亡国の黒将と世界樹の迷宮   作:清海深々

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第二十三刀 海都の刃、黒華の刃

 

海都来訪八十六日目。

 

黒華五刀が三十五階から帰還して、二日が過ぎていた。

 

閉じた正面水門。

 

その脇に残された保守路。

 

そして、三十三階南側を流れる反流。

 

黒蘭達が次の探索で確かめるべきものは、すでに決まっていた。

 

かつてロイヤルガードが敗走の末に流れ着いた、四十一階相当区域。

 

彼らは正規の階層主を倒していない。

 

正面経路も通っていない。

 

それでも、海都が四十一階と呼ぶ深さまで到達した。

 

その記録が、嘘だったわけではない。

 

ただし、意味が違っていた。

 

---

 

朝の冒険者ギルド。

 

黒蘭は探索届を受付へ置いた。

 

今回の参加者は六名。

 

黒華五刀。

 

そして、ロイヤルガード隊長アルベルト。

 

受付係が名簿を見直す。

 

「ロイヤルガードの他の方々は?」

 

アルベルトが答えた。

 

「来ない」

 

「南側反流を知っているのは、俺だけで足りる」

 

正確には、他にも生還者はいる。

 

だが、再びあの流れへ近づける者は少なかった。

 

仲間を失った場所。

 

逃げるしかなかった場所。

 

アルベルト自身も、同行を決めるまでに一晩を要した。

 

黒蘭は急かさなかった。

 

必要な案内役がアルベルトであることは伝えた。

 

来るかどうかは、本人へ委ねた。

 

「予定帰還は四日後」

 

牡丹が告げる。

 

「携行食は六日分」

 

受付係が書き込む。

 

「今回も二日分は予備ですか」

 

「はい」

 

後ろで待っていた若い冒険者が、小声で連れへ話している。

 

予備を前進へ使わない。

 

予定を延ばす理由にしない。

 

第十七話の新人講習以来、黒華五刀の行動は少しずつギルド内で共有され始めていた。

 

黒蘭達が強い理由を、技や装備だけで説明できないと、海都の者達も理解しつつある。

 

---

 

ギルドの外には、アルベルトの仲間達が待っていた。

 

ロイヤルガードの四名。

 

今回は同行しない。

 

一人の盾兵が、アルベルトへ予備の留め具を渡す。

 

「隊長」

 

「何だ」

 

「無理に過去を証明する必要はありません」

 

アルベルトは留め具を受け取る。

 

「証明するために行くんじゃない」

 

「では」

 

「今度は、道として使えるかを見る」

 

かつての彼らには、帰る以外の選択がなかった。

 

地図を取る余裕もない。

 

仲間を運び、魔物から逃げ、流れに任せた。

 

今度は違う。

 

黒華五刀がいるからではない。

 

自分が、生還者として残った意味を確かめる。

 

「戻ってくる」

 

アルベルトが言う。

 

仲間達は、短く頷いた。

 

黒蘭はそのやり取りを待ってから歩き出した。

 

---

 

三十階磁軸。

 

青白い光が消える。

 

海嶺ノ水林の湿った空気。

 

水の匂い。

 

白い根。

 

黒蘭達は前回の帰還時に付けた印を確認しながら、三十三階へ向かった。

 

アルベルトは先頭に出ない。

 

道を知っているのは彼だが、現在の水路が過去と同じとは限らない。

 

先頭は黒蘭。

 

二番手に椿。

 

中央にアルベルト。

 

その後ろを牡丹。

 

薔薇。

 

最後尾は百合。

 

百合が後方だけでなく、天井と水面の揺れを見ている。

 

「以前より静かです」

 

アルベルトが言う。

 

「ここがか」

 

薔薇が周囲を見る。

 

魔物の姿はない。

 

「俺達が来た時は、水音がもっと大きかった」

 

「流れが強かった?」

 

椿が尋ねる。

 

「ああ」

 

「南へ引かれていた」

 

牡丹が壁へ触れる。

 

「正面経路の閉鎖で、流量が変化しています」

 

