魔法少女アメシスタ、あるいは、星屑に懸けた片想いの話。 作:秩序
例えば、野球部の男の子だったらどうだろう。
ホームランを打って優勝した自分の方が、誇りを持って告白ができるだろう。サッカーでもバスケットボールでも、テニスでもバドミントンでも同じだし、吹奏楽でも軽音でも絵画でも、もっと色々なコンテストやコンクールや、特技でもそうだろう。
何かを成し遂げるから、自分をちっぽけに思わなくなる。
何かを成し遂げたから、こんな自分はどうですかって、胸を張れるんだ。
そういう意味で考えたとき、私はまだまだちっぽけとしか形容のしようがない。
私の好きな人に誇れるような、告白だなんて真似ができるような、ましてや生涯を通して隣に立ち続けるだなんて恐れ多いまま。私じゃ、あの人には相応しくないのだ。このままでは。
だから。月を背景にうねりながら落ちてくる千本の触腕を全て削ぎ落としながら、私は悩んでいる。
秋の風が河川敷を舐めるように吹き抜けて、戦場にはおよそ似つかわしくない金木犀の匂いを運んできた。甘い。泣きたくなるくらいに甘い匂い。
この匂いがする季節になると、お姉ちゃんは決まって窓を開けたまま眠ってしまう。そういう、緊張感の無いことばかり考えてしまう自分には、やっぱり呆れてしまう。
「はあ」
思わずため息が出てしまった。音を伴ったため息だ。
こんなネガティブ思考だから、なおさらダメなんだと頭の中で声がする。もっと前を向いて明るく元気に、健やかな人間性でなければ。
先の方が平たく角張った、変な形の大きな剣を右へ左へ振り抜く度に、私の髪の毛が揺れる。
この剣には名前がない。先生は好きに名付けて構わないと言ってくれたけれど、しっくりくるものが思いつかなくて、ずっとそのままだ。西洋の剣とも日本刀とも違う。先端だけが幅広に潰れて四角くなっていて、まるで巨大なヘラか何かみたいだった。お世辞にも魔法少女らしいとは言えない代物だけれど、振ると空気が割れるような音がするところだけは、少し気に入っていた。
頭のてっぺんから黒い灰をどっさり被ったみたいな色で、毛先に行くほど白くなっていく髪。変身した時にだけ現れるこの色を、私はあまり好きではない。あの人の艶やかな黒髪とは全然違うのだから嫌になる。お揃い、とはほど遠い。何もかもがほど遠い。
触腕が四方から押し寄せてくる。地面に叩きつけられたそれがアスファルトを砕くのを横目に、一本、また一本と。斬るというよりは振り払う、という方が正確だった。
一本一本は大した脅威ではない。太さは電柱ほどあるけれど、剣が触れた瞬間にぶつりと断面から紫色の煙を上げて千切れてしまう。問題は数だ。千本というのは体感の話で、正確に数えたわけではない。でもまあ、それくらいはあるだろう。月が隠れるほどに空を埋め尽くすそれらが、うねって、絡まって、ほどけて、落ちてくる。
踏み込んで、横薙ぎ。五本まとめて断つと、切り口から飛び散った黒い体液が頬にかかった。生ぬるくて、少し酸っぱい匂いがする。虫の体液に似ているな、と思ってから、虫の体液の匂いを知っている自分に少し引いた。魔法少女になってからの数ヶ月で、妙な知識ばかり増えていく。
剣を振るう合間に、ちらと目を動かして全体を見渡す。
河川敷の中洲みたいに少し盛り上がった場所に、そいつはいる。巨大なイソギンチャクのような、もっとおぞましい何かだ。高さは三階建てのビルくらいある。表面は粘膜質にてらてら光っていて、触腕はその全身から伸びていた。根元に近い部分はどす黒い赤色で、先端に向かうほど黒くなっていく。夜に紛れるみたいに。
生理的嫌悪感を催すその姿は、しかし、私にとっては見慣れた風景になりつつあった。
最初に遭遇した時は足が竦んで動けなくなったけれど、三体目くらいからはもう平気だった。慣れというのは恐ろしい。あるいは、私がどこかおかしいのかもしれない。
長くて重たい前髪の隙間から、やっと見据えることができた。
化け物の体の中心、粘膜の膜の向こう側に透けて見えるもの。どくん、どくん、と一定の間隔で脈を打つ紅い塊。
心臓、なのだろう。少なくともそれに類するものだ。触腕を何百本斬り落とそうが化け物が怯まないのに、この塊の真正面に辿り着いた途端に、触腕の軌道は防御的になり、体全体がびくりと収縮する。命より大事なモノ、というのは私の推測だけれど、たぶん間違っていない。
だからこそ思ってしまう。もっと抵抗をしなくていいんだろうか。
