真祖吸血鬼、まだ存在しないアメリカに寄生する 〜合法的な血液供給のため、建国前から国家運用保守を始めました〜   作:パラレル・ゲーマー

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第32話 真祖吸血鬼、愛国者の値札を信用しない

 一七七三年十月上旬。

 

 ヴァレンタイン商会の応接室では、アーサーが、先日構想した《茶在庫由来証明》の試作版を何枚も書き直していた。

 

 まだ、茶法に基づいて東インド会社が送ってくる新しい茶は、フィラデルフィアへ一箱も到着していない。

 

 俺は、机の上に並べられた白紙の証明票を指で弾いた。

 

「商品そのものがまだ海の上なのに、商品を区別するための札だけを先に作ることになるとはな」

 

「旦那様。最近は、商品よりも噂の方がはるかに早く入港しますので」

 

 アーサーは手を休めずに答えた。

 

「噂には船賃も税もかからないからな」

 

 ギデオンが窓の外を眺めながら呟く。

 

 その時、商会の扉が勢いよく開いた。

 

 アビゲイルとマーサが、顔色を変えて駆け込んでくる。

 

「ヴァレンタイン様! リディアさんのお店が、大勢の人に囲まれています!」

 

 マーサが息を切らして叫んだ。

 

     ◆

 

 リディア・フェンウィックは、夫の死後、フィラデルフィアで小さな食料雑貨店を営んでいる未亡人だ。

 

 茶、砂糖、蝋燭、乾燥果実、糸、石鹸などを、少しずつ扱っている。

 

 彼女自身も、植民地側の同意なしに茶税が課されることには反対していた。

 

 だが、政治集会へ毎日のように顔を出せるほど、暮らしに余裕があるわけではない。

 

 三月に代金を支払った在庫を捨てれば、店の経営は立ち行かなくなる。

 

 仕入れた商品を少しずつ売り、日々の食費と家賃を払う。

 

 そんな、ごく普通の小商人だった。

 

 俺とギデオンは商会を飛び出し、リディアの店へ向かった。

 

 店の前には、すでに二十人ほどの人間が集まり、異様な熱気を放っている。

 

 店の扉には、一枚の紙が乱暴に貼りつけられていた。

 

【東インド会社の課税茶を売る店】

 

【祖国の敵から買うな】

 

 窓の近くでは、一人の若者が路上の石を拾い、投げつけようと身構えている。

 

「この店は、英国議会の税を払った茶を堂々と売っている!」

 

 群衆の中心にいる男が叫んだ。

 

「茶法へ協力する裏切り者だ! 店を閉めろ!」

 

 店内の暗がりで、リディアが怯えて震えているのが見えた。

 

 俺は群衆をかき分け、石を持った若者の手首を掴んだ。

 

「痛えっ! 何だ、お前!」

 

「石を投げる前に、少し教えてくれ」

 

 俺は若者の手から石を取り上げ、扉に貼られた札を指した。

 

「東インド会社が茶法に基づいて送ってくる新しい茶は、いつフィラデルフィアへ着いた?」

 

 若者も、周囲の男たちも答えない。

 

「この店へ茶を運んだ船の名前は?」

 

 答えられない。

 

「船長の名前は?」

 

 答えられない。

 

「東インド会社から指定された荷受人は誰だ?」

 

 答えられない。

 

「英国の茶を売っている! それだけで裏切り者として十分だ!」

 

 若者が苦し紛れに叫んだ。

 

「東インド会社が茶法に基づいて送る新しい茶は、まだ一箱もこの港へ着いてないぞ」

 

 俺が事実を突きつけると、群衆がざわめいた。

 

 リディアが新制度の東インド会社茶を販売したという告発は、時間的に成立しない。

 

「な、なら、昔から隠していた課税茶だ!」

 

 若者が主張をすり替える。

 

「茶法以前の課税茶を売ったことと、新制度の東インド会社茶を売ったことは、別の話だ」

 

