真祖吸血鬼、まだ存在しないアメリカに寄生する 〜合法的な血液供給のため、建国前から国家運用保守を始めました〜   作:パラレル・ゲーマー

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第18話 真祖吸血鬼、誰も「撃て」と命じた証拠がないと知る

 

 裁判所の分厚いオーク材の扉が、重々しい音を立てて閉ざされた。

 

 外の広場から響いていた群衆の怒号が、一枚の壁を隔てて鈍い地鳴りのような響きへと変わる。

 

「プレストンを吊るせ!」

 

「四人の名前を忘れるな!」

 

「血の代償を払わせろ!」

 

 法廷の内部には、その外の熱狂を完全に遮断しようとするかのような、張り詰めた静寂があった。

 

 高い位置に並ぶ裁判官たちの冷たい視線。

 

 被告席に座るトーマス・プレストン大尉の、血の気の失せた青白い顔。

 

 弁護側の席には、ロバート・オークムティ、ジョン・アダムズ、ジョサイア・クインシー・ジュニアが、書類の束を前に陣取っている。

 

 向かいの検察側には、ロバート・トリート・ペインとサミュエル・クインシーが、静かに戦端が開かれるのを待っていた。

 

 俺は傍聴席の隅に座り、深く息を吐いた。

 

 すぐ横にはギデオンとアーサーが控え、少し離れた席には、民衆側の代表者としてサミュエル・アダムズが冷徹な目で法廷を見下ろしている。

 

 同じ一つの空間の中に、被害者側の怒り、英国軍側の恐怖、法律家たちの厳格な手続き、未来の歴史を知る俺の知識、そして真祖吸血鬼であることを隠すという秘密が、ぎゅうぎゅうに押し込められている。

 

 その圧倒的な情報密度に、俺は軽い眩暈すら覚えた。

 

「……ここで、あの夜の真実が決まるのか」

 

 俺がぽつりと呟くと、ギデオンが冷たく言い放った。

 

「違う。ここで決まるのは、この男の首にロープをかけて刑罰を科せるかどうかだ」

 

 ジョンから教えられた法廷の原則を、俺は即座に思い出した。

 

 ここは真実を完璧に再現する神の空間ではない。

 

 不完全な人間が、不完全な証拠を使い、それでも人間一人へ刑罰を科してよいのかを判断するための場所なのだ。

 

 証人尋問に入る前から、法廷は手続きの攻防で荒れていた。

 

 プレストン側は、街の反英的な熱狂に染まった陪審員を排除するため、多数の候補者に対して忌避を申し立てていた。

 

「この候補者は、リヴィアの版画を自宅の壁に飾っている!」

 

「あの男は事件の直後、酒場でプレストン大尉を殺人者と呼んでいた!」

 

「この人物は、反英派の集会で公然と有罪を求めていたはずだ!」

 

 弁護側が一人、また一人と候補者を外そうとするたびに、検察側や傍聴席の市民からは不満の声が上がった。

 

「街の人間を片端から外せば、結局残るのは王党派の連中ばかりではないか!」

 

「最初から無罪にするための陪審員選びだ!」

 

 実際、弁護側が二十人以上もの候補者を忌避した後、保安官によって新たに補充された候補者の中には、プレストン大尉や本国側へ好意的だと噂される者も含まれていた。

 

 市民たちの疑念にも、理由がないわけではない。

 

 俺は、そのやり取りを見ながら眉をひそめた。

 

「……これさ。怒ってる市民を外したら、軍に肩入れする王党派ばかりになる。逆に王党派を外したら、最初からプレストンを有罪だと思い込んでる市民ばかりになる。完全に中立で偏りのない人なんて、この街のどこにいるんだよ」

 

 手元の書類を整理していたジョンが、俺の言葉に小声で答えた。

 

「いないのかもしれませんね」

 

「いないの!? それで裁判ができるのかよ」

 

「偏りのない人間を探すのではありません、ヴァレンタイン氏。自分の中に偏りがあることを認めた上で、それを一旦脇へ置き、法廷で示された証拠を聞く意思のある人間を探すのです」

 

 ジョンは、陪審候補の経歴を記した書類をめくりながら、軍へ食料を納めている商人、反英集会の常連、被告人の知人、死者の親族と関係がある人物を、一つずつ確認している。

 

「これ、手続きの段階から、検察も弁護もどっちも自分に有利な人を残そうとしてないか?」

 

「当然です」

 

「当然なの!?」

 

「だから、相手側にも同じように忌避の権利が与えられているのです。片方だけが選べるなら、それは明白な不正です。双方が互いの偏りを削り合うことで、完全ではなくとも中央へ近づこうとする」

 

