真祖吸血鬼、まだ存在しないアメリカに寄生する 〜合法的な血液供給のため、建国前から国家運用保守を始めました〜   作:パラレル・ゲーマー

2 / 6
第2話 真祖吸血鬼、まだ存在しないアメリカに上陸する

 欧州の冷たい風を背に受けて出航してから、数日が経過した。

 

 無限に続くかのような青黒い大西洋のうねりの中で、俺は早々に船旅というものに飽き果てていた。

 

「……やることが、ない」

 

 薄暗い船室のベッドに寝転がりながら、俺は深い深いため息を吐いた。

 

 一応、万能トランクの中には二十年分の積みゲーと大量の漫画、ライトノベルが詰まっている。娯楽には事欠かないはずなのだが、いかんせんこの時代の木造船は尋常ではなく揺れるのだ。

 

 波を越えるたびに内臓が浮き上がり、甲板を打つ波の音が絶え間なく響く。吸血鬼の三半規管がどうなっているのかは謎だが、三時間も活字を追っていると普通に画面酔いのような状態になった。

 

 俺は起き上がり、船室の小さな丸窓から外を覗いた。

 

「そもそも、欧州から北米ってどれくらいかかるんだ?」

 

 引き寄せたタブレットで調べたところ、天候や風向きにもよるが、この時代の帆船での大西洋横断は六週間から、長ければ数ヶ月かかるらしい。

 

 冗談じゃない。

 

 そんなに長い間、この揺りかごのような牢獄で塩漬け肉の匂いを嗅ぎながら過ごすなんて絶対に御免だ。

 

 俺は軽く目を閉じ、意識を周囲の自然へと広げた。

 

 真祖の力というのは、本当に無法なまでに融通が利く。

 

 周囲の魔力やマナと呼ばれるようなものを介して、ある程度なら環境に干渉できるのだ。

 

 船体を押し戻そうとする向かい風を、そっと撫でるようにして追い風に変換する。

 

 進行方向に立ち込める分厚い雨雲を、指先で払うようにして散らす。

 

 船底を叩く荒い潮流を、滑らかなベルトコンベアのように整える。

 

 結果として、我々の乗る船は、まるで目に見えない巨人に背中を押されているかのように、信じられない速度と安定性で海の上を滑り始めた。

 

「これほど都合よく追い風が続くとは……おお、神の御加護か! 我が航海士人生で最高の航跡だ!」

 

 甲板の上で、船長が両手を広げて天に感謝を捧げているのが聞こえる。

 

 だが、俺の向かいのベッドに座っている監視役のハンター――エドワードの部下で、アーサーという名の生真面目そうな青年――は、青ざめた顔で俺を睨みつけていた。

 

「……お前、天候に何かしたな?」

 

「ん? ちょっと風にお願いして、道を空けてもらっただけだよ。揺れるとゲームに集中できないから」

 

「それを奇跡と言うんだ、バケモノめ。みだりに理を曲げるな」

 

「吸血鬼だからね。理とか元々外れてるし」

 

「だから我々が困っているのだろうが」

 

 アーサーは胃の辺りを押さえて呻いた。ハンターとしては優秀なのだろうが、真祖の監視という貧乏くじを引かされた不遇な男だ。

 

 俺は冷えた炭酸飲料の缶を開け、喉を鳴らした。

 

「でもさ、これだけチート使って最速航路を維持しても、まだ六週間はかかるんだぜ。大西洋って広すぎない? 飛行機なら半日で着くのに」

 

「ひこうき、とはなんだ。また異界の妄言か。これ以上私の正気を削るな」

 

 *

 

 船旅が順調に進む中、俺は船室にこもって「予習」を始めることにした。

 

 机の上に、現代から引き寄せた大量の資料を並べる。アメリカ建国史の入門書、世界史の図表、歴史系動画を保存したタブレット、建国の父たちの人物事典、そして何故か歴史シミュレーションゲームの攻略本。

 

 新しいノートの1ページ目に、太字でタイトルを書き込む。

 

【アメリカ建国前夜・ざっくり復習】

 

 まず、現在地の確認だ。

 

 今は西暦一七六三年。

 

 ヨーロッパを巻き込んだ七年戦争が終わり、北米大陸ではイギリスとフランスが争ったフレンチ・インディアン戦争が終結した直後。

 

