銀河英雄伝説・次代篇 ~英雄の残光~   作:銀河の灯守

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第五十三話「開戦(後編)」(新帝国暦二十三年十二月)

【教国軍第一聖団〈ベローナ〉艦隊旗艦 ラスバッハ】

 

「逸脱は記録されました。ラスバッハ従聖将」

 

七つの光点が消えてから、しばらく経っていた。

艦橋の隅で、黒いカソックに緋の帯を締めた艦隊司祭の男が椅子から立っている。

記録具を閉じる音が、それまで彼がそこにいたことを艦橋に思い出させた。

 

「おう、好きにしろよぉ。皇帝サマをぶち殺しゃ、神サマも許してくれんだろぉ」

ラスバッハは振り返らなかった。

司祭は記録具を小脇に抱え、抱えてから、動かなかった。

 

「まだ何かあんのかぁ、司祭サマ」

 

「――あの皇帝ですが」

 

「あぁ?」

 

「名を憶える方です。従卒の名も、厨房の者の名も。一度聞けば憶えている。そういう作りの方です」

 

「便利だなぁ、そりゃ。で?」

 

「はい。たいへん便利です」

司祭は頷いた。

「ですから、憶えたものを下ろせません」

 

ラスバッハが振り返った。

「あのなぁ、司祭サマ」

椅子の背に肘を掛ける。

「二年前によぉ、俺は帝都で一遍つついてんだよ、皇帝サマを」

 

「存じております」

 

「そんな甘ちゃんには見えなかったぜぇ。……あれは簡単に折れねえよ」

 

「はい。折れません」

 

「じゃあ何の話だよ」

 

「折る必要がございません」

 

ラスバッハの笑みが止まった。

「……で?」

 

「あの方は今日も正しい判断をなさいました。卑怯者にはならない、と。その結果、旗艦直衛で残ったため本来なら死なずに済んだ者が死にました」

司祭は静かに言った。

「これからも、なさるでしょう」

 

「だから?」

 

「明日も、明後日も、その後も。……正しく判断なさる。そのたびに名前が増えます」

 

ラスバッハは椅子を回した。

「で? 何人でぶっ壊れんだよぉ」

 

「存じません」

 

「知らねえのかよ」

 

「はい」

司祭は一礼するようにわずかに頭を下げた。

「ですが、終わりません。戦争は始まったばかりです」

 

ラスバッハは笑うのをやめ、しばらく黙っていた。

「お前、俺より趣味悪くねえかぁ」

一拍置いた。

「本当に司祭サマかよぉ」

 

「恐れ入ります」

 

「褒めてねえよ」

 

司祭はもう一度、一礼した。

 

「お前、名前は?」

 

「ローデリヒ・フォン・グルックスブルクと申します」

 

「フォン、ねぇ。貴族が司祭ねぇ」

 

「元、でございます」

 

ラスバッハは少し笑った。

「あんたのおかげで俺ぁ少し神サマが好きになったぜぇ」

 

「それはようございました」

 

 

***

 

 

【新帝国暦二十三年十二月 旧・第七採掘航路 回廊結節点 トビアス】

 

撤収回廊は一本の細い管だった。

その細い管を、船団が数珠つなぎになって抜けていく。

損傷船、輸送船、補給船、戦闘艦。

一隻でも詰まれば、後ろが全部止まる。

その全部の交通整理を、トビアスはたった一つの管制卓から捌いていた。

 

連れてきた技術班は、電源車で送信塔を叩き起こして航路標識と中継系を復旧させると、最後の作業艇で船団へ戻っていた。

トビアス自身の管制艇だけは、塔の係留架に残してある。

管制が終わりしだい最後尾を追う――そのつもりだった。

 

「第四梯団、増速しろ。後ろが詰まってる! 第七、そのまま、そのまま――よし、抜けた! 次、損傷艦。ゆっくりでいい。俺が後ろを空けとく!」

彼の声はいつもの喋りの速さで、絶え間なく回廊に流れ続けた。

その声が切れ、トビアスの指が止まった。

「七つ、多い」

 

