真祖吸血鬼、まだ存在しないアメリカに寄生する 〜合法的な血液供給のため、建国前から国家運用保守を始めました〜   作:パラレル・ゲーマー

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第31話 真祖吸血鬼、安くなった茶を買わせたくない理由を聞く

 一七七三年の晩夏。

 

 フィラデルフィアのヴァレンタイン商会に、久しぶりに穏やかな朝の光が差し込んでいた。

 

 机の上を占領していたガスピー号事件関連の物騒な帳簿や確認票の山は、ようやくその高さを減らし始めている。

 

 代わって俺の目の前に積まれているのは、保存肉の追加生産計画、新しい香料を混ぜた石鹸の販売記録、そしてラッシュから届いた医薬品の需要予測だ。

 

 アーサーが、羽ペンについた余分なインクを丁寧に拭いながら報告する。

 

「旦那様。今週は、反逆罪に関する各方面からの照会や、怪しげな密告状の類が、一通しか届いておりません」

 

「……たった一通の反逆罪の照会を、平穏と呼ぶ商会になってるの、さすがにおかしくないか?」

 

 俺が突っ込むと、アーサーは微塵も表情を崩さずに答えた。

 

「以前の、一日五通に比べれば劇的な改善です」

 

 そこへ、アビゲイルが珍しく弾んだ足取りで、一枚の紙を持って入ってきた。

 

「旦那様、アーサーさん。良い知らせかもしれません。英国から輸入される茶が、これからかなり安くなるそうです」

 

「安くなる?」

 

 俺は、受け取った商業速報へ目を落とした。

 

 そこには、五月十日に英国本国で成立したという茶法の概略が記されていた。

 

 茶法。

 

 その名前には、未来の知識として覚えがある。

 

 ボストン茶会事件。

 

 顔を隠した男たちが、船に積まれた茶箱を海へ投げ捨てる。

 

 そして、独立戦争へ向かう大きな転換点。

 

 だが、その法律の具体的な中身や数字までは、正直なところよく覚えていなかった。

 

「なあ。俺のうろ覚えの知識だと、この茶法ってのは、植民地へ新しい重税を思い切りふっかけて、みんなを苦しめたから大反発されたんじゃなかったか?」

 

 俺が疑問を口にすると、アーサーが速報を指した。

 

「いいえ。この紙には、新しい税が追加されるとは書かれておりません。むしろ逆です。英国へ茶を輸入した際に支払われ、その後の価格へ加えられていた関税が、植民地向けに再輸出する場合は払い戻されるとあります」

 

「つまり?」

 

「従来よりも低い価格で、植民地へ正規の茶を売れる可能性があります」

 

「……税が増えてないうえに、しかも安くなる?」

 

 俺が困惑していると、ギデオンが窓辺から呆れたように言った。

 

「未来のお前は、茶箱を海へ派手に捨てたという結末だけを覚えていて、肝心の値札を見ていなかったようだな」

 

「ぐうの音も出ない!」

 

 しかし俺は、商人たちが触れ回る、

 

> 茶が安くなる

 

 という言葉を、そのまま信用する気はなかった。

 

「アーサー。茶法の全文の写し、現在のロンドンの茶相場、従来の正規茶の輸入費用、オランダ方面から入る密輸茶の相場、保険料、大西洋の輸送費、英国と植民地双方の税額、それから東インド会社が予定している販売手数料。集められるだけ集めてくれ」

 

「承知しました」

 

 まだ、茶法に基づく商品を積んだ船は出航していない。

 

 実際の船賃、保険料、荷受人の手数料、植民地での小売価格が、最終的にいくらになるかは分からない。

 

 だが、現在判明している条件を用いた予想価格なら計算できる。

 

 ここでも、確定した事実と、条件に基づく予想は分けなければならない。

 

     ◆

 

 数日後。

 

