経過 二時間二〇分
閉じた。味方の帝国軍二万隻が、敵軍一万五〇〇〇を、球殻に囲んでいた。
見積もりより三〇分、遅れていた。
曲がれと命じてから、二十区画の全体が新しい位置に乗り終えるまでに何分もかかる。その何分かのあいだに、内側の艦隊は短い弧を先へ進んでいる。外側の艦は限界まで噴かし、内側の艦は速度を殺し、それでようやく殻は殻のかたちを保つ。
「閉じました。加点条件、成立範囲です」
「よし。全艦、砲門――」
アレクの声が途中で切れた。
主表示の上で二万の光点が球を作っている。
その内側に緑の塊がある。
外から内へ撃てば、射線の先に向こう側の味方がいる。
「……クライン。撃てる艦は」
「――四区画です。四千隻」
「……四千対一万五〇〇〇か」
「回します」
クラインは言った。
「撃つ区画を、順に入れ替えます。四区画が撃って退がり、次の四区画が上がる。五巡で、二十区画が一回りします」
「順番は」
「番号順です。第一から第四、第五から第八、以下同じ」
「回せ」アレクが言った。
回した。球殻の上を射撃の位置が移っていく。四千が撃ち、四千が退がり、次の四千が上がってくる。
撃っているのは五分の一で、残りは順番を待っている。
「第七区画、被弾。巡航艦二、脱落」
「継戦できます。……ただ、損害出ています」
***
経過 二時間五〇分
「敵艦隊、分離」
合成音声が言った。
「左右に、分かれます」
主表示の中で、緑の塊が二つに割れた。
二つの緑が球の内壁に沿って走った。
走って殻の一点で合流した。
「集束します。一点に、敵艦隊が。第五。……いま、退がっている区画です」
「戻せ! 回転、止めろ! 第四、第六、横へ滑れ!」
フェリックスが叫んだ。
***
主表示の一点が、白く飽和した。
敵一万数千の斉射が、戻りかけているこちらの一千隻に集中する光だった。
飽和が引いたとき、そこに残っている光点は、まばらだった。
そのまばらな光点の、外側は、空だった。
球の一点が、破れた。
「第五区画、崩壊。敵艦隊、破孔へ――」
破れた一点から、緑が外へ毀れていく。
***
経過 三時間二〇分
緑の塊が、外へ抜けていった。
判定の音声は、何も言わなかった。
***
経過 三時間三〇分
敵艦隊は、星域から出ていかなかった。
「移動しています。ただ、外へ、ではなく――」
クラインが、途中で言葉を切った。
「――旋回です。大きく、弧を描いています」
記録で見た、あの二匹の蛇のうちの一匹だった。
「……輪だ」
フェリックスが言った。
「記録で見た、あれだ」
記録どおりの時刻に、記録どおりの艦が沈んでいく。
二十一年前の砲火が、記録の中から届いて、緑の光点を一つずつ消していく。
誰もいない戦場で、艦だけが律儀に死んでいた。
「クライン。この輪は、なんのための形だ」
クラインは、重ねた二本の航跡を読みながら、言った。
「双方の先頭が、双方の尾を撃っています。削り合いです。どちらも抜けられません。……この形が終わるのはどちらかがやめると言ったときだけです」
「つまり?」
「相手にやめると言わせるための形です。勝てない側から設計した終わらせ方です」
フェリックスが、口笛を吹きかけてやめた。
「……作戦提案書と同じ考え方か。なあ、いまなら、撃てるぞ」
クラインが言った。
「はい。敵艦隊は、まだ星域内です。捕捉および撃滅による加点は、成立可能です」
アレクは主表示を見ていた。
二十一年前の戦争が、そこで回っていた。誰もいない相手と記録どおりに削り合いながら。
「やめよう」
「はい」
クラインは、それ以上、何も言わなかった。
フェリックスが、椅子に背を戻した。
「……ま、そうだな」
***
経過 四時間三〇分
輪が、緩んだ。
双方が呼吸を合わせるように、距離を取り始めた。
幽霊と呼吸を合わせて、一万数千が、退いていく。
***
経過 五時間〇〇分
「敵艦隊、アスターテ星域より離脱」
「勝利条件、一。達成」
「同時に、戦闘指揮権限を終了する」
***
経過 五時間一〇分
クラインは星図を引き、宙域の外を見た。
緑の光点が少数ながら残り散らばっている。散らばったまま動かない。
「止まっています。敵艦隊、離脱後、停止。散開して、動いていません」
