新人実地講習の翌朝。
牡丹は、宿の窓辺に座っていた。
机の上には一枚の紙片が置かれている。
昨日、冒険者ギルドで破棄された公文書の一部。
黒華五刀が新人教育へ協力した事実を、海都防衛義務の受諾実績へ書き換えようとした書類だった。
牡丹は灰色の瞳で紙を見つめる。
指先で厚みを測り、朝日に透かす。
薄い波状の透かし。
紙の端に残った朱印。
筆圧と、乾き方の違う二種類の墨。
扉が開く音はしなかった。
それでも牡丹は、百合が入ってきたことに気付いていた。
「まだ調べているのですか」
百合が机の横へ立つ。
細い目は閉じているように見える。
「はい」
「紙が好きでしたか」
「人よりは、嘘が少ないので」
牡丹は紙片を裏返した。
「元老院の紙ではありません」
「港湾管理局のものです」
「印は」
「本物です」
「では、役人が作った」
「役人だけでは、この印は使えません」
牡丹は朱印の残りを指先でなぞる。
「貸した者がいます」
百合は短刀の柄へ触れた。
「斬りますか」
「誰を?」
「印を貸した者を」
「誰か分かりません」
「調べてから斬ります」
「その前に、次の手を見ましょう」
百合がわずかに首を傾ける。
黒華にいた頃から、二人の役割は違っていた。
百合は敵の気配を見つける。
見つければ、最短で断つ。
牡丹は敵がどこから来たかを見る。
誰から命令され、何を受け取り、どこへ帰るのか。
百合が刃ならば、牡丹は網だった。
「次の手が来ると思いますか」
「一度失敗した程度で諦めるなら、最初から公文書を偽りません」
牡丹は紙片を畳んだ。
「次は、もう少し直接的です」
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その日の昼前。
冒険者ギルドから呼び出しが届いた。
レオンの執務室には、ガルドとダリオが待っていた。
机の上に新しい依頼書が置かれている。
十二階にある旧休息地の調査。
地図の更新。
非常用物資の設置。
三日前、若手冒険者の一組が十二階で道を失ったため、避難経路を再確認するという内容だった。
依頼主は港湾管理局。
資金提供者は、海都貴族のラウルス家。
牡丹は依頼書を手に取った。
昨日と同じ紙。
同じ透かし。
「断ってもいい」
レオンが言った。
「俺も信用していない」
黒蘭が依頼書を見る。
「なぜ俺達へ回した」
「名指しだ」
レオンは椅子の背へ身体を預けた。
「昨日の新人講習で、黒華五刀の評判がさらに上がった」
「黒華五刀と大地の記録者が調査すれば、若手も安心して十二階へ入れる。表向きはそういう話だ」
薔薇が依頼書を覗く。
「裏向きは?」
「善意だけで金を出す家ではない」
椿が尋ねた。
「ラウルス家は、検査税にも関係しているのですか」
「直接の証拠はない」
「関係はある?」
薔薇が続けて問う。
「あると見ている」
百合が言った。
「ならば斬っても問題ありません」
ダリオが咳き込んだ。
レオンは百合を睨む。
「問題しかない」
「証拠があれば?」
「斬る以外の方法を考えろ」
「検討します」
百合の返答からは、検討する意思がほとんど感じられなかった。
黒蘭は依頼書を取る。
「受ける」
レオンの眉が動く。
「罠でもか」
「罠だからだ」
「わざわざ踏みに行くのか」
「踏まない」
黒蘭は答えた。
「仕掛けた者を見る」
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同行するのは、ガルドとダリオ。
さらに、昨日の新人講習に参加した三人が希望者として加わった。
槍を一本に減らした少女、エナ。
大斧を背負うボリス。
そして、FOEを前に列を離れた少年、ティム。
ティムは百合を見ると、先に口を開いた。
「怖いです」
「歩けますか」
「はい」
「なら、問題ありません」
百合の短い答えに、ティムは頷いた。
昨日よりも杖を握る手が安定している。
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出発前。
港湾管理局が用意した物資が運び込まれた。
水袋。
保存食。
止血布。
簡易解毒剤。
照明油。
休息地へ設置する木箱。
役人が封印を示す。
「全て当局の検査を通しています」
