【新帝国暦二十三年十二月末 バーラト自治政府 ハイネセン 事務総監室 キャゼルヌ】
神聖黄金樹教国からバーラト自治政府に特使派遣の打診が届いたのは、正午に建国宣言が行われたその日の午後だった。
宣信院宰スアーダ枢機卿を聖王全権特使として派遣したいので、受入れの可否と必要な手続を知らせてほしいという。
自治政府は関係部局へ照会を回し、帝国の高等弁務官府にも判断を求めた。
だが、建国宣言と同じ日に起きた戦闘で皇帝は消息を絶っている。弁務官府から返ってきたのは、本国へ照会はするが、いつ回答できるかは約束できないというものだった。
数日後、その回答を待っているうちに、教国の特使団がハイネセン星系の外縁へ現れた。
***
「もう一度言ってくれ」
キャゼルヌは言った。
交通管制局の職員が航路図を拡大した。
管制境界のすぐ外側に、六つの識別表示が並んでいる。
先頭は教国政府の特使船だった。その後ろに巡航艦級の軍務連絡艦が一隻、さらに四隻の駆逐艦級艦艇が護衛についている。
キャゼルヌにはその船影に見覚えがあった。
旧自由惑星同盟軍の駆逐艦である。
船体は灰色に塗り直され、同盟の徽章も艦名も消えていた。その代わり、艦首には黄金樹の徽章が入り、教国式の番号が振られている。
いまでは『聖列艦』と呼ばれていた。
「建国宣言の日には『特使を派遣したい』という話だったよな」
フレデリカが照会文を開いた。
「はい。受入れの可否について回答を求める、とあります」
「……まだ返事してないぞ」
六隻は境界を越えず、識別信号と入域許可の要求を送ったあとは停止したままだった。火器管制用の照射もない。
そこだけは妙に行儀がよい。自治政府の対外連絡局は外交案件として扱うべきだと言い、内務局は警戒を求め、交通管制局は規則違反はまだないと報告していた。
キャゼルヌは三つの報告を順番に見てから机へ戻した。
「で、誰がまとめるんだ」
答える者はいなかった。
キャゼルヌは船団表へ目を戻した。
「補給も来ているのか?」
「給油船、工作艦、大型輸送艦の随行は確認できません。後続も確認されていません。教国圏七星系側の航行情報にも、バーラトへ向かう補給船団や臨時の中継艇の展開は出ていません。アッテンボロー氏が確認するよう言っていた項目は調べました」
あの日、キャゼルヌもアッテンボローの言葉を聞いていた。
戦闘艦の数より、その後ろに何が続いているかを見ろ。
やがて教国側から乗員名簿が届いた。
「聖王全権特使、宣信院宰スアーダ枢機卿。軍務随員――第二聖団司令、コンラート・フェルディナント・ベーレント聖将」
フレデリカが読み上げた。
『院宰』というのは、帝国の『尚書』に相当する役職らしい。
キャゼルヌは対外連絡局が集めてきたベーレントの経歴を端末から呼び出した。『第二聖団』なる軍集団で何をしているかまでは分からないが、旧帝国軍時代の勤務歴には兵站、製造、輸送、行政が目立つ。
前線の艦隊指揮を歩いてきた軍人ではなさそうだった。
「兵站屋らしい男まで来てるのか」
「その経歴どおりの人なら、ですけど」
「ああ。だから安全だとは言わん。ただ、兵站を知ってる人間がこの船団で来てるなら、それも判断材料だ」
キャゼルヌは通信端末へ手を伸ばした。
「ユリアンを呼んでくれ」
***
ユリアンが着くまでにも、教国側は識別番号、乗員数、武装状態を自分たちから送ってきた。
許可が出なければバーラト星系の境界外で待ち、入境を拒否されればそのまま帰るという。
「建国宣言の日に受入れを聞いてきて、数日でこちらの玄関前か」
フレデリカが発信時刻と航行所要時間を照らし合わせた。
「少なくとも、こちらの回答を待ってから出発したわけではありませんね」
「厚かましいくせに、妙に礼儀正しいな」
ユリアンは傘の会から直接政府庁舎に来たらしく、受付でもらった臨時入館証を上着につけていた。
事情を聞くとまず船団構成と補給関係の資料を読み、ベーレントの軍歴を確認した。