 ロンドンに滞在しているベンジャミン・フランクリンから、個人的な手紙が届いた。

 

 彼は茶法が成立した背景を、極めて冷静な経済の視点から分析していた。

 

 彼の手紙を要約すれば、こういうことだった。

 

『東インド会社は現在、大量の茶の売れ残りと、深刻な資金難に苦しんでいる。

 

 英国政府は会社を救うため、茶を植民地へ送る際に、英国で支払われていた関税を払い戻せるようにした。

 

 しかし、以前から植民地側で徴収されている、一ポンド当たり三ペンスの茶税は撤廃されずに残された。

 

 政府の差し迫った目的は、東インド会社の救済と税収の回復にあるように見える。

 

 だが、植民地側の三ペンス税を残した以上、議会が植民地へ税を課す権限を維持しようとしている、と受け取られることは避けられない。

 

 英国の大臣たちは、値段さえ十分に下げれば、植民地人は課税の原則を忘れ、喜んで茶を買うと考えているようだ』

 

 フランクリンは最後に、皮肉を込めて書いていた。

 

『値段を下げれば、人間は原則を売る。英国の大臣たちは、我々をその程度の存在だと信じているらしい』

 

「……なるほどな」

 

 俺は手紙を机へ置いた。

 

「茶の値段を理不尽に高くして、力ずくで従わせるんじゃない。安くして、自分から進んで買わせるのか」

 

 アビゲイルが、不思議そうに首を傾げた。

 

「旦那様。私は反対派の方々の理屈が、まだよく分かりません。安いお茶を買ったからといって、それだけで議会が税を課す権利まで認めたことになるのでしょうか?」

 

「普通に日々の買い物をする人は、そんな政治的な意味まで考えないだろうな」

 

「では、品質の確かな正規のお茶が、密輸品と同じか、それより安く手に入るなら、そちらを買うのは消費者として当然ではありませんか?」

 

「ああ。まったくもって、その通りだ」

 

 俺はここで、茶法へ反対する急進派を、無条件に正義だとは扱わなかった。

 

 消費者にとって、

 

値段が安くなる可能性がある

正規の商品なので出所を確認しやすい

密輸品より堂々と購入できる

摘発や没収を恐れずに済む

 

 という利益は、決して軽んじられるものではない。

 

     ◆

 

 そこへ、コーネリアス・ヴェイルという英国寄りの商人が、商会を訪ねてきた。

 

 彼は、近く東インド会社の茶がフィラデルフィアへ直送される場合に備え、その荷受人となる商人たちの周辺で、

 

倉庫での保管

荷役

検品

市内への配送

周辺植民地への再輸送

 

 を請け負う事業へ参加しようとしていた。

 

「ヴァレンタイン氏。品質管理と正確な記録において、あなたの商会の右に出る者はいません。ぜひ、新しい茶の流通事業へ協力していただきたい」

 

 ヴェイルは、ロンドンの取引先から得た条件案を提示した。

 

 予定どおり契約が成立すれば、

 

一定の保管料

安定した配送手数料

損失が出た場合の補償

大量の商品を扱う継続取引

王室側や英国商人との商業的信用

 

 が得られる可能性がある。

 

 アーサーが帳面で素早く計算し、俺に耳打ちした。

 

「現時点で提示された条件だけを見れば、当商会にとって非常に有利です。ただし、まだ荷受人や取扱量が完全に確定した契約ではありません」

 

 俺も、即座には断らなかった。

 

「ヴェイルさん。あんたは、この茶法をどう見てる?」

 

「極めて合理的で、消費者にとって有益な改革です」

 

 ヴェイルは迷いなく答えた。

 

「これまで植民地人は、正規の茶は高すぎる、密輸品に価格で勝てないと不満を述べてきました。そこで英国は、英国側の関税と中間費用を減らし、正規の茶を密輸品と競争できる値段へ近づけたのです」

 