牡丹は答えず、水袋を一つ持ち上げた。
振る。
耳を近づける。
栓を外さず、次の袋を取る。
十二袋を調べ、四袋だけを右へ分けた。
「黒牡丹殿」
役人が不快そうに呼ぶ。
外部の者が使う時は、黒号を含む呼び方になる。
「何か問題でも?」
「検査済みなのでしょう」
牡丹が尋ねる。
「当然です」
「では、この四袋も設置先まで運びます」
役人は満足そうに頷いた。
その背中が見えなくなると、薔薇が右の袋を指した。
「何が入っている」
「まだ分かりません」
「毒か」
「即効性の毒ではありません」
牡丹は針先に水を一滴取り、紙へ落とす。
乾いた跡に白い輪が残った。
「睡眠を誘うか、筋力を落とす薬でしょう」
椿が水袋を見る。
「四袋だけ?」
「私達が休息地へ設置する分です」
「設置後に誰かが飲むことを狙ったのではなく、私達が途中で使用することを想定していた可能性もあります」
黒蘭が問う。
「持っていくか」
「はい」
牡丹は薬入りの水を別の密閉容器へ移した。
水袋には通常の水を詰め直す。
さらに栓の内側へ、紫色の微粉を薄く塗った。
百合が見ている。
「印ですか」
「触れた者の爪に残ります」
「洗えば」
「一日は残ります」
百合の口元が、ほんの僅かに動く。
「便利ですね」
「百合にも塗りましょうか」
「必要ありません」
「残念です」
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一行は十階磁軸を使用した。
青白い光が消える。
第一階層の奥。
入口付近よりも空気は湿り、根は太く、魔物の鳴き声も近い。
依頼書に添付された地図には、十二階旧休息地までの推奨経路が描かれていた。
ガルドは一目見るなり顔をしかめた。
「古い」
「どの程度だ」
黒蘭が問う。
「三年前」
ガルドは地図の一点を指す。
「この道は去年の根崩れで塞がった」
「代替路は提出した」
ダリオが言う。
「役所が更新していないだけでは」
「あり得る」
ガルドは答えた。
「だが、更新年月が消されている」
牡丹も余白を確認する。
地図には作成者番号だけが残され、年月の部分だけが擦られていた。
古い地図だと気付かれないようにしている。
百合が森へ顔を向けた。
「二人」
ダリオの手が盾へ伸びる。
エナ達も武器を構えようとする。
黒蘭が止めた。
「抜くな」
エナが声を抑える。
「どこにいるんですか」
百合は答えない。
代わりに、指の間へ針を挟んだ。
「敵意はありません」
一拍置く。
「今は」
黒蘭は古い地図を畳んだ。
「指定された道を行く」
ガルドが振り返る。
「塞がっているぞ」
「塞がった場所まで行く」
「尾行されているのに?」
「だから行く」
椿は新人三人へ向き直った。
「危険が増した時点で、あなた方は引き返します」
エナが反論しかける。
椿は穏やかに続けた。
「勇気と、任務を混同しないでください」
「あなた方の役目は、私達と同じ場所へ行くことではありません」
「自力で帰れる場所を知ることです」
黒蘭も言った。
「行ける距離と、帰れる距離は違う」
三人は頷いた。
誰かが見ている。
黒華五刀が古い地図を信じ、失敗するのを待っている。
黒蘭達は、それを承知で歩き始めた。
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古い地図は、途中まで正しかった。
根の形。
浅い水場。
三本に分かれた大樹。
全て、ガルドの記憶と一致している。
だからこそ危険だった。
最初から全てが誤っていれば、誰でも疑う。
最後の一つだけが違う地図は、人を奥まで運んでから殺す。
牡丹は歩きながら、小さな木片を一定の間隔で落としていた。
新人達には帰路の目印に見える。
だが木片には、人間にはほとんど分からない香が染み込ませてあった。
背後で、落としたはずの香が動く。
「三つ拾われました」
牡丹が小さく言う。
「同じ者か」
黒蘭が問う。
「二人です」
百合の声が前方の木上から降る。
「一人は左利き」
「もう一人は、右脚を引きずっています」
ダリオが振り返った。
「姿も見えていないのに?」
「枝の戻り方が違います」
それ以上の説明はなかった。
