【新帝国暦二十三年十二月末 ロフォーテン軍管区司令部 ギールケ】
後方へ敵が入り込んでいたことが分かったところで、戦況が好転するわけではなかった。
むしろギールケには自分たちに残された時間の短さが数字としてはっきり見えるようになった。
補給集積所からの供給は途絶えた。
残った補給所から弾薬と推進剤をかき集めるよう命じたものの、一万隻近い艦艇をワーレン艦隊のが到着するまで支えられる量ではなかった。
補給担当が各戦隊の残量を戦術表示へ重ねると、黄色に変わった表示の中へ、しだいに赤が混じり始めた。
「第十八戦隊、主砲用弾薬三割を切りました!第二十一戦隊、推進剤二八パーセント。安全圏までの帰還分を残す場合、大規模回避はあと二回です!」
「第九警備戦隊からも補給要求!三隻が射撃継続不能!」
ギールケは数字を追った。
「予備弾薬を前へ回せ」
「すでに出しています!」
正面では〈ディス〉艦隊がなお同じ圧力を保って前進を続けていた。
金色の祈燈は消えず、低い鐘も戦場の各所で繰り返し響いてくる。
観測班は祈燈、火器管制反応、過去の発砲時刻を重ねて、次の斉射が来る可能性の高い時間帯を各戦隊へ送っていた。だが、回避には推進剤が要り、撃ち返すには弾薬が要る。
「次射警戒。警戒時間帯に入ります!」
前列の帝国艦が警戒報に合わせて進路を変えた。
斉射が通過し、開戦直後ほどの被害は出なかったものの、巡航艦五隻が爆沈してさらに数隻が戦列から脱落した。
「反撃!」
帝国側の砲火が返ったが、その厚みが明らかに薄くなっていた。ギールケが表示を確認すると、それまで同じ射線を受け持っていた五個戦隊のうち、二個が射撃に加わっていない。
「第十三戦隊はどうした」
通信士官が確認するより先に回線が開いた。
『こちら第十三戦隊。残弾一七パーセント。現在の射撃密度を維持すれば二時間以内に主砲弾を使い切ります。確実な目標以外への射撃を控えています』
ギールケは一瞬黙り、答えた。
「……やむを得ん。了解した」
判断そのものは正しかった。だが、同じように正しい判断をする戦隊が増えるほど、艦隊全体として正面へ向けられる火力が減っていった。
『燃料はまだ来ないのか!』
『こちらはもう戦闘機動を続けられません。いつまでこの位置を維持すればいいんです!』
管区司令部はそのたびに、補給経路を再編中であること、利用可能な集積所を確認していること、ワーレン艦隊が救援に向かっていることを返した。
どれも嘘ではなかったが、兵士が知りたいのは次の斉射を避けたあとにも帰還できるだけの燃料が残るのかということだった。
やがて、また鐘が鳴った。
『まただ』
どこかの艦から声が漏れた。
『今度も回避するのか』
「予測時刻を待て!」
戦隊司令の声に、すぐ別の声が重なった。
『待って避けたら、帰る燃料がなくなる!』
回線が一瞬静まった。敵の斉射を読み、予測時刻まで待てばいいという、それまで兵士を支えていた答えは、回避するだけの推進剤が残っていることを前提にしていた。
次の祈燈が増光した。
予定より早く一隻が進路を変え、その動きを見た隣艦も回避に入り、さらに後ろの艦が減速したため、戦列の一角が波打つように崩れた。
「各艦、持ち場を離れるな!」
命令が飛ぶ。
そこへ〈ディス〉の斉射が届き、光が帝国戦列を横切った。
さらに数隻が戦術表示から消えた直後、戦隊回線に声があふれた。
『下がれ!もうここでは持たない!』
『後ろへ行け!』
『燃料が切れる!』
ギールケは共通回線を開いた。
「全艦へ。許可なく戦列を離れるな。後退位置はこちらで指定する」
その最中、第三十九巡航戦隊から通信が入った。
『第三十九戦隊、後退します』
