【新帝国暦一九年秋 帝国軍士官学校・戦史講堂 アレク】
戦史の講義は週に二度あった。
その日の戦術表示盤には数字が二つ並んでいた。
四八四〇。
一九〇九。
説明はなかった。
教官のダグ・オルセン中佐は講堂へ向き直った。
旧同盟出身の教官である。
「ある士官学校の卒業席次だ。四八四〇名中一九〇九番。諸君の中にこれより下の者はいるか」
手が挙がった。
まばらに。それからあちこちで。
千人ほどが挙げていた。
アレクは挙げなかった。
彼の順位は真ん中あたりで数字だけなら一九〇九より上だった。
「よろしい。降ろせ」
手が降りた。
「では手を挙げなかった者に訊く。諸君は彼より優秀か」
誰も答えなかった。
数字の下に名前が表示された。
ヤン・ウェンリー
講堂が静かになった。
誰だとは誰も訊かなかった。
***
「本日はアスターテ星域会戦を扱う」
星図が落ちた。四本の矢印が盤の中心へ向かっていた。
「帝国暦四八七年二月。イゼルローン回廊の同盟側出口の近傍。――記録は諸君の端末にある。読み上げはしない。銀河帝国軍、艦艇二万隻余。兵員二四四万八六〇〇名。総司令官、ラインハルト・フォン・ローエングラム上級大将」
その名をオルセンは他の名と同じ速度で言った。
「対する自由惑星同盟軍、艦艇四万隻余。兵員四〇六万五九〇〇名。三個艦隊。第二艦隊一万五〇〇〇、パエッタ中将。第四艦隊一万二〇〇〇、パストーレ中将。第六艦隊一万三〇〇〇、ムーア中将」
矢印が三方から赤い一本へ寄っていく。
「同盟軍の作戦は分進合撃である。三方から同一速度で接近し密集した敵を包囲して火力で削り取る。ダゴン星域会戦の再現を意図していた」
オルセンは指示棒を使わなかった。手も使わなかった。星図を見てすらいなかった。
***
「帝国軍は包囲される前に動いた」
赤い矢印が正面へ伸びた。
「最初の標的は同盟軍第四艦隊。三個艦隊のうちもっとも少ない。……この選択に複雑な理由はない。弱い方から潰す。
「開戦時第四艦隊と他の二個艦隊との通信はすでに不能になっていた。帝国軍が数万の妨害電波発生器を宙域に散布していたためである。第四艦隊は連絡艇を出した。二隻ずつ二つの方角へ」
アレクは端末に指を置いていた。連絡艇。二隻ずつ。
「開戦後一時間。第四艦隊の先頭集団二六〇〇隻。このうちまだ戦闘に参加できていた艦は二割に満たない」
「開戦後四時間」
オルセンの声はそれまでと同じだった。
「第四艦隊は艦隊と呼べる存在ではなくなった。整った戦闘態形はない。統一された指揮系統もない。各処で寸断され各艦単位の抵抗が散発するだけになった。司令官パストーレ中将はこの間に戦死している」
星図の緑が一つ消えた。
「以後帝国軍は掃討をしていない。残敵は放置された。次の戦闘に備えて戦力を温存するという判断である。――諸君ここは覚えておきなさい。合理的な判断だった。そして実際そのとおりになった」
***
「質問があります」
斜め前でハインリヒ・フォン・アイゼンベルクが立った。
「許可する」
「同盟軍の第二艦隊と第六艦隊はなぜ間に合わなかったのですか。両艦隊とも戦場へ向かっていたはずです」
「向かっていた。全速で」
「ではなぜ」
「四時間かかった」
ハインリヒが口を開いたまま止まった。
「……四時間ですか」
「四時間だ」
オルセンは戦術表示板を見ていた。
「第四艦隊が艦隊でなくなるまでに四時間。第二艦隊と第六艦隊が戦場に届くまでにそれ以上。……距離というのはそういうものだ。アイゼンベルク候補生」
ハインリヒは着席した。背がまっすぐだった。
***
「帝国軍は次に第六艦隊の右後背へ回り込んだ」
赤い矢印が弧を描いた。
「第六艦隊は後衛に最新鋭の艦艇を配置していない。艦隊というのは前を向いて造られている。……後ろから殴られる想定をしていなかったわけではない。優先順位をつけていただけだ」
「ムーア中将は反転迎撃を命じた。この命令が混乱を生んだ。戦いながら反転するのは容易ではない。帝国軍は乗じた。第六艦隊は一挙に壊滅している」
