【新帝国暦一九年秋 帝国軍士官学校・資料閲覧室 アレク】
三週間のうち、二週目が終わろうとしていた。
「――打てる手を、全部並べます」
クラインが卓に紙を広げた。
上から、書き出した。
一、待つ
二、正面から押す
三、中央を突破する
四、半包囲
五、包囲
六、記録の時刻表に先回りする
「六つです。上から潰します。残ったものが答えです」
***
「一。待つ」
クラインはその行を指した。
「何もしません。記録の中の第二艦隊は、〇五時〇〇分に、この宙域を離れます。……こちらが何をしようと、しまいと」
「去ったら」
「排除です。勝利条件、一。達成です」
フェリックスが口を開けた。
「……座ってるだけで勝ちか」
クラインは横線を引かなかった。
「ただし、加点はゼロです」
***
「二。正面から押す」
「二万で一万五〇〇〇を押します。押せます。艦隊は後退します。後退した先が、宙域の外です」
「加点は」
「ゼロです。押せば押すほど、離脱が早くなります。……早く勝って、加点を捨てる手です」
横線は引かれなかった。
***
「三。中央を突破する」
クラインは記録を呼び出した。
赤い塊が紡錘形に組み直されていく。
「史実です。ローエングラム伯はこれを選んでいます」
アレクは画面を見ていた。
***
フェリックスが身を乗り出した。
「待てよ。三つとも勝ってるじゃないか」
「勝っています」
「じゃあ、どれ引いても勝ちなのか」
「勝ちです」
「消えてねえぞ。一本も」
クラインは紙を見ていた。そして、白紙のままの余白を見ていた。
「……消せないんです」
「は?そりゃ、いいことじゃないのか」
「答えが出ません」
***
「四。半包囲」
「敵の片翼へ回り込み、逃げ道を一方向に絞ります。加点に、手が届きます」
「届くのか」
「届きます。……ただし、翼を伸ばした分、中央が薄くなります」
***
「五。包囲」
クラインは指を止めた。
「全周です。逃げ道をゼロにします。……離脱させなければ、指揮権限は切れません。加点を取れる手は、これしかありません」
「全周って、丸くか」
「球です。戦域図の上では円に見えますが、囲むのは球です。上も下も、裏も塞ぎます」
フェリックスが、椅子の背にもたれた。
「二万を球に貼るのか」
「貼ります。二十の区画に割って、一区画に一千隻」
***
「六。記録の時刻表に先回りする」
彼は端末を開いた。別の階層から、ファイルを一つ引き出した。日付が春になっていた。
「――アルテナ演習で棄てた手です」
フェリックスが動きを止めた。
「敵は記録です。応手しません。全機動の時刻表は、公開されています。何時何分に、どの座標で、艦隊が左右に分かれ、どの針路で逆進するか。……全部、分かっています」
「先回りできるのか」
「できます」
クラインは画面を三人の側へ回した。
「分かれる前の座標に、先に立ちます。分かれた両翼がこちらの砲門の前に自分から入ってきます。……成立します。数字の上では加点は満額です」
アレクは、その画面を見ていた。
「その手で加点を取ったとして――僕たちは、誰に勝ったことになる?」
クラインは、答えを持っていた。
春と、同じ答えだった。
「……『記録』に、です」
「そうだよね」
「じゃあ、棄てよう」
フェリックスが天井を仰いだ。
「もったいねえなあ」
言い方まで、春と同じだった。
***
「五にする」
アレクが言った。
クラインが、球の図を描いた。二十の区画に分けた殻で、敵を包む図である。
「全周を閉じます。二万で一万五〇〇〇を完全に囲みます」
アレクは、その図を見ていた。
「一つ、申し上げておきます」
クラインの指が、球の向かい合う二点を差した。
「囲みきると、こうなります。外から中心へ撃てば、射線は球を抜けて、向こう側の味方へ届きます。……全周を閉じたぶん、撃てる区画が、減ります」
「どれだけ」
「互いの射線が交わらないのは、二十のうち、四つだけです。四千隻。……残りは、撃てば味方に当たります」
卓が静かになった。
「四千で足りるか」
「足りません」
クラインははっきりと言った。
「囲みを緩めて射線を開けば、火力は出ます。ですが緩めれば隙間ができます……囲みきるか、撃ちきるか。どちらかです」
両方は取れない。
アレクは、その図を長く見て言った。
「……囲む」
「よろしいのですね」
「囲んで、時間をかけて削る」
クラインは、それ以上何も言わなかった。
「クライン。旧同盟軍の艦隊は、逃げたあと、どうなった」
クラインは記録を呼んだ。
「アスターテで壊滅した第四艦隊と第六艦隊の生存者に、新兵を加え、新しい艦隊が編成されています。司令官は、この第二艦隊で指揮を引き継いだヤン・ウェンリー准将」
「規模は」
「艦艇六四〇〇、兵員七〇万。通常艦隊のおよそ半分です」
「半分か」
「はい。……副司令官は、第四艦隊で善戦したエドウィン・フィッシャー准将」
フェリックスが、顔を上げた。
「で、その半分の艦隊は何をした」
