亡国の黒将と世界樹の迷宮   作:清海深々

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第十一刀 銀狼の牙

 

海都来訪三十八日目。

 

朝の冒険者ギルド訓練場には、剣戟の音が響いていた。

 

迷宮へ潜る者ばかりが冒険者ではない。

 

潜る前に刃を確かめる者。

 

帰還後に体を戻す者。

 

負傷明けに動きを確認する者。

 

新人へ基礎を教える者。

 

そして、強者の技を盗みに来る者。

 

訓練場には、そうした者達が集まる。

 

Cランクの若手ギルド「潮騒の針」。

 

Bランクの採取護衛隊「鉄靴の梟」。

 

遠征帰りの「赤帆団」の斥候。

 

彼らは本来なら、この時間には迷宮へ向かっている。

 

だが、この日は多くが足を止めていた。

 

理由は、訓練場の中央に立つ女だった。

 

黒薔薇。

 

黒華五刀の守り手。

 

一刀と大型籠手を持つ、黒い女武者。

 

彼女はここ数日、時間が空くと訓練場へ顔を出していた。

 

理由は単純だった。

 

「身体が鈍る」

 

本人はそう言った。

 

だが、海都の冒険者達にとっては違った。

 

黒華五刀の一人と手合わせできる。

 

それだけで、人が集まる理由になる。

 

「次、誰だ?」

 

薔薇が籠手を鳴らす。

 

対面にいたCランクのウォリアーが肩で息をしていた。

 

木剣を握る手が震えている。

 

彼は今、三度打ち込んだ。

 

スラッシュ。

 

横薙ぎ。

 

踏み込みからの縦。

 

どれも初心者のものではない。

 

だが、全て流された。

 

薔薇は盾を持っていない。

 

それなのに、彼の剣は一度も身体へ届かなかった。

 

籠手で弾く。

 

刀の峰で逸らす。

 

足の位置だけで間合いを殺す。

 

受けているのに、受けていない。

 

それが薔薇の防御だった。

 

「もう一本お願いします」

 

若いウォリアーが言う。

 

薔薇は笑った。

 

「いい根性だ」

 

「けど、今の足だと次は転ぶぞ」

 

「え?」

 

次の瞬間、彼は踏み込もうとして本当に膝を崩した。

 

周囲から笑いが起きる。

 

侮笑ではない。

 

学ぶ者の笑いだ。

 

薔薇は手を差し出す。

 

「斬る前に足が死んでる」

 

「迷宮なら、そこを魚に噛まれる」

 

「はい」

 

「もう一回休んでから来い」

 

若いウォリアーは悔しそうに、それでも嬉しそうに下がった。

 

次に出たのは、Bランクのファランクスだった。

 

盾と槍。

 

名はダリオ。

 

「一本、お願いします」

 

「おう」

 

薔薇は構える。

 

ダリオは慎重だった。

 

盾を前に、槍を短く持つ。

 

一撃を狙うのではなく、押し込む構え。

 

悪くない。

 

薔薇は笑った。

 

「堅いな」

 

「ロイヤルガードの訓練を受けました」

 

「なるほど」

 

ダリオが踏み込む。

 

槍が来る。

 

薔薇は避けない。

 

籠手で槍先を軽く押す。

 

ほんの少し。

 

それだけで、槍の軌道が盾の外へ流れる。

 

ダリオが盾で押し込もうとした時には、薔薇はもう横にいた。

 

木刀が首筋に止まる。

 

「一本」

 

ダリオは固まった。

 

観客が息を呑む。

 

薔薇は木刀を下げる。

 

「盾は良い」

 

「でも、盾の後ろに自分で閉じこもった」

 

「押すなら、足も一緒に押せ」

 

ダリオは深く頭を下げた。

 

「ありがとうございました」

 

それを見ていた別の冒険者が呟く。

 

「誰も一本取れないな」

 

「昨日もだ」

 

「一昨日もだろ」

 

「あれで黒華五刀の中では守り役なんだよな」

 

「守り役があれなら、他は何なんだ」

 