「同じ場所を通っても、以前と同じ先へ流れる保証はありません」

 

アルベルトは頷いた。

 

「分かっている」

 

それでも足は止まらない。

 

---

 

三十三階南側。

 

正面潮路から外れた細い通路。

 

壁の半分が水で満たされている。

 

床は濡れているが、水深は足首程度。

 

先へ進むほど、水が逆方向へ流れていた。

 

本来なら奥から手前へ流れるはずの傾斜。

 

それに逆らい、水は下から上へ這い上がっている。

 

アルベルトが立ち止まる。

 

「ここだ」

 

声が少し低い。

 

薔薇はアルベルトの横顔を見る。

 

普段の堂々とした隊長の表情とは違う。

 

恐れている。

 

だが、足を退かせるほどではない。

 

黒蘭が問う。

 

「流されたのは、どこからだ」

 

アルベルトが水路の奥を指す。

 

「あの先に、以前は大きな空洞があった」

 

「階層主と戦ったのか」

 

「違う」

 

アルベルトは答えた。

 

「戦う前だった」

 

---

 

当時。

 

ロイヤルガードは第二階層の深部へ挑んでいた。

 

階層主の位置も、正規の入口も分かっていない。

 

それでも、四十階近くまで進んだと信じていた。

 

水流の変化。

 

人工物。

 

魔物の強さ。

 

全てが、次の階層に近いことを示していた。

 

だが、道を誤った。

 

突然、水路の壁が崩れた。

 

大量の水。

 

左右から現れた大型魔物。

 

隊列が分断された。

 

アルベルト達は戦った。

 

仲間を守りながら退いた。

 

だが、倒しても倒しても次が来る。

 

「俺が退却を命じた」

 

アルベルトは水面を見ながら話す。

 

「それ自体は間違っていないと思っている」

 

「残った者を帰すために必要だった」

 

「だが、退路と思った道が、さらに深い場所へ繋がっていた」

 

負傷者を抱えたまま、強い反流へ飲み込まれた。

 

どれほど流されたか分からない。

 

気付いた時には、見たことのない人工物の中にいた。

 

海都が後に四十一階相当と判断した区域。

 

そこから、また別の水路を通り、三十六階付近へ戻った。

 

「そこに何があった」

 

黒蘭が問う。

 

アルベルトは少し迷う。

 

「大きな門だ」

 

「開かなかった」

 

「その前に、人の形をした何かが立っていた」

 

椿が言う。

 

「オランピア」

 

「今なら、そうだと分かる」

 

「当時は魔物だと思った」

 

オランピアは攻撃しなかった。

 

ただ、進入を許可できないと告げた。

 

ロイヤルガードは戦える状態ではなかった。

 

引き返すしかなかった。

 

「海都へ戻った後、その場所を四十一階と報告した」

 

アルベルトが続ける。

 

「嘘をついたつもりはない」

 

「地図上の深度も、周囲の魔力も、四十一階相当だった」

 

「元老院が、それを正規到達記録として扱った」

 

薔薇が言う。

 

「訂正しなかったのか」

 

「訂正しようとした」

 

アルベルトの声に苦みが混じる。

 

「だが、海都には成果が必要だと言われた」

 

「死んだ仲間の功績を無駄にするな、とも」

 

百合が静かに問う。

 

「それで黙ったのですか」

 

「ああ」

 

アルベルトは認めた。

 

言い訳はしない。

 

「俺達は階層主を倒していない」

 

「正面から到達してもいない」

 

「それでも、仲間を連れて戻った」

 

黒蘭が言った。

 

「敗北したことと、生還したことは別だ」

 

アルベルトが黒蘭を見る。

 

「慰めか」

 

「違う」

 

黒蘭は水路の奥を見る。

 

「事実だ」

 

「勝って進んだのではない」

 

「だが、残った者を連れて帰った」

 

「その道を知る者は、お前しかいない」

 

アルベルトはしばらく黙った。

 

それから盾の留め具を締め直す。

 

「行こう」

 

---

 

反流へ入る。

 