「どちらも国王へ税を払う茶には変わりない!」

 

「なら、最初からそう書け。自分が気に入らないからって、事実と違う札を作るな」

 

 俺は店を守るように前へ立った。

 

 だが、

 

> リディアは善良な未亡人だから、彼女の茶には何の問題もない

 

 と、感情だけで決めるつもりもなかった。

 

「奥さん。在庫が何なのか確認したい。帳簿を見せてもらっていいか?」

 

 リディアは不安そうに群衆を見た。

 

「皆さんの前で、ですか?」

 

「いや。帳簿そのものは外へ出さない」

 

 俺は答えた。

 

「俺とアーサー、それから双方が認める立会人一人だけで、入港日と輸入経路を確認する。群衆へ見せるのは、必要な部分を転記した結果だけだ。仕入価格や販売量まで公開する必要はない」

 

 リディアは安堵したように頷いた。

 

     ◆

 

 俺、アーサー、リディア。

 

 そこへ、群衆側から比較的冷静な年配商人を一人立会人として加え、店内で帳簿を確認した。

 

 リディアは小規模な店主だが、最低限の仕入帳を残していた。

 

 一七七三年三月の仕入日。

 

 茶を運んだ船の名前。

 

 フィラデルフィアの卸売商人。

 

 茶箱に残る商標。

 

 税関での輸入記録。

 

 購入した茶箱の重量。

 

 これまでに小分けして売った量。

 

 茶法が成立したのは五月だ。

 

 リディアの在庫は、それ以前の三月に、従来の正規流通で仕入れたものだった。

 

 確認が終わると、俺たちは必要事項だけを別紙へ転記し、リディア、アーサー、立会人が署名した。

 

 原本は店内へ戻す。

 

 俺は外へ出て、群衆へ説明した。

 

「これは茶法の新しい直送制度で届いた茶じゃない。三月に、従来の正規流通で仕入れられた茶だ」

 

 リディアが涙を拭いながら尋ねる。

 

「では、私は祖国の敵ではないのですね?」

 

「そこまでは、帳簿には書いてないよ」

 

 リディアが困惑する。

 

「帳簿で分かるのは、茶がいつ、どこから来たかだけだ。あなたの人格や愛国心、政治的立場までは判定できない」

 

 急進派の男たちが反論した。

 

「茶法以前に仕入れたとしても、一ポンド当たり三ペンスの茶税を払って入ってきた茶だろう!」

 

 俺は頷いた。

 

「そうだ。無税の茶じゃない。旧来の一ポンド当たり三ペンスの茶税は支払われている」

 

「ならば、やはり我々の敵だ!」

 

「だからって、この店が新制度の東インド会社茶を売ったという、お前たちの告発が本当になるわけじゃない」

 

 俺は三つの事柄を分けた。

 

【確認できた事実】

 

 茶法成立前に輸入された、従来流通の正規茶である。

 

【確認できた税】

 

 旧来の一ポンド当たり三ペンスの茶税が支払われている。

 

【各人の政治判断】

 

 古い課税茶まで不買の対象にするか。

 

 それを買う者をどう評価するか。

 

「最後の政治判断まで、俺は決めない。お前たちが古い課税茶も買わないと決めるのは自由だ。だが、事実と違う札を貼り、石を投げる権利はない」

 

 若者が悔しそうに怒鳴った。

 

「言葉の細かい違いではない! 運動の精神が問題なのだ!」

 

「その精神とやらは、昨日まで存在していた商品の過去まで書き換える力を持ってるのか?」

 

「今からでも販売を止めるべきだ!」

 

「それを要求するなら、要求として言え。新制度の茶だなんて嘘をつくな」

 

 ギデオンが腕を組んだ。

 

「事実で勝てない時に、精神という言葉は実に便利な武器になるな」

 

     ◆

 

 その時、マーサが口を挟んだ。

 

「でも、通りの向こうのサイラスさんのお店では、自由のお茶を売っていますよ」

 