「でも、一ポンド当たり三ペンスの茶税は残ってるだろ」

 

「三ペンスです。それを含めても、従来の正規輸入茶より安くなる可能性は高い。消費者にとっては利益です」

 

「東インド会社を救済するためでもあるんだろ?」

 

「巨大な東インド会社が倒産すれば、英国の金融、海運、インドでの統治、そして多くの船員や労働者の雇用へ影響します。会社を救い、在庫を売り、消費者へ安い茶を届ける。その何が悪いのです?」

 

 ヴェイルの理屈には、経済実務としての確かな正しさがあった。

 

 だから俺も、感情論だけで否定することはできなかった。

 

     ◆

 

 数日後。

 

 フィラデルフィアで茶を扱う商人たちが、集会所へ集まった。

 

 会議はすぐに、怒鳴り合いの様相を呈した。

 

「東インド会社は、これまで茶を輸入していた我々のような商人を、商流から追い出そうとしているのだ!」

 

 地元の合法的な茶輸入商人、ジョサイア・ペンローズが顔を真っ赤にして激怒する。

 

 ヴェイルが冷静に言い返した。

 

「中間の費用を省き、消費者へ安く売れる仕組みを、なぜ妨げるのです?」

 

「これは特定の荷受人だけへ利益を与える、悪質な独占だ!」

 

「あなた方も、これまで自分たちの利益を上乗せして売っていたではありませんか」

 

 会議は、

 

> 自由対専制

 

 という崇高な政治闘争ではなく、

 

> 既存の中間商人対、新しく作られる特権的な流通経路

 

 という、泥臭い商売争いにも見えてきた。

 

「ちょっと待ってくれ」

 

 俺は立ち上がり、議論を止めた。

 

「まず聞く。この法律によって茶の値段が下がった場合、誰が、いくら得をして、誰が、いくら損をするんだ?」

 

 急進派の商人が立ち上がる。

 

「金の問題ではない! これは自由の問題だ!」

 

「自由の話をする前に、まずは現実の金の流れを出せ」

 

 英国寄りの商人が言う。

 

「庶民は安く買える。それで十分でしょう」

 

「庶民以外に、誰が何を得る?」

 

 誰も、その金の流れを一枚の紙へまとめて説明できなかった。

 

「分かった。俺が《一杯の茶の勘定書》を作る」

 

     ◆

 

 数日後。

 

 俺は商会の会議室へ商人たちを集め、机の上に三種類の茶葉を並べた。

 

 一つ目。

 

 従来の正規輸入茶。

 

 二つ目。

 

 オランダ方面などから、密輸によって入ったとされる茶。

 

 三つ目。

 

 茶法後に送られる予定の、東インド会社が扱う茶と同じ等級の見本。

 

 三番目は、実際に茶法の条件で植民地へ届いた商品ではない。

 

 あくまで、同じ会社が扱う同等品を用いた比較だ。

 

 俺は参加者たちに、

 

茶葉の色

香り

湯を注いだ時の味

異物の有無

保存状態

 

 を比較させた。

 

 重要なのは、英国から送られてくる予定の茶を、

 

> 毒だ

> 粗悪品だ

> 腐っている

 

 と嘘をついて陥れないことだ。

 

「まず、確認できたことを認めよう」

 

 俺は三つ目の茶を指した。

 

「この見本は毒じゃない。腐ってもいない。目立った異物も見つからない。味も悪くない。品質は十分に良い」

 

 さらに、価格計算を書いた紙を示す。

 

「それから、現在判明している条件どおりなら、従来の正規輸入茶より安くなり、密輸茶とも価格で競争できる可能性が高い」

 

 反対派のペンローズたちが、ひどく嫌そうな顔をした。

 

「ヴァレンタイン氏。我々の味方ではないのか」

 

「味方だろうが敵だろうが、都合の悪い事実を消しちゃ駄目だ」

 

     ◆

 

