真祖吸血鬼、まだ存在しないアメリカに寄生する 〜合法的な血液供給のため、建国前から国家運用保守を始めました〜   作:パラレル・ゲーマー

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第24話 真祖吸血鬼、死者の帳簿を追う

 翌朝。

 

 俺は、ハンター支部の地下封印室を再び訪れた。

 

 昨日、俺が「今日からお前の患者だ」と宣言した石台の上の男には、すでに清潔な毛布が何枚か掛けられていた。

 

 壁の記録札も書き換えられている。

 

【正体不明男性・極端な仮死状態の可能性あり・解剖禁止】

 

 その傍らの粗末な椅子で、ベンジャミン・ラッシュが羽ペンを走らせていた。

 

「……お前、まさか一睡もしてないの?」

 

 俺が呆れて尋ねると、彼は充血した目で顔を上げた。

 

「患者の状態が、いつ急変するか分からないのです。眠れるはずがありません」

 

「あのさぁ。医者が先に倒れたら、患者が二人になるだけなんだよ!」

 

 呆れつつも、俺は彼の記録帳を覗き込んだ。

 

『心臓の微弱な収縮は継続。収縮間隔に大きな変化なし。腐敗の兆候なし。指先の爪床の色の戻りは前日と同程度。自発呼吸なし。瞼や指の動きなし。涙も、昨日の一度きり』

 

 状態は安定している。

 

 だが、それは改善も悪化もしていないというだけだ。

 

「時間が経つほど、組織が回復不能な損傷を受ける可能性があります。早期に目覚めさせるべきでは?」

 

 ラッシュが焦りを見せる。

 

 医師としての懸念は正しい。

 

 一方で、何も分からないまま寝かせ続けることにも、無理に起こすことにも危険があった。

 

「俺も、早く起こした方がいいとは思うよ。でも、焦って適当な刺激を与えて殺す可能性もある。何の薬が使われたのか、どれほどの量か、どの術式か、解除用の薬が必要なのか。術式を先に消すべきか、それとも薬効を先に弱めるべきか……現時点では何も分からないんだ」

 

 俺はラッシュの肩を軽く叩いた。

 

「患者の監視と維持は、お前と支部に任せる。俺たちは外に出て、この人がどこから、どうやってここへ運ばれてきたのか、その手掛かりを逆から追う」

 

 俺はアーサーとギデオンを伴い、支部の記録室へ移動した。

 

 大きな紙を机へ広げ、現時点で判明している部品をすべて書き出していく。

 

【棺札】

 

 ジョサイア・ウォード。

 

 二十九歳。

 

 冬季熱病。

 

 親族なし。

 

【衣服】

 

 N・Rの頭文字。

 

 書記または会計係らしい身体的特徴。

 

【持ち物】

 

 銅貨。

 

 羽ペン。

 

 鉛筆。

 

 白紙。

 

 番号七の鍵。

 

【棺底】

 

 B・七。

 

 一四日。

 

 第三倉庫。

 

 夜半。

 

【身体】

 

 首筋に薬物投与痕と、隠蔽術らしき印。

 

 俺は並んだ文字を見つめて言った。

 

「一つずつ見ると、ただの不気味な寄せ集めで意味が分からない。でも、これらが別々の人間によって、別々の場所で作られたものなら……重ね合わせた時に、必ずどこかで帳尻が合わなくなるはずだ」

 

「まずは、この棺がどこから、どうやって持ち込まれたのかを遡りましょう」

 

 アーサーが、極めて実務的に提案した。

 

 俺たちは、男をハンター支部へ引き渡した、市内にある小さな家族経営の葬儀屋を訪ねた。

 

 主人は、俺たちの姿を見るなり、ひどく後悔した顔になった。

 

「ああっ、余計なことへ首を突っ込んだせいで……。私が怪異の仲間だとか、死体泥棒だと思われたら、もうこの街で商売ができませんよ!」

 

 俺は彼を責めることなく、穏やかに言った。

 

「あんたが連絡してくれなかったら、あの人は生きたまま解剖されて殺されていたかもしれないんだ。あんたは正しいことをした」

 

「……あれが、生きているんですか!?」

 

「可能性がある。だから、あんたが覚えていることを全部、細かく教えてほしい」

 

 主人は震える声で証言を始めた。

 

 棺が持ち込まれたのは、四日前の夕方。

 