最初は足首程度だった水が、膝まで上がる。

 

流れは進行方向と同じ。

 

後ろから身体を押す。

 

歩かなくても進めるほど強い。

 

黒蘭が手を上げる。

 

停止。

 

全員が壁際の白い根を掴む。

 

薔薇が問う。

 

「どうした」

 

「流れが強くなる」

 

アルベルトが言った。

 

「この先だ」

 

牡丹が細い木片を水へ落とす。

 

木片は一度前へ流れ、途中で沈んだ。

 

次に、数歩後方から浮かび上がる。

 

同じ水が輪を描いている。

 

「循環しています」

 

椿が地図を見る。

 

「進んでいるように見えて、同じ場所へ戻される?」

 

「一部は」

 

牡丹が別の色の木片を三本落とす。

 

一本は前へ。

 

一本は後ろへ。

 

一本は壁の隙間へ消えた。

 

「三つに分かれています」

 

「前方の流れ」

 

「帰還側へ戻る流れ」

 

「壁内の保守路へ入る流れ」

 

アルベルトが眉を寄せる。

 

「俺達はどれに乗った」

 

「当時の位置が必要です」

 

「覚えている」

 

アルベルトは壁の一か所を指す。

 

白い根に覆われている。

 

「ここに仲間の槍が刺さった」

 

牡丹が根を調べる。

 

折れた金属片が残っていた。

 

長い年月を経て錆びている。

 

アルベルトが目を閉じる。

 

「間違いない」

 

黒蘭は水面を見る。

 

「その時、誰を運んでいた」

 

「二人」

 

「配置は」

 

アルベルトが当時の隊列を説明する。

 

前に盾兵。

 

中央に負傷者。

 

後ろにアルベルトと術師。

 

水へ押された瞬間、前方の盾兵が流れを受け止めた。

 

そのため隊列全体が僅かに壁側へずれた。

 

結果として、壁内の保守流へ入った。

 

「偶然か」

 

薔薇が言う。

 

「違う」

 

黒蘭が答える。

 

「盾で流れを割った」

 

「それで道が変わった」

 

アルベルトは自分の盾を見る。

 

逃げただけだと思っていた。

 

だが、仲間を守るための隊列が、結果として全員を別の流れへ入れた。

 

「同じことをする」

 

黒蘭が言う。

 

アルベルトが顔を上げる。

 

「俺が前か」

 

「ああ」

 

「当時と同じ位置へ立て」

 

---

 

アルベルトが盾を構える。

 

水路中央。

 

黒蘭と椿がその後ろ。

 

牡丹。

 

薔薇。

 

百合。

 

黒蘭は全員へ短く告げる。

 

「押されるな」

 

「流れに乗るのは、俺が言ってからだ」

 

薔薇が笑う。

 

「水相手に命令するのか」

 

「お前達にだ」

 

アルベルトが盾を水流へ向ける。

 

一歩。

 

二歩。

 

流れが強くなる。

 

盾へ水圧が集中した。

 

アルベルトの足が滑る。

 

だが退かない。

 

盾を正面から僅かに傾ける。

 

水が左右へ割れる。

 

片側の流れが壁へぶつかる。

 

白い根が揺れた。

 

牡丹が言う。

 

「右側の圧が下がりました」

 

黒蘭が手を上げる。

 

「今だ」

 

六人が一斉に壁側へ踏み込んだ。

 

足元が消える。

 

水路が開いたのではない。

 

水そのものが壁の内側へ折れ曲がった。

 

身体が横へ引かれる。

 

視界が青で満たされた。

 

薔薇が牡丹の腕を掴む。

 

椿の黒帯が黒蘭の手首へ巻きつく。

 

百合は最後尾からアルベルトの外套を短刀で壁へ留め、一瞬だけ全員の向きを整えた。

 

次の瞬間。

 

六人の身体が、水の中へ吸い込まれた。

 

----

 

身体が水から放り出された。

 

黒蘭は空中で体勢を変える。

 

両足から着地。

 

すぐに椿の腕を取り、引き寄せる。

 