 俺は字を読めない者にも分かるように、硬貨と木札を使って、金の流れを机の上へ積んでみせた。

 

 比較はすべて、

 

【現時点で判明している条件による予想】

 

 であることを、最初に大きく記す。

 

【従来の正規茶】

 

 東インド会社の販売価格。

 

 英国へ茶を輸入した際に支払われ、再輸出価格へ加えられていた関税。

 

 英国の中間商人の取り分。

 

 大西洋の海運費。

 

 植民地商人の取り分。

 

 一ポンド当たり三ペンスの植民地茶税。

 

 小売商人の利益。

 

 硬貨の山は高くなった。

 

【密輸茶】

 

 オランダ方面などでの仕入価格。

 

 密輸船を動かす船主の危険手当。

 

 摘発や没収による損失を見越した上乗せ。

 

 密輸商人の利益。

 

 植民地側の茶税は支払われない。

 

 硬貨の山は、従来の正規茶より低い。

 

【茶法後の東インド会社茶】

 

 東インド会社の販売価格。

 

 英国で支払われていた関税の払戻し。

 

 英国の中間商人を減らしたことによる費用の低下。

 

 大西洋の海運費。

 

 指定荷受人の手数料。

 

 一ポンド当たり三ペンスの植民地茶税。

 

 現地小売の利益。

 

 条件どおりなら、硬貨の山は従来の正規茶より低くなり、密輸茶にも近づいた。

 

 アビゲイルが、硬貨の山を見比べて言った。

 

「本当に、この条件なら、東インド会社のお茶の方が安くなりそうなのですね」

 

「ああ。従来の正規輸入茶よりは安くなり、密輸茶とも競える可能性が高い」

 

 ただし、実際の販売価格はまだ確定していない。

 

 船賃、保険料、荷受人と小売の手数料が変われば、この予想も変わる。

 

     ◆

 

 俺は壁へ留めた大判の紙に、勘定書の最初の欄を書き込んだ。

 

【誰が、何を得るか】

 

【東インド会社】

 

売れ残った茶を販売する市場

現金収入

会社信用の回復

植民地市場への直接的な経路

 

【英国政府】

 

東インド会社の破綻回避

植民地での茶税収入

密輸の減少

議会の定めた法律が植民地で実施されたという実績

 

【指定荷受人と、その周辺の倉庫・運送業者】

 

手数料

大量の取引

政府や東インド会社との関係

新しい顧客

 

【一般消費者】

 

従来より安くなる可能性のある茶

出所を確認しやすい正規品

密輸品を買う危険の回避

入手しやすさ

 

 次に、

 

【誰が、何を失うか】

 

 を書いた。

 

【従来の植民地茶商人】

 

輸入と卸売の利益

顧客

価格決定への影響

商流上の地位

 

【英国の中間商人】

 

従来の仲介利益

 

【密輸商人】

 

安さの優位

顧客

密輸による利益

 

【植民地側の政治的権利】

 

植民地議会や住民の同意を経ず、英国議会が定めた税を実際に徴収したという先例を作られる

課税を決める権限が誰にあるのかという争いで、英国議会側に実績を与える

 

 俺はペンローズたちへ向き直った。

 

「あんたたちには、新しい欄を書いてもらう」

 

 一つ。

 

【公に主張する政治的な反対理由】

 

 もう一つ。

 

【自分が実際に失う収入】

 

 ペンローズが顔を真っ赤にして立ち上がった。

 

「私を、私利私欲のために愛国を語る卑劣な男だと疑うのか!」

 

「課税権への怒りと、自分の商売を失う恐怖。その両方があるなら、両方書けって言ってるんだ」

 

「私的利益がある者は、政治的主張をしてはいけないとでも言うのか!」

 

「違う。自分の利益が関わっていることを隠して、全部を正義のためだと包むなって話だ」

 

 密輸茶を裏で扱っている商人が、大声を上げた。

 

