銀河英雄伝説・次代篇 ~英雄の残光~   作:銀河の灯守

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第三十五話「クラインの失踪(中編)」(新帝国暦二十一年秋)

【新帝国暦二十一年秋・午前 北部環状貨物帯・物流管制所 アレク】

 

軍務尚書ケスラー元帥は昼前に現地へ着いた。

「陛下には中央管制室へ移っていただきます」

 

中央管制室へ入るまでに、五枚の防爆隔壁を通った。

二枚目の先で、通路が西翼へ枝分かれしている。

外から来た作業員や負傷者を受け入れ、医療と保安の確認を行う区画だった。

 

ケスラーはアレクの横顔を見た。

「……ご不満は」

 

「ありません。僕が外へ出れば警護が必要になります。その人数を捜索から奪いたくありません」

アレクは中央管制室を見回した。

「ここで情報を受けたいです。憲兵隊、候補生、民間管制。三つを同時に聞ける場所はここしかありません」

 

ケスラーは通信士官へ向き直った。

「通信士官を二名増やす。陛下の指示は、必ず担当士官を通せ」

 

言い置いて、ケスラーは西翼の外に設けた現地本部へ戻った。

 

 

***

 

 

【同日・正午前 第七埠頭実習所・作戦室 ハインリヒ】

 

 

作戦室には候補生が集まっていた。

憲兵隊に加え、第七区隊のほか、別区隊と下級生の候補生らもいる。

 

ハインリヒは近くの憲兵将校と何か話し、それからフェリックスを呼んだ。

「ミッターマイヤー。ヴァルターの救出班には候補生側の同行者が要る。ヴァルターが反応できる相手を一人出せとの指示だ。貴様は救出班だ」

 

フェリックスはハインリヒを一度だけ見た。

 

「ヴァルターを連れて戻ってこい。定時応答を忘れるな」

 

「待ってください」

出口の手前で、リディアが通信機の周波数を合わせて試験音を送った。

「聞こえますか」

 

「聞こえてる」

 

「十五分ごとです。何もなくても応答してください」

 

「分かってる」

フェリックスは肩帯をなじませ、救出班の集合点へ向かった。

 

憲兵班長のグレーベ大尉は、フェリックスを三秒ほど眺めた。

それから顎で装具を示した。

「装具をこの場で点検してみせろ」

 

フェリックスは慣れた手つきで留め具、通信機、照明、切断具を順に確かめてみせた。

最後に救命索を二通り結んで見せる。

 

「いいだろう。ついてこい」

 

 

***

 

 

【同日・正午 貨物管理室 トビアス】

 

旧貨物支線の積替区画は、数年前から無人とされていた。

だが無人のはずの区画に、数か月前から人がいることを示すデータがあった。

 

非常電源に一定の負荷がかかっている。

冷却水が毎日ほぼ同じ時刻に温度を上げる。

使われないはずの排水管に流れがある。

 

トビアスは管理端末の表示を並べ、憲兵の分析官を呼んだ。

「八人では水が多すぎます。二十人なら少なすぎる。十人台だと思います」

 

「通信機材の規模は」

 

「冷却の熱だけなら小型中継器が数台。人員とは別です」

分析官は電力担当へ確認を取り、推定の幅をさらに絞った。

 

もう一つ気になるものがあった。

 

同じ積替便に三つの業者が関わっている。

旧門閥貴族系の休眠会社。

旧同盟系救援団体。

辺境の慈善団体が帝都に置いた窓口。

 

出自も利害も違う三者が、三か月前から同じ区画へ物資を運んでいた形跡がある。

トビアスは分析官へ言った。

「何を意味するかわかりません。ただ偶然として捨てるには、重なりすぎています」

 

 

***

 

 

【同日・正午過ぎ 第七埠頭・貨物駅 カーラ】

 

駅員と接触した作業服の男を、憲兵隊はそのまま泳がせていた。

非常警報が試験放送として駅に鳴った。

憲兵隊が仕掛けた、小さな揺さぶりだった。

 

警報が鳴れば、作業員はまず音の鳴った方、次に出口を見る。

一人だけ上階の監視窓を見てから、出口とは別の通路を見た男がいた。

 

カーラ・ビッテンフェルトは憲兵と下級生二人とともに、資材の陰から見ていた。

警報が止むと、男は何食わぬ顔で持ち場を離れ、保守通路へ入る。

四人は距離を保って続いた。

 

旧配管区を抜け、使われていない検量所を回る。

男は旧貨物支線へ下りる保守通路へ消えた。

 

 

***

 

 

【同日・午後 旧貨物支線・積替区画 クライン】

 

クラインは、貨物コンテナを改造した一室に座らされていた。

 

拘束は丁寧だった。

殴られてはいない。水も渡された。

 