「後退を命令していない。現在位置を維持しろ」
『できません。いま下がらなければ、安全圏まで戻る燃料がなくなります』
「後退命令を待て。命令違反で軍法会議にかけるぞ」
短い沈黙のあと、返事があった。
『……それも生きていれば、の話です』
戦術表示の一角で十数隻が進路を変え、それを見た隣の戦隊も少し遅れて後退を始めた。参謀長が戦隊司令部を呼び戻そうとしたが、通信士官は首を振った。
「応答はあります。命令も受信しています。ただ、進路を戻しません」
ギールケはその言葉を聞いて、しばらく戦術表示を見た。通信は通じており、命令の意味も理解されている。
それでも進路を戻さない艦が出ている。
七星系から逃げてきた一万隻をどうにか軍隊の形にしていたものが、内側からほどけ始めていた。
「ギールケ閣下」
参謀長が正面を指した。
「〈ディス〉の前進速度が落ちています」
ギールケも気づいた。
こちらの戦列は乱れ、反撃火力も低下している。
押し切ろうと思えば押し込める局面なのに、ラザレフの艦隊は一気に距離を詰めず、帝国側が下がった分だけ前へ出ていた。
「……急いでいないな」
「はい。こちらが崩れ始めているのに」
ギールケは後方の星図へ視線を移した。
「こちらをどこかへ動かそうとしているのかもしれん」
「追い立てている、と?」
「追い立てるなら逃がす先が要る」
そのとき後方監視を担当していた通信士官が振り向いた。
「撤退の航路報告です。主要航路はいずれと後背に浸透した敵により封鎖されています。安全は未確認ながら、ケリム方面に向かう第三旧幹線のみ大型艦通過可能。航路標識も現在は正常のようです」
参謀長が表示を開いた。
ロフォーテンから後方の帝国領本土へ向かう主要航路には、使用不能を示す警告が並んでいた。その中で、ケリム第三旧幹線だけが一本、途切れずに残っている。
ギールケはその線を見た。
「……出来すぎている」
ロフォーテンからケリム方面へ抜ける航路が一本だけ、まだ生きていた。
「航路内に敵影はあるか」
「現在のところ確認できません」
参謀長が表示を見ながら言った。
「ここなら、まだ抜けられるかもしれません」
ギールケは答えなかった。
敵はロフォーテンの後方へ入り込み、帝国軍がどこで補給し、どの航路を使い、どこへ退くのかまで調べていた。その敵が、一万隻をまとめて逃がせる航路を見落としているだろうか。
参謀長が言った。
「罠と断定する材料は今の所ありません」
「そうだ。だが、この航路だけ無傷なのも妙だ」
ギールケはしばらく考えたあと、「先遣隊を出して確かめる。全艦にはまだ航路情報を流すな」と命じた。
通信士官が伝令を作り始めたところで、隣の通信卓が点灯した。
「閣下、ケリム方面の第三旧幹線の情報が戦隊間回線へ流れています!」
ギールケが振り向いた。
「何!?誰が流した!」
「発信元を特定できません。後方哨戒艦の報告が複数の戦隊を経由して転送されたようです」
戦術表示では、ギールケの命令の前に帝国艦の進路が変わり始めていた。一隻、二隻という動きではない。
正面から下がっていた巡航艦群がケリム方向へ向きを変え、その後ろから駆逐艦、輸送艦まで続いている。
ギールケはすぐに共通回線を開いた。
「全艦へ告ぐ。ケリム第三旧幹線は安全未確認だ!進入するな!先遣隊の確認を待て!」
命令は確実に送信されたが、ケリムへ向かう艦艇の数は減らなかった。
最初に進路を変えたのは、すでに戦列から離れていた損傷艦や燃料残量の少ない戦隊だった。
それを見た後続艦が同じ方向へ向かい始めると、ケリム第三旧幹線は単なる退路候補ではなく、まだ使える最後の航路として戦場全体に認識されていった。