『何がですか』

クラインの声が返った。

 

「船だ」

 

管制卓の端に、七つの光点がある。

識別照会にはいずれも民間補助船の符号を返し、敵性表示は出ていない。

だが、トビアスの帳面にはなかった。

 

「俺が通した船と、これからこの結節を通す船を足しても七隻多い。こんな連中、回廊へ入れてねえ」

 

クラインが照合を始め、数秒が過ぎた。

『任務群の受入記録に該当なし。通過割当もありません』

 

「だろうな」

 

『識別符号そのものは有効な形式です』

 

「形式だけだ。偽物だよ」

 

『偽物とは申し上げていません』

 

「あ?」

 

『符号は本物です。由来がありません。形式を揃えるには発給の系列が要ります』

クラインの声は速くならなかった。

『それを七隻ぶん揃えられる相手だ、ということです』

 

「急ごしらえじゃねえってことか」

 

『はい』

 

七つの光点へ進路予測線を重ねると、ばらばらに見えていた線が、少しずつ一点へ集まっていく。

トビアスはその線の先を追った。

 

「おい」

 

そこに白い識別光があった。帝国軍総旗艦ブリュンヒルト。

 

「全艦、聞け。民間補助船を名乗ってる船に偽物がいる。七隻だ。ブリュンヒルトへ寄ってる!」

 

警告を飛ばすのと同時に、トビアスは七隻の識別を強制的に敵性へ切り替えた。

管制図の七つの光点が、一斉に敵性表示へ変わる。

警告を受けて、回廊内の何十隻かが同時に針路を微修正した。

表示の上では、数千隻の列が波のようにうねって見えた。

トビアスの卓には、この結節点をまだ抜けていない梯団が十以上残っている。

 

『ミュラー艦隊、直衛を締めます』

 

回廊を進んでいた巡航艦が針路を変えた。

二隻がブリュンヒルトの前後へ入り、その外側を戦艦群が固める。

七つの赤い光点が減速した。

 

「諦めるか?」

 

諦めなかった。七隻が一斉に向きを変えた。

トビアスが引き直した進路線は、ブリュンヒルトへも、その直衛へも向いていない。

線は回廊内の船列後方へ伸びていた。

 

「今度はどこだ」

 

答えはすぐに出た。船列の後方を、まだゆっくりと進んでいる救難艦。

識別番号を照会すると、カーラの船だった。収容者、四百二十名。

 

「そっちへ行くかよ」

 

『進路変更を確認しました。七隻すべて、救難艦へ収束しています』

 

トビアスは七隻の船体情報を呼び出した。照合できる正規艦籍はない。

だが外形と熱源分布から、おおよその装備は読めた。船首部に大きな機構がある。

 

「接舷装置か」

 

『その可能性が高いです。艦砲戦用の配置ではありません。近距離砲が二門見えますが、民間補助船が護衛用に積む口径です』

 

「撃ち沈める気じゃねえな」

トビアスは救難艦との距離を拾った。

「乗り込む気だ」

 

四百二十人を抱えた船に貼りつき、隔壁を破って中へ入る。

あとは人を並べればいい。何を要求するかまで考える必要はなかった。

皇帝は、すぐそこにいる。

 

 

***

 

 

【帝国軍総旗艦ブリュンヒルト・艦橋】

 

報告は輸送管制の回線から先に来た。

 

「七隻、後方の救難艦へ収束。接舷装備あり」

 

艦橋の空気が変わった。

戦域図の後方、細い回廊を進む船列の中に、一つだけ遅い光点がある。

 

「あの艦の収容者は」

アレクが訊いた。

 

「四百二十名。担架の患者を多数含みます。残りは避難民と現地行政府の職員です」

 

通信画面のミッターマイヤーは、しばらく何も言わなかった。

 

「ミッターマイヤー元帥」

アレクが画面へ向いた。

「余の艦を後ろへ回せ。奴らはもともと余を獲りに来ている」

 