その声に、薔薇は振り返る。

 

「他はもっと面倒だぞ」

 

周囲が笑った。

 

薔薇も笑う。

 

黒華五刀の中で、最も外へ開いているのは彼女だった。

 

だから、海都の冒険者達は黒華五刀へ近づく時、まず薔薇へ声をかけるようになっていた。

 

訓練場の端で、アルベルトがその様子を見ていた。

 

ロイヤルガード隊長。

 

隣には、同じロイヤルガードのプリンセス、ミレイがいる。

 

ミレイが言った。

 

「薔薇さん、人気ですね」

 

「ああ」

 

「黒蘭さんより話しかけやすいですし」

 

「それはそうだろうな」

 

アルベルトは苦笑した。

 

黒蘭は冷たいわけではない。

 

だが、話しかけやすい男ではない。

 

必要なことには答える。

 

礼も欠かない。

 

しかし、雑談のために扉を開けることはほとんどない。

 

それに比べて、薔薇は笑う。

 

怒る。

 

冗談を言う。

 

若手の訓練にも付き合う。

 

黒華五刀という黒い集団へ、海都側が触れる窓口になっていた。

 

薔薇が休憩に入り、水を飲みに来る。

 

アルベルトが声をかけた。

 

「見事だ」

 

「お、海都の盾様」

 

「その呼び方はやめてくれ」

 

「じゃあアルベルト」

 

「そちらの方がいい」

 

薔薇は水袋を置く。

 

「何か用か?」

 

「用というほどではない」

 

アルベルトは少し考えた。

 

「君は、なぜ黒蘭に従っている」

 

薔薇は目を瞬かせ、それから笑った。

 

「直球だな」

 

「すまない」

 

「いや、いい」

 

薔薇は訓練場を見る。

 

若い冒険者達が、今の動きを真似している。

 

「強いから、じゃないぞ」

 

アルベルトは黙って聞く。

 

「強い奴なら黒華にもいた」

 

「蘭より腕が立つと思っていた奴も、いたかもしれない」

 

「でも、蘭は勝てるかどうかだけで人を動かさない」

 

「誰が帰れるかを見る」

 

アルベルトは眉を動かす。

 

薔薇は続けた。

 

「戦場だと、それが一番難しい」

 

「勝てる道は見える」

 

「死なせない道は、なかなか見えない」

 

「蘭はそれを探す」

 

「だから、ついて行く」

 

アルベルトは黙った。

 

彼は少しずつ黒蘭を理解し始めていた。

 

黒蘭自身の言葉だけではない。

 

薔薇のような仲間の言葉。

 

椿の指揮。

 

牡丹の補給。

 

百合の警戒。

 

それらを通して、ようやく輪郭が見えてくる。

 

黒蘭は強い。

 

だが、黒華五刀が彼を見る理由は、強さだけではない。

 

「なるほど」

 

アルベルトは呟いた。

 

薔薇は笑う。

 

「分かった顔してるけど、多分まだ半分だぞ」

 

「だろうな」

 

「私も全部は分からん」

 

「君でも?」

 

「ああ」

 

薔薇の顔から笑みが少し消える。

 

「蘭は、自分のことだけは見えてない時がある」

 

アルベルトはその言葉を覚えた。

 

後に、意味を知ることになる。

 

その頃、ギルド本館の応接室では、黒蘭と椿が元老院関係者と向き合っていた。

 

Aランク審査の顔見せ。

 

名目はそうだった。

 

だが実際には、貴族達による値踏みである。

 

そこには三人の貴族関係者がいた。

 

元老院の使い。

 

港湾貴族の代理人。

 

そして、迷宮素材の利権を持つ商家貴族の老女。

 

老女が柔らかく言う。

 

「黒蘭殿」

 

「あなた方の活躍は耳にしております」

 

「我が家としても、ぜひ支援を」

 

黒蘭は軽く頭を下げる。

 

「感謝する」

 

「では、今後の素材売却を我が家へ優先的に」

 

「それはできない」

 

即答だった。

 