「第二十七戦隊、進入禁止を受信しています」
「受信しているのであれば、なぜ止まらん!」
「戦隊司令部は停止を命じています。ただ、所属艦の一部がそのまま進んでいます。第三十二戦隊も同じです」
ギールケは共通回線をもう一度開かせた。
「聞こえているなら止まれ!入るな!第三旧幹線は安全を確認していない!先遣が戻るまで待て!前方で何か起きれば後続まで動けなくなるぞ!」
返答は一つではなかった。
『こちら第九巡航隊!もう推進剤残量一九パーセントです!この位置で待機すればもうケリムまで届きません』
『〈ディス〉が接近しています!回避の燃料がもうない!待機位置を指定してください』
『指定されたところまで移動する燃料がない!』
それぞれ事情は違っていたが、結論は同じだった。
いま動かなければ燃料が尽きる艦、弾薬を使い切って正面戦闘に残れない艦、機関損傷のため次の回避運動に耐えられない艦が、自分たちだけは先に退かなければならないと判断している。
もはや統制された撤退ではなかった。
正面では〈ディス〉の祈燈が増光し、ほどなく低い鐘が戦隊回線へ混じった。ケリム方面へ向かっていた艦の一部が速度を上げ、そこへ別の艦から叫び声が重なった。
『鐘だ!また来るぞ。早く航路へ入れ!』
「予測射線から外れている艦まで動くな!」
『閣下、こちらはもう撃てません!避けられません!ここに残って何をしろというんです!』
ギールケは返答しかけてやめた。
撃てない艦に戦列を守れとは言えず、帰還分しか推進剤が残っていない艦に現在位置を維持せよと命じても、その命令に従った結果まで保証することはできない。
そのとき、第三旧幹線へ先行していた哨戒艦から通信が入った。
『航路入口、異常ありません。第一標識正常。敵影なし』
続いて別の艦からも、
『こちらも進入しました。航路幅、通常値。現在まで航行障害ありません』
と報告が届いた。
ギールケがその情報を全軍へ流さないよう命じるより早く、戦隊間回線を通じて内容が広がった。
『先頭は通れている!』
『航路は生きてるぞ!ケリムへ抜けられる!』
それまで司令部の判断を待っていた戦隊まで進路を変え始めた。正面から下がってきた巡航艦、その後ろの駆逐艦、損傷艦、さらに輸送艦まで加わり、戦術表示では帝国軍の識別符号が一本の航路へ向かって集まり始めている。
「待て!まだ入るな!」
参謀長がその動きを見ながら言った。
「……もう止まりません」
ギールケは返事をせず、第三旧幹線の先を拡大させた。
第一標識も第二標識も正常で、先遣艦は現在のところ問題なく進んでいる。それでもギールケの違和感は消えなかった。
「先遣に速度を落とさせろ。航路標識だけを信用するな。慣性航法と天測で自艦位置を照合させる。それと航路の中だけではなく、両側も探させろ」
「了解」
その命令が送られている間にも、〈ディス〉から新たな斉射が届いた。帝国軍はすでに一つの戦列として回避することが難しくなっており、各戦隊がばらばらに進路を変えた結果、ケリム方面へ向かう艦の流れはさらに太くなった。
ギールケは正面の敵配置を見た。こちらの戦列が崩れ、反撃火力まで落ちているにもかかわらず、〈ディス〉は追撃速度をほとんど上げていない。押し切ろうと思えば押し込めるはずの局面で、帝国側が下がった分だけ距離を詰めながら、一定の圧力だけを保っている。
「……追撃ではない」
参謀長が振り向いた。
「閣下?」
ギールケはケリム第三旧幹線を示した。
「これは、巻狩りだ。勢子が獲物を追い立てている」
参謀長も航路へ視線を移した。
「では、あの航路の中には――」
「……猟師がおるのだろうよ」
そのころには、ケリムへの撤退を図る帝国艦が一斉に第三旧幹線へ入り続けていた。
