真祖吸血鬼、まだ存在しないアメリカに寄生する 〜合法的な血液供給のため、建国前から国家運用保守を始めました〜   作:パラレル・ゲーマー

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第7話 真祖吸血鬼、法律家に未来の悪法を問いかける

 夜の帳が下りたフィラデルフィア。

 

 ハンター支部の地下にある仮設事務所では、蝋燭の炎が静かに揺れていた。

 

 俺は分厚いマホガニーの机に、万能トランクから引き寄せた現代のアメリカ史の専門書、そして青白い光を放つタブレット端末を並べ、一人で唸り声を上げていた。

 

「また未来の禁書を開いているのか」

 

 部屋の隅で、石鹸商会の帳簿と格闘していたギデオンが、胡散臭いものを見るような目を向けてきた。

 

「禁書っていうか、未来の基準で言えばごく普通のアメリカ史の入門書なんだけどね。明日の商談の前に、相手のプロフィールを予習しておこうと思ってさ」

 

 俺が気楽に答えると、扉の影に立っていたアーサーが冷徹な声で突っ込んだ。

 

「未来の基準で普通に流通している歴史書は、この時代においては立派な禁書であり、異端の魔導書です」

 

「正論で殴るのやめて。本が読みにくくなる」

 

 俺はタブレットの画面をスクロールさせ、明日の会談相手についての項目を開いた。

 

 ジョン・アダムズ。

 

 フランクリンの紹介で、明日フィラデルフィアで会うことになっているマサチューセッツの若き法律家だ。

 

「えーと、ジョン・アダムズ。アメリカ独立運動の重要人物。優秀な法律家。大陸会議で活躍し、初代副大統領を経て、第2代アメリカ大統領になる男」

 

 俺が読み上げると、ギデオンの手がピタリと止まった。

 

「……またとんでもない大物ではないか」

 

「そうなんだよ。ただ、この人、真面目で頑固で理屈っぽくて、政治家としての好感度管理が致命的に下手なんだよね」

 

 俺は資料のページをめくった。

 

「で、最大の問題はここ。彼、後年に大統領になった時、『外国人・治安諸法』っていう、アメリカ史上最大級の悪法を通すんだよ」

 

「悪法?」

 

 ギデオンが怪訝そうに眉をひそめた。

 

「そう。大統領が危険だと判断した外国人を勝手に追放できる権限を持ったり、政府への『虚偽や悪意ある批判』を犯罪として取り締まったりする法律。後世のアメリカ——『言論の自由』とか『移民国家』を国是とする未来から見れば、権利の国にあるまじき黒歴史級のクソ法律さ。まあ、アメリカは建国後も黒歴史だらけなんだけど」

 

「頼むから、未来に誕生するはずの国家をそう雑に貶すな」

 

 アーサーがたしなめるが、俺はタブレットを指先で叩いた。

 

「でもさ、単純に『アダムズは権力に狂った悪いやつでした』で終わらないから、歴史って面倒なんだよ」

 

 俺は新しいノートを引き寄せ、自分なりに情報を整理していく。

 

【ジョン・アダムズ予習】

 

 ・第2代大統領。独立の功労者。優れた法律家。

 

 ・自由と権利を重んじる。

 

 ・だが大統領時代に『外国人・治安諸法』を成立させる。

 

 ・これは後世ではアメリカ史上最大級の悪法扱い。

 

 ・ただし、その背景にはフランス革命の波及、対仏戦争の危機、国内の分裂、親仏派・親英派の激しい対立、そして未成熟な政党政治がある。

 

 ・アダムズ本人は、身内からの突き上げに耐え、フランスとの全面戦争を何とか避けた。

 

 ・結論:評価が死ぬほど面倒くさい。

 

「……まるで、ただの人間のようだな」

 

 ギデオンが、俺の書いたメモを覗き込んで呟いた。

 

「そうなんだよ。歴史に名を残す偉人って、だいたい人間なんだよ。分かりやすい完全無欠の聖人でもなければ、純粋悪の魔王でもない。だから評価が困る」

 

 俺はペンを回しながら、ギデオンとアーサーに向かって解説を続けた。

 

