真祖吸血鬼、まだ存在しないアメリカに寄生する 〜合法的な血液供給のため、建国前から国家運用保守を始めました〜 作:パラレル・ゲーマー
デラウェア川の港に、強い海風が吹きつけていた。
俺が送り出した『ヴァレンタイン式密封保存牛肉』を積んだ試験船が、近距離の航海を終え、予定どおりフィラデルフィアへ帰還したのだ。
知らせを受けた俺は、アーサー、ギデオン、アビゲイル、そしてラッシュを伴って港へ急行した。
桟橋へ近づく船の甲板を見上げ、俺は鋭く目を凝らした。
自力で歩けない者はいないか。
病人を運び出すような緊迫した動きはないか。
船内で食中毒を巡る騒動が起きた形跡はないか。
……よし。
船員たちは皆、健康そうな顔でロープを引いている。
そして甲板の上では、船長が俺たちの姿を見つけるなり、破顔一笑して大きく手を振っていた。
「ヴァレンタイン氏! あんたが作ったあの肉は、本物だ!」
船長はタラップを降りるなり、興奮気味に俺の手を握った。
「これでまた、かちかちの塩漬け肉だけの飯へ戻れと言われたら、うちの船員どもが本気で反乱を起こすぞ!」
ギデオンが背後で皮肉っぽく笑った。
「船内の反乱を防ぐための食料が、逆に反乱を誘発する原因になりそうだな」
船員たちも次々と甲板から降りてきて、保存肉を絶賛し始めた。
「とにかく肉が柔らかいんだ。噛みちぎるのに顎が疲れない!」
「塩を抜くために、一晩中水へ浸す手間がないのが最高だ」
「火を使う時間が短くて済むから、風が強い時でも、すぐ飯にありつけたぜ」
「病気じゃないが、少し胃が弱ってた奴でも問題なく食べられた。何より、汁まで全部うまいから、食べ残しが出ないんだ」
中でも一番喜んでいたのは、過酷な労働を強いられる料理番だった。
「今まではよ、塩漬け肉をどうにか食える状態へ戻すだけで、朝から夕方までかかりきりだったんだ。それが、この箱は開けて鍋へ移し、ぐつぐつ沸かすだけで極上の煮込みだ。嘘みたいに楽だったぜ」
船長が満足げに頷く。
「塩を抜くために、大量の貴重な真水を使わなくて済むのも、船長としては非常に大きい。水樽一つ分とは言わんが、短い航海でも目に見えて水の減り方が違ったよ」
保存肉は、単に味が良いだけではない。
水。
燃料。
調理時間。
そして、料理番の過酷な労力。
航海における貴重な資源を、目に見える形で節約できることを、今回の試験は証明したのだ。
「それで、俺が渡しておいた記録票はどうなった?」
俺が尋ねると、船長は懐から、几帳面に書き込まれた紙の束を取り出した。
【開封日】
【容器番号】
【製造群番号】
【開封前の外観】
【膨張の有無】
【漏れの有無】
【錆の有無】
【開封時の状態】
【再加熱時間】
【食べた人数】
【食後の体調】
【味への意見】
航海中に使用対象として取り出した、四十個分の取扱記録だ。
「三十九個は、まったく正常だった。全員がうまいと言って平らげたし、食後に体調を崩した奴も一人もいない」
「……俺は百個預けたはずだが、四十個しか取り出さなかったのか?」
「航海の長さから見て、使う予定だったのは四十個だ。だが、厳密には開けたのは三十九個だけだ」
船長の表情が、急に険しく引き締まった。
「あんたに、どうしても見てもらわなきゃならない物がある」
◆
船長に案内され、再び甲板へ上がる。
その隅の風通しの良い場所に、一つの小さな木箱がロープで厳重に固定されていた。
箱には赤い布が結びつけられ、上部には石炭で大きく、
【開封禁止・危険】
と書かれている。
箱の中には、一個の金属密封容器が収められていた。
上面と底面が、内部から押されるように僅かに膨らんでいる。
側面の錫の継ぎ目の近くには、何かが内側から滲み出したような薄茶色の染みまでついていた。
明らかな異常品だった。
「……誰も、これを開けてないな?」
俺は低い声で確認した。
「開けていない。誰も口にしていない」
船長が断言する。
「よく止めた」
すると、一人の若い船員が、気まずそうに後ろから手を挙げた。
「すまねえ。最初は、俺が鑿で穴を開けようとしたんだ。少し膨らんでるくらいなら、火へかけてぐつぐつ煮れば食えると思って……」
