銀河英雄伝説・次代篇 ~英雄の残光~   作:銀河の灯守

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第二次バーミリオン星域の会戦まで、あと三話。


第六十一話「北辰大軍議(後編)―― 帝国 side」(新帝国暦二十四年一月中旬)

【新帝国暦二十四年・聖暦二十三年一月中旬 帝都レーヴェンシュテルン・獅子の泉(ルーヴェンブルン)「北辰の間」】

 

北辰大軍議。

 

枢密院と元帥会議を中心に、統帥本部、軍務省、財務、内務、輸送、産業を担当する尚書や官僚まで集め、帝国が教国との戦争を何のために戦い、どこで敵を止め、どこまで退き、失った戦力をどう立て直すか。

帝国の国家戦略を三日間かけて決める合同戦時会議である。

 

議長席には皇帝アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラム。軍人席には宇宙艦隊司令長官ミッターマイヤーをはじめ、ワーレン、ミュラー、ビッテンフェルト、メックリンガー、アイゼナッハら歴戦の元帥が並び、軍務尚書ケスラー、統帥本部総長ザルツマン大将も席を占めていた。

 

文官席の先頭には、摂政を退いた皇太后ヒルデガルドが枢密顧問として陪席している。さらに各省の高官、統帥本部参謀、軍務省兵站監部のアルブレヒト・フォン・ミュッケンベルガー少将らが、決定を実際の制度と数字へ変えるために加わっていた。

 

初日に決めたのは、まず戦い方だった。

失った七星系を放棄しない一方、即時奪還のために帝国そのものを消耗させない。

バーミリオン、リューカス、ガンダルヴァを遅滞圏として決戦を避け、ジャムシード、マル・アデッタ、ランテマリオを主防衛線の支点とする。通信を失っても戦える指揮制度と撤退基準を作り、バーラト自治領の非武装地位は帝国側から崩さない。

 

二日目に残されたのは、その戦い方を何で支えるかという問題だった。

前日に星図へ引いた線も、そこへ置く艦と人がなければ意味を持たない。

 

アルブレヒトが表示した数字は、帝国軍にとって決して小さいものではなかった。

「開戦時の正規艦隊は六個艦隊、約九万隻です」

卓上に現状の平時編成が表示された。

 

・ミュラー艦隊 約一万五千隻 司令:ナイトハルト・ミュラー元帥

・ビッテンフェルト艦隊 約一万五千隻 司令:フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト元帥

・ワーレン艦隊 約一万五千隻 司令:アウグスト・ザムエル・ワーレン元帥

・アイゼナッハ艦隊 約一万五千隻 司令:エルンスト・フォン・アイゼナッハ元帥

・メルカッツ艦隊 約一万五千隻 司令:ディートリヒ・ヨアヒム・フォン・メルカッツ大将

・ヴェストファーレン艦隊 約一万五千隻 司令:ヘルマン・ヴェストファーレン中将

 

ミッターマイヤーの麾下には常設の艦隊がない。宇宙艦隊司令長官として全艦隊を統率し、必要に応じて直属の機動集団を編成する。

 

「このほか地方警備部隊、要塞部隊、輸送その他の戦力がありますが、正規艦隊には含めていません。六個艦隊のうち、現時点で即応状態にある艦艇は整備状況によって変動しますが、八万五千から九万。直ちに西方へ集中可能なのは、およそ六万隻です」

 

ビッテンフェルトが確認した。

「西方へ出せるのは六万隻までか。思ったより少ないな」

 

アルブレヒトは次の表を出した。

「保管艦については実査を始めています。艦齢、機関、主砲、電子系、部品在庫を確認し、再就役できるものから順に船渠へ戻します。ただし、保管されている艦をそのまま戦力として数えるつもりはありません」

 

ワーレンが言った。

「アルブレヒト少将。乗員が乗り、戦隊として動けるようになるまでは艦数にも入れるな」

 

「そのつもりです」

アルブレヒトは表を切り替えた。

「問題はむしろ乗員です。特に熟練した艦長、機関、通信、索敵、砲術、それに幕僚要員が足りません。ロフォーテン会戦の生還部隊から骨幹要員を――」

 

「待て」

ビッテンフェルトが遮った。

「帰った端からばらすのか」

 

「全部ではありません」

 

「同じことだ。戦隊が保たんぞ」

 