 顔を帽子と襟巻きで深く隠した男が、荷車を使って運び込んできたという。

 

「三十代から四十代くらいで、中肉中背。話し方は比較的丁寧でした。ただ、妙な匂いがしたんです。薬草と、蝋を燃やしたような……。それから、左手に黒い汚れが染みついていて、片足を僅かに引きずって歩いていました。手袋は最後まで外しませんでしたね」

 

 埋葬費用は、現金で前払いされたという。

 

「名乗った名前は、エリアス・コール。……本名かどうかは分かりませんが」

 

 葬儀屋には、

 

「翌日の夜、遠縁の者が棺を引き取りに来て、郊外へ埋葬する予定だ」

 

 と説明していた。

 

 だから主人はすぐに埋葬手配をせず、店の奥で一晩預かっていたのだ。

 

 ところが、約束の夜になっても引き取り人は現れなかった。

 

 棺の中からは腐敗臭もせず、死後硬直も始まらない。

 

 不気味に思った主人がハンター支部へ連絡した、というのが経緯だった。

 

 俺は葬儀屋の帳簿を見せてもらった。

 

 そこには、依頼を受けた日時と金額が記されている。

 

【ジョサイア・ウォード】

 

【冬季熱病】

 

【身寄りなし】

 

【棺持ち込み】

 

【翌夜、親族が引き取り予定】

 

【夜間特別保管料】

 

 重要なのは、葬儀屋自身がこの棺を作っていないことだ。

 

 完成済みの棺ごと持ち込まれている。

 

 さらに、支払われた金額が不自然だった。

 

 通常の貧民の埋葬にしては高すぎるが、上等な葬儀を行うほどでもない。

 

「この余分な金は、棺を一晩保管して、翌夜に指定の者へ引き渡すための口止め料だった可能性が高いな」

 

 葬儀屋はそれを口止め料とは思わず、単なる夜間の特別料金として帳簿へ記載していたのだ。

 

 主人は、依頼人から受け取ったという、教会の埋葬承認を装った紙も見せてくれた。

 

【ジョサイア・ウォード】

 

【冬季熱病】

 

【親族なし】

 

【郊外埋葬を承認する】

 

 教会関係者らしき印が押されている。

 

 だが、誰が病状を確認し、いつ死亡したと判断したのかは、何も書かれていない。

 

「少なくとも、これだけでは医師が死亡を確認した証拠にはならないな」

 

 俺は紙を借り受け、近くの教会へ持ち込んで照合することにした。

 

 教会の墓地管理人と古い埋葬帳を確認すると、奇妙な事実が判明した。

 

 ジョサイア・ウォードという人物は、最近の埋葬記録には存在しない。

 

 同名の人物は、前年に別の町で亡くなったという古い記録にだけ残っていた。

 

 さらに、持ち込まれた紙へ押された印は、本物に似せてはいるものの、完全な偽物でもなかった。

 

「前年に作られた、別人の古い埋葬書類の形式を書き写して、名前と日付と死因だけを変えたものだ」

 

 俺が判断すると、ギデオンが溜息をついた。

 

「……またか。本物の書類を少しずつ使い、もっともらしい偽物を作っている」

 

「石鹸の次は、死人の偽造か」

 

「笑えないからやめろ」

 

 次に俺たちは、棺そのものを作った職人を探した。

 

 棺に使われた材木の種類。

 

 釘の打ち方。

 

 角の補強方法。

 

 葬儀屋は、

 

「この辺りで、この打ち方をする職人は二人だけです」

 

 と教えてくれた。

 

 そのうちの一人が、実物を見て、

 

「間違いなく自分の仕事だ」

 

 と認めた。

 

 だが、注文したのは、顔を隠していたエリアス・コールではなかった。

 

 二週間ほど前、若い男本人が直接工房を訪れて注文したという。

 

「二十代後半くらいで、痩せ気味の男でした。髪は茶色で、指がいつもインクで汚れていた。態度は丁寧でしたが、ひどく焦っているようでしたね。名前はナサニエル・リードと名乗りました」

 

 ここで初めて、具体的な名前が出た。

 

 衣服の頭文字、N・Rとも一致する。

 

 だが俺は、本人がその名前を名乗ったというだけだとして、まだ確定はしなかった。

 