薔薇は牡丹を抱えたまま転がった。

 

百合は壁へ短刀を刺し、落下を止める。

 

最後にアルベルトが盾を下にして落ちた。

 

石床へ大きな音が響く。

 

「全員いるか」

 

黒蘭が問う。

 

「はい」

 

椿。

 

「いる」

 

薔薇。

 

「問題ありません」

 

牡丹。

 

「います」

 

百合。

 

アルベルトは盾の下から顔を上げた。

 

「俺もいる」

 

六人。

 

負傷なし。

 

黒蘭は周囲を見る。

 

青白い人工石。

 

壁を走る細い光。

 

海嶺ノ水林の根はほとんどない。

 

天井は低い。

 

水音も遠い。

 

自然の迷宮ではなく、巨大な施設の内部に見える。

 

アルベルトが立ち上がる。

 

「ここだ」

 

声が掠れていた。

 

「俺達が流れ着いた場所だ」

 

---

 

壁には、古い傷が残っていた。

 

槍の跡。

 

魔法の焦げ。

 

盾を引きずった線。

 

アルベルトの仲間達が、生きて帰るために残した痕跡。

 

年月を経ても消えていない。

 

「ここで一人死んだ」

 

アルベルトが言う。

 

床の隅。

 

何も残っていない場所。

 

「流された時には、まだ息があった」

 

「治療術も使った」

 

「だが、間に合わなかった」

 

薔薇は何も言わない。

 

近衛として、守れなかった者の記憶を持つ。

 

安易な慰めが意味を持たないことを知っている。

 

アルベルトは床へ膝をつかなかった。

 

祈りもしない。

 

ただ、そこを一度見た。

 

「先へ行く」

 

黒蘭が言う。

 

アルベルトは頷いた。

 

過去を悼むためだけに来たのではない。

 

この場所を道として確かめるために来た。

 

---

 

人工通路は三方向へ分かれていた。

 

中央。

 

左。

 

右。

 

アルベルトは中央を指す。

 

「門はこっちだ」

 

牡丹が床を調べる。

 

「右側に新しい擦過痕があります」

 

「新しい?」

 

「数日以内」

 

百合が右の通路を見る。

 

「人ではありません」

 

「足跡がありません」

 

「何かが滑って移動しています」

 

オランピア。

 

あるいは、別の防衛個体。

 

黒蘭は中央へ進む。

 

「今は門を確認する」

 

「右は帰りに見る」

 

迷宮探索では、見つけたもの全てへ触れない。

 

目的を増やせば、帰還が遅れる。

 

---

 

中央通路の先には、大きな広間があった。

 

壁一面に青い線。

 

中央には閉じた門。

 

高さは十人分以上。

 

左右に、円形の装置が四つ並んでいる。

 

門そのものは、三十五階で見た正面水門と似ている。

 

ただし、こちらはさらに古い。

 

表面に海草のような紋様が刻まれていた。

 

アルベルトが足を止める。

 

「変わっていない」

 

「オランピアはどこにいた」

 

椿が尋ねる。

 

「門の前だ」

 

今はいない。

 

だが、誰にも見られていないとは限らない。

 

百合が周囲を探る。

 

「います」

 

薔薇が刀へ手を置く。

 

「どこだ」

 

「分かりません」

 

「いるのに?」

 

「この広間全体から見られています」

 

青い線。

 

壁。

 

天井。

 

装置。

 

どこか一か所ではない。

 

防衛網そのものが、六人を認識している。

 

牡丹が円形装置へ近づく。

 

触れる直前で止まる。

 

「反応しています」

 

装置の内側に、五つの光点が灯った。

 

中央に一つ。

 

周囲に四つ。

 

五人一組の配置。

 

黒蘭達と同じ人数。

 

アルベルトが別の装置を見る。

 

そちらには六つの光。

 

一つが前。

 

二つが中央。

 

三つが後方。

 

「隊列を記録しているのか」

 

牡丹が答える。

 

「戦闘時の配置かもしれません」

 

次の瞬間。

 

広間の床が震えた。

 