空気が少し止まる。

 

黒蘭は続ける。

 

「素材は最も適した先へ売る」

 

「武具用なら鍛冶屋」

 

「薬用なら薬師」

 

「研究用なら学術庫」

 

「価格と用途で決める」

 

老女の笑みがわずかに固まる。

 

「もちろん、相応の対価は用意します」

 

「対価だけでは決めない」

 

「街に残る形も見る」

 

港湾貴族の代理人が口を挟む。

 

「では、我が家の客将という形ではどうです」

 

「屋敷と身分を保証しましょう」

 

黒蘭は首を振る。

 

「我々は海都の家に仕えるつもりはない」

 

「なぜです」

 

「いずれ祖国へ帰る」

 

その言葉に、使い達が互いを見る。

 

黒華。

 

滅んだ東方の国。

 

その国へ帰る。

 

再興する、とまでは言わない。

 

だが、黒蘭の声には迷いがなかった。

 

老女が穏やかに言う。

 

「滅びた国に、帰る場所がありますか」

 

椿の目が冷える。

 

黒蘭は答える。

 

「作る」

 

短い一言。

 

それ以上の説明はなかった。

 

取り付く島もない。

 

礼はある。

 

無礼ではない。

 

だが、貴族達が好む余白がない。

 

恩を売る余地。

 

家名で縛る余地。

 

宴で懐柔する余地。

 

黒蘭はすべて閉じていた。

 

元老院の使いは咳払いした。

 

「Aランクとなれば、海都の政治とも無縁ではいられません」

 

「ならAでなくていい」

 

椿が少しだけ黒蘭を見る。

 

使いは言葉に詰まる。

 

黒蘭は続けた。

 

「迷宮へ潜る許可があり、必要な取引ができるなら階級にはこだわらない」

 

「我々の目的は名誉ではない」

 

貴族達の顔に、不快感が滲む。

 

扱いづらい。

 

彼らはそう思った。

 

金で動かない。

 

宴に乗らない。

 

家名に膝を折らない。

 

かといって、無礼として処罰できるほどの粗もない。

 

老女はゆっくりと微笑んだ。

 

「そうですか」

 

「では、また別の機会に」

 

黒蘭は頭を下げる。

 

「失礼する」

 

椿も礼をする。

 

二人が部屋を出る。

 

扉が閉まった後、老女の声が少し低くなった。

 

「難しい方ですね」

 

港湾貴族の代理人が鼻を鳴らす。

 

「ガレス殿の方がよほど分かりやすい」

 

「ええ」

 

老女は扇を閉じる。

 

「彼はよい冒険譚を持ってくる」

 

「素材も、少し褒めて支援金を渡せば流してくれる」

 

「多少荒い取引にも目を瞑る」

 

元老院の使いが言う。

 

「黒蘭一行は、今後邪魔になるかもしれません」

 

「ええ」

 

老女は静かに答えた。

 

「なら、まずは海都の上位と並べるか見せていただきましょう」

 

その日の午後、銀狼の牙との模擬戦が決まった。

 

偶然ではない。

 

訓練場には、人がさらに増えていた。

 

ロイヤルガード。

 

月下猟姫。

 

獣王爪牙。

 

大地の記録者。

 

Bランクの「鉄靴の梟」。

 

Cランクの「潮騒の針」。

 

外洋遠征から戻った「赤帆団」の数名。

 

一方で、街にいない上位ギルドもある。

 

Aランクの「砂冠の旅団」は、南方の乾いた岬へ遠征中。

 

Bランクの「灰鷗隊」は、海都外縁の遺跡調査へ出ている。

 

世界は海都の中だけではない。

 

迷宮の外にも、冒険者の仕事はある。

 

それでも今日は、いる者の多くが集まった。

 

黒華五刀と銀狼の牙。

 

その衝突を見るために。

 

訓練場の中央に、銀狼の牙が立つ。

 

ガレス。

 

ユーリック。

 

マルコ。

 

ゼナ。

 

オルフェ。

 

説明は不要だった。

 

