銀河英雄伝説・次代篇 ~英雄の残光~   作:銀河の灯守

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第四十七話「帝国軍六個艦隊、皇帝を試す(後編)」(新帝国歴二十二年夏)

【新帝国暦二十二年夏 帝都星系外縁・第三演習宙域 アレク】

 

演習当日、ブリュンヒルトの主スクリーンに最初に映ったのは艦影ではなく編成図だった。

 

中央に皇帝旗艦ブリュンヒルト、その右後方に宇宙艦隊司令長官の旗艦がある。外側にはミュラー艦隊の警戒線が置かれ、その周囲に六つの艦隊符号が並んでいた。

 

同盟軍との戦時、帝国宇宙艦隊は十二個艦隊、約十八万隻を擁していた。現在の平時編成は六個艦隊、約九万隻である。

 

この日は各艦隊から二千隻を上限に演習部隊を抽出。

中央予備と輸送、修理の部隊を加えれば、参加戦力は正規一個艦隊をやや上回る。

 

 

六つの符号にはミュラー、ビッテンフェルト、ワーレン、アイゼナッハ、メルカッツ、ヴェストファーレンの名が付いていた。

番号で呼ばれる艦隊ではない。司令官が違えば、同じ帝国軍でも戦い方はかなり違う。

 

帝都と皇帝の盾を担う『鉄壁』、ミュラー艦隊。

黒色槍騎兵(シュワルツ・ランツェンレイター)の名で知られる、ビッテンフェルト艦隊。

攻守と補給を堅実に組み合わせる、ワーレン艦隊。

無言の指揮系統で動く、アイゼナッハ艦隊。

旧い家名と古典戦術を背負う、メルカッツ艦隊。

慎重な運用と秩序ある後退を得意とする、ヴェストファーレン艦隊。

 

宇宙艦隊司令長官である『疾風ウォルフ』ことミッターマイヤーには、常設の七個目の艦隊はない。必要なときは中央予備と各艦隊から供出された高速艦をまとめ、司令長官直属の機動集団として直率する。この演習でも臨時部隊が組まれ、将兵は「ミッターマイヤー艦隊」と呼んでいた。

 

軍務尚書ケスラーと統帥本部総長ザルツマンは帝都に残った。皇帝と宇宙艦隊司令長官が出る日に、軍務省と統帥本部まで空にする理由はない。

 

ブリュンヒルトにはメックリンガー元帥が評価官として同乗していた。

 

アレクは編成図を見上げた。士官学校の兵棋盤では、艦隊は色と記号で表示された。実際には一つの符号の下に数千隻の艦がいる。

 

「実写へ切り替えます」

 

編成図が縮小され、宙域映像へ変わった。六個艦隊から抽出された部隊が査閲線の外で順番を待っている。全軍の一部とはいえ、一画面には収まりきらなかった。

 

 

最初はミュラー艦隊だった。

 

「ミュラー艦隊、査閲線へ進入」

 

白い旗艦パーツィバルが現れた。艦列は密だが窮屈には見えない。前の艦が進路を外せば後ろが埋め、遅れが出れば左右が幅を詰める。

 

列が乱れかけると、次の艦がもう空いた位置へ動いていた。『鉄壁』は静止した壁ではなかった。

 

「見事なものですな」

メックリンガーが言った。

 

「余の初陣以来、変わらぬ」

 

「変わっております。あの頃より、さらに無駄がなくなりました」

 

 

白い艦列が通過すると、次はスクリーンが黒く染まった。黒色槍騎兵が査閲規定の上限速度で接近し、警告表示が黄色へ変わる寸前に全艦が同時に減速した。

 

フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトは艦長時代から自艦を黒く塗っていた。元帥になってから始めた趣味ではない。

 

「速すぎます」

若い航法士が小声で言った。

 

「規定内だ」

アレクが答えると、航法士は姿勢を正した。

「だが、見せつけてはいる」

 

メックリンガーが口元を緩めた。

「黒色槍騎兵は停止しているときでさえ突撃中です」

 

 

続くワーレン艦隊は遠目には地味だった。戦艦だけを前へ出さず、補給艦と救難艦を戦列の内側へ収め、損傷艦を引き取る空間まで最初から空けている。

 

旗艦では若い幕僚たちが退避航路案を競わされていた。

 

『最善案には秘蔵の酒を一本出す』

 

その通達が演習情報の一部としてブリュンヒルトにも届いていた。

 

「酒の銘柄がありません」

メックリンガーが言った。

 