『なりません』

答えは即座だった。

 

『陛下の艦が回廊で止まれば、その後ろが全部止まります』

 

アレクは口を閉じた。

この回廊で最も動かしにくい荷物は自分だと、この数時間で何度も言われていた。

 

『随伴巡航艦、後方へ回頭。救難艦を援護しろ』

ミッターマイヤーが命じた。

 

『随伴巡航艦、迎撃に入ります』

 

救難艦の左右を進んでいた巡航艦が旋回し、砲門が開く。

 

『射線が通りません!』

 

七隻は救難艦へさらに寄った。

救難艦そのものを盾にできる距離まで入り込んでいる。

 

『主砲、射撃不能。救難艦が被ります』

 

『ミサイルも駄目です。近すぎます』

 

一隻が救難艦の船腹を掠めるように抜け、戦域図の上で救難艦の光点が大きく揺れた。

 

『こちら救難艦。接触なし。新たな負傷者なし』

 

『無茶すんな、カーラ!』

 

『してない。されただけ』

 

七隻はもう大型艦の火力を恐れていなかった。

撃てない距離を、自分たちで作っている。

 

通信画面のミッターマイヤーが別の回線を開いた。

『ミュラー。このままでは接舷される。だが大型艦では撃てん』

 

『大きな艦で撃てないなら、小さいもので撃ちます。最寄りのワルキューレ一個隊。全機、出せ』

 

格納部が開き、十二の小さな光が次々と飛び出した。

単座戦闘艇ワルキューレ。大型艦よりはるかに小さく、はるかに小回りが利く。

 

だが、この回廊は戦うために造られた場所ではなかった。

岩塊が視線を切り、三十年前に捨てられた選鉱設備の骨組みが闇の中から不意に現れては、すぐ後ろへ消える。

本線の両側には、かつて採掘作業に使われた支線航路が複雑に枝分かれしていた。

 

隊長機は岩塊と廃設備の間を縫い、支線の分岐を一つずつ探った。

どの支線も似ている。岩塊の陰へ消え、別の場所で本線へ戻ってくる。

そのどこへでも七隻は潜り込め、出てくる先には四百二十人を収容した救難艦がいる。

 

七隻が散った。

 

 

***

 

 

【旧・第七採掘航路 回廊結節点 トビアス】

 

最初の一隻はすぐに支線へ潜り、ワルキューレ二機がその後を追う。

 

『見失った!』

 

「追うな!」

トビアスは怒鳴った。

 

『何だと』

 

「その先は三つに分かれてる! 中まで追ったら、どこから出るか向こうに選ばれる。出口へ回れ!」

管制卓に旧設備の配置を呼び出した。三十年前の旧航路図である。

支線と分岐、残存設備の位置が重ねて表示され、トビアスは死んだ設備を消して、生きている表示だけを拾っていった。

 

第三支線、通過検知あり。

第六支線、誘導器のみ生存。

第八支線、通過検知と速度計が生きている。

 

「使えるじゃねえか」

 

『何がですか』

クラインだった。

 

「爺さん連中だよ」

 

三十年前、この回廊は採掘資源の搬出路だった。

支線には通過検知器があり、搬出経路には速度と質量を拾う旧式の測定器が残っている。

採掘艇を本線へ導く誘導ビーコンも、いくつかはまだ生きていた。

 

どれも戦闘艇を探すための装置ではない。

分かるのは、いつ、どちらへ、どれほどの速さで、どれほどの大きさのものが通ったか、それだけである。

一つ一つなら、ほとんど意味のない古い数字だった。

だが、その数字がすべて集まる場所が、この回廊には一か所だけある。

トビアスはそこに座っていた。

 

第三支線の表示が明滅し、速度値が出た。

トビアスは採掘支線図に目を走らせ、分岐から出口までの距離を拾った。

 

「出口まで十八秒」

 

『敵影はありません』

 

「いまはいねえよ。ワルキューレ二番、第三支線の出口へ回れ。十八秒後に出る」

 