「幕僚の一人が別の案を出している。反転せず時計方向に針路を変えながら全速前進し逆に敵の後背へつくという案だ。……却下された。反対する理由もあった。敵の後背につくまでに味方の大半がやられる」
オルセンはそこで初めて少し間を置いた。
「ムーア中将は降伏勧告を拒絶し旗艦とともに戦死した。……この判断について本校の教材は評価を書いていない。私も書かない」
***
「結果を出す」
星図が消え数字が並んだ。
「戦死者。帝国軍、一五万三四〇〇名余。同盟軍、一五〇万八九〇〇名余」
アレクの手が止まっていた。止まっていたことに少し遅れて気づいた。
「喪失あるいは大破した艦艇は帝国軍二二〇〇隻余、同盟軍二万二六〇〇隻余。損失比およそ一〇倍から一一倍」
「第四艦隊と第六艦隊は解体され、以後自由惑星同盟が消滅するまで再編成されていない」
「アスターテ星系への帝国軍の侵入はかろうじて防がれた。……同盟軍の公式発表はこれをもって戦略的勝利と称している」
***
講堂のどこからも音がしなかった。
「以上が前半である。後半――第二艦隊との戦闘については次回に扱う」
***
オルセンは戦術表示板の電源を落とした。
四八四〇が消え一九〇九が消えた。
「……最後に一つ教材にないことを言う」
背を向けたままだった。
「私は同盟軍の第四艦隊にいた」
端末を閉じる手が止まった。
「以上だ」
号令が遅れた。
当番の候補生が立ち上がったとき、オルセンはもう扉を出ていた。
三千人が起立した。誰も扉の方を見なかった。見てはいけない気がしたというのがたぶん一番近い。
隣でフェリックスが何か言いかけてやめた。
アレクは自分の端末を見た。
一五〇万八九〇〇と打ってあった。
自分の指が打ったものだった。
***
【新帝国暦一九年秋 帝国軍士官学校・掲示板前 アレク】
翌日掲示が出た。
戦史再演・集団指揮演習。三度目である。
割り当てられる会戦には勝った側の席、負けた側の席、両方が混ざっている。
「勝った側を引いたらそれだけで一勝だろ」
「引きてえなあ」
人垣の向こうでそういう声がしていた。
人垣はこちらへ近づいてこなかった。近づかないという形で道が空いていた。半年でも一年でもこれは変わらない。
***
フェリックスが紙の端を押さえ上から指でなぞって途中で止まった。
アスターテ星域会戦
銀河帝国軍 司令官 ローエングラム候補生
司令官副官 ミッターマイヤー候補生
艦隊参謀 ヴァルター候補生
沈黙があった。
フェリックスが指を紙から離した。
「……勝った側を引いたなら勝てばいい」
***
演習指示書はその日の午後に配られた。
紙である。端末に落とすこともできるはずだがこの学校は演習指示書だけは紙で配る。厚みは前の二度より薄かった。
表紙の印字は二行だった。
銀河帝国軍。艦艇二万隻余。
一頁目は状況だった。
開始局面。
同盟軍第四艦隊、第六艦隊――撃滅済み。
残存する敵は第二艦隊のみ。艦艇一万五〇〇〇。司令官、パエッタ中将。
一行だった。昨日の講義がその一行に入っていた。
二頁目に条件が並んでいた。
勝利条件
一、アスターテ星域からの敵艦隊の排除。
加点条件
二、敵残存艦隊の捕捉および撃滅。
※敵艦隊の戦闘宙域離脱をもって本項は不成立とする。
※同時に戦闘指揮権限は終了する。
制限時間 六時間二〇分。
フェリックスが頁を繰った。
繰って戻した。もう一度繰った。
「……クライン」
「はい」
「敗北条件は」
「ありません」
「は?」
「欄がありません」
フェリックスは指示書を卓に置いた。それから置いた指示書をしばらく見ていた。
「……負けようがねえじゃねえか」
「ありません」
「じゃあ何をやるんだこれ」
「加点方式です」
***
「二。敵残存艦隊の捕捉および撃滅」
クラインはその行を指した。
「同盟軍の残存艦艇一万五〇〇〇です。討った数に応じて加点です」
「排除だけなら」
「勝ちです。撃たなくても追わなくても向こうが去れば勝ちです」
「向こうが去らなかったら」
「去ります。記録どおりに」
「去ったら加点は」