左右の壁が開く。

 

水の中から、四体の防衛個体が現れた。

 

人型。

 

だが顔はない。

 

両腕に青い刃。

 

背部から細い管が伸び、壁へ繋がっている。

 

アルベルトが盾を構える。

 

「前と違う」

 

「前回はいなかった?」

 

「ああ」

 

黒蘭が二刀を抜く。

 

「接続切断で防衛が強化された」

 

イリスが命令を拒否した影響。

 

黒蘭達はまだその名を知らない。

 

だが防衛網が地上側の侵入を警戒し始めたことは分かる。

 

「倒すか」

 

薔薇が籠手を構える。

 

黒蘭は防衛個体の背部を見る。

 

壁と繋がっている。

 

破壊しても、別の場所から補充される可能性がある。

 

「装置を止める」

 

牡丹が言う。

 

「時間が必要です」

 

「どれくらい」

 

「三十息」

 

黒蘭が配置を決める。

 

「アルベルトと薔薇が前」

 

「椿は中央」

 

「百合は右」

 

「俺は左」

 

「牡丹を装置へ通せ」

 

六人が動いた。

 

---

 

最初の防衛個体がアルベルトへ斬りかかる。

 

左右同時。

 

アルベルトは盾で受ける。

 

衝撃。

 

人間の剣士より重い。

 

それでも足は崩れない。

 

盾を斜めにし、二本の刃を滑らせる。

 

薔薇の籠手が防衛個体の胴へ入る。

 

金属音。

 

身体が壁へ叩きつけられる。

 

だが壊れない。

 

薔薇が眉を上げる。

 

「硬い」

 

「次が来ます」

 

椿の号令。

 

「右へ」

 

アルベルトと薔薇が同時に一歩ずれる。

 

二体目の突進が、空いた場所を通過する。

 

百合の針が関節へ刺さる。

 

金属ではなく、内部の細い管。

 

動きが一瞬止まる。

 

黒蘭が二刀を交差させる。

 

肩と首の継ぎ目を断つ。

 

頭部が落ちる。

 

それでも身体は動く。

 

「頭が中枢ではない」

 

牡丹が装置を調べながら言う。

 

「背部の管を」

 

黒蘭の右刀が管を断つ。

 

防衛個体が停止した。

 

だが壁の青線が強く光る。

 

切れた管が水のように再生し始める。

 

「止まるのは短時間です」

 

「十分だ」

 

黒蘭が言う。

 

---

 

三体目。

 

四体目。

 

防衛個体は個々で動いているように見えた。

 

だが、攻撃の瞬間だけ完全に揃う。

 

アルベルトの盾へ二体。

 

薔薇の足元へ一体。

 

牡丹へ一体。

 

別々の標的。

 

同じ瞬間。

 

アルベルトが叫ぶ。

 

「連携が来る!」

 

海都式の戦闘。

 

複数人が、同じ刹那へ技を置く。

 

アルベルトは盾を地面へ突き立てた。

 

「集え!」

 

盾を中心に、淡い光が広がる。

 

黒蘭達の身体にも一瞬、同じ光が触れた。

 

防御の加護。

 

アルベルト一人の術ではない。

 

かつてのロイヤルガードが、互いの呼吸を重ねるために使っていたリミットスキル。

 

今は仲間がいない。

 

本来の形では発動できない。

 

それでもアルベルトは、黒華五刀の呼吸へ自分を合わせた。

 

椿が即座に理解する。

 

「全員、アルベルト殿の盾へ呼吸を合わせてください」

 

薔薇が言う。

 

「どうやって」

 

「光が強くなる瞬間です」

 

アルベルトの盾が脈打つ。

 

一度。

 

二度。

 

三度目。

 

防衛個体が一斉に斬り込む。

 

「今です」

 

椿の声。

 

黒蘭の二刀。

 

薔薇の籠手。

 

百合の針。

 

椿の二刀。

 

五人の攻撃が、同じ瞬間に置かれた。

 

黒蘭が二体の管を断つ。

 

薔薇が一体を押し返す。

 