ワーレンも資料を見た。

「まず元の部隊を立て直せ。負けた直後に、今度はこっちから形を崩してどうする」

 

アルブレヒトが返した。

「ですが、新しい部隊にも経験者は必要です。新兵だけで艦を並べても艦隊にはなりません」

 

「順番の話でしょう」

ミュラーが口を挟んだ。

「一隻から複数の中枢要員を同時に抜かない。艦橋要員と機関要員を一度に抜けば、その艦は名簿上は同じでも、実質的には別の艦になります」

 

メックリンガーが続けた。

「敗北した部隊だから価値が低い、と考えるのもよくないな」

 

統帥本部の参謀席からハインリヒが訊いた。

「敗北の経験そのものに価値があるということでしょうか」

 

「それもある」

メックリンガーは答えた。

「負けて帰ってきたのなら、少なくとも帰るところまでは成功している。それに、敗北の原因を知っている人間を全部ばらばらにしてしまえば、経験まで一緒に薄まる」

 

ワーレンが言った。

「互いの癖を知っていることも戦力だ。名簿では作れん」

 

アルブレヒトは少し考え、配当表を書き換えた。

「第一次抽出は各艦一部門まで。第二次抽出は部隊再建状況の確認後とします」

 

声には再び、いつもの眠気が戻っていた。

造船についての議論は、それより長かった。

軍直轄造船所の三交代化、民間船渠の段階転換、部品規格の整理、輸送船建造との競合、民需船の修理能力をどこまで軍が奪ってよいか。

前年十二月末、教国の建国放送直後からアルブレヒトが作成させていた造船能力調査も提出された。

ミッターマイヤーが訊いた。

「アルブレヒト少将。軍務省は建国放送の直後に民間船渠の戦時転換まで調べていたのか」

 

「調査だけです」

 

ビッテンフェルトが吠えた。

「なぜ、その時点から転換を始めていない!」

 

アルブレヒトの声から、わずかに眠気が消えた。

「規模も分からないうちに治安維持にとどまらない戦争になるかもしれない、というだけで民間経済を戦時体制へ切り替えるのは『兵站』ではありません。『博打』です」

 

「今はどうだ!」

 

「タナトス、ロフォーテンで分かりました。これは、国家の生産力まで使わねばならない戦争です」

 

「片手間の叛乱鎮圧で倒せる相手ではない、ということだな」

ミッターマイヤーは造船能力表へ目を落とした。

「……自由惑星同盟と戦っていた頃の備えまで戻す必要があるだろうか」

 

「いえ、全部を戻す必要はありません。戻せば民間経済の方が先に痩せます。ただし、造船、修理、部品生産、人員教育は、自由惑星同盟との戦争期に近い規模まで引き上げる必要があります」

 

軍務尚書のケスラーが資料を差し出した。

「軍務省から段階的な戦時転換命令を昨日付で発令しました。皇帝陛下の追認を求めます」

 

アレクは内容を確認した。

「認める。ただし一つ条件をつける」

 

ケスラーが視線を上げた。

 

「民間船渠を軍需へ転換した分だけ、民間輸送と修理能力が減る。その損失も月ごとに出せ。軍が何隻増えたかだけではなく、民間から何隻分を奪ったかも同じ表に載せろ」

 

アルブレヒトが少し首を傾げた。

「民間側で失われる輸送と修理能力までですか」

 

「そうだ。戦争だから必要なら奪う。だが、奪ったことまで見えなくするな」

 

「御意」

 

ミッターマイヤーが訊いた。

「軍艦はいつから増える」

 

アルブレヒトは造船計画の表を表示した。

「保管艦は今年から戻せます。新造艦の本格的な増勢は船渠によって差がありますが、主要施設が十分な軍用能力を回復するまで二年前後を見ています」

 

「二年後には、艦数は増えるのだな」

 

「増えます」

 

「艦隊編成ができるのはいつだ」

そこでアルブレヒトは少しだけ間を置いた。

「二年よりは遅れます」

 

ビッテンフェルトが眉を寄せた。

「なぜだ」

 

「……『艦』は船渠で造れます。ですが『艦隊』は人で造りますので」

 

それまで端末を見ていたミッターマイヤーが顔を上げた。

アルブレヒトはそれ以上説明しなかった。司令部を組み、幕僚を育て、艦長と乗員を揃え、何千隻もの艦を一つの意思で動かせるようにする。それが鋼鉄を船渠から送り出すのと同じ速さでできないことは、この部屋の軍人なら誰に説明されるまでもなかった。