海都の者なら、彼らの名を知っている。

 

その向かいに、黒華五刀。

 

黒蘭。

 

椿。

 

薔薇。

 

牡丹。

 

百合。

 

レオンが中央に立つ。

 

「確認は模擬戦だ」

 

「殺し合いじゃない」

 

「使用武器は実戦用」

 

「致命傷は禁止」

 

「勝敗は、降参、武器喪失、または審判判断」

 

ガレスが大剣を肩に担ぐ。

 

「木剣で遊ぶ気はない」

 

レオンは睨む。

 

「真剣だからこそ、規則を守れ」

 

「分かっている」

 

分かっている。

 

その言葉に、ユーリックがわずかに眉を動かした。

 

ガレスは黒蘭ではなく、椿を見た。

 

「条件を付けたい」

 

レオンが言う。

 

「何だ」

 

「号令なし」

 

椿を見る。

 

「その姫の声で背を押されてから勝たれても、黒蘭個人の力は分からん」

 

空気が変わる。

 

姫。

 

その呼び方そのものではない。

 

含まれた意味が問題だった。

 

飾り。

 

後ろで声を出すだけの者。

 

そういう侮りが、滲んでいた。

 

百合の気配が薄くなる。

 

牡丹の笑みが消える。

 

薔薇が籠手を鳴らした。

 

黒蘭はガレスを見た。

 

「椿は飾りではない」

 

「そうか?飾りにしか見えん。とっととパーティから外せ」

 

ガレスは言う。

 

「とにかく、俺はお前個人と戦う」

 

「黒華五刀とではない」

 

黒蘭は少し考え、椿を見る。

 

「椿」

 

「はい」

 

「構わないか」

 

椿は静かに頷いた。

 

「はい」

 

「ただし、黒蘭様」

 

「何だ」

 

「私が必要だと証明する機会は、後ほどいただきます」

 

黒蘭は頷く。

 

「分かった」

 

ガレスは鼻で笑った。

 

「自己主張の激しい飾りだ」

 

その瞬間、百合が半歩沈んだ。

 

黒蘭が言う。

 

「百合」

 

「はい」

 

「まだだ」

 

「承知しました」

 

まだ。

 

その一言に、近くで見ていたマルコが口笛を吹きかけ、やめた。

 

冗談ではない。

 

黒蘭が止めなければ、何かが起きていた。

 

ユーリックがガレスに近づく。

 

「やめておけ」

 

「何を」

 

「言葉が過ぎる」

 

「事実を言っただけだ」

 

「相手を測る前に侮るな」

 

ガレスは笑う。

 

「測るために戦うんだ」

 

ユーリックはそれ以上言わない。

 

だが、彼の表情には不安があった。

 

アルベルトはそのやり取りを見ていた。

 

薔薇から聞いた言葉が頭に残っている。

 

勝てる道ではなく、帰れる道を見る。

 

黒蘭がどう戦うのか。

 

ガレスが何を見落とすのか。

 

アルベルトは、以前より少しだけ分かる気がしていた。

 

レオンが手を上げる。

 

「始め」

 

訓練場が静まり返った。

 

------

 

ガレスは、最初から様子見をしなかった。

 

大剣を低く構え、息を吸う。

 

次の瞬間、訓練場に獣のような咆哮が響いた。

 

「ウルフハウルだ」

 

観客の一人が呟く。

 

ウォリアーの戦技。

 

自らの闘志を剥き出しにし、敵の動きを縛り、己の攻撃をさらに鋭くする咆哮。

 

魔物相手にも、人間相手にも効く。

 

弱い者なら、それだけで足が止まる。

 

だが黒蘭は止まらなかった。

 

ただ、聞いた。

 

「声で押す技か」

 

そう呟く。

 

椿の号令とは違う。

 

味方を立たせる声ではない。

 

敵を押し潰す声。

 

ガレスらしい技だった。

 

---

 

初撃。

 

ブレイク。

 

大剣が斜めに落ちる。

 

骨ごと砕くための一撃。

 