百合の針が最後の一体の両腕を止める。

 

椿が二本の刃で、その胴を切り開く。

 

一つずつではない。

 

同じ刹那。

 

防衛個体の連携を、こちらの連携で崩した。

 

アルベルトの盾から光が消える。

 

「今のは」

 

薔薇が息を吐く。

 

「ロイヤルガードの技だ」

 

アルベルトが答える。

 

「正確には、俺達だけのものじゃない」

 

「海都の冒険者が、複数の力を一つへ重ねるために作った技だ」

 

「リミットスキル」

 

椿がその名を口にする。

 

アルベルトは頷いた。

 

「単独では使えない」

 

「互いの呼吸と意思が揃って、初めて形になる」

 

黒蘭は防衛個体を見る。

 

先ほどの一瞬。

 

五人の攻撃は、完全に重なったわけではない。

 

黒蘭が最も早い。

 

次に椿。

 

百合。

 

牡丹はまだ装置。

 

薔薇が最後。

 

それでも普段より遥かに近い。

 

三十四階で三方向の首を断った時よりも、さらに短い時間差。

 

「もう一度できるか」

 

黒蘭が問う。

 

アルベルトは盾を構え直す。

 

「呼吸が合えば」

 

「合わなければ」

 

「失敗する」

 

「分かった」

 

黒蘭の紫の瞳が、五人の位置を一度見た。

 

まだ構想にはならない。

 

だが、三十四階で感じた十五撃の形が、少しだけ具体的になった。

 

---

 

牡丹が装置へ短刀を差し込む。

 

青い線の一部を切断。

 

別の位置へ繋ぎ直す。

 

「止まります」

 

広間の光が消えた。

 

四体の防衛個体が、その場へ崩れる。

 

門だけが残る。

 

静寂。

 

アルベルトが盾を下ろす。

 

「三十息より長かったぞ」

 

「四十二息です」

 

牡丹が答える。

 

「予定より構造が複雑でした」

 

「先に言え」

 

「調べる前には分かりません」

 

薔薇が笑う。

 

「いつものやつだな」

 

---

 

門の中央に、白い光が灯る。

 

人の輪郭。

 

オランピアが現れた。

 

以前と同じ姿。

 

だがアルベルトを見る時間が僅かに長い。

 

「再訪を確認しました」

 

アルベルトが前へ出る。

 

「覚えているのか」

 

「記録があります」

 

「俺達が逃げてきたことも?」

 

「重傷者五名」

 

「自力歩行可能者三名」

 

「死亡者一名」

 

「後に保守経路より退去」

 

正確だった。

 

アルベルトの表情が固くなる。

 

オランピアは続ける。

 

「当時、正規通行条件を満たしていませんでした」

 

黒蘭が問う。

 

「ここは四十一階か」

 

「人間の階層分類では、深度は四十一階相当です」

 

「だが正規経路ではない」

 

「はい」

 

「では、何だ」

 

「深部防衛網の排水・保守区画」

 

海都の記録は、半分正しく、半分間違っていた。

 

ロイヤルガードは四十一階相当の深度へ到達した。

 

だが、第二階層を突破したわけではない。

 

「この門の先は」

 

椿が問う。

 

「深都へ続きますか」

 

「続きません」

 

オランピアは答えた。

 

「この門は、正規経路側からのみ開放されます」

 

「こちらから開けることは」

 

「できません」

 

薔薇が門を見る。

 

「壊せば」

 

「深部防衛網が起動します」

 

「やめた方がよさそうだな」

 

黒蘭は門ではなく、広間の右側を見る。

 

先ほど新しい擦過痕があった方向。

 

「正規経路へ戻る道はあるか」

 

「あります」

 

オランピアは右の通路を示す。

 

「三十五階保守路へ接続しています」

 

アルベルトが驚く。

 

「俺達が帰った道とは違う」

 

「当時は閉鎖されていました」

 

「今はなぜ開いている」

 

「黒華五刀が、深王への接触候補として暫定認証されたためです」

 

アルベルトが黒蘭を見る。

 