俺の目が鋭く細まった。
船員が身をすくめる。
だが、俺が怒鳴る前に、料理番が進み出た。
「俺が止めたんだ。木箱の内側へ、旦那が焼き印で押してた注意書きを思い出したんでね。膨らんでいる物は絶対に開けるなって。だから、製造番号を確認して、同じ製造群が書かれてる容器も全部、使わずに隔離した」
俺は、赤い布が巻かれた隔離箱の横に、さらに十二個の金属容器が積まれているのを見た。
「製造番号は?」
「ここに書いてあるとおりだ。第一製造、第七群、二十三番。だから、同じ第七群と刻印されている容器は、全部使うのを止めた」
俺は深く息を吐き出し、料理番の肩を強く叩いた。
「……よくやった。注意書きは、ちゃんと現場で読まれて、機能したんだな」
「旦那があれだけ大きな字で、絶対に開けるな、食料一個を惜しんで命を落とすなって書いてたからな。さすがに無視できなかったよ」
ギデオンが腕を組んで頷く。
「大きな字にした甲斐があったようだな」
船内には、同じ第七群の容器が十三個積まれていた。
一個に明らかな異常が出た時点で、料理番と船長は、正常に見える残りの十二個も、ためらわず使用停止にしたのだ。
そのため、膨らんだ容器を開けた者はいない。
同じ製造群の容器も食べられていない。
他の製造群だけを使用し、乗員の体調にも異常は出なかった。
「完璧だ」
俺は心底安堵して言った。
船長が怪訝な顔をする。
「不良品が一個出たのにか?」
「不良が出たこと自体は完璧じゃない。でもな、不良が出た後のあんたたちの動きは、これ以上ないくらい完璧だったんだよ」
どれだけ優れた技術でも、不良品が生まれる可能性を完全なゼロにはできない。
不良品を一つも出さないことだけが、良い仕組みなのではない。
不良が出た時に、誰も死なず、危険の範囲を特定し、そこだけを確実に止められる。
それもまた、本当に良い仕組みの条件なのだ。
◆
その時、背後からラッシュが進み出て、当然のように言った。
「ヴァレンタイン氏。直ちにこの容器を開封し、内部で目に見えない微小な生物による変化が起きたのか、それとも別の薬学的な変化が起きたのか、詳しく調べる必要があります」
「ここでは絶対に開けない」
俺は即座に却下した。
「しかし、原因究明は――」
「港のど真ん中で、何の毒を含んでいるかも分からない腐敗物を開ける医者がどこにいる!」
「目の前にいますが」
「自覚するな!」
俺は船長へ指示し、膨張した容器を、さらに二重の木箱へ入れさせた。
「これはハンター支部の危険物保管場所へ移送する。内容物や内部の気体を外へ漏らさず処理できる方法が決まるまで、絶対に開けるな」
「中身を確認しないのですか?」
「原因を調べるなら、まず安全な未使用容器と、同じ第七群の正常に見える容器を調べる。それで十分に絞り込めるかもしれない。好奇心のために、最も危険な物から開ける必要はない」
◆
商会へ戻るなり、アーサーが猛烈な勢いで製造台帳を開いた。
「第七群の総生産数は二十五個です。内訳は、十三個が試験船へ搭載。九個が通常の倉庫で保存中。三個が振動試験用です」
俺は台帳を指した。
「つまり、一般の客や、他の船へはまだ一個も渡していないんだな?」
「はい。製造番号で管理しておりますので。番号をつけていなければ、誰にどこへ渡したか確認するだけで数日はかかっていたでしょう」
「今は?」
「二十五個すべての所在を、数分で特定できました」
「倉庫の九個、振動試験の三個も、即座に使用停止だ。赤い札をつけて、隔離棚へ移せ」
俺の指示で、商会内の第七群も、すべて封印された。
この時点で、異常が疑われる肉が外へ出回る危険は、物理的に封じ込められた。
食品製造区画の職人の一人が、不安げに提案した。
「ヴァレンタイン様。念のため、今まで作ったすべての保存肉の出荷を止めるべきでは……?」
「全部捨てる必要はない」
俺は答えた。
「ただし、今回見つかったのは金属容器の加工に関する問題だ。他の製造群にも同じ弱点がなかったか確認するまでは、新しい出荷と試食を一度保留する」
「すべて止めるのですか?」