『根拠は』

 

「俺が言ってる」

わずかな間があった。

 

『了解』

 

二番機が追跡をやめ、機首を返した。トビアスは数字だけを追っていた。

 

十秒。九秒。

 

第三支線を進む反応は、速度を変えていない。

 

六秒。五秒。

 

「三」

敵艦の姿を見るより先に、トビアスが言った。

「出るぞ」

 

岩塊群の陰から敵小型艦が現れた。その進路上に、ワルキューレが待っていた。

光条が一本走り、敵艦の機関部が弾けた。

 

「一つ」

 

『当たった』

 

『管制。今の、どうやって出した』

 

「爺さん連中が教えてくれた」

 

『は?』

 

「後で説明する。次が来るぞ」

 

少し遅れて、隊長機の声が全機へ流れた。

『ワルキューレ隊、全機へ。以後、目標を追うな。管制の指定する支線出口へ先回りする』

 

『了解』

 

応答が重なった。別の敵小型艦二隻が、左右の支線へ散った。

 

『二隻います!』

 

「そっちは見るな!」

 

トビアスは二本の反応を並べた。

「右は遅い。第九支線の出口には間に合わねえ。左だけ押さえろ!」

 

ワルキューレが左へ切り、数秒後、二隻目が岩塊と廃設備の陰から姿を現したところを撃ち抜かれた。

三隻目は支線入口の誘導ビーコンを撃ち、管制卓から二つの表示が消えた。

 

「器用なことしやがるな」

 

トビアスは残った反応を探した。敵影はない。

だが第十一支線の質量検知だけが一度跳ねた。小型艦一隻ぶん。

 

「十一番。出口まで七秒」

 

『見えません』

 

「だから見なくていい!」

 

ワルキューレが指定された位置へ回る。

七秒後、岩塊の向こうから三隻目が姿を現したところを、待ち構えていたワルキューレが撃ち抜いた。

 

三隻。

 

 

***

 

 

【旧・第七採掘航路 回廊結節点 トビアス】

 

管制卓の端では、まだ撤収船団の通過表示が動いていた。

敵を追っているあいだも、そちらを止めるわけにはいかない。

 

「第九梯団、そのまま進め! 間隔詰めるな。救難艦、前を追わなくていい!」

 

『了解』

救難艦のカーラが応じた。

 

トビアスは船団の通過表を一度たしかめ、すぐに支線監視へ戻した。

一方では何千隻もの味方を詰まらせずに結節点へ通し、もう一方では古い検知器の数字から敵の現れる支線出口を割り出して、ワルキューレへ送る。

トビアスにとっては同じ仕事だった。どの船を、いつ、どこへ通すか。

 

「第十一梯団、あと二隻。急ぐな。詰めるなよ」

三秒後には、ワルキューレ隊への回線を開いた。

「ワルキューレ三番、十四番出口へ。そっちから一隻出る!」

 

味方を通しながら、敵の出る先を読む。

トビアスの声の速さは、どちらの回線でも変わらなかった。

 

四隻目はさらに上手かった。

十二番と十四番、二つの支線で通過検知がほとんど同時に入った。

 

『二つ反応! 十二番と十四番。両方か!』

 

トビアスは二つの数値を並べた。

「違う」

 

『何が』

 

「十二番は遅すぎる。あの速度じゃ出口まで来ねえ」

もう一方の数値を追う。

「何か流して検知器を鳴らしただけだ。十四番だけ見ろ!」

 

ワルキューレ隊が応じ、十四番支線から姿を現した四隻目が撃ち抜かれた。

 

七隻のうち四隻。残り三隻。

 

トビアスは額を袖で拭った。

梯団の通過表示は、まだ動いている。

 

「外周側の作業航路。質量が跳ねた。一隻出るぞ」

 

ワルキューレ隊へ座標を送った。

廃設備の陰から五隻目が現れ、待ち構えた二機の砲火が走って、船体が爆ぜた。

 

五隻。

 