 俺は、選ばれた陪審員たちを見た。

 

「……実際、中央へ近づいてるようには見えないんだけど」

 

 ジョンは否定しなかった。

 

「私も、この選任が完全に公正だったとは申しません。手続きは、人間が運用する限り歪みます。それでも、今ここに選ばれた陪審員へ、証拠だけを聞くよう求めるしかないのです」

 

「法廷って、最初から公正な人が集まって真実を探す場所じゃないんだな」

 

「ええ。公正ではない人間たちが、互いを監視し、反駁し合うことで、何とか公正へ近づこうと足掻く場所です」

 

 法廷という仕組みの泥臭さを、俺は改めて噛み締めた。

 

「静粛に!」

 

 裁判長の声が響き、書記がトーマス・プレストン大尉に対する起訴内容を読み上げ始めた。

 

 この世界では、あの夜の死者は四人だ。

 

 読み上げられる名前が、法廷へ響き渡る。

 

 クリスパス・アタックス。

 

 サミュエル・グレイ。

 

 ジェームズ・コールドウェル。

 

 サミュエル・マーヴェリック。

 

 俺は、大声で読み上げられる四つの名を聞きながら、未来の歴史記録ではここに続くはずだった五人目の名前を、心の中だけで思い浮かべた。

 

 パトリック・カー。

 

 だが、その名が死者として呼ばれることはない。

 

 法廷の隅には、生きたカー本人が座っているのだ。

 

 まだ傷の痛みが残っているのか、時折顔をしかめて脇腹を押さえているが、彼は確かに呼吸し、自分の耳でこの裁判の行方を聞いている。

 

「……ここでも、四人だ」

 

「いつまで死者の数を数えるつもりだ」

 

 ギデオンが咎めるように言う。

 

「一生だよ。俺がこの歴史に手を出した証拠なんだから」

 

 検察側の冒頭陳述。

 

 ロバート・トリート・ペインが立ち上がり、陪審員へ向かって朗々と語り始めた。

 

 彼の論理は極めて明快だった。

 

「プレストン大尉自身が、自らマスケット銃を構え、引き金を引いたわけではないことは、我々も承知している。しかし、彼が武装した兵士たちを夜の街中へ連れ出し、銃へ弾を込めさせ、市民へ銃口を向けさせ、そして撃てと命じたのであれば、彼こそが四人の死へ責任を負うのである!」

 

 検察は、あの版画そのものを証拠として提出したわけではない。

 

 だが、その語り口は、リヴィアの版画が描いた構図と見事に一致していた。

 

 大尉が後ろで指揮を執る。

 

 銃列が作られる。

 

 命令が下される。

 

 一斉射撃が行われる。

 

 市民が倒れる。

 

「……絵を法廷から追い出しても、絵が作った構図は、こうやって言葉の中に入り込んでくるんだな」

 

 俺の呟きに、アーサーが静かに頷いた。

 

 続いて、弁護側の冒頭陳述。

 

 年長のオークムティが立ち上がり、短く、しかし重々しく宣言した。

 

「我々弁護団は、神のごとく被告人の無実を見通せるとは申しません。問われるべきはただ一つです。検察側が、プレストン大尉が発砲を命じたと、陪審員諸君が確信できるほどに証明できるか。命令した人物について重大な疑いが残るなら、その命令を彼の行為として罰することはできません」

 

 プレストンが、不安げにジョンの袖を引いた。

 

「アダムズ先生。私が命令していないと、なぜ最初から大声で言ってくれないのだ」

 

「あなたはすでに、そう主張して被告席に座っているではありませんか」

 

 ジョンは書類から目を離さずに答えた。

 

「弁護士が同じことを大声で繰り返しても、それは証拠にはなりません」

 

 プレストンは不満そうに唇を噛んだが、それ以上は黙った。

 

 証人尋問が始まった。

 

 検察はまず、発砲命令そのものではなく、事件の周囲にあった不穏な空気を積み上げることから始めた。

 

 理髪店見習いの少年との口論。

 

 歩哨ヒュー・ホワイトの態度。

 

 鐘の音。

 

 集まる群衆。

 

 救援へ来た兵士たち。

 

 装填された武器。

 

 証人たちは次々に語った。

 

「兵士たちが剣や銃剣を抜いて、市民を追いかけていた!」

 

「歩哨が少年を容赦なく殴ったのを見た!」

 

「兵士が市民を汚い言葉で侮辱していた!」

 

 俺は、その多くが事実であることを知っている。

 

 だが一方で、

 

「最初から市民側は完全に平和的だった」

 

「誰も兵士を挑発していなかった」

 

 という証言には、明確な違和感を覚えた。

 