 群衆の一部が同調する。

 

「そうだ! あれこそ愛国者の茶だ!」

 

 リディアが首を傾げた。

 

「おかしいですね。サイラスさんも、私と同じ頃に、同じ卸売商人から茶を仕入れていたはずなのに……どうして、あちらの店だけ無税の自由のお茶になるのでしょう?」

 

 俺は反応した。

 

「同じ頃?」

 

「はい。同じ船で届いた茶箱を、一緒に買い付けました」

 

 俺たちは、通りの向こうにあるサイラス・ブルームの店へ向かった。

 

 店頭には、派手な札が並んでいた。

 

【自由の茶】

 

【議会へ一銭も渡さない】

 

【愛国者の家庭へ】

 

 値段は、リディアの店よりも高い。

 

 サイラスは、集まった人々の前で演説していた。

 

「皆さん! この茶を買うことは、ただの買い物ではありません! 植民地の自由を支える崇高な行為なのです!」

 

 俺はサイラスの前へ進み出た。

 

「その自由の茶は、どこから仕入れた?」

 

「自由を愛する、誇り高き商人からだ」

 

「船の名前は?」

 

「船の名など重要ではない!」

 

「入港日は?」

 

「真の愛国者なら、そんな細かい粗探しはしないものだ」

 

「その茶が本当に英国へ税を払っていないという根拠は?」

 

「私自身の、愛国者としての言葉だ!」

 

 群衆が、

 

「そうだ! サイラスは愛国者だ!」

 

「帳簿を見る必要などない!」

 

 と囃し立てる。

 

 リディアは告発され、帳簿の確認を求められた。

 

 一方のサイラスは、愛国者を名乗るだけで証拠を免除されようとしている。

 

 だが俺は、自分の都合で原則を変えなかった。

 

「私的な帳簿を、俺が無制限に開かせる権利はない」

 

 サイラスが勝ち誇ったように笑う。

 

「では、私の茶には何の問題もないな!」

 

「違う」

 

 俺は店頭の札を指した。

 

「お前には、帳簿を見せない自由がある。仕入先を秘密にする自由も、政治的意見を述べる自由もある」

 

「ならば――」

 

「だが、何の証拠も出さずに、無税である、東インド会社と無関係である、買っても英国へ一銭も渡らないという事実を広告へ書くのは、別の話だ」

 

 サイラスが顔をしかめる。

 

「根拠を示さないなら、その茶は由来未確認として扱う」

 

「私の茶を悪い茶だと宣伝する気か!」

 

「証明できない物を、悪い茶だとは言わない。でも、証明できた物とも呼ばない」

 

     ◆

 

 マーサが、懐から小さな紙束を差し出した。

 

 毎週の生活費を計算するため、簡単な印と数字で買物の記録を残していたのだ。

 

 そこには、サイラスの店で売られていた茶の価格が記されている。

 

 八月初旬。

 

 九月。

 

 十月。

 

 数か月の間に、二度値上げされていた。

 

 サイラスは客へ、

 

英国の政策による将来の茶不足

不買運動へ提供する資金

新しい仕入経路の危険

店を守る人員の費用

 

 を値上げの理由として説明していたらしい。

 

「値上げした利益の一部は、運動へ寄付している!」

 

 サイラスが反論した。

 

「一枚刷りの費用も払った! 夜間に店を守る人間も雇った! 古い仕入れ先が今後も使える保証もない!」

 

 すべてが嘘というわけではない。

 

 政治運動にも費用はかかる。

 

 将来の供給不足を予想して在庫を確保すれば、その資金も必要になる。

 

 だが、それらの費用と、

 

> この茶は完全な無税茶である

 

 という表示が正しいかどうかは、別の問題だ。

 

「アーサー。周辺の価格を調べてくれ」

 

「承知しました」

 

 数日後。

 

 アーサーは、周辺五店舗の販売価格と、二つの卸商が出した直近の見積書を集めてきた。

 