「この外国人・治安諸法が成立する時代、未来のフランスでは革命が起きててさ。王様の首が飛んで、貴族も聖職者も政治家も次々とギロチン送りにされる。そしてフランスは『自由と革命』を掲げて、ヨーロッパ中の王政を相手に戦争を始めちゃうんだ」

 

「……お前、また未来の重大な歴史をサラッと言ったな」

 

「今回は明日のための予習だからセーフ」

 

「完全にアウトです」

 

 アーサーの冷たい視線を無視して、俺は続けた。

 

「で、その頃のアメリカ国内には、フランス革命に共感する連中やフランス系の移民、親仏派の政治家がたくさんいる。アダムズ政権からすれば、フランスが彼らを扇動して、生まれたばかりのアメリカを内部から転覆させるかもしれないっていう、強烈な恐怖があるんだ」

 

「外敵の脅威と、内通者への恐怖か。……統治者としては、理解できない感情ではないな」

 

 元ハンターとして組織を束ねてきたギデオンが、深く頷いた。

 

「しかも、アダムズの身内である連邦党の中には『いっそフランスと戦争しろ』って圧力をかけてくる強硬派がいる。でもアダムズ本人は、若い国が全面戦争なんてしたら終わるって分かってるから、必死に戦争を避けようとする。党内の強硬派と、野党の親仏派に挟まれて、国家運用が完全にバグるんだよ」

 

「また上層部と現場の話か」

 

「国家なんて、巨大な職場みたいなもんだからね」

 

 俺は紅茶のカップを手に取った。

 

「親仏派と親英派、州ごとの利害、移民、外国の工作、そして新聞による苛烈な扇動。全部がぐちゃぐちゃに混ざり合っている状況で、『言論の自由だから何言ってもいいよ』って放置してたら、本当に内戦が起きるか、外国の傀儡にされるかもしれない。だから、強権を使ってでも押さえつけたくなる気持ちは、痛いほど分かるんだ」

 

 アーサーが、腕を組んで静かに問いかけた。

 

「つまり、卿はその法律を悪法ではないとお考えで?」

 

「いや、悪法だよ。そこは絶対に揺るがない。政府批判を法律で罰するなんて、権力の腐敗の第一歩だ。でも、『なぜ彼らがそんな悪法を欲しがったのか』の論理と感情のプロセスは、理解できてしまう。ここが、歴史の本当に嫌なところなんだよ」

 

「人間の恐怖が、そのまま法律という形になったわけか」

 

 ギデオンがロウソクの芯を切りながら言った。

 

「そう。そして、恐怖から生まれた法律が、碌な結果を生んだ試しはない」

 

 *

 

 翌日。

 

 フィラデルフィアの街角にある、商人や法律家が密かに情報交換を行うための小さな貸し会議室。

 

 俺とギデオンは、フランクリンの紹介状を片手に、その部屋の扉を開けた。

 

 そこに座っていたのは、やや小柄で、隙のない身なりをした若い男だった。

 

 鋭く知的な双眸、固く結ばれた口元。

 

 姿勢の良さからは、彼が自らを厳しく律していることが窺える。

 

 だが同時に、妥協を許さない強烈な自我の強さも滲み出ていた。

 

 第一印象。

 

 うわ、絶対めんどくさそうな人だ……。

 

 俺が内心で顔をしかめると、隣のギデオンが脇腹を小突いてきた。

 

『初対面で失礼な顔をするな』という無言の圧力だ。

 

 男は立ち上がり、礼儀正しく、しかし少し硬い声で挨拶した。

 

「ジョン・アダムズです。マサチューセッツで法律家をしております。フランクリン氏からの書状は拝見しました」

 

「はじめまして。ルカ・ヴァレンシュタインです。極度の陽光アレルギーのため夜にしか動けない、欧州系の投資家兼、石鹸屋です」

 

 俺が名乗ると、アダムズの目が微かに細められた。

 

 夜にしか会えない。

 

 欧州貴族のような物腰。

 

 フィラデルフィアの大物であるフランクリンの紹介。

 