 

だが、納得できることと耐えられることは別だった。

 

「二年待っても、まだ艦隊にはならんのか」

 

ビッテンフェルトの声が大きくなった。

 

「二年かけて艦を増やし、その先まで待たねば艦隊にならんというのか。その間に帝国はいくつ星系を失う。バーミリオンを退き、リューカスを退き、ガンダルヴァまで明け渡して、それでも待てと言うのか!」

 

誰も答えなかったため、ビッテンフェルトはさらに続けた。

 

「俺は耐えられんぞ!敵が帝国領を一つずつ食っていくのを見ながら、後ろで艦を数えていろなど――」

 

「よさぬか、ビッテンフェルト」

 

ケスラーの声は大きくなかったが、それで言葉は止まった。

 

「ここにいる誰も、領土を敵に渡したくて撤退を論じているわけではない。まして元帥が、耐えられないという理由で国家の戦争計画を早めてどうする」

 

ビッテンフェルトはしばらく黙っていた。

 

「……分かっている」

 

ワーレンもミュラーも何も言わなかった。ミッターマイヤーだけが旧友を見てから、アルブレヒトへ視線を戻した。

 

「続けろ」

 

アルブレヒトは何事もなかったように次の表を出した。

「二年というのは、あくまで造船能力が本格的に回復するまでの目安です。その二年間、攻勢作戦が一度もできないという意味ではありません。ただし、現在の六個艦隊を維持しながら新しい正規艦隊を作るには、それより長い時間が必要になります」

 

軍務省の広報担当官がそこで訊いた。

「二年後に十二個艦隊、十八万隻体制を達成すると帝国臣民に公表してしまうのは難しいでしょうか」

 

アルブレヒトが、露骨ではない程度に嫌そうな顔をした。

「やめていただきたいですねぇ」

 

「しかし、艦艇の数そのものは十二個艦隊分に近い数まで揃うのでしょう。虚偽を公表することにはなりません」

広報担当官は引かなかった。

「建国七星系を失い、ロフォーテンでも大きな損害を出した直後です。臣民に、帝国が軍を立て直しているという分かりやすい見通しを示す意味はあります。士気というものもありますので」

 

アルブレヒトは少し考えてから答えた。

「先ほども申し上げました。艦が揃うことと、艦隊が揃うことは別です」

 

「しかし、その違いをすべて公報で説明する必要はないでしょう。臣民はそこまで詳しい情報を求めていない」

 

「説明しないから困るんですよ。船が十八万隻あっても、十二個艦隊は一朝一夕にはできません。司令部も、幕僚も、熟練乗員も、訓練時間も要ります。数字だけ先に約束すれば、あとで名前だけの艦隊を作りたくなる人間が必ず出ます」

 

ビッテンフェルトが、まだ多少不機嫌そうな顔のまま鼻を鳴らした。

「……どこかで聞いたような話だな」

 

メックリンガーが穏やかに応じた。

「二十年前、似たものを見た記憶はあるな」

 

アルブレヒトは二人の方を見なかった。

「誰のこととも申し上げてはいません」

 

わずかに空気が緩んだところで、アレクが広報担当官へ言った。

「十二という数字は公表しない。再軍備を進めることと、その見通しは示してよい。だが期限と艦隊数を約束する必要はない」

 

「しかし陛下、臣民に分かりやすい目標を示すという意味では――」

 

「分かりやすいからといって、間違った約束をする必要はない」

 

アレクはアルブレヒトが表示した人員表へ目を移した。

「十二個艦隊という看板を守るために、中身のない艦隊を作るようになれば本末転倒だ。余が必要なのは十二という数字ではない。戦える艦隊だ」

 

アルブレヒトが端末に何かを書き込んだ。

「陛下。その言葉は、軍務省内にも回してよろしいですか」

 

「構わない。ただし余の名前を付けて標語にするなよ」

 

アルブレヒトの口元がわずかに動いた。

「……それは残念です」

 

北辰大軍議では、正規十二個艦隊、十八万隻体制への戦時拡張という長期目標そのものは維持された。ただし、艦艇が揃ったことをもって艦隊が完成したとは数えない。既存の六個艦隊をまず戦える状態に保ち、その外側に置く独立戦闘群や新編準備群は、司令部と幕僚、乗員、訓練の骨格が揃ったものから正規艦隊へ昇格させることになった。