「その時点で演習終了です」
クラインはその二行を指した。
「離脱した時点で加点は不成立。同時にこちらの指揮権限も終わります。……命令が通らなくなります」
「じゃあ去る前に撃てってことか」
フェリックスは椅子の背に体重を預けた。
天井を見てそれから指示書に目を戻した。
「……六時間二〇分ってのは何の数字だ」
「わかりません」
***
アレクは一頁目を開いたままだった。
同盟軍第四艦隊、第六艦隊――撃滅済み。
彼はその行を読んでいた。読んでいるだけだった。
「アレク」
フェリックスだった。
「三回目にしてようやく勝てるぞ」
「ああ」
アレクは指示書を閉じた。
***
【新帝国暦一九年秋 帝国軍士官学校・資料閲覧室 クライン】
消灯時限まであと四時間。
三人掛けの卓に端末を三台並べてクライン・ヴァルターは請求番号を打ち込んだ。
アスターテ星域会戦、同盟軍第二艦隊、旗艦パトロクロス、艦隊記録。
「まず全体を通します」
正面のフェリックスが頷き、隣のアレクが椅子を引き寄せた。
再生には六時間二〇分かかる。十倍速で流した。
第二艦隊の光点が直進している。その前方一時から二時の方角へ赤い塊が回り込んでくる。第四艦隊を潰し第六艦隊を潰した艦隊が最後の一つへ向かってカーブを描いていた。
三十分ほどで光点は輪になった。二匹の蛇が互いの尾を呑もうとしているように見えた。
そして離れた。帝国軍が退き同盟軍が退いた。
再生が止まった。
***
提出文書の一覧を開いた。
戦闘開始前ヤン・ウェンリーから司令官へ提出された作戦案が一件記録に残っていた。
却下と印字されている。クラインはそれを開いた。
――敵に積極的な意思があれば、この状況を包囲される危機と見ず、分散したわが軍を各個撃破する好機と考えるであろう。
指が止まった。
***
「読み上げてくれ」
アレクが言った。
「……そのとき敵が最初に攻勢にでるのは、正面に位置する第四艦隊にたいしてである」
クラインはそこで一度目を上げた。
「敵が第四艦隊から潰すことを、この人は戦闘開始前に書いています」
「続けてくれ」
「これに対抗する手段はつぎのとおりである。挑戦をうけた第四艦隊はかるく戦ったあと、ゆっくりと後退する。追尾する敵の後背を第二・第六の両艦隊が撃つ」
「敵が反転攻勢にでれば、第二・第六の両艦隊はかるく戦いつつ後退、今度は第四艦隊が敵の後背を撃つ。これをくりかえし、敵の疲労をさそい、最終的に包囲殲滅する」
「……留意すべきは兵力の集中、相互連絡の密、前進後退の柔軟性であり」
そこで文書は終わっていた。
沈黙が落ちた。
クラインは損害記録を開いた。
喪失あるいは大破した艦艇、二万二六〇〇隻余。戦死者、一五〇万八九〇〇名余。三個艦隊のうち二個が消えて残りが半分になった一日の総計である。
彼はその二つを割った。
「……六十七です」
「なんだ」
「戦死者の平均数。一隻あたり六十七人です。旧同盟軍の艦隊標準では戦艦一隻に約七百人が乗っています。駆逐艦でも約一六〇人。」
フェリックスが顔を上げた。
「少ないってことか」
「はい」
「殲滅って書いてあるな。ヤン・ウェンリーは、帝国軍を殲滅する気だったのか」
クラインは文書をもう一度頭から読んだ。一度目は速度を測るために。二度目は順序を測るために。
そして三度目に気づいた。
彼は文書の中ほどを指した。
「三方から囲んで火力で削る。同盟軍の作戦はそこまでは同じです。ヤン・ウェンリーが修正しようとしたのは二箇所です」
「どこだ」
「まず一つは、同時にやることをやめています」
「三方から同時に殺到すれば必ずどれかが先に接触します。先に接触したものが単独で全部を受けます。……第四艦隊がそうなりました」
「だから順番にやれと」
「順番に後退します。殴られた側が退がり退がった先を追ってきた敵の背中を別の側が撃つ。……包囲は動きながら作ります。最初から囲むのではなく囲みが遅れて追いついてくる形です。もう一つは」
クラインは文書の頭へ指を戻した。それから末尾まで一気に下ろした。
