【新帝国暦二十年夏 士官学校・査問会場 フェリックス】
「ミッターマイヤー候補生。君はハース候補生に、戦列離脱を命じたのかね」
「命じました」
フェリックスは記録に残る場で嘘をついた。
証言席の足元に置いた鞄の中には、政治学で最高評点を得た答案が入っている。
『事情があったとしても責任は免れない』、と書いた答案である。
答案の中で「反逆者」と何度書いたか彼は数えていない。
机の下で右の拳が二度握られて開かれた。
査問を担当する教官は手元の通信記録に目を落とし、しばらく黙った。
「いったん、休憩にする。十五分後に再開する」
話は半月前に遡る。
***
【半月前 士官学校・政治学教場 フェリックス】
士官学校が候補生に課す試練は、二種類に分けられる。
体を苛むものと、頭を苛むものである。
候補生たちに嫌われるのは後者である。
体の疲労は一晩眠れば消えるが、頭に打ち込まれた問いはしばしば夢の中まで追ってくるからだ。
その日、政治学の筆記課題が配られた。
課題文は一行だった。
「新帝国歴二年に発生したロイエンタール元帥の反乱について、指揮および政治責任の観点から論ぜよ」
教場がわずかに静まった。
オスカー・フォン・ロイエンタール。
先帝ラインハルトの覇業を支えた「帝国軍の双璧」の一人であり、
彼は新王朝の成立初期に陰謀によって反逆の疑いを着せられた。
釈明の道は残されていたが、無実の身で頭を垂れる屈辱を彼の誇りは許さなかった。
自らの意思で叛旗を掲げ、盟友ウォルフガング・ミッターマイヤー元帥の軍に敗れて死んだ。
そして、この教場にはその反逆者の遺児が座っていた。
フェリックス・ミッターマイヤー。
討たれた男の息子として生まれ、討った男を養父として育った少年。
この事実は士官学校でも秘密ですらない。
誰もが知っており、ただ誰も口にしない事実である。
課題を配り終えた教官はフェリックスの机の前で足を止めた。
「ミッターマイヤー候補生。君は別の課題を選んでよい」
声に嘲りはなく、純粋な『合理的配慮』に過ぎない。
だからこそフェリックスは即座に答えた。
「構いません。俺だけ別の課題を与えられる理由がありません」
***
提出されたフェリックスの答案の論旨は明快だった。
陰謀によって追い込まれた事情は認められ、一定の
しかし、指揮官が私的事情によって麾下将兵を内戦へ巻き込んだ責任は消えない。
皇帝との連絡交渉の手段が断たれたことも、反乱を正当化しない。
指揮官はその選択と結果について常に指揮および政治的な責任を負う。
事情があったとしても叛乱という結果に伴う責任は免れ得ない。
「オスカー・フォン・ロイエンタール元帥」の人名が使われたのは冒頭の一度だけだった。答案の最初に「以下『反逆者』という」と定義され、以後はすべて「反逆者」とだけ書かれた。
数日後、答案は最高評価「A」を付されて返却された。
講評は長くなかった。
「問いの立て方は大きくはない。だが私情を排し、指揮責任を明確に論じた答案として模範的内容である」
フェリックスは答案を二つに折り、鞄の底へ押し込んだ。
***
その夜の自習棟でクラインが言った。
「政治学の答案、Aだったそうですね」
フェリックスは鞄から答案を出し、机の上を滑らせた。
折り目をわざわざ開いてやる義理はなかった。
クラインは丁寧に紙を開き、最初から最後まで読み、丁寧に畳んで返した。
それから感想を述べた。
「これは分析というよりも、判決ですね」
「反逆者を反逆者と書いて何が悪い。どこか間違っているのか」
「誤りとは申し上げていません」
それきりクラインは黙った。
隣の席のアレクは何か言いかけたが、やめた。
フェリックスはそれに気づいたが、気づかなかったことにした。
この出来事の一週間後、軌道上である事件が起きた。
***
【新帝国暦二十年夏 軌道上演習宙域 アレク】
小型練習艦群を用いた軌道上実地演習は、シミュレータや盤上での演習とはまるで別種の課題である。
軌道上では艦の中に人が乗っている
課題は簡潔だった。