「議会の不当な専制に屈するな! 断固として反対だ!」

 

 俺は彼に問うた。

 

「茶法後の正規茶が、お前の扱っている密輸茶より安くなったとしても反対するのか?」

 

「当然だ! 自由のためだ!」

 

「密輸の利益がなくなることは、まったく関係ないのか?」

 

「侮辱するな!」

 

「帳簿を見せろとは言わない。だが、自分の利益が一切関係していないとも言うな」

 

     ◆

 

 会議室の後方から、控えめだが、はっきりとした声が上がった。

 

「皆さんがご自分の商売を失うお話は、よく分かりました。でも、私たちはどうなるのですか?」

 

 声を上げたのは、マーサ・ヘイルだった。

 

 以前、偽物の石鹸を買わされ、アビゲイルの紹介で商会へ相談に来た三十代の未亡人だ。

 

 彼女は洗濯や繕い物、下宿人の世話で生計を立てており、茶を売る側ではなく、買って飲む側の意見を聞くために呼んでいた。

 

 商人たちが一斉に振り返る。

 

 マーサは怯まずに言った。

 

「お茶が今までより安くなるのに、あなた方は、自由のために、わざわざ高い方のお茶を買えと言うのですか?」

 

 急進派の商人が、苛立ったように答える。

 

「自由を守るためだ。茶など、そもそも飲まなければよいだろう!」

 

「そうおっしゃるあなたは、毎日の食後に温かいお茶を飲まないのですか?」

 

 急進派の男は言葉に詰まった。

 

「政治の大義のために、私たちが毎週余計に払う銅貨を、あなた方は代わりに払ってくださるのですか?」

 

 アビゲイルが、マーサの言葉を補った。

 

「家庭にとって、茶は高価な品ではありますが、ただ見栄のためだけに飲まれているわけではありません」

 

長時間働いた後の温かい飲み物

体調を崩した者へ少しずつ与える水分

急な来客への最低限のもてなし

酒を飲まない者のための飲み物

近所の人間と話す時間

牛乳や砂糖を加えた時の栄養

 

「湯を沸かして茶にした方が、ただの水より飲みやすく、腹の具合もよいと感じる者もおります」

 

 高級品ではあっても、茶は都市生活の中へ深く入り込んでいる。

 

「茶など飲まなくても死なない、で議論を終わらせるな」

 

 俺は急進派へ言った。

 

「消費者へ負担を求めるなら、その生活上の負担も、政治的抵抗の費用として記録しろ」

 

「自由には犠牲が必要なのだ!」

 

 急進派の商人が反論する。

 

「犠牲を払う人間を、なぜあなたが勝手に決めるのですか?」

 

 マーサが問う。

 

「それだ」

 

 俺が手を打つ。

 

「何がです?」

 

「自分から進んで買わないと決めることと、暴力や恐怖で他人に買わせないことは、まったく別だ」

 

     ◆

 

 俺は、机の上に積んだ硬貨の中から、一枚の小さな硬貨を抜き出した。

 

 一ポンド当たり三ペンスの植民地茶税を示す硬貨だ。

 

「政治的な問題の中心は、この一枚だな」

 

「全体の値下げ幅に比べれば、ごく小さな額です」

 

 ヴェイルが擁護する。

 

「金額が小さいことと、誰がその税を決めたかは、別の問題だ」

 

 ペンローズが叫ぶ。

 

「この三ペンスを払えば、英国議会が我々の同意なしに税を課せるという権利を認めたことになる!」

 

「でも、安い茶を買った人間全員が、本当に議会の課税権を認めるつもりで払うわけじゃないだろ」

 

 俺が指摘する。

 

「それでも英国政府は、税が徴収されたという実績を使う!」

 

 そこなのだ。

 

 消費者が安さを選ぶ意思。

 

 英国政府が、その取引から読み取る政治的な意味。

 