 

 

***

 

 

大軍議の二日目の午後には、作戦とは別の種類の数字が北辰の間へ運び込まれた。

 

燃料精製能力、軍需工場の稼働率、食料輸送量、医薬品在庫、船員数、機関技術者、通信技師、造船労働者。艦隊を増やすという一行の命令は、実際には銀河の各地で膨大な人手と物資を軍需へ振り向けることを意味していた。

 

財務尚書が翌日の説明に使う資料を整理している途中で、アレクが一枚の表に目を留めた。

「この項目は何だ」

 

「民間輸送遅延率でございます」

 

「軍需転換前より上がっている」

 

「はい。現時点では小幅ですが」

 

アレクが影響の出る場所を訊くと、財務尚書ではなく輸送担当官が答えた。

「まず辺境の定期貨客便、資源輸送、それに民間船の修理待ちに出る可能性があります」

 

「食料は」

 

「主要星系では直ちに問題ありません。ただ、輸送余力が長期間減れば、地域による価格差は広がります」

 

アレクはしばらく表を見ていた。

「戦争で国が貧しくなるとき、最初に皇帝へ届く数字は何だ」

 

今度は財務尚書が答えた。

「一つではございません。物価、賃金、運賃、民間投資、税収、失業など、複数の指標へ少しずつ現れます」

 

「では、それをまとめろ」

 

「戦時経済の監視指標として、でしょうか」

 

アレクは首を振った。

「軍需が国家を食い始めたかどうかを見るためだ。戦争を続けるために国の力を使うのは仕方がない。だが、どこからが使い過ぎなのか分からないまま進むのは困る」

 

そこでアレクは文官席の先頭へ目を向けた。

「枢密顧問の意見も聞きたい」

 

枢密顧問の皇太后ヒルダは一度、卓上に並んだ数字を見渡した。

「確認すべきことは一つでしょう。軍を立て直すのに二年かかるとして、その二年間の軍拡に帝国経済は耐えられるのですか」

 

北辰の間が静かになった。

 

「造船所へ人と資材を回せば、その分だけ民間の船は減ります。軍需輸送を優先すれば、食料や資源の輸送にも遅れが出るでしょう。軍が二年後に強くなっても、その前に物価や輸送、財政が耐えられなくなれば意味がありません」

ヒルダは財務尚書を見た。

「軍が必要とする二年を、帝国が本当に支えられるのか。それを明日、数字で示してください」

 

アレクは財務尚書を見た。

「明日はそこから始めよう。軍を二年で立て直せるかではない。帝国がその二年の経済をどう持たせるかを聞きたい」

 

「承知いたしました」

 

そこでビッテンフェルトが、少しためらってから手を上げた。先ほどまでとは違って、声に怒気はなかった。

「枢密顧問。ひとつ、教えていただきたい」

 

ヒルダが彼を見た。

「どうぞ、ビッテンフェルト元帥」

 

「……俺は戦の外のことになると、どうにも疎いので。見当違いならそう言っていただきたい」

ビッテンフェルトは一度、卓上の数字へ目をやった。

「帝国は自由惑星同盟と百五十年以上も撃ち合ってきた。その帝国が、たった二年の軍備増強に耐えられるかどうかを今さら心配するというのが、どうも俺にはよく分からない」

 

誰も笑わなかった。

 

ヒルダは少し考えてから答えた。

「二年耐えられるか、という問いなら、おそらく答えはそう難しくありません。帝国には耐える国力があります。ですがいま問題にしているのはそこではありません」

 

「違うのですか?」

 

「はい。自由惑星同盟と戦っていた時代の帝国は、戦争が長く続くことを前提に国の仕組みができていました。軍艦を造る船渠も、軍需品を作る工場も、兵員を送り出す制度も、長い時間をかけてそのシステムに組み込まれていたのです」

 

ヒルダは先ほどの民間輸送の表を示した。

「ですが、この二十年余りでそれらの多くは平時の仕事へ戻っています。民間船渠で造られる船にも、輸送船が運ぶ貨物にも、それを必要として暮らしている人々がいる。その力を短期間で軍へ戻せば、軍が得た分だけどこかから人や物が抜けます」

 