 結果としてフランスは北米本土での政治的・軍事的な足場を大きく失い、イギリス植民地にとっての直接的な脅威は薄れた。

 

 イギリスは大勝利を収めたわけだが……問題は、その勝利の代償だ。

 

「イギリス本国、戦争のせいでめちゃくちゃ金がないんだよな」

 

 俺はタブレットの画面をスクロールしながら独り言を呟く。

 

「で、本国は『お前ら植民地を守ってやったんだから、戦費を負担しろ』って言って課税を強めてくる。対する植民地側は『俺たちに本国議会の代表権もないのに、勝手に税金をかけるな』ってキレる。代表なくして課税なし、ってやつだ」

 

 俺はノートに要点を箇条書きにしていく。

 

 ここで最も重要なのは、「今の時点ではまだ誰も独立なんて考えていない」ということだ。

 

 彼らはあくまで、自分たちを『イギリス国王の忠実な臣民』だと信じている。イギリス人としての正当な権利を主張しているだけなのだ。

 

 それが徐々に拗れて、後戻りできなくなって独立戦争へと雪崩れ込んでいく。

 

「ってことはだ」

 

 俺はペンを回しながら天井を仰いだ。

 

「俺が上陸していきなり、『お前ら将来独立するから、今のうちに建国準備しようぜ!』とか煽ったら、ただのヤバい反逆扇動吸血鬼になるわけだ。最悪、植民地人から本国軍に突き出されて討伐対象に逆戻りだな」

 

 建国の父と呼ばれる偉人たちも、今はまだその肩書きを背負っていない。

 

 ジョージ・ワシントンは、ヴァージニア植民地の裕福な農園主で、軍歴を持つ名望家。

 

 ベンジャミン・フランクリンは、フィラデルフィアの有名な印刷業者で、雷の研究とかをしてる変人おじさん。

 

 トマス・ジェファーソンに至っては、まだ二十歳そこそこの学生か法律家の見習いみたいなものだ。

 

「へー、大体みんなもう植民地にいるじゃん。当たり前か。あ、でもアレクサンダー・ハミルトンはまだ子供でカリブ海にいるのか。合流イベントはだいぶ先だな」

 

 ブツブツと呟きながら相関図を書いていると、アーサーが怪訝そうな顔で覗き込んできた。

 

「……お前は、誰の人生を盤面の駒のように見下ろしているんだ」

 

「未来の偉人たちだよ。超大国の初期メンバー」

 

「なお悪い。やはりお前は人間の歴史を弄ぶ悪魔だ」

 

 アーサーの言うことも一理ある。

 

 俺の能力は、歴史を簡単にぶっ壊せる。

 

 現代の物品を無制限に引き寄せられる俺なら、いきなり植民地のテクノロジーレベルを数百年引き上げることも理論上は可能だ。

 

 だが、ノートに『持ち込み候補リスト』を書き出しながら、俺はすぐに頭を抱えることになった。

 

「ロキソニン……いや、鎮痛薬は便利だけど、用量やアレルギーを説明できる現代医学の知識を持った医者がいない。薬だけ雑に配ったら、絶対に偽物を売り歩くヤバい商人が出てくる。アウト」

 

「じゃあ抗生物質……これはもっとヤバい。ペニシリンなんて出したら『神の奇跡』扱いされて宗教問題になるし、乱用されたら耐性菌問題が数百年早く到来する。俺、国家運営の前に医療倫理と疫学で詰むぞ」

 

「なら農業だ。化学肥料! ……成分は窒素リン酸カリウムだっけ? でも、土壌ごとの配合比率なんて知らないし、撒きすぎて土壌が死んだら大飢饉だ。トラクターを出しても燃料がないし、直せる整備士もいない」

 

「現代の銃……絶対ダメ。この時代のアメリカにアサルトライフルなんか渡したら、独立戦争どころか身内同士でヒャッハーする世紀末になる。未来の俺が泣く」

 

「印刷機……技術的には強い。でも、情報伝達速度が上がれば、デマの拡散速度も上がる。人間って、紙媒体でも普通に大炎上する生き物だからな……」

 

 結局、どれもこれも「出した後の運用」が致命的に難しすぎるのだ。

 

