一「ダスティ・アッテンボロー」
【新帝国暦二十三年十二月二十五日 バーラト自治政府・ハイネセン ハイネセン・ジャーナル編集部】
神聖黄金樹教国が建国を宣言した日だった。
正午、銀河中の公共回線へ同じ映像が流れた。
金色の樹の紋章が全回線を覆い、画面は聖都ラディークスの大伽藍へ切り替わった。
祭壇中央の玉座の前には白衣の聖王が立っていた。七人の枢機卿はその手前で玉座を内側に囲むように半円を作り、祭壇の脇には飾りのない小さな椅子が置かれている。
そこに座る『慈母司牧』という肩書の宗教指導者の床だけが、玉座より一段高かった。
建国文書を読み上げたのは『聖録院』なる教国機関を預かる枢機卿だった。
旧自由惑星同盟領の七星系が新国家の共同建国に加わったこと。
星系議会を復設し、百八十日以内に普通選挙を行って新たな議員を選ぶこと。
租税・産業・医療・社会扶助・地方行政・公共事業は議会の権限とする一方、信仰・聖録・教育・命名・婚姻・聖育・国家防衛・聖義については教団の裁可に服すること。
読み上げる声は祭文より行政文書に近かった。
議会に返された権限は多い。
それでも共和国ではない。
国家元首となる聖王がいる。その国家の根には選挙では動かせない教理と教団の中枢がある。
軍は『聖団』なる四つの軍集団と聖王直属の親衛艦隊から構成されていた。
それでも七星系は、その国へ入ることを選んだ。
数時間もすると戦闘速報が続々と入った。
まずタナトス星域。
教国側の発表では、聖王直属の親衛艦隊と交戦状態に入った帝国軍辺境警備隊約五千隻が全滅したという。
続いてマーロヴィア星域。
教国軍第一聖団約三万隻と、ミュラー元帥、ミッターマイヤー元帥の両艦隊、特務戦隊〈三脚架〉などからなる帝国軍約二万隻が交戦状態に突入。
教国側は、疾風ウォルフと鉄壁ミュラーを撃破し、帝国軍を潰走させ、皇帝アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラムは消息不明になったと発表した。
夕方には教国の戦勝放送が銀河中を埋めていた。砲火の中で崩れる帝国艦列と追撃する教国艦隊。
その上に〈建国の日の大勝利〉〈帝国軍主力撃破〉〈簒奪王朝の皇帝、消息を絶つ〉という文字が重なる。
さらに旧同盟領の全星系へ向けて、帝国から離れ自らの議会を取り戻せ、七星系に続けと呼びかけた。
「アッテンボロー。号外を出すぞ」
『ハイネセン・ジャーナル』の編集長が端末を手に、論説委員ダスティ・アッテンボローの席までやってきた。
「第一面だ。建国、七星系、タナトス、マーロヴィア。皇帝消息不明まで全部頼む」
「それを全部ここへ?」
「元提督だろ」
「今は新聞屋ですよ」
「だから頼んでる」
アッテンボローは原稿を開く前に自治政府へ取材回線をつないだ。
相手は事務総監のアレックス・キャゼルヌだった。新聞記者になってから何度も取材を申し込み、軍需や航路、物流、帝国との行政実務について話を聞いている。
今回も第一声は変わらなかった。
「アッテンボローか。今日は何を聞きたい」
「マーロヴィアとタナトスです。そっちで教国の宣伝放送以上のものを持ってませんか」
キャゼルヌは資料へ目を落とした。
「期待には沿えそうにない。タナトスでは帝国の辺境警備部隊が叛乱鎮圧のために戦闘状態に入ったが壊滅的損害を受けたらしい。マーロヴィアでは皇帝の巡察船団を護衛していた部隊が第一聖団の三個艦隊と交戦した。皇帝の所在をこっちから帝国政府に問い合わせたが、回答がない」
「つまり全銀河に流れてる放送と大差ないってことですか?」
「残念ながらな。帝国と教国が数万隻を動かして戦争を始めた。その近くにいるバーラト自治政府が、教国の宣伝放送より詳しい戦況をほとんど持っていない。それが現状だ」
皇帝の辺境巡察は前から公表されていた。
そこへ第一聖団三万隻が現れた以上、巡察中の皇帝殺害が狙いだったこと自体は誰にでも分かる。
アッテンボローは星図を開いた。
「自治政府では次をどう見てます?」
「まだそこまで整理できていない。皇帝の艦隊は甚大な損害を受けたものの、なんとか星域からの離脱には成功したらしい。現在は教国軍が追跡中だが、どの部隊が追っているかまでは確認できていない」
「教国は止まれませんよ」
「これだけ勝ってもか?」
「勝ったからです」
七星系の帰属。旧同盟領への離脱呼びかけ。タナトスでの大勝。マーロヴィアでの帝国主力艦隊の撃破。そして皇帝消息不明。