***
【同時刻 ロフォーテン星系へ急行中 ワーレン艦隊】
ワーレン艦隊でも、ロフォーテンから届く断片的な戦況記録を一枚の星図へ重ねていた。
正面ではラザレフ率いる〈ディス〉艦隊が帝国軍を押し続け、その後方では補給集積所が沈黙し、燃料船団が襲われ、複数の通信中継点が機能を失っている。
ギールケ艦隊の一部がケリム方面へ向かい始めたという情報が届くと、ワーレンは残された航路を表示させた。
「まとまった艦艇を通せる航路は?」
「現在確認できる範囲では、ケリム第三旧幹線だけです」
ワーレンはその周辺に、建国宣言後から確認されている所属不明反応を重ねさせた。
回廊そのものにはほとんど記録がない一方、入口から少し外れた宙域、旧採掘支線との交差部、出口側の暗礁宙域には、数隻から数十隻程度の小さな反応が断続的に現れていた。
ワーレンはしばらく表示を見てから言った。
「この航路は、敵が残しているのだ。すぐにギールケ中将へ警告を送れ。第三旧幹線へ入るな!航路の周囲には別動隊がいる可能性が高い!」
通信班が軍管区司令部を呼び出したが、一度目は応答がなく、別の軍用中継へ切り替えても返ってくるのは雑音ばかりだった。
「民間回線も使え」
通信士官が回線一覧を確認した。
「帝国軍の中継施設は、ほぼ応答を失っています」
「ほぼ?」
「ルドミラの第三十四中継港が残っています」
ワーレンが眉を動かした。
「まだ撤収命令が出ていないのか?」
「いえ。命令は出ています。ただ、従わずに現地へ残り、管制を続けている通信士官がいるようです。リディア・ハルランダー中尉とか」
「……どういうことだ」
ワーレンは一瞬だけ黙った。
「いや、事情は後だ。その士官につなげ」
「了解」
数分後、第三十四中継港との細い回線がつながった。
画面にリディアが現れるより先に、ワーレンは言った。
「第三旧幹線へギールケの艦隊を入れるな。罠の可能性が高い。これをワーレンからの命令として、軍管区司令部に加え、届く限りの艦へ回せ」
『了解しました』
「軍用回線だけにこだわるな。避難船用でも港湾用でもいい。警告を重ねろ」
リディアはすぐに複数の非常回線を開き、同じ警告文を軍用、港湾、民間船舶向けの順に流し始めた。軍の正規通信網が途切れている以上、どの回線がどの艦へ届くかは分からない。それでも一つの経路だけに賭けるよりはましだった。
ワーレンは送信状況を確認してから言った。
「ハルランダー中尉といったな。警告を回したら、そちらも退避しろ」
一拍置いた。
「どういう事情で残っているのかは後で聞く。教国軍は、そちらの軌道上施設もじきに押さえに来る。撤収する手段はあるか」
『あります。ただ、まだ誘導が終わっていない船があります』
ワーレンの表情がわずかに険しくなった。
「それを決めるのはハルランダー中尉、貴官ではない」
リディアは黙った。
「貴官は軍人だ。自分の判断で撤収命令を延ばしていい立場ではない。ただちに退避しろ。これは元帥としての命令だ。いいな」
短い沈黙があった。
『……了解しました』
回線が切れても、リディアはすぐには席を立たなかった。退避準備を並行させながら、まだ港内に残る船へ警告を流し続けた。
警告を送る作業が続く間にも、ケリム第三旧幹線へ向かう帝国艦の数は増えていった。
***
ロフォーテン側で最初の異常が起きたのは、第三旧幹線へ入った先頭部隊が第二標識を通過したあとだった。
『司令部。第三標識の位置が合いません』
先遣艦からの報告に、ギールケがすぐ訊き返した。
「どれだけずれている」
『航路許容値を超えています。それに、慣性航法で計算した現在位置との差が少しずつ広がっています』