「軍機なのだろう」

 

「それは守らねばなりませんな」

 

 

アイゼナッハ艦隊からは音声通信が来なかった。旗艦のアイゼナッハ元帥が片手を挙げると、幕僚が命令を復唱し、艦列全体が同じ角度で進路を変えた。

 

初めて見る者には奇術に見えるが、麾下の幕僚は誰も迷わなかった。

 

 

「メルカッツ元帥麾下――」

 

若い通信士官の声が止まった。隣の上官が低い声で訂正する。

 

「大将だ」

 

「失礼しました。メルカッツ大将麾下、査閲線へ進入」

 

間違えるのも無理はなかった。ディートリヒ・ヨアヒム・フォン・メルカッツ大将は七元帥より年長で、軍歴も長い。武勲と指揮経験だけを見れば、元帥杖を持っていても不思議ではなかった。

 

父はウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ。旧ゴールデンバウム朝の宿将として戦い、リップシュタット戦役の後に帝国を去った。のちにヤン・ウェンリーの側で客員提督(ゲスト・アドミラル)として戦い、帝国軍と砲火を交えて死んだ。

 

父が帝国を去ったとき、ディートリヒは三十九歳の少将だった。別方面の分艦隊を預かっており、父の亡命を知ったのは軍務中である。父を追わず帝国に残り、それから二十年以上軍務を続けた。

 

新帝国の人事規則に、彼の昇進を妨げる条文はない。だが上級大将への推薦は一度も上がらなかった。元帥杖は、さらにその先にある。父の亡命は理由として書かれないまま、彼の軍歴について回った。

 

メルカッツ艦隊は教範どおりの古典的な陣形で査閲線を越えた。古いからといって弱いわけではない。

 

 

最後はヴェストファーレン艦隊だった。速度は規定の中央で、突出する艦も遅れる艦もない。目立つ艦隊ではないが、後退を始めても隊列を崩さないことには定評があった。

 

その水雷戦隊の一隻に、カーラ・ビッテンフェルト少尉が乗っていた。父の黒色槍騎兵ではない。慎重派の艦隊で、新任の艦艇士官として当直に就いている。

 

 

***

 

 

六個艦隊が査閲線を越えると、スクリーンに赤軍、青軍、輸送群、移動修理廠、離脱線が表示された。

 

ミッターマイヤー元帥の映像が開く。

 

「これより、合同演習最終課題を開始いたします」

 

疾風ウォルフと呼ばれた男は五十代半ばになっても姿勢が崩れない。

 

「青軍総指揮は皇帝陛下にお執りいただきます」

 

事前に告げられていたのは、最終課題で一軍を預けるということまでだった。青軍という呼称も、与えられる艦隊も、守る対象も、いま初めて示される。

 

アレクは表情を変えなかった。

「承知した。状況を示せ」

 

青軍は皇帝に加え、ミュラー、ワーレン、メルカッツ、ヴェストファーレンの四部隊。低速の移動修理廠、燃料輸送群、補充人員輸送群を伴う。

 

赤軍はビッテンフェルト、アイゼナッハの二部隊に、司令長官直属機動集団を加えたものだった。

 

青軍の勝利条件は、移動修理廠と輸送能力の七割以上を離脱線へ通すこと。赤軍は修理廠を撃破し、輸送能力を五割未満へ落とせば勝利する。

 

旗艦の撃沈判定は戦術得点になるが、それだけでは勝敗を決めない。

 

青軍――皇帝陛下、ミュラー、ワーレン、メルカッツ、ヴェストファーレン。

赤軍――ミッターマイヤー、ビッテンフェルト、アイゼナッハ。

 

「ミッターマイヤー元帥」

 

「はっ」

 

「余に手加減するな」

 

元帥の口元がわずかに動いた。

「その御命令だけは賜るまでもございません」

 

別の通信窓が開いた。帝都の軍務省に残るケスラー元帥だった。

 

「安全規則を最終確認いたします」

 

演習の中止権は統帥本部隷下の演習統制部にのみ属する。皇帝旗艦が危険判定を受けても自動停止はせず、宇宙艦隊司令長官にも皇帝にも中止権はない。

 

アレク自身が裁可した条件だった。

 

「変更は」

 

「ございません」

 

「よい」

 

 

***

 

 

アレクは最初に青軍の配置を決めた。

 

中央航路はミュラー。左翼はメルカッツ。右翼はワーレン。

ヴェストファーレンは戦列の後方につき、移動修理廠と輸送群の護衛、離脱を受け持つ。

 