トビアスは一度だけ椅子の背へ身体を預けた。

 

敵はあと二隻。

 

 

***

 

 

残った二隻はいったん救難艦から離れ、逃げるかに見えた。

一隻が採掘支線へ入り、もう一隻が大きく迂回して救難艦の後方へ回る。

 

「カーラ、後ろ!」

 

『見えてる!』

 

救難艦がわずかに針路を変えた。だが遅い。

四百二十人を収容した船である。戦闘艦のような急機動はできない。

 

野犬が追いついた。距離が詰まっていく。

 

『接舷装置、展開!』

 

敵艦の船首から腕のような機構が伸び、ワルキューレが救難艦の後方へ回り込む。

 

『撃てない! 敵艦の向こうに救難艦が重なっています!』

 

「別軸から回れないか」

 

『間に合いません!』

 

 

***

 

 

【旧・第七採掘航路 船列後方 救難艦 カーラ】

 

艦長と副長は、最初の数時間の砲撃で倒れていた。

二人とも、いまは担架の列にいる。

艦橋に残った士官のうち、階級がいちばん上なのがカーラだった。

 

下の格納庫には、傷の重い者から順に担架が並んでいた。

後方から敵艦が迫っている。回避を促す声も、さきほどから何度か飛んできた。

だがカーラは、大きく針路を変えなかった。

 

四百二十人の収容者のうち、百人以上が担架に固定されている。

固定具は付けてあるが、急な機動をかければ、接舷されるより先にこちらで死人が出る。

 

「担架、固定確認。動かさない」

 

それだけ言った。

外部映像には、後方から距離を詰めてくる敵艦が映っている。

船首から腕のような機構が伸びてくる。

 

 

***

 

 

【旧・第七採掘航路 回廊結節点 トビアス】

 

トビアスは旧設備の一覧を探った。

防爆隔壁。位置が遠い。

搬送設備。応答なし。

誘導標識。これでは止められない。

 

敵艦の接舷まで三十秒。

 

「くそ」

 

画面の端に、小さな表示があった。

 

係留架、一隻。管制艇。

 

トビアスの指が止まった。仕事が終わったらあれで船団を追う。

そのために一隻だけ残してある管制艇だった。

 

接舷まで二十二秒。

 

『トビアス、待て』

フェリックスの声だった。

『何をする気だ』

 

トビアスは管制艇の無人航行を起動し、係留を解除した。表示が緑へ変わる。

 

「ちょっと道を塞いでやるだけだ」

 

警護艦隊連絡席にも、係留解除の信号が上がった。

『待て。それは――』

 

「カーラ。右舷側へ三度」

 

『三度?』

 

「いいから!」

 

『了解!』

 

救難艦がゆっくりと進路をずらし、野犬もそれを追う。

トビアスは管制艇を発進させた。武装はない。

無人の小艇が係留架を離れ、岩塊と廃採掘設備の間を縫って、救難艦の後方へ走る。

 

十秒。

 

五、四、三。

 

管制艇が、敵小型艦と救難艦の間へ飛び込んだ。

敵艦が衝突を避けて進路を振る。

ほんの数度だったが、それで救難艦が射線から外れた。

 

「いまだ!」

 

ワルキューレの砲火が走った。

敵小型艦の船体が折れ、爆発が無人の管制艇を巻き込んだ。

二つの光が一つになって消えた。

 

六隻。残る敵は一隻。

 

救難艦は爆発の横を抜け、そのまま回廊の奥へ進んでいった。

数秒、誰も喋らなかった。

 

『トビアス』

フェリックスだった。

 

「ん?」

 

『いまの、お前の管制艇だろ』

 

「そうだな」

 

『お前、どうやってこっちに帰るんだ』

 

トビアスの卓では、係留表示が空になっていた。

「帰れねえな」

 

フェリックスは何も言わなかった。

トビアスは救難艦の収容者表示へ目を移した。四二〇。

 

「一人と四百二十だろ」

 

少し笑った。

 

「なんだよ。簡単な引き算じゃねえか」

 