 俺はあの夜、飛び交う氷の塊も、兵士の銃を小突く棍棒も見ていたからだ。

 

「なあ、ジョン。群衆側の暴力について、今すぐ反論しなくていいのか?」

 

 俺が小声で尋ねると、ジョンは首を振った。

 

「今の争点ではない証言へ一つずつ噛みつけば、陪審員の目には、被告人があの夜の事件すべてを嘘だと否定しているように見えます」

 

「反論できる武器があるからって、全部出しちゃ駄目なのか」

 

「法廷では、何を争うかと同じくらい、何を争わないかを選ぶことが必要なのです」

 

 そして、検察側から最初の決定的な証人が呼ばれた。

 

 ウィリアム・ワイアット。

 

 彼は聖書へ手を置いて宣誓すると、確信に満ちた声で語った。

 

「オフィサーが、三度、撃てと命じました」

 

 法廷の空気が一気に張り詰めた。

 

 ワイアットは続ける。

 

「最初の二度は、兵士たちは反応しませんでした。ですが三度目には、激しい罵声とともに、結果がどうなろうと構わん、撃て、という趣旨の命令が下されたのです。そしてその直後、最初の銃声が響きました」

 

 傍聴席がざわめく。

 

「やはり命じたのだ!」

 

「プレストンが言ったんだ!」

 

 サミュエル・アダムズも、険しい顔で証言を聞いている。

 

 プレストンの顔は完全に土気色になっていた。

 

 俺も内心で焦った。

 

 これは決定的ではないのか。

 

 ジョン・アダムズが静かに立ち上がった。

 

「ワイアット氏。あなたは、その命令した人物の顔を、はっきり見ましたか?」

 

 ワイアットは一瞬だけ口籠もった。

 

「……いや。その男は私に背中を向けていた」

 

「では、その声を聞いて、それがプレストン大尉の声だと判断したのですね」

 

「その男が、大尉だと思ったんだ」

 

「あなたは以前から、プレストン大尉の声を何度も聞き慣れていたのですか?」

 

「……そうではない」

 

「ではなぜ分かったのです。その人物がプレストン大尉だと、誰かが周囲で呼んだのを聞いたからですか?」

 

「そうだ!」

 

 ジョンは、証人を嘘つきだと罵倒しなかった。

 

 ただ、証人自身の中で混ざり合った事実を、冷静に切り分けていく。

 

「つまり、あなたが確実に認識したのは、誰かがオフィサーと呼んだ人物の背中と、fireという声ですね」

 

 ワイアットは苛立ちを露わにした。

 

「同じ男だったんだよ!」

 

「見たのですか?」

 

「そう思ったんだ!」

 

「私は、あなたがそう思ったのか、自分の目で見たのかを尋ねています」

 

 見た。

 

 聞いた。

 

 推測した。

 

 ジョンは、その三つを一つずつ剥がしていく。

 

 さらにジョンは、命令した人物の衣服について尋ねた。

 

 ワイアットは当初、

 

「命令を出した男は、布色の外套を着ていた」

 

 と語っていた。

 

 だが、他の証言との矛盾を突かれると、言い淀んだ。

 

「……いや、外套を着ていたのは、もしかしたらプレストンへ声をかけた別の男の方だったかもしれない」

 

 法廷が再びざわつく。

 

「服の色なんて、夜の暗闇なんだからどうでもいいだろ」

 

 俺が呟くと、ギデオンが厳しくたしなめた。

 

「命令した男を特定する根拠が服なら、どうでもよくはない。服の記憶が曖昧なら、命令者の特定そのものが揺らぐ」

 

 ワイアットが意図的な嘘をついているとは限らない。

 

 大尉。

 

 大尉に話しかけた男。

 

 背後から聞こえた声。

 

 発砲後に兵士を叱った人物。

 

 それらの記憶が、七か月という時間の中で、一人の人物へ重なってしまった可能性がある。

 

「あなたは、発砲後にプレストン大尉が兵士の銃を上へ押し上げ、なぜ撃ったと叱責したとも証言しましたね」

 

「ああ、そうだ」

 

「発砲を命じた人物が、その直後に、命令どおりに撃った兵士を叱ったのですか?」

 

「……そのように見えた」

 

「なぜ、自分の命令へ従った部下を叱る必要があるのでしょう」

 

 ワイアットは答えられなかった。

 

 ジョンは、

 

「ならば命令していない」

 

 と声高に断定しない。

 

「その矛盾する二つの出来事が、あなたの中では同時に真実なのですね」

 

 そう告げて、引き下がった。

 

 証人を潰すのではない。

 

 証言の内部に存在する矛盾を、陪審員の目の前へ置いたのだ。

 