 棺職人への注文内容は、極めて不自然なものだった。

 

「見た目は、一番安い貧民用の棺にしてくれと言われました。ですが、底板だけは厚くし、荷車で運んでも絶対に壊れないよう内側から補強してくれと。蓋は、外から簡単に開け直せる位置へ釘を打つように。内側には布を二重に敷き、持ち運び用の取っ手を強くするようにと、細かく指示されました」

 

「遠方から、重い遺体を運ぶのかと思いましたよ」

 

 職人はそう言った。

 

 だが実際は逆だ。

 

 生きた人間を、遺体として安全に運搬するための棺だった可能性が高い。

 

「本人が、自分の棺を細かく設計して注文したのか」

 

 俺が呟く。

 

「少なくとも、あの男自身が、この計画の準備へ積極的に関わっていたことになりますな」

 

 アーサーが言う。

 

 誰かに一方的に薬を打たれ、仮死状態へ追い込まれた被害者という線だけではない。

 

 自ら偽装死を計画した可能性が、濃厚に浮かび上がってきた。

 

 残る手掛かりは、第三倉庫、B・七という言葉と、番号七の鍵だ。

 

 第三倉庫だけでは、フィラデルフィア市内に候補が多すぎる。

 

 だがアーサーが商会の物流担当へ確認すると、倉庫業者の中には、倉庫番号、区画記号、保管箱番号を組み合わせて独自に荷物を管理している場所があるという。

 

 港の近くにある大きな貸倉庫の一つが、

 

【第三倉庫・B区画】

 

 という呼び方を使っていることが分かった。

 

「こういう時、商会を大きくして物流の知識を持たせておいて、本当によかったよ」

 

「怪異事件の謎を解くために、一生懸命石鹸を売っていたのか、お前は」

 

 ギデオンが呆れる。

 

「違うよ! 結果的に役立ってるだけだ!」

 

 俺たちは第三倉庫へ向かった。

 

 巨大な倉庫の内部は、商人の小箱、船員の荷物、一時保管の商品、遠方へ送る書類箱などで、床から天井まで埋め尽くされている。

 

 管理人は、俺たちが特定の箱を開けたいと申し出ると、顧客の信用を理由に帳簿の閲覧と箱の開錠を拒否した。

 

 当然の反応だ。

 

 預けた荷物を、別の商人が好き勝手に調べられる倉庫など、誰も利用しない。

 

 俺は吸血鬼の力や商会の権力で、強引に脅すことはしなかった。

 

「人が一人、死にかけているんだ。その人が持っていた鍵が、この倉庫の箱を開ける可能性がある。中に、その人を目覚めさせる解除薬があるかもしれない。確認させてくれ」

 

 管理人は長く迷った末、条件付きで協力した。

 

「鍵が実際に合うかを確認する。箱の所有者名や中身を、関係のない者へ公表しない。人命と関係がなければ、すぐ元の状態へ戻す。これを守ってください」

 

「分かった」

 

 管理人の貸出帳を確認させてもらう。

 

【第三倉庫】

 

【B区画】

 

【保管箱七】

 

 借主の名前は、

 

【ナサニエル・リード】

 

 利用開始は約一か月前。

 

 三か月分が前払いされている。

 

 用途は、

 

【個人的な書類および衣服】

 

 保証人はなし。

 

 管理人は、借主本人の顔を覚えていた。

 

「痩せた若い男でしたよ。髪は茶色で、指がいつもインクで汚れていた。ひどく神経質そうな男でした」

 

 封印室で眠る男の特徴と一致する。

 

 ここで身元は、ほぼナサニエル・リードへと絞られた。

 

 ただし俺は、同じ男が別人の名前を使って箱を借りた可能性もあるとして、記録上はあくまで、

 

【ナサニエル・リードを名乗った人物】

 

 としておいた。

 

 B区画の七番。

 

 人一人が隠れるほど大きくはないが、鉄で頑丈に補強された木箱だった。

 

 所持品の鍵を差し込む。

 

 カチャリと、小気味よい音を立てて鍵が開いた。

 

 しかし、箱の鍵穴の周辺には、最近強引にこじ開けようとしたような、生々しい傷がついていた。

 

 誰かが鍵なしで開けようとしたが、成功しなかったのだ。

 

 ギデオンが周囲の床を確認する。

 