 現代の便利な物資は、それを支えるインフラ、法律、教育、そして社会の成熟があって初めて機能する。

 

「クソッ……。チート能力があっても、結局は制度設計と運用ルールが必要になるのかよ……」

 

「だから、軽々しく世界の理を変えるなと言っているだろう」

 

 アーサーが呆れたように紅茶をすすった。

 

「俺、吸血鬼なのになんで薬事行政と農業普及政策のハードルについて悩んでるんだ?」

 

 数時間後、俺は考えるのを完全に放棄した。

 

 万能トランクから携帯ゲーム機を取り出し、前世で何千時間も人生を吸われた歴史シミュレーションゲーム『Civ10』を起動する。

 

 軽快な電子音が船室に響く。

 

「それは何だ」

 

「文明を発展させて世界を制覇するゲーム」

 

「……今からお前が現実でやろうとしていることではないのか?」

 

「ゲームの方が百万倍楽なんだよ!」

 

 俺はコントローラーのボタンを親指で弾きながら力説した。

 

「ゲームなら、住民が文句も言わずに道路を維持してくれるし、クリック一つで次のターンには農場が完成するんだぞ!」

 

「現実では建たないのか?」

 

「建つわけないだろ。人間を雇って、賃金を交渉して、測量して、資材を運ばせて、雨で工事が遅れて、予算が足りなくなって、近隣住民から苦情が来るんだよ。おまけに汚職も起きる」

 

「……不気味なほどよく分かっているではないか」

 

「分かりたくなかったよ、そんなリアル……!」

 

 画面の中で、俺が操作するアメリカ文明は順調に都市を拡張し、技術を研究している。数分で何百年もの歴史が進む。

 

 現実のフィラデルフィア到着までは、まだ五週間もあるというのに。

 

「はぁ……現実の国家運営もターン制だったら楽なのになぁ」

 

「不老の怪物らしい、恐ろしい発想だな」

 

 アーサーの的確なツッコミをBGMに、俺はひたすらゲームの中でアメリカ建国RTAを進めた。

 

 *

 

 天候チートの甲斐もあって、船は異常なほど順調に大西洋を横断し、約束の六週間後、ついに北米大陸の東海岸に到達した。

 

「神に愛された航海だった……!」

 

 感涙にむせぶ船長を背に、アーサーは「違う、神ではなく吸血鬼だ」と小声で訂正していた。

 

 俺は甲板の最前列に立ち、朝霧の向こうに少しずつ姿を現す港町を見つめていた。

 

 フィラデルフィア。

 

 後に独立宣言が署名され、大陸会議が開かれ、合衆国憲法が制定される、アメリカ建国史における最も重要な都市の一つだ。

 

「ここが……未来の超大国、アメリカの心臓部……!」

 

 俺は胸を高鳴らせ、大きく深呼吸をした。

 

 自由の匂い。

 

 民主主義の息吹。

 

 新天地の希望――。

 

 ――くっさ!!!

 

 上陸して最初に俺の五感をぶちのめしたのは、理想でも自由でもなく、圧倒的なまでの「悪臭」だった。

 

 舗装されていない泥だらけの道には馬糞が散乱し、港には魚の腐った匂いと汗のツンとした臭いが充満している。どこから流れてきたのか分からない汚水が路地裏に溜まり、安酒と煙草の煙が空気を濁らせていた。

 

 行き交う人々も様々だ。

 

 怒号を上げて荷下ろしをする荒くれ者の船乗り、粗末な服を着た移民たち、足早に歩く商人、熱弁を振るう説教師、新聞を売り歩く子供、そして重い荷物を運ばされる奴隷の姿。

 

 活気はある。

 

 間違いなくエネルギーに満ちている。

 

 だが、コンビニのトイレと水道水に甘やかされて育った前世の俺からすれば、ここは控えめに言ってスラム街の一歩手前だった。

 

「……未来の世界最強国家、初期状態が汚すぎる」

 

 俺はハンカチで鼻を押さえながら呻いた。

 

「港とはそういうものだ。欧州でも似たようなものだろう」

 

 アーサーが呆れたように言うが、俺のテンションはだだ下がりだ。

 