 そして、印紙法や非輸入運動の煽りを受けている石鹸商会のオーナー。

 

 怪しい。

 

 彼の目には、俺がひどく不透明な存在として映っているはずだ。

 

「ヴァレンタイン氏。フランクリン氏の紹介とはいえ、お聞きしたい。衛生用品を扱う商会が、なぜマサチューセッツの法律家に印紙法の法的解釈について相談を?」

 

「簡単なことです」

 

 俺はテーブルに、自社製品の手洗い説明紙を置いた。

 

「我々が貧民や産婆に配っているこの『手洗い説明紙』に、理不尽な税金をかけられそうだからですよ」

 

 アダムズは、少しだけ目を丸くし、そして微かに口角を上げた。

 

「……なるほど。私が警戒していたよりも、はるかに正当で切実な理由でした」

 

「でしょ? 俺も石鹸の説明紙ごときで政治問題に巻き込まれるなんて、びっくりしてますよ」

 

 *

 

 まずは、本題である印紙法の相談から始まった。

 

 俺はカバンから、商会で使っている様々な『紙』を取り出して並べた。

 

「石鹸の説明紙、商品のラベル、売買契約書、信用手形、通貨の換算表、そしてヴァージニアの民兵向けに作った使用指示書。法律家の目から見て、どれが印紙法の対象になって、どれが一番危ないですか?」

 

 アダムズは書類を一枚一枚手に取り、極めて冷静に仕分けていった。

 

「まず、売買契約書と信用手形。これは問答無用で課税対象であり、印紙がなければ法的な効力を持ちません。換算表と説明紙は、商業パンフレットや広告と見なされれば危ない。商品のラベルは、税関の解釈次第で揉めるでしょう」

 

 彼は最後に、民兵向けの使用指示書を指差した。

 

「しかし、最も危険なのはこれです。軍事的な組織に宛てた印刷物というものは、税制の問題を超えて、政治的煽動の証拠として扱われる危険性がある」

 

「食事の前に手を洗えって書いてるだけなんですけど!」

 

「法を運用する者の目は、しばしば文字通りの意味を越えて『意図』を読み取ろうとするものです」

 

 アダムズは書類を束ねて、俺の目を真っ直ぐに見た。

 

「ヴァレンタイン氏。問題は、単に紙に税金を払うかどうかではありません。一度、本国の議会が我々植民地の財産や契約行為に『直接課税する権利』を認めてしまえば、彼らは次は何にでも課税してきます。窓ガラスにでも、呼吸する空気にでもね」

 

「砂糖、通貨、紙と来ましたからね。次はそうだな……我々が毎日飲む『茶』あたりに課税してくるかもしれませんよ」

 

 フランクリンが同席していたらギョッとするであろう未来の予言を軽く混ぜると、後ろでギデオンが額を押さえた。

 

 アダムズは深く頷いた。

 

「もし、植民地議会が自ら税を定めるのであれば、それは我々が選んだ代表を通じた『同意』に基づくものです。しかし、我々が一人も代表を送っていない海の向こうの議会が、我々の契約書に印紙を貼れと命令してくる。それは単なる経済的負担ではなく、我々の財産権への侵害であり、英国臣民としての『自由と権利』そのものの危機なのです」

 

 彼の言葉には、群衆を煽るような熱狂はなかった。

 

 ただ、条理、権利、慣習、そして法的な正統性に基づいた、氷のように冷たく論理的な怒りがあった。

 

 この人、本当に面倒くさい性格だけど、めちゃくちゃ筋道立てて話すな……。

 

 俺は素直に感心していた。

 

 *

 

 事務的な相談が片付いたところで、俺は少し背もたれに寄りかかった。

 

 目の前にいるのは、自由と法を熱烈に語る若き法律家。

 

 だが、彼は数十年後、その自由を自らの手で制限する悪法にサインすることになる。

 

 俺は、彼のその思想の根底を試してみたくなった。

 

「アダムズ先生。法律家としてのあなたに、一つ奇妙な質問をしてもいいですか?」

 

「お答えできることであれば」

 