「箱の上と床に、薄い泥が落ちている。この倉庫の作業員が普段履いている靴の跡とは違うな」

 

 つまり、ナサニエルか協力者以外の誰かが、この箱の存在を知り、中身を探していた可能性がある。

 

 箱の蓋を開ける。

 

 俺たちは、中身を一つずつ、取り出した順に記録していった。

 

 一、新調された衣服一式。

 

 二、長旅に耐える丈夫な靴。

 

 三、保存食。

 

 四、水筒。

 

 五、まとまった現金。

 

 六、髪を染めるための薬品。

 

 七、トーマス・ヘイルという名で書かれた紹介状と、書記としての雇用証明。

 

 八、同じ偽名での乗船手配書。

 

 九、封蝋された手紙。

 

 十、小さな帳簿の写し。

 

 十一、薬瓶を収めるための空の木枠。

 

 十二、仮死状態から戻すためと思われる手順書。

 

「……これ、完全に逃亡準備じゃないか」

 

 俺が言うと、アーサーも同意した。

 

 ナサニエルは、目覚めた後で別人としてこの街を出るつもりだったのだ。

 

 紹介状と雇用証明へ書かれた新しい名前は、

 

【トーマス・ヘイル】

 

 職業は書記。

 

 行き先は、ニューヨークか、さらに南の植民地。

 

 ただし、書類の出来は粗い。

 

 港や宿屋で素性を尋ねられた際に、トーマス・ヘイルという名前を一時的に信用させる程度のものだ。

 

 本格的に別人として一生を送るには不十分だった。

 

「長期的な逃亡計画というより、とにかくまず、この街から出るために急いで作られた準備ですな」

 

 箱の中には、俺たちが探していた仮死解除の手順書もあった。

 

 医学書のような立派なものではない。

 

 薬師が、実際に作業する者へ向けて書いた、実務的な指示書だった。

 

『仮死開始から三日以内の解除が最も安全。

 

 三日を越えた場合、心臓、呼吸、体温を一度に戻してはならない。

 

 五日を越えた場合、回復は保証できない。

 

 まず首筋の蝋膜を温め、ゆっくり剥がすこと。

 

 隠蔽印を完全に消さず、一部だけ切ること。

 

 第一薬を舌の下へ数滴垂らす。

 

 心拍が戻り始めた後、第二薬を水で薄め、少量ずつ与える。

 

 急激に全身を温めないこと。

 

 自発呼吸が完全に戻るまで、固形物を与えないこと。

 

 痙攣が出た場合は、直ちに第二薬を止めること』

 

 俺が封印室で推測した危険と、ほとんど一致している。

 

 だが、記載された日数を見た瞬間、背筋が冷えた。

 

「棺が葬儀屋へ持ち込まれたのが、四日前の夕方……」

 

 仮死状態へ入った正確な時刻は分からない。

 

 しかし、最も安全に解除できる三日間は、すでに過ぎている可能性が高い。

 

 回復を保証できない五日目まで、ほとんど時間が残されていない。

 

 さらに、俺は手順書を持ったまま固まった。

 

「待て。第一薬と第二薬はどこだ?」

 

 木箱の底にあった、薬瓶を収めるための小さな木枠は空だった。

 

 九番目に記録した、封蝋された手紙を開く。

 

 差出人の署名は、

 

【エリアス・コール】

 

 葬儀屋へ棺を持ち込んだ人物と同じ名前だ。

 

 手紙の要点はこうだ。

 

『仮死状態に入った後、私が棺を葬儀屋へ運ぶ。

 

 十四日の夜半に私が棺を引き取り、第三倉庫まで運ぶ。

 

 箱七の衣服へ着替えさせる。

 

 第一薬と第二薬は、私が持参する。

 

 覚醒後、夜明け前に港を離れること。

 

 帳簿の写しは、絶対に手放さないこと』

 

 そして最後に、不吉な一文があった。

 

『もし、私が指定の時間までに現れなかった場合、計画は中止せよ。

 

 薬なしで、彼を無理に起こしてはならない』

 

「……一番必要な男が、来てないじゃないか」

 

 解除薬を持った協力者が、十四日の夜半にこの倉庫へ来なかった。

 

 だから棺は葬儀屋へ放置され、最終的にハンター支部へ持ち込まれたのだ。

 

 手紙の文面から、ナサニエルは計画を知っており、エリアスと協力していたことが分かる。

 

