亡国の黒将と世界樹の迷宮   作:清海深々

15 / 24
第十五刀 蒼華の剣

 

第一階層七階。

 

リッド達は、ムロツミのアガタとカナエに同行していた。

 

リッド。

 

ファラ。

 

セレネ。

 

カイル。

 

四人になったリッド達の歩き方は、以前よりは安定している。

 

ただし、安定しているだけであって、落ち着いているわけではない。

 

「右、蛙」

 

カイルが軽く言う。

 

腰にはサーベル。

 

背には小型銃。

 

昨日、正式にリッド達へ加わったパイレーツだ。

 

チャラチャラしている。

 

口も軽い。

 

だが、目はよく動く。

 

船の上で鍛えた感覚なのか、水音や葉擦れへの反応は早かった。

 

「見えないけど」

 

リッドが剣を構える。

 

「見えてからじゃ遅いんだって」

 

カイルは笑う。

 

「海でも迷宮でも、先に気付いた方が勝つ」

 

茂みが揺れた。

 

トノサマガエルが飛び出す。

 

リッドは踏み込んだ。

 

「よし、来い!」

 

「リッド!」

 

ファラが叫ぶ。

 

リッドは前に出すぎた。

 

蛙の跳躍を剣で受けようとする。

 

だが、横から細い影が走った。

 

アガタだった。

 

短剣。

 

いや、短刀に近い刃。

 

彼はリッドより先に蛙の横へ入り、軽く足を切った。

 

深くはない。

 

だが、跳躍の軸がずれる。

 

蛙はリッドの正面ではなく、少し右へ落ちた。

 

「今だ!」

 

アガタが笑う。

 

「え、あ、今!?」

 

リッドは慌てて剣を振る。

 

ファラの拳が追い、セレネの星術が落ちた。

 

蛙は地面に転がり、動かなくなった。

 

リッドは息を吐く。

 

「助かった」

 

アガタは胸を張る。

 

「だろ?」

 

「俺、強いからな」

 

カナエが小さく言う。

 

「アガタ、前に出すぎ」

 

「大丈夫だって」

 

「大丈夫じゃない時も、そう言う」

 

カナエはゾディアックだった。

 

細い杖を握り、いつも少し不安そうに周囲を見ている。

 

冷静というより、怖がり。

 

けれど、怖がっているからこそ、よく見ていた。

 

足元。

 

水音。

 

魔物の影。

 

仲間の位置。

 

彼女の注意は、臆病さから来るものだった。

 

アガタはそんなカナエを見て、明るく笑う。

 

「カナエは心配しすぎなんだよ」

 

「心配する」

 

「俺がいるだろ」

 

「それが一番心配」

 

カイルが吹き出した。

 

「いいコンビだな」

 

アガタはカイルを見る。

 

「だろ?」

 

カナエは小さく首を振った。

 

リッドは二人を見て、少し羨ましくなった。

 

兄弟のようだった。

 

言い合って、止めて、また進む。

 

アガタは自分より少し年上に見える。

 

けれど、黒蘭のように遠い大人ではない。

 

リッドに近い。

 

そして、少し先を走っている。

 

そんな感じがした。

 

---

 

「お前、リッドだっけ」

 

アガタが歩きながら言う。

 

「そう」

 

「黒華五刀の黒蘭に憧れてるって聞いたぞ」

 

リッドはむせた。

 

「誰からだよ」

 

「酒場」

 

「誰だよ言ったの」

 

ファラが横を見る。

 

「顔に出てるからじゃない?」

 

セレネが短く言う。

 

「常時」

 

「そんなに?」

 

カイルが頷く。

 

「わりと」

 

リッドは耳を赤くした。

 

アガタは笑う。

 

「いいじゃん」

 

「強い奴に憧れるのは悪くない」

 

リッドは少しほっとする。

 

だがアガタは続けた。

 

「でも、追いつくなら名前も要るよな」

 

「名前?」

 

「ギルド名だよ」

 