「捨てるんじゃない。点検が終わるまで保留するんだ。危険のあり得る範囲を調べ、安全を確認できた群から順に戻す」
他の製造群について、緊急点検を命じた。
外観。
継ぎ目。
蓋の密閉。
錆。
処理温度の記録。
容器の製作者。
密封担当者。
使用した鉄板の作業単位。
台帳と照合し、安全が確認された群から、保管試験と出荷準備を再開する。
「恐怖に駆られて全部を捨てるな。でも、根拠もなく安全だと思い込むな。危険のあり得る範囲を、正確に切り取るんだ」
◆
俺たちは、隔離された第七群の製造記録を詳しく読み直した。
肉片の大きさ。
規定どおり。
内容量。
規定どおり。
煮汁の濃さ。
規定どおり。
釜内の蒸気排気。
完了。
処理温度。
基準以上。
圧力。
基準内。
処理時間。
基準を満たす。
冷却工程。
異常なし。
加熱工程には、記録上の問題はなかった。
同じ釜、同じ温度で処理したガラス瓶にも、膨張や密封異常は起きていない。
「料理の中身や、加熱不足が原因である可能性は低いな。金属容器の側に問題があるかもしれない」
俺は、金属容器の製造責任者である錫細工職人の親方を呼んだ。
第七群と同じ日に作られた、まだ肉を詰めていない未使用の金属容器を集めさせる。
見た目には問題がない。
外側の錫も、きれいに仕上がっている。
しかし俺が、鑿で容器側面の継ぎ目を切り開かせ、内部を確認すると、明確な欠陥が露呈した。
「……折り返した鉄板の幅が、一部だけ極端に浅い」
本来、この容器は、鉄板の端と端を深く折り曲げて噛み合わせ、接合材がなくてもある程度形を保てるほどの強度が必要だ。
ところが、第七群と同じ日に作られた容器の一部は、折り返しの幅が狭く、噛み合わせが浅かった。
その隙間を、外側から錫を多めに流し込むことで塞いでいたのだ。
これでは、荷車や船の振動、塩気を含む湿気にさらされた時、接合部が僅かに動き、錫へ目に見えないほど細い亀裂が入る可能性がある。
膨張品の継ぎ目の近くには、内部から滲み出したような染みもあった。
さらに同じ作業単位で作られた未使用容器にも、同様の浅い噛み合わせがある。
「最有力原因は、この継ぎ目の加工不良だな。ここから外気や湿気が入り込み、内部で腐敗が始まった可能性が高い」
危険な膨張容器そのものを開けていない以上、断定はできない。
だが、原因を示す証拠は十分に揃い始めていた。
◆
「……私のせいです。私が作った容器です」
第七群と同じ作業単位の容器を担当した若い錫細工職人が、真っ青な顔で俺の前へ進み出た。
「どのような厳しい罰でも受けます。申し訳ありませんでした」
だが、俺は即座に彼をクビにしたり、怒鳴りつけたりはしなかった。
「詳しく話を聞かせてくれ。どうしてこうなった?」
若い職人は、震えながら答えた。
「作業中、鉄板の硬さがいつもと違い、継ぎ目が緩いとは感じていました。ですが、外側から錫を厚く塗れば、漏れは塞がったように見えたのです。中身が外へ漏れなければ、問題ないと判断してしまいました」
親方も青い顔で頭を下げた。
「私も完成数を急ぐあまり、外観の仕上がりだけを見て合格としてしまいました。内部の噛み合わせまで、一つずつ確認していなかった私の落ち度です」
そして、俺自身にも原因があった。
俺の描いた図面には、
折り返す幅を示す原寸の型
噛み合わせの深さ
どこまでなら合格か
どこから不合格か
という、職人が迷わず判断できる具体的な基準がなかった。
職人の長年の勘に依存していたのだ。
「……これは、お前一人の失敗じゃない」
俺が言うと、若い職人が顔を上げた。
「ですが、私は作業中に異変を感じながら――」
「報告しなかった責任はある。でも、報告すべき基準を決めず、目測と感覚だけで作らせたのは、設計した俺たちの落ち度だ」
責任を一人へ押しつけて終わらせはしない。
職人は、異変を感じながら報告しなかった。
親方は、数量を優先し、内部の状態を確認しなかった。
商会は、合否を測る道具を用意していなかった。
そして俺は、未来知識を、当時の職人が迷わず再現できる工程へ完全に翻訳していなかった。