アレクの座乗する皇帝旗艦ブリュンヒルトは中央航路の後ろには置かなかった。

戦列後方の中央、左右両翼と輸送群を見渡せる位置に置く。

ミュラー艦隊とは距離を取り、皇帝旗艦だけを守るための専任部隊もつけなかった。

 

幕僚たちは、続いて細かな作戦命令が下るものと思っていた。

だがアレクは命令を並べず、四人の指揮官を順に呼んだ。

 

「ミュラー。中央航路を任せる。敵主力を受けた場合、何分保てる」

 

『相手によります』

 

「ビッテンフェルトならどうか」

 

『三十分は保証できます』

 

「予備を投入した場合はどうか」

 

『四十五分』

 

「ワーレン。右翼を任せる。輸送群の退避航路を何本確保できる」

 

『二本です』

 

「一本に兵力を集中すれば、もっと厚く守れるな」

 

『はい。ですが一本では、退避航路の出口側へ先回りされて輸送群を迎撃されれば終わりです。ミッターマイヤー艦隊が塞いでくるでしょう』

 

「では二本残すか」

 

『その方がよろしいかと。敵にどちらを塞ぐか選ばせられます』

 

「メルカッツ。左翼を任せる。卿が反撃へ転じる条件は」

 

『敵が突出し、後続との間に間隙が生じることです』

 

「兵力差は」

 

『側面を取れれば、問いません』

 

「ヴェストファーレン。輸送群の護衛と離脱を任せる。輸送船を帰すために必要な条件を言え」

 

慎重派のヴェストファーレン中将は少し間を置いた。

 

『戦列に留まれとの命令を受けないことです』

 

「よい。卿は戦場を守る必要はない。輸送船を連れて帰れ」

 

 

 

アレクは士官学校で老教官に言われたことを思い出した。

相談しろ。三千人いる。

全軍通信を開いた。

 

「全軍へ告ぐ。通信が途絶した場合、各指揮官は与えられた任務の範囲で判断せよ。余の返答を待つな」

 

艦橋が静まった。

 

「結果の責任は余が負う。ただし、誰が何を決めたかは記録に残せ」

 

通信を閉じた。

 

メックリンガーがアレクへ視線を移した。

「細部をお決めにならないのですな」

 

「決められる者が、その場にいる」

 

「先帝陛下は御自身でお決めになりました」

 

「知っている」

 

 

***

 

 

電子音が一度鳴り、演習が始まった。

赤軍が動いた。青軍が変化を認識したときには、もう最初の配置転換を終えつつあった。

 

「黒色槍騎兵、中央航路へ進出!」

 

「アイゼナッハ艦隊、上方へ転進!」

 

「ミッターマイヤー艦隊、観測線から消失!」

 

「敵陣変更、予測より六分早いです」

 

若い幕僚の報告に、アレクは首を振った。

「違うな。こちらの予測が六分遅い」

 

ミッターマイヤーは奇策を使ったわけではない。必要な戦力を必要な場所へ移すまでが、他の指揮官より早かった。

黒色槍騎兵が中央へ突入した。戦術図上の黒い楔はミュラー艦隊の防御線へ達する直前、先端を二つに割った。

一方は中央航路の脇を抜けて輸送群へ。もう一方は進路を斜めに変え、戦列後方中央で全体を指揮するブリュンヒルトへ向かう。

 

『ミュラー!陛下の横腹が空いているぞ!鉄壁はそこで輸送船を守っているつもりか!さあ、輸送船と陛下、どちらを守る!』

 

ビッテンフェルトの声が公開回線から響いた。本気でブリュンヒルトを狙うのか、輸送群からミュラー艦隊を引き離すための陽動なのか。迷わせる時間も攻撃のうちだった。

 

皇帝直衛を任務としてきたミュラー艦隊にとって、ブリュンヒルトへ向かう敵を無視するのは難しい。輸送群の前から艦を戻せば、中央航路の防御は薄くなる。

 

「ミュラー艦隊、一部反転。皇帝旗艦直衛位置へ戻ります」

 

アレクは通信を開いた。

 

「ミュラー。余の前へ戻るな」

 

『しかし、皇帝直衛は我が艦隊の職掌です』

 

「今日は違う。余のいる座標を守るために任務を失うな。中央航路を保て」

 

短い沈黙があった。

 

『御意』

 