カイルが待ってましたとばかりに口を挟む。

 

「そこなんだよなあ」

 

「俺は青帆の灯を推してたんだけど」

 

ファラが眉を寄せる。

 

「勝手に推してただけでしょ」

 

「いい名前だろ?」

 

セレネが言う。

 

「悪くない。でも軽い」

 

「おっと、意外と厳しい」

 

アガタは黒華五刀の札を思い出すように、指を鳴らした。

 

「黒華五刀に並びたいなら、もっと剣っぽくていいんじゃないか」

 

リッドは目を上げる。

 

「剣か」

 

ファラが言う。

 

「リッドは剣だしね」

 

セレネが短く言う。

 

「単純」

 

「悪かったな」

 

カナエは少し迷ってから、静かに言った。

 

「黒華に並ぶなら、黒ではなく、別の色の華」

 

リッドはカナエを見る。

 

「別の色?」

 

「黒華は重い名前」

 

「あなた達はまだ若い」

 

「だから……蒼」

 

カイルが口角を上げる。

 

「蒼華の剣」

 

その場が少し静かになった。

 

蒼華の剣。

 

青い花。

 

若い剣。

 

黒華五刀に憧れ、いつか並ぼうとする者達の名。

 

リッドはその響きを何度か胸の中で転がした。

 

「蒼華の剣……」

 

ファラが頷く。

 

「いいと思う」

 

セレネも言う。

 

「悪くない。覚えやすい」

 

カイルは得意げに笑う。

 

「俺が言った」

 

「元はカナエ」

 

セレネが即座に刺す。

 

「細かいなあ」

 

アガタはリッドの肩を叩いた。

 

「いいじゃん、蒼華の剣」

 

「黒華五刀に並ぶなら、それくらい言っとけ」

 

リッドは少し照れながらも、笑った。

 

「じゃあ、それにしよう」

 

蒼華の剣。

 

その名が、後に黒蘭へ小さな記憶を呼び起こすことになる。

 

黒華にいた頃。

 

黒い彼岸花に似た国花が咲く野で、黒号持ちへ憧れて木刀を振っていた子供達がいた。

 

自分達もいつか黒の刃のように。

 

そう叫んでいた少年達がいた。

 

蒼華の剣という名は、どこかその眩しさに似ていた。

 

だが、この時のリッドはまだ知らない。

 

黒蘭がその名を聞いた時、ほんの一瞬だけ遠い故国を見ることを。

 

---

 

七階の奥へ進むにつれ、空気が湿ってきた。

 

第一階層の森はまだ浅い。

 

しかし、七階ともなれば、入口付近とは違う。

 

木々は太くなり、根は絡み、魔物は小さな隙を狙う。

 

アガタは軽い足取りで前へ出る。

 

「こっちだ」

 

カナエがすぐ言う。

 

「待って」

 

「大丈夫だって」

 

「大丈夫じゃない」

 

アガタは振り返る。

 

「カナエはほんと怖がりだな」

 

カナエの顔が少し曇った。

 

「怖いのは、悪いことじゃない」

 

その声に、いつもの弱さとは違う硬さがあった。

 

アガタは一瞬だけ黙る。

 

「……悪かった」

 

リッドは二人を見る。

 

何かある。

 

そう思ったが、聞けなかった。

 

ファラも同じように感じたのか、黙っていた。

 

カイルだけが、少しだけ視線を落とした。

 

---

 

帰路に入る少し前。

 

金属音が聞こえた。

 

小さく、硬い音。

 

剣戟ではない。

 

鎧でもない。

 

木の根に、金属の爪が触れたような音。

 

リッドはすぐ顔を上げる。

 

「まただ」

 

ファラが袖を掴む。

 

「またって、昨日の?」

 

「うん」

 

セレネが周囲を見る。

 

「同じ方向」

 

カイルが銃に手をかける。

 

「今度は近いな」

 

アガタは目を輝かせた。

 

「行こうぜ」

 

カナエがすぐ首を振る。

 

「だめ」

 