「ユリアン、どう見る」
「少なくとも今はバーラトで軍事行動を始める準備をしているようには見えませんね。ベーレントという人についての分析が合っているなら、なおさらです」
「示威か?」
「その意味はあると思います。でもそれだけならスアーダ枢機卿本人まで来る必要はないでしょう。軍艦を見せれば十分です。何かを伝えたいのと、こちらがどう反応するか見たいのと、両方かもしれません」
そのとき交通管制局からスアーダ本人が短い声明を送りたいと連絡が入った。
壁面に映ったスアーダは暗色の衣服をまとい背後にも宗教的な飾りをほとんど置いていなかった。
『予定より早い到着となりましたことを、お詫び申し上げます。皆様のお返事を急がせるつもりはございません。受け入れていただける場合に、移動のためさらに日数を頂戴しなくて済むよう、先にこちらまで参りました。許可をいただけなければ境界は越えませんし、お断りになるのでしたら、このまま帰ります』
通信が切れると、キャゼルヌは腕を組んだ。
「玄関口でインターホンを鳴らしてから『急がせるつもりはありません』だと?さすがに無理があるだろう」
「急がせてはいない、とは言える形にしてありますね」
「嫌な連中だ」
それでも決めるのはバーラト側だ、という形だけは崩していない。
だが軍艦が玄関先にいれば、平時と同じ速さで考えてはいられなかった。
帝国高等弁務官府からの回答もようやく届いた。武装艦艇を管制境界内へ入れることには同意しないが、外交使節船一隻については自治政府の権限で判断してよいという。特使船だけが境界を越え、星系外縁の指定待機宙域まで進むことになった。
これは臨時の待機許可であり、自治政府として正式なハイネセン訪問を認めたものではない。
ベーレントの軍務連絡艦と四隻の聖列艦は境界外に残り、教国側はその条件をほとんど即答で受け入れた。
「そこはあっさり引くんだな」
ユリアンは境界の外で動かない五隻を見た。
「最初から軍艦を星系内に入れることが目的ではなかったのでしょう」
***
【ハイネセン星系外縁 第二聖団軍務連絡艦 ベーレント】
スアーダの特使船が管制境界を越えてもベーレントの艦は動かなかった。
四隻の聖列艦も所定の位置を保ち砲門を閉じたまま星系外に残っている。
ベーレントが見ていたのは、遠ざかる特使船ではなかった。
艦橋中央の画面には、バーラト側による教国艦の捕捉時刻、識別要求、最初の応答、自治政府側で応答した部署が切り替わった順序、入域条件が示されるまでの時間がすべて並んでいる。副官が最新の記録を加えた。
特使船のみ指定待機宙域への進入を許可。軍務連絡艦と聖列艦四隻は境界外待機。
ベーレントは、要請を受けてから回答が出るまでの時間も記録させた。
一つ前の項目を開く。
バーラト側は、教国側に給油船、工作艦、大型輸送艦の有無まで確認し、後続船団がないことも調べていた。
「時刻は取れていますか」
「おおよそは」
「では、おおよそと書いてください」
副官は入力を終えると、別の欄を示した。
部署ごとに回答が分かれてきたことから、自治政府には軍事情報を一元化する部署がないのではないか、と付記してある。
「これは?」
「推定です。評価に入れるべきかと」
「入れません」
ベーレントは画面を指した。
「部署ごとに回答が分かれた。それは確認できた事実です。一元化する部署がない、は我々の推定でしょう」
副官が一行を移しかけた。
「事実と評価を混ぜないでください。確認できないものは『未確認』としてください」
到着日時の合意もないまま六隻の外国艦が現れたとき、この国は何分でそれを見つけるのか。どこへ連絡し、何を調べ、どこまで自分で決め、どこから帝国へ訊くのか。
それだけでも、かなり拾えた。
副官が確認リストの一覧を見た。
「まだ、かなり残っています」
「当然でしょう。一日で一国の軍事情報を調べ終えられるなら、我々は要りません」