アッテンボローはそれらを一枚の画面へ並べた。
「今日やりたかったのは帝国軍に勝つことだけじゃない。帝国は旧同盟領を守れない。皇帝も倒せる。七星系はもう帝国を離れた。だから残ってる旧同盟領も続け。そこまで一日で見せるつもりだったんでしょう」
「皇帝を獲ったかどうかはまだ確認されていない」
「そうです。だから〈皇帝消息不明〉を繰り返してる。皇帝が元気な顔で放送に出たら〈ローエングラム朝が崩れ始めた〉から〈暗殺には失敗したが艦隊戦には大勝した〉へ戻る。ただの大勝ちです」
「十分すごいと思うがな。数で上回っていたとはいえ、あの疾風ウォルフと鉄壁ミュラーを正面から退かせたんだ」
「軍事的にはね。だが政治的には足りない」
アッテンボローはマーロヴィア星系から伸びる正規航路を見た。
第一聖団三万隻が正規航路側を押さえ、帝国軍は大損害を受けている。しかも皇帝の巡察には軍艦だけでなく民間船団も多数同行していた。
「……正規航路じゃないな」
「何がだ」
「皇帝の逃げ道です。あの包囲から民間船団まで抱えたまま抜けるのは無理でしょう」
「皇帝だけ高速艦で逃がす可能性は?」
アッテンボローは少し考えた。
「軍事だけ考えればあります。でも、たぶん帝国軍はやらない。いや、できない」
「なぜだ」
「憶えていますか。二十年前のシヴァ星域会戦ですよ。先輩も先帝ラインハルトの演説は訊いたでしょう。ローエングラム王朝の皇帝は兵士の背中に隠れて戦争をしない。卑怯者が至尊の座を占めることはない、って」
キャゼルヌの表情が変わった。
「……あれか」
「今上皇帝が民間船や負傷者を置いて自分だけ高速艦で逃げてみてください。教国が使わないはずがない。〈父の誓いを破り、民衆を捨てて逃げた卑怯者の皇帝〉で銀河中に流しますよ。実際にどういう事情だったかは後回しです」
アッテンボローは星図へ戻った。
「皇帝だけ先に逃がすのは軍事的には合理的でも政治的にはできない。船団ごと抜ける道を探すはずです。そう決めたなら役割もだいたい読める。たぶん疾風ウォルフが出口をこじ開けて、鉄壁ミュラーがその間に船団を通す」
現行航路を消して旧同盟時代の資料を呼び出した。
「待ってください。たしかあそこ、昔は採掘地帯だったな」
キャゼルヌが職員へ資料検索を命じた。まもなく古い航路図が送られてくる。
旧・第七採掘航路。
マーロヴィア星系からジャムシード星系へ抜ける廃止航路だった。
「これだ」
狭く大型艦隊の運用には向かない。中継設備も古い。それでも船団が通れるなら正規航路を塞ぐ第一聖団の裏へ出られる。三万隻の戦闘艦と補給部隊をまとめて追わせるにも向かない。
アッテンボローは建国放送で公開された教国軍の映像を呼び出した。第一聖団と第三聖団を左右に並べ、しばらく見比べる。
「第一聖団の艦じゃ、この先は追えないな」
「三万隻だからか?」
「それもありますが、編成が重い。逆に第三聖団は駆逐艦と高速巡航艦の比率がやけに高い。他より明らかに軽い。中でも、この〈メルクリウス〉とかいう艦隊。公開映像だけなら、追跡に回すのはこいつでしょうね」
第三聖団の建国時の所在を星図へ重ねた。
「ただ別の宙域にいる。建国宣言からすぐ回して旧航路へ入った船団を追わせても、間に合うかは怪しい」
キャゼルヌの後ろにいた自治政府の官僚数人が無言で画面を見つめていた。一人が第三聖団の艦隊映像を別の端末へ送り、駆逐艦と高速巡航艦の数を拾い始める。誰も口を挟まなかった。
キャゼルヌはすぐに航路諸元を開いた。
「旧航路の幅はどうだ。大型民間船を何隻ずつ通せる」
「今、そこを見てます」
「途中で補給できる場所は」
「期待しない方がいいでしょう」
キャゼルヌは巡察船団の資料へ移った。
「なら軍艦の速度で計算するな。民間船を基準に出せ」
アッテンボローは少し口元を緩めた。
「分かってますよ。一番遅い船の巡航速度をください。航路へ入れる程度に動ける船の最低で」
送られてきた数字に船団間隔と旧航路での減速を加えた。
「四日」
「何が?」
「今日中に入れたとしてジャムシード星系まで四日くらいです。そこから皇帝だけ急がせれば帝都まで十日前後」
「では教国には十四日ある?」
「ないですよ。四日です。皇帝がジャムシードへ出て生きてる映像を一本流せば、〈皇帝消息不明〉は終わる」
アッテンボローは〈四日〉という字を星図の脇に書いた。