 茶の値段は、店ごとに多少上がっている。

 

 将来の品薄を警戒し、仕入れを控える商人もいた。

 

 だが、サイラスの二度の値上げと同じ幅で、卸価格そのものが上がった事実は確認できなかった。

 

「値段を上げたこと自体が悪いとは言わない」

 

 俺はサイラスへ言った。

 

「需要が増え、在庫が減り、店を守る費用が増えれば、値上げすることはある」

 

「なら、何が問題だ!」

 

「高く売ることと、証明できない理由を使って高く売ることは別だ」

 

「私は自由のために――」

 

「なら、愛国運動への寄付込みの価格だと書け。無税であることが確認されたから高い、と客へ思わせるな」

 

 俺はサイラスの札を見上げた。

 

「愛国者と書いてある値札だけは、あまり信用しない方がよさそうだな」

 

     ◆

 

 サイラスの店の奥には、空になった古い茶箱が積まれていた。

 

 店頭の飾りとして置いてあったため、外からでも印が見える。

 

 その茶箱に押された卸商の印は、リディアの帳簿に記されたものと同じだった。

 

 船便を示す古い記号も一致している。

 

「あの箱は、ただの再利用だ!」

 

 サイラスが主張する。

 

 それ自体はあり得る。

 

 空箱へ別の茶を詰めることは、珍しくない。

 

 したがって俺は、

 

> サイラスの茶はリディアの茶と同じ課税茶だ

 

 とは断定しなかった。

 

 分かるのは、

 

古い正規茶箱が使われている

中身がその箱に元々入っていた茶と同じかは不明

無税茶だと証明する資料は示されていない

旧在庫を詰め直した可能性も否定できない

 

 というところまでだ。

 

 俺はアーサーに大判紙を持ってこさせ、三つの欄へ分類した。

 

【第一分類・由来確認済み、茶法前の正規茶】

 

 リディアの在庫。

 

 茶法成立前の輸入。

 

 従来流通。

 

 税関記録あり。

 

 旧来の一ポンド当たり三ペンスの茶税支払資料を確認。

 

【第二分類・輸入経路未確認】

 

 サイラスの自由の茶。

 

 広告では無税。

 

 裏づけ資料は提示されず。

 

 古い正規茶箱を使用。

 

 仕入時期不明。

 

【第三分類・正規輸入、密輸ともに確認できず】

 

 ほかの商人が持ち込んだ、輸入経路を示す資料のない茶。

 

 税関記録が見つからないからといって、密輸品だとは断定しない。

 

【密輸の証拠なし】

 

【正規輸入の証拠も確認できず】

 

 分からない物を、都合よく愛国茶にも、犯罪の茶にも変えない。

 

     ◆

 

 商会へ戻り、俺とアーサーは《茶在庫由来証明》の書式を完成させた。

 

 茶箱一箱ごとに番号を付ける。

 

 小売店で別の容器へ移した場合は、

 

元の茶箱番号

移した日

移した量

残量

 

 を記録する。

 

 異なる茶箱を混ぜた場合は、混合品として新しい番号を付け、

 

どの茶箱から

どれだけの量を

いつ混ぜたか

 

 を残す。

 

 一度でも由来未確認の茶を混ぜれば、全体を、

 

【一部の由来を確認できず】

 

 とする。

 

 店頭表示へ政治的な色は使わない。

 

 赤い札は敵。

 

 青い札は愛国者。

 

 そんな分類は避ける。

 

 表示するのは、事実だけだ。

 

【茶法前の正規輸入茶】

 

【茶法に基づく直送茶】

 

【輸入経路を確認】

 

【輸入経路を確認できず】

 

【複数在庫の混合】

 

【旧来の茶税支払資料を確認】

 

【茶税支払資料を確認できず】

 

【一部の由来を確認できず】

 

 無税だから善。

 

 課税茶だから悪。

 