『トビアス! この大馬鹿野郎!』

フェリックスの声は低かった。

 

「お前にだけは言われたくねえよ、フェリックス」

 

別の回線が開いた。

『トビアス』

アレクだった。

 

「はいよ」

 

『そこをすぐに離れろ。緊急艇を出す』

 

「了解。最後の救難艦を通したら戻る」

 

返事は早かった。帰るつもりでいた。

ただ、まだ仕事が終わっていない。

 

警護艦隊連絡席では、フェリックスがすでに緊急艇の運用表を開いていた。

「緊急艇二番。回廊結節点へ。トビアスを拾って戻ってこい。最短で行け。整備の都合は後で聞く」

 

『二番、発進します。結節点まで三分二十秒』

 

「急げ」

 

救難艦が最後の狭窄区間へ入った。残った野犬は一匹。

ワルキューレ二機がその姿を追い、残る十機は救難艦の周囲と、そこへ通じる支線出口を押さえている。

 

「カーラ、そのまま。あと四十秒」

 

『はい』

 

「前は空いてる。増速しなくていい」

 

『はい』

 

最後の野犬が採掘支線へ滑り込んだ。

ワルキューレ二機は追わず、救難艦側へ開く支線出口へ先回りする。

トビアスは残存する検知器を順に切り替えた。反応がない。

 

「どこ行った」

 

救難艦の船首が狭窄区間を抜けた。

岩塊と廃設備の間に開いた航路は、ここが最も細い。

今夜、数千隻がこの区間を一隻ずつ通り、一隻も詰まらなかった。

船首が抜け、船腹が抜け、そして船尾が抜けた。

 

管制表示が切り替わった。

――最終梯団、通過。

 

「カーラ」

 

『はい』

 

「四百二十、ちゃんといるな」

 

一瞬だけ間があった。

 

『全員無事』

 

「よし」

トビアスは笑った。

「数えきったぞ」

 

 

***

 

 

【教国軍第一聖団〈ベローナ〉艦隊旗艦 ラスバッハ】

 

盤の上で、野犬が六匹消えていた。

 

「終わりだなぁ、これは」

ラスバッハは肘掛けから顎を外した。

「まあ最初からバレてたもんな。

 レームぅ。残りの一匹、駄目元で突っ込ませろ。当たりゃ儲けもんだ」

言ってから、指が止まった。

「待てよ」

ラスバッハは盤へ向き直った。

「なあ。うちの犬、どうやって食われた」

 

「支線の出口です。六回とも、出た先で待たれていました」

 

「待たれてた、ねぇ」

喉の奥で短く鳴らした。盤の隅に、旧採掘航路の管制結節点が小さく灯っている。

「こっちが見えてもいねえのに当てられてんだよなぁ。上手いのが一人、座ってるぜぇ」

 

盤に置いた指を、その一点から動かさなかった。

 

「誰だか知らねえけどよぉ」

語尾が消えた。

「とりあえず聖赦しとけ」

 

 

***

 

 

【旧・第七採掘航路 回廊結節点 トビアス】

 

救難艦の識別光が管制区域を抜けていく。これで終わった。

あとは迎えに来る緊急艇に乗って、船団を追えばいい。

トビアスが椅子から立ち上がろうとしたとき、一つの表示が明滅した。

 

――旧保守支線、通過反応。

 

「ん?」

 

最後に残った敵小型艦が、救難艦とは反対側の支線出口から現れた。

だが救難艦を追っていない。進路予測線は逆方向へ伸びていく。

トビアスはその先を追った。

旧管制結節点。自分がいる場所だった。

 

「ああ」

トビアスは椅子の上で一度、天井を仰いだ。

「俺か」

 

『敵艦、進路変更!管制局へ向かっています!』

 

最も近いワルキューレ二機が反転した。

フェリックスの声が割り込む。

 

『トビアス!退避しろ!急げ!』

 

「管制艇、さっき使っちまったよ」

 

『いいから!早く外へ出ろ!』

 