「仮定の話です。ある未来に、新しい国家が誕生したとします。しかしその国家は生まれたばかりで脆弱で、海の向こうの過激な革命国家からの干渉と工作を本気で恐れている」

 

 アダムズの目が、わずかに細められた。

 

「国内には、その外国の革命を熱烈に支持する移民や新聞人が大勢いて、野党は政府を激しい言葉で攻撃している。しかも、今にもその外国との全面戦争が起きそうになっている。……その危機的な状況下で、政府が『危険な外国人を追放する権限』を持ち、政府への『悪意ある批判を犯罪として罰する』法律を作ったとしたら。あなたはどう思いますか?」

 

 アダムズは、即答しなかった。

 

 もしここで「そんな法律は言語道断だ!」と即答するような薄っぺらな男なら、後年の彼と矛盾しすぎる。

 

「国家のためなら当然だ!」と即答するなら、彼はただの権力志向の悪人だ。

 

 彼は真剣に、その架空の国家の危機を頭の中でシミュレーションしていた。

 

「……まず」

 

 やがて、彼はゆっくりと口を開いた。

 

「その外国人が、本当に敵国の工作員であり、国家に明白な害をなす存在であるなら、国家は自衛権を行使する正当な権利を持ちます。また、明白な虚偽によって暴動を煽り、政府転覆を物理的に図るような言論があるなら、それは単なる『意見』の表明ではなく、『暴力行為の一部』に近づく」

 

「危険な線引きだな」

 

 ギデオンが低く唸った。

 

「その通りです」

 

 アダムズはギデオンを見た。

 

「だからこそ、法は極めて慎重でなければならない。政府の政策への正当な批判と、敵国への協力。不満の平和的な表明と、暴動の煽動。ただの外国人であることと、敵性活動を行うこと。……それらを権力者が恣意的に混同するようになれば、自由は容易に死にます」

 

 うわ、この人、強権の危険性を完璧に理解してるじゃん……。

 

 だが、アダムズの言葉はそこで終わらなかった。

 

「しかし……国家が若く脆弱で、外敵の脅威が現実に迫り、国内が激しく分裂し、暴動の火種が各地で燻っている時。政府が権利の保護を口実に何もしなければ、国家そのものが崩壊し、死ぬこともある」

 

 アダムズの声に、重い熱が籠もる。

 

「自由というものは、国家の秩序が存在して初めて守られるものです。国家が外敵や内乱によって壊れれば、自由も、裁判も、契約も、すべては瓦礫の下に埋もれるのです」

 

「なるほどねー」

 

 俺はポンと手を打った。

 

「その論理の積み重ねの先に、悪法が生まれる道筋がはっきりと見えるよ」

 

「悪法?」

 

「いや、こっちの話」

 

 *

 

 俺は少し身を乗り出した。

 

「じゃあ、もう少しだけ踏み込みます。もし未来で、今あなたが言ったような『国家の危機』と『秩序の維持』という立派な理屈を掲げた法律が、実際に作られたとします」

 

「どこの国で?」

 

「未来の、アメリカで」

 

 部屋の空気が、ピタリと止まった。

 

 ギデオンが殺気立った目で俺を睨み、アーサーが深いため息をつく気配がした。

 

「……未来の、アメリカ?」

 

 アダムズは眉間に深いシワを寄せ、困惑を露わにした。

 

「いや、仮にですよ。仮に、この十三植民地が将来独立して一つの国家になったとして、その国家がフランスの革命の余波で激しく揺さぶられたとする」

 

「おい」

 

 ギデオンのドスの効いた声が響くが、俺は止まらない。

 

 アダムズは俺の言葉を完全には信じていないだろう。

 

 だが、この男の法哲学に対する異常なまでの執着が、俺の思考実験に乗ることを選択させた。

 

「……よろしい。あなたのその奇妙な仮定に乗りましょう」

 

「助かります。じゃあ聞きます。その架空の未来で、政府が外国人の追放権限を強め、政府批判の新聞を罰する法律を作った。それは後世の歴史家たちから『アメリカ史上最大級の悪法』と呼ばれることになります。でも、当時の政府の人間たちは、外国の工作と国内の分裂による国家崩壊を、血を吐くような思いで本気で恐れていた。……あなたなら、その法律をどう判断しますか?」