「いや、俺はずっと引きこもってたから知らなかったんだよ……。というか、こんな衛生状態じゃ、伝染病が流行ったら一発で街が機能不全になるぞ。下水処理はどうなってるんだ?」

 

 この瞬間、俺の中に最初の政策方針が明確に固まった。

 

 俺は新大陸で、対価を払って合法的に血液を供給してもらうシステムを作りたい。

 

 そのためには、血液の提供者である人間たちが健康で長生きしてくれなければ困る。

 

 健康な人間のためには、清潔な水と衛生環境が必須だ。

 

 つまり、俺の快適な食生活――合法パラサイト――は、この街の公衆衛生を劇的に改善することから始まるのである。

 

「……動機が最低すぎて、自分で自分が嫌になるな」

 

 *

 

 上陸後、俺はアーサーの案内で、フィラデルフィアにあるハンター支部の隠れ家へと連行された。

 

 石造りの古びた建物の地下。

 

 そこには、新大陸の怪異や土着の魔術に対処するための現地ハンターたちが数名待機していた。

 

 彼らのリーダーである初老の支部長は、欧州のエドワードから届いていた書状を読み終えると、深いシワを刻んだ額を押さえて盛大に頭を抱えた。

 

「……なぜ欧州の本部は、このような歩く災厄を新大陸へ送りつけてくるのだ」

 

 書状の内容は、俺の耳にも届くほど声に出して読まれていた。

 

『真祖を一体送る。ヴァレンシュタイン家の最後の子である。殺せない。刺激するな。話は通じる。たぶん。人間牧場は嫌悪している。血は苦手らしい。ただし自称「合法寄生」を企図している。監視を怠るな。幸運を祈る』

 

 ほとんど丸投げである。

 

「やあ、はじめまして。欧州から来ました、合法寄生予定の吸血鬼です。よろしく」

 

 俺がにこやかに挨拶すると、支部長は血走った目で俺を睨んだ。

 

「帰れ。今すぐ海に飛び込んで欧州へ帰れ」

 

「帰る場所ないんだよなぁ。親の城、君たちの同僚にボロボロにされちゃったし」

 

 支部内にはピンと張り詰めた緊張感が漂っていた。歴戦のハンターたちが、銀の武器を隠し持ちながら俺の挙動を油断なく窺っている。

 

 だが、俺は気にする様子もなく、万能トランクを開けて「手土産」を取り出し始めた。

 

「まあまあ、そんなに警戒しないで。とりあえずこれ、道中使ってた便利グッズなんだけど」

 

 俺がテーブルに並べたのは、ステンレス製の水筒、プラスチックの透明容器、小型のLEDランタン、そしてキャンプ用の携帯浄水器だ。

 

 現地ハンターたちは、見たこともない質感の物体に露骨にビビっている。

 

 俺がランタンのスイッチをカチッと押し、強烈な白色光を放った瞬間、若いハンターが悲鳴を上げて十字を切った。

 

「ひ、光ったァァッ!!」

 

「いや、光る道具だからね、これ」

 

 俺は呆れながらランタンの明かりを弱めた。

 

「こっちは水筒。保温性が高い。で、こっちの筒状のやつが浄水器。泥水を通しても、ある程度綺麗な水に濾過できる道具だ」

 

「なっ……! 聖遺物か!? 神の奇跡を封じ込めた筒だとでも言うのか!」

 

「アウトドア用品だよ」

 

「あうとどあ?」

 

「野外活動」

 

「なぜ野外活動の道具が、けがれきった水を清められるのだ!」

 

「未来人は、外でもお腹を壊さずに快適に過ごしたいからね。科学の力だよ」

 

「未来人とは何だ! 悪魔の眷属か!」

 

「あー、説明すると長くなるからとりあえず『凄い発明品』ってことで」

 

 ハンターたちは俺を極めて危険な存在として扱いながらも、テーブルの上の「未来の品々」から目を離せなくなっていた。

 

 未知の技術への恐怖と、純粋な好奇心。

 

 よし、これで掴みはオッケーだ。

 

 俺はノートを取り出した。

 

「さて、俺はこの街で投資と事業を始めたいんだけど、コネがない。誰か、こういう新しい技術や発明に食いついてくれそうな、顔の広い有力者を紹介してくれないか?」

 