トビアスは敵艦の到達予測へ、ワルキューレの到達予測を重ね、二つの数字を比べた。

回線の向こうで、ハインリヒが先に答えた。

 

『……間に合わん』

 

 

***

 

 

【帝国軍総旗艦ブリュンヒルト・艦橋】

 

「ハインリヒ」

フェリックスが振り返った。

「もう一回計算しろ。間に合うよな?」

 

「三度やった」

 

「もう一回やれ!」

 

ハインリヒは卓へ向き直り、数字を呼び出した。指が止まった。

 

クラインは自分の卓で、回廊結節点からの回線に保存を指定した。

指定を終え、卓から手を離した。

 

アレクが席を立った。

艦橋の誰も動かず、通信画面の向こうではミッターマイヤーが戦域図の前から動かなかった。

ミッターマイヤーは、何も命じなかった。

 

アレクは、自分で回線を開いた。

 

 

***

 

 

【旧・第七採掘航路 回廊結節点 トビアス】

 

『トビアス』

アレクが呼んだ。

 

「おうよ」

 

『外へ出ろ。救命服で待て。必ず拾う』

 

トビアスは管制室の扉を振り返った。

そこから気密区画へ出て装具を着け、外へ出るまでにかかる時間を頭の中で数える。

次に、敵艦の到達表示。

 

「……間に合わねえな、これは」

 

『トビアス』

 

「アレク」

 

少しだけ間があった。

 

「俺のこと、忘れないでくれ」

 

回線の向こうで、息を吸う音がした。

 

『忘れない』

 

「……そっか」

 

トビアスは少し笑った。

 

「じゃあ、もう一つ」

 

『何だ』

 

「いい皇帝になれよ」

 

『なる』

即答だった。

 

「そりゃよかった」

 

警報音が一段高くなった。

最後の一隻が射撃圏へ入り、ワルキューレはまだ届かない。

トビアスはもう敵を見なかった。管制卓の中央に、最後の表示が残っている。

 

――最終梯団、通過完了。

 

その下に、

 

――四百二十名。

 

トビアスは背もたれへ身体を預けた。

「……賭けは、俺の勝ちだ」

 

敵艦の船首に光が集まった。

 

光が来た。

 

 

***

 

 

数秒遅れて、最後の敵小型艦もワルキューレに撃ち抜かれた。七隻目だった。

敵小型艦七隻、すべて撃沈。戦闘はそれで終わった。

 

救難艦は進み続け、四百二十人は生きていた。

ブリュンヒルトも進んでいる。

撤収回廊に残った船は、もうなかった。

 

 

***

 

 

【帝国軍総旗艦ブリュンヒルト・艦橋】

 

通信画面の向こうで、ミッターマイヤーは戦域図の前から動かなかった。

 

「――全艦、回廊を出るまで速度を落とすな」

 

命令の声は、いつもと同じ速さだった。

 

フェリックスは開いたままの回線へ手を伸ばした。閉じる手順は知っている。

警護艦隊連絡席に着いた最初の日に覚えた手順で、指を二つ動かすだけで済む。

指が動かなかった。隣の下士官が一度こちらを見て、何も言わずに視線を戻した。

 

ハインリヒは二つの到達予測をもう一度呼び出した。敵艦と、ワルキューレ。

数字は変わらない。計算にも誤りはなかった。

三度目も、四度目も、そして五度目も答えは同じだった。

 

クラインは回廊結節点からの全送信を保存した。管制音声、発信位置、断絶時刻。

音声の全長は四十七分あった。彼はそれを一度も再生せずに保存し、最後に三行だけ残した。

――最終梯団、通過。

――四百二十名、確認。

――通過管制に、誤りなし。

 

 

***

 

 

【第一聖団〈マルス〉艦隊・戦闘司令部 シュタイガー】

 

「大勝にございます」

監察司祭の一人が言った。

盤上では帝国の船団が戦域から消え、七つの星系の灯が聖印の色に塗り替えられている。

「タナトス方面の帝国軍約五千もほぼ全滅、との報もありました」

 