反転していた艦艇が進路を戻す。代わりにミュラーの座乗する白い旗艦パーツィバルだけが前へ出て、ブリュンヒルトへの射線を遮る位置に入った。

それはアレクの命令ではなかった。

黒色槍騎兵の突撃は止まらない。だが槍が深く入れば、後ろは細くなる。

メルカッツ艦隊の前面に短い空隙が生じた。ディートリヒ・ヨアヒム・フォン・メルカッツはそれを見逃さなかった。古典的な斜線陣で黒い槍の後方を押せば、突出部を本隊から切り離せる。

 

彼の旗艦から通信が入った。

 

『陛下。反撃の許可を』

 

「卿の判断では好機か」

 

『御意』

 

「ならば、なぜ余に訊く」

 

ディートリヒは答えなかった。父の亡命後、彼は独断を避けてきた。勝っても疑われる余地を残さないためだった。

 

「メルカッツ大将」

 

『はっ』

 

「余は卿に左翼を任せている。命令を待つことまで、命じてはいない。行け」

 

『御意』

 

メルカッツ艦隊が動いた。艦列が一つずつ角度を変え、黒い槍の先端ではなく後方へ圧力を加える。

突出部が本隊から離れ始めた。

公開回線にビッテンフェルトの笑声が響く。

 

『やるではないか、メルカッツ!』

 

その一方で、アイゼナッハ艦隊はまだ動いていなかった。

 

「アイゼナッハ艦隊、動きません。側面迂回に失敗したのでしょうか」

幕僚の一人が言った。

メックリンガーが首を振る。

「待っているのでしょう」

 

「何をです」

 

「動くべき一拍を」

 

ワーレン艦隊がビッテンフェルトへの対応で中央寄りへ動いた。

その瞬間、アイゼナッハが片手を動かした。

幕僚が復唱し、艦隊が上方から降下する。青軍の通信中継線へ鋭く入り込んだ。

 

「中継艦三隻、撃沈判定!」

 

「敵電子妨害、増大!」

 

「ヴェストファーレン艦隊との主回線、断絶。予備回線も電子妨害で断絶」

 

「戦術情報は」

 

「同期できません」

 

通信が切れる前に、ワーレンは輸送群のために二本の退避航路を残していた。

 

『どちらも使えるようにしておけ』

 

若い幕僚が訊いた。

『輸送群が使う本命の航路はどちらですか』

 

『まだない』

 

『では、どちらを使います』

 

『敵が決める』

 

幕僚が一瞬黙った。

 

『敵が一方へ寄れば、もう一方が空く。両方へ出れば戦力が割れる。二本とも残しておけ』

 

『選択は』

 

『ヴェストファーレンに任せる。そのとき一番よく見えている者が決めればいい』

 

ワーレンは二本の航路をもう一度見た。

『この案を出したのは誰だ』

 

若い幕僚が名乗った。

 

『卿の案を採用した。だが酒はまだ半分だ。残る半分は、輸送群が帰ってからだ』

 

 

***

 

 

【同日 演習宙域・ヴェストファーレン艦隊駆逐戦隊 カーラ】

 

中央との戦術同期を失ったヴェストファーレン艦隊では、ワーレンの残した二本の退避航路を別の角度から見ていた。

 

広い航路には敵が少ない。狭い航路には敵艦が多く見えるうえ、敵の密度が高い。

ヴェストファーレン中将は、艦隊最前衛を務める水雷戦隊へ命じた。

『両方の航路を観測。通れる方を報告せよ』

 

水雷戦隊の駆逐艦が二手に分かれた。

新任のカーラ・ビッテンフェルト少尉は、その一隻で戦術表示を見ていた。

当直指揮官が表示を見比べた。

 

狭路では、敵艦の位置も速度もかなり正確に取れているが、その数は多い。

広路では、敵影は少ない。だが電子妨害が強く、個々の艦として航跡を繋げられない。

 

「ビッテンフェルト少尉、どう見る」

 

カーラは広い航路を指した。

「こっちは敵が少なすぎます。それに確認できる艦を全部足しても、赤軍の数が合いません。敵は広い方で待ち伏せしてます」

 

「推測だな。で、どうする」

 

「まず殴りましょう」

 

当直指揮官がカーラを見た。

「……姓を聞くまでもなかったな」

 

「威力偵察です。反応を見ます」

 

戦隊司令部へ具申が上がり、二手に分かれた駆逐艦がそれぞれ攻撃進路を取った。

 

狭い方では、見えていた敵艦が迎撃に動いた。

広い方では敵が後退した。同時に妨害が強まり、捕捉していない方位から複数の照準波が立った。

 