 次の強力な証人は、ダニエル・カレフだった。

 

 彼はワイアットよりもさらに強く、決定的な証言をした。

 

「私は、オフィサーの顔を見ました。月明かりの下で、彼の口が動くところを見たのです。fireと二度言いました。その人物は、間違いなくプレストン大尉でした」

 

 背中ではない。

 

 顔を見た。

 

 口が動くところを見た。

 

 プレストンだと法廷で確認した。

 

 検察側が勢いづく。

 

 俺も、今度こそ終わったかと思った。

 

 ジョサイア・クインシーが反対尋問に立った。

 

「カレフ氏。あなたは事件以前に、プレストン大尉をよく知っていましたか」

 

「いいや」

 

「事件以後、最近まで彼を見たことは?」

 

「なかった」

 

「では、七か月前の夜、混乱と硝煙の中で見た一人のオフィサーと、法廷へ現れた被告人が同一人物だと、今確信しているのですね?」

 

「確信している」

 

「月明かりは、どの方向から差していましたか?」

 

「……」

 

「その時、大尉の顔は、あなたへ正面を向いていましたか?」

 

「見えたんだ」

 

「何秒ほど見ましたか?」

 

 尋問の目的は、カレフを嘘つきにすることではない。

 

 彼の確信の根拠が、七か月の時間を経ても耐えられるほど強いものなのかを、陪審へ問うことだった。

 

 その後も検察側からは、

 

「プレストンは兵士の後ろにいた」

 

「怒って撃てと命じた」

 

 と、版画の構図に最も近い証言をするロバート・ゴダードらが呼ばれた。

 

 検察は、

 

「一人だけではない。複数が命令を聞いた」

 

 と強調する。

 

 俺も一瞬、その数に圧倒されそうになった。

 

 だが、ジョンは小声で言った。

 

「同じ出来事を、独立した視点から複数人が見たのなら、それは強い証拠になります」

 

「違うの?」

 

「同じ噂を聞き、同じ版画を見て、七か月間同じ物語を語り合った人々が、いつの間にか同じ記憶を持つようになった可能性もあります」

 

「証人が増えても、元の情報源が一つなら、多数決にはならないってことか」

 

「彼らが意図的に口裏を合わせたとは申しません。ただ、人間の記憶は他人の物語から完全には独立できないということです」

 

 さらに、検察が呼んだ証人の中から、検察の物語へ亀裂を入れる者が出始めた。

 

 エベニーザー・ヒンクリーは、

 

「群衆から棒や雪が飛び、棒が兵士に当たった直後に兵士が撃った。プレストンが兵士の後ろにいたところは見ていない」

 

 と話した。

 

 ピーター・カニンガムは、

 

「発砲命令は聞いていない。プレストンは兵士の銃を上へ押し上げていた」

 

 と語った。

 

 セオドア・ブリスに至っては、

 

「fireという声は何度も聞いたが、誰の声か分からない。私が近くにいたのだから、プレストンが大声で命じたなら聞こえたはずだと思う」

 

 と証言した。

 

 検察側の証人が、検察の物語を内側から壊し始めていた。

 

 法廷の証言を聞くうち、俺はあの夜の異常な状況を思い出していた。

 

 あの夜、fireという言葉は、一度だけ叫ばれたのではない。

 

 群衆が兵士を挑発して、

 

「撃て」

 

 と叫ぶ。

 

 鐘を聞いて火事だと思った者が、

 

「火事だ」

 

 と叫ぶ。

 

 兵士が仲間へ何かを叫ぶ。

 

 オフィサーらしき声。

 

 発砲後に止める声。

 

 遠くから走ってきた人間が、何が起きたのか分からず叫ぶ声。

 

 同じ音が、違う意味と違う方向から何度も飛び交っていた。

 

「……火事を知らせるfireと、群衆が兵士を煽るfireと、命令だったかもしれないfireが、同じ夜に何度も飛び交ってたんだ」

 

 俺が頭を抱えると、アーサーが言った。

 

「ですが、問題は言葉の意味よりも、誰の声だったかではありませんか」

 

「うん。単語が聞こえても、発信元が分からない。だから命令として確定できない」

 

 言葉の両義性だけが、事件を分からなくしたわけではない。

 

 誰が叫んだのか。

 

 どの方向から聞こえたのか。

 

 証人はプレストンの顔や声を知っていたのか。

 

 群衆の挑発を、士官の命令と取り違えたのではないか。

 

 七か月間の噂と版画によって、記憶が変化したのではないか。

 

 証拠がなかったのではない。

 

 証拠が多すぎて、互いに矛盾し、どれを確かなものとして採用できるのか分からなかったのだ。

 

 弁護側の証人喚問が始まった。

 