私なんかに殺されていいんだろうか。生き物なのだとしたら、もっと必死に、死に物狂いで、足掻くべきなんじゃないだろうか。本当に大切なものがあるのなら。
もっと必死に頑張ってくれないと、真っ二つにして、私はさっさとお家に帰ってしまうのに。
触腕の雨を掻い潜って、地面を蹴った。跳んだ。変身した体は嘘みたいに軽くて、普段の自分からは想像もつかない距離を一息に詰められる。
風が耳元で鳴いた。化け物の表皮に着地して、滑りそうになるのを剣の先端を突き立てて堪える。粘膜が裂ける感触が柄を伝って掌に届いた。気持ち悪い。でも立ち止まれない。
膜の奥で、紅い塊が今まで以上に激しく脈打った。怯えているのだと分かった。
ごめんね、と心の中だけで謝った。声に出す余裕はなかった。
変身中は喋れるのに、こういう時に限って言葉が出てこない。
矛盾しているな、と思う。声を持っている時には黙って、声を失っている時にはたくさん伝えたくなる。私はいつもちぐはぐだ。
剣を引き抜いて、構え直す。大きく振りかぶって。
後ろから何かが飛んできた。
風を切る音がして、首の横すれすれを掠めていった。
触腕の一本が、最後の力を振り絞るように鞭のようにしなって私に向かっていたらしい。けれどそれは、既に足元に転がっている。力なくびくびくと痙攣してから、動かなくなった。
細くて頼りないこんな腕でしか抵抗できないってことは、そういうことなのだと納得した。この子はもう、限界なのだ。
今日もこれで終わりなんだって。もっと頑張って、強くならなきゃいけないのに。
おしまいなんだって、分かったから。
紅い塊に向けて剣を振り下ろした。
抵抗は、なかった。刃が粘膜を割いて、塊に触れた瞬間、弾けるように紅い光が散った。
風船が割れるような、あっけないほど軽い手応えだった。
化け物の全身が一斉に痙攣して、それからゆっくりと、沈黙した。
巨大な体が崩れていく。外側から順に砂のように風化して、月明かりに照らされた粒子が夜空に舞い上がっていく。きれいだな、と不謹慎にも思ってしまった。誰かの命の終わりを、きれいだなんて。
でもきっと、この感想すらも、私がまだまだひよっこであることの証明なのだろう。
こんなのを何百回も見送って、慣れきって、何も感じなくなるまで。
「道は長いなぁ」
最後の粒子が風に溶けるのを見届けてから、誰にともなく呟いた。
声に出せるのもあとわずか。変身が解ければ、この声も消える。
またも泣き言をこぼしながら、その日のお仕事を終えました。
◇
化け物の体が砂みたいにさらさらと崩れていくのを見届けてから、私は剣を消した。
指先にじわっと熱が戻ってくる。変身している間はいつもこうだ。
自分の体なのに自分の体じゃないみたいで、終わった途端にようやく血の通った感覚が返ってくる。
ここは河川敷の、少し下流に外れた辺り。街灯も届かない暗がりで、対岸のマンションの明かりだけがぽつぽつと水面に落ちている。化け物の残骸は夜風に攫われて、もうどこにもない。
毎回きれいに消えてくれるところだけは、ありがたいと思う。後片付けがないのは助かる。もしもその作業があったら、私の帰りはもっとずっと遅れてしまって、心配をかけてしまうだろうから。
雑草を踏みながらコンクリートの堤防まで歩いて、腰を下ろした。
冷たい。秋が近いのだと思う。変身が解けた体はすぐに夜気に晒されて、小さく身震いが出た。
「お疲れ様です、アメシスタ。本日も大変お見事でした」
背後から声をかけられても、もう驚かない。
振り向くと、そこに立っているのは、男の人。ではない。
黒いスリーピースのスーツをきっちり着込んだ、190cmはあろうかという長身。革靴はいつもぴかぴかに磨かれていて、左手には銀の懐中時計。
どこからどう見ても紳士と呼ぶのに相応しい佇まいなのだけれど、問題はその首から上だった。
頭部がない。正確には、人間の頭がある場所に、巨大な紫水晶の結晶が生えている。
ごつごつとした六角柱の集合体が、月明かりを受けて輝いていた。目も鼻も口もないのに、こちらをちゃんと見ているのが分かる。声はどこから出ているのか、いまだに分からない。
この人……人? は、私に魔法少女の力をくれた存在だ。
名前は教えてくれないから、私は勝手に「先生」と呼んでいる。本人は特に嫌がらないので、そのまま定着してしまった。
私はパーカーのポケットからスマホを取り出した。変身が解けた今の私には、声がない。
喋ろうとしても喉の奥がきゅっと閉じたまま、音にならない。