軌道上で教官が率いる仮想敵の突破を防ぎつつ、規定時間、戦列を維持すること。
それだけである。
配置は総指揮アレク、前衛指揮フェリックス、作戦参謀クライン。
左翼戦列の外縁を守る一個分隊の指揮は『ヨアヒム・ハース』という候補生に委ねられていた。
成績は中の上。
操艦は堅実で、規則をよく守る。良くも悪くも教官たちの記憶にはあまり残らない種類の候補生である。
在校記録にこれまでの特記事項は一行もない。
彼の名が特記すべき記録に残るのは、この日の六分間のためである。
軌道上演習は半ばまで予定どおりに進んだ。
異変はその左翼の後列から始まった。
「練習艦テーベ、冷却系統に重大故障。訓練想定ではありません。実際の機器不良です」
クラインの報告はいつもどおり平坦だった。
平坦なまま続いた。
「機関停止処置、完了。ただし熱上昇が止まりません。隔壁の耐久予測、十分。救難艇の到着予測、八分。艦内には乗員の候補生、十二名」
救難艇の到着予測から二分の余裕があった
「統制班より入電。練習艦テーベを演習から除外。教官の乗る救難艇を既に発進させたとのことです」
「了解。残余各艦への指示はどうか」
「演習続行の指示です。テーベへの緊急接舷は教官の乗る有資格艇に限る、と」
候補生は緊急接舷の資格をまだ持たない。
要するに、教官による救出を行う、候補生は演習を続行せよとの指示であった。
アレクは命令した。
「全隊、戦列を維持」
演習は続いた。
実物の艦が一隻、熱で死につつある傍らで模擬の砲火が交わされ続けた。
さらなる異変の報告が上がって来た。
「熱上昇率が上がっています。隔壁の耐久予測、十分から八分へ修正」
クラインの声は平坦なままだった。
平坦なままもう一度続いた。
「再修正。耐久予測、六分。救難艇、到着まで六分二十秒」
二つの数字が初めて入れ替わった。
「救難艇の到着、これ以上の時間短縮は不可、との補足です」
二十秒足りない。
そしてテーベの隔壁耐久予測は、まだ下がるかもしれない。
だが近くの候補生の練習艦をテーベの救助へ向かわせることは、教官命令への違反となる。
だが皇帝としての命令であれば。
アレクはそれを口にしかけて、止まった。
自分の皇帝大権による一言があれば学校や教官の判断を上書きできることは分かっていた。ただ、大権を行使してよいのかどうかを決めかねた。
決断できないまま、彼は別の言葉を見つけた。
「候補生全隊、戦列を維持。ただし、人命に差し迫った危険がある場合は、現場指揮官の裁量を認める」
言ってしまってから、それが自分にとって都合のよい命令であることに気づいた。
保身と自己満足を両立させる、曖昧な命令である。
気づいたが、もう取り消せなかった。
前衛の通信網にフェリックスの声が重なった。
「左翼各艦、救難準備。移乗要員を配置につけろ」
クラインが顔を上げた。
「総指揮官。裁量の範囲について、確認を――」
「隔壁耐久、更新。五分四十二秒」
計器席の報告がその言葉を途中で断ち切った。
司令室の時計が、正確に時間を刻んでいった。
***
【軌道上演習宙域 ハース】
分隊の一番艦では、ヨアヒム・ハースが同じ時計を見ていた。
隔壁耐久、残り五分十一秒。
救難艇の到着まで、六分五十秒。
差は開きつつあった。
「上級指揮所へ照会。応答は」
「ありません」
彼は故障艦の乗員名簿を呼び出した。
三段目に幼年学校以来の友人の名があった。
「本艦からテーベまで、通常加速での到達時間は」
「三分二十秒です」
「制限を超えれば」
「二分二十秒まで詰められます。ですが分隊長、緊急接舷は有資格艇に限る、が規則です。本艦に、候補生に資格はありません」
「知っている」
ハースはそれ以上は答えなかった。
命令は、戦列を維持しろと言った。
命令は、裁量を認めるとも言った。
「本艦、転進。テーベに接舷する」
一度目の接舷は、失敗した。
制限を超えた加速の反動で艦体が流れ、接舷架が半ばで弾かれた。
その衝撃で固定の終わっていなかった移乗要員の一名が壁面へ投げ出され、腕を折った。
二度目の接舷には、成功した。