 若き書店主ヘンリー・ノックスは、プレストンが兵士のもとへ向かう途中、自分が服を掴んで警告したと証言した。

 

「兵士たちが撃てば、大尉の命が責任を負うことになるぞ」

 

 そう告げると、プレストンは、

 

「承知している」

 

 という趣旨で答えたという。

 

 この証言は、二つの方向へ働く。

 

 検察からすれば、

 

 責任を理解していながら、武装兵を連れていった。

 

 弁護からすれば、

 

 責任を理解していた人間が、自分の命を失う発砲命令を軽々しく出すだろうか。

 

 同じ一つの事実が、双方の物語の材料になる。

 

 さらに、弁護側の重要証人であるリチャード・パームズが立った。

 

 彼は発砲直前、プレストンのすぐ前にいた。

 

 大尉の肩へ手を置き、

 

「兵士たちへ発砲させるつもりか」

 

 と尋ねたという。

 

 プレストンは、

 

「決してそのつもりはない」

 

 と答えた。

 

 その直後、氷か棒が兵士へ当たり、一発目が撃たれる。

 

 パームズは、

 

「fireという声を聞いたが、誰の声か分からなかった。声がした時、プレストンの背中は兵士側を向いていた」

 

 と証言した。

 

 プレストンが発砲を命じた可能性を完全に否定するものではない。

 

 だが、もし命令したのなら、自分の背後から飛んでくる銃弾に身を晒す位置にいたことになる。

 

 パームズの証言は、プレストンを聖人にはしない。

 

 ただ、検察の版画的な位置関係を崩した。

 

 ジョンは、味方であるはずのパームズに尋ねた。

 

「あなたは、最初の発砲後に兵士を棒で打ちましたね」

 

 法廷がざわつく。

 

 弁護側に不利な話だ。

 

「銃剣で刺されそうになったからだ!」

 

 パームズが色をなす。

 

「最初の発砲前には?」

 

「殴っていない」

 

「そこ、検察が聞くまで黙っててもよかったんじゃない?」

 

 俺が聞くと、ジョンは静かに答えた。

 

「相手に暴かれれば、我々が事実を隠していたように見えます」

 

「味方の証人なのに」

 

「証人は、我々の所有物ではありません」

 

 もちろん、ジョンも無色透明な記録者ではない。

 

 質問の順番を選び、被告人に有利な事実を拾い、検察の物語が崩れるように証言を並べている。

 

 彼もまた、法廷で一つの物語を作っている。

 

 ただし、その物語は検察の反対尋問によって壊されることを前提としていた。

 

 黒人の使用人アンドリューは、群衆の内側から見た光景を語った。

 

「市民側から雪玉や棒が飛び、兵士の銃が叩かれた。群衆が殺せと叫んでいた。fireという声はオフィサーの向こう側から聞こえた。最初の銃声後は恐怖で、自分がどこにいたかも分からなくなった」

 

 検察は、

 

「恐怖で混乱した証人だ」

 

 と信頼性を崩そうとした。

 

 だがアンドリューは、

 

「だから、分からなくなった後のことは話していない」

 

 と返した。

 

 ジョンが僅かに頷く。

 

 分からない部分を分からないと言えることが、証人の信用となる。

 

 自由黒人のニュートン・プリンスも、静かに語った。

 

「鐘を聞いて外へ出た。市民の一部が衛兵を襲おうと話していた。群衆が兵士へ撃てと挑発し、棒で銃を叩く者がいた。発砲命令は聞いていない」

 

 検察側が尋ねる。

 

「聞こえなかっただけではありませんか」

 

「その可能性はあります」

 

 法廷が僅かにざわついた。

 

 弁護側に有利な証人でありながら、断言しない。

 

「ですが、私が聞いた撃てという声は、群衆からのものでした」

 

 確信の強さと、証言の正確さは同じではない。

 

 むしろ自分の視界と聴覚の限界を認める者の方が、俺には信じられた。

 

 証言が拮抗する中、弁護団内で、俺を証人として呼ぶべきかという議論が起きた。

 

 俺なら、

 

 プレストンへ後退を求めたこと。

 

 彼が発砲直前まで迷っていたこと。

 

 群衆側から攻撃があったこと。

 

 最初の銃声後、兵士たちが連鎖的に撃ったこと。

 

 プレストンがその後の発砲を止めようとしたことを証言できる。

 

 しかし同時に、俺を法廷へ立たせれば、

 

 なぜ人間離れした速度で移動できたのか。

 

 なぜ銃口へ接近できたのか。

 

 なぜ弾道を察知できたのか。

 

 目撃者が語る赤い残像は何だったのか。

 

 そうした別の問題が噴き出す。

 