木剣ではない。

 

真剣であれば、当たれば終わる。

 

黒蘭は半歩ずれた。

 

大剣が石畳を叩く。

 

罅が走る。

 

歓声ではなく、息を呑む音が広がる。

 

「重いな」

 

薔薇が呟く。

 

「受けたら?」

 

椿が問う。

 

「普通なら腕が死ぬ」

 

薔薇は笑わない。

 

ガレスの力は本物だった。

 

---

 

ガレスは止まらない。

 

スラッシュ。

 

横薙ぎ。

 

低い軌道。

 

黒蘭の足を狙う。

 

黒蘭は刀で受けない。

 

刃の腹に軽く触れ、軌道をずらす。

 

大剣は空を切る。

 

返す刃。

 

黒蘭はそこにもいない。

 

観客の中で、若手が声を漏らす。

 

「速い」

 

「いや、黒い方が先に動いてる」

 

「どっちが?」

 

「分からん」

 

アルベルトは腕を組んだまま見ていた。

 

ガレスは速い。

 

強い。

 

だが、黒蘭は避けているのではない。

 

攻撃が来る場所に、もういない。

 

---

 

ガレスの剣技は荒くない。

 

むしろ、洗練されている。

 

大剣を扱うには、力だけでは足りない。

 

腰。

 

肩。

 

手首。

 

踏み込み。

 

呼吸。

 

それらが揃っていなければ、あの重さは速度にならない。

 

ガレスは才能だけの男ではない。

 

第二階層後半まで進んだ実績は本物だった。

 

「ブレイクからスラッシュへ繋いだ」

 

「大剣であの切り返しは難しいぞ」

 

「ガレス、やっぱり強いな」

 

観客の声は正しい。

 

ガレスは強い。

 

だからこそ、黒蘭の異常さが際立つ。

 

黒蘭は攻めない。

 

ただ見ている。

 

大剣の癖。

 

踏み込みの深さ。

 

視線。

 

怒りで力が上がる瞬間。

 

逆に、防御が薄くなる瞬間。

 

全部見ている。

 

---

 

十合。

 

十五合。

 

二十合。

 

ガレスの息がわずかに荒くなる。

 

黒蘭の呼吸は変わらない。

 

ガレスが距離を取る。

 

「なぜ攻めない」

 

黒蘭は答える。

 

「終わるからだ」

 

静寂。

 

その一言は、剣より鋭かった。

 

ガレスの顔が歪む。

 

「言ったな」

 

「ああ」

 

「なら、終わらせてみろ」

 

ガレスの魔力が揺れる。

 

オルフェが、観客側で小さく息を呑んだ。

 

「ブレイドレイヴを使う気か」

 

マルコが眉を上げる。

 

「模擬戦で?」

 

ユーリックが低く言う。

 

「ガレス」

 

だが声は届かない。

 

ガレスは大剣を構え直した。

 

複数の斬撃を叩き込むウォリアーの高位戦技。

 

ブレイドレイヴ。

 

大剣一本で連撃を作る技。

 

一撃が重いウォリアーにとって、習熟には時間がかかる。

 

使えること自体が、剣への深い熟練を示す。

 

周囲の冒険者達もざわついた。

 

「ブレイドレイヴだ」

 

「本気か」

 

「当たれば死ぬぞ」

 

レオンの目が鋭くなる。

 

「ガレス」

 

だが、ガレスは止まらない。

 

---

 

ブレイドレイヴ。

 

一撃目。

 

黒蘭の肩を狙う。

 

黒蘭は半歩前に出た。

 

後ろではない。

 

前。

 

大剣の最も強い位置を外し、根元に入る。

 

二撃目。

 

刃が返る。

 

黒蘭の左刀が大剣の腹を叩く。

 

軌道がずれる。

 

三撃目。

 

ガレスが力で戻す。

 

黒蘭は右刀の柄で手首を打つ。

 

四撃目。

 

出る前に止まる。

 

黒蘭の足が、ガレスの前足の位置を潰していた。

 

五撃目。

 

