけが隊形を保って退却を援護した記録。

 

二つの詳報の指揮官の欄に同じ名前があった。

 

 コンラート・フェルディナント・ベーレント大佐。

 

軍歴の記録は短かった。

たった数行。

 

 貴族連合軍リッテンハイム侯軍所属。

 アルテナキフォイザー両会戦に参加。

 両会戦とも麾下部隊の隊形を維持し退却を援護。

 新王朝への任官希望の記録あり。

 資格審査所見――旧主家部隊との結束が過度に強固。旧主家残党との関係を断ち切れぬ懸念あり。任官不許可。

 以後消息不明。

 

三人はしばらく画面を見ていた。

二つの負け戦の中で二度崩れなかった男がいた。

 

その名前は勝った側の歴史にも負けた側の歴史にも載っていなかった。

戦闘詳報の指揮官の欄に二回。

それだけだった。

 




――その夜、三人は、五万隻が一つの軍になる夢を見た。
次回、【番外編】対決!父上の親友(vs ジークフリード・キルヒアイス)。
二度目の、不思議な夢の話。
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