 オークムティが言う。

 

「呼べば、検察は彼の正体ではなく、証言の不自然さを攻めるだろう」

 

 ジョサイアが腕を組む。

 

「呼ばなければ、我々は最も近くにいた目撃者を隠したと批判されるかもしれません」

 

 ジョンは俺へ尋ねた。

 

「あなた自身は、証言したいですか」

 

「したいかどうかで決めていいの?」

 

「いいえ。確認しただけです」

 

「ひどいな」

 

 最終的に、俺は呼ばれないことになった。

 

 俺の証言がなくても、検察の主張へ重大な疑いは示せる。

 

 正体露見という危険を冒す必要性はない。

 

「俺が証言すれば、もっと確実に無罪へ近づくかもしれないのに」

 

 傍聴席で俺が罪悪感に苛まれていると、アーサーが言った。

 

「証言しないことも、一つの選択です」

 

「逃げてるだけかもしれない」

 

「逃げている可能性を認めた上で、それでも選ぶしかありません」

 

 俺は、介入者としての限界を痛感していた。

 

 最も多くを見た者が、最も自由に話せるとは限らない。

 

 証人尋問が終わった。

 

 十月二十七日。

 

 ジョン・アダムズが、弁護側の論告に立った。

 

 彼は、四人が死んだ事実を否定しなかった。

 

 軍隊がボストンへ駐留した政治的背景も否定しない。

 

 兵士たちが発砲したことも否定しない。

 

「しかし、今日の被告は、大英帝国ではありません。第二十九連隊全体でもない。発砲した八人の兵士でもない。トーマス・プレストン一人です」

 

 ジョンは、陪審員へ一つずつ問いかける。

 

「四人が死亡したことは、プレストン大尉が命令した証拠ではありません」

 

「武装兵を連れてきたことも、銃へ弾を込めさせたことも、発砲を命じた証拠ではない」

 

「fireという言葉が叫ばれたことは、その声がプレストン大尉のものだった証拠ではありません」

 

 命令したと証言した者は、彼の顔を見ていたか。

 

 プレストンの声を聞き慣れていたか。

 

 背中しか見ていないのではないか。

 

 衣服の記憶が別人と混ざっていないか。

 

 群衆の挑発と、士官の命令を区別できたか。

 

 発砲を命じた人物が、直後に兵士を叱責したという矛盾をどう説明するのか。

 

 プレストンが兵士の前にいたという証言を、どう考えるのか。

 

 正式な一斉射撃命令があったなら、なぜ発砲はばらばらだったのか。

 

「どの証人が嘘をついているかを決める必要はありません」

 

 ジョンの声が、静かな法廷へ響いた。

 

「全員が誠実に、自らが見聞きしたと信じることを語っているのかもしれない。それでも証言は一致しない。その不一致によって、誰が命令したのかが疑わしいまま残るなら、その命令をプレストン大尉の行為として罰することはできません」

 

 ジョンは、

 

「プレストンは命じていない」

 

 とは断言しなかった。

 

 命じたと証明できていない。

 

 その一点だけを、徹底して積み上げた。

 

 続いて、ロバート・オークムティが立った。

 

 彼はジョンが分解した証言を、英国法の原則と判例によって補強した。

 

 被告人を有罪とするには、死者が出たという結果だけでは足りない。

 

 命令した者を被告人本人と認定できなければならない。

 

 重大な疑いが残る行為を、被告人へ押しつけてはならない。

 

 弁護側は、プレストンを英雄にも、無謬の指揮官にも仕立てなかった。

 

 ただ、この証拠で絞首台へ送ってよいのかと問い続けた。

 

 十月二十九日。

 

 最後に立ったのは、検察側のロバート・トリート・ペインだった。

 

 ペインは、弁護側が作った疑いの隙間を、一つずつ埋め戻そうとした。

 

「証言の細部が完全に一致しないことは、何を意味するのでしょうか。極度の混乱の中で起きた事件について、全員が同じ言葉を語る方が不自然ではありませんか」

 

 ペインは陪審を見渡した。

 

「服の色が違うからといって、四人が生き返るのですか」

 

「証人の位置が数歩食い違うからといって、命令そのものが消えるのですか」

 

「複数の人間がfireという命令を聞き、その直後に発砲が始まった。この核心まで、すべて偶然と誤認で片づけるのですか」

 

 検察の主張も強かった。

 

 不完全な証言をすべて捨てれば、混乱の中で行われた犯罪は、永遠に裁けなくなる。

 

 正確さを求めすぎることが、責任逃れの道具になることもある。

 

 ペインは、四人の死を法廷の中央へ戻した。

 