移乗にはさらに二分近くを要した。
最後の一名が渡り終えたすぐ後、テーベの映像が一度、白く乱れた。
救難艇が到着したのは、結局隔壁が崩壊した後であった。
***
【軌道上演習宙域 アレク】
「ハース分隊の一番艦、転進しました」
「左翼後列に空白が生じます」
アレクの反応は遅れなかった。
「予備を左翼へ回せ」
「到達まで一分四十秒です」
「中央から半個分隊を割け」
「中央正面も圧力を受けています」
「それでも回せ」
命令は正しかった。
ただ、間に合わなかった。
教官団の操る仮想敵は埋まりきらない空白を教科書のように正確に突破した。
演習は規定時間を残し、アレクの率いる候補生側の敗北で終わった。
静まり返った艦橋の中で、救助された十二名の名を読み上げる声だけが通信網に流れ続けた。
***
【士官学校・候補生宿舎 アレク】
演習事故調査委員会――候補生たちは端的に「査問会」と呼んだ――は、総指揮官の尋問という難問を抱えていた。
総指揮官は候補生であり、同時に皇帝でもある。
委員会は正式な召喚を避けた。
代わりに自発的に証言する意思があるかどうかを照会した。
アレクは辞退した。
「僕が発言すれば、候補生の証言としてではなく、皇帝の意思として受け取られる。査問の独立を守るには僕は出ない方がいい」
消灯前の自習室でその決定を聞いたクラインは筆記具を置いた。
「陛下が証言なさらないことも、査問の判断に影響します」
「僕が証言すればもっと影響する」
「証言しないという行動も影響を及ぼします。影響を及ばさないという選択肢は最初から存在しません」
「ではどうしろと言うんだ」
「事実をお話しになるべきです。処分に関する意見を述べる必要はありません」
「僕の言葉を査問官がただの事実として聞けると思うのか」
「いいえ」
クラインはそこで否定した。
否定してから続けた。
「陛下がお出にならなければ影響が消えるとお考えですか」
「……消えはしないだろうが減る」
「減るのは陛下がご自身で感じる責任だけです」
「……言い過ぎだぞ、クライン」
「はい。それでは訂正すべき箇所があれば承ります」
訂正すべき箇所をアレクは見つけられなかった。
***
【士官学校・査問会場 フェリックス】
証言を終えた候補生は委員会の許可を得て後方の席へ移された。
再開された査問の傍聴席で、フェリックスは配布資料の表紙を見ていた。
「ヨアヒム・ハース候補生による命令違反事案」
処分そのものは軍人としてのキャリアを終わらせるものではない。
だが人事記録に一度「命令系統を無視した独断行動」と書かれれば、任官以後の上官は本人を見る前にまずその一行を読むことになる。
次の証人はクラインだった。
彼は記録の改ざんや虚偽の発言はしなかった。
「ミッターマイヤー候補生による救難準備命令は、ハース候補生の戦線離脱と転進より前に発せられています。通信記録で確認できます」
「記録にミッターマイヤー候補生による転進を命じる文言は存在するかね」
「存在しません」
「では転進命令はなかったのではないかね」
「救難準備命令が現場裁量の範囲をどこまで含むかは、明示されていません」
「戦列離脱を禁じる文言は」
「含まれていません」
「許可する文言は」
「含まれていません。総指揮官は現場裁量を認めています」
「君はハース候補生が許可を受けていたと考えるのかね」
「許可がなかったと確認できる記録は存在しない、と申し上げています」
一言も、嘘はなかった。
査問主任はしばらく手元の記録を見ていた。
それから顔を上げた。
「君は虚偽を述べてはいない」
「はい」
「事実を使い事実ではない像を作ろうとしている」
「その評価には同意いたしかねます。私は必要な事実を提示しました」
「必要かどうかを決めるのは、君かね」
「査問委員会です」
「だが、委員会が何を見るかは君が選んでいるのではないか」
クラインは沈黙した。
「指揮官に提示すべき事実を区分けする、それは参謀に必要な資質ではある。だが区分けが恣意的になれば指揮官の判断を歪めることになる」