「七つ獲った」

シュタイガーは盤から目を上げなかった。

「辺境警備網も潰した。……皇帝は獲れなかった」

 

回線がまだ切れていなかった。

『一つ、帝国にくれてやったものがあります』

メルゼブルクだった。

 

「何をだ」

 

『敵を、です』

 

盤の上の戦域は空になっている。

 

『帝国には二十年、敵がおりませんでした。敵のいない軍隊は眠ります。

 ですが今日から帝国の軍隊は目を覚まします。……あの若い皇帝は今日の借りを覚えて帰りました』

 

シュタイガーは稼働率の欄へ指を移した。

「……再編にかかる日数を出せ。明日の朝までだ」

 

「シュタイガー司令」

監察司祭が記録具から顔を上げた。

「本日を大勝と記してよろしゅうございますか」

 

シュタイガーは答えなかった。

盤の上で、七つの星系の灯が均等に瞬いていた。

 

「――記録は貴殿らの職掌だ」

 

それだけだった。

 

後世の史家はこの日の戦闘を〈建国の日の追撃戦〉と呼び、あるいは単に〈マーロヴィアの潰走〉と記す。

帝国軍の損害は甚大であった。

七つの星系が帝国から離れ、戦史の頁において、この一戦は帝国軍の敗北の欄に分類される。

 

皇帝の脱出を可能にしたものの一つは、帝国への反感であった。

巡察船団が運んできた燃料は現地で受け取りを拒まれ、そのまま船団に残されていた。

それが正規航路を捨て、旧航路を抜けるための命綱になったのである。

 

帝国の威信は皇帝を救わなかった。

帝国の不人気が皇帝を救った。

 

ただ幾人かの史家は、脚注にこう書き添えることを忘れなかった。

この潰走の退路を開いたのは疾風であり、守ったのは鉄壁と三脚架の殿軍であり――最後尾を通し切ったのは、開戦の二週間前に「所見なし」の判を受け取っていた一人の中尉であった、と。

 

 

***

 

 

士官学校のシミュレータの中の戦争は終わった。

撃沈されても人は死なず、負ければ判定が出て、最後には必ず灯りがついた。

 

そんな戦争は、もうどこにもなかった。

 

 

 

第一部(序章)『この静けさを、平和と呼んでいた』・了。




【次回予告】

戦争が始まった。

七つの星系が帝国を離れた。
辺境警備網は崩れ、若き皇帝は一人の友を失った。

帝国は知らない。
十一万隻という数字の、本当の重さを。

教国も知らない。
二十年間、国と戦ったことのない帝国軍が、敗北から何を学ぶのかを。
若き皇帝が、父の残光の届かぬ場所で何を学ぶのかを。

まだ戦火の届かぬハイネセンでは。
軍隊を持たぬ、自由の園では。
守るために何が残されているのか。
数え始めた者がいた。

人はいる。

だが船は消えた。
指揮する仕組みも消えた。

ならばそこから始めるしかない。

この街にはまだ人がいた。

かつて不敗の魔術師の下で艦隊を率いた男。
かつてその傍らで秩序を守り続けた参謀長。
そして――今は消えた国の軍隊で全作戦を預かった老将。

一人、また一人と戻ってくる。
かつて銀河を飛び回った撃墜王も、遠い空の下からハイネセンへ。

この街には畳んだまま二十年になる傘がある。
捨てようと言った者は、一人もいなかった。

帝国は戦い方を学ぶ。
教国は敵を学ぶ。
ハイネセンでは、誰かが傘の埃を払う。

この戦がどこへ行くのか。
まだ、誰も知らない。

次回、『銀河英雄伝説 次代篇 ~英雄の残光~』

第二部「この戦を、まだ誰も知らない」

――銀河の歴史がまた1ページ。


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本日23時に第一部の設定資料集を公開します。

幕間をいくつか挟んで第二部を開始予定です。

開始は9月11日頃の予定です。

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