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十一階南側。
地図に描かれていた橋は、中央から崩れていた。
古い根を束ねた足場が、泥沼へ半ば沈んでいる。
牡丹が長い枝を差し入れる。
途中から抵抗がなくなり、枝はそのまま泥へ吸い込まれた。
「底が柔らかいです」
「人が落ちれば、自力では上がれません」
エナが地図を見る。
「この道しか書かれていません」
「だから古い地図は危険なんだ」
ガルドが言った。
ボリスが周囲を見回す。
「迂回は?」
椿は右手の斜面を見る。
「風が通っています」
葉が一方向へ揺れている。
閉じた崖ではない。
その先に道がある。
ただし足場は細く、重装備の者や新人を連れて進むには危険だった。
黒蘭が決める。
「新人は戻れ」
エナが唇を噛む。
今度は反論しなかった。
「ダリオが十階磁軸まで送る」
ダリオが頷く。
「ガルドは残る」
「俺は戦えんぞ」
「地図を読む者が必要だ」
薔薇が笑う。
「私が守る」
ガルドは嫌そうな顔をした。
「守り方が荒い」
「死なないならいいだろ」
「よくない」
黒蘭は新人三人を見る。
「帰ったら、ここまでに見たものを書け」
ティムが尋ねる。
「橋が落ちていたことを?」
「泥の深さ」
「斜面の風」
「尾行」
「全部だ」
「尾行も地図に書くんですか」
「見たものを残せ」
黒蘭は答えた。
「地図は道だけではない」
三人は、ダリオとともに来た道を戻っていく。
百合が木の上から見送る。
「一人、追いました」
「どちらだ」
「右脚を引きずる方」
「任せる」
返事はない。
百合の姿も消えていた。
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斜面を越えた先には、古い石造りの通路があった。
自然の根に半ば飲み込まれながらも、人の手で作られた形を残している。
ガルドが壁を見る。
「こんな道は知らん」
牡丹は蝋の跡へ触れた。
「最近も使われています」
「何度だ」
薔薇が問う。
「三度」
「なぜ分かる」
「蝋が三層に重なっています」
床の水面には、薄い油が浮いている。
荷物を運んだ跡。
灯りを使った跡。
人が待機した跡。
「案内されています」
牡丹が言った。
尾行者が、わざとこの斜面を通った。
自分達を、この通路へ導くために。
ガルドが黒蘭を見る。
「帰るか」
「帰路は確保した」
「罠だぞ」
「分かっている」
「なら、なぜ入る」
黒蘭は石造りの奥を見る。
「ここで止まれば、仕掛けた者は次の罠を作る」
「今日は、終わらせるために来た」
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通路の奥へ入る。
直後、前後の木板が落ちた。
退路が塞がれる。
天井の隙間から白い粉が降る。
牡丹が即座に告げる。
「吸わないでください」
椿が帯で口元を覆う。
薔薇はガルドを外套の内側へ押し込んだ。
「扱いが雑だ!」
「生きてるだろ!」
「まだ死んでないだけだ!」
牡丹は指先に粉を取り、匂いだけを確認する。
「水に入っていたものと同系統です」
「筋力を落とします」
黒蘭が問う。
「効くか」
「この量では足りません」
「風が奥へ抜けています」
前方の木板が開いた。
顔を布で隠した四人の男が現れる。
冒険者の装備に似せているが、靴底に迷宮の泥が染み込んでいない。
男の一人が剣を抜く。
「動くな」
薔薇が笑う。
「動くなと言われて、本当に動けない相手を待っていたのか」
「薬を吸った。じきに立てなくなる」
牡丹が平坦に答えた。
「調合が拙いです」
男達の動きが止まる。
「この空間なら、今の三倍は必要でした」
一人が仲間を見る。
指揮官はいない。
全員、雇われた者。
命令された通りに動いているだけ。
黒蘭が言った。
「牡丹」
牡丹は印を結ぶ。
水面へ、細い紫電が走った。
男達が気付いた時には遅い。
雷は床の水を伝い、四人の脚から身体へ登る。
声を上げる間もなく、全員が膝から崩れた。
剣が石床へ落ちる。
ガルドが薔薇の外套から顔を出した。
「殺したのか」
「呼吸しています」
牡丹は無表情で答えた。
「数刻は指も動かせません」
「十分危険だろ」
「生きています」