 フィラデルフィアのハンター支部は、怪異対策の都合上、印刷業者や郵便網、医師、博物学者たちと細い連絡網を持っているらしい。

 

 夜にしか動かない怪物を追うには、昼の情報網が不可欠というわけだ。

 

 ノートの【建国の父候補・接触優先度】のページを見ながら、俺はターゲットを絞り込む。

 

 ジョージ・ワシントンはヴァージニアにいて遠いし、いきなり軍人出身の農園主に怪しい道具を見せても警戒されるだけだ。

 

 ジョン・アダムズはマサチューセッツの法律家で、理屈っぽくて面倒くさそう。

 

 となれば、適任者は一人しかいない。

 

「よし、まずはベンジャミン・フランクリンだな」

 

「なぜその名を知っている?」

 

 支部長が訝しげに眉をひそめる。

 

「たぶん、あの人なら吸血鬼とこのランタンを同時に見せられても、悲鳴を上げる前にメモを取るタイプだと思うから」

 

「……否定しきれないのが忌々しい」

 

 支部長は苦虫を噛み潰したような顔で、面会の手配を約束してくれた。

 

 表向きの紹介状は「欧州から来た奇妙な貴族。科学と印刷と植民地経営に強い興味を持つ投資家。ただし極度の陽光アレルギーのため夜にしか会えない。非常に危険な人物につき、無礼は避けること」という、怪しさ満点のものになった。

 

 *

 

 数日後の夜。

 

 フィラデルフィアの街角にある、インクと紙の匂いが染み付いた一室。

 

 周囲には無数の本や奇妙な実験器具が所狭しと並べられ、数本の蝋燭が部屋を微かに照らしている。

 

 その部屋の主、ベンジャミン・フランクリンは、予想以上に恰幅が良く、知的な光を宿した瞳で俺を観察していた。

 

「はじめまして。ルカ・ヴァレンシュタインです。欧州から来た、だいたい危険物です」

 

「危険物が自分からそう名乗るのは珍しいな、ヴァレンシュタイン卿」

 

 フランクリンは面白そうに口角を上げた。

 

「隠して後でバレる方が面倒なので」

 

 俺はそう言いながら、持参したバッグから例の品々をテーブルに取り出した。

 

 ボールペン、小型のLED懐中電灯、ステンレスボトル、そして浄水器。

 

 フランクリンの視線が、獲物を狙う鷹のようにそれらの品に釘付けになる。

 

 俺が懐中電灯のスイッチを入れ、白い光の束を壁に当てた瞬間、同席していたフランクリンの若い補佐役が息を呑んで後ずさった。

 

 しかし、フランクリンの反応は違った。彼は光の発生源であるレンズの奥を覗き込み、震える手でそれを指差した。

 

「これは……電気か? 燃焼を伴わない光。あの嵐の夜に私が証明した、あの雷と同じ力を利用しているのか?」

 

「おっ、さすが理解が早い。大正解」

 

「信じられん……。この小さな筒の中に、あの雷を飼い慣らしているというのか?」

 

「詩的な表現だけど、だいたい合ってる」

 

 フランクリンが懐中電灯に手を伸ばし、レンズのカバーを回そうとしたので、俺は慌てて止めた。

 

「あ、ストップ。分解は後にして。今バラバラにすると二度と戻せなくなるから」

 

「戻せなくなるほど複雑な構造をしているのか?」

 

「俺にも直せない」

 

「君の所有物だろう? 所有者が仕組みを理解していないとはどういうことだ」

 

「未来の文明ってのはそういうもんなんだよ。ブラックボックス化してるっていうか。作った奴以外は中身を知らなくても使えるのが、技術の進歩ってやつで」

 

「興味深い。だが……ひどく不健全な進歩だな」

 

「めちゃくちゃ分かる。俺も前世でよくそう思ってた」

 

 場が少し和んだところで、俺は本題に入ることにした。

 

「さて、発明品のプレゼンはこれくらいにして、俺自身のスペックについても説明しておこう。先に言っておくけど、俺、人間じゃないよ」

 

 フランクリンの眉がピクリと動く。

 

「どの程度、人間から離れているのだ?」

 

「吸血鬼。しかも、たぶんその中でも一番偉くてヤバいタイプ」

 

 部屋の空気が凍りついた。

 