「プレストン大尉は士官です。武装兵を連れ、装填させ、市民と対峙させた。その指揮下で発砲が起きた。彼は、結果が起きた後になって、すべてを兵士個人の混乱へ押しつけることはできないのです」

 

 俺は、検察側の論告を聞きながら思った。

 

 ジョンの疑いは正しい。

 

 だが、ペインの怒りも正しい。

 

 細部の矛盾だけを見続ければ、四人が死んだ事実そのものから逃げているようにも見える。

 

 双方が、自分たちに有利な事実を選び、順番を作り、一つの物語として陪審へ差し出している。

 

 違いがあるとすれば、その物語が法廷の中で、相手によって破壊されることを許されていることだった。

 

 最後に、裁判官たちが陪審へ法を説明した。

 

 プレストン大尉が発砲命令を出したと認められるなら、兵士たちの発砲によって生じた死へ責任を負う可能性がある。

 

 しかし、

 

 証言に重大な矛盾がある。

 

 命令した人物の特定が疑わしい。

 

 プレストンの位置について証言が一致しない。

 

 発砲を止めようとした可能性がある。

 

 そのような疑いが陪審の心に残るなら、命令したものとして彼を罰してはならない。

 

 俺は、その説示を聞きながら考えた。

 

 これが、後世でいう合理的な疑いが残る状態なのだろう。

 

 誰が命じたのか分からない。

 

 分からないなら、有罪にはできない。

 

 傍聴席の市民は苛立っていた。

 

「結局、何が本当なんだ!」

 

「誰が命じたんだ!」

 

「答えろ!」

 

 だが、法廷は答えを作らない。

 

 答えられないことを、答えられないまま残そうとしている。

 

 俺は法廷というものを、真実を明らかにする場所だと思っていた。

 

 だが実際には、分からないことを分からないままにして、人を殺さないための場所でもあった。

 

 陪審が退室した。

 

 法廷へ沈黙が降りる。

 

 プレストンは震える手を組み、ジョンへ尋ねた。

 

「私は、無罪になると思うか」

 

「分かりません」

 

「最後まで、それしか言わないのか」

 

「私が判決を決めるわけではありませんから」

 

 俺はタブレットの記録を思い出した。

 

 未来では、プレストンは無罪になる。

 

 だが現在は、パトリック・カーが生き残り、俺の介入によって現場の細部が変わっている。

 

 同じ判決になる保証はない。

 

 未来どおりになれと願うことも違う。

 

 未来を変えろと願うことも違う。

 

 俺は初めて、どちらの結果も望まず、ただ示された証拠に沿った結果を待つという、苦しい位置に立たされていた。

 

 一七七〇年十月三十日。

 

 陪審が戻ってきた。

 

 書記が尋ねる。

 

「トーマス・プレストン。有罪か、無罪か」

 

 短い沈黙。

 

「無罪」

 

 法廷が一瞬、完全な静寂に包まれた。

 

 その直後、安堵の声と怒号が同時に爆発する。

 

 プレストンが大きく息を吐き、崩れかける。

 

 王党派側から安堵の声が上がる。

 

 傍聴席の市民が怒鳴る。

 

 四人の遺族が顔を伏せる。

 

 ジョンは表情を変えない。

 

 サミュエルは目を閉じた。

 

 俺は、タブレットに記された未来と同じ判決が出たことへ、安堵も喜びも覚えなかった。

 

 無罪評決は、

 

「プレストンは命令していない」

 

 と神が確定した判決ではない。

 

 命令したと、陪審が確信できるほどには証明されなかった。

 

 それだけだ。

 

 裁判所の外で、遺族の一人がジョンへ詰め寄った。

 

「四人が死んだのに、誰も命じていないと言うのか!」

 

「裁判所は、誰も命じなかったとは言っていません」

 

「同じだ! 命じた者が分からないなら、誰も罰せられない!」

 

「今回裁かれたのは、プレストン大尉一人です」

 

「では、誰が私たちの死者へ責任を取るんだ!」

 

 ジョンは答えられなかった。

 

 法の正しい答えが、遺族の感情を救うとは限らない。

 

 無罪判決は、四人の死を消さない。

 

 真の命令者を示すわけでもない。

 

 ただ、

 

 この被告人を、この証拠では吊るせない。

 

 そう決めただけだった。

 

 サミュエルが、ジョンのもとへ近づいた。

 

「法廷では、あなたが勝ちましたね」

 

「勝ったのは、プレストン大尉です」

 

「彼を無罪にしたのは、あなたでしょう」

 

「検察が、命令を証明できなかったのです」

 

「街は、その違いを理解しません」

 

 サミュエルは、裁判所の外へ視線を向けた。

 

「そして、版画も変わりません」

 