それぞれの責任を、切り分ける。
◆
俺は、食品製造区画の職人全員を集めた。
「今日から、作業中に、いつもと違う、少し変だと思った者には、製造作業を止める権限を与える」
親方が驚いて言う。
「若い下働きの職人が、勝手に仕事を止めてしまっては、一日の生産目標へ届きませんぞ!」
「止めた理由が正当なら、絶対に処罰しない。逆に、異常を感じたのに黙って次の工程へ流した場合は、厳しく処分する」
「もし、思い過ごしで止めてしまった場合は?」
「確認して問題がなければ、笑って再開すればいい。半日の遅れで済む。危険な肉を船へ送り出し、船員を何人も死なせるより、何倍も安い」
生産を早めた者だけではなく、危険を止めた者も評価する。
そういう制度を作るのだ。
第七群を担当した若い職人についても、追放して終わりにはしない。
報告を怠った責任は明確に伝える。
そのうえで再教育を行い、今回の工程改修へ参加させる。
◆
俺は、職人の目測だけに頼らないための単純な道具を作らせた。
継ぎ目を測るための、二本の爪を持つ金属製の検査具だ。
完成した容器の継ぎ目を、爪の間へ差し込む。
厚すぎれば奥まで入らない。
薄すぎれば、抵抗なく抜け落ちる。
規定どおりの厚さと幅を持つ継ぎ目だけが、印の位置で止まる。
さらに、折り返す前の鉄板の幅を確認する原寸の型板も用意した。
「熟練職人の長年の技と勘を、信用しないのですか?」
ギデオンが問う。
「信用するよ。でも、人間は疲れるし、焦るし、急ぐ。同じ幅を何千回も、目だけで正確に測り続けるのは無理だ。職人の腕を否定するんじゃない。職人の腕を助ける道具を作るんだ」
さらに、食品を詰める前の空容器へ、漏れの検査工程を追加した。
完成した金属容器の一部を無作為に抜き取る。
ふいごで内部へ僅かな空気圧を加える。
その状態で、水の中へ沈める。
継ぎ目から小さな泡が出れば、目では見えない隙間がある証拠だ。
一個でも漏れた場合、その同じ作業単位で作られた容器は、すべて使用を保留して再検査する。
第七群と同じ日に、同じ方法で作られた未使用容器を水へ沈める。
すると、複数の容器から細かな泡が上がった。
若い職人が、泡を見て青ざめた。
「外から錫を厚く塗り、完全に塞がったように見えていたのに……内側では、板同士が動いて隙間が残っていたのですね」
「だから、見た目だけでは分からないんだよ」
同じ作業単位の未使用容器からも漏れが確認された。
継ぎ目の加工不良が最有力原因であるという判断は、さらに強く裏づけられた。
◆
用意しておいた振動試験用の容器の役割も変わった。
従来は、荷車へ載せて石畳を往復させたり、湿った塩気のある空気へさらしたりして、外側の凹みや錆を確認するだけだった。
今後は、
振動後の継ぎ目
錫の剥がれ
封止部分の滲み
容器重量の変化
内部を空にした後の水中漏れ試験
まで確認する。
「厨房の静かな棚で無事でも、荒れる船の中で壊れるなら、航海食としては失格だからな」
◆
船員たちへの聞き取りから、もう一つの弱点も判明した。
注意書きの紙だ。
料理番が読んでくれたからよかったものの、海の上では紙が湿気でふやける。
字が滲む。
木箱を開けた時、風に飛ばされる。
そもそも字を読めない船員もいる。
さらに、
【同じ製造群を止める】
という意味も、言葉だけでは伝わりにくい。
俺は改善策を決めた。
金属容器の表面そのものへ、金型で絵による警告を刻み込む。
膨らんだ容器。
そこへ鑿を当てようとする手。
その全体を横切る、大きな斜線。
さらに、同じ印の容器を一つの箱へ集める絵と、ヴァレンタイン商会の印へ知らせる人物の絵も刻む。
木箱の蓋の内側にも、同じ注意事項を消えない焼き印で残す。
そして船長と料理番へは、出港前に必ず口頭で危険性を説明し、その場で内容を復唱させることを販売条件とした。
「紙を一枚入れて、警告したから後は知らないで終わりじゃ駄目だ。字が読めない人にも、湿気にも負けない形で伝えなきゃ意味がない」
◆
船員たちからは、こんな苦情も出ていた。
「鑿とハンマーでこじ開けるのが危ない。波で揺れた時に、切り口で指を深く切りかけた奴がいた」