 

 アダムズは、しばらく目を閉じ、沈黙した。

 

 そして、静かに目を開けて言った。

 

「悪法です」

 

 即答ではなく、十分な熟考の果てに出た言葉だった。

 

「へえ?」

 

 俺が意外そうに声を上げると、彼は続けた。

 

「自由を不当に制限する法律は、悪法です。ただし……歴史に名を残すような悪法は、愚かな悪意や独裁への欲望だけで作られるとは限らない。国家を守ろうとする恐怖、秩序を維持しようとする過剰な責任感、外敵への切実な警戒。そうしたものが極限まで積み重なった時、善良で理性的な者でも、悪法を作ってしまうことがある」

 

「なるへそー……」

 

「軽く受けるな。かなり重い話だぞ」

 

 ギデオンが横から呆れたように言った。

 

「問題は、危機の最中にある時、政府にどこまでの権限を認めるべきかという線引きです」

 

 アダムズは自分自身に言い聞かせるように語る。

 

「少なすぎれば国家が壊れる。多すぎれば自由が死ぬ。我々法律家は、その間の線を引くために身を削る。だが、線を引く者もまた、恐怖を抱く不完全な人間に過ぎない。だからこそ……その行いは、後世の者によって厳しく裁かれねばならないのです」

 

 この人、自分の未来の墓穴の掘り方を、自分で完璧に言語化してる……。

 

 俺は、彼に対する敬意と呆れが入り混じった奇妙な感情を抱いていた。

 

 *

 

 俺はアダムズの目を真っ直ぐに見つめ返し、この日一番言いたかった言葉を放った。

 

「じゃあ、未来で答え合わせをしようか、ジョン・アダムズ」

 

「……どういう意味です?」

 

「今の自分の答えを、絶対に覚えておいて。いつか、あなた自身が国家の存亡の危機と、自由の線引きに真正面から向き合う時が必ず来る。その時、今日の自分の言葉と、未来の自分の行動がどう一致するか、あるいはどう矛盾するか。……答え合わせをしよう」

 

 部屋の空気が、完全に冷え切った。

 

 ギデオンは完全に頭を抱えて俯き、アーサーは『こいつまたやりやがった』という顔で天を仰いだ。

 

 アダムズの顔に、明確な不快感が浮かび上がった。

 

「……まるで、私が将来、そのような権力に溺れた悪法を作ると予言しているように聞こえますが」

 

「そう聞こえたならごめん。未来の話ってのは、だいたい当事者にとっては呪いになっちゃうから」

 

「では、なぜそのような無礼なことを言ったのです」

 

「あなたが、度を越して面倒くさいくらい真面目な人だからだよ」

 

 俺はニヤリと笑った。

 

「真面目で、法を愛する人間が、国家の危機という極限状況の中でどこまで曲がってしまうのか。俺は不老不死の吸血鬼として、それを見届けるのがすごく気になるんだ」

 

 アダムズは怒っていた。

 

 だが、声を荒げて怒鳴るような真似はしなかった。

 

「それは、あまりに人を愚弄した無礼な問いだ」

 

「うん。超無礼だね。俺、性格の悪い欧州の吸血鬼貴族だから」

 

「そこで都合よく身分に逃げるな」

 

 ギデオンの鋭いツッコミが入る。

 

 アダムズはしばらく沈黙し、怒りを鎮めるように深く息を吐き出してから、静かに答えた。

 

「よろしい。あなたの言う『未来』などというものが本当に存在するのなら、その時、私の行いを法と歴史の光で裁けばよい」

 

 彼の瞳には、怯えはなかった。

 

「ただし、後世の安全な場所にいる者たちにも、これだけは覚えておいていただきたい。危機のただ中に放り込まれた者は、常に不完全な情報と、国家が死ぬかもしれないという圧倒的な恐怖の中で判断を下しているのだと。安全な時代の机の上から、結果論で過去の者を断罪するのは……あまりにも簡単すぎる」

 