「……ご指摘は理解します」
受け入れます、とは言わなかった。
***
三人目の証人は前日に辞退を撤回していた。
アレクが入室したとき、査問主任は立ち上がりかけて思いとどまり着席のまま一礼した。
この部屋で彼を何と呼ぶべきか。査問主任は皇帝として扱わないことを選んだ。
「ローエングラム候補生。証言を求める」
「現場裁量を認めたのは僕です。ハース候補生の判断は僕の命令の範囲内でした」
「総指揮官は戦列離脱を許可したのか」
「現場指揮官の裁量を認めました」
「救助のためなら戦列を崩してよいという意味だったか」
アレクは答えに詰まった。
沈黙が続いた。
査問主任が沈黙を破った。
「戦列離脱はミッターマイヤー候補生の命令によるものと記載してよろしいか」
査問主任が答える前に、声が上がった。
「……違います」
ハース候補生の席からだった。
***
ヨアヒム・ハース候補生はそれまで発言していなかった。
三人の証言を頭を下げたまま聞いていた。
庇われていることは、本人がいちばんよく分かっていた。
黙っていれば処分は軽くなる。
彼はそうしようとしていた。
だが記録係の復唱が終わる前に、立ち上がっていた。
「ミッターマイヤー候補生から命令や許可は受けていません」
「黙っていろ。俺の指示だった」
「違います」
ハースはフェリックスの方を見なかった。
教官の方を見て、言い直した。
「俺は――私は、命令を受けずに戦列を離脱しました。十二人を救うためです。でも一人に怪我をさせたのも私の命令の結果です」
「止めろ、ハース」
「故障艦には私の友人がいました。他の艦でも同じことをしたかと訊かれたら――分かりません。知ってる人間を見捨てられなかっただけかもしれません」
彼は査問委員会に向き直り、最後は絞り出すように言った。
「事実を全部、書いてください。……お願いします。命令違反、人命救助、乗員負傷。どれか一つだけにはしないでください」
会場は静かだった。
フェリックスが顔を上げると、アレクとクラインが同じ顔をしていた。
***
裁定は三日後に下りた。
ヨアヒム・ハースについて、命令違反を認定。
当該演習は失格、分隊指揮資格を三か月停止。
ただし人事記録には命令系統を離脱した事実と並べて、十二名の人命を救助した事実と一名を負傷させた事実を併記する。
英雄的行動による表彰は行わない。
任官後の上級指揮課程推薦からの自動除外も行わない。
総指揮官アレクについては、曖昧な命令により減点。
教官評価にはこのように書かれた――「指揮責任から距離を取ろうとした」。
アレクはその一行を二度読み、何も言わずに書類を閉じた。
前衛指揮官フェリックスについて、事実を誤認させ得る証言により訓戒。
作戦参謀クラインについて、厳重注意。
「情報提示の中立性に課題」との評語は人事記録ではなく内部の教官記録に留められた。
言い渡しの後、査問主任はクラインにだけ問いを足した。
「反省しているのかね」
「同じ状況で同じ判断をしないと、現時点では申し上げられません」
「それを反省とは呼ばない」
***
ヨアヒム・ハースの人事記録には事実が併記された。
「指揮命令系統を離脱した」「それにより十二名の人命を救助した」
どちらを重視するかによって、その後の彼の上官評価は二つに分かれた。
***
【新帝国暦二十年夏 士官学校・演習棟格納庫 アレク】
三人には事故演習で使用した格納庫の復旧点検が割り当てられた。
処分ではなく教育的措置である、と説明された。
フェリックスの見立てによればそれは「名前を変えた罰当番」だった。
名前が何であれ三人は床を磨いている。
「クライン。あのときどうするのが正しかったと思う」
モップを動かしながらアレクが訊いた。
クラインは手を止めずに答えた。
「分かりません」
「……お前の『分かりません』はたいていは答えを知ってる声だ」
フェリックスが横から言った。
「だが今のは違うな」
「正確には、正解を一つに定めるための条件が不足しています」
「やっぱりお前らしい」