そこで俺は、専用の開封具を試作させた。
容器の縁へ引っかける金具。
手を刃先から離せる長い柄。
テコの力で、蓋を少しずつ切り進める構造。
切った金属片が、中身へ落ちにくい形。
完全な現代式の缶切りには及ばない。
だが、鑿と短剣で強引に開けるよりは、はるかに安全だ。
「肉を保存する道具を作った結果、今度は肉を取り出す道具まで作ることになったか」
ギデオンが呆れる。
「容器だけ売って、開け方は客の自己責任でどうぞじゃ、怪我人が出るだろ」
◆
アビゲイルが、船員たちから集めた味の感想を報告してくれた。
柔らかい。
塩辛すぎない。
汁まで飲める。
温めれば作りたてに近い。
一方、不満点もあった。
「一個では、大柄な船員一人の食事としては、少し量が足りないそうです。また、船上では香辛料をもう少し強くした方が、食べやすいとのことです」
「じゃあ、一人用と、複数人用の大きな容器を二種類作るか。香辛料を強めた船員用も――」
「では、早速大きな容器での生産を」
「待て」
俺はアビゲイルを止めた。
「容器の大きさが変われば、中まで熱が通る時間も変わる。今の処理時間をそのまま使うな。大きい容器を作るなら、加熱条件も最初から試験し直しだ」
◆
すべての対策が出揃ったところで、海運商人が俺へ、こっそりと耳打ちしてきた。
「ヴァレンタイン氏。膨らんだ容器が一個出たことは、外の客には知らせない方がよいでしょう。せっかく千二百個もの仮注文が来ているのです。新商品の信用に関わります」
アーサーも、売上への影響を少し心配そうに見ていた。
俺は少し考えた後、はっきりと決断した。
「いや。隠さない。公表する」
ただし、
保存肉に危険な毒が発生した
と、無差別に恐怖を煽るような発表はしない。
事実と、現時点での推測を分ける。
第一試験生産の第七群で、膨張した容器を一個確認
船上で同じ製造群をすべて使用停止
該当品は一般販売前
健康被害はゼロ
同じ作業単位の未使用容器からも漏れを確認
最有力原因は、金属容器の継ぎ目の加工不良
他の製造群についても緊急点検を実施
点検を通過した群だけ、出荷保留を解除
工程改修後に第二次生産を行う
「事故を隠し、嘘で信用を守るんじゃない。事故を見つけて、被害が出る前に止めた事実を示して、信用を守るんだ」
試験船の船長も俺の考えに賛同し、自分の名前を出して証言してくれた。
「膨らんだ容器が一個見つかったが、注意書きに従って誰も開けなかった。同じ製造群も全部、使用を止めた。他の三十九個は、問題なくうまく食った。船員の中に体調を崩した奴はいない」
船長は力強く言い切った。
「不良品が一個あったことより、俺たちがあれを食わずに済む仕組みがあったことの方が、海の男にとっては重要だ。俺は次の航海でも、この肉を積むぞ!」
この証言によって、世間の印象は、
危険な新商品
ではなく、
異常を見つけ、止められるよう管理された商品
へと傾いた。
◆
第七群の二十五個は、安全のためすべて廃棄処分とした。
正常に見える物も、販売や試食には回さない。
「一部を残し、内部の微小な生物による変化を観察することはできないのですか?」
ラッシュが未練がましく言う。
「外から状態を確認する試験用に、一個だけ二重封印して残す。食べない。開けない。それ以外は危険物として処分だ」
容器番号。
処分日。
処分担当者。
すべて帳簿へ残す。
危険物を誰かが拾い、食べることのないよう、ハンター支部の管理下で処理させた。
◆
改修された工程で、第二次生産が始まった。
継ぎ目幅を示す原寸型。
金属製検査具。
空容器の水中漏れ試験。
作業員の製造停止権限。
振動後の再検査。
容器本体への警告印。
専用開封具の同梱。
船長と料理番への口頭講習。
第二次生産数は、いきなり一万個にはしない。
だが第一回より規模を拡大し、千二百個とした。
仮注文分を、すべて一つの商会へ即納することもしない。
近距離航路。
中距離航路。
倉庫保存。
高温環境。
商会での定期抜き取り検査。
用途を分け、危険を分散させる。
新しい金属容器が、次々と検査具を通されていく。