「何でだよ」

 

「目的外」

 

「でも、誰かいるかもしれない」

 

「罠かもしれない」

 

「罠なら見破ればいい」

 

「アガタ!」

 

カナエの声が少し震えた。

 

アガタは驚いたように彼女を見る。

 

カナエは自分でも声を荒げたことに驚いたのか、唇を噛む。

 

「……ごめん」

 

リッドは迷った。

 

昨日は追わなかった。

 

今日も追わないのが正しいのかもしれない。

 

でも、同じ音が二日続けて聞こえた。

 

もし誰かが倒れているなら。

 

もし助けを求めているなら。

 

置いていけない。

 

リッドは言った。

 

「少しだけ見る」

 

ファラが鋭く見る。

 

「リッド」

 

「分かってる」

 

「少しだけ」

 

「危なかったら戻る」

 

カイルが苦笑する。

 

「その約束、守れる?」

 

リッドは胸を張った。

 

「守る」

 

セレネが短く言う。

 

「怪しい」

 

アガタは笑った。

 

「俺が見てやるよ」

 

カナエは不安そうに杖を握る。

 

「本当に、少しだけ」

 

リッドは頷いた。

 

「うん」

 

無鉄砲さは、まだ消えていない。

 

けれど、以前と違うのは、止める声を聞こうとしていることだった。

 

完全ではない。

 

それでも、少しだけ変わっていた。

 

---

 

茂みの奥には、細い脇道があった。

 

地図にはない。

 

いや、正確には道ではない。

 

獣が通った跡。

 

根が折れ、枝が押し広げられ、何かが無理に通った痕跡。

 

アガタがしゃがむ。

 

「新しいな」

 

カナエが不安げに周囲を見る。

 

「戻ろう」

 

「まだ見てないだろ」

 

「見てからじゃ遅いこともある」

 

リッドは泥の上を見た。

 

足跡がある。

 

人の足に似ている。

 

だが、重さが違う。

 

踵が深く沈まず、つま先の跡も曖昧。

 

そして、その横に金属が擦れた線がある。

 

ファラが小さく言う。

 

「何、これ」

 

誰も答えられなかった。

 

アガタは短剣を抜く。

 

「俺が先に見る」

 

カナエが止める。

 

「アガタ」

 

「大丈夫」

 

「またそれ」

 

アガタは笑った。

 

「俺、強いから」

 

その言葉は明るい。

 

けれど、カナエの顔は明るくならなかった。

 

---

 

脇道の奥。

 

倒れた根の下に、それはいた。

 

少女だった。

 

少なくとも、遠目にはそう見えた。

 

薄い銀色の髪。

 

白い肌。

 

細い腕。

 

年は、リッド達と同じか、少し下に見える。

 

だが、人ではなかった。

 

左腕の皮膚が裂け、内側に金属の骨組みが見えている。

 

肩のあたりから、青白い光がかすかに漏れている。

 

胸元には古い傷。

 

脚には泥と根が絡み、動けない。

 

少女は顔を上げた。

 

瞳が、光った。

 

「……識別、不能」

 

声は小さい。

 

水底から響くような、かすれた声だった。

 

リッドは息を呑む。

 

ファラが後ずさる。

 

セレネは表情を変えないが、杖を握る指に力が入った。

 

カイルは銃を抜きかけ、止めた。

 

アガタが口笛を吹きかけ、途中でやめる。

 

「何だ、あれ」

 

カナエは青ざめていた。

 

「人……じゃない」

 

少女はもう一度口を開いた。

 

「現在地……不明」

 

「帰投路……消失」

 

「命令……」

 

そこで声が途切れる。

 

少女の身体が小さく震えた。

 

リッドは一歩踏み出した。

 

ファラが腕を掴む。

 

「リッド」

 

「でも」

 

「分からない相手よ」

 

「分かってる」

 

それでも、リッドは少女から目を離せなかった。

 

魔物には見えない。

 

人にも見えない。

 

だが、助けを求めているように見えた。

 