「何をした」

 

薔薇が答える。

 

「普通に進んだ」

 

「それだけではないだろう」

 

「私達もよく分かってない」

 

オランピアは黒蘭へ向き直る。

 

「正規経路は閉鎖されています」

 

「しかし保守路を経由すれば、三十六階へ到達可能です」

 

「通行条件は」

 

「南側反流を自力で通過すること」

 

「生還経路を確保すること」

 

「防衛個体との戦闘で、過剰破壊を行わないこと」

 

牡丹が停止した四体を見る。

 

壊してはいない。

 

管と制御だけを断った。

 

「満たしました」

 

オランピアが言う。

 

「三十六階以降への限定通行を許可します」

 

---

 

黒蘭はすぐに進まなかった。

 

帰り道を確認する。

 

右の保守路。

 

水圧。

 

距離。

 

分岐。

 

通行可能時間。

 

牡丹と椿が地図を作る。

 

百合が先行して出口を確認。

 

薔薇とアルベルトは停止した防衛個体を見張る。

 

黒蘭は広間中央で、先ほどの戦闘を思い返していた。

 

五人の攻撃を同じ瞬間へ置く。

 

海都のリミットスキル。

 

黒華の戦いでは、一人が斬った後を次が埋める。

 

互いの刃を邪魔しないため。

 

順番に戦列を回す。

 

だが、順番を待つ必要がないとしたら。

 

薔薇が黒蘭を見る。

 

「また何か考えてるな」

 

「ああ」

 

「さっきの技か」

 

「海都の技は、攻撃の順番を消す」

 

アルベルトが言う。

 

「完全には消えない」

 

「全員が同じ瞬間に動いても、速さは違う」

 

「だから、中心になる技を決める」

 

「盾」

 

「号令」

 

「強い一撃」

 

「それへ他の者が合わせる」

 

黒蘭は問う。

 

「中心を変えられるか」

 

「できる」

 

「だが、難しい」

 

「一度の戦闘で何度も変える者は少ない」

 

黒蘭は五人を見る。

 

黒蘭を中心にすれば、八撃。

 

椿なら、号令と舞。

 

薔薇なら、受け止めた反動。

 

百合なら、死角。

 

牡丹なら、拘束や罠。

 

一人だけを中心にし続ける必要はない。

 

五人全員が、それぞれ一度ずつ起点になれば。

 

黒蘭の頭の中で、十五という数字が五度回った。

 

まだ形にはならない。

 

呼吸も。

 

位置も。

 

一人が起点になった後、次の者へどう繋ぐかも決まっていない。

 

それでも、七十五の刃が一瞬だけ見えた。

 

黒蘭は言った。

 

「帰ったら試す」

 

薔薇が笑う。

 

「何を」

 

「全員で斬る」

 

「いつもやってるだろ」

 

「同時にだ」

 

百合が静かに言う。

 

「互いの刃が干渉します」

 

「だから試す」

 

牡丹が答える。

 

「訓練用の標的を用意します」

 

椿だけが、黒蘭の考えへ少し早く届いた。

 

「一人の攻撃へ、他の四人を合わせるのではなく」

 

「五人全員が、順に起点になるのですね」

 

黒蘭は頷いた。

 

アルベルトが二人を見る。

 

「何撃になる」

 

薔薇が指を折る。

 

「黒蘭が八」

 

「椿が二」

 

「私は一」

 

百合が続ける。

 

「私と牡丹が二撃ずつ」

 

牡丹が平坦に告げる。

 

「一巡十五撃」

 

椿が黒蘭を見る。

 

「五人が一度ずつ起点になれば、五巡」

 

アルベルトの顔が僅かに引きつる。

 

「七十五撃?」

 

「まだできない」

 

黒蘭は言う。

 

「だから試す」

 

アルベルトはしばらく黙った。

 

やがて、小さく笑う。

 

「海都の技を見せたことを、後悔するかもしれんな」

 

黒蘭は答えた。

 

「覚えたのは形だけだ」

 

「黒華の戦いにする」

 

---

 