 仮死状態は、何者かによる一方的な救命措置でも、誘拐でもない。

 

 逃亡のための手段だった可能性が高い。

 

 しかし、本人が完全な自由意思で参加したとは限らない。

 

 脅迫されていた可能性。

 

 殺されるよりはましだと選んだ可能性。

 

 あるいは、エリアスから説明された内容自体に嘘があった可能性。

 

「本人が計画に関わっていたことは間違いない。でも、一体何から逃げていたのかが分からないな」

 

 俺が呟くと、ギデオンが十番目の証拠品を指差した。

 

「箱の中の、その帳簿の写しが答えではないか?」

 

 箱に入っていた帳簿は、正式な装丁の帳簿ではない。

 

 複数の船と積荷について、数字だけを走り書きで抜き出した控えだった。

 

 記録されている項目は、船名、入港日、積荷の申告数、実際に倉庫へ入った数、破損品として処理された数、販売先、正式帳簿へ載らない支払額、そして頭文字だけの受取人。

 

 俺は商人として、その数字の異常さにすぐ気づいた。

 

「これ……正式な申告では、布地が二十箱になってる。でも実際の入庫は二十七箱だ。七箱が、帳簿上は存在しないことになってるぞ」

 

 別の記録も確認する。

 

「こっちは十箱が破損して廃棄されたことになってる。でも、そのうち九箱と同じ商品が、別の店へ販売されてる」

 

 過少申告。

 

 商品の横流し。

 

 架空の破損。

 

 売上の抜き取り。

 

 密輸。

 

 何らかの帳簿不正が行われている可能性が高い。

 

 控えには、ある海運商会の略印が繰り返し登場していた。

 

「ブラックウッド&クレイン海運商会……」

 

 アーサーが、その名前に反応した。

 

「フィラデルフィアでは中堅規模の商会ですな。大商会ほど目立ちませんが、複数の港と手広く取引があります。ヴァレンタイン商会とも、蝋燭用の油脂と薬品の輸送で数度、取引がありました」

 

「身内の取引先じゃないか……」

 

 大規模な政治陰謀や国家転覆ではなく、まずは商業上の不正という、生々しい可能性へ繋がり始めた。

 

 俺たちは、表向きは通常の商談という体裁を取り、ブラックウッド&クレイン商会を訪れた。

 

 いきなり、

 

「死体から、お宅の裏帳簿らしきものが出たぞ」

 

 とは言わない。

 

 まず、ナサニエル・リードという人物への面会を求めた。

 

 商会の主人ブラックウッドは、俺たちの訪問に驚いた様子を見せた。

 

「ナサニエル・リードなら、先週、冬季熱病で急に亡くなりましたよ」

 

「誰が死亡を確認したんですか?」

 

「彼の下宿の主人から連絡がありました。遺体は、すでに郊外へ埋葬されたと聞いています」

 

「誰から聞いたのです?」

 

 ブラックウッドは答えられなかった。

 

 死亡の報告は、商会の上級番頭を通じて受けただけだという。

 

 商会の雇用帳を見せてもらう。

 

【ナサニエル・リード】

 

【二十七歳】

 

【下級会計係】

 

【勤務三年】

 

【冬季熱病で死亡】

 

【給金支払い終了】

 

【私物処分済み】

 

 だが、不自然な点が多すぎた。

 

 死亡を確認した医師の名前がない。

 

 下宿先の正式な確認記録もない。

 

 葬儀費用の支出もない。

 

 家族への連絡記録もない。

 

 死亡した日の直前まで通常勤務しており、病欠の記録すらなかった。

 

 前日まで普通に働いていた人間が、翌日に急死し、即座に埋葬されたことになっている。

 

 同行していたラッシュが、小声で言った。

 

「冬季熱病で突然死する可能性はあります。しかし、経過の記録がなさすぎます」

 

 俺は、ナサニエルが担当していた船の正式帳簿を見せてもらい、箱から出た控えと照合した。

 

 複数の情報が一致する。

 

 船名。

 

 日付。

 

 仕入先。

 

 積荷の種類。

 

 ただし、数量と破損の記録だけが違っていた。

 

 箱の控えは、まったくの創作ではない。

 

 実際の商会記録を知る人間が作ったものだ。

 