アルブレヒトが横から補った。

「百五十年戦争を続けられた国だからといって、二十年以上かけて平時へ戻したものを二年で全部ひっくり返しても平気、ということにはならないんですよ」

 

「……なるほどな」

ビッテンフェルトはしばらく考え、それから呟いた。

「つまらないことを訊いたな」

 

「いいえ」

ヒルダは首を振った。

「おそらく、同じ疑問を持つ帝国軍人や臣民は少なくないでしょう。説明しなければならないことです」

 

この時点で、二日目の会議は予定を一時間以上超えていた。それでも、早く終わらせようと言う者はいなかった。

 

 

***

 

 

三日目になると、北辰の間では星図より数字の並んだ表の方が多くなった。

 

前日、ヒルダが求めた答えが並んでいた。

 

現行歳入、準備金、戦時公債。軍需転換による税収への影響。食料価格、輸送運賃、失業率、民間船渠の修理待ち。財務尚書はそれらを一つずつ説明した。

 

報告が終わると、アレクが訊いた。

 

「結論を聞こう。二年は持つのか」

 

「戦争を継続するという意味であれば、問題ありません。数年以上の継続も可能です」

 

財務尚書はそこで言葉を切った。

 

「ただし、現在と同じ状態を保ったまま、という意味ではございません。長期化すれば公債、歳出の組替え、資材と労働力の軍需優先が必要となり、民間消費や投資は圧迫されます」

 

「勝てても貧しくなる、ということか」

 

メックリンガーが言った。

 

「長期化すれば、その可能性は高くなります」

 

アレクは表を見た。

 

「四年戦える、五年戦える、という言い方はできるか」

 

「できます。ただ、四年目にも艦隊を動かせることと、四年目にも現在と同じ暮らしを維持できることは別です」

 

「そうであれば一つの数字にはするな。軍、財政、食料、輸送、民需を分けて示せ」

 

ヒルダが頷いた。

 

「その方がよいでしょう。国家には一つの時計しかないわけではありません」

 

その方針に従い、戦費だけでなく、食料価格、輸送運賃、失業、民間船の修理待ちなども継続して監視することになった。戦争を続けられるかどうかを、艦艇数だけで判断しないためである。

 

 

***

 

 

住民の扱いについても原則が決められた。

バーミリオン、リューカス、ガンダルヴァで強制疎開は行わない。ただし希望者は後方へ輸送し、軍需物資と重要な行政記録は事前に退避させる。

 

担当官が後送順位を読み上げている途中で、アレクが止めた。

「住民登録のデータは」

 

「中央への定期同期は行われています」

 

「中央同期済みの分は」

 

「ございます。ただ、通信途絶後の更新差分と認証記録は現地側にあります」

 

アレクは少し考えた。

「その差分は、いつ後方へ移す」

 

「行政記録として第二順位です」

 

「最優先にしろ」

 

ワーレンが皇帝を見た。

「人の退避を優先してもよろしいでしょう」

 

アレクは首を振った。

「人と一緒だ。中央に名前が残っていても、最後の転居や出生、死亡、家族関係が抜ければ、その後の支給も権利確認も狂う。人を逃がして、その人間が誰だったのかを現地へ置いてくるな」

 

ワーレンは一度だけ頷いた。

「そのように」

 

他の行政記録については、失えば再建できないものを優先し、他所から復元できるものは後へ回すことになった。

 

焦土化も採用されなかった。軍用暗号機や兵器など、敵へ渡せないものは破壊する。しかし病院、発電、給水、一般港湾など、住民の生活に必要なものは原則として残す。

 

「敵にも使われます」

軍務省側から異論が出た。

 

「住民にも使われる」

ワーレンが答えた。

 

ミッターマイヤーも言った。

「取り返すつもりの土地だ。戻ったとき、何も残っていないようにはするな」

 

軍民共用施設については、軍用部分だけを切り離せるなら切り離し、それができない場合には住民の生存を優先して判断する類型をあらかじめ作ることになった。

 

「現場で迷う項目を減らすという話を、昨日したばかりだ」

アレクが言うと、ミュラーが少し笑った。

 

初日に軍隊を退かせるために作った考え方が、三日目には住民と行政を退かせる手順にも使われ始めていた。

 

 

***

 

 

国内治安については、ケスラーが方針を示した。

「教国との秘密通信、資金移動、軍事情報への不正接触は捜査します。ただし、出身星系、旧国籍、信仰そのものを捜査開始の理由にはしません」

 