何を言えば呼吸が変わり、どの名なら身体が反応するかを測られている。

彼のよく知る手順だった。

 

だから彼も周囲を測った。

 

壁越しの足音は十人を超える。交代間隔は五十分前後。

食事の匂いが二度した。火を使わない糧食らしい。

 

床には時折、低い振動が来た。

通話器が開く少し前に近づき、声が切れたあとに遠ざかる。

振動とともに、雑音の質も変わった。

 

この部屋が動いているわけではない。だが指示を出す設備の一部が、軌条上の車両に載っている可能性が高い。

 

伝える相手はいない。それでも考えることをやめなかった。

 

天井の通話器から、あの男の声が降りた。

うすら笑いに粘つく語尾。姿は見せない。

『退屈かぁ?』

 

答えなかった。

『よく一人で来たよなぁ。感心してんだぜぇ、これでもよぉ』

 

答えなかった。

『なあ、クリュプタさんよぉ……』

 

男はその名を口の中で転がした。

『お前が残してきた奴、憶えてるか。あの後どうなったと思う』

 

クラインの呼吸は乱れなかった。

八年間、自分に禁じてきた問いだった。他人に許すつもりはない。

 

「そのような名の者は」

彼は初めて口を開いた。

「ここにはいません」

 

通話器の向こうで、男が低く笑って息を吐いた。

『へぇ、そうかい。いねえ奴の名にしちゃ、よく効いてるみたいだけどなぁ』

 

否定の反応も見られた。

クラインはもう返事をしなかった。

 

 

***

 

 

【同日・午後 旧貨物支線内部 フェリックス】

 

救出班は十二名だった。

憲兵隊の突入要員九名、技術士官二名、候補生側のフェリックス。

先頭はグレーベ大尉である。

「ミッターマイヤー候補生。あの熱源をどう見る」

 

探知画面に人型が三つ並んでいた。最短通路の正面で、ほとんど動かない。

フェリックスは眉を寄せた。

「人間にしては揃いすぎてます」

 

技術士官が倍率を上げた。

「温度変化がまったくない。三つとも表面温度も同じだ」

 

フェリックスは通路を見た。

「しかも最短路だけ荷物が退けてある。通ってほしいんでしょう」

 

グレーベ大尉が頷いた。

「招待は断ろう。迂回する」

 

迂回路には無人搬送車が三台止められていた。どれも通路の狭い場所を塞いでいる。

技術士官が一台ずつ非常制御へ入り、脇へ退かした。

 

十五分ごとに、フェリックスは応答した。

「第三迂回路を通過中。異常なし」

 

やがて左右に古い検量室が現れた。

左は通路が広く、扉も開いている。

右は倒れた棚で半ば塞がれていた。

 

技術士官が扉脇の換気孔へ採気管を差し込み、小型探知器を作動させた。

右の奥から微かな二酸化炭素の偏りと人一人分の熱が返る。

「右に一人。動きは小さい」

 

「右だ。第一組は扉。第二組は援護」

 

扉が破られた。

敵の応戦はなかった。

奥のコンテナに、クラインが拘束帯をつけられて座っていた。

外傷はない。

 

「なぜ」

クラインは救出班とフェリックスを見た。本当に理解できないという顔だった。

「なぜ来たのですか」

 

フェリックスは拘束帯を切った。

「お前が消えたからだろ」

 

それ以上の説明はしなかった。通信機を開く。

 

「中央中継。ミッターマイヤーだ。ヴァルター候補生を確保。外傷なし」

 

隊列へ入る前に、クラインはグレーベ大尉へ告げた。

「無人区画のはずですが、近くを運行予定のない車両が動いています。通話の前後だけ接近しました。指示設備を載せている可能性があります」

 

「断定はできるか」

 

「できません」

 

「それでいい。可能性として送る」

 

 

***

 

 

同じ頃、三両編成の保守列車では、確保対象者が憲兵に救出された旨の報告を、指揮官の男が受けていた。

「閣下。対象は確保されました」

 

男の顔に怒りはなかった。

「思ったより早かったなぁ。対象者の確保失敗かぁ」

 

「撤収しますか」

 

「その前にもう一つ見るぞぉ。折角、皇帝サマがいらっしゃるんだ」

男の指が中央管制室を示した。

「救出後の収束手順だ」

 

部下がためらった。

「この拠点と帝都側の窓口が露見します」

 

「どうせ今日で捨てる線だ。休眠会社も慈善屋の名も使い切ったしなぁ」

 

男は薄く笑った。

「代わりに皇帝警護の手筋と、皇帝サマのお友達の情報が取れる。安いもんだろぉ?」

 

「救出隊を皇帝のいる管制所へ寄せますか」

 