 そして、その数字を日常的に確認できる立場にいたのが、ナサニエルだった。

 

 身元と、彼が逃亡しなければならなかった理由が、一本の線に繋がり始めた。

 

 ブラックウッドは、帳簿の食い違いについて尋ねられると、明らかに動揺した。

 

 しかし、すぐに彼を犯罪の首謀者とは断定しない。

 

 商会主が指示したのか。

 

 上級番頭が独断で横流ししたのか。

 

 倉庫担当者と船長が組んだのか。

 

 ナサニエル自身が数字を改竄したのか。

 

 そもそも、控えの数字そのものが誰かを陥れるための偽物なのか。

 

「この控えだけで、あんたが横流しを命じたとは言わないよ」

 

 俺が言う。

 

「では、何をしに来たのです?」

 

「一人の会計係が、どうして突然死んだことになったのか。それを調べに来ただけだ」

 

 商会内に残っている、ナサニエルの元の机を確認させてもらう。

 

 すでに私物はきれいに片づけられていた。

 

 だが、引き出しの奥には、削られた数字の跡と、破られた帳簿の切れ端が残っていた。

 

 さらに、机の裏板へ、インクで小さな書き込みがある。

 

【信用するな。原本ではなく写しを持て】

 

【七番目の箱だけは、パイクに渡すな】

 

 ナサニエルは、誰かが帳簿の原本を奪い、隠滅することを警戒していた。

 

「サミュエル・パイク」

 

 ナサニエルの死亡報告を商会主へ伝えた、上級番頭の名前だ。

 

 彼は倉庫管理、船荷の記録、帳簿の確認を担う、ナサニエルの直接の上司だった。

 

 だが、その日は出勤していなかった。

 

 朝から所在不明で、自宅にも戻っていないという。

 

 商会主は、

 

「病気か、私用だろう」

 

 と言うが、不自然すぎる。

 

 現時点では、重要な調査対象だ。

 

 ただし、失踪したからといって犯人とは断定しない。

 

 彼もまた、口封じのために狙われている可能性がある。

 

 次に俺たちが追うべきは、葬儀屋の証言にあったエリアス・コールだ。

 

 薬草と蝋の臭い。

 

 左手の黒い染み。

 

 片足を引きずる。

 

 商会の取引記録を調べると、近隣に同名の薬師がいることが判明した。

 

 小さな薬種店を営む人間で、船酔い薬、鎮痛剤、睡眠薬、防腐用薬品、怪異対策用の蝋や灰などを扱っている。

 

 ハンター支部とも、過去に少額の取引があった。

 

 古い隠蔽術と薬物を組み合わせられる人物として、条件が一致する。

 

 夕方。

 

 俺たちは、エリアス・コールの薬種店へ向かった。

 

 店の扉は、半開きになっていた。

 

 中は、ひどく荒らされている。

 

 棚が倒され、薬瓶が割れて床へ散乱していた。

 

 帳簿の一部が破り取られ、床には黒い蝋が溶けてこびりついている。

 

 少量の乾いた血痕。

 

 左足用の杖が、真っ二つに折れて転がっていた。

 

 エリアス本人の姿はない。

 

 死体もない。

 

 店の裏口が開け放たれている。

 

 争った跡はある。

 

 だが、誰かに連れ去られたのか。

 

 自分で逃げたのか。

 

 追っ手と戦って脱出したのか。

 

 まだ分からない。

 

 店内に残された調合帳を調べると、該当する薬の記録を発見した。

 

【死眠薬・試作第三処方】

 

 注意書きには、こうある。

 

『使用量を超えれば死亡。

 

 三日以内の解除が最も安全。

 

 五日を越えた場合、回復は保証できない。

 

 第一解除薬で心臓を戻す。

 

 第二解除薬で呼吸と体温を戻す。

 

 片方だけでは危険。

 

 術式を急に破壊しないこと』

 

 そして、

 

【第一解除薬 二瓶】

 

【第二解除薬 二瓶】

 

 と作成記録があった。

 

 しかし、店内にはどちらの薬も残されていない。

 

 一組は、エリアスが十四日の夜半に倉庫へ持参する予定だったものだ。

 

 もう一組の行方も分からない。

 

 ラッシュが、調合帳を食い入るように読む。

 

「解除法は分かりました。ですが、肝心の薬がありません」

 

「作り直せないの?」

 