もう何年もずっとそうだ。慣れたとは言わないけれど、段取りだけは染みついている。
メッセージアプリを開いて、先生との個別チャットを選ぶ。この人がスマホを持っていることがまず驚きだったけれど、ちゃんと既読もつくし返事も来る。最初の頃はそれだけで少し安心した。
『ありがとうございます』
送信して、再び視線を向けた。先生は既にスマホを手元に準備していてくれて、文字を打ち返してくれる。
目の前にいるのだから、少なくとも先生からの返答は声で構わないし、その方がきっとラクだろうに。でもこの人は、いつも私のやり方に合わせてくれるのだ。
『浮かない顔をしていますね』
私は画面に目を落とした。
何と返そうか迷って、数秒間だけ指が止まる。
『いつものことじゃないですか』
『そうですか』
『本当にいつものことです、そういう性格ですもん、ネガティブで、すみません』
文字だけのやりとりだと、ため息は伝わらない。それが楽だと思う時もあるし、もどかしい時もある。今は、たぶん楽な方だ。声に出して言ったらきっと卑屈過ぎただろうから。
先生はスマホを片手に、二歩ほど近づいてきた。革靴の底が砂利を踏んで、ごり、と小さな音を立てる。
それから堤防のコンクリートの縁に、行儀良く腰を下ろした。スーツが汚れるのは気にしないらしい。
隣に座られると、この人の大きさがよく分かる。私が見上げないと結晶の先端が見えない。
けれど不思議と圧迫感はなくて、どちらかと言えば、大きな木の隣に座っているような感じだ。静かで、動かなくて、ただそこにいる。
スマホの画面が暗くなった。指でとんと叩いて起こして、また文字を打つ。
『お聞きしたいことがあります、いいですか?』
しろくまのマスコットがOKと言っているスタンプが返ってきた。
『ありがとうございます、聞きますね』
『どうしたらもっと強くなれますか?』
送ってから、少し後悔した。漠然としすぎている。
案の定、間を置いてから返事が来た。
『強さとは、どのような意味での強さでしょう。戦闘における火力の向上でしたら、いくつか提案がございます』
首を横に振った。横に振ってから、伝わらないかもしれないと思って、慌てて打つ。
『すみません、すみません。そうじゃないんです。人としてです』
『人として強くなれるかなって』
夜風が吹いて、髪が顔にかかった。横に払う。変身が解けた今の私の髪はただの黒髪だ。
細くて壊れそうな、色素の薄い黒髪。正確に言うならチャコールグレーのような色をしたそれに、ほんの少しだけ安心する。あの白い髪は、あの剣を振るう私のものであって、私のものではない気がするから。
打ちかけのメッセージをいったん消して、書き直して、また消して。
結局、一番素直な言葉を選んだ。
『魔物はいっぱい倒しましたが、まだ足りないんです』
『お姉ちゃんに相応しい女の子じゃない』
送信した瞬間、胸の奥がきゅっと締まった。お姉ちゃん。碧。私の、たった一人のお姉ちゃん。
優しくて、真っ直ぐで、それでいて冷静で。友達がたくさんいて、成績も良くて、でも気取ったところなんか全然なくて。
何をやらせても器用にこなせるのが好き。テスト前でも表情ひとつ変えず努力を重ねる横顔が好き。寝る前に「おやすみ」って言いながら私の頭をぽんと撫でてくれるのが、たまらなく好き。
そして、あの狂った家庭から私を救い出してくれたところが、好き。
妹として。それから、それ以上の、ずっと深くて重たい意味で。
この気持ちがいつから芽生えたのかは、自分でもよく分からない。気がついた時にはもうそうだった。呼吸みたいに当たり前にお姉ちゃんのことを想っていて、それが普通の姉妹の形じゃないと知った時にはもう手遅れだった。
最低だと思った。今でも思っている。
だけど、やめられなかった。やめ方が分からなかった。お姉ちゃんの笑顔を見るたびに、もっと近くにいたいと願ってしまう心臓を、どうやって止めればいいのか誰も教えてくれなかった。
先生はすべて知っている。契約の時に洗いざらい見られたのだ。私の記憶も、感情も、この醜い恋心も、全部。だから今さら隠すこともない。
画面の通知が光った。
『これも恋バナってやつなんです?』
半分首を傾げながら、半分頷く。多分そう。
『守ってもらう対象のままじゃ、隣になんて立てませんから』
指が勝手に動いていた。一度堰を切ると止まらないのは、いつものことだ。声が出ない代わりに指だけはよく回る。皮肉な話だと思う。