短い沈黙が落ちた。
格納庫の高い天井にモップの音だけが薄く響いた。
「それでも僕たちは答えを出さなければならなかった」
「はい。条件が不足していようがいまいが判断の期限は延びません」
「それが指揮官ってやつか」
「おそらくは」
アレクは少し迷ってから、もう一つだけ訊いた。
「今でもあの証言がいちばん損害の少ない方法だったと思っているのか」
クラインはすぐには答えなかった。
手も止めなかった。
「……あの時点ではそう判断しました」
「今はどうなんだ」
「今は――その判断をした私自身も計算に含めるべきだったと思っています」
アレクはそれ以上は訊かなかった。
三本のモップの音がしばらくの間、揃わないまま続いた。
***
【新帝国暦二十年 グリューネワルト伯爵夫人離宮 クライン】
次の外出許可日、クラインはいつもより四十分遅れて離宮に着いた。
格納庫の復旧点検が長引いたためである。
家政室の隅ではリーゼが返却された銀器の数を帳面につけていた。
四年前には椅子の上で足を揺らしていた少女も今では一人前の侍女見習いらしく、欠けた小皿まで別の欄に分けている。
クラインの姿を見るとリーゼは時計を見た。
「おにいさま。四十分の遅刻です」
「外出許可の開始時刻から計算すれば、二十七分です」
「来るとおっしゃった時刻からは、四十分です」
訂正の余地はなかった。
リーゼは帳面を閉じ向かいの椅子を引いた。
「学校で何かありましたか」
「その推論には根拠が不足しています」
「入ってきてからまだ一度もわたしの顔を見ていません」
クラインは初めてリーゼを見た。
「……査問で厳重注意を受けました」
リーゼは注ぎかけたポットを戻した。
「嘘をついたんですか」
「虚偽は述べていません」
「それは嘘をついていない人の答えではありません」
クラインは否定しなかった。
「内容については詳しく話せません」
「では話せるところだけで結構です」
紅茶が二つのカップへ注がれた。
「ある候補生が重い処分を受けないようにしようとしました。そのために事実のうち必要だと判断したものを提示しました」
「その人は守ってほしいと言ったんですか」
「いいえ」
リーゼは少し考えた。
「おにいさまはその人の何を守ろうとしたんですか」
「評価と人事記録です」
「その人は何を守りたかったんですか」
「……自分のしたことを全部記録に残すこと、でしょう」
リーゼはそれ以上訊かなかった。
焼き菓子の皿をクラインの前へ押した。
「食べてください」
「まだ話は終わっていません」
「冷めます」
「焼き菓子はすでに冷めています」
「お茶がです」
クラインはカップを取った。
「……いただきます」
「はい、おにいさま」
「クラインで結構です」
帰り際リーゼは残った焼き菓子を紙に包み、クラインの鞄へ入れた。
断る理屈をいくつか組み立てたが、やめた。
***
【新帝国暦二十年夏 士官学校・自習棟 フェリックス】
査問の翌週にフェリックスは教官室へ行き、政治学の答案の再提出を願い出た。
教官は点数の上積みはないと告げた。
書き直せばむしろ評点が下がる可能性が高い、とも。
「それでも書き直します」
その夜、フェリックスは冒頭での「反逆者」との定義を書き直し、答案を再作成した。
「オスカー・フォン・ロイエンタール元帥は、皇帝に対して反逆した。反逆していたのはその生涯の最後の二か月である。」
第二の答案は最初のものよりも長くなった。冗長ともいえる。
設問の論題からはしばしば逸れ、最初の答案ほど論旨明瞭ではなくなった。
結論は二つの文で締められていた。
「『反逆者』という評価は正しい。ただし、その責任については、結果に加え、選択に対しても等しく評価が加えられるべきものである」
数日後、第二の答案は評価が二段階下がり「C」で返ってきた。
評点の横に教官の字で一行だけあった。
「論題をやや外れた。だがそれでよい」
フェリックスは「C」の文字を一度だけ見た。
紙を折らずに鞄へ入れた。
――「未着」と記録された少年が、列の中に立っていた。
次回、『次の点呼』