「航路標識からの補正を切れ。自艦航法へ戻せ」
『了解』
ほとんど同時に、別の哨戒艦から報告が入った。
『前方に物体反応があります。航路図には記載されていません。大型の残骸か、旧採掘設備の一部と思われます』
「航路を塞いでいるのか」
『完全ではありません。ただ、大型艦がそのまま通過するのは難しいです』
参謀長が表示を確認した。
「後続へ減速を出します」
停止ではなく減速命令が流れたが、入口側ではすでに多数の艦艇が航路へ向かっており、正面の〈ディス〉から距離を取ろうとする後続ほど速度を落とさなかった。
戦隊単位の指揮も崩れ始め、前方からの減速命令が届くころには、その後ろの艦が同じ位置へ詰めている。
『前が詰まっています。後続、速度を落とせ!』
『こちらは減速できない。後ろも来ている!』
『右へ出る。進路を空けろ!』
一隻の巡航艦が前方の障害物を避けるため航路中央から外れた直後、爆発が起きた。
映像が白くなり、戦術表示から巡航艦の識別符号が消えた。
数秒後、先遣艦から報告が届く。
『機雷です。航路外側に機雷が敷かれています!』
ギールケは爆発地点と障害物の位置を重ねさせた。
中央には旧採掘設備の大きな残骸が寄せられ、回避して外側へ出たところに機雷がある。
数隻が速度を落とすだけで、後ろから来る艦が自分たちで通過幅を狭めていく。
参謀長が低く言った。
「……最初から、通れる幅まで決められているようです」
その直後、ルドミラの第三十四中継港を経由した警告文の一部が通信卓へ入った。
ワーレン艦隊から発せられた文面を、リディアが軍用・港湾・民間の複数回線へ重ねて流したものだった。妨害で大半は欠けていたが、要点だけは読めた。
『――ケリム第三旧幹線――入るな――ワーレン元帥――命令――敵――罠――』
ギールケはその文字を見てから、すでに航路へ入り込んだ艦艇と、なお入口へ殺到している後続艦を見た。
「……知っておる」
だが、その返答をワーレンへ送り返す回線はつながらなかった。
警告を受け取った時点で、第三旧幹線へ進入した帝国艦はすでに千隻を超えていた。その後方にはさらに数千隻の艦艇が続いており、ゆっくり迫ってくる〈ディス〉との距離が縮まるにつれて、入口付近へ集まる速度も上がっていた。
航路内部では、先頭部隊が速度を落としていた。
中央には航路図に残っていない旧採掘設備の残骸が張り出し、その外側には機雷が確認されている。標識情報にも誤差が生じていた。
「先頭部隊へ。障害物を排除できるか」
『試みています。ただ、砲撃は危険です。周囲に機雷がある以上、爆発で誘爆する可能性があります』
「工作艦は」
『後方で詰まっています。こちらまで来るには時間がかかります』
ギールケは航路内の配置を確認した。先頭が止まれば、その直後にいる艦も速度を落とさなければならない。ところが入口側では新しい艦艇が次々に流れ込んでおり、その多くは後ろから〈ディス〉に押されているため、大きく減速する余裕がなかった。
「入口を閉じろ。これ以上は入れるな」
通信士官が命令を送ったが、すぐに首を振った。
「各戦隊へは届いています。ただ、入口へ向かっている艦が多すぎます。後方から押されて、停止できない部隊もあります」
「なら入口手前で分散させろ」
「無理です」
ギールケは舌打ちをこらえた。
先頭では障害物を避けようとした巡航艦が機雷に触れ、その残骸がさらに航路を狭めていた。
後続の駆逐艦がそこを避けて左側へ寄ると、航路標識が示す位置と実測位置の差が拡大し、別の艦が急な進路修正を行った。
接触事故こそ避けたものの、それを見た後続艦まで減速したため、回廊内部には長い滞留が生じ始めた。