ベーレントは次の項目を開いた。
「未確認であることも、記録です」
***
【自治政府庁舎 キャゼルヌ】
その日の午後、指定待機宙域に入った特使船とのあいだで、通信モニター越しの予備協議が行われた。
自治政府側からは評議会、対外連絡、内務、交通関係の担当者が出席し、教国側からはスアーダと数名の随員が参加した。
話したのは、正式訪問までの連絡方法、武装艦艇の扱い、民間船や遭難者が出た場合の緊急通信経路、それに今後の外交窓口くらいだった。
政策上の要求も、領土や軍事に関する提案も出なかった。スアーダは、改めて受入れ手続を整えたうえでハイネセンを正式訪問したいと述べた。
それで予備協議は終わるはずだった。
『自治政府の皆さま。もう一つだけ、お願いしてもよろしいでしょうか』
退出の準備を始めていた者たちが画面へ目を戻した。スアーダは少し間を置いた。
『フレデリカ・グリーンヒル・ヤンさんと、ユリアン・ミンツさんに、個人的にお目にかかる機会をいただきたいのです』
フレデリカが顔を上げた。ユリアンも隣でスアーダを見た。
「政府間協議とは別に、ということでしょうか」
『はい』
「目的を伺っても?」
『ヤン・ウェンリー元帥に関することです』
フレデリカが画面を見直した。
スアーダは続けた。
『秘密のお話をしたいわけではありません。面談の内容は、終わったあと自治政府の皆様へすべて共有していただいて構いません。記録を取っていただいても結構です』
「では、なぜ政府への説明ではなく、お二人に?」
『政府への説明より先に、私人としてのお二人へ申し上げたいことがあるのです』
『元帥をもっとも近くで失われたお二人に、まず直接お話ししたいと思いました。政府に先に説明して、その記録がお二人へ届く、という順番にはしたくありませんでした』
コーツはフレデリカを見た。スアーダはさらに付け加えた。
『もちろん、お二人がお望みでなければ、この件についてはここで終わりにいたします。正式訪問の手続だけ整えます』
キャゼルヌが口を挟んだ。
「そこまで言われると、断ったら断ったで気になるんですがね」
画面の向こうで、スアーダが申し訳なさそうに眉を下げた。
『まあ。困らせるつもりはなかったのですが』
「そこも本当なんでしょうね」
『ええ』
フレデリカがユリアンを見た。ユリアンは少し考えてから、うなずいた。
「キャゼルヌさん。僕は構いません」
「私も」
フレデリカが答えた。
自治政府側は、敵国の特使船へ二人だけで出向かせることには同意しなかった。キャゼルヌが同行することになった。
スアーダは異議を唱えなかった。
『もちろんです。お二人に直接お話しできるのであれば、それで十分です。お二人がよろしければ何人でもいらしてください』
***
【神聖黄金樹教国特使船・応接室 ユリアン】
スアーダは、ユリアンが想像していたより小柄だった。扉が開くと自分から立ち上がり、フレデリカ、ユリアン、キャゼルヌの順に挨拶した。
「お越しいただき、ありがとうございます」
通信で聞いたときより、声は柔らかかった。応接室は簡素で、黄金樹の紋章も壁に小さなものが一つあるだけだった。
スアーダは席を勧める前に言った。
「まず、お二人にお渡ししたいものがあります」
別の扉が開いた。秘書官が二人入り、低い台車を卓の脇へ止めた。
載っていたのは、何冊もの厚い冊子と二つの記録媒体だった。本冊だけでも数冊ある。
その下には番号を振られた別冊が並び、一覧を見ただけでは終わりが分からなかった。
フレデリカの視線がそこへ止まった。
「これは?」
スアーダは答えた。
「地球教によるヤン・ウェンリー元帥暗殺事件について、私どもが確認できた記録のすべてです」
フレデリカは冊子を見たまま動かなかった。
スアーダは一番上の本冊へ手を置いた。