---

 

「罠かもしれない」

 

カイルが言う。

 

セレネが頷く。

 

「可能性あり」

 

アガタは短剣を構えた。

 

「罠なら俺が切る」

 

カナエが震える声で言う。

 

「切って済むものばかりじゃない」

 

アガタは少し困った顔をした。

 

「カナエ」

 

「嫌な感じがする」

 

「この場所、嫌」

 

「戻ろう」

 

その声には、理由のない怯えがあった。

 

いや、本人にも理由が分からない怯えだった。

 

カナエは、何かを恐れている。

 

しかし、それが何なのか自分でも分かっていない。

 

ただ身体だけが先に震える。

 

アガタは理由を知らない。

 

ただ、カナエが本気で怯えていることだけは分かった。

 

だから、彼は少し声を柔らかくした。

 

「じゃあ、助けたらすぐ戻る」

 

「アガタ」

 

「置いていけないだろ」

 

カナエは何も言えなかった。

 

リッドはアガタを見る。

 

この人も、自分と似ている。

 

そう思った。

 

怖いと言われても、危ないと言われても、困っている誰かを置いていけない。

 

リッドはその無鉄砲さを、少し眩しく感じた。

 

そして、自分も同じだと思った。

 

---

 

少女の脚には蔓が絡んでいた。

 

棘を持つ蔓。

 

人食いサンゴの幼体に似ている。

 

ファラが治療袋を開く。

 

「先に蔓を外さないと」

 

セレネが杖を構える。

 

「氷で止める」

 

カイルが周囲の音を聞く。

 

「急げよ。何か来るかもしれない」

 

アガタが前に出る。

 

「俺が切る」

 

カナエが震えながら言う。

 

「切る位置を間違えると、締まる」

 

「じゃあ教えてくれ」

 

「え?」

 

「カナエが見て。俺が切る」

 

カナエは戸惑った。

 

それでも、杖を握り直す。

 

「……左の細い蔓から」

 

「分かった」

 

アガタの短剣が走る。

 

速い。

 

雑に見えて、手元は正確だった。

 

カナエの指示に合わせ、蔓を一本ずつ切る。

 

ファラが棘を避けて少女の脚を支える。

 

セレネの氷が蔓の動きを鈍らせる。

 

リッドは少女の正面に立った。

 

少女の瞳がリッドを見る。

 

「敵性……未確定」

 

「対象……生体」

 

「保護……不要」

 

リッドは言った。

 

「助ける」

 

少女は瞬きをした。

 

「命令外」

 

「命令とか知らない」

 

「危ないなら助ける」

 

ファラが横から言う。

 

「リッド、あんまり変なこと言って刺激しないで」

 

「ごめん」

 

少女はリッドの言葉を理解したのか、していないのか。

 

ただ、目の光がわずかに弱くなった。

 

蔓が外れる。

 

アガタが得意げに笑った。

 

「よし、俺すごい」

 

カナエが小さく息を吐く。

 

「今回は」

 

「今回はって何だよ」

 

その瞬間、少女の身体が傾いた。

 

リッドが支える。

 

軽い。

 

いや、重い。

 

見た目よりずっと重い。

 

金属の重さがある。

 

リッドは歯を食いしばった。

 

「大丈夫か」

 

少女は答えない。

 

ただ、リッドの服を弱く掴んだ。

 

その指は冷たかった。

 

---

 

「連れて帰るのか?」

 

アガタが聞いた。

 

リッドは少女を支えたまま、迷った。

 

ギルドに報告するべきだ。

 

普通ならそうする。

 

でも、この少女をそのまま連れて行けばどうなる。

 

元老院。

 

研究者。

 

好奇の目。

 

少女は、人ではない。

 

だから、人として扱われる保証がない。

 

リッドはまだ世界を知らない。

 

だが、それくらいは分かった。

 

カイルが小さく言う。

 

「表へ出すと、面倒になるぞ」

 

セレネも頷く。

 

「確実に」

 

ファラは少女の腕を見る。

 