「作戦案というのは勝ち方から書くことが多い。どこで勝つか、どう勝つか、勝ったあとに何をするか。それが先にあってそこへ至る手順を後ろに並べます。……私が読んだものは多くはそうです」
彼は末尾の一行を指した。
「この人は、敵を倒す手順より先にこちらが負ける条件を先に消していって、いちばん最後に殲滅と書きます」
「同じことじゃねえのか」
「違います」
クラインは指を離さなかった。
「なんで却下されたんだ」
クラインは司令官の欄を開いた。
――負けないだけでは意味がない。勝たなくてはな。
「あとはきみに含むところがあるわけではないぞと書いてあります」
「なんだそりゃ」
***
アレクが初めて口を開いた。
「クライン。ヤン・ウェンリーの案は勝てるのか」
クラインは答えようとした。
答えはあるはずだった。
両軍の兵力、艦速、接触の予測時刻、合流可能な位置。数字はすべてそろっている。三時間もあればこの案の期待値は出せる。
出せる。
「……勝てる形へ戻せます」
「戻す?」
「いまの同盟軍は帝国軍の二倍です。ですが二倍の兵力を三つに分けている。帝国軍は二万隻を一つのまま使えるのに同盟軍は一万数千隻ずつで戦わなければならない」
クラインは三つに離れた光点を指した。
「この人の案は帝国軍をどう倒すかではありません。二倍の兵力を一つずつ消されないための案です。合流できれば同盟軍はもう一度二倍の兵力を二倍として使える」
「それで勝てるのか」
「保証はできません。帝国軍が退けば殲滅はできない」
クラインは言葉を切った。
「ですが侵攻を止め艦隊を残す。それを勝ちと呼ぶなら――勝てます」
「敵を倒す案じゃないのか」
「先ほど申し上げました。敵を倒す手順より先にこちらが負ける条件を消しています」
アレクは盤面を見た。
「二倍だから勝てるとは考えなかったんだな」
「はい。二倍がどうすれば一つずつ消えるかを先に考えた」
クラインは言い直さなかった。
アレクは画面を見ていた。
「二倍の兵力を持っていてまだ一隻も失っていない時点で、この人は負けが始まる局面を想定してから作戦を書きはじめてる」
***
クラインは文書を見た。
留意すべきは兵力の集中、相互連絡の密、前進後退の柔軟性であり――
作戦の手順の大半が誰がいつ退がるかでできていた。
第四艦隊が退けば第二と第六が撃つ。帝国軍が向き直れば今度はその二艦隊が退き第四が撃つ。
退がることが目的なのではない。
退がるたび別の艦隊に勝ちを渡す。
そして最後にようやく包囲殲滅の四文字が置かれていた。
***
フェリックスが椅子の背にもたれた。
「なあ。この案通ってたらどうなってた」
「案だけが通ったのなら分かりません」
「案だけ?」
「作戦として採用され三個艦隊が後退の時機、合流線、通信途絶時の行動まで共有していたなら――成功する可能性は高かったと思います」
「計算しろよ。得意だろ」
「兵力と距離は計算できます」
クラインは端末から手を離した。
「ですがこの案でいちばん難しいのは数字ではありません」
「何だよ」
「退くことです」
フェリックスの眉が動いた。
「敗れてから退くのではありません。まだ戦えるときに別の艦隊へ敵の背中を渡すために退く。三人の司令官が全員それを同じ時機に行わなければならない」
クラインは文書の最後の一行を指した。
「三人の司令官が自分で勝とうとしなければ動く案です」
「実際には動かなかった」
「作戦にならなかったからです。第四艦隊が攻撃を受けた時点で第二、第六艦隊への救援通信は妨害されていました」
「知ってて書いたのか」
「書いた時点ではまだ切れていません」
クラインは少し間を置いた。
「ですが切れる可能性は知っていた。だから相互連絡の密と最後に書いた」
「じゃあそこまで命令にしておけば」
アレクが言った。
「通信が切れても動けた」
「はい」
クラインは閉じられた文書を見た。
「ただ、実際には行われなかった作戦です」
――勝ちはいちばん最後の一行に書いてあった。
次回、『戦史再演・アスターテ星域の会戦(中編)』