「本冊には調査の経緯と、現時点で確認できた指揮系統をまとめています。別冊は証言と照合資料です。裏づけの取れなかった証言や、複数の証言が食い違うものも分けて残しました」
フレデリカが訊いた。
「すべて、地球教の記録ですか」
「いいえ。残存記録だけでは足りません。生存者への聞き取り、旧フェザーン側の記録、民間航路の履歴、当時の通信記録なども照合しています」
「どこまで調べたんです」
ユリアンが訊いた。
「我々の調査が及ぶ限り、全員です」
スアーダは答えた。
「実行者を運んだ船の乗員、その所属組織の人員、親族や知人すべてまで調べています。その人物が何を知っていたか、知らなかったかも分けました。直接計画へ参加した者だけでなく、事前に計画を知っていた者、断片的に知りながら何もしなかった者、計画を知っていた可能性がある者も調査対象から外していません」
キャゼルヌが冊子の山を見た。
「ずいぶん広く拾ったんですね」
「どこからが犯罪で、どこからが臆病や怠慢にとどまるのか。それを、調査する側が先に決めるべきではないと思いました」
スアーダは別の冊子を示した。
「主要な実行者と指揮者の多くは、すでに死亡しています」
ユリアンは何も言わなかった。
「計画を主導した地球教大主教のド・ヴィリエも、もう裁判にかけることはできません」
その名を口にしてから、スアーダはユリアンを見た。
「ミンツさんが、あの場におられたことも承知しています」
「ええ」
スアーダは先へ進んだ。
「生存している者もおります。バーラトの司法当局が刑事手続上必要として正式に引渡しを求める者には、教国は応じます」
フレデリカが訊いた。
「条件は?」
「ありません」
スアーダは即答した。
「交換を求めません。相互主義も求めません。教国側での免責を条件にすることもありません。教国の国民であることを理由に拒むこともしません」
「こちらで、刑事責任がないと判断される者もいるかもしれません」
「それは皆様の法と手続でお決めください」
「教国で先に裁くつもりは?」
「この事件については、被害を受けた側が手続を望むのであれば、それを妨げる理由はないと考えています」
スアーダは立ち上がった。
フレデリカとユリアンもつられて姿勢を正した。
「私どもの母体である『テラ・マーテル』という団体は、かつての地球教とは異なる団体です。あの組織の名を継いでもおりません」
テラ・マーテル。その名はバーラト側の資料にも残っていた。
地球教が滅びたあと、残党が名乗った教団で、旧い地球の言葉では〈母なる地球〉を意味する。教国は地球教の後継を名乗っていない。建国宣言でも、旧地球教を〈母の名を騙り、人を殺めた者たち〉と切り捨てていた。
それでも、テラ・マーテルが地球教徒の残党から生まれ、いまの教国の母体になった事実は残る。
スアーダは二人を順に見た。
「ですが、私たちはそこから人を受け取りました。記録を受け取りました。財も、知識も、残された多くのものを受け取っています。でしたら、ヤン・ウェンリー元帥の暗殺だけを、滅びた別の組織がしたこととして切り離すべきではないと、私は思っています」
フレデリカは何も言わなかった。
「後日、神聖黄金樹教国として、正式に謝罪と弔意を申し上げます。その前に、テラ・マーテル教団に属する者の一人として、お二人へ先に申し上げておきたかったのです」
スアーダは頭を下げた。
「本当に申し訳ありませんでした」
キャゼルヌまで口を挟まなかった。
フレデリカが先に声を出した。
「……頭を上げてください」
スアーダはゆっくり顔を上げた。
「報告書は受け取ります。内容を確認して、必要なら自治政府として手続を取ります」
「はい」
「謝罪については――」
フレデリカはそこで止まった。
「今、私一人がお返事することではありません」
スアーダはうなずいた。
「当然だと思います」
「元帥一人の事件でもありませんから」
「はい」
それ以上、フレデリカは言わなかった。ユリアンは冊子へ目を落とした。