「教国はこの四日で皇帝を見つけたい。無理なら消息不明のうちに政治的な利益を取る。旧同盟領への放送はもっと増えるでしょう。七星系に続くところが一つでも出れば、皇帝を逃がした失敗を別の勝利で埋められる」
「バーラトも対象になるか」
「政治的には最初から。ただ、すぐに殴ってくる可能性は低い。教国がバーラトを攻撃した瞬間に〈旧同盟の人間は自由意思でこちらへ来い〉という宣伝が壊れる。今はこっちを脅すより、帝国から離れる実例として使いたいはずです」
「つまり、教国にとっては、少なくとも今はバーラトを撃つ利益が薄い、と」
「そうです。信用できるかどうかとは別ですが、当面の行動を読む材料にはなる」
アッテンボローは帝国側の配置へ画面を切り替えた。
「帝国もすぐ七星系を取り返しには来ません。いま最優先なのは皇帝です。生きてるなら確保して生存を公表する。安全圏まで戻す。反攻も七星系奪還もその後でしょう」
第一聖団が旧航路を見つけても、その編成のまま奥まで追うのは難しい。
第三聖団を追跡に回した場合、旧航路まで移動にも時間が要る。
帝国側は当面は艦隊決戦よりも船団の離脱と遅滞戦を優先するだろう。
そこまでアッテンボローが話したところで、通信画面の向こうのキャゼルヌの返事が少なくなっていることに気づいた。
「……キャゼルヌ先輩?」
「そのまま続けてくれ」
「いや、記事に必要なところはもう――」
いつのまにか通信画面の向こうに人が増えていた。
最初はキャゼルヌの机の周囲に数人いただけだったはずが、いまは壁際まで自治政府の官僚たちで詰まっている。
椅子を置く余地も人が通る隙間もない。
外政、交通、危機管理、経済、通信。
後ろの者は前の肩越しに画面を覗き、前列では何人も立ったまま、アッテンボローの話を聞きながら端末や紙へ書き込んでいた。
旧第七採掘航路を別画面へ転送する者。〈四日〉を囲む者。帝国側と教国側の予想行動を左右に分けて記録する者。
誰も笑っていなかった。
「……何やってるんです、あんたたち」
キャゼルヌが眼鏡を押し上げた。
「お前の話を聞いている」
「取材を申し込んだのはこっちですよ」
「途中から逆になったな」
そのときキャゼルヌのすぐ後ろにいた男が手を上げた。危機管理部門の腕章を付けている。
「アッテンボローさん。一つ、よろしいでしょうか」
「……何でしょう」
「四日後になっても皇帝の生存を確認できなかった場合、われわれは次に何を見ればいいですか」
アッテンボローはキャゼルヌを見た。
「キャゼルヌ先輩。これ、号外の取材ですよ。いつからおれが自治政府の情勢分析までやることになったんです?相談料は高いですよ」
いつもならこの男の軽口に何か返ってくる。
このときは誰も笑わなかった。笑う余裕がなかった。
質問した男は端末を胸の前に抱えたまま返事を待っていた。その後ろでは別の職員が肩越しに画面を見ている。
前列の机には〈四日〉〈ジャムシード〉〈皇帝生存確認〉の文字を出した端末が幾つも並んでいた。
アッテンボローは口元に残っていた笑いを消した。
「……四日たって出てこなくても皇帝が死んだとは決めつけないでください。まず、教国軍がどの部隊を追跡へ回したかを見る。艦隊編成が公開映像どおりなら第三聖団が動く可能性が高い。あれがこちらへ寄ってくれば、教国はまだ皇帝を追うつもりだと見ていい」
男が顔を上げた。
「動かなければ?」
「そこで理由を考える。皇帝の死を確認したのか、追いつけないと判断したのか、別の目標を優先したのか。艦隊の動きだけじゃなく放送も一緒に見て突き合わせてください。片方だけじゃ駄目です」
男がすぐに書き始めた。
隣にいた女性の官僚が続いて声を上げた。
「教国軍が何隻バーラトへ向かってきたら、危険と見ればいいでしょうか?」
アッテンボローはまた冗談で返しかけた。
女性は筆記具を強く握ったままこちらを見ていた。祈るような目だった。
後ろの者たちも同じだった。
「……艦隊の数じゃない。補給を見てください。給油船、工作艦、修理部品、航路管制要員。教国が旧同盟領へ放送を流してるだけなら、まだ政治戦です。戦闘艦が多少こちらへ動いても示威の可能性が高い。でも七星系からバーラト方面へ補給拠点を作り始めたら話が変わる。それは一度飛んでくるだけの準備じゃない。腰を据えて戦う準備です」
女性は一字も落とさないように入力していた。