「でも、治療しないと」

 

カナエが不安そうに言った。

 

「まずは安全な場所へ」

 

アガタが胸を張る。

 

「ムロツミの仮宿なら、一晩くらい隠せる」

 

カナエが驚く。

 

「アガタ」

 

「大丈夫だって」

 

「それ、信用できない言葉」

 

「ひどいな」

 

リッドは二人を見る。

 

「いいのか」

 

アガタは笑った。

 

「困ってる奴を置いていけないだろ」

 

「それに、俺も気になる」

 

カナエは不安そうに周囲を見ながらも、否定しなかった。

 

リッドは少女を背負った。

 

重い。

 

だが、置いていく気にはなれなかった。

 

少女はリッドの背で、かすかに呟いた。

 

「イ……リ……」

 

リッドが聞き返す。

 

「名前?」

 

少女の瞳が一瞬だけ光る。

 

「識別名……イリス」

 

それきり、少女は動かなくなった。

 

リッドは小さく言った。

 

「イリス」

 

その名が、彼の中に残った。

 

---

 

その日の夕方。

 

リッド達の札は、少しだけ更新された。

 

蒼華の剣

第一階層七階到達

ムロツミと合同探索

負傷者なし

 

カイルが札を見て満足げに頷いた。

 

「いいねえ、蒼華の剣」

 

ファラが言う。

 

「まだ正式に決めたばっかりだけど」

 

「名前なんて名乗ったもん勝ちだって」

 

セレネが短く言う。

 

「悪くない」

 

リッドは札を見ていた。

 

リッド一行ではなく、蒼華の剣。

 

自分達の名前。

 

小さな名前だ。

 

黒華五刀とは比べものにならない。

 

それでも、自分達の足で進むための名前だった。

 

その背後で、アガタが得意げに笑い、カナエが不安そうに周囲を見ていた。

 

そして、ギルドの表には出ていないもう一つの出来事。

 

壊れかけた少女、イリス。

 

その存在が、リッド達の進む道を少しずつ変え始めていた。

 

----

 

夜のムロツミ仮宿は、静かではなかった。

 

「いやいやいや、これ隠せるか?」

 

カイルが小声で叫ぶ。

 

小声なのに、十分うるさい。

 

「どう見ても人じゃないぞ」

 

「声が大きい」

 

セレネが言う。

 

「小声だろ」

 

「小声の形をした大声」

 

「器用な指摘だな」

 

ファラは寝台の横で、イリスの腕を見ていた。

 

裂けた皮膚の下に、金属の骨組みがある。

 

血は少ない。

 

代わりに、青白い光が弱く漏れている。

 

傷口というより、壊れた機械の継ぎ目に見えた。

 

「治療術、効いてるのかな」

 

ファラが不安そうに言う。

 

セレネは首を振る。

 

「半分くらい」

 

「半分?」

 

「生体反応と魔力回路が混在」

 

「つまり?」

 

カイルが聞く。

 

「分からない」

 

「分からないって言うために難しいこと言ったのか?」

 

「正確に分からない」

 

「もっと分からないな」

 

リッドはイリスの横に座っていた。

 

イリスは眠っている。

 

眠っている、という表現でいいのかは分からない。

 

胸元の光が、ゆっくり明滅している。

 

リッドはその光を見ていた。

 

命なのか。

 

魔力なのか。

 

火なのか。

 

何も分からない。

 

でも、消えたらいけないものだということだけは分かった。

 

---

 

アガタは窓際に立ち、外を見ている。

 

短剣を指で回していた。

 

危ない回し方だった。

 

カナエが小さく言う。

 

「アガタ、刃をしまって」

 

「大丈夫」

 

「危ない」

 

「俺、上手いから」

 

「そういう問題じゃない」

 

アガタは笑って短剣をしまった。

 

「はいはい」

 

カナエは落ち着かない様子で、杖を抱えている。

 

視線が何度もイリスへ向かい、それから窓へ向かう。

 

怖がっている。

 