当直指揮官が息を吐いた。

「いたな」

 

「はい」

カーラは狭い方へ指を戻した。

「こっちは、いる敵が見えています」

 

「数が多いぞ」

 

「でも狭いです。あの数を全部、同時には使えません」

 

「抜けるか」

 

「はい。この正面幅なら撃ち合って最後に残るのはこっちです」

 

水雷戦隊司令部への報告は短かった。

『狭路を推奨。敵影多数。ただし現有戦力で突破可能。広路には未捕捉戦力ありと判断』

 

報告は戦隊司令部を経て、ヴェストファーレンの旗艦へ届いた。

数秒考えた。

「水雷戦隊の具申を採る。狭路へ入る」

参謀が確認した。

「全輸送群ですか」

 

「全てだ。水雷戦隊を先行させろ」

 

命令が下り、駆逐艦群が狭い航路へ入り、正面からの撃ちあいが始まった。

カーラの艦にも撃沈判定が出た。戦術図から光点が消える。

その後ろを最初の輸送船が通った。二隻目、三隻目が続いた。

 

 

***

 

 

【同日 ブリュンヒルト アレク】

 

ブリュンヒルトで報告を受けたとき、アレクには誰が狭い航路を選んだのか分からなかった。

誰の具申だったのかは訊かなかった。航路が通っている。それで足りた。

 

「ミッターマイヤー艦隊、再捕捉!」

 

主スクリーンに高速艦群が現れた。

ミッターマイヤー艦隊は二本の退避航路の中間にいた。どちらが本物かを見抜いたのではない。どちらへでも最短で転じられる位置へ先に着いていた。

 

「読まれましたか」

幕僚が言った。

 

「違う。読む必要のない場所を先に取られた」

 

ミッターマイヤー艦隊が狭い航路へ進路を変える。

その転進で、敵総旗艦人狼(ベイオウルフ)への射線が一時的に開いた。

 

「敵総旗艦への攻撃路が開きます」

 

「予備を投入すれば、ミッターマイヤー旗艦へ撃沈判定を得られる可能性、六割から七割」

 

艦橋の空気が変わった。

メックリンガーが言った。

「先帝陛下なら、この機を逃されなかったでしょう」

 

ラインハルトなら、ミッターマイヤー艦隊の転進を逆用して総旗艦を取ったかもしれない。アレクもそう思った。

 

「予備を出せば、修理廠の護衛はどうなる」

 

「二割不足します」

 

「輸送能力七割を維持できる確率は」

 

「四割七分まで低下」

 

アレクは戦術図を見た。父なら迷わなかっただろう。だが数字は変わらない。

「ならば追わない。修理廠を通せ」

 

幕僚たちが皇帝を見る。

 

「余には両方を取れる確信がない。できるとして兵を出す気はない」

 

予備部隊の進路を修理廠側へ切り替える。

 

「ミッターマイヤー艦隊は追わない。明日も戦える方を取る」

 

命令が流れた。

 

青軍予備は移動修理廠の周囲へ展開し、防御線を作った。

赤軍の攻撃により、青軍後衛の損害は積み重なったが、移動修理廠は離脱線を越えた。

補充人員輸送群が続く。燃料輸送船の最後尾が撃沈判定を受けたところで、演習終了の音が鳴った。

判定が表示された。

 

戦術評価――赤軍優勢。

課題達成――青軍。

演習判定――青軍勝利。

 

勝敗はついた。ただし戦闘艦艇への損害だけを見れば、赤軍の方が明らかに上だった。

 

 

***

 

 

【同日 帝国軍総旗艦ブリュンヒルト・会議室 アレク】

 

講評はブリュンヒルトの会議室で行われた。

最初に口を開いたのはビッテンフェルトだった。

 

「先帝陛下なら、ミッターマイヤーの首を取りに行かれただろう」

 

非難する調子ではなかった。

ワーレンが答える。

「そして修理廠も通されたかもしれません」

 

「うむ。あのお方ならな」

ビッテンフェルトは青軍が離脱させた輸送能力の数字を見た。

「だが今上陛下は、できぬことをできるとは言われなかった」

 

修理廠の生還表示を指で叩く。

「撃てる敵将の首を捨てるには、突撃するのとは別の胆力が要る」

そして笑った。

「それでよい。父君と同じ皇帝陛下が二人もいては、俺たちの身体がもたん」

 