「教国は宗教国家です。信徒組織を利用している可能性はありませんか」

 

「あります。だからこそ、信仰と敵性行為を分けます。両者を同じものとして扱えば、必要な捜査まで雑になる」

 

教国の建国七星系に親族を持つ者を特別に照会すべきだという意見も出たが、アレクが退けた。

 

「親族がいることと敵に情報を渡すことは区別せよ。敵に占領された土地に家族を残した臣民を、帝国自身が敵側へ押しやるな」

 

ケスラーも実務面から同意した。

「属性で対象を広げすぎれば、本当に危険な通信や資金移動を見落とします」

 

「先日の布告と同じ方針でよい」

 

「承知しました」

 

 

***

 

 

三日間の大軍議の最後に議題となったのは、敵そのものだった。

 

ロフォーテンで観測された祈燈、鐘、通信妨害、狭窄航路への誘導、〈レムレス〉の待ち伏せについて、それぞれ対策案が提出された。初日に編制が決まった〈光電徴候〉についても暫定要領が上がり、光、鐘、電磁徴候、敵艦運動、火器管制反応、発砲時刻を同じ時間軸へ置いて記録することになった。

 

案を読み終えたメックリンガーが資料を閉じた。

「一つ気になることがある。我々はいま、ロフォーテン会戦で戦った敵への対策を作っている」

 

「当然だろう」

ビッテンフェルトが言った。

 

「次も同じように敵が来ればな」

 

ビッテンフェルトが黙ると、メックリンガーは続けた。

「一度成功した戦術を繰り返すかもしれないし、こちらが対策したと見て捨てるかもしれない。ロフォーテンで見たものだけを教国軍だと思わない方がいい」

 

ミッターマイヤーが訊いた。

「では、何を先にやる」

 

「同じものが来ても役に立ち、違うものが来ても無駄にならないものからでしょう」

 

ミュラーが挙げた。

「指揮継承、代替通信、集結点、撤退経路、予備」

 

「補給路もだ」

ワーレンが加えた。

アイゼナッハは星図上の一本の航路の隣へ、黙って第二経路を引いた。

 

「それを先にやる」

ミッターマイヤーが決めた。

「独自戦術への対策も続けろ。ただし、それだけに賭けるな」

 

そこでアレクが言った。

「もう一つある。敵の新しい戦術を見つけた者が、それをどこへ上げるかだ」

 

ロフォーテンの祈燈と、開戦前に増えていた燃料備蓄は種類の違う情報だった。だが、どちらも一つの部署から見れば、確証が足りないまま終わり得た。

 

「別々の部署で見つかった異常が、どこかでつながる仕組みを作れないか」

 

ケスラーが答えた。

「軍事情報、兵站、治安、通信、航路監査の横断照会ですか」

 

「戦時中だけでもいい。一部署で『所見なし』になったものが、別の異常と重なったときに拾えるようにしたい」

 

アルブレヒトが言った。

「全部を集めれば、今度は本当に何も見えなくなりますねぇ」

 

「なら相関を見る基準を作れ。情報を増やすためではなく、つながったときに拾うためだ」

 

ケスラーが頷いた。

「軍務省と統帥本部で案を作成します」

 

アレクは少し間を置いてから続けた。

「ただし、皇帝の生命と身体に危険が及ぶ可能性を指摘した情報は、先に命じたとおり余にも回せ。所管部署の判断とは別にだ」

 

アルブレヒトが皇帝を見た。

「陛下御自身が全部ご覧になる方針は、変えないのですか」

 

「変えない」

 

 

***

 

 

三日目の夕刻、アレクは採択された案件を最後まで確認した。

 

遅滞圏と三支点主防衛線。撤退条件。通信と指揮継承。予備戦力。段階的再軍備。民間経済への負担監視。バーラトの非武装原則。住民と重要記録の後送。焦土化の不採用。属性による一括捜査の禁止。そして、既知の敵への対策と、未知の敵にも耐えられる軍の仕組み。

 

細部には異論が残っていたが、戦争の骨格は決まっていた。

 

三日間で出た答えの多くは、皇帝自身が考え出したものではない。それでも、それを帝国の方針として引き受ける者は一人しかいなかった。

 

「では、この方針で戦う」

アレクは元帥たちを見た。

「余は帝国軍に、勝利だけを命じるつもりはない。必要なら退け。ただし、退くときも軍隊であれ。次に戦える形で帰ってこい」

 