けれど、逃げようとはしていない。

 

リッドは言った。

 

「カナエ、大丈夫か」

 

カナエはびくりとする。

 

「大丈夫」

 

アガタが振り返る。

 

「大丈夫じゃない時の言い方だな」

 

「アガタに言われたくない」

 

「俺はいつでも大丈夫」

 

「それも大丈夫じゃない人の言い方」

 

リッドは少し笑った。

 

アガタとカナエのやり取りは、緊張した部屋を少しだけ軽くする。

 

兄と妹。

 

あるいは、無茶な弟と心配性の姉。

 

そんな感じだった。

 

---

 

イリスが目を開けた。

 

青白い瞳が、天井を見つめる。

 

「現在地……不明」

 

リッドが身を乗り出す。

 

「ここは海都だ」

 

「海……都」

 

イリスの瞳が一瞬だけ揺れる。

 

「登録情報……欠損」

 

「深……」

 

セレネが反応する。

 

「深?」

 

イリスは続けようとして、声が乱れた。

 

「命令系統……断絶」

 

「帰投……不能」

 

「敵性……不明」

 

ファラが優しく言う。

 

「大丈夫。今は敵はいないよ」

 

イリスはファラを見る。

 

「敵性……なし?」

 

「うん」

 

「治療……行為?」

 

「そう。治療」

 

「理解……不能」

 

ファラは少し困った顔をした。

 

「理解できなくてもいいよ」

 

「痛いなら、痛いって言って」

 

イリスはしばらく黙る。

 

そして、小さく言った。

 

「痛覚……不安定」

 

「痛いのか?」

 

リッドが聞く。

 

イリスはリッドを見る。

 

「痛い、とは」

 

リッドは言葉に詰まった。

 

痛いとは何か。

 

そんなことを聞かれるとは思っていなかった。

 

カイルが頭を掻く。

 

「こりゃ、思ったより難しいな」

 

アガタが明るく言う。

 

「でも助けたんだ。何とかなるだろ」

 

カナエが小さく震えた。

 

「何とかならないこともある」

 

部屋が少し静かになる。

 

アガタは、しまったという顔をした。

 

「カナエ」

 

「ごめん」

 

カナエは俯く。

 

「でも、嫌な感じがする」

 

「この子が嫌なんじゃなくて」

 

「何か、近くにあるみたいで」

 

リッドはカナエを見た。

 

「近く?」

 

カナエは首を振る。

 

「分からない」

 

「でも、怖い」

 

理由は分からない。

 

言葉にもできない。

 

それでも、カナエの指は震えていた。

 

アガタが明るく言おうとして、やめた。

 

今のカナエに、大丈夫だと言っても届かない。

 

それくらいは、彼にも分かった。

 

---

 

イリスが小さく呟いた。

 

「恐怖……行動制御因子」

 

セレネが見た。

 

「何か分かるの?」

 

イリスは答えない。

 

ただ、リッドの方へ視線を向けた。

 

「対象リッド」

 

「無謀傾向」

 

リッドは固まった。

 

カイルが吹き出す。

 

ファラが笑いを堪える。

 

セレネが頷く。

 

「正確」

 

「初対面で言う?」

 

リッドが抗議する。

 

イリスは無表情に瞬きした。

 

「観測結果」

 

アガタが腹を抱えて笑った。

 

「いいな、この子」

 

「リッド、機械にも無謀って言われてるぞ」

 

「アガタだって無謀だろ」

 

「俺は強いからいいんだよ」

 

カナエが即座に言う。

 

「よくない」

 

部屋の空気が、少しだけ軽くなった。

 

---

 

その後、話し合いが続いた。

 

イリスをどうするか。

 

ギルドへ報告するか。

 

どこまで隠すか。

 

結論は、すぐには出なかった。

 

ただ、一つだけ決まった。

 

今夜はムロツミの仮宿で匿う。

 

明日、状態を見てから考える。

 

アガタは言った。

 

「俺達も手伝う」

 

