銀河英雄伝説・次代篇 ~英雄の残光~   作:銀河の灯守

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【両軍配置図】
「本話終了時点」での両軍のおおまかな配置図です。位置関係の確認用にご参照ください。
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第六十六話「第二次バーミリオン星域の会戦(2)」(新帝国暦二十四年・聖暦二十三年三月)

【新帝国暦二十四年三月 第一聖団〈ベローナ〉艦隊旗艦〈スッラ〉 ラスバッハ】

 

ワーレン艦隊が二射目から照準を変えたことに、〈ベローナ〉艦隊司令ラスバッハはすぐ気づいた。

 

「へぇ。一回見ただけで、そこ撃つのかぁ」

 

主表示では、前へ出ようとした艦が一隻また一隻と損傷し、第二列の中央に目立つ凹みができていた。副官のレームが損害報告と救難要求を整理し、更新された数字をラスバッハへ送った。

 

「閣下。このまま穴を埋め続ければ、前列より先に第二列が詰まります」

 

「嫌なとこ見てんなぁ、ワーレンの爺さんよぉ」

ラスバッハは笑っていた。

「第二列、間隔を開けろ。穴は残せ。三列目は現在位置。前列だけで正面を維持する」

 

後続艦は無理に穴を埋めることをやめた。ワーレンもすぐに変化を見た。教国軍は前列への補充を減らしたぶん、中央の火力を落とさず押し出そうとしている。

 

ワーレンはそこへ増援を入れず、自軍中央をわずかに後ろへ滑らせた。正面の距離が開けば、攻める側はその分だけ前へ出る。〈ベローナ〉艦隊中央の艦群が左右よりわずかに先へ出たところで、ワーレン艦隊両翼の砲口が内側を向いた。

 

帝国軍は、突出してきた教国軍の中央を火線の交点に置いた。左右から砲火が重なり、〈ベローナ〉艦隊前列の数隻がほとんど同時に白く弾けた。教国側は後続を左右へ逃がしたが、中央へ集めた艦数そのものが邪魔になり、隊形の一部が崩れた。

 

ワーレンはそこから深追いせず、下げていた中央を元の位置へ戻した。ラスバッハはその動きを見ていた。

 

「下がったと思ったら、こっちが前へ出されてんのかぁ」

 

レームが帝国側の表示を確認した。

「敵、追撃してきません」

 

「欲張らねえなぁ。面倒くせえ爺さんだ」

 

正面で崩せないなら別の場所を殴ればよい。

ラスバッハはワーレン艦隊前列の後方へ視線を移した。被弾艦を拾う救難艇と曳航艦がいる。

 

「左の五群を敵の救難線へ回せ。正面は維持。救難作業中の船を狙って撃て」

 

百隻前後の小集団が五つ、〈ベローナ〉艦隊本隊から離れた。ラスバッハは喉の奥で笑った。

「傷んでる連中、見捨てられねえよなぁ。さて、ワーレンの爺さん、どこまで拾う?」

 

 

***

 

 

【ワーレン艦隊旗艦火竜(サラマンドル) ワーレン】

 

〈ベローナ〉艦隊から分かれた五つの小群が救難線へ向きを変えた時点で、ワーレンは意図を読んだ。

 

「敵は救難線を狙っているな。第三予備群を護衛に回せ。中継は第二系統へ切り替える準備をしておけ」

 

ワーレンの命令は、教国側の最初の砲撃より先に流れた。

北辰大軍議後の再編で、艦隊の救難線の外側には常に予備群が置かれている。第三予備群はすぐに針路を変え、救難艇の前へ回り込んだ。

 

それでも数隻は教国軍に撃たれた。救難艇数隻と中継艦一隻が失われたが、教国軍が内部へ食い込む前にワーレン艦隊予備群がその進路を押し返した。

 

「第二中継系統へ切替完了。救難管制、継続できます」

 

ワーレンは頷いた。

「続けろ」

 

帝国軍本隊は動かなかった。

ワーレンは敵から救難線が狙われることまで最初から含めて戦場を組んでいた。

 

 

***

 

 

【第一聖団〈ベローナ〉艦隊旗艦〈スッラ〉 ラスバッハ】

 

レームは帝国軍の予備が動いた時点と、中継系統が切り替わった時点を記録していた。

「こちらが救難線への転進を開始した時点で、ワーレン艦隊の予備群は移動を始めています。中継も別系統へ移行。敵の救難作業、止まっておりません」

 