「帝国軍の動きも一緒に見てください。皇帝が戻れば帝国は反撃を考え始める。教国軍だけ見ていたら駄目です。両軍の補給線がこっちへ寄ってきたら、たとえバーラトが目的地じゃなくても危険になる」
そこで言葉を切った。
画面の向こうを改めて見る。
外政、交通、危機管理、経済、通信。壁際にはもう人が並ぶ場所もなく、入口の外から首を伸ばして聞いている者までいた。
誰も笑わなかった。
男も女も端末を開いたまま、こちらを見ている。
前列の一人は入力する手まで止めて見つめている。
本当に次のアッテンボローの言葉を待っていた。
「……ちょっと待ってください。キャゼルヌ先輩。この人たち、本気でおれに聞いてるんですか」
キャゼルヌは少し黙った。
「本気だ」
アッテンボローの顔から表情が消えた。
「おれは新聞記者ですよ」
「知っている」
キャゼルヌは背後を見た。
「交通畑の人間はお前より航路を知っている。外交畑の人間は七星系の政治状況を知っている。経済畑の人間なら港で何トン動いたかまで出せる。だが、それを一枚の星図へ載せて、四日後にどこで艦隊が動き、どこで政治が動くか読む人間がいない」
自治政府に軍隊がないことはアッテンボローも知っている。
だが周辺で数万隻の艦隊が動き始めた日に、その動きを一続きに読む人間まで国家の側にいないとは考えたことがなかった。
キャゼルヌは小さく息を吐いた。
「二十年、これはこっちの所管じゃなかった。帝国がやっていた」
立錐の余地もないほど集まった官僚たちへ一度目をやった。
「だから担当も人もいない。これが現実だ、アッテンボロー」
通信が切れた。
***
アッテンボローはしばらく暗い画面を見ていた。
号外では皇帝死亡とは書かなかった。タナトスの損害も教国発表と明記した。
七星系の見出しには一度、
〈旧同盟領七星系、神権国家への帰属を選択〉
と打った。
二秒ほど見て消した。
代わりに、
〈旧同盟領七星系、神聖黄金樹教国への帰属を表明〉
とする。
二十年以上前まで七星系の住民は同じ国の市民だった。だが自由惑星同盟はもうない。いまもハイネセンと同じ答えを選ぶ義務など彼らにはなかった。
それでも議会を求めながら共和国を求めず、帝国を離れながら聖王を受け入れたことには驚いた。
帰属を歓迎する住民の声。議会再開と治安改善の報告。反対派の存在。意思決定手続の未確認部分。
それだけを並べて評価は書かなかった。
号外を校了すると社内記事庫を開いた。
検索欄へ〈非武装〉と入力する。
二十年近く前に自分が書いた論説が出てきた。
〈二度目はない〉
救国軍事会議の経験を踏まえ、軍人が国家を救ったという事実は、その軍人に統治する資格まで与えないと書いてある。
戦場での功績を政治権力へ換えることを認めれば、民主共和政は危機のたびに主権を軍人へ預けることになる。
いま読んでも、そこを直したいとは思わなかった。
その先で手が止まった。
記事には当時寄せられた反対意見も残っている。
〈軍を持たない国家は、隣国の善意を国防計画へ組み込むことになる〉
その下で自分は、軍隊そのものが政治への誘惑になることや、旧同盟が戦争によって民主政治を痩せさせたことを書いていた。
バーラト自治政府が同じものを作り直す理由はないとも書いている。
二十年前の自分の意見だった。
今でも間違いだとは思わない。
ただ、批判には答えていなかった。
「……載せただけだ。何も答えちゃいない」
『軍が政治を持ってはいけない。
ゆえに軍そのものを持たない』
二十年前の自分は、その〈ゆえに〉をほとんど一足で渡っていた。
帝国は二十年以上、バーラトの自治と非武装を守った。政策は長く機能した。
今日の戦争を見て過去の判断まで誤りだったと片づけるのも違う。
ただ条件は変わった。
旧同盟領の星系はいずれハイネセンと同じ方向を見る。
どこかでそう思っていたのも自分だった。
実際には七星系が別のものを選んだ。
二十年前の人間に、二十年後の住民がどんな国を選ぶべきか命じる権利はない。
なら、二十年前の自分が出した答えもそのまま未来へ渡せるものではない。
記事を書き直すにはまだ早かった。
アッテンボローは古い論説を閉じた。
その横にはキャゼルヌとの通信中に作った星図が残っていた。
マーロヴィアからジャムシードまで四日。
そこから帝都まで十日。
教国軍。
帝国軍。
そして軍隊を持たないバーラト自治政府。
アッテンボローは帰り支度をせず、もう一度星図を開いた。