『後続、速度を落とせ! 前が詰まっている!』
『こちらは停止できない。後ろから来ている!』
『第三標識を信用するな。位置がずれている!』
『どれが正しいんだ!』
同じ航路を進んでいるにもかかわらず、艦ごとに参照している位置情報が一致しなくなっていた。航路標識を切った艦は自艦航法へ戻り、まだ異常を知らない艦は標識の補正を受け続けている。
そのため同じ地点を通過しようとしながら、互いに異なる安全航路を想定する状態になっていた。
そこへ再び鐘が届いた。
〈ディス〉の祈燈が強まり、回廊入口付近に残っていた帝国艦が速度を上げた。
まだ航路へ入っていない艦にとっては、機雷があるかもしれない前方より、確実に砲撃してくる後方の方が恐ろしかった。
戦隊司令の命令を待たず三隻が前へ詰め、それを見た別の艦群も続いた。
鐘が消えるころには、入口へ向かう流れそのものが後続を押していた。
ワーレンからの停止命令はその声の中に埋もれていった。
ギールケは理解した。
敵が用意した障害物や機雷は、一万隻を沈めるためのものではない。
先頭の数隻を止め、航路を狭め、後続を詰まらせれば十分だった。
一度交通が滞れば、あとは後ろから航路入り口に殺到する数千隻の帝国艦自身が閉塞を大きくしていく。
そのとき索敵主任が声を上げた。
「航路の外側に艦艇反応!」
「位置は」
「右舷側、旧採掘支線との交点です。数、二十……三十……数百……いえ、きわめて多数。識別不能」
別の観測席からも報告が続いた。
「左舷後方にも反応。暗礁宙域から湧き出てきます」
「出口側にもあります!」
ギールケは表示を縮小した。
最初に現れたのは数十隻程度の小さな艦群にすぎなかったが、旧採掘航路の分岐点から別の艦群が現れ、中継施設の影からも新たな反応が加わった。さらに回廊出口側の暗礁宙域でも、それまで沈黙していた艦艇が次々に動き始めた。
観測主任が建国の日以降の記録を重ねた。
「以前、所属不明反応を見失った位置と一致します」
参謀長が星図を見た。
「ここもです。燃料船団襲撃地点の外側にいた反応も動いています」
一つ一つは艦隊と呼べる規模ではなかった。数隻、数十隻、せいぜい百隻ほどの小集団が数十個以上、離れた場所から同時に姿を現し始めた。
「敵艦、回廊へ接近します」
「敵、撃ってきます!」
最初に撃たれたのは、機雷を避けるため航路外側へ出ていた巡航艦だった。数条の光が船体を貫いて機関部が爆発し、その後ろにいた駆逐艦が救援のため向きを変えると、別方向から砲撃が入って今度は駆逐艦が姿勢を崩した。
帝国側も反撃したが、敵はまとまって正面から撃ち合おうとはしなかった。
動けなくなった艦、航路から外へ出た艦、前後の艦との間隔が開いたところだけへ小集団が寄り、短時間の砲撃を加えると再び暗礁や旧航路の陰へ下がった。
前方は詰まり、航路外へ出れば敵の砲火を受け、引き返そうとしても後ろから次の艦が流れ込んでくる。同じ状態が、回廊の各所で同時に生じ始めた。
「新たに出現した敵戦力、総数推定を更新します」
索敵主任の声が少し遅れた。
「まだ全てを捕捉できていません。ただし、現時点の反応だけでも数千隻。過去の記録と未捕捉分を含めれば……さらに一個艦隊規模と見て間違いありません」
「閣下、敵艦隊の所属を確認しました」
通信士官が捕捉した信号を表示した。
教国軍第四聖団。
艦隊識別名――〈レムレス〉。
【ロフォーテン会戦・戦況図】
――「一度外したくらいなんだ。それで次から誰か一人に決めさせるなら、最初から皆で決める必要がないだろう」
次回、『ロフォーテン星域の会戦(後編)』
V — 人物図譜 教国軍第四聖団司令 聖将ニコラス・ブルーメンタール
【挿絵表示】