「……それ、めちゃくちゃ大事な視点だね」

 

 俺は素直に頷いた。

 

 その瞬間、自分が今、取り返しのつかない釘を一本、未来に向かって打ち込んだことを理解した。

 

 フランクリンとは違う。

 

 彼は俺が吸血鬼であることを知り、秘密を共有する協力者になった。

 

 だが、ジョン・アダムズは違う。

 

 今この場で俺を見る彼の目は、協力者のものではなく、警戒する法律家のものだ。

 

 それなのに、俺はその男に未来の一端を見せた。

 

 いや、見せたというより、呪いのように突きつけた。

 

 いつか彼が本当に国家の危機と悪法の前に立った時、この夜の言葉が彼の中で疼くかもしれない。

 

 そう考えると、喉の奥が少しだけ乾いた。

 

 それでも、俺は言っておきたかった。

 

 未来のアダムズではなく、今ここにいる、法を信じる若いジョン・アダムズに。

 

 *

 

 あまりにも重苦しい空気が漂ってしまったため、俺は強引に空気を変えることにした。

 

「よし! 重すぎるから、酒飲もう!」

 

「なぜそうなる」

 

 ギデオンがため息をつく。

 

「未来で答え合わせするなんて重い約束をしたんだから、今夜は親睦を深めるために『ジョン・アダムズの愚痴を聞く会』にしよう」

 

「私の愚痴、だと?」

 

「だってあなた、絶対に普段から溜め込んでる愚痴が多いタイプでしょ」

 

「失礼な。私は不平不満を漏らすために議論をしているわけではありません」

 

「いや、君は傍から見ていてかなり不平を言っているよ」

 

 いつの間にか部屋に入ってきていたフランクリンが、事も無げに突っ込んだ。

 

「フランクリン殿まで!?」

 

 俺たちは近所の酒場に移動し、アダムズの愚痴を延々と聞くことになった。

 

 俺は持参した血液代用品のパックをコップに注いで飲んだが、誰も細かいことは突っ込まなかった。

 

 彼は酒が入ってもクソ真面目だった。

 

「だいたい、本国議会は植民地の現場の複雑な実情を何も分かっていません! 印紙法は明白な権利の侵害だ。しかし、だからといって街の暴徒化を手放しで礼賛する連中も危険すぎる! 民衆の正当な怒りを利用して、私腹を肥やす煽動家もいるのです!」

 

 アダムズはジョッキを叩きつけながら熱弁を振るう。

 

「我々法律家は、激情に流されてはならない。だが、冷静に法的手続きを説こうとすると、今度は民衆から『臆病者』『本国の犬』と見られる。権利を守るための抗議と、無秩序な暴力の境界線を引くのがどれほど難しいか!」

 

「あー、マジで面倒くさい人だ。俺、そういう人好き」

 

「今、私は褒められたのですか?」

 

「たぶんね」

 

「たぶんで人を褒めるな」

 

 ギデオンが横から的確に差し込んでくる。

 

 酒を飲みながら、俺はもう一つ気になっていたことを聞いた。

 

「じゃあさ、今の印紙法への抗議運動で、印紙販売人の家に押しかけて脅して辞任させるとか、人形を吊るすとか、ああいう暴力的な実力行使はどう思う?」

 

 アダムズは渋い顔をして、首を横に振った。

 

「民衆の心情は理解できます。しかし、極めて危険な行為です」

 

「即答だね」

 

「当然です。権利の侵害に対して抗議することと、私人を暴力で脅迫して屈服させることは全く違います。民衆の怒りは、正当な原因を持つことがある。だが……正当な原因を持つ怒りが、常に『正当な行動』を生むとは限らないのです」

 

「……怪異の成り立ちにも似ているな」

 

 ギデオンが、酒を舐めながら呟いた。

 

「怪異?」

 

「あー、こっちの裏稼業の話だから気にしないで」

 

 俺は誤魔化しながら、アダムズの言葉を反芻していた。

 

 群衆の怒りは大きな力になるが、容易に暴走する。

 

 俺は知っている。

 