フェリックスが主表示に近づいた。
「逃げないのか」
「逃げません」
クラインはそれ以上答えなかった。
星図の上で緑の光点がゆっくりと散っていく。
一隻ずつ。ばらばらの方角へ。隊形では、なかった。
フェリックスが途中で見るのをやめた。
いつもなら、ここで彼は何か軽口を言う。
自分や誰かの肩の力を抜くために。
ただ今日は、何も言わなかった。
***
経過 六時間二〇分
「判定」
天井の声が言った。
「制限時間内における、アスターテ星域からの敵艦隊排除――成立」
「勝利」
主表示の光が一斉に止まった。
二万隻が、無傷に近い形でそこに浮かんでいた。
囲んだ形のまま、止まっていた。
「……勝ったんだよな、これ」
***
【新帝国暦一九年秋 帝国軍士官学校・統合演習棟 アレク】
演習室の照明が、戦域図の色から、昼の色に戻った。
三人は立って、ブーフナー教官の前にいた。
その後ろに、もう一人立っていた。
「判定を確認する」
ブーフナーは端末を持っていなかった。
「勝利条件、達成。損害、自軍五〇〇、敵軍一七〇〇。――以上」
沈黙があった。
「一点、確認する」
ブーフナーが言った。
「〇三時二〇分から〇五時〇〇分まで、敵艦を攻撃すれば、さらなる加点条件の成立が可能であった。判定記録は、貴官らの艦隊が射程内に待機したまま、攻撃命令を発しなかったことを示している。……理由を述べよ」
アレクは、立った。
「……撃ちたく、ありませんでした」
間があった。
「本演習に、敗北条件は設けていない。設けようがないからだ。諸君が演習の席に着いた時点で、この会戦の帝国軍の勝利は確定していた」
戦域図が消え、二行が並んだ。
銀河帝国軍側 判定・勝利
自由惑星同盟軍側 判定・勝利
フェリックスが顔を上げた。
「……両方ですか」
「両方だ。同盟軍側の勝利条件は、艦隊の保全および離脱である」
旧同盟軍出身の教官のダグ・オルセン中佐が、前に出た。
アレクは顔を上げた。
「演習の最後の約一時間で、何が起きていたかを言う」
「敵艦隊は散開した。隊形を解いて、一隻ずつ、ばらばらの方角へ動いた。……あれは、逃走ではない。収容だ。第四艦隊と第六艦隊の残存兵を、拾っている。戦場を回っている。実際は、本演習の再生時間終了後も、収容作業は続けられた」
彼は、一度間を置いた。
「私はあの最後の一時間に拾われた」
誰も、何も言わなかった。
「以上だ」
オルセンは、背を向けた。扉まで歩き、出ていった。
***
【新帝国暦一九年秋 帝国軍士官学校・資料閲覧室 アレク】
消灯時限まであと一時間。閲覧室に人はいなかった。
アレクは最奥の卓に座り、端末を一台だけ起動した。請求番号を打ち込む。
アスターテ星域会戦、銀河帝国軍、旗艦ブリュンヒルト、艦橋記録。
再生を始めた。
『
若い声だった。式典で、記録映像で、肖像の下の音声で、何度も聞いている。
二十歳の声である。
時刻を送った。第四艦隊戦。
『無能者め、反応が遅い!』
アレクは、再生を止めなかった。
第二艦隊戦。
『敵艦隊、全周波で通信。平文です』
『平文だと?』
『傍受、可能です。……お聞きになりますか』
『流せ』
そして、あの声が出た。
昨日、艦橋で聞いたばかりだった。
『……わが部隊は現在のところ負けているが、要は最後の瞬間に勝っていればいいのだ』
彼が生まれる一年前に死んだ男の、声だった。
音声が、切れた。
艦橋記録は、続いていた。
『――ずいぶんと大言壮語を吐く奴が叛乱軍にもいるのだな』
父がそう言った。
『……ふむ、まあいい、おてなみ拝見というこうか、キルヒアイス』
そして、次の命令に移った。
アレクは時刻を送った。会戦の終わりである。
『やるじゃないか、なかなか』
そして少し間があった。
『――なんと言ったかな』
一拍。
『ヤン准将でした』
『そう、ヤンだ。その男におれの名で電文を送ってくれ』
それきりだった。記録はそこから四十分続いた。四十分のあいだその名は一度も出なかった。
***
アレクは記録を閉じた。
閲覧室は、静かだった。消灯まで、まだ少しある。
「ヤン・ウェンリー」
声が出た。
閲覧室には、他に誰もいなかった。
次回、【番外編】不敗の魔術師(vs ヤン・ウェンリー)。
三度目の、不思議な夢の話。