ラスバッハは数字より帝国側の配置を見ていた。正面のワーレン本隊はほぼ動いていない。救難線を襲われても前衛を割かず、後方に置いていた部隊だけで受け止めている。

 

「へぇ。最初から読んでやがったのかぁ」

 

「そのようです」

 

ラスバッハは短く笑った。

「傷んでる奴も拾う。前も空けねえ。やるじゃねえか、ワーレンの爺さん。じゃあ、これならどうかなぁ」

 

そのとき〈ベローナ〉前衛の一角で金色の光が灯り始めた。

 

 

***

 

 

【ワーレン艦隊旗艦火竜(サラマンドル) ワーレン】

 

灰色の船体に細い金色の光が浮かび、それが周囲の艦へ広がった。

ロフォーテンで帝国軍が〈光帯〉と仮称し、いまでは教国側の呼称も判明している〈祈燈〉だった。

 

ワーレンが観測結果を求めると艦橋脇の光電徴候卓で担当士官が複数の表示を重ねた。

 

祈燈の増減、鐘に伴う電磁信号、敵艦群の通信量、機関出力、艦首方向、火器管制系の反応をそれぞれ追っている。

遠く離れた艦群については光が届くまでの時間差も補正し、同じ瞬間に何が起きていたかを並べ直すのが彼らの仕事だった。

 

〈光電徴候〉は、鐘の意味を答えるために新設された職ではない。

意味を決めつけず、光ったのか、通信が増えたのか、艦が向きを変えたのか、砲撃準備が始まったのかを分けて記録するための観測担当である。

 

「前列第二、第四、第七群で祈燈増光。鐘を確認。通信量は第三群で増加していますが、機関出力に有意な変化なし。艦首方向、戦列間隔とも維持。火器管制系の活性化も、現時点では確認できません」

 

ほどなく低い鐘が受信系へ入り、艦橋では何人かが顔を上げ、前衛各艦でも航法士が回避諸元を呼び出した。ロフォーテン星域会戦の記録を見た者にとって、鐘と金色の光は、それだけで次の一斉砲火を連想させるには十分だった。参謀長が回避警報の要否を訊いたが、ワーレンは動かさなかった。

 

「まだ動くな。砲口と機関を見ろ。そこが変わるまでは、そのままだ」

 

鐘はもう一度入った。それでもワーレン艦隊の針路は変わらない。

 

最初の明確な変化は、そのあとに出た。〈ベローナ〉艦隊の第二群と第四群で火器管制反応が上がり、艦首方向が帝国左翼側へ修正される。

 

「よし。左翼だ」

 

ワーレンは左翼だけに警戒を上げさせた。敵艦の砲塔が動き、射撃姿勢への移行が確認されてから帝国左翼の戦隊だけが針路と速度を変える。

 

教国軍からの斉鐘斉射を完全に避けることはできなかった。巡航艦群が直撃を受け、数隻が船体中央から爆発し、数隻が戦闘継続不能となって救難線へ下がった。しかし中央と右翼は位置を保ち、艦隊の形は崩れていない。

 

鐘や祈燈の意味は分からない。それでも、音や光だけでワーレン艦隊一万五千隻の舵が動かされることはなかった。

 

 

***

 

 

【第一聖団〈ベローナ〉艦隊旗艦〈スッラ〉 ラスバッハ】

 

帝国軍が祈燈を無視しているわけではないことを、ラスバッハは見ていた。光が変われば観測機器が動き、鐘が届けば通信量も増える。それでも鐘そのものをきっかけに艦隊全体が揺れることはなく、先ほどの斉射で動いたのも射線上の戦隊だけだった。

 

「……怖がってねえ、ってわけじゃねえんだけどなぁ」

 

レームが帝国側の反応を確認して頷くと、ラスバッハはしばらく正面を眺めていた。

「怖えまんま、舵は渡さなくなったか。いいじゃねぇか。こういうのは、ほどき甲斐があるぜぇ」

 

戦列補充は読まれ、中央の突出も利用され、救難線への迂回も阻まれた。祈燈と鐘まで以前ほど艦隊を乱さないのであれば、同じ形で押し続けても損害が増えるだけである。ラスバッハはもう一度、正面の戦列を見た。

 

「全群、後退。速度を揃えて戻れ。ワーレンに追ってこさせろ」

 

〈ベローナ〉艦隊は前列に砲火を維持させたまま、後方から順に戦列を下げていった。

 

 