「ああ。西翼へ逃げる道は閉じろ。中央管制室へ向かう通路は開けておけよぉ。まず通常換気を落とすぞぉ」

 

男の部下は無言で操作盤へ向き直った。

隔壁の表示が、順に切り替わっていく。

 

 

***

 

 

【同日・夕刻 物流管制所 アレク】

 

「対象確保。外傷なし」

グレーベ大尉の声が届いたとき、アレクは初めて椅子の背へ体重を預けた。

救出班は西翼の受入区画へ向かっていた。

そこでクラインの保安検査を行い、外へ出す予定だった。

 

異変はほぼ同時に起きた。

 

貨物信号が全線で赤へ変わる。

無人搬送車が指示にない経路で動き始める。

外周から防爆隔壁が一枚ずつ落ちた。

 

「隔壁制御が戻りません。何者かに上書きされています」

 

通常換気の音が止まった。

密閉構造の中央区画で換気が止まれば、残る時間は設備の容量で決まる。

 

「非常系統へ切り替えてください」

アレクは声を張らずに指示した。

 

『中央中継、ハルランダー候補生です。各班の位置を送ります。屋外の一部は応答が不安定。通信妨害されています』

 

「こちらで憲兵隊と民間側を調整します。候補生同士の連絡維持を優先してください」

 

『了解しました』

 

 

***

 

 

救出班の背後で隔壁が落ちた。

 

救出班が隔壁を一枚抜けるたび、背後の扉が落ちた。

引き返す道が区画ごとに消えていく。

やがて隊列は管制所西翼への分岐へ達した。

 

本来なら救出班がクラインとともに西翼の受入区画へ行き、そこから外部に離脱するはずだった。

 

だが、隔壁の制御を奪った敵により、西翼へ続く隔壁は閉ざされていた。

開いている、いや開けられているのは、皇帝のいる中央管制室へ続く保守通路だけだった。

さらに後方では次の隔壁が降下を始めていた。

ここに留まれば隊列は閉鎖区画の中へ取り残される。

 

「アレクのいる中央管制室へ追い立てられてる」

フェリックスが唸った。

 

グレーベ大尉は、西翼の閉ざされた扉と、背後で落ちていく隔壁を見比べた。

「退路を閉ざされた。皇帝陛下との合流を強制される」

 

西翼へは進めない。

背後にも戻れない。

その場に留まれば隔壁と隔壁の間に閉じ込められて身動きがとれなくなる。

最後の隔壁が落ちる直前、救出班は中央管制室に滑り込んだ。

 

隊列の中に、アレクはクラインを見つけた。

 

「……クライン」

クラインは敬礼しようとしてしきれなかった。

警護官がすぐに動いた。

「要救助者を副管制室へ。身体と装具を確認します」

 

クライン自身が言った。

「近寄らないでください。薬物を使われている可能性があります」

 

フェリックスが何か言いかけたが、グレーベ大尉が先に頷いた。

携行検査器で身体と衣服を走査し、上着と靴を交換する。衛生兵が血液と呼気を簡易検査した。

即効性の薬物や発信器の反応は見つからなかった。

 

それでもクラインは、アレクへ近づかなかった。

防爆ガラスで区切られた副管制室へ入り、警護官二名と技術士官一名が付く。

 

「ヴァルター候補生の音声をつないでください」

アレクが言った。

「保安距離を保ったまま、分析に加わってもらいます」

 

グレーベ大尉が頷いた。

フェリックスはガラス越しにクラインを見た。

「事情は後で聞く。今は働け。お前の頭が要る」

 

クラインは数秒だけ動かなかった。それから副卓へ座った。

逃げたことを責める言葉はない。

保安上必要な距離を置き、それでも座るべき席を渡された。

 

候補生回線から、リディアの声が届いた。

『中央中継から管制所。ミッターマイヤー候補生、応答してください』

 

「ミッターマイヤー。中央管制室。救出班は全員生存。皇帝陛下と合流。隔壁の制御を敵にとられた。内部に閉じ込められている。換気も切られた」

 

 

***

 

 

非常用の酸素供給と二酸化炭素吸着装置は動いていた。外気取入口は閉ざされたままである。

 

中央区画の在室者は二十六人。

設備担当が残量と消費を計算した。

「呼吸可能な限界時間まで、約八十分です」

 

外では警護隊が、最外周の隔壁へ切断機を当てていた。

中央へ向かう主通路には五枚が直列で並び、一枚を抜かなければ次へ届かない。

 

一枚に最短二十分。

五枚で百分。

 

外から切断機で隔壁を切り開くだけでは、二十分以上足りなかった。

外気取入口の位置は中央管制室の施設技師が回線越しにハインリヒへ伝えた。

旧保守路の先に手動開放所がある。

管制所の外殻にあり封鎖された中央区画からは行けない。

取入口は通気路である。

外気は入れられるが人は通れない。

 