 その二つは一致しない。

 

「一杯の茶には、六つの意思が同時に入り込んでる」

 

 俺は壁の大判紙を指で叩いた。

 

「東インド会社の、在庫を売りたいという意思」

 

「英国政府の、税収を得て会社を救いたいという意思」

 

「議会の、自分たちが決めた法律を実施したいという意思」

 

「指定荷受人と周辺商人の、手数料を得たいという意思」

 

「従来の植民地商人の、商売を奪われたくないという意思」

 

「そして消費者の、少しでも安く飲みたいという意思だ」

 

 だから、

 

> 買った者は議会の課税権を心から認めた

 

 とも、

 

> 反対した者は純粋に自由だけを守っている

 

 とも、単純には言えない。

 

     ◆

 

 俺は茶法を、

 

> 英国政府が独立運動を潰すためだけに仕組んだ、完璧な悪の陰謀

 

 とは結論づけなかった。

 

「英国側は、金の問題としては、かなり合理的にこの法律を作ったんだと思う」

 

「では、なぜ危険なのです?」

 

 アーサーが問う。

 

「人間が、金だけで動くと思ったからだ」

 

 英国政府は、

 

茶を安くする

密輸を減らす

税収を増やす

東インド会社を救う

 

 という経済上の計算をした。

 

 その計算自体には理屈がある。

 

 だが、

 

自分たちの同意なしに税を決められたという屈辱

植民地商人を商流から外される不安

一度認めれば、別の商品でも同じ手法を使われる恐れ

課税権を巡る長年の対立

 

 を軽く見た。

 

 人間が、財布の損得だけで怒りを忘れると考えたのだ。

 

     ◆

 

 ヴェイルが、俺へもう一度提案した。

 

「ヴァレンタイン氏。あなたの商会が保管と配送へ加われば、取引は透明になります。品質も安全も確認できる。信用のない業者へ任せるより、あなたが管理した方が消費者のためになるでしょう」

 

 それは、強い誘惑だった。

 

 俺が参加すれば、

 

茶箱ごとに番号をつける

紛失や横流しを防ぐ

保管状態を管理する

不当な上乗せ価格を見つける

消費者へ出所を示す

脅迫される荷受人や運送人を守る

 

 ことができるかもしれない。

 

「旦那様が管理すれば、少なくとも悪質な横流しや、不透明な値上げは抑えられるでしょう」

 

 アーサーも言った。

 

 俺は考えた。

 

 自分が間へ入り、公平に運用すれば、茶法の危険な部分を抑えられるのではないか。

 

 だが、ギデオンが静かに問うた。

 

「お前が死なず、永遠にその管理を続けるなら、それでいいのかもしれんな」

 

「何が言いたい?」

 

「お前が管理しなければ、すぐに不正にまみれるような制度は、良い制度なのか?」

 

 その一言で、俺の思考が止まった。

 

 俺という一人の人間が善良であることを理由に、危険な権限や特権的な構造そのものを正当化してはいけない。

 

 俺がいなくなっても、同じ基準で動く仕組みでなければならない。

 

 前に自分で決めた、

 

> 権力が記録をどこまで開けるのかを、最初に制限する

 

 という原則と同じだった。

 

 俺は決断した。

 

「ヴァレンタイン商会は、茶法に基づいて送られる東インド会社茶の荷受け、保管、配送には参加しない」

 

 ただし、その理由を、

 

> 茶が毒だから

> 茶が粗悪だから

> 消費者へ金銭的な損害を与えるから

 

 とはしなかった。

 

 正式な回答は、こうした。

 

『商品の品質に問題があるとは判断していない。

 

 価格が従来の正規輸入茶より下がり、密輸茶と競争できる可能性も認める。

 

 しかし、植民地の従来商人を迂回し、指定された少数の荷受人へ流通を集中させる経路には参加しない。

 

 植民地側に残された税と、課税権を巡る問題が解決していない。

 