「黒華の人間は皆それを言うのか」
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背後の木板が開いた。
待機していた二人の男が入ってくる。
その背後には、すでに百合がいた。
右手に短刀。
左手に毒針。
男が振り向こうとする。
針が首筋へ触れた。
「動かないでください」
もう一人が短剣を抜く。
百合の姿が消える。
次の瞬間には、男の手首へ針が刺さっていた。
指が開く。
短剣が落ちる。
百合は男の背後へ回り、短刀を喉へ添えた。
「六人」
百合が告げる。
「ここにいる者で全員です」
薔薇が刀を肩へ載せた。
「私の出番がない」
椿が答える。
「良いことではありませんか」
「少しくらい残してほしい」
「敵は食事ではありません」
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男達を通路の中央へ並べた。
牡丹が一人ずつ手を確認する。
四人目の爪の間に、ごく薄い紫色の粉が残っていた。
水袋の栓へ塗った印。
「この方です」
男の顔が強張る。
黒蘭が問う。
「水へ薬を入れたか」
「知らない」
「嘘です」
百合が即答する。
男が声を荒らげる。
「証拠があるのか!」
牡丹は男の爪から粉を取り、白い紙へ落とした。
「出発前、栓へ触れた者に残る粉です」
「あなたは、検査後の水袋を開けています」
男の顔から血の気が引く。
「役人に言われたんだ」
「誰だ」
「名前は知らない」
百合の短刀が僅かに動く。
首に赤い線が浮かぶ。
「嘘です」
「本当に知らない!」
百合は何も言わない。
牡丹が男の呼吸を見る。
「今度は本当です」
百合は短刀を離した。
男達は、依頼主の名前を知らされていなかった。
港の倉庫で薬と武具を受け取り、この通路で待つよう命じられた。
黒華五刀が古い地図に従う。
崩れた橋で迂回路へ誘導される。
通路で薬を吸わせ、動けなくする。
殺す必要はない。
装備を乱し、数時間放置する。
その後、待機している救助隊が発見する。
記録に残るのは、
黒華五刀が古い地図を見抜けず、第一階層で救助された。
その一文だけ。
目的は殺害ではない。
評判を落とすこと。
黒蘭は倒れた男を見る。
「救助隊はどこだ」
「鐘を鳴らせば来る」
通路奥に小さな銅鐘があった。
黒蘭が紐を引く。
澄んだ音が石壁へ響いた。
ガルドが顔を上げる。
「呼ぶのか」
「ああ」
「無傷なのに?」
「無傷だから呼ぶ」
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鐘を鳴らして十五分。
五人の冒険者が現れた。
腕章には、港湾管理局救助協力隊の印。
早すぎる。
十一階や十二階の別区域から来たのではない。
最初から近くで待っていた。
先頭の男が、倒れた者達と黒華五刀を見比べる。
「救助要請を受けて――」
黒蘭が遮る。
「どこで待っていた」
「十一階で別の任務を」
ガルドが言った。
「十一階から十五分では来られん」
男は黙る。
百合が退路へ立つ。
牡丹は救助隊の靴を見る。
「赤土が付いていません」
「十一階南側を通ってはいませんね」
一人が剣へ手を伸ばす。
椿が片方の刀を地面へ突き立てた。
柄頭から伸びる黒い帯が、通路を流れる風にたなびく。
もう片方の刀を逆手に抜く。
腕は真横。
剣先は、五人の中央へ向く。
「抜かないでください」
椿の声は穏やかだった。
その一声が、狭い通路全体を支配する。
王族の号令。
黒扇刀流の構え。
救助隊の男達は、剣の柄へ触れたまま動けなくなった。
黒蘭は、ガルドが修正した地図を先頭の男へ差し出す。
落ちた橋。
深い泥沼。
斜面。
隠し通路。
薬の罠。
待機地点。
全てが書かれている。
「地図が古かった」
黒蘭が言う。
「直しておいた」
男は受け取ろうとしない。
百合が背後から手首を持ち上げ、地図を握らせた。
「落とさないでください」
細い目は閉じたまま。
「持ち帰るまでが、あなたの役目です」
男の手が震える。
黒蘭が続ける。
「依頼主へ伝えろ」
「次は失敗を待たない」
「こちらから行く」
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男達をその場で殺しはしなかった。