「この調査は、いつから始めたんですか」
「建国を決めるより、ずっと前からです。テラ・マーテルの内部で始めた調査でした」
「私たちに渡すために?」
「いいえ」
スアーダは首を振った。
「自分たちが、何を継いだのか知るために調べました」
スアーダはそこで口を閉じた。
「……いえ。正確ではありませんね」
ユリアンが顔を上げると、スアーダは卓上の報告書を見ていた。
「私自身が、知りたかったのです」
「元帥の暗殺について?」
「はい」
スアーダはすぐには続けなかった。
「私が教団へ入ったのは、ヤン元帥が亡くなられた後です。直接お会いしたこともありません。
ただ、この調査に私個人の思いがまったく入っていなかったと申し上げれば、それは嘘になります」
ユリアンは彼女を見た。
フレデリカも何も訊かなかった。スアーダも、その話には戻らなかった。
***
一度、茶が入れ直された。報告書は卓の端へ移されていた。
やがてスアーダがユリアンへ向き直った。
「ミンツさん。もう少しだけ、個人的なことを伺ってもよろしいですか」
「はい」
「答えにくいことは、そのままにしてください。今日のあなたは自治政府を代表してここにいるわけではありませんから」
ユリアンは少し苦笑した。
「外部有識者、だそうです」
「分かりやすくて助かります」
スアーダも笑った。
「帝国との戦争が終わったあと、ミンツさんはどうなさるおつもりだったんですか」
「軍人を続けるつもりでした。そのうち歴史を勉強したいとは思っていましたけど、まずは軍人を続けるんだろうと思っていました」
「それでしたら、バーラトに軍隊が作られなかったときは、少し困られたでしょう」
「困りはしました。でも、自分が軍人を続けたいから軍隊を作ってくれとは言えませんから」
「ええ。それはそうですね」
スアーダは茶に一度だけ口をつけた。
「軍隊を作ること自体に反対だったわけではない?」
「そういうことでもありません。必要かどうかは、この国が決めることだと思っていましたから」
「自分が軍人を続けたいかどうかとは、別に考えていた?」
「ええ」
「今もですか?」
ユリアンは少し考えた。
「二十年前と同じ状況ではなくなった、とは思っています」
「教国ができたからでしょうか」
「それより戦争が始まったからです」
「そうですね。国が一つ増えただけなら、軍隊の話にはなりませんものね」
スアーダはそれ以上言わなかった。
「もう一つ、昔のお話を伺ってもいいでしょうか。軍を離れたあと、政府へ入る道もあったと思うのですが、そちらを選ばなかったのはなぜですか」
ユリアンは茶器から目を離した。
「……順番が逆になる気がしたんです」
「順番?」
「まず必要な仕事があって、そのための制度ができる。そのあとで誰を置くか決めるべきでしょう。最初に私の名前があって、そこから役職を作るのは違うと思いました」
「ご自分の居場所を作ってもらうために、制度を作らせたくなかった」
「そこまで立派なことを考えていたかは分かりません。でも、結果としてはそうなりました」
「そうでしたか」
スアーダはうなずいただけだった。
キャゼルヌは途中から口を挟まなくなっていた。彼女が何を訊くかより、その順番を追っていた。
「枢機卿。一ついいですか」
「ええ、もちろん」
「あなたがわざわざバーラトまで来た理由は、さっきまでは分かったつもりでいたんですがね」
スアーダは黙って待った。
「ヤンの暗殺について謝りたかった。それは本当でしょう。建国前から報告書まで作っていた。関係者も出すという。そこに嘘があるとは思わない」
「ありがとうございます」
「でも、それだけじゃないな」
ユリアンがキャゼルヌを見た。スアーダはまだ答えなかった。
キャゼルヌはユリアンを顎で示した。
「あなた、こいつに会うためにも来たんでしょう」
「……僕、いや私に?」
スアーダはキャゼルヌを見た。