ガレスは無理に振ろうとする。

 

そこへ黒蘭が踏み込む。

 

一刀目。

 

大剣の腹。

 

二刀目。

 

手元。

 

三刀目。

 

肘。

 

四刀目。

 

足元。

 

ガレスの体勢が崩れる。

 

黒蘭の右刀が、喉元で止まった。

 

紙一枚。

 

勝負あり。

 

---

 

レオンが即座に声を上げる。

 

「そこまで」

 

訓練場は静まり返った。

 

誰もが見ていた。

 

ブレイドレイヴは破られた。

 

力で受け止められたのではない。

 

技の途中で、構造ごと解かれた。

 

ガレスは膝をついている。

 

大剣はまだ手にある。

 

だが振れない。

 

黒蘭は離れる。

 

「終わりだ」

 

ガレスの顔に、屈辱が浮かぶ。

 

自分は負けた。

 

しかも、相手は殺すつもりがなかった。

 

それが分かるだけの実力が、ガレスにはあった。

 

だから余計に苦しい。

 

ユーリックが一歩出る。

 

「ガレス、負けだ」

 

マルコも言う。

 

「十分だろ」

 

ゼナは黙っている。

 

オルフェは目を伏せた。

 

ガレスは立ち上がった。

 

大剣を握る手に力が入る。

 

「まだだ」

 

レオンの声が鋭くなる。

 

「勝負は終わった」

 

ガレスは聞いていなかった。

 

黒蘭は椿の方へ歩き出している。

 

その背中へ、ガレスが踏み込んだ。

 

大剣が上がる。

 

そこには先ほどまではなかった殺気が、確かに込められていた。

 

観客が息を呑む。

 

ユーリックが叫ぶ。

 

「ガレス!」

 

椿の目が見開かれる。

 

百合の気配が消える。

 

牡丹が動く。

 

薔薇が前へ出ようとする。

 

だが、誰よりも早かったのは黒蘭だった。

 

---

 

黒蘭は振り返った。

 

表情は変わらない。

 

ただ、目だけが違った。

 

模擬戦の目ではない。

 

戦場の目。

 

「ここからは試合ではない」

 

低い声。

 

次の瞬間、刀が走った。

 

ガレスの大剣が落ちる。

 

それと同時に、右腕も落ちた。

 

肘から先。

 

石畳に金属音と、鈍い音が重なる。

 

血が散る。

 

観客の一部が悲鳴を上げた。

 

だが、多くの冒険者は動かなかった。

 

彼らは分かっている。

 

背中を斬りに行った時点で、試合ではない。

 

そして、腕を落とされることは、死ぬよりずっと軽い。

 

もちろん、普通なら冒険者としては終わる。

 

利き腕を失えば、剣士は剣士でなくなる。

 

だが、ここは海都だ。

 

モンクの治療術。

 

薬師の再接合薬。

 

樹海素材から作られる再生促進剤。

 

目の前で処置できるなら、腕は戻る可能性がある。

 

完全ではなくとも、戦える程度には。

 

だから、冒険者達は黒蘭を「やりすぎ」とは見なかった。

 

むしろ。

 

首ではなく腕で止めた。

 

そう理解した者が多かった。

 

---

 

「ゼナ!」

 

ユーリックが叫ぶ。

 

「分かってる!」

 

ゼナが即座に治療術を発動する。

 

マルコが切断面を布で押さえる。

 

オルフェが落ちた腕を凍らせすぎない程度に冷却する。

 

ユーリックはガレスの身体を固定する。

 

銀狼の牙の動きは速かった。

 

混乱している。

 

だが、仲間を救う動きに迷いはない。

 

黒蘭はそれを見て、少しだけ目を細めた。

 

「良い仲間だ」

 

ガレスには届かない。

 

だが、ユーリックには聞こえた。

 

彼は黒蘭を見る。

 

怒りではない。

 

悔しさ。

 

そして、畏怖。

 

黒蘭は殺さなかった。

 

殺せたのに。

 

腕で済ませた。

 

---

 