 また、政治的対立によって従業員と顧客を危険へ巻き込む可能性がある。

 

 ヴァレンタイン商会の信用を、制度全体への同意を示すために利用させることはできない』

 

 ヴェイルは深く失望した。

 

 だが、俺が商品の品質や値段について嘘をついたわけではない。

 

 そのため、怒鳴り散らして帰ることはなかった。

 

     ◆

 

 ペンローズたち反対派は、手を叩いて喜んだ。

 

「素晴らしい! ヴァレンタイン商会も、我々と同じく不買運動へ全面的に参加するのだな!」

 

「勝手に話を大きくするな」

 

 俺は、商会としての方針を宣言した。

 

「新しい直送茶は扱わない」

 

「だが、従業員へ絶対に買うなという命令も出さない」

 

「客の持ち物を調べ、茶が入っていないか確かめるような真似もしない」

 

「茶を買った者の名簿も作らない」

 

「茶法成立前から存在する在庫を、勝手に没収しない」

 

「茶を買っただけの人間を、反逆者や裏切り者とは呼ばない」

 

「そして、買わない運動へ加わらない者に対する、暴力、脅迫、嫌がらせは認めない」

 

 急進派の商人が、不満を爆発させた。

 

「それでは運動の力が弱い! 強制しなければ、多くの者は安さへ流される!」

 

「自発的に買わない人間を増やせ。暴力と恐怖で、買わせなくするな」

 

 急進派の男たちは、納得した様子を見せなかった。

 

 何人かの目には、説得だけで運動を広げようとする者とは違う、熱のこもった光が残っていた。

 

     ◆

 

 アーサーが、実務上の懸念を口にした。

 

「旦那様。茶法以前に合法的に輸入された在庫まで、東インド会社の新しい課税茶だと誤解され、売れなくなる可能性があります」

 

「仕入時期の違う茶が同じ箱へ移されれば、客には区別できないか」

 

「はい。急進派に都合の悪い商人の茶が、すべて新制度の茶だと決めつけられる恐れもあります」

 

「そうか。次に必要なのは、どの茶がどこから来たかを証明する仕組みだな」

 

 仕入日。

 

 入港日。

 

 輸入経路。

 

 すでに支払われた税。

 

 茶法に基づく直送品か。

 

 従来の流通で仕入れた在庫か。

 

 それらを記録した札を、茶箱や小売用の容器へ付ける。

 

 《茶在庫由来証明》の着想だった。

 

     ◆

 

 数日後。

 

 印刷屋が、

 

【茶法は新たな重税だ!】

 

 という扇情的な一枚刷りの案を持って、俺のところへ来た。

 

「また嘘を混ぜたな。訂正しろ」

 

「英国側を助けるような訂正をするのですか!」

 

 急進派の店員が驚く。

 

「嘘を使わなきゃ反対できない制度なら、反対する根拠が弱いってことになるぞ」

 

 俺が書き直した一枚刷り。

 

【茶法によって何が安くなり、何が残るのか】

 

【確認されたこと】

 

新しい植民地茶税が追加されたわけではない

一ポンド当たり三ペンスの従来の茶税は残る

英国で支払われていた関税が払い戻される

東インド会社が指定荷受人へ直接茶を送れるようになる

従来の正規茶より安くなる可能性が高い

密輸茶と価格で競争できる可能性がある

 

【争点】

 

植民地側の同意なしに定められた税が残る

指定された少数の荷受人を使う特権的な販売経路

従来の植民地商人が流通から外される

東インド会社の救済

税が実際に徴収されたという先例が作られる可能性

 

【各人が判断すべきこと】

 

安さを優先するか

課税権への反対を優先するか

不買へ参加するか

茶以外の飲み物を選ぶか

 

【認められないこと】

 

他人へ暴力で不買を強制すること

茶を買った者を、証拠もなく反逆者と決めつけること

茶法以前の在庫まで、一括して敵の商品と扱うこと

 