 二人の視線の先には、リヴィアの版画が掲げられていた。

 

 絵の中では今も、プレストンが剣を掲げ、兵士たちが一斉射撃を行っている。

 

 法廷で無罪になっても、歴史の記号としての有罪は消えない。

 

 ジョンは法廷で勝った。

 

 サミュエルの物語は、街と後世の記憶の中で勝ち続ける。

 

 俺はジョンへ尋ねた。

 

「無罪って、無実とは違うんだな」

 

「法廷で言う無罪とは、国家がこの起訴について罪を証明できなかったという意味です。本当に命じなかったと、神が判定したわけではありません」

 

「じゃあ、未来の歴史書にプレストン無罪って書いてあっても、真実は分からないまま?」

 

「人間の歴史には、そのような結末が多いでしょう」

 

 ジョンは、裁判所の扉へ目を向けた。

 

「真実らしい答えを捏造して安心するよりは、ましです」

 

 プレストンがジョンのもとへやってきた。

 

「終わった」

 

「あなたの裁判は終わりました」

 

 ジョンは冷たく返した。

 

「同じことだろう」

 

「違います。あなたが命令したと証明できなかったことで、次の裁判では、兵士たちが誰の命令でもなく、自ら発砲したのかが問われます」

 

 プレストンの顔から安堵が消えた。

 

「彼らは命令に従っただけだと主張するかもしれない」

 

「それは、あなたの無罪と衝突します」

 

「では、私は自分を守るために、部下を見捨てたのか」

 

「裁判を分けた時から、その矛盾は存在していました」

 

 弁護団の勝利が、次の被告人たちへ不利に働く。

 

 誰かを救う論理が、別の誰かを追い詰める。

 

 その冷たい構造が、プレストンの顔から喜びを消し去った。

 

 同じ頃。

 

 牢獄では、八人の兵士たちがプレストン無罪の報告を聞き、歓声を上げていた。

 

「大尉が助かった!」

 

「俺たちも助かるぞ!」

 

 だが、モンゴメリーが何かに気づき、顔を青ざめさせた。

 

「待て……」

 

 兵士たちの歓声が止まる。

 

「大尉が命じていないなら……俺たちは、誰の命令で撃ったことになる?」

 

 沈黙。

 

 キルロイが、絶望的な声で答えた。

 

「俺たち自身だ」

 

 プレストン無罪は、兵士たちの救済ではなかった。

 

 発砲責任を、大尉から兵士一人一人へ返す判決でもあったのだ。

 

 夜。

 

 裁判所の外。

 

 群衆は、まだ散りきっていない。

 

 無罪判決を怒る声。

 

 法が守られたと安堵する声。

 

 プレストンを本国へ逃がすなと叫ぶ声。

 

 俺は、裁判所の階段からキング・ストリートの方を見た。

 

 七か月前。

 

 あの場所では、誰のものか分からないfireという声が、銃声に呑み込まれた。

 

 七か月後。

 

 法廷には、同じ声を聞いたと語る人間が何人も現れた。

 

 ある者はプレストンだと言った。

 

 ある者は群衆だと言った。

 

 ある者は別の男だと言った。

 

 ある者は聞かなかったと言った。

 

 証拠がなかったわけではない。

 

 証拠は数多く存在した。

 

 ただ、それらが互いに矛盾し、どれを確かなものとして人の首を吊るす根拠にしてよいのか、誰にも決められなかった。

 

「裁判を六日もやって、何十人もの証言を聞いて、それでも誰が命じたか分からなかった」

 

 俺の問いに、ジョンは裁判所の重い扉を振り返った。

 

「はい」

 

「じゃあ、何のための裁判だったんだ」

 

 ジョンは静かに答えた。

 

「分からないことを、分かったことにして人を殺さないためです」

 

 その言葉の直後。

 

 牢獄の方角から、低い鐘の音が響いた。

 

 プレストンの裁判は終わった。

 

 だが、八人の兵士たちはまだ牢の中にいる。

 

 次の裁判では、もう誰かの命令だったという一つの言葉の陰へ隠れることはできない。

 

 兵士たちは、一人ずつ、自分が引いた引き金の前へ立たされる。

 

 誰が最初に撃ったのか。

 

 誰の弾が誰を殺したのか。

 

 群衆の攻撃は、発砲を正当化できるほど激しかったのか。

 

 恐怖は、殺人を正当防衛へ変えるのか。

 

 正当防衛にならなくとも、悪意ある謀殺を、一時の激情による故殺へ下げるのか。

 

 次に問われるのは、人間が恐怖の中で他人を殺した時、その恐怖をどこまで罪から差し引けるのかという、さらに残酷な問いだった。

 




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