クラインは次の記録を出した。
出して、少し黙った。
「……数か月後に、イゼルローン要塞を落としています」
***
アレクは、指示書の二行目を見ていた。
二、敵残存艦隊の捕捉および撃滅。
勝敗には関係がない。加点は取らなくても勝ちである。
彼は、その行をしばらく見ていた。
「……この演習を組んだ人は」
そこまで言って、やめた。言わなくても、三人とも、同じことを考えていた。
***
第一艦橋は、夏と同じ造りだった。同じ寸法で、同じ待機灯が点いている。
違うのは、正面の主表示に浮かんでいる数だけだった。
二万。その向こうに、一万五〇〇〇。
開始まで 一〇分
クラインは参謀席の端末を起動し、星図を呼び出した。そして、二度確認した。
「それ、さっき見ただろ」
「確認精度の問題です」
***
「発令する」
司令官席でアレクが言った。
「全艦隊へ。球殻展開。二十区画。目標、敵艦隊の完全包囲」
復唱が艦橋に満ちた。人間の声ではない。記録から合成された、練度データどおりの応答である。
二万隻が動き始めた。戦艦が二千、巡航艦が四千、駆逐艦が一万。母艦と特務艦が、その後ろにいる。
動くのは駆逐艦が先で、戦艦が最後だった。重い順に遅い。
重心の低い唸りが模擬の艦橋にまで再現されて、床を微かに震わせた。
「各区画、展開速度そろってます。綺麗なもんだ」
フェリックスが戦域図を見ながら言った。
「夏のあれとは、別の生き物だな」
「同じ帝国軍です。二十一年前の」
「そうだった」
***
開始まで 〇分
主表示の一万五〇〇〇が、動いた。直進である。
「敵艦隊、進路変更なし。針路、記録どおり」
「右翼、増速」フェリックスが言った。
「殻の先端を、敵の側背へ。先頭の駆逐艦群、砲戦距離に入る前に位置に着け」
届いた。二万は曲がり、一万五〇〇〇は曲がらなかった。曲がる必要がなかったからである。
殻の縁が、退がっていく緑の外側へ、ゆっくりと伸びていく。伸びるのに、時間がかかった。二万とは、そういう数だった。
命令の一語が球の裏側へ届くまでに、間がある。届いた頃には、その先の状況が少しだけ変わっている。それでも届く。届いて、艦が動く。
「敵先頭、火力圏に入ります」
「撃て」
アレクの声だった。
主砲の斉射が、主表示を白く洗った。弾着まで、六秒。二万隻のうち、前縁に出ている戦艦が撃ち、その後ろの巡航艦が撃ち、駆逐艦は距離を詰めながら待っている。光の束が届いた先で、緑の光点がいくつか、膨らんで消えた。
斉射のたびに、床が震えた。本物を測って作られた、震動の記録だった。
「弾着、有効。敵前衛、崩れます」
「応射来るぞ」
来た。緑の側から光が返り、殻の一部が薄く明滅した。数字が流れる。損害、軽微。
「押してるな」
「押しています」
「向こうの応射、痩せてきたか」
「……痩せていません」
クラインは数字を見ていた。
「損傷艦を後ろへ下げて、無傷の艦で撃ち返しています。退がりながら、隊列を組み替えています」
***
経過 一時間一〇分
殻は、四分の三まで閉じていた。一万五〇〇〇は退がりながら、撃ち返してくる。応射は正確で、最小限だった。誘いには乗らず、深追いもせず、こちらの弧が「そこにある」という事実だけを、淡々と処理していく。
クラインは、そこに一度だけ指を止めた。止めて、数字を見た。数字は、こちらの優勢を示していた。
指を、動かした。
「クライン。あと、どれくらいで閉じる」
「四〇分です」
***
経過 一時間五二分
敵旗艦パトロクロスの光点に、被弾の表示が出た。
主表示の中で、一万五〇〇〇の動きが乱れた。
一瞬だった。一瞬で、戻った。
クラインは、記録の時刻表を見ていた。
「傍受」
通信士の席で、合成音声が言った。
「敵艦隊、全周波、平文。……暗号化、なし」
クラインは顔を上げた。
平文である。こちらに、聞かせている。
艦橋に、電子音声が出た。演習が始まってから、初めてだった。
『全艦隊に告げる』
二十九歳の声には、聞こえなかった。落ち着いてもいなかった。ただ、乾いていた。
『私はパエッタ総司令官の次席幕僚、ヤン・ウェンリー准将だ』
『旗艦パトロクロスが被弾し、パエッタ総司令官は重傷をおわれた。総司令官の命令により、私が全艦隊の指揮をひきつぐ』
そこで、一拍、間があった。
『心配するな』
『私の命令にしたがえば助かる。生還したい者は、おちついて私の指示にしたがってほしい』
『わが部隊は現在のところ負けているが、要は最後の瞬間に勝っていればいいのだ』
音声が、切れた。
クラインは、その声を頭の中でもう一度聞いた。負けている、とこの男は言った。認めた上で、全艦隊に流した。暗号もかけずに、こちらに聞かれることを承知で。
なぜだ、と思った。
答えは出なかった。
殻の縁があと少しで閉じる。二万隻が一万五〇〇〇を囲もうとしていた。
次回、7月26日(日)20時更新予定。
――二万隻で囲んだ、はずだった。
次回、『戦史再演・アスターテ星域の会戦(後編)』