「そう見えましたか」
「見えましたよ。途中から、それ以外に見えなくなった」
「謝る相手として会いたかっただけじゃない。こいつが何かあったとき、どこまで動く人間なのか。それを見極めに来た」
スアーダはキャゼルヌを見て、わずかに笑った。
「キャゼルヌさんは、ずいぶん怖い言い方をなさいますね」
「違いますか」
「いいえ」
ユリアンは目の前の老女を見た。
「スアーダ枢機卿。あなたは、いえ教国は私を脅威として見ているんですか」
「今は、そこまで怖い言葉で決めてしまうつもりはありませんよ」
声は先ほどと変わらなかった。
「ただ、これからバーラトで何かが変わったとき、誰に人が集まり、誰が責任を引き受けるのか。それくらいは隣人として知っておきたいと思うのです」
「敵国として?」
「そうならないことを祈っております」
スアーダは茶器へ手を戻した。
「少し立ち入りすぎましたね。ミンツさん。ここから先は、お答えにならなくて結構ですよ」
「そうしろ、ユリアン」
キャゼルヌも言った。
「もうこれくらいでいいだろう。帰ろう。ここから先は答える必要はない」
スアーダは茶器へ目を落とした。
ユリアンは少し迷ってから口を開いた。
「キャゼルヌさん。バーラトのために、できるだけ答えた方がいいと思います」
「何だって?」
「枢機卿は、私が何を考えているかより、何か起きたときに私がどうする人間なのかを見に来たんでしょう」
スアーダは黙っている。
「私が答えなくても、教国は判断します。だったら、何も言わないまま判断されるより、誤解されない方がいい」
キャゼルヌは眉を寄せた。
「敵に、自分がどのくらい危ない男か説明してやるのか」
「向こうがどう評価するかは向こうの問題です。でも、私が何をするつもりがないのかは、こちらから言えます」
スアーダの手が止まった。
「では……一つだけ、お聞きしてもよろしいですか?」
「はい」
「仮定の話です。もし、いつかバーラトが、自分たちで軍事や安全保障を扱うための制度と組織を作ったとします」
スアーダは声を変えずに訊いた。
「その制度が先に必要とされ、正式に作られたあとで、ミンツさんに力を貸してほしいという話が来たとしたら――そのときも、今と同じ場所にいらっしゃると思いますか?」
ユリアンはすぐには答えなかった。
「……分かりません。そのときにならないと」
スアーダは待った。
「ただ、昔とは少し違います」
「どう違いますか」
「昔は、私を置くために役職を作るのが嫌だった。でも、先に仕事が必要になって、そのための制度ができて、そのあとで私に来てほしいと言われたなら――」
ユリアンはそこで考えた。
「昔と同じ理由で断ることはないと思います」
スアーダはしばらく彼を見ていた。
「ありがとうございます、ミンツさん。ずいぶん立ち入ったことを伺いました」
キャゼルヌが口を挟んだ。
「敵国の全権特使に、そこまで丁寧に礼を言われると余計に嫌なんですがね」
「まあ。それは困りました」
「困ってないでしょう」
「少しは困っておりますよ」
フレデリカが端末から顔を上げた。
「今のところまで、すべて記録しています」
「ありがとうございます。次にお会いするとき、私が都合よく忘れていても安心ですね」
「正式訪問のときも持ってきます」
「まあ、手厳しい」
キャゼルヌがぼそりと言った。
「この二人を同じ卓につけたくないな」
スアーダは声を立てずに笑った。別れ際、彼女はまずフレデリカへ頭を下げた。
「報告書について、追加で必要なものがあれば何でもお申し付けください」
「確認してから連絡します」
「はい」
それからユリアンへ手を差し出した。
「次は、もう少し落ち着いた話ができるといいですね」
「次も私に会う予定なんですか」
「さあ」
スアーダは微笑んだ。
「それは、また今度。正式にハイネセンへ伺ってから考えましょう」
スアーダはそれ以上言わず、手を離した。