百合が黒蘭の横に戻る。

 

短刀は抜かれていない。

 

だが、あと一瞬遅ければ抜いていた。

 

牡丹は止血用の布と薬を持っている。

 

薔薇は息を吐く。

 

「やったな」

 

黒蘭は答える。

 

「あれ以上は危険だった」

 

「分かってる」

 

薔薇はガレスを見る。

 

「背中を狙った時点で終わりだ」

 

椿は静かにガレスを見ていた。

 

怒りはある。

 

だが、それだけではない。

 

彼の仲間達が必死に腕を繋ごうとしている姿を見ていた。

 

仲間はいる。

 

声もある。

 

なのに聞いていない。

 

それが哀れでもあった。

 

---

 

レオンが歩いてくる。

 

顔は険しい。

 

「黒蘭」

 

「何だ」

 

「……腕で済ませたな」

 

「ああ」

 

レオンは深く息を吐く。

 

「記録する」

 

「勝負後の攻撃はガレスの違反」

 

「黒蘭の反撃は正当防衛」

 

元老院の役人が慌てて前に出る。

 

「待ちなさい!」

 

「Aランクの腕を落としたのですぞ!」

 

レオンが見る。

 

「だから何だ」

 

「ガレス殿は貴族会合にも貢献している冒険者です!」

 

「素材供給にも、外部調査にも、何度も協力している!」

 

その言葉で、周囲の何人かが顔を見合わせた。

 

素材供給。

 

外部調査。

 

協力。

 

綺麗な言葉だ。

 

だが、裏を知る者には違う意味にも聞こえる。

 

貴族の欲しい素材を優先して回す。

 

危険な依頼を、表に出さず処理する。

 

報酬と名誉を受け取り、貴族側も都合よく使う。

 

ガレスが貴族に好まれる理由が、その言葉に滲んでいた。

 

レオンの片目が鋭くなる。

 

「それと今の違反に何の関係がある」

 

役人は詰まる。

 

「しかし」

 

「背中から斬りかかったのは誰だ」

 

「……」

 

「Aランクなら、勝負後に背を斬ってもいいのか」

 

「貴族に素材を流していれば、違反は消えるのか」

 

役人は答えられない。

 

---

 

アルベルトが前へ出た。

 

「私は証言する」

 

レオンが見る。

 

アルベルトは続ける。

 

「勝負は黒蘭の勝ちだった」

 

「ガレスは審判の制止後に攻撃した」

 

「黒蘭の反撃は、命を奪わない範囲に抑えられていた」

 

セリアも言う。

 

「同じね」

 

「首が飛ばなかっただけ温情でしょ」

 

バルトが低く言った。

 

「獣でも分かる」

 

「負けた後に背を狙うのは、群れの掟を破る」

 

元老院の役人の顔が歪む。

 

しかし、Aランク三者が同じ証言をした。

 

覆せない。

 

---

 

その時、椿が一歩前へ出た。

 

ガレスの前ではない。

 

元老院の役人と、観客の前。

 

「一つ、訂正を求めます」

 

役人が戸惑う。

 

「何を」

 

椿は静かに言った。

 

「先ほど、私は姫と呼ばれました」

 

「それ自体は構いません」

 

「私は今は亡き黒華の王族です」

 

周囲がざわめく。

 

黒華。

 

伝承レベルでしか聞いたことのない、遠い東方の国。

 

その名を、椿がこの場ではっきり口にした。

 

「ですが、私の声を飾りとして扱うことは許しません」

 

「私の号令で立った兵がいます」

 

「私の声で退いた兵がいます」

 

「私の声で死地へ向かった兵もいます」

 

「それを飾りと呼ぶなら、その者は指揮というものを知らない」

 

訓練場は静かだった。

 

黒蘭は何も言わない。

 

椿自身の言葉だからだ。

 

ガレスは治療を受けながら、苦しげに顔を上げる。

 

椿は彼を見る。

 

「ガレス殿」

 

「あなたは強い」

 

「ですが、仲間の声を軽んじるなら、いつか仲間を失います」

 