 この数年後、『ボストン虐殺事件』と呼ばれる衝突が起きた際、激昂する反英群衆の真っ只中で、アダムズは憎きイギリス軍兵士の弁護人を引き受け、彼らを無罪に導くのだ。

 

 この人、どんなに空気が熱狂していても、ちゃんと『暴徒の感情』と『法の裁き』を分けられる人なんだよな……。

 

 だからこそ周囲と衝突して面倒くさいし、だからこそ、心の底から信用できる。

 

 *

 

 夜も更けてきたところで、話を石鹸商会に戻した。

 

「じゃあアダムズ先生。我らがヴァレンタイン商会が、反英政治団体扱いされずに、あるいは暴徒に焼き討ちされずに生き残るための法的防衛策を教えてよ」

 

 アダムズは法律家の顔に戻り、指を折りながら整理した。

 

「第一に、商会の文書の徹底的な中立化です。商品説明やラベルから、政治的に解釈されうる語句を完全に排除してください。『自由』『権利』『本国』『圧政』などの言葉は論外です」

 

「手洗いの説明紙に『自由』なんて書かないよ」

 

「ですが、今の時代の空気は過敏です。何気ない言葉でも暗号扱いされます。第二に、原産地表示の明確化。『英国の輸入品ではない』ということだけでなく、『植民地内で整えられた衛生用品』であることを明記する。ただし、過剰な愛国宣伝に走ってはなりません」

 

「愛国石鹸とかダメ?」

 

「本国派から目をつけられて燃えます」

 

「やめろ」とギデオン。

 

「第三に、契約書の文言の見直し。印紙法に対する遵守の態度や、あるいは法的な留保を曖昧にしないこと。ただし、露骨な脱法行為を記してはなりません」

 

「脱法じゃないよ。合法寄生だよ」

 

「その『合法寄生』という気味の悪い表現は、絶対に公式の文書に残さないでください」

 

 アダムズは厳しく指摘する。

 

「第四に、販売網と政治運動の切り離し。商会の配達人が、石鹸と一緒に政治パンフレットを運ばないように厳重に管理してください」

 

「いや、それはマジで大事。石鹸の木箱に反英ビラを勝手に入れられたら、うちの商会が国家反逆罪で吹っ飛ぶ」

 

「実際にあり得る話だ」とギデオンが同意する。

 

「最後に、情報収集の扱いについて」

 

 アダムズは俺の目を覗き込んだ。

 

「あなたの商会は、宿屋、産婆、理髪師、港湾と、街の隅々に至るネットワークを持っている。そこで集めた世論の情報を、不用意に商人や法律家、印刷屋に流さないこと。必ず政治利用されます」

 

 彼は静かに、だが重く言った。

 

「ヴァレンタイン氏。情報は力です。力を持つ者は、それを使わないと決めた場合であっても、情報を持った時点で責任を負うのです」

 

「……見てるだけで介入しなくても、責任が発生するの、マジでやめてほしい」

 

 俺は本気でため息をついた。

 

 別れ際、アダムズは俺にこう言った。

 

「あなたは奇妙な人です」

 

「褒めてる?」

 

「警戒しています」

 

「素直だなぁ」

 

 アダムズは外套を羽織りながら言葉を続ける。

 

「あなたは政治を心底嫌っているように見える。しかし、社会制度の欠陥には異様に敏感だ。金儲けを考える商人のようでありながら、法律家の論点にも鋭く反応する。貴族のように振る舞いながら、貧民街の衛生を何よりも気にしている。そして時折、我々の行く末をすべて知っているかのような顔をする」

 

「……」

 

「あなたは、自分が政治から逃げられると思っているようですが……社会の制度を直そうとする者は、絶対に政治から逃げられませんよ」

 

「今日、いろんな大人がみんな俺にそれ言うんだけど!」

 

「真実だからでは?」

 

「そうだな」

 

 ギデオンが深く頷いた。

 

 *

 

 深夜。

 

 宿に戻った俺は、いつものようにノートに記録を書き込んだ。

 

【ジョン・アダムズ接触記録】

 

 ・マサチューセッツの法律家。真面目。頑固。理屈っぽい。

 