***
【自治政府連絡艇 キャゼルヌ】
特使船を離れると、キャゼルヌは窓の外へ流れていく船影を見た。境界の向こうには、まだ五隻が残っている。
「……ベーレントの艦はどうなった?」
フレデリカが交通管制の情報を開いた。軍務連絡艦は特使船と分離してから一度も入域を求めず、位置もほとんど変えていない。
通信も管制上必要な応答だけだった。
「ずいぶんおとなしいな」
キャゼルヌは口にしてから眉を寄せた。
「いや。違うか」
ユリアンも窓の向こうを見た。
「何もしなくても、見えることはあります」
キャゼルヌは窓の外へ目を戻した。
「……スアーダがお前を見てる間に?」
「ベーレントは、自治政府の動きを見ていたんでしょう」
フレデリカも境界外の一隻を見た。
「本人の軍歴どおり兵站や行政を見る人なら、艦隊の数より、そちらを見るでしょうね」
「六隻で玄関に立つだけで、こっちが勝手に手順を一通り見せるわけか」
「隠せる種類のものでもありません」
「分かってる。だから余計に腹が立つ」
キャゼルヌは鼻を鳴らした。
「枢機卿は人を見て、司令官は国を見る。ずいぶん役割分担のいい御一行だな」
***
庁舎へ戻ると、その日のうちに自治政府は交通、物流、対外、内務、通信、それに帝国から届く軍事情報について、誰へ照会すればよいかを一枚にまとめた。
新しい部署も、判断権を持つ会議体も作らなかった。
「次に同じことが起きたとき、誰へ電話するかを考えるところから始めるのは御免だ」
キャゼルヌはそれ以上説明しなかった。
フレデリカはスアーダから受け取った調査報告書について、別に受領記録を作った。本冊、別冊、記録媒体。刑事手続に関する申し出は司法担当へ回した。
キャゼルヌはその作業を横から見ていた。
「建国宣言の日は新聞記者に敵軍のことを訊いた。今日は敵国の枢機卿がお前を見に来た。その横で聖団司令にこっちを見られた」
ユリアンは返事をしなかった。
「いつまでも、必要になるたび昔の仲間を呼べば済むとは思わない方がいいな」
「次は、最初から自治政府の中でできることを増やさないといけませんね」
「そういうことだ」
キャゼルヌは一度そこで切った。
「お前を役所へ突っ込む話は、そのあとだ」
「まだ何も決めてませんよ」
「知ってる」
翌日、増えたのは役所ではなく、各部局を結ぶ連絡表と照会手順だけだった。ユリアン・ミンツの役職欄はまだ空白のまま、その横には〈外部有識者〉と記されていた。
今やその空白を見ているのは、バーラトの人間だけではなかった。
【次回予告】
戦争が始まるより、ずっと前。
まだ死神の名が、戦場に現れるより前、
二人の少年が教団から逃げた。
一人はヨーリク。
一人はクライン。
その夜に選んだ道が、
十年以上の時を経て、再び戦場へつながっていく。
帝国は敗北した。
若き皇帝は、友を失った。
だが、敗北したままでは終わらない。
敵を知り、自らを見直し、
失ったものを数えながら、もう一度戦場へ出る。
教国もまた、帝国を見る。
互いに学び、互いに変わる。
そして戦火は、さらに大きくなる。
未知のロフォーテン。
灼熱のバーミリオン。
告解のジャムシード。
時間のランテマリオ。
遠雷のタッシリ。
一つの戦場が終わるたび、
次の戦場が待っている。
名前だけが語られてきた者たちも、
艦隊を率いて現れる。
ハイネセンでも、
二十年間動かなかったものが、少しずつ動き始める。
一度は軍服を脱いだ者たちにも、
再び選ぶ時が来た。
激戦につぐ激戦。
敗北の次に反撃があり、
反撃の次に、さらに大きな戦場が待つ。
誰かが学ぶたび、
敵もまた学ぶ。
昨日まで通じた戦い方が、
明日には通じなくなる。
それでも戦わなければならない。
この戦争を、
まだ誰も終わらせる方法を知らない。
『銀河英雄伝説 次代篇 ~英雄の残光~』
第二部――開幕。
――銀河の歴史がまた1ページ。
2026年9月11日(金)20:00 投稿予定