帰路は、南側反流を戻らなかった。

 

オランピアが開いた保守路を通る。

 

三十五階西側。

 

以前確認した排水路。

 

そこから三十四階へ。

 

アルベルトは、地図上で二つの経路を見比べた。

 

かつて自分達が逃げ延びた道。

 

今回、黒華五刀と確認した道。

 

同じ場所へ至る。

 

だが意味は違う。

 

「俺達の記録は、どう報告すべきだと思う」

 

アルベルトが黒蘭へ尋ねた。

 

「正規到達ではなかった、と公表するか」

 

「お前が決めろ」

 

「黒蘭ならどうする」

 

黒蘭は歩きながら答える。

 

「正規経路ではないと記録する」

 

「同時に、四十一階相当区域へ生還した事実も残す」

 

「どちらかを消す必要はない」

 

アルベルトは頷いた。

 

「元老院は嫌がる」

 

「なら、ギルドにも同じ記録を置け」

 

「消せない場所を増やせ」

 

アルベルトは少し笑った。

 

「ラウルス家の事件で学んだか」

 

「紙は、剣より長く残ることがある」

 

牡丹が言う。

 

「内容によります」

 

薔薇が笑う。

 

「またそこからか」

 

---

 

海都来訪八十九日目。

 

六人は予定どおり帰還した。

 

ギルドの会議室。

 

レオン。

 

クジュラ。

 

ガルド。

 

ロイヤルガードの四名。

 

黒華五刀。

 

アルベルトは、自分の口で報告した。

 

「俺達が到達したのは、四十一階相当深度の保守区画だ」

 

「正規の四十一階ではない」

 

部屋が静まる。

 

仲間の一人が俯く。

 

アルベルトは続ける。

 

「階層主を倒した記録でもない」

 

「だが、敗走中に仲間を守り、深部区画から生還した」

 

「その事実まで取り消すつもりはない」

 

レオンが地図を見る。

 

「元老院はどうする」

 

クジュラが答えた。

 

「正規記録の修正には反対するだろう」

 

「海都の最高到達記録が下がるからな」

 

黒蘭が言う。

 

「下がらない」

 

「深度記録は残る」

 

「攻略記録と分けろ」

 

ガルドが頷く。

 

「地図にも、そう書ける」

 

「到達深度と、正規攻略階層を別にする」

 

レオンはアルベルトを見る。

 

「それでいいのか」

 

「ああ」

 

アルベルトは答えた。

 

「仲間達がしたことを、勝利に作り替える必要はない」

 

「俺達は負けた」

 

「それでも帰った」

 

その言葉に、誰も異論を挟まなかった。

 

---

 

会議の最後。

 

黒蘭は新しい紙を机へ置いた。

 

五つの円。

 

中央に十五本の線。

 

その円が五回、順に繋がっている。

 

レオンが眉を寄せる。

 

「何だ、これは」

 

アルベルトが先に答えた。

 

「黒華五刀が、海都のリミットスキルを見た結果だ」

 

クジュラが紙を見る。

 

「十五を五回」

 

「七十五」

 

薔薇が腕を組む。

 

「まだできない」

 

百合が続ける。

 

「干渉します」

 

牡丹も言う。

 

「呼吸も合っていません」

 

椿が紙の一番上へ一つだけ文字を書く。

 

**黒華五刀**

 

技名。

 

まだ完成していない。

 

黒蘭は紙を畳んだ。

 

「次の階層主までに、一巡だけでも使える形にする」

 

レオンが笑う。

 

「海都の技を持っていくのか」

 

黒蘭は首を振る。

 

「借りる」

 

「返す時は、別のものになっている」

 

正面水門は閉じた。

 

それでも、三十六階へ至る道は開いた。

 

ロイヤルガードの敗北は、汚点ではなく経路になった。

 

海都の技は、黒華五刀の新しい刃になり始めた。

 

深都へ至る歩みは、遅れていない。

 

むしろ今。

 

黒華五刀だけでは届かなかったものを取り込みながら、確実に前へ進み始めていた。

 

第二十三話 了

 

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