 そんな価値判断を、札の色や短い言葉だけで客へ刷り込ませない。

 

     ◆

 

 急進派の商人が商会へ乗り込んできた。

 

「ヴァレンタイン氏。せっかく由来を確認したなら、安全な茶に愛国者の印を押せばよいではないか!」

 

「何が安全なんだ?」

 

「英国へ金を渡さない茶だ」

 

「輸入経路不明の茶なら、誰へ金が渡ったかも分からないぞ」

 

「少なくとも国王へ渡るよりはましだ!」

 

「それはお前の政治判断だ。商品の由来証明へ混ぜるな」

 

「では、この面倒な証明票に何の意味がある!」

 

「嘘と事実を区別できる」

 

 別の急進派は、さらに過激な要求を出した。

 

「すべての店へ、この証明票を義務づけるべきだ!」

 

「使わない店の名簿を公表しろ!」

 

「証明のない茶は押収し、買った客の名も記録しろ!」

 

「却下だ」

 

 俺は即座に答えた。

 

「俺が作ったのは、客へ事実を示すための任意の証明だ。従わない人間を探し出す名簿じゃない」

 

「証明を拒む者は、後ろ暗いからだ!」

 

「英国側が、無実なら帳簿を全部見せろと言ってきた時と、同じことを言ってるぞ」

 

 英国へ向けた原則を、植民地の急進派に対してだけ変えるつもりはない。

 

     ◆

 

 リディアは制度への参加に同意した。

 

 彼女の店には、次の証明票が掲示された。

 

【茶法前の正規輸入茶】

 

【入港・一七七三年三月】

 

【従来流通】

 

【旧来の一ポンド当たり三ペンスの茶税支払資料を確認】

 

【茶法に基づく東インド会社直送品ではない】

 

 そして、その下へ最も大きな文字で書いた。

 

【この表示は商品の由来のみを示す】

 

【店主または購入者の忠誠心、人格、政治的立場を証明するものではない】

 

 客はこの札を見て、

 

古い課税茶でも買う

それでも不買する

茶以外の物を選ぶ

 

 ことを、自分で判断できる。

 

 一方、サイラスは由来証明への参加を拒否した。

 

 俺も、彼の店へ勝手に札を貼ることはしなかった。

 

「参加しないなら、それでいい」

 

 俺は言った。

 

「ただし、ヴァレンタイン商会は、お前が掲げた無税茶という表示を確認できなかったと、自分の店と一枚刷りで公表する」

 

「私の商売を邪魔する気か!」

 

「お前の店を閉じない。在庫も取らない。帳簿も強制的には見ない。ただ、俺が確認できなかった事実を、確認できたとは言わないだけだ」

 

 最終的にサイラスは、客の信用を失うことを恐れ、店頭表示を変更した。

 

【輸入経路未確認の茶】

 

【無税であることを示す資料は未提示】

 

【販売価格は九月以降二度変更】

 

 さらに、マーサを含む購入者たちが、

 

> 無税茶であるという表示を信じて、通常より高い価格を払った

 

 と抗議した。

 

 地域の商人仲間を交えた話し合いの末、サイラスは、無税表示を購入理由とした客に限り、返品または差額返金へ応じることを自ら申し出た。

 

 運動への寄付や警備費を価格へ含める場合は、その旨を客へ示す。

 

 合意内容は文書に残された。

 

     ◆

 

 後日。

 

 マーサが、リディアの店で少量の茶を買っていた。

 

 それを見た急進派の若者が、非難の声を上げる。

 

「おい! 自由を売るのか!」

 

 マーサは振り返り、静かに答えた。

 

「私は、このお茶がどこから来たかを知っています。税が払われたことも知っています。そのうえで、今週はこれを買います」

 

「愛国者なら買うな!」

 

「私の家のなけなしの銅貨を、あなたが愛国心の証明のために勝手に使わないでください」

 

 マーサは誰の命令にも従わず、知ったうえで自分の選択をした。

 