 補佐役の青年がガタガタと震え出し、部屋の隅で待機していたアーサーたちハンターが、いつでも飛び出せるように武器に手をかける。

 

 俺は少しだけ唇を捲り、鋭い牙を見せた。

 

「ひぃっ……!」

 

 補佐役が腰を抜かして椅子から転げ落ちた。

 

「ほら、普通はそうやって怖がるんだよ」

 

 俺は苦笑したが、目の前のフランクリンは椅子から落ちるどころか、手元の紙に羽根ペンを走らせ始めた。

 

「日光には弱いのか?」

 

「苦手。直射日光を浴びると灰になるらしい。でも俺は真祖だから、日傘があれば昼間でも歩ける」

 

「鏡には映るのか?」

 

「普通に映る。物理法則は無視してない」

 

「ニンニクは?」

 

「匂いが強すぎるから嫌い。イタリアンは好きだけど」

 

「十字架は?」

 

「物自体は平気。ただ、狂信的な信仰心を持った人間が突きつけてくると、なんかモヤモヤして嫌な感じがする」

 

「……血は?」

 

「必要。でも直接人間の首筋に噛み付くのは怖い。現代人の感覚だと衛生的にも倫理的にも無理」

 

 フランクリンの手が止まった。

 

「現代人、とは?」

 

「あー、そこを説明すると世界観がバグるから流して」

 

「長い話は嫌いではないが」

 

「やだ、このおじさんメンタル強すぎ」

 

 普通なら逃げ出すか十字架を掲げる場面で、この男は未知の生物に対するインタビューを敢行している。

 

「恐ろしくはないのか?」

 

 俺が尋ねると、フランクリンはニヤリと笑った。

 

「恐怖と好奇心は、人間の精神において十分に両立する」

 

「それ、吸血鬼相手に言う台詞じゃないよ、絶対」

 

 フランクリンの器の大きさに気を良くした俺は、つい口を滑らせてしまった。

 

「いやー、話が通じる人でよかったよ。この十三植民地、将来イギリスから独立して世界最強国家になるからさ、早めに恩を売っておきたくて」

 

 ――ピキッ。

 

 部屋の空気が、今度こそ完全に凍結した。

 

 吸血鬼だとカミングアウトした時よりも、ずっと冷たく、重苦しい沈黙。

 

 フランクリンの顔から柔和な笑みが消え、政治家としての冷徹な眼差しが俺を射抜いた。

 

「……ヴァレンシュタイン卿」

 

 彼の声は低く、硬かった。

 

「我々は、英国王陛下の忠実な臣民だ」

 

「あ……」

 

 俺は心の中で盛大に舌打ちをした。

 

 そうだ。今はまだ一七六三年。彼らはまだ『建国の父』ではなく、『イギリス本国の不当な扱いに不満を持っているだけの植民地人』なのだ。

 

「独立などという言葉を、軽々しく口にするべきではない。それは反逆と同義だ」

 

「ごめん、今のなし。言葉の綾っていうか」

 

「今の言葉をなかったことにするには、少々重すぎるな」

 

 フランクリンの目が警戒に満ちている。このままでは、俺は危険な反英扇動者として本国に売り飛ばされるか、ハンターに始末される。

 

 方針転換だ。

 

 予言ではなく、現状のリスク分析として話を切り替える。

 

「……じゃあ、言い方を変える。俺は反乱を煽りに来たわけじゃない。むしろ逆だ。戦争が起きて、投資先であるこの土地が焦土になるのは俺も困るんだよ」

 

「投資先、か」

 

「俺の言葉で言えば、寄生先だけど」

 

「言い直したのに本音が隠せていないぞ」

 

「資本主義ってそういうもんでしょ」

 

「資本主義という聞き慣れない語も気になるが、今は置いておこう。……それで? 君は何を企んでいる?」

 

 俺はゲーミングチェア……ではなく、硬い木の椅子に深く座り直した。

 

「企みなんてない。ただ、今の植民地の不満を聞かせてほしい。イギリス本国との関係で、何が一番面倒で、どこが爆発しそうなのかを」

 

 フランクリンはしばらく沈黙し、やがてゆっくりと語り始めた。

 

 七年戦争は終わったが、イギリス本国には莫大な借金が残った。彼らは必ず、植民地にその負担を求めてくるだろう。

 