***

 

 

【ワーレン艦隊旗艦火竜(サラマンドル) ワーレン】

 

教国側の後退が艦隊全体の離脱だと分かると参謀長は追撃可能と報告した。〈ベローナ〉艦隊は戦列を保っているとはいえ、まだ再編を終えていない。帝国側が前衛を押し出せば、さらに損害を与える余地はある。

 

ワーレンが見たのは退いていく敵艦隊ではなかった。先ほどの敵の攻撃で損傷した艦が曳航され、救難艇では負傷者の収容が続いている。暫定集計では帝国側の撃沈・戦闘継続不能艦は五十隻余り、教国側は三百隻を越えていた。

 

バーミリオン星系から離れる輸送船団の現在位置について確認すると第三輸送群はすでに安全圏へ入り、第四群も予定航路上にあるという。後方で吸収できない遅延も生じていなかった。

 

「追わん。前衛を戻せ」

 

参謀長が、まだ取れると進言した。

 

「知っている。だが、今日はあれを沈めるためにここへ来たのではない」

 

追撃の話はそれで終わった。この日の交戦だけを見れば、帝国軍の局地勝利だった。教国軍の戦列補充に有効な攻撃法を見つけ、救難線への攻撃を防ぎ、鐘にも艦隊全体を動かされなかった。

 

ワーレンにとっては、それでも予定された船団を一つ後方へ通すという仕事を果たしたというだけのことだった。

 

 

***

 

 

【第一聖団〈ベローナ〉艦隊旗艦〈スッラ〉 ラスバッハ】

 

帝国軍が追ってこないと分かったころには、〈ベローナ〉艦隊の戦列もほぼ整い直していた。レームは後退中の記録を整理しながら帝国軍が追撃態勢を解き、救難と輸送を再開したことを報告した。

 

「……追ってきてくれねえなぁ、ワーレンの爺さん」

 

「損害表よりも、時刻表を見ているようですな」

 

ラスバッハは笑った。

「あの爺さん、勝ったから戻ったんじゃねえ。今日の仕事が終わったから戻りやがった。やるねぇ」

 

そこへ第一聖団司令部から、損害表と全戦闘記録の提出要求が入った。救難線への迂回攻撃も含めて、という。

 

「全部送れ」

 

レームが戦闘記録の修正の要否を確認するとラスバッハは面倒そうに片手を振った。

「失敗も含めて、だ。そこは『お化粧』なんかしねぇよ。都合の悪いとこ消した記録なんざ、次に使えねえだろぉ」

 

撃沈数も、失敗した迂回も、そのまま送られた。最後にラスバッハが見直したのは敵将の名だった。

 

「ワーレンねぇ。昔から名前は知ってたが、こういう爺さんだったか」

レームが旧帝国軍時代の面識を訊くと、ラスバッハは首を振った。

「ねえよ。向こうも俺なんざ知らねえだろぉ」

少し間を置いて、もう一度だけ笑った。

「惜しいことしたなぁ。あの頃にいっぺんやってみたかったぜぇ」

 

 

***

 

 

【第一聖団〈マルス〉艦隊旗艦〈ベルトルト〉 シュタイガー】

 

シュタイガーは〈ベローナ〉艦隊から送られてきた戦闘記録を最初から見た。戦列補充を狙われたこと、帝国軍が中央を下げて突出を誘ったこと、救難線への迂回に対して後方の予備がすぐ動いたことを順に確認する。最後に祈燈と鐘を用いた際の帝国軍の反応記録が出た。

 

「鐘への反応は」

 

「一斉回頭はありません。こちらの火器管制が変化した艦群に対してのみ、局所的な回避が確認されています」

 

シュタイガーは少しだけ考えた。

「分けて見ているか」

断定はしなかった。

「記録は残せ。ベローナには同じ形で二度当たるなと伝えろ」

 

そのとき索敵卓へ新しい表示が上がった。〈ベローナ〉艦隊のさらに後方から、教国軍の複数の艦群が観測圏へ入り始めていた。

 

 

***

 

 

【ワーレン艦隊旗艦火竜(サラマンドル) ワーレン】

 

〈ベローナ〉艦隊からの先遣部隊との交戦が終わっても、ワーレン艦隊に勝利を祝う時間はなかった。遠距離観測でしか見えていなかった反応が、次々と個々の艦として識別できる距離へ近づいてくる。

 