『せめて何か誇れるものがあれば、建前ができると思うので』
『建前と言いますと?』
少し間を空けて、続きを打った。
『お姉ちゃんに気持ちを伝えるつもりはありません、それは前にお伝えした通りです』
『だけど隣にはいたい、隣にいても許されるくらいの自分にはなりたいんです』
『そのためなら化け物の百匹や二百匹、何度だって』
『すみません、喋り過ぎちゃいました』
送り終えて、スマホを膝の上に伏せた。画面の光が消えると、月明かりだけが残る。
大袈裟なこと言い過ぎた。実際は毎回ひいひい言いながら戦っているくせに。
先生はしばらく何も送ってこなかった。隣を見ると、懐中時計を胸ポケットにゆっくりとしまうところだった。何かを確かめていたのかもしれない。時間なのか、それとも別の何かなのか。
スマホが震えた。
『紫水様。一つだけ、申し上げてもよろしいですか』
『はい』
『あなたは既に、十分に強い方だと私は認識しています』
不意打ちだった。画面がじわりと滲んだ。涙ではない、と思いたかったけれど、たぶん涙だった。急いでパーカーの袖で目元を拭う。
『お世辞はやめてください』
『私は常に事実の報告をするのみです』
相変わらず堅い文体なのに、そこに確かな重みがあった。
隣を見ると、結晶の表面に月の光が走って、一瞬だけ温かい色に見えた。
この人がお世辞を言う意味なんてないことくらい、本当は分かっている。
分かっているけど、受け取ってしまったら泣くから。これ以上泣いたら、もう帰れなくなるから。
メッセージは返さなかった。でも、口の端がかすかに上がったのは見られたと思う。
立ち上がって、スカートについた砂を払った。
堤防の上から見下ろすと、川面に月が映っていた。ゆらゆらと揺れるその輪郭が、さっきの化け物の触腕に少し似ていて、ちょっとだけ嫌な気持ちになった。
『帰ります』
『お気をつけて』
『先生は?』
『私はもう少し夜風に当たっていきます』
スーツ姿の異形が河川敷のコンクリートに腰掛けて夜風に当たっているという恐ろしい画が、実際にそこにある光景を見て、ちょっとだけ笑ってしまった。シュールというやつだろう。
誰かに見られたら大騒ぎになるか、もしくは新手の現代アートかと思われるだろう。
堤防の階段を上がって、土手の上に出た。自転車が待っている。鍵を外してサドルに跨り、ペダルに足をかけたところで、一度だけ振り返った。少し離れた暗がりの中で、紫水晶がふわりと淡く光った。
それが返事なのだと、もう知っている。
ペダルを漕ぎ出すと、夜風が頬を撫でていった。川沿いの道は街灯がまばらで、自分の影が伸びたり縮んだりを繰り返す。虫の声がする。もうすぐ秋になるんだなと思う。
自転車を漕ぎながら、明日の朝ごはんのことを考えた。お姉ちゃんは最近、甘い卵焼きにはまっている。砂糖を多めに入れて、あとお味噌汁はわかめにしよう。お姉ちゃんより先に起きて、一番乗りで台所に立つ。お姉ちゃんが階段を降りてきた時に、おはようって笑えたら。
声は出ないから、笑顔で。いつも通りのスマホの画面じゃなくて、ちゃんと向き合って、笑顔で。
たったそれだけのことが、今の私にとっては、化け物を倒すよりずっと大事な戦いなのだった。
◇
苦痛に満ちた、狂った日々から私は逃げ出した。お姉ちゃんに手を引かれて。
それは辛くとも、ハッピーエンドの物語だった。お姉ちゃんという存在が、私の王子様でいてくれたから。お父さんとお母さんの怒号と暴力を掻い潜る、輝かしいヒーローのお話だ。
そんな物語の結末はとうに過ぎ去り、今はただ平穏なエピローグが続くのみ。
声を失ってしまったから、スマホのメッセージアプリだとか、筆談用のノートでお喋りして。
朝はお姉ちゃんを見送って、おじいちゃんのお茶を淹れて、そしたら通信制高校のレポートに向かう。どこにも異常が無い、何よりも大切な今の日々だ。
けれど胸の奥には、ついぞ誰にも明かせなかった願いがひとつ眠っている。
隣に立ちたい。
ただの妹としてではなく、後ろに隠れるのではなく、守られるでもなく、気を遣われるでもなく。
対等なたった一人の女の子としてあなたのすぐ隣にいられたのなら、私はもう、それだけで。
『本当に?』
それが叶わないと知っているから、私はその願いにそっと蓋をして、この日常を微笑んで過ごしている。やっと手に入れた平和を享受している。していける。
筈だったのに。
救われるだけの私を終わらせる。これは、主人公になるためのお話。