罠を仕掛けた六人は拘束し、ガルドとともにギルドへ引き渡す。
救助隊の五人は逃がした。
逃がすために呼んだ。
百合は、五人全員へ目に見えない香を付けていた。
牡丹が水袋に塗ったものとは別の印。
歩いた道に、僅かな匂いが落ちる。
「追えるか」
ガルドが問う。
百合は頷く。
「海都まで」
「最初から、そのつもりだったのか」
「鐘を鳴らした時からです」
「黒蘭は知ってたのか」
「百合ならそうすると考えた」
黒蘭が答える。
ガルドは五人を順に見る。
「お前達、話し合わないのか」
薔薇が笑う。
「必要なら話す」
「今のは必要じゃないのか?」
「分かるからな」
「分かる前提で動くな」
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本来の依頼である非常用物資は、別の場所へ設置した。
退路が二つ。
水場から離れている。
大型魔物が身体を休める痕跡もない。
ガルドが場所を選び、牡丹が安全な物資を収める。
椿が地図を更新する。
薔薇が入口の倒木を移動させ、魔物が真っ直ぐ入れないようにする。
黒蘭は周囲を一周し、巡回路を確認した。
百合は戻らない。
救助隊を追っている。
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夕刻。
黒蘭達は海都へ帰還した。
拘束した六人。
薬入りの水。
偽造された地図。
救助隊の待機地点。
レオンは報告を聞き、机へ拳を叩きつけた。
「公表する」
「まだだ」
黒蘭が止める。
「これだけ揃っている!」
「雇われた者は依頼主を知らない」
「港湾管理局の物資だ!」
「担当役人一人へ押しつけて終わる」
「それでも何もしないよりはいい!」
レオンの声が執務室へ響く。
黒蘭は静かに返した。
「何もしないとは言っていない」
部屋が静まる。
「これまでは、敵がどこまで繋がっているかを見る必要があった」
「もう十分だ」
ガルドが黒蘭を見る。
薔薇も笑みを消している。
椿は何も言わず、黒蘭の横顔を見た。
「次は、泳がせない」
黒蘭が言う。
「下の者だけを捕らえても、また別の者が使われる」
「上まで引きずり出す」
レオンが問う。
「捕らえるのか」
黒蘭は即答しなかった。
「相手次第だ」
その言葉に、レオンの表情が固まる。
黒蘭は、海都の法に従うとは言わなかった。
同時に、無意味に斬るとも言わない。
必要な結果を得る。
そのために必要なら、生かす。
必要なら、斬る。
それだけだった。
---
夜。
百合が宿の窓から戻った。
牡丹が海都の地図を机へ広げる。
百合は針を一本ずつ刺した。
港湾区。
ラウルス家所有の倉庫。
役所の一室。
元老院の外郭庁舎。
そして、冒険者ギルド。
最後の針だけ、部屋の空気を変えた。
椿が尋ねる。
「ギルドにも?」
「救助隊が戻る前に、知らせを受け取った者がいます」
「誰だ」
黒蘭が問う。
「依頼記録を扱う男です」
「レオン殿への報告はありません」
薔薇が腕を組む。
「内からも漏れてるのか」
牡丹が四本の針を線で結ぶ。
港。
役所。
元老院。
ギルド。
一つの家だけではない。
複数の者が利益のために繋がっている。
百合が尋ねる。
「今度こそ、斬りますか」
黒蘭は地図を見る。
「全員ではない」
百合の細い目が、ほんの僅かに開いた。
紫の瞳が灯火を映す。
「見せる相手を選ぶ」
黒蘭は言った。
「海都の権力者は、捕まった者が翌日には戻ると思っている」
「金を払えば、下の者を切れば、自分は残れると」
「その考えを一度、壊す」
牡丹が問う。
「誰を残し、誰を落としますか」
黒蘭は四本の針のうち、ラウルス家の倉庫へ刺さった一本を抜いた。
「まず、ここだ」
百合が短刀へ触れる。
薔薇は僅かに笑う。
椿は黒蘭を止めなかった。
紙の罠は失敗した。
薬も、地図も、内通者も見つかった。
だが、それだけでは海都の権力者は変わらない。
ならば次は、失敗した者を捕らえるだけでは終わらせない。
誰か一人には、黒華五刀へ手を出した結果を背負わせる。
それを海都中へ見せる。
黒蘭はもう、敵が次の手を打つのを待つつもりはなかった。
第十八話 了