最初に名称が確定したのは、オットフリート・シュタイガー聖将の〈マルス〉艦隊だった。退いた〈ベローナ〉先行部隊の後方から残余部隊が合流し、ラスバッハの艦隊も総数一万隻規模へ戻っていく。

 

反対側ではゴットフリート・フォン・メルゼブルク聖将の〈ウィルトゥス〉艦隊一万隻が戦列を作る。

 

さらにバルタザール・フォン・ブレドウ聖将の〈サトゥルヌス〉艦隊一万隻も観測圏へ入った。

〈サトゥルヌス〉艦隊だけは、帝国軍の真正面へ来なかった。帝国領へ続く後方航路から横へ外れた位置で進出を止めている。そこにいるだけなら撤収路を塞がないが、横へ出れば後退する帝国艦隊の側面へ届く位置だった。

 

さらに教国軍艦隊の外側には、小さな反応が散っている。

十隻ほどの群れもあれば、数十隻、百隻を越えるものもある。互いの間隔は広く、一個艦隊らしい戦列を作らないまま、合計すればさらに一万隻近くになった。

 

「教国軍、総計五万隻級」

 

参謀長の報告を聞いても、ワーレンは驚かなかった。想定した数字である。それでも四千八百隻を退けた直後の画面へ五万隻が現れると、先ほどまでの戦場は急に小さく見えた。

 

「輸送船団の退避状況は?」

 

「予定どおりです」

 

「では、こちらも予定どおりだ」

ワーレンはそれだけ答えた。

 

 

***

 

 

【バーミリオン星系 惑星モン・ミラーユ軌道搬出港】

 

教国軍主力が星系へ入りつつあるという報告は、惑星モン・ミラーユ軌道の搬出港にも届いていた。それでも船は出続けていた。

 

避難船、病院船、民間輸送船が定められた順番で離床し、帝国後方へ向かう航路へ入る。管制員たちにできるのは、目の前の一隻を遅らせず、次の一隻を所定の位置へ入れることだけだった。教国艦はその進路を追っている。だが撃たなかった。

 

やがて搬出位置へ、帝国軍の軍需輸送船が入った。積まれているのは燃料、予備電池、補修部品、通信設備その他、帝国軍が次の戦場でも使用する軍事物資だった。それも教国軍からは撃たれなかった。管制員は表示を一度見てから何も言わず離床許可を出した。

 

 

***

 

 

【第一聖団〈ベローナ〉艦隊旗艦〈スッラ〉 ラスバッハ】

 

帝国の軍需輸送船が、〈ベローナ〉の観測圏を横切っていた。レームが表示を確認した。

「敵の軍用輸送船です。先頭は燃料船と推定。ラーベンホルスト隊を出せば捕捉できます」

 

レームが報告した直後、内部回線が艦橋に開いた。

 

『ラスバッハ閣下。あれ、欲しいなぁ。僕にくださいよ』

 

若い男の声だった。

聖赦執行隊第一強襲群長、キリアン・ラーベンホルスト。

強襲区画で出撃待機に入ってからまだ一度も仕事を与えられていない。ラスバッハは表示から目を離さなかった。

 

「駄目だぜぇ、ラーベンホルスト」

 

『護衛が十隻います。撃ち返してきますよ』

 

「だからどうしたぁ?」

 

『面白そうでしょう?僕らで丸ごと食ってきます』

 

ラスバッハは少し笑ったが、返した声からは粘る語尾が消えた。

「撃つな」

 

回線の向こうが二秒ほど黙った。

『……承知しました、閣下』

 

通信が切れるとレームが端末を確認した。ラーベンホルスト隊は射撃管制を解除し、強襲艇も待機を続けている。

 

「ラーベンホルストも、お利巧に『待て』ができるようになったじゃねえか」

 

「人間に使う評価ではありませんな」

 

「あのガキは、犬より覚えが悪かったんだよぉ」

ラスバッハは椅子へ深く座ったまま、帝国後方へ伸びていく船列を眺めていた。

 

「軍用輸送船も、民間船と同じ扱いにしますか?」

 

「同じじゃねえよぉ。あっち(民間船)は撃たねえ。こっち(軍需船)は、撃てるけど撃たねえんだ」

 

軍需船を沈めてしまえば、帝国軍は持ち出すのを諦めて早期に撤退してしまう。皇帝も一緒に逃げる。沈めずに通してやれば、あと一隻、もう一隻とここに残る理由が増える。口元が歪んだ。

 