会議室に笑いが起きた。

参謀がヴェストファーレン艦隊の水雷戦隊の記録を開く。

「狭路を最初に具申したのは、新任のカーラ・ビッテンフェルト少尉とのことです」

 

「父親の名は戦果表には不要だ」

ビッテンフェルトは即座に言った。

「記録を見せろ」

言ってから、少し遅れて咳払いをした。

ワーレンが横から言った。

「不要なのではなかったのか」

 

「戦果表には、だ」

ビッテンフェルトは記録を受け取った。

「俺が読む分には問題なかろう」

 

ミュラーが笑いをこらえた。

「左様ですか」

 

「何だ、その顔は」

 

「何も申し上げておりません」

 

ビッテンフェルトは鼻を鳴らして記録を読み始めた。

ワーレンがその肩越しに言った。

「なになに……少尉から当直指揮官への意見具申、『まず殴りましょう』だと?」

 

ビッテンフェルトの目が止まった。

「……威力偵察のことだろう」

 

ミュラーがとうとう横を向いた。

 

ビッテンフェルトはそれ以上は何も言わず、続きを読んだ。

「退くために前へ出たか」

読み終えても、すぐには記録を返さなかった。

「俺とは似ておらんな」

口元が上がりかける。

「……だが、ビッテンフェルトではある」

 

ミュラーはパーツィバルの損害判定を確認していた。

白い旗艦は演習上、大破している。

「中央航路を保て、との御命令でした。パーツィバルを出したのは、私の判断です」

 

「卿の判断がなければ中央航路は保たなかった」

アレクは一拍置いた。

「よくやった、ミュラー」

ミュラーは一礼した。

 

メックリンガーが青軍四艦隊の航跡を戦術図へ出した。

「今日、陛下が命じられたのは、ミュラー元帥には中央航路、ワーレン元帥には右翼、メルカッツ大将には左翼、ヴェストファーレン中将には輸送群の離脱でした」

艦隊の航跡を順に示す。

「パーツィバルを囮にせよとも、退避路を二本残せとも、斜線陣を取れとも、狭い航路を選べとも仰せられていない」

四本の航跡が戦術図に残っている。

「命令は多くありませんでした。それでも四艦隊の判断は、すべて輸送群を離脱線へ通すことにつながった」

 

ミッターマイヤーが発言した。

「陛下は私を討つ機会を見逃されたのではありません。私を討つことより、作戦目標である修理廠を帰す方を選ばれた」

 

ビッテンフェルトが腕を組む。

「先帝陛下なら、お前の首を取り、修理廠も通されたかもしれん」

 

「そうかもしれん」

 

ミッターマイヤーは否定しなかった。

「だが陛下は同じ手を選ばれなかった」

 

ビッテンフェルトの口元が上がった。

「面白いではないか」

 

会議室の視線がアレクへ集まった。

 

「余には父の才はない。父と同じようには命じられない」

アレクは戦術図の艦隊航跡を見た。

「余に見えぬところは卿らに任せる。だが、何を守るかは余が決める。その責任は余が負う」

 

一拍置いた。

 

「これが余の指揮だ」

 

 

***

 

 

講評が終わり、元帥たちが退出した。ディートリヒ・ヨアヒム・フォン・メルカッツ大将だけが扉の前で止まった。

 

「陛下。反撃の御許可に感謝申し上げます」

 

「許可ではない」

 

ディートリヒが顔を上げる。

 

「斜線陣を選んだのは卿だ」

 

「しかし、陛下の御命令が――」

 

「余が命じたのは卿に左翼を任せることだ。卿の判断まで余のものにするな」

 

ディートリヒは答えなかった。深く敬礼し、その姿勢をいつもより少し長く保ってから退出した。

会議室にはアレクと演習結果が残った。

撃沈判定、損傷判定、離脱に成功した輸送船。アレクの指が一隻の艦名で止まった。

名を知っている艦ではない。演習なら表示が一つ増えるだけだが、実戦ならその下に乗員の名が続く。

指を離し、今度は離脱した修理廠と燃料輸送船、補充人員輸送船を見た。

六個艦隊の航跡はそれぞれ違っていた。それでも青軍の四本は、最後には同じ離脱線へ達していた。

 

 

***

 

 

この日の敵は戦術図の上にいた。

 

そのころ辺境では別の敵が燃料を積み、艦隊を整え、皇帝の動静をうかがっていた。

 

やがて辺境を訪れる若き皇帝を、そこで殺すために。




――「艦隊が来る前だから、燃料だけが見えてるんだ」

次回、『所見なし』

建国宣言まであと一話
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