     ◆

 

 帰り際、マーサが改めて俺へ尋ねてきた。

 

「ヴァレンタイン様。では私は、安いお茶を買ってはいけないのですか?」

 

 俺は彼女に命令しなかった。

 

「俺の商会では扱わない。でも、あなたに買うなと命令する権利は、俺にも誰にもない」

 

「でも、買えば自由を売った裏切り者だと言われます」

 

「一杯の茶を買っただけで、人間の全部を国王の味方や裏切り者にする方がおかしい」

 

「でも、税は払われます」

 

「そうだ。一ポンド当たり三ペンスの税は払われる」

 

 俺は頷いた。

 

「だから、何を優先するかを、その意味を知ったうえで自分で決めてくれ」

 

 マーサは、少し困ったように笑った。

 

「ずるい答えですね」

 

「簡単な答えを、暴力で押しつける方が、もっとずるいだろ」

 

     ◆

 

 夜。

 

 商会の応接室。

 

 昼間に比較した、東インド会社が扱う茶と同じ等級の見本が、まだ机に残っていた。

 

 俺、アビゲイル、アーサー、ギデオンの四人で、それを淹れて飲んだ。

 

 味は良い。

 

 香りも深い。

 

 見たところ、目立った異物もない。

 

 そして現在の条件を用いた計算では、従来の正規輸入茶より安くなる見込みがある。

 

「本当に、おいしいお茶です」

 

 アビゲイルが言う。

 

「そうなんだよ。まずくて高ければ、誰も買わないから話は簡単だった」

 

「美味くて、安くなる可能性が高いから厄介なのか」

 

 ギデオンが茶碗を傾ける。

 

「危険な制度が、いつも分かりやすく腐った匂いを出してくれれば助かるんだけどな」

 

 机の上には、昼間に作った《一杯の茶の勘定書》が広げられていた。

 

 硬貨の合計は、従来の正規茶より低い。

 

 その端に、一ポンド当たり三ペンスの植民地茶税を示す、小さな硬貨が置かれている。

 

 全体の中では、ほとんど目立たない。

 

 だが、その横には、俺が書き足した三つの欄があった。

 

【この三ペンスを決めた者】

 

 英国議会。

 

【植民地側の同意】

 

 なし。

 

【支払われた後に残るもの】

 

 英国議会が定めた税が、植民地で実際に徴収されたという先例。

 

「たった一枚の硬貨ですね」

 

 アーサーが言う。

 

「値段の問題だけならな」

 

「では、何の値段なのです?」

 

 俺は少し考えた。

 

「次も同じやり方で、こっちの同意なしに税を決めていいという、前例の値段だよ」

 

 茶法は、植民地人へ高い茶を理不尽に押し売りする法律ではなかった。

 

 むしろ逆だった。

 

 茶を安くする。

 

 英国側の費用を減らす。

 

 品質の確かな正規茶を買いやすくする。

 

 密輸品と価格で競争できるようにする。

 

 そして、その飲みやすい一杯の中へ、英国議会が定めた小さな税を残す。

 

 値下げの幅に比べれば、三ペンスは目立たない。

 

 だからこそ、消費者は飲み込みやすい。

 

「毒じゃない。美味い。しかも安くなるかもしれない」

 

 俺が茶碗を置くと、ギデオンが片方の眉を上げた。

 

「それでは、何が問題なのだ?」

 

 俺は、勘定書の端に置かれた小さな硬貨を指した。

 

「この一枚を俺の財布から取る権利を、海の向こうの連中へ渡した覚えがないってことだよ」

 

 危険な制度は、必ずしも苦くて不味い味をしているとは限らない。

 

 民衆へ受け入れさせたい権限には、最初から安さと便利さという甘い味付けと、魅力的な値下げ札がついていることもあるのだ。

 




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