その言葉は、黒蘭の刃より深く刺さったかもしれない。

 

ユーリックが目を伏せた。

 

マルコは笑わない。

 

ゼナは治療を続ける。

 

オルフェは黙っていた。

 

---

 

黒蘭は椿の横に立った。

 

「終わりだ」

 

レオンが頷く。

 

「今日の確認は終了」

 

「記録はギルドが預かる」

 

役人が何か言おうとしたが、レオンは遮った。

 

「文句があるなら、まずあんたらがガレスの違反を裁け」

 

それ以上、役人は言えなかった。

 

---

 

その日の夕方。

 

ギルド掲示板に正式な札は掛けられなかった。

 

だが噂は札より速い。

 

銀狼の牙のガレスが、黒蘭に敗れた。

 

勝負後に背を狙い、右腕を落とされた。

 

黒華の姫が、指揮官として言葉を返した。

 

ロイヤルガード、月下猟姫、獣王爪牙が黒蘭側の証言をした。

 

話は、海都中へ広がった。

 

ただのざわめきではない。

 

評価が変わる音だった。

 

黒蘭一行は強い。

 

それはもう分かっていた。

 

だが、この日、冒険者達は別のことを理解した。

 

彼らは軽く扱える相手ではない。

 

侮れば斬られる。

 

規則の名で縛ろうとしても、筋が通らなければ斬り返される。

 

そして彼の行動を、我らの居場所を守る高位冒険者達が支持している。

 

そして、黒華五刀は黒蘭一人ではない。

 

椿の声。

 

薔薇の守り。

 

牡丹の兵站。

 

百合の殺気。

 

その全てが、黒の刃だった。

 

---

 

夜。

 

宿で、黒華五刀は静かに食事を取っていた。

 

薔薇が言う。

 

「今日は派手だったな」

 

黒蘭は答える。

 

「必要だった」

 

「腕を落とすのが?」

 

「背を斬りに来た」

 

「まあな」

 

牡丹は茶を置く。

 

「処置が早かったので、腕は戻るでしょう」

 

薔薇が苦笑する。

 

「牡丹、そこ冷静すぎるぞ」

 

「冒険者として戻れるならよいことです」

 

百合は短く言った。

 

「次は首でよいかと」

 

「もっと冷静じゃないのがいた」

 

椿は黙っていた。

 

黒蘭が見る。

 

「椿」

 

「はい」

 

「よく言った」

 

椿の目が少し揺れる。

 

「……ありがとうございます」

 

薔薇がにやりと笑う。

 

「黒蘭が褒めたぞ」

 

椿の耳がわずかに赤くなる。

 

「薔薇」

 

「言ってない言ってない」

 

牡丹は柔らかく微笑む。

 

百合は窓の外を見ていた。

 

そこには海都の灯りがある。

 

その灯りの奥で、今日の出来事は広がり続けている。

 

黒華五刀の名は、また一つ重くなった。

 

そして同時に、敵も増える。

 

名声は盾ではない。

 

時に、矢を呼ぶ旗になる。

 

黒蘭はそれを知っていた。

 

だから、彼は食事を終えるとすぐに地図を広げた。

 

第二階層。

 

まだ半ば。

 

二十六階以降は空白が多い。

 

「次は迷宮だ」

 

薔薇が呆れたように笑う。

 

「今日の後でそれか」

 

「人間相手は面倒だ」

 

黒蘭は淡々と言った。

 

「魔物の方が分かりやすい」

 

椿は筆を取る。

 

牡丹は補給表を開く。

 

百合は窓辺に立つ。

 

薔薇は肩を回す。

 

黒華五刀は、何事もなかったように次の準備を始めた。

 

勝った。

 

名を上げた。

 

敵を退けた。

 

それでも彼らは浮かれない。

 

なぜなら、目的はAランクでも、貴族の後援でも、銀狼の牙でもない。

 

世界樹の奥。

 

失われた国を取り戻す手がかり。

 

そのために、彼らはまだ進む。

 

第十一話 了

 

 

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