漏れ試験で一個でも泡が出れば、その作業単位を止める。
作業員も、
「少し変だ」
と思えば、ためらわず作業を止めるようになった。
最初は、確認作業ばかりで生産が遅くなった。
しかし、不合格品が工程の早い段階で見つかるため、完成後に大量廃棄する数は減っていった。
「止める回数は増えましたが、最終的な合格品の数は、以前より安定しています」
アーサーが帳簿を見ながら報告する。
「速く作ることと、速く完成品を増やすことは、同じじゃないからな」
◆
帰還した試験船の記録。
第七群以外の三十九個。
密封状態良好。
再加熱後の味に問題なし。
食後の異常なし。
容器の破損なし。
船上での取り扱い可能。
調理時間と真水使用量を削減。
さらに、緊急点検を受けた他の製造群にも、同様の継ぎ目不良は確認されなかった。
点検を通過した群から、出荷保留を解除。
改修後の新しい容器も、振動試験と漏れ試験を通過した。
俺はついに、商会の応接室へ集まった海運商人たちの前で宣言した。
「ヴァレンタイン式密封保存牛肉は、これより限定的な商業生産へ移行する!」
商人たちから、割れんばかりの歓声が上がった。
アーサーが、まるで武器でも構えるように、分厚い注文台帳を開いた。
俺はそれを見ないふりをした。
◆
夜。
商会の事務室。
俺の机の上には、絶望的な量の書類が積み上がっていた。
【試験航海報告書】
【異常品報告書】
【製造群停止記録】
【原因調査書】
【改修指示書】
【第二次生産計画書】
【船員向け取扱説明書】
【回収・停止手順書】
「……肉を腐らせない方法を作るより、肉を安全に売るための書類を作る方が、何倍も大変なんだけど」
「最初から申し上げております。旦那様は、便利な新商品を一つ作るたびに、管理すべき商会を一つ増やしておられるのです」
アーサーが冷静に指摘する。
「今回は、肉を開けるための道具の商売まで増えたな」
ギデオンが笑う。
「俺が望んで増やしたみたいに言うな!」
そこへ、夜遅くにもかかわらず、一人の早馬の使者が商会へ駆け込んできた。
差出人は、ロードアイランド植民地のプロヴィデンスにいる取引商人だった。
商取引へ影響しかねない事件が起きたため、急ぎ知らせてきたらしい。
俺は手紙の封を切った。
そこには、短い、しかし衝撃的な知らせが記されていた。
【ロードアイランド沖において、密輸の取り締まりを行っていた英国の税関船が座礁。
夜間、武装した植民地人の一団が小舟で船を襲撃。
乗員を負傷させ、船体へ火を放ち全焼させた。
英国側は、これを重大な反逆とみなし、関係者を厳しく捜索する構え】
俺の顔から、先ほどまでの軽い疲労感が消え去った。
「……アーサー。ギデオン」
俺が手紙を渡すと、二人の顔色も変わった。
「税関船を……植民地側の者たちが、実力行使で焼いたのですか」
「ボストンでは、兵士が市民を撃った。今度は市民が国王の船を焼いたわけか。どんどん過激になっているな」
手紙には、事件の名前はまだ書かれていない。
しかし未来を知る俺には分かる。
これは一七七二年のガスピー号焼討事件だ。
膨らんだ容器は、一つだけだった。
だから、俺たちは原因を調べ、危険の疑われる同じ製造群二十五個を止めればよかった。
異常の範囲を追える問題は、まだ扱いやすい。
だが、今手元にある手紙に書かれた異常には、製造番号も、停止札も、同じ群だけを隔離できる棚もない。
英国の税関船が焼かれた。
誰が最初に火をつけたのか。
誰が責任を負わされるのか。
そして、どこまでの人間が、この事件へ巻き込まれるのか。
その範囲すら、まだ誰にも分からない。
「……歴史の方まで、危険な圧力で膨らみ始めたな」
俺の呟きに、ギデオンが手紙を覗き込んだ。
「こちらは、開けずに海へ捨てるというわけにはいかないようだな」
腐らない肉の製造は、ようやく軌道へ乗った。
だがその直後、今度は十三植民地そのものが、後戻りできない危険な圧力を、再び内部へ溜め込み始めていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!