「マーロヴィアでは、非戦闘艦を沈めて皇帝サマを縛った。今度は残して縛る」

 

レームは射撃禁止を入力した。

「皇帝陛下もお忙しいことで」

 

「ああ。守るもんが多くて大変だよなぁ。同情するぜぇ」

 

司令部の一隅では、艦隊司祭ローデリヒ・フォン・グルックスブルクが今の命令を記録具へ書き込んでいた。ラスバッハがそちらを見る。

「なぁ、ローデリヒ司祭サマ。軍用船を撃たなかったんだぜぇ。母なる地球サマを一晩抱いてみたら、俺も改心してたいそう慈悲深くなったって、ちゃんと記録しとけよぉ」

 

「軍需物資を餌として残し、敵軍を戦場に引き留めることを、教団では慈悲とは申しません」

ローデリヒは顔も上げなかった。

 

「厳しいねぇ。今日はまだ一隻も軍艦以外沈めてねえのによぉ」

 

「閣下の場合、殺さなかった理由を記録した方が正確でしょう。なお、母なる地球に対する不敬発言については記録しておきます」

 

ラスバッハは数秒、ローデリヒを見た。

「……そこまで書くのかよぉ」

 

主表示の隅では宣信院の宣伝放送が流れていた。

画面に、トビアス・ブリュックナーの顔が映る。ラスバッハがそれに気づいた。

「おい、司祭サマ。この丸顔、あんた見覚えあるだろぉ」

 

ローデリヒが一度だけ画面を見た。

「ございます」

 

「あんたを幼年学校から追い出した平民の小僧だぜぇ」

 

「いいえ。正確には、わたくしの仕込みを証言一つで崩した生徒です」

 

「同じじゃねえかよぉ」

 

「大きく違います。責任の所在が変わりますので」

 

ラスバッハはレームの方を見た。レームは端末から目を上げなかった。

「トビアス・ブリュックナーの証言後、グルックスブルク家は貴族社会での信用を失っています。その後同家と寄親との関係が解消され、司祭殿は幼年学校を離れていますな」

ローデリヒが静かに言った。

「ずいぶん昔のことまで丁寧にお調べになったのですね」

 

「そりゃ、歓迎する相手の古傷くらい調べんだろぉ」

 

「一般には好物や趣味を調べますが」

 

「それは前にやったじゃねえか」

ラスバッハは楽しそうだった。

「で、どうだよ、司祭サマ。あの仇の丸顔が死んだって聞いたとき、ちょっとくらい笑ったかぁ?」

 

「仇ではございません。証人です」

 

「えぇ?この丸顔、お前を学校から追い出した奴だろぉ」

 

「わたくしが学校を去ることになったのは、正しい証言をされたからではございません。正しい証言を一つされただけで崩れる仕込みをした、わたくしの不手際です」

 

ラスバッハは少し目を細めた。

「反省かぁ?」

 

「検算にございます」

 

「……お前さぁ、ほんっと可愛くねえよなぁ」

 

ローデリヒは答えなかった。ラスバッハは画面のトビアスへもう一度目をやった。

 

「まあ、この丸顔は俺の戦で死んだんだ。司祭サマに祝杯くらい奢ってやろうか」

 

「閣下が狙ってお討ち取りになったのでしたら、御厚意だけは頂戴したかもしれません」

ローデリヒは一拍置いた。

「……ですが、閣下が狙ったのではなく、たまたま……当たっただけなのでしょう?」

 

レームの口元がほんの少し動いた。

 

「まぐれ当たりでも、閣下に勲章は出たそうでございますね。命令違反の謹慎処分も解けたようですし。祝杯でしたら、わたくしではなく、そちらのお祝いになされてはいかがですか」

 

ラスバッハは数秒、ローデリヒを見た。

 

「……グルックスブルク、そこまでにしとけ。殺すぞ」

 

語尾は伸びなかった。ローデリヒは静かに頭を下げた。

「承知いたしました」

そこで退くと思われた。

「……ただ、わたくしを黙らせる際には、今度こそ偶然には頼られませんよう」

 

艦橋が一瞬、静かになった。その沈黙へ、開いたままの内部回線から若い男の爆笑が割り込んだ。

 

『へぇ。司祭サマ、ちゃんと閣下に撃ち返すんだね』

 

強襲区画の小さな映像窓では、キリアン・ラーベンホルストが頬杖をついて笑っていた。

ラスバッハがそちらを見た。

 

「ラーベンホルスト。混ざるな」

 