ミッターマイヤーが立った。

「御意」

 

「本格反攻は二年後を目安とする。ただし、その日付を守るためだけの攻勢は認めない。半年早く準備が整えば待つ必要はない。整っていなければ、日付のために兵を死なせるな」

 

ビッテンフェルトが口元を歪めた。

「三年は待てませんぞ、陛下」

 

「では、二年で勝てる軍を作れ」

 

「御意!」

今度はビッテンフェルトが誰より早く答えた。

 

 

***

 

 

北辰大軍議が終わるのを待って、帝国が動き始めたわけではない。決定事項は軍議全体の終了を待たずに次々と実行されていった。

 

初日のうちからバーミリオン、リューカス、ガンダルヴァへ撤収準備の命令が飛び、ジャムシード、マル・アデッタ、ランテマリオでは防衛線の整備が始まった。後方では保管艦が船渠へ戻され、予備役名簿が更新され、民間造船所には調査員が入った。

 

ケリムではロフォーテン生還艦の記録が集められ、〈光電徴候〉の暫定要員が、別々に残されていた光、鐘、射撃の時刻を一つの表へ重ね始めた。鐘の意味はまだ分からなかったが、分からないことと、測れないことは同じではなかった。

 

遅滞三星系では、住民原簿の複製と退避準備が始まった。バーラト自治政府には、帝国が非武装条項を維持し、軍事通過権を要求しないことが正式に伝えられた。

 

それまで互いに関係のなかった仕事が、帝国の各地で国家戦略のもとに同じ方向へ動き始めていた。

 

 

***

 

 

散会後、北辰の間から人が減っていくのを、ヒルダはしばらく席に座ったまま見ていた。

ザルツマンが統帥本部参謀を呼び止め、明朝までに出す作業票について指示している。

その横でミッターマイヤーは一枚の配置図を確認し、ワーレンは生還部隊の医務審査表を持ってケスラーと何か話していた。

ミュラーはアイゼナッハの引いた通信線を自分の端末へ移している。

ビッテンフェルトはアルブレヒトに「三分の一を本当に俺に回す気はないのか」ともう一度訊いていた。

「ありませんねぇ」

 

「少しくらい考えろ」

 

「三日考えて同じ結論です」

 

「気に入らん」

 

「安心しました」

 

ビッテンフェルトの笑い声が北辰の間に響いた。

メックリンガーだけは少し離れたところで、三日分の会議記録を眺めていた。

議長席では、アレクがまだ一枚の資料を読んでいた。

 

ヒルダは、その光景を見ながら、ふと気づいた。

この三日間、過去の戦例は何度も語られた。

同盟との戦争も、バーミリオン会戦も、回廊の戦いも、ヤン・ウェンリーの名も、死んだ過去の将帥たちの名前も資料の中には現れた。過去を忘れたわけではなかったし、忘れる必要もなかった。

 

それでも、ミッターマイヤーも、ワーレンも、ミュラーも、ビッテンフェルトも、メックリンガーも、アイゼナッハも、ザルツマンも、ケスラーも、一度も口にしなかった言葉があった。

 

先帝陛下なら、どうされたか。

 

議長席にいた息子も、一度も訊かなかった。

ヒルダは三日間を思い返した。

アレクは元帥たちより多くを知っていたわけではない。艦隊運用ならミッターマイヤーの方が知っていた。撤退ならワーレンやミュラーが知っていた。兵站ならアルブレヒトが知り、国家財政なら財務尚書が知っていた。

 

息子は、彼らに答えを教えたわけではなかった。

何を守るのかを決め、何を約束しないかを決め、どこまでなら国家として引き受けるのかを決めた。

 

先帝ラインハルトなら、別の答えを出したかもしれない。

そこまで考えて、ヒルダは自分で少し驚いた。

三日間、一度も考えなかった問いを、大軍議が終わったあとになって初めて考えたからである。

そして、その答えはもう必要なかった。

 

いつから、その問いがなくても帝国は答えを出せるようになっていたのか。

ヒルダには分からなかった。




――「儂は神託を信じてはおりませぬ。ですが、外れ始めるまでは使いまする」

次回、『聖恩大典 ―― 教国side』

V — 人物図譜 教国軍大聖将 エードゥアルト・フォン・グレーフェンベルクンベルク侯
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