カナエは不安そうだったが、頷いた。

 

「危ないと思ったら、すぐ相談して」

 

カイルが言う。

 

「相談先が必要だな」

 

ファラは少し考える。

 

「黒華五刀に……」

 

リッドは顔を上げた。

 

だが、すぐ首を振る。

 

「まだだ」

 

ファラが驚く。

 

「リッド?」

 

「黒蘭なら、正しいことを言うと思う」

 

「でも、それが俺達の答えになるとは限らない」

 

自分で言って、リッドは少し驚いた。

 

黒蘭に聞けばいい。

 

そう思うことは多い。

 

黒蘭ならどうするか。

 

黒蘭なら何を見るか。

 

でも、全部を黒蘭に預けてしまえば、自分の判断ではなくなる。

 

イリスを助けると決めたのは、自分だ。

 

なら、まず自分達で考えるべきだ。

 

セレネが小さく頷いた。

 

「微量どころではない成長」

 

リッドは少し照れた。

 

「今度は普通に褒めてる?」

 

「比較的」

 

「そこは断言しろよ」

 

カイルが笑う。

 

「蒼華の剣、初日から面倒な荷を拾ったな」

 

アガタが得意げに言う。

 

「いいじゃん。冒険って感じだ」

 

カナエは不安そうに呟く。

 

「冒険は、怖いもの」

 

リッドはイリスを見た。

 

「でも、進まないと分からない」

 

その言葉は、黒蘭のものではなかった。

 

リッド自身の言葉だった。

 

---

 

深夜。

 

リッドは一人、仮宿の外へ出た。

 

眠れなかった。

 

空には星が見える。

 

海都の夜風が、迷宮の湿気を少しだけ洗い流す。

 

背後から足音がした。

 

アガタだった。

 

「眠れないのか」

 

「うん」

 

「俺も」

 

アガタは隣に立つ。

 

「リッド、お前いい奴だな」

 

「急に何だよ」

 

「いや、さっき思った」

 

「イリスを背負った時、迷いはあったけど、置いていく気はなかっただろ」

 

リッドは黙る。

 

アガタは笑う。

 

「俺も同じだ」

 

「だから気に入った」

 

「弟みたいに?」

 

リッドが冗談で言うと、アガタはにやりとした。

 

「弟にしては生意気だな」

 

「そっちこそ兄にしては危なっかしい」

 

「言うようになったな」

 

二人は小さく笑った。

 

アガタは夜空を見る。

 

「俺はさ、強くなりたいんだ」

 

「黒華五刀みたいに?」

 

「いや、あそこまでは無理」

 

「でも、誰かを守れるくらいには」

 

リッドはアガタを見る。

 

アガタはいつものように笑っている。

 

けれど、その声は少しだけ真面目だった。

 

「カナエは怖がりだけど、すごいやつなんだ」

 

「俺よりよく見てる」

 

「だから、あいつが怖がるなら、本当は止まった方がいいんだろうな」

 

「でも俺は、先に行きたくなる」

 

リッドは小さく言った。

 

「分かる」

 

「だろ」

 

アガタは笑う。

 

「だから、俺達は止めてくれる奴を大事にしないとな」

 

リッドは頷いた。

 

この夜の会話を、リッドは後に何度も思い出すことになる。

 

止めてくれる者を大事にしろ。

 

先へ行きたい者ほど。

 

それは、アガタが残した最初の教えだった。

 

---

 

その頃、イリスは寝台の上で目を開けていた。

 

誰も気付かないほど静かに。

 

青白い瞳が、天井ではなく、どこか遠い場所を見ている。

 

「深都……」

 

小さな声。

 

「帰投……不可」

 

「新規対象……リッド」

 

「観測……継続」

 

胸元の光が、一度だけ強く灯った。

 

蒼華の剣。

 

小さなギルドの小さな名。

 

だが、その青い花は、黒華五刀とは別の道から、迷宮の奥に沈んだ都へ向かう細い道を照らし始めていた。

 

第十五話 了

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。