     ◆

 

 十月十六日。

 

 フィラデルフィアで、茶法に反対する大規模な集会が開かれた。

 

 議題は、

 

英国議会による課税

東インド会社の直送茶

指定荷受人

茶の荷下ろしと販売

荷受人へ任命を辞退するよう求めるか

 

 だ。

 

 俺も商人の一人として参加したが、議長や運動指導者の席には座らなかった。

 

 新制度の茶を扱わず、同意なき課税へ反対するという決議の趣旨には賛同している。

 

 だが、文言の適用範囲を曖昧なまま通すことには反対だった。

 

 会場では、八項目の決議案が熱気の中で読み上げられていく。

 

『自分の財産を、自らの同意なく奪われないことは、自由人の権利である』

 

『英国議会が定めた茶税は、植民地側の同意なき課税である』

 

『東インド会社の直送茶は、その税を実施する試みである』

 

『我々はこれに反対すべきである』

 

 そして、最も強い一文が読み上げられた。

 

『東インド会社から送られる茶の荷下ろし、受取り、販売へ協力する者は、祖国の敵とみなす』

 

 俺は立ち上がった。

 

「確認する。ここでいう茶は、茶法に基づいてこれから送られる東インド会社茶のことだな?」

 

「当然だ!」

 

 急進派が答える。

 

「茶法以前に仕入れられた古い在庫や、家庭で一杯買っただけの者まで、一律に祖国の敵へ含める文章ではないな?」

 

「運動の精神としては――」

 

「精神の話はしてない。文書に直接書かれている範囲を聞いてる」

 

 法律家が決議案を確認した。

 

 文書が直接名指ししているのは、

 

> 東インド会社から送られる新制度の茶の荷下ろし、受取り、販売へ協力する者

 

 だった。

 

 少なくとも、茶法以前の在庫を持つすべての店や、それを一杯買うすべての家庭を祖国の敵とする文言は、決議案にはない。

 

 俺は、その確認を議事記録へ残させた。

 

     ◆

 

 だが、集会が終わった後。

 

 急進派の一部が再びリディアの店へ向かい、

 

【祖国の敵】

 

 という札を貼ろうとしていた。

 

 俺は店の前へ立ちはだかった。

 

「今日の決議を読んだか?」

 

「課税茶を売る者は敵だ!」

 

「決議が直接対象にしたのは、これから東インド会社が送る新しい茶だ。この店の茶は三月に来てる」

 

「決議の精神に反する!」

 

「なら、次の集会で正式に文言を変えろ。一度採択した文書を、後から自分たちに都合よく広げるな」

 

 原文を捨てない。

 

 文言を後から勝手に変えない。

 

 その原則を、政治運動の側にも適用した。

 

     ◆

 

 一方、英国寄りの商人コーネリアス・ヴェイルにも、圧力が向かっていた。

 

 彼は東インド会社の正式な荷受人ではない。

 

 だが、

 

荷受人周辺の倉庫・配送事業へ参加しようとしていた

茶法を公然と擁護していた

 

 ことから、群衆に同類と見なされた。

 

 店の壁には、

 

【東インド会社の犬】

 

【祖国の敵】

 

 と落書きされた。

 

 ヴェイルは商会へ来ると、低い声で尋ねた。

 

「あなたは私の事業へ参加しなかった。私の考えにも反対している。それでも、私が殴られ、事業から手を引かされても仕方がないとは思わないのでしょう?」

 

「商売のやり方や政治的立場では反対する」

 

 俺は答えた。

 

「でも、お前を殴って、倉庫や配送の仕事から手を引かせることには反対する」

 

「そこまでして、私を守る理由がありますか?」

 

「嫌いな相手には残らない権利なら、最初から権利じゃない」

 

     ◆

 

 翌日。

 

 印刷屋が、新しい匿名の一枚刷りを商会へ持ってきた。

 

 宛先は、

 