 ・印紙法を、単なる税ではなく『権利と正統性の問題』として見ている。

 

 ・群衆の暴徒化には批判的。あくまで法の手続きを重視する。

 

 ・ただし、国家危機の際には強権の必要性を理解している。ここが一番怖い。

 

 ・未来の『外国人・治安諸法』について思考実験として投げた。

 

 ・本人は「悪法」と断言した。ただし、危機の恐怖から生まれる論理も理解すると答えた。

 

 ・「後世からの断罪は簡単だが、危機の中で判断する者は不完全な情報と恐怖の中にいる」という言葉は重い。

 

 ・めちゃくちゃ面倒くさい性格。だが、心の底から信用できる。

 

 ・未来で答え合わせ予定。

 

 ・情報は力。使わなくても責任が発生する。最悪のルール。

 

 ・今日の俺:明らかに喋りすぎた。危険。要反省。

 

 最後に、ページの真ん中に大きな文字で書き込んだ。

 

【結論:悪法は、悪人だけが作るわけではない】

 

 俺はペンを置き、しばらくその文字を見下ろしていた。

 

 今日の俺は、明らかに一線を越えかけた。

 

 いや、越えたと言うべきかもしれない。

 

 フランクリンとは違う。

 

 アダムズは秘密を共有する仲間ではない。

 

 彼は俺を面白がる学者でも、奇妙な道具に目を輝かせる発明家でもない。

 

 彼は法律家だ。

 

 疑い、分類し、記録し、矛盾を覚えておく種類の人間だ。

 

 そんな男に、俺は未来の傷を見せた。

 

 それも、彼自身がいつか負うかもしれない傷を。

 

「……やっちゃったなぁ」

 

 思わずそう呟くと、背後からギデオンの声が飛んできた。

 

「今さら気づいたのか」

 

「気づいてた。気づいてたけど、言っちゃった」

 

「最悪だな」

 

「うん。最悪」

 

 俺は素直に頷いた。

 

 だが、後悔だけではなかった。

 

 あの若い法律家に言っておきたかった。

 

 未来の大統領ではなく、今この瞬間、自由と法を信じているジョン・アダムズに。

 

 いつか危機の中で判断を迫られた時、今日の言葉がほんの少しでも彼の喉に刺さればいい。

 

 それが救いになるのか、呪いになるのかは、今の俺には分からない。

 

 俺は窓辺に立ち、フィラデルフィアの暗い街並みを見下ろした。

 

 街は印紙法の波紋で静かに、だが確実に荒れている。

 

 新聞、酒場、商人会合、配達人、産婆、理髪師、民兵。

 

 俺が手洗いを普及させるために築いた石鹸の販路が、その末端から街のすべての怒りと不満の情報を吸い上げてくる。

 

「……ただ見てるだけってのも、案外難しいもんだな」

 

「今さらか」

 

 背後で剣の手入れをしていたギデオンが、呆れたように言った。

 

「情報が手元に集まるとさ、人間って使いたくなっちゃうんだよ。使わないと、目の前で苦しんでる人を見殺しにした気分になる。でも、使うと歴史の濁流に腕を突っ込むことになる」

 

 アーサーが影の中から言う。

 

「それでも、あなたは情報を集め続けるのでしょう?」

 

「まあね。合法的な血液供給システムを構築するには、宿主である国家の健康状態の絶え間ない監視が必要不可欠だから」

 

「またそうやって、最低な言い方で自分を偽悪的に見せる」

 

 ギデオンが鼻を鳴らした。

 

「でも、今回はちょっとだけ本音も混じってるかもしれない」

 

 ジョン・アダムズ。

 

 のちに自由を熱烈に語り、アメリカ独立を支え、大統領となり……そして、自由を深く傷つける悪法に名を残す男。

 

 その若き日の法律家は、今夜、俺の前で確かに言った。

 

 悪法です、と。

 

 だが、危機と恐怖の中では、善良な人間でさえも悪法を作ってしまうのだ、と。

 

 俺はその言葉を、ノートの端に深く書き留める。

 

 遠い未来で、彼と答え合わせをするために。




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