『混ざってませんよ。聞いて勉強してるだけです』

 

「黙れ」

 

『はい、閣下』

 

返事だけは素直だった。笑みは消えなかった。

ラスバッハはローデリヒへ視線を戻した。数秒して鼻で息を吐き、やがて低く笑い始めた。

「……お前さぁ、本当に元貴族で、今は聖職者なんだよなぁ?」

 

「左様でございます」

 

今度こそ、ラスバッハは笑った。やがて主表示へ目を戻す。宣信院の宣伝放送では、まだトビアスの顔が使われていた。

「死んじまっても働かされんのか。大変だねぇ」

 

ローデリヒも画面を見た。

「少なくとも、死者は訂正を求めません」

 

ラスバッハの笑みがまた深くなった。

「死人ってのは便利だよなぁ」

 

今度はローデリヒも否定しなかった。

 

 

***

 

 

【帝国軍総旗艦ブリュンヒルト アレク】

 

軍需輸送船にも攻撃がないという報告がアレクのところへ上がった。主表示には帝国後方へ伸びる船列がある。民間船も病院船も軍需輸送船も、その外側を教国艦に追尾されながら撃たれずに通っていた。

 

「住民だけではないのだな」

 

『はい。軍需船にも攻撃はありません』

 

ミュラーが答えた。避難船を撃たない理由なら理解できる。これから占領しようとする星系の住民を、逃げる途中で大量に殺す意味は乏しい。軍需物資は違った。

 

燃料も部品も通信設備も、いずれ教国軍自身を撃つために使われる。星系から帝国軍を早く追い出したいならむしろ軍需船こそ沈めるべきだった。

 

アレクは配置を見直した。教国軍は五万隻を集めている。それなのに人を通し、物まで通している。

「……余に帰る理由を作らせず、残る理由を残しているのか」

 

回線の向こうでミュラーが少し黙った。

『そのように見えます。ただし、その先に何を用意しているかまではまだ分かりません』

 

教国軍が軍需物資を撃ち始めれば、帝国軍はある時点で搬出を諦め、予定より早く撤収する可能性がある。だから撃たず、帝国軍が自分の判断でここに残り続けるようにしている。アレクは五万隻の配置をもう一度見た。

 

罠があることは帝都を出る前から分かっていた。ようやく、その入口の形が見え始めていた。

 

 

***

 

 

両軍の配置は、ほどなく一つの形に落ち着いた。

帝国軍はバーミリオンから後方へ、長く縦に伸びていた。

 

もっとも前にワーレン艦隊一万五千。

その後ろ、惑星軌道と搬出拠点にリューデンハイム中将の現地遅滞部隊五千が残り、さらに後方にミュラー艦隊一万五千とブリュンヒルトがいる。

救難、中継、収容、航路維持の五千隻はその後方へ散っていた。

帝国軍の後ろは開いている。

撤収条件が成立すればそのまま帝国領へ下がるためである。

 

教国軍は、その帝国軍を前と左右から見ていた。

ワーレン艦隊の正面に、シュタイガーの〈マルス〉艦隊一万。

一旦後退した後、帝国本陣に近い側面に展開したラスバッハの〈ベローナ〉艦隊一万。

反対側にメルゼブルクの〈ウィルトゥス〉艦隊一万。反対翼の〈ウィルトゥス〉も整列線を崩さず、帝国側がミュラー艦隊を丸ごとワーレン艦隊正面へ回す余地を塞いでいた。

別の聖団に所属するブレドウの〈サトゥルヌス〉艦隊だけが後方航路の横へ外れ、出口を塞がず、命令があればそこへ手を届かせられる位置にいた。

そして、そのさらに外側には所属不明の約一万隻の小艦群が戦域に散っている。

 

両軍とも砲撃圏へ入るための位置を取りながら戦列を大きく動かさず、相手が先に何をするかを見ていた。艦橋に届くのは索敵と航路確認の報告ばかりだった。

火器管制は生きている。砲口も敵を向いている。それでも砲火だけがまだなかった。

 

避難船団の一群がゆっくりと通過していった。民間船の灯が帝国軍の後方へ流れ、やがて一隻ずつ戦術表示の端へ消えていく。

 

教国軍五万と帝国軍四万の艦隊が、互いを見たまま、開戦の時を待っていた。




V — 人物図譜 教国軍第二聖団〈サトゥルヌス〉艦隊司令 聖将バルタザール・フォン・ブレドウ
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