 しかし、植民地にはイギリス議会の代表がいない。代表なき課税は、イギリス人としての権利の侵害だ。

 

 さらに、西部開拓の問題もある。戦争が終わって土地を求める声が大きいのに、本国は先住民との衝突を恐れて入植を制限しようとしている。

 

 本国に有利な通商規制、独自の紙幣発行の禁止、慢性的な物資不足と本国商人への借金……。

 

「面倒でないものを探す方が難しいくらいだ」

 

 フランクリンがため息をつく。

 

「うわぁ……」

 

 俺は顔をしかめた。

 

「完全に、国家運営が破綻する前の匂いがする」

 

「君の目には、どう映る?」

 

「俺の目には、いくつかの明確な『破綻ルート』が見えるよ」

 

 俺は、前世の歴史知識を、あたかも冷徹なシミュレーション結果であるかのように語った。

 

「本国は植民地をただの財布だと思い込む。植民地側は権利を主張して税を拒否する。西部の土地で開拓者と先住民が殺し合い、本国軍が介入する。商人が密輸で対抗し、新聞が民衆を煽る。焦った役人が強権を発動して軍隊を街に入れる。そして群衆と兵士がぶつかり……誰かが最初の引き金を引く。血が流れれば、もう後戻りはできない」

 

 フランクリンは黙り込んだ。

 

 俺の言葉は予言のようだが、彼ら自身が日々肌で感じている危機感と完全に一致していたのだろう。

 

「だから、俺は急進的な変化は望まない。戦争は金がかかるし、人が死ぬし、街が燃える。投資先としては最悪だ」

 

「君の倫理観は、時々奇妙なほど商業的だな」

 

「吸血鬼貴族の『人間牧場』よりはマシだと思いたいね」

 

 俺の目的は、自分が快適に寄生するための「安全で豊かな宿主」を育てることだ。そのためには、植民地社会が健康で安定していなければならない。

 

「なるほど、君のスタンスは理解した」

 

 フランクリンは頷き、テーブルの上の現代品に視線を戻した。

 

「では、君はこの『未来の技術』を使って、何をするつもりだ?」

 

「それを相談したいんだ。現代の薬とか、高度な農機具とか、色々出せるんだけど……何を出すのが一番安全だと思う?」

 

「安全?」

 

「そう。出したら社会のバランスが壊れるものは嫌なんだ。現代の銃器なんて絶対に出さないし、よく効く薬も使い方を間違えれば毒になる。農業技術も、土壌を壊したら終わりだ」

 

 フランクリンは少し驚いたような顔をした。

 

 吸血鬼でありながら、力を誇示するよりも社会への悪影響を恐れている俺の態度が意外だったらしい。

 

「……ならば、まず害の少なく、万人が価値を理解できるものから始めるべきだ」

 

「例えば?」

 

「水、衛生、保存技術、正確な計測器具、そして印刷や通信を助けるもの。病は人を貧しくし、貧しさは社会の不満を増幅させるからな」

 

「やっぱり、浄水と衛生か」

 

 俺は膝を打った。

 

「健康な人間が増えれば、安全で質の高い血液供給源、つまりドナーも増えるしね!」

 

「……頼むから、その身も蓋もない言い方はやめたまえ」

 

「ごめん」

 

「だが、理屈としては理解したくないほど完璧に筋が通っている」

 

 これで、俺のアメリカ建国RTAの最初の事業方針が確定した。

 

 いきなり産業革命を起こすのではなく、石鹸の普及、簡易浄水器の導入、衛生教育、そして食品の保存技術の向上。

 

 地味だが、確実に宿主の基礎体力を上げるための第一歩だ。

 

「君は、確かに危険な存在だ」

 

 会談の終わり際、フランクリンは真剣な眼差しで俺を見た。

 

「よく言われる」

 

「だが、決して無用な存在ではない」

 

「それは初めて言われたかもしれないな」

 

 フランクリンは、俺の持つ知識と技術を一人で抱え込むのは危険すぎると判断し、今後、信頼できる人物を少しずつ紹介してくれると約束した。

 

「例えば、ヴァージニアにはジョージ・ワシントンという男がいる。軍歴があり、西部の土地事情に明るい名望家だ」

 

(来た、初代大統領!)