外周でそれを受けたハインリヒが、一つの班を資材通路から向かわせた。

外気取入口で手動開放の操作をすれば、隔壁五枚すべてを機材で切り開くことなく外気を入れられる。

 

 

通信妨害で応答が届かない区画では、リー・ツァオが屋上から手旗を振り、隣の建物へ短い指示を渡した。

暴走する無人搬送車に対しては、ハルトマンの班が軌道給電の区画遮断器を手動で落とした。

電力を失った車両が一台ずつ止まっていく。

 

作戦室ではリディアが途切れた通信を別の経路でつないだ。

民間保守用の回線、候補生の携帯機、屋上の手旗。

 

各自が自分の仕事を果たしていた。

 

 

***

 

 

夕闇の貨物帯を、三両編成の保守列車が低速で移動していた。

 

軌道点検車を装い、中には通信機材と武器を積んでいる。

指揮官の男は薄ら笑いを浮かべながら外周の状況を聞いていた。

 

「憲兵の封鎖線は予測の範囲内です。警護隊の反応も概ね予測のとおり」

部下が探知画面を切り替えた。

「ただ候補生どもが外周へ入っています。三十五人を超えました」

 

「三十五ぉ?おいおい、レームぅ。予想の人数よりだいぶ多くねえかぁ?」

 

「はい、閣下。第七区隊全員に、別区隊と下級生も加わっているようです」

 

『閣下』と呼ばれた男は黙った。

 

手旗で途切れた通信を渡す者。

軌道給電を切って搬送車を止める者。

隔壁の溝へ鋼材を打ち込む者。

使えなくなった経路を別の経路へつなぎ直す者。

 

どれも一人では局面を変えない。

だが小さな協力が外周全体へ広がっていた。

 

「候補生は」

男からレームと呼ばれた部下が、端末から目を上げずに訊いた。

「やはり殺しますか。――失礼、『聖赦(せいしゃ)』でしたな」

 

「駄目駄目。今日は殺りにはいくなよ。人殺しはよくないぞぉ、レームぅ。まぁ、たまたま死んじゃったら仕方ねぇけどなぁ」

男は散り続ける光点を見た。

「四人までは読めたんだがなぁ。学校ごとかよぉ」

笑いが短く漏れた。

 

不意に、指揮官の男の言葉から粘つく語尾とうすら笑いが消えた。

「分断を維持。無人の資材車を流せ。人には当てるな。管制所は開けるな」

 

部下たちが一斉に動いた。誰も説明を求めなかった。

「レーム。東二、閉鎖。第二班、後退。西、副通路を開けろ。まだ撃つな。見せろ」

 

レームは指示された区画の隔壁を開いていき、中央管制室にいるアレクたちへ退路を三つ用意してみせた。

 

 

***

 

 

【新帝国暦二十一年秋・夜 北部環状貨物帯・物流管制所 アレク】

 

管制図に三本の経路が光っていた。

 

経路Aは、外周出口まで最短だった。ただし途中に監視映像で見えない区画が一つある。見えない区画に罠や待ち伏せなど何があるかはわからない。

 

経路Bは、監視映像からの死角がなく、全員まとまって外に移動できる。だが通信の中継を保つためには誰かが中央管制室に残る必要がある。

 

経路Cは、途中に民間管制の職員十四名が待避している区画がある。途中で攻撃を受ければ民間人に被害が出る可能性がある。

 

グレーベ大尉が管制図を睨んだ。

「三本とも罠か」

 

副管制室からクラインの声が届いた。

『罠でしょう。敵がわざわざ開けた道です。もう一つ。これは敵からの設問です。陛下がAを選べば、部下や民間人よりも陛下ご自身で危険を引き受ける、Bなら部下を切る、Cなら民間人を危険に晒す、という回答になります』

 

「……陛下が敵に何を差し出すのか、選択を見ているのか。嫌な相手だ」

 

管制室が静かになった。

アレクは三本の光を見た。

見えない区画を通るか。誰かを置いていくか。民間人を危険に晒すか。

 

「選びません」

 

「では、どうなさいます」

 

「ここを保たせます」

 

「理由をお聞かせください」

警護官だった。

 

「四本目の道を待ちます。外の仲間による、外気取入口の手動開放です」

 

「届かなければ、どうなさいます」

 

「僕を含めて中央管制室にいる二十六人が死にます」

アレクは即答した。

「僕が決めた結果です」

 

一度だけ間を置いた。

「その上で保たせます。道が三本しかないと思っているのは、この部屋の中だけです」




――「ニ秒余った。文句はないだろ」

次回、『クラインの失踪(後編)』
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