【東インド会社から茶の販売を委ねられた者たちへ】

 

 正式な荷受人へ向けた文書だ。

 

 ヴェイルの名前は書かれていない。

 

 だが、その文書とともに、

 

> 倉庫、荷役、配送へ協力する者も同じ敵とみなされる

 

 という噂が広まっていた。

 

 一枚刷りの内容は、まだ露骨な殺害予告ではなかった。

 

 しかし、

 

これまでの評判を失う

町の平穏を乱す

自由人から敵と見なされる

辞退しなければ、その結果へ責任を負う

 

 という、明確な威圧が込められている。

 

「これは要請か、それとも脅迫か?」

 

 俺が尋ねた。

 

「書いた者は、親切な忠告だと言っています」

 

 印刷屋が答える。

 

「相手が恐れることを期待して書いた忠告は、脅迫と何が違うのだ?」

 

 ギデオンが冷たく言った。

 

     ◆

 

 街では、俺の作った《茶在庫由来証明》が広まり始めていた。

 

 だが住民たちは、次第に、

 

> ヴァレンタインの札がある茶は、愛国者の茶だ

 

 と勝手に呼び始めた。

 

 リディアの店にも、

 

「愛国証明のある茶をください」

 

 という客が来るようになった。

 

「そういう札じゃないって言ってるだろ!」

 

 俺は頭を抱えた。

 

「旦那様。人間は、十八項目の説明を読むより、短くて都合のよい呼び名を好みます」

 

 アーサーが冷静に言う。

 

 俺は証明票の一番上に、

 

【これは愛国証明ではない】

 

 と追加し、文字をさらに大きくした。

 

「そのうち、愛国証明ではないと書かれた愛国証明と呼ばれるようになるな」

 

 ギデオンが笑った。

 

     ◆

 

 夜。

 

 俺の机の上には、三つの札が置かれていた。

 

 左側には、リディアの茶箱へ付けた《茶在庫由来証明》。

 

 右側には、サイラスが外した【自由の茶】の札。

 

 中央には、正式な荷受人へ任命の辞退を迫る匿名の一枚刷り。

 

「アーサー。東インド会社の新しい茶は、まだ一箱も到着していないんだよな?」

 

「はい。すでに英国を発ったとの知らせはありますが、今どの海域にいるのかまでは確認できておりません」

 

「なのに、店が一軒襲われかけて、値段が二度上がって、祖国の敵が何人も生まれた」

 

「茶葉よりも、札の方がよほどよく売れているようだな」

 

 ギデオンが言った。

 

 課税茶。

 

 自由の茶。

 

 祖国の敵。

 

 どれも、貼った者の都合によって、商品の意味や人間の価値を決めようとしていた。

 

 東インド会社の新しい茶は、まだ一箱もフィラデルフィアへ届いていなかった。

 

 それでも、茶法はすでに街の値札を書き換えていた。

 

 古い在庫は、突然、裏切り者の茶になった。

 

 出所の分からない茶は、愛国者の茶になった。

 

 同じ茶葉でも、誰がどんな札を貼るかによって、値段も正義も変わってしまう。

 

 俺が作った証明票に書けるのは、船の名と、入港日と、確認できた税の資料だけだった。

 

 店主が善人か。

 

 客が愛国者か。

 

 一杯の茶を飲むことが正義か。

 

 そんなことまで証明する欄は、どこにもない。

 

「旦那様。新しい茶が到着する前から、ずいぶんと騒ぎになりましたね」

 

 アーサーが、机の上の書類を整えながら言った。

 

「最初にフィラデルフィアへ届いたのは、茶じゃなかったんだよ」

 

「では、何だったのです?」

 

 俺は机の上の三枚の札を見た。

 

「誰が愛国者で、誰が敵かを決めるための、値札だ」

 

 茶箱を積んだ商船は、まだ大西洋上にいた。

 

 だが、それを迎えるための脅迫と暴力の予感だけは、すでに港へ着いていた。




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