 

 俺の内心は沸き立ったが、すぐに真顔になる。

 

「土地問題に詳しいってことは……絶対に、奴隷制と先住民との衝突の話になるじゃん」

 

「なぜ会う前からそんなに嫌そうなのだ?」

 

「重いテーマの匂いがプンプンするからだよ」

 

「マサチューセッツにはジョン・アダムズという若い法律家がいる。権利と原則には非常にうるさい男だ」

 

「うわ、絶対面倒くさいレスバ仕掛けられるやつ」

 

「必要な面倒だ。それから、トマス・ジェファーソンという若者もいる。まだ学生のようなものだが、頭は切れるぞ」

 

「まだ序盤のモブキャラじゃん……」

 

「モブとは何だ?」

 

 俺は両手で顔を覆った。

 

「建国の父たち、現時点では全員まだ『普通の人生の途中』なんだよな……。先が長すぎる」

 

 *

 

 会談を終え、監視役のハンターたちと共に夜のフィラデルフィアを歩いて宿へ戻る。

 

 暗い通りには馬車の轍が残り、酒場からは荒くれた笑い声が漏れている。印刷所の窓からは徹夜で働く職人の影が見え、路地の奥には移民や奴隷たちの疲れた息遣いがあった。

 

 欧州の硬直した吸血鬼社会に比べれば、ここは確かに自由だ。

 

 しかし、自由だからこそ、混沌としていて危うい。

 

 十三植民地はまだ国ですらなく、建国の父たちはただの不満を抱えたイギリス臣民に過ぎない。

 

「ここで俺が雑に独立を煽ったら、ただの外来吸血鬼による反乱扇動なんだよな……」

 

「分かっているなら絶対にやるなよ」

 

 隣を歩くアーサーが釘を刺す。

 

「やらないよ。たぶん」

 

「頼むからその『たぶん』をやめろ」

 

 宿に戻った俺は、ベッドの上に胡座をかいてノートを開いた。

 

【新大陸寄生計画・第二版】

 

 ・フィラデルフィア上陸。想像以上に臭い。

 

 ・公衆衛生の改善、最優先課題。

 

 ・現地ハンター支部、俺のせいで胃痛枠に。

 

 ・ベンジャミン・フランクリンとの接触成功。吸血鬼バレ済み。現代品への食いつき良好。

 

 ・懐中電灯は電気系偉人に見せると分解されそうになるので注意。

 

 ・建国の父たちは、現時点では建国の父ではない。基本的には英国王の忠実な臣民。

 

 ・不満はあるが、独立ではなく権利・税・自治・土地・通商の問題。

 

 ・未来知識は「予言」ではなく「運用リスク」として扱うこと。

 

 ・現代物資チートは、銃や薬ではなく、まず水・衛生・保存・計測・印刷から。

 

 ・ロキソニンと化学肥料は運用リスクが高いため保留。

 

 ・合法寄生の第一歩は、宿主の健康管理から。

 

 最後に、ページの真ん中に大きな文字で書き殴った。

 

【結論:アメリカ建国RTA、まず前提条件が重すぎる】

 

 俺はペンを放り投げ、ベッドに倒れ込んだ。

 

「俺、吸血鬼なのになんで大英帝国の植民地統治リスクをヒアリングして、公衆衛生の改善計画を練ってるんだ……?」

 

 窓の外では、フィラデルフィアの夜が静かに動いている。

 

 未来の超大国に寄生するつもりで新大陸へ来た。

 

 だが、そこにあったのは完成された最強国家などではなく、税と土地と通商と衛生と身分と借金と不満が複雑に絡み合った、まだ国ですらない十三個の「要メンテ植民地」だった。

 

 俺は真祖吸血鬼である。

 

 都市を一晩で沈黙させる力も、未来のあらゆる物品を引き寄せる無法な力もある。

 

 そんな俺が、この新天地で明日の朝一番にやるべきことは何か。

 

「……とりあえず、大量の石鹸と浄水器の普及からかなぁ」

 

 吸血鬼の初手として、それでいいのだろうか。

 

 いや、たぶんいい。

 

 少なくとも、欧州の親がやっていた人間牧場よりは、ずっとマシなはずだ。

 




ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。