「材料の名前は書いてあります。しかし、量と処理手順の一部が暗号化されています。調合帳だけでは完全に再現できません」

 

 店内には、ナサニエルからエリアスへ宛てた手紙の断片も落ちていた。

 

『私が消えれば、彼らは帳簿の不足を、病死した人間へ押しつけるだろう』

 

『生きて証言しても、先に私を盗人として告発されれば終わる』

 

『写しだけは、外へ出さなければならない』

 

 これにより、ナサニエルが不正を発見し、身の危険を感じていた可能性が強まった。

 

 しかし、別の断片にはこうあった。

 

『持ち出した金は、後で必ず返す』

 

 ナサニエルが、商会の金を無断で持ち出した可能性も出てきた。

 

 被害者である可能性は高い。

 

 だが、完全に無実とは限らない。

 

 支部へ戻る。

 

 患者の状態に、大きな変化はなかった。

 

 俺たちは、現時点の事実を記録板へ整理した。

 

【身元】

 

 ナサニエル・リードを名乗った人物と特徴が一致。

 

 ブラックウッド&クレイン海運商会の下級会計係。

 

【偽装死】

 

 棺、衣服、逃亡資金、偽名の紹介状、雇用証明、乗船手配から、計画的な偽装死の可能性が高い。

 

【理由】

 

 商会の帳簿不正を発見し、逃亡または告発を計画した可能性。

 

【協力者】

 

 薬師エリアス・コール。

 

 死眠薬と解除薬を作成した可能性。

 

 現在行方不明。

 

【期限】

 

 最も安全な解除期間である三日間は、すでに過ぎている可能性が高い。

 

 五日を越えた場合、回復の保証なし。

 

【不足】

 

 解除薬。

 

 エリアス本人。

 

 ナサニエルの証言。

 

 帳簿不正の主体。

 

 上級番頭サミュエル・パイクの行方。

 

 ラッシュは、調合帳と手順書を並べて言った。

 

「理屈としては、彼を目覚めさせる方法が分かりました」

 

「でも、必要な薬がない。作った本人も消えた」

 

 ギデオンが低い声で続ける。

 

「そして、彼を死者にした理由を知っている者も消えている」

 

 俺は、石台の男を見た。

 

 男の心臓は、ごく長い間隔で微かに動いている。

 

 いつまで持つか分からない。

 

 安全な三日間は、すでに過ぎている。

 

 回復を保証できない五日目まで、もう時間がない。

 

「エリアスを探す。解除薬も探す。それまで、この人を絶対に死なせるな」

 

 俺の言葉に、ラッシュが頷いた。

 

「命令されるまでもありません。彼は私の患者です」

 

 俺は、ナサニエルの箱から持ち出した帳簿の写しを開いた。

 

 その最後の頁に、小さく書かれた一文を見つける。

 

【七番目の箱だけは、パイクに渡すな】

 

「……サミュエル・パイク」

 

 アーサーが応じる。

 

「本日から、行方が分からない上級番頭ですな」

 

「犯人だと決めつけるな。でも、少なくとも探す理由はできた」

 

 その時。

 

 石台の上の男の唇が、ごく僅かに動いた。

 

 今度は、肺から空気が漏れただけではない。

 

 微かな、かすれ声。

 

「……エ……リ……」

 

 エリアス。

 

 そう言おうとしたのか。

 

 別の言葉なのか。

 

 まだ分からない。

 

 ラッシュが耳を寄せる。

 

 俺は無理に続きを言わせず、冷たい彼の手を握った。

 

「分かった。エリアスを探す」

 

 患者の指が、ほんの僅かに、俺の指を握り返した気がした。

 

 死者の帳簿を遡った先にいたのは、死んだ男ではなかった。

 

 自分の棺を注文し、自分の死を準備し、別人の名前で街から消えようとした、一人の会計係だった。

 

 何から逃げていたのか。

 

 誰を信用し、誰を恐れていたのか。

 

 持ち出した帳簿の数字は真実なのか。

 

 それとも、自分の罪を隠すために作った新しい偽物なのか。

 

 まだ、何も確定していない。

 

 ただ一つ確かなのは、彼を目覚めさせるはずだった薬師が消えたこと。

 

 そして患者の心臓は、俺たちが真相へ辿り着くまで